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2006年8月

(備忘録060831)

夜になって来客があったりして、記事を書く時間がなくなりました。今夜はお休みします。

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アニメの主題歌

060830_223001 本日のお買い物、『BLACK JACK Best Album』。アニメシリーズで使用されたOPとED、映画『BJ2D』主題歌の計9曲が収録されている。初回限定として、それぞれのノンテロップDVDが付いてBOX入り3,150円だった。一番聴きたかった『月光花』が1コーラスだけだったのが大誤算! あっちょんぶりけ~…。私は未だこの曲のフルコーラスを聴いたことが一度もない…。2年前の放送開始当時からのOP、EDを懐かしく観ながら、B'zの「ROOTS」と「THE THEME OF B.J.」も入れて欲しかったなどと思ったりした。

しかし最近のアニメはオリジナルな主題歌を作らなくなったのだろうか? レコード会社とのタイアップか何か知らないが、アニメの雰囲気に合うような新曲を選んで持ってきている感じだ。またそれがしょっちゅう変わるものだから、『BJ』と言えばこの主題歌! というような定番の曲が無いのは、後々のことを考えれば残念なことだと思う。昔なら、『宇宙戦艦ヤマト』と言えば「さらば~地球よ~」だったし、『サインはV』と言えば「V・I・C・T・O・R・Y」だったし、『エイトマン』と言えば「光る海光る大空」だったし、『鉄人28号』と言えば「夜の街にガオー」だったし…、(だんだん古くなってきた・汗)とにかくその番組自体を表す曲があったものだ。また、歌詞などほとんど無くても『ジャングル大帝』の壮大な曲もしっかり記憶に残っているし、『ルパン三世』のテーマも様々に曲調を変えながら今でも生き残っている。『BJ』もそういうテーマ曲をひとつ残してほしかったと思う。作中のBGMには結構好きな曲があるので、『SOUND KARTE SPECIAL』を買ったほうがよかったかもしれないな。

実は、OVA版『BJ』の中で好きな曲があって探しているのだが見つからない。もう無理かな。RHODESが歌う「Just Before the Sunrise」。「寂しくはない 知っているから 最後はいつも独りと」…うろ覚えなのだが、この部分がまさにBJ、という感じで好きだったのだ。ま、縁があれば、また手に入ることもあるだろう。

(このところ『BJ』関連ばかりだが、なにしろ当ブログは只今「Farewell BJ 月間」絶賛ひとり盛り上がり中なので。書かせてください。もう最後なんですぅ~。なお、来月は「BJ大感謝祭」開催予定!)

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手塚作品ランキング

昨日の朝日新聞に、手塚作品の人気ランキングが載っていた。

【50歳以上】
1位 鉄腕アトム(6889人)
2位 火の鳥(4050人)
3位 ジャングル大帝(3399人)
4位 ブラック・ジャック(3256人)
5位 リボンの騎士(1814人)
6位 アドルフに告ぐ(818人)
7位 マグマ大使(796人)
8位 三つ目がとおる(786人)
9位 ブッダ(508人)
10位 W3(ワンダースリー)(398人)

【49歳以下】
1位 ブラック・ジャック(6450人) 
2位 鉄腕アトム(5264人) 
3位 ジャングル大帝(4533人) 
4位 火の鳥(3696人) 
5位 リボンの騎士(3676人) 
6位 ふしぎなメルモ(2088人) 
7位 海のトリトン(青いトリトン)(1940人) 
8位 三つ目がとおる(1253人) 
9位 アドルフに告ぐ(1241人) 
10位 マグマ大使(1221人) 

上位5作品は順位が異なるだけで、いずれの年齢層でも不動の地位を誇っている。私は49歳以下の部類に入るわけだが、6位の「ふしぎなメルモ」、7位の「海のトリトン」は、アニメで鮮明に覚えている(主題歌も歌える、と思う)。しかし原作を読んだことはない。逆に「リボンの騎士」は原作を読んだことはあるがアニメを観た覚えはない(でも主題歌は知っている)。手塚作品は原作とアニメ化の両方でファンを獲得しているのだと思う。「どろろ」がランクインしていないのはちょっと意外だったが。

そんな中で「アドルフに告ぐ」と「ブッダ」は健闘していると思う。成年が読むに耐え得る内容のマンガということなのだろう。ランクインしていないが「奇子」なんてスゴイ作品もある。エンターテインメントから精神世界まで……つくづく手塚治虫というのは何でも描ける人だったのだと感嘆する。

で、どうしても話を「BJ」に持っていきたいのだが(笑)、やっぱり私の年代では「BJ」だ。これしかない。今までテレビアニメシリーズ化されなかったのが信じられないくらいだが、印象が強すぎる分、却ってアニメ化しづらい面もあったのだと思う。原作とイメージが違えば原作ファンからはソッポを向かれる。尺を合わせるためにBJに原作にないセリフを喋らせるのも勇気のいることだったろうと思う。アニメで鬱陶しくなるくらいにピノコがでしゃばったのには、時間調整の意味もあったのではないかなどと勘繰ったりしているのである。7時台アニメとしてはよく頑張ったと思っているのだが、その話はまたいずれ…。

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「最後に頼れるのは、人間自身じゃないのか」

月曜日は『BJ21』。…と書けるのもあと1回か。よよよよよ(泣)。でも最終回、キリコ出ます!!

原作は「きたるべきチャンス」と「腫瘍狩り」。白拍子先生とスカイホスピタル(SH)が出るから「腫瘍狩り」はお約束としても、「きたるべきチャンス」とはこじつけもここまで来ると力技。というか、原作の面影がどっかにあったか? 患者が癌だというだけでは…? 作画は内田さん。

最後までやってくれます白拍子! も、大笑い。前回で懲りたか、SHのセキュリティシステムを大幅に強化したはいいが、それが却ってアダになる。玄武の侵入によって緊急装置が作動、廊下に閉じ込められてしまい、機械に向かって「私は白拍子だー!」と叫ぶ姿が堪らなくアホカッコイイ(爆)。眞監督が書いていた「意外な敵」というのはどうやら白拍子のことだったようだ。だって、やみくもに放射線治療してフェニックス病のウイルスをより進化させてしまうし、フェニックス病の隔離病棟と化したSHを東京へ自動飛行するようにしてしまうし、もう大活躍だ。すごいぞ白拍子! エピネフリン大量投与で我が身を犠牲にしたことで、ちょっと汚名挽回。

しかし、来週はいったいどうなるの? ミサイルかなんか発射してましたぜ? 北極圏で死の方舟となったSHを撃ち落として患者ごとフェニックス病を根絶させようと、そういうことなのか? ちゃんと終われるのか、フェニックス病の顛末よりそっちの方が心配だ。あ、死への21時間て……そうか、ここで最後の「21」が出てくるのか!

某国のミサイルは打ち上げ失敗、北極圏に不時着したSH。どこからともなくパラシュート降下してきたキリコが「ほらBJ、血清だ」。オイシイところを全部かっさらって去っていくのであった。次週からは『キリコ21』をお送りします。……どうせならそこまでやってくれマコちゃん!

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タイムリミット

相変わらず昼間はセミの大合唱だが、夜は秋の虫たちが鳴いている。3~4日前から、動くと汗が流れるようになった。それ以前はじっとして動かなくてもタラタラと汗が流れていたのだから大きな違いだ。なんとか今年もクーラー無しで乗り切れたようだ。

以前何かの番組で観たのだが、今年が○○できるタイムリミットの年なのだと言っていた。この○○をはっきり覚えていないのだけれど、とにかく地球温暖化に伴う気象の変化とか生態系の破壊とか種の絶滅とか、そういったことに対して後戻りすることのできるギリギリの年なのだということだった。今すぐには影響が出ないにしろ、何年何十年か後に大変な事態を引き起こす環境破壊を、今、われわれ人間はしているのだ。つい先日も「日本は温帯から亜熱帯になった」ことを耳にしたばかりだ。人間はスゴい。地球という天体の環境さえ変えてしまうのだから。

夫と話をしていたのだが、「車社会がよくない」という結論に達した。いや唐突で性急で強引な結論なのはわかっている。そしてそれだけが原因ではないということも。しかしちょっと考えてみても、いくら規制が強化されたとはいえ排気ガスは出るし、第一 道路が全部舗装された。私が子どものころはまだ土の道路があった。それが車社会の到来とともに瞬く内に舗装されていった。それは残念ながら決して歩行者のためではなく、車のためだったはずだ。そのアスファルトの表面温度は、夏は60度近くまで上がる。田んぼでは最高でも40度までは上がらない。田んぼが無く道路がはりめぐらされた都市部はそれだけで暑いのだ。

だいたい、地表をアスファルトやコンクリートで覆い隠してしまうというのは、かなり異常なことだ。そのアスファルトやコンクリートの下に、這い出せなかった命がどれだけ眠っていることか。しかしそんなことは考えもせずに生活し、暑いと思えば屋内だけはガンガンに冷房を効かせて屋外をさらに熱くしている。悪循環には、たいていの人が気付いているはずなのに。

「人間はバカだ。それに気づいてもまだやってる」by BJ。

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動物と人間

NHKの『探検ロマン世界遺産』を観た。ガスも電気もないノルウェーの白夜の島で、カモの子育てと巣立ちを見守る人々が紹介されていた。「ペットでもない、家畜でもない。あなたにとってカモとは何ですか」という問いに、現地の女性が「同じ風と太陽を共有する仲間です」と答えていた(正確ではないかもしれないが、そういう意味だった)。こういう言葉を聞くと、いいなぁと思う。共感を覚える。

一方で、一昨日にはタヒチに住む日本人女性作家が子猫を殺していたことを新聞エッセーで発表して、物議を醸したりしていた。新聞に宛てて抗議や批判のメールが殺到したというのが、これまたなんともはや…。どっちもどっちだ。

つらつら思う。ペットは責任を持って飼いましょう、というのは当然のルールなのだろうが、それ以前に、人間というひとつの動物が他の動物を飼うという行為自体はどうなんだろう、と。家の外に出さないとか、鎖に繋ぐとか、避妊手術をするとか、みんな飼う方の都合ばかりではないか。ペットの自由を奪うことでしか責任を果たせないのなら、それこそが動物虐待ではないかとさえ思う。彼らはもっと自由に外を駆け回ってエサを捕り、恋をして子を産みたいのではないのかな? それが許されない状況なのだから、食べ物をくれる飼い主に懐くしかないではないか。

ノルウェーの島の住人達とカモとは、同じこの地球を故郷とする動物同士、ありのままに共存していた。いいなぁと思う。

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ニアピン

度忘れして「ホロスコープ」という言葉がなかなか出てこなかった。知っているはずの言葉や人名が思い出せないときは、どんなに時間がかかってもよいからそれを思い出すことが大事だと脳神経外科の先生が言っていたので、懸命に思い出そうとしたら「ホログラフィー」だの「ホロコースト」だの似たような言葉が出てくる。大虐殺しちゃいかんだろうと思いながら、どうにか5分ほどで思い出した。

私の周囲には結構そういうニアピンな言葉を言う人たちがいる。「一鳥二石だねッ」とか(それ効率悪すぎ)、「武士は食わねど爪楊枝だよ」とか(間違いじゃないけど…)、「そんなことは赤子の首をひねるようなもんだ」とか(死ぬし…)、「当たるも当たらぬもハッケヨイヨイ」とか(ギャグなのか?)、「わーい、こっぱみじんこだー」とか(なんかカワイイぞ)。言いたいことはわかるのだが、脳内でちょっと混乱が起きていることをまざまざと見せ付けられるのはよくあることだ。一番困ったのが、ポチ袋の表書きを頼まれて「松葉崩しとでも書いておいて」と言われたとき。……え? せ、先輩? いや……でも私が日本の美しい風習を知らないだけで、その言葉には「寸志」の意味があるのかもしれないし、とかいろいろ思って、でも一番の問題は、今私はどんな顔をすればいいのだということだったり。さんざん考えた末に「松の葉」と書いたら黙って受け取られたので、彼女はそれが言いたかったのだろうと思う。

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(備忘録060824)

ちと多忙のため、きょうの記事はお休み。

冥王星、惑星からはずされちゃいました~。でも君のことは忘れないよ!

最後に「水金地火木土天海冥」と唱えてみる。

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Pluto

冥王星が太陽系惑星の地位から格下げされそうだ。17日付けのニュースでは、従来の惑星9個に「セレス」「カロン」「第10惑星(2003UB313)」が加えられて12個になるということだったのだが、きょうのニュースでは、9個から冥王星を除く8個になる方向で調整中とのこと。国際天文学連合(IAU)総会で話し合われており、原案への反対意見や慎重論が多い場合には、3年後の次回総会に決着が持ち越される可能性もあるという。

まあ、惑星から格下げされようと、星自体がなくなるわけではないのだが、占星術などではどうなるのだろう。西洋占星術では12宮と惑星を関係づけて考えており、現在冥王星は天蠍宮を支配している。1930年に冥王星が発見されるまでは、火星が白羊宮とともに天蠍宮をも支配していたそうだから、その状態に戻るのかしらん? ちなみに「プルート」とはローマ神話の冥府の王の名前。ギリシャ神話のハーデスに当たる。日本語名の「冥王星」は天体や星座の研究家として知られる野尻抱影の命名だそうだ。

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コミケ?同人誌?

時節柄、私がよく覗くサイトでは最近「コミケ」の話題が多かった。私はといえば、ほんの2年ほど前までは「コミケ」という言葉の意味すら知らなかった。「コミックマーケット」だと知ったときは、なら「コミマ」じゃないかと本気で思ったりもした。姪っ子がそこで本を売っている(ちなみに先日も東京大阪へ行ったらしい)という話を聞いたときも、ふ~ん、で終わった。このとき私の脳内には道ばたの露天フリーマーケットの情景が浮かんでいたのだった。同人誌を売ってるんだよ、と聞いても、「白樺」とか「アララギ」とかの文芸同人誌がまず思い浮かんで、同人誌とコミケの関係がわからなかった。そもそも一人なのに同人誌とは何ぞや? いやサークルなんだよ。サークルならなおさら一人ではあるまい? え~と……(←もうお互いに疲れた)

先日も某A氏がメールで「コミケを知らない人はかえって新鮮」と驚いてくださったので面映い思いをしたのだが(違)、実際私が若い頃にはそんなもの無かったのだ。いろいろ調べてみたら、コミケの萌芽は70年代後半らしいが、私は地方に住んでいるせいか当時そんなことは聞いたことがなかった。それが今のように参加者数十万人というような一大イベントに発展するとは! これは昨今の「萌え」文化とも連動しているのだろうと思うのだが、私の年代はちょうど端境期に当たっていたのかもしれない。マンガやアニメに縁のない生活をしていた時代に、そういうものがじわじわと発達していたのだろうと思う。そして気がついたときには、今さらコミケとか「萌え~♪」に手を出すのは憚られる年齢になってしまっていた。

『BJ21』でドクター・キリコの声を当てている速水奨さんの日記を読んだのだが、先日のコミケに足を運ばれたとのこと。さすがに声優さんだけあってそういうことにも興味がおありなのかと思ったら「ほんの一かじりだけど、コミケが何となく解りました!」と書いてあった。速水さんは私より一学年上。ほーらやっぱり私達の年代はコミケなんて知らないんだってば!

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BJ「食事編」

月曜日はBJ……と言いたいところだが、またまたコナンの特番だ。『BJ21』もあと2回。来週放送される予告編には「最終回」の文字が出るわけか……(悲)。最終回は1時間との噂もあるが、またガセネタかもしれない。

気をとりなおして……。
BJが原作の中で口にしているものを列挙してみた。大金持ちのくせにあまり豪華なものは食べていない。仕事から家に帰って、ピノコが一生懸命つくったものを食べるときが一番嬉しそうである。ピノコも最初はとんでもないものを作っていたが、だんだんと料理の腕を上げたようだ。「肩書き」でブリリアント三世がピノコの手伝いをして皿などを運んでいるシーンは可笑しい。

BJといえばしょっちゅうカレーライスを食べている印象が強いのだが、実際には2回だけだったのが意外だった(見落としがあるかもしれないが)。これはアレだ。星一徹が四六時中ちゃぶ台をひっくり返している印象があるのと同じなのかも。

また、ネットでBJの二次創作をみるとたいていBJは超甘党ということになっているのだが、原作ではまんべんなく何でも食べていて、その根拠が見つからない。酒は相当に好きなようだし、喫茶店で注文するのはブラックコーヒー、というところから察するに辛党である可能性のほうが大きいように思う。

・酒類(「春一番」「老人と木」「振動」「がめつい同士」「過ぎ去りし一瞬」では飲み屋で日本酒。「クマ」でドブロク。「あつい夜」では睡眠薬入りの洋酒。「終電車」ではワイン。「刻印」ではブランデー。「古和医院」でビール。「ある女の場合」ではビヤホールで生ビール。「畸形嚢腫」「ブラック・クイーン」「もう一人のJ」「助け合い」で洋酒)
 何でもイケる口のようで、自宅にもブランデーやらウイスキー(サン○リーの角のようだ)の瓶が並んでいる。(「ピノコ・ミステリー」)

・コーヒー(「ふたりの黒い医者」「助っ人」「満月病」「使者との対話」「ピノコ西へいく」「山手線の哲」で)

・カレーライス(「オペの順番」「銃創」で)

・ハヤシライス(「火と灰の中」で、避難所の中で灰まみれのハヤシライスを食している)

・カップヌードル(「ピノコ生きてる」「報復」で)

・お茶漬け(「土砂降り」で。BJに好意を寄せる清水きよみ先生が「あたしの自慢料理召し上がってくださいな」と言っているのに、「外国をうろつきまわったり 外食が多いもんで……」と、ひたすらお茶漬けを所望)

・普通の和食(「本間血腫」「猫上家の人々」で。「やり残しの家」でのメインディッシュは焼き魚のようだ)

・豪華な和食(「勘当息子」「コレラさわぎ」で。「がめつい同士」では大皿にお造りが盛られているが箸はつけていないようだ。)

・普通の洋食(「オオカミ少女」「山猫少年」「肩書き」で)

・豪華な洋食(「研修医たち」でピノコとの結婚記念日のお祝い。「誤診」で同窓生の結婚披露宴。「虚像」で同窓会)

・旅館の食事(「ふたりのピノコ」。「もらい水」ではお銚子付き。「奇胎」ではビール付き)

・寿司(「二つの愛」で行きつけの「能寿し」のにぎり)

・巨大卵焼き(「ピノコ還る」で。ピノコが夕食時に出掛けてしまい、作ってあった卵焼きを「ゲー」と言いながらそれでも食べている)

・キャベツ(「ディンゴ」で)

・焼き鳥(「春一番」で)

・菓子(「小さな悪魔」で食塩のふりかかったケーキ。「昭和新山」で羊羹。「本間血腫」で食後のケーキ)

・日本茶(「昭和新山」「青い恐怖」「台風一過」で)

・紅茶(「水頭症」でレモンの代わりに大根入り)

・味噌汁(「ハッスル・ピノコ」でピノコが作ったソース入り味噌汁を吐き出している)

・ケシズミ(「ピノコ愛してる」で、ピノコが作った朝食。もとはパンだったらしい)

・つけひげ(「身代わり」で寝ているうちに。ただし吐き出している)

・水(「小さな悪魔」で睡眠薬入りの水。「コレラさわぎ」で各種薬どっさり入った水。「黒潮号メモ」「霧」で雨水)

・カラシ(「小さな悪魔」で、目を覚まさせるためにピノコが一ビン全部食べさせる)

・雑草(「霧」で)

・パン(「しずむ女」で、腐ったパンを)

ピノコを作り出す前には自炊していたのだと思うが、いったいどんな料理をしていたのか興味のあるところである。

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060821_182301 水羊羹を作ってみた。分量はすべてテキトーでやったのだが、ちと寒天の量が多かったらしく、市販の水羊羹よりやや堅めのものができあがった。お味は及第点。庭のモミジを添えて。

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(備忘録060820)

お昼過ぎにテレビをつけたら、我が家で観ることのできる5局のうち4局までがスポーツ中継をやっていた。高校野球、水泳、バスケット、あと競馬だったかな? 高校野球決勝戦は大接戦の末、引き分け再試合だというし、夜は夜で女子バレーが熱い。

いや~、暑い上によけい熱くなりました…。

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ハチ

あまりの暑さに、スーパーに買い物がてら涼みに行こうと自転車に乗っていたら、道を曲がったとたん肩口にハチがぶつかってきた。黒いTシャツを着ていたしスズメバチだったら怖いなとビビッたが、アシナガバチで、一瞬シャツに止まってから飛び立っていった。ホッと一安心。

今までハチに刺されたことが2度ある。最初は小学生の頃に手の甲を、2度目は10数年前に頭を刺された。この2度目のときはけっこう辛かった。涼を求めて山の方へ行ったときに、何かが髪に触れたような気がして手で払おうとしたら、いきなり頭にズガンと衝撃がきた。前方に飛び去った物体を見たらアシナガバチである。「痛って~~……」としばらく蹲っていたがズクズク痛むので医者に行こうということになった。ところが慣れない町のこととて、医者がどこにあるのかわからない。車で走り回りやっと小さな医院を見つけて、看護婦さんにハチに刺された旨を告げるが、お昼休みで先生がいないからあと1時間ほど待ってくれと言われる。待合室のソファに横になっていると、なんだか寒気がしてきた。夫が「早く診てくれ」と頼み込み、30分ほどで先生に診てもらった。前に1度ハチ刺されの経験があることを告げ、たしか注射を1本打ってもらったと思う。せっかく山中に避暑に来たのにそれどころではなくなり、すぐに家路についたが、帰りの車の中でも頭痛と寒気と吐き気でエライ目に遭ったのだった。

ハチ毒によるアナフィラキシーだったのだと思う。医者がすぐに見つかるような街中ならよいが、山中に分け入るようなときにはエピネフリンを携帯していたほうがよいのかもしれない。

皆様もハチには充分ご注意を! 日本での動物による死因で最も多いのがハチ毒によるものです。

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「骨肉」のラストシーン

前回放送の『BJ21』(原作「骨肉」)のラストで、BJを庇って撃たれた紅蜥蜴を助けようとしなかったBJには腹が立ったという感想をあちこちで目にした。正直、私は全然そんなことを思いもしなかったので、ちょっと意外だったのだが。私がそう思わなかったのには、まずあれが原作通りの(と言うと語弊があるが)終わり方だったという理由がある。原作ではBJは助けようとしないで立ち去る。もちろん、原作では撃たれたのが自分の妹小蓮であることをBJが知らなかったのに対して、アニメでは妹紅蜥蜴であることを知っているという違いがある。これまでさんざん助けたり助けられたりした妹なのだから、見捨てるのはおかしいという意見ももっともだと思う。ましてやBJという男は、目の前の怪我人を放っておくことができない性癖を持っているし、止まってしまった心臓でも無理矢理動かそうとするくらい執念深いことを思えばなおさらである。

だが、そこまで考えても、やはり私はあれで良かったのではないかと思う。違和感を感じない。日本中で私一人かもしれないが、前回のラストはハードボイルドタッチでよく考えられていたと思うし、余韻があって良かったとさえ思っているのだ。

そこで、こんなことは感覚的な問題であって説明するのも変なのかもしれないが、BJが紅さんを見捨てたのはおかしいという意見に対して反論を試みてみる。

まず、原作を見てみよう。小蓮が撃たれたとき、BJには本当は自分が狙われたのだという認識があったのか無かったのかを考えてみる。私は無かったと思う。自分を拉致した連中の黒幕が蓮花であったことは判っているが、遺産分与を放棄し、父の遺体だけを望んだことで、蓮花との関係は綺麗さっぱり切れている。それなのに三下連中が蓮花の命令でもないのにBJを狙ったのは、痛めつけられたことへの報復であり私怨からである。だから原作のBJは、まさか自分が狙撃されようとは夢にも思っておらず、もう少しでとばっちりを受けるところだった、という程度にしか思っていなかったのではないかと思う。(BJが目の前の怪我人を放っておくのはおかしいと主張する人たちは、アニメだけでなくこの原作をも批判しなくてはおかしいだろう。)

それに対してアニメではまったく状況が違う。全満徳という敵がいることを、よもやBJは忘れてはいないだろう。そして彼はまだマカオという敵陣の中にいるのである。のんきにBQと別れを惜しんだりしているが、そこへ紅さんが飛んできて自分の盾となって撃たれたとなれば、その瞬間にBJは今も自分が狙われていることを察知したはずだ。ここでグズグズしていたら再度狙われるかもしれない。自分が撃たれてしまったら、それこそ紅さんの死は無駄になってしまうのである。彼女の遺志を無駄にしてはいけないと、紅さんのまさに命がけの思いを受け止めたからこそ、BJは心を鬼にして紅さんを見捨てて立ち去ったのだと考える。組織の恐ろしさを考えれば、家族の方ですかという問いにも違うと答えざるを得ない。紅さんに付き添っていることすら危ないのだから。

このように、原作とはまったく違う背景と過程で描かれたアニメ版「骨肉」であるが、どちらの場合も同一のラストシーンに帰結するのではないかと思うのだ。BJの心中は全然異なっているが、表面に現れた事象だけ見ればまったく同じになるはずだ。妙なところだけ取って付けたように原作ベースになるな、という批判もあるが、他のラストシーンでは余計におかしなことになると思う。ここで危険を顧みず「緊急オペだ!」と手術をおっ始めて、それで紅さんが助かったとすれば(人道的見地からすれば喜ばしいことだが)肉親の慕情を描くには中途半端なことになっただろうし、それなら最初から撃たれるシーンなんか入れなきゃいいじゃん、となるかもしれない。BJの腕を持ってしても助けられなかったとすれば、それはそれで蛇足のシーンと感じられるのではないか。あのまま死んでいったからこそ、紅さんはいつまでも強くて純粋でかわいそうな女性として我々の記憶に残るのではないだろうか。男勝りのヒロインが最期は守りたい人を守って綺麗に死んでいく。相手はその思いを受け止めて、後ろ髪引かれながらも去っていく。アニメ版の筋書きからすればそれでいいのじゃないかと思うのである。

原作は、BJ本人がとうとう知らずに終わった秘密を読者だけは知ることができるという構成になっている。運命の悲劇を知るのは読者だけなのだが、アニメ版ではBJは(原作とはちょっと違う意味の)悲劇に襲われたわけだ。自分の屍を越えて行けとばかりに自ら犠牲になった紅さんと、それを見捨てて行かざるを得ないBJ。悲しく辛い結末だが、最後の最後に兄妹の思いが通じ合ったことが救いだったと思う。兄さんの命を助けることができて、紅さんは本望だったと思うのである。

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手塚眞監督のブログを読んだ。『BJ21』が17回というのは予定通りだそうだ。21回予定だったのが4話分カットされるのだろうというのは、某掲示板のデマ情報に踊らされた私の憶測だった。そんな方はいらっしゃらないことを心から願うが、私が以前に書いた文章を信じた方がいらっしゃいましたら、深くお詫び申し上げます。すみません。

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30000hit イラストはまたまたトーレスさんのところから強奪してきた「スーパードクターJとK」。渋いキリコとやんちゃなBJの表情が好きです。恭しく飾らせていただきまする♪ そして、遅ればせながら30000ヒットおめでとうございま~す♪

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不老不死と富士山

日本人の中に、不老不死の薬を手にしたものが、過去にいる。9~10世紀に成立し「今は昔」で始まる、ご存知『竹取物語』に出てくる帝である。かぐや姫が石作の皇子をはじめとする5人の求婚者達をことごとく振った後に登場して、やはり振られるものの姫と文の遣り取りだけは続けているという帝である。いよいよ姫が月に帰ってしまうというとき、帝は2000人の軍勢を繰り出して阻止しようとするが叶わなかった。しかし姫も帝のことは憎からず思っていたのか、別れに際して文とプレゼントを残す。それが、月よりの使者が持ってきていた不老不死の薬だったのだ。姫は月へ帰ってしまい、帝は悲しくてたまらない。天に一番近いところはどこかと尋ね、駿河国の高い山の頂上でその薬を燃やしてしまうのである。「逢ふ事も涙に浮かぶ我が身には 死なぬ薬も何にかはせん(もうあなたに会うこともなく涙にくれる自分には、不死の薬なんか何の役にもたちません)」。以降、その山を「ふしの山」と呼ぶようになり、薬と文を燃やした煙が噴煙となったという。もちろんその山とは富士山のことである。

ここで注目すべきことは、帝が富士山で薬を燃やした理由である。富士山が不死と関係があるという説が当時あったからというのではなく、ただ月に一番近いからという理由である。ということは、この『竹取物語』が、富士山と不老不死を結びつけた初出例ということになる。いったい、この帝というのは誰のことなのだろう?……などと、フィクションと史実を重ね合わせようとすることは野暮の骨頂か。

一方、不老不死の薬といえば忘れてはならないのが徐福である。秦の始皇帝の時代に、はるか東の海上に蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛洲(えいしゅう)という三神山があるからそこに薬を取りに行きたい、と船出した人物である。3000人の若者を連れ、どこかに辿り着き、そして二度と中国へは戻らなかったという。どこに辿り着いたのか。日本各地に徐福の足跡が残っている(佐賀市、和歌山県新宮市のそれはかなり信憑性も高いと聞く)ことを思えば、それは日本であったのかもしれない。そして、彼が最終的に目指したのは富士だったのかもしれない(富士吉田市には、徐福はここで没したのだという碑文があるらしい)。

今から2200年も前に、富士山には不老不死の薬があると中国で言われていた、つまり後に『竹取物語』に書かれることになる伝説が既に中国に伝わっていたというのは、なんだかスゴイことのように思われる。日本はまだ弥生時代だったのだから。また中国においては、徐福は神武天皇であるという説もあるやに聞く。ははッ♪ これではますます『竹取物語』の帝が誰やらわからなくなる。

しかし何はともあれ、不老不死と富士山は切っても切れない関係にあるようだ。富士山の北、富士山の眺望天下第一と謳われた御坂峠の天下茶屋において、太宰治が『火の鳥』を執筆(未完)したのも何やら象徴的な出来事に思われる。

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『火の鳥』

不思議なもので、お盆が終わると涼風が立ち始める。気温は相変わらず34~35度をキープしているが、稲穂の波を渡る風には秋の気配がする。

朝のうちに替え花を持って墓参りを済ませる。お盆中休みのなかった夫が今日は午後から休みだったので、海を見に行く。彼は釣り(釣果:ベラ大1匹、鯛小1匹)、私は海風に当たりながら『火の鳥 宇宙・生命編』を読む。これで『火の鳥』は全部読んだことになったのかな? もっとも、子どもの頃に読んだものは既に忘却の彼方だし、難解だったという印象しか残っていないのだが。「生命編」には、視聴率を上げようとしたTVプロデューサーが企画した「人間殺人番組」が引き起こす恐怖の顛末が描かれている。視聴率、プロデューサー、火の鳥の血(Blood Of Phoenix)…と、なにやら『BJ21』を思い起こさせるキーワード満載だったので、そのタイミングの良さに苦笑してしまった。 

『火の鳥』といえば、手塚治虫の時空を超えた大河ドラマだが、スターシステムを採用している『BJ』に火の鳥そのものは出てこない。「不死鳥」で、火の鳥そっくりの火の鳥モドキが出てくるだけである。不老不死を求める人間を翻弄し、あざ笑うかのような火の鳥が、もしBJの前に現れたとしたら……。手塚治虫が生きていたら、どんなストーリーを考えついたことだろう? 案外、BJの「くだらんな」の一言で終わりかもしれない(笑)。

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「オンリーワン」の弊害

『他人を見下す若者たち』(速水敏彦著)を読んだ。巷では、それは何も若者に限った現象ではないだろうとか、著者の勝手な思い込みが強すぎるとかの批判も多い本作である。確かに根拠となるデータのサンプルが少ないと思われるし、全体的にひとりよがりなきらいはあるものの、私には面白く読めた。

--根拠のない有能感に浸る若者が増えている。自分に甘く他人に厳しい、すぐにいらつきキレる、「悪い」と思っても謝らない…。若者の感情とやる気が変化したのはなぜか。「自分以外はバカ」の時代を教育心理学で読む。--

キーワードは「仮想的有能感」である。何の根拠もないのに、自分は他人より優れていると思う感覚である。人間は誰でも自己肯定感を持ちたいと思っている。自分を認めてほしいと思っている。しかし本当の自分はそれほど優れた人間ではない。あるいは自分より優れた人間は山ほどいる。そこで、比較の対象を自分とは直接関わりのない一般大衆とするのである。一般大衆のことなどよくわからないから容易に貶めることができる。「自分以外はバカ」だと思い込む。自分より劣ったものと比較して自尊心を満足させて安心する、これが仮想的有能感である。

仮想的有能感を持つ者は周りが見えていない。人間関係が希薄である。他人を、特に自分より優れた人間を認めようとしないのだから、それはまあそうなるだろう。階段や通路の横幅いっぱいに座って通行の邪魔をする等の社会的迷惑行為や、ホームレス襲撃等の他者軽視も、仮想的有能感で説明できると著者は言っている。他者軽視--仮想的有能感--努力軽視--努力経験の乏しさ--失敗--他者軽視は、悪循環しているとも。

この説が正しいかどうかはさておき、何故そういう若者が増えてしまったのかを考えてみる。第二章で触れられていたことであるが、学校生活の中で自分を相対的に評価する機会が失われてきたのではないかという説に私は共感を覚えた。科目の成績だけでその子を評価しないという姿勢は間違ってはいないと思う。しかしあまりにそれが行き過ぎて価値観の共通性をも見出せなくなってしまった結果が、仮想的有能感を持つしかなくなった若者たちの姿なのではないかと思った。最近では運動会で徒競争をしても順位をつけないとか、通信票でも長所を褒めることに重きを置くなどという教育方針を耳にしたりする。そういう学校教育で、誰もが平等、誰もが個性的存在として認められた若者たちは、結果として自分の欠点に目を瞑ることを覚えてしまったのではないかと思う。自分より優れた人間と比べる必要はない、自分はこのままでよいのだと、努力をしなくなってしまったのではないだろうか。そしてただそういう自分を認めてくれる状況を待ち望む。

誰もが皆「オンリーワン」になったとき、人は自分より優れた他人を認めることができなくなってしまうのではないかと感じた。

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終戦記念日。小泉総理大臣が靖国神社に参拝した。そのことに関してはもう何も言うまい。テレビでは様々な討論番組が企画されていた。「お国のために死んでいった人たちを国が追悼するのは悪いことではない」という某大臣の意見があった。たしかにもっともな意見に思える。軍国少年としての教育を受けた人々の中には、確かに「お国」のためだと信じて命を散らした方たちも多かっただろう。だからこそ、彼らがそう信じて死んでいったからこそ、私は彼らが可哀相でならないのだ。
私は「お国のため」ではなくて「お国のせい」で彼らは死んでいかざるを得なかったのだと思っている。

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「おやじの遺体をもらえませんか」

月曜日は『BJ21』。原作は「骨肉」。「骨肉」のあらすじ自体には改変はないものの、BJの父・間影三がめっちゃイイ人に描かれていたため、BJの 父親に対する愛憎半ばする切ない心情がオミットされ、原作とは似て非なるものになっていた。作画は杉野さん。ところどころOVA版のような劇画調の絵が楽しめたが、ピノコの絵は相変わらず可愛くないと思う(ゴメン)。

しかしまあ今日もめまぐるしいばかりの展開の速さで。4回分カットなんかするからだ、と文句のひとつも言いたくなる。全満徳の悪の巣窟は宮殿のようだった。お迎えの車が黒塗りのリンカーンなんてどう見てもマフィアだ。紅さんの忍者のようなアクションといい、なんだか池上遼一の『クライング・フリーマン』を観ているようだった(笑)。あれはマカオじゃなくて香港だったか。

紅さんと小蓮は別人だったものの、BJの腹違いの妹という読みは的中していた。ラストでBJを庇って死ぬのは原作では小蓮だったが、紅さんに変更。これも新しいエンディングになったときから皆が予想していたことだった。空港に現れた紅さんがなんと楚々として綺麗だったことか! それだけで死の予感がした。玄武に撃たれ「兄さん…」と言ってBJの腕の中でこと切れる姿、そして「知り合いか」と聴かれたのに「いいえ…」と答えて帽子を目深に引き下げて去って行かざるを得ないBJの後ろ姿が、なんとも悲しかった。結局、このシリーズで一番かわいそうだったのは紅さんだと思う。父も母も知らず、実の祖父・全満徳に殺人マシーンとして育てられ、実の兄の命を狙わせられたのだから。両親の愛情を一杯に注がれて育った小蓮がBJのことを認めようとしなかったのに対して、そんな不幸な生い立ちを持った紅さんがBJのことをたった一人の兄として愛情を持ち、身を持って庇ったのはわかる気がした。しかし紅さんの一大事のときに蒼竜はどこに行っていたのだ!? 守ってやらねばイカンだろうが! 次回は蒼竜vs玄武か?(笑)

いやそれにしても、影三があんなにイイ人だったというのはどうなんだろう? むかし母の皮膚を移植した自分の脚に今度は父親の皮膚を移植して、自分の身体の上で父と母を再会させてやることで、母を喜ばせてやるとともに、父を許して自分が父と母の愛の形見なのだということを受け入れたのは原作の先生だ。そこには瀕死の自分と母を捨てて他の女のもとへ去って行った父への精一杯の譲歩と肉親ならではの愛情があった。しかしそれが、本当は自分と母を愛するが故に心ならずも組織に身を投じたのだということを知ったわけだ(←『BJ21』設定)。う~ん、複雑だな。少なくとも、もっと以前、子どもの頃にそれを知っていたら、ブラックジャックという天才外科医はこの世に出現しなかっただろうと思う。父親に対する憎しみを糧に生き、復讐することを目的に金を儲けていたのだから。本間先生の影響で医者にはなっていたかもしれないが、ごく普通の医者だっただろう。BJが持つダークでダーティーな部分を形成したのは、他ならぬロクデナシの父親の存在だったのだから。だから、BJの父親の造形の改変は『BJ』というストーリーの骨格そのものを揺さぶるものなのである。この後日本に帰ってきた先生はどうするのだろう? 今までの自分の生き方とどう折り合いをつけていくのだろう? なんかショックで気が抜けて、全然使い物にならなくなりそうな気もする…。

ところで、「あなたにはこれっぽっちも遺産を分けない」と言う蓮花に対して、是非とも言ってほしかったセリフがカットされていたのは残念だった。「はっきりいうと わたしァ おやじなんかより金をかせいでいますぜ」。これだよコレ! 一説によると、BJがこれまで稼いだ金は3兆円を超えるとか(計算した人がいるんだなぁ)。親父の遺産なんかメじゃないぜ、って鼻でせせら笑って言ってほしかったと思うのである。

あとは…、BQが出てくる必然性はあったのだろうか? 次回はまたN女史と白拍子先生が出てくるようで。もう最後だから今までのオールスターキャストをもう1回ずつ出そうということなのかな? だとしたら、キリコも? ワクワク♪ BJ公式ページに書かれていた眞監督のコメントが気になるところ。次回の予告ではどうやら全満徳に続いてピノコも発病するようだが、皮膚上に浮かび出た斑紋(うっ血?)がグマを思わせると思うのは私だけか? 期待しちゃおうかな♪ 作画は内田さんのように見えたがどうだろう?

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『思い出のメロディー』

NHKの『思い出のメロディー』を夫が録画していたのを観た。毎年お盆の頃に放送する夏の定番だ。夏の定番といえば、昔は『ザ・ガードマン』が夏になると怪奇ものを放送して、これが子ども心にもの凄く怖かったりしたものだが、今はひとつのドラマの放映期間が短いからそんな企画もできないのだろう。

で、『思い出のメロディー』なのだが、ここ何年(もしかしたら何十年)と観たことがなかった。というのも、私にとっては、全然思い出などない自分が生まれる前の懐メロを、当時の歌手が出てきて歌って、「わぁ、この人こんなに変わったんだ!」と親が確認する番組以外のなにものでもなかったからである。「リンゴーかわいやー♪」とか「サンフランシスコのチャイナタウン~♪」とか、この番組で覚えた曲も多かったものだ。しかし今回観て驚いた。ほとんど知っている…。

録画してあったのは番組の後半だけだったようだが、フォーリーブス、ベッツィ&クリス、新谷のり子等々、みんな一緒に歌えるのに愕然とした。当時はただ暗いとしか思えなかった あがた森魚の「赤色エレジー」だの、何が言いたいのかわからなかった「フランシーヌの場合」だの(これはやっぱり今でもよくワカラン)が、ジーンと胸に迫ってきた。時の流れは非情だが、それなりに良いこともあると思ったりする。

ささきいさおの「宇宙戦艦ヤマト」は目一杯声を張り上げて歌って、夫から黙れと言われた。画面に沖田艦長が写ったときには胸が詰まったサ…。(ああ、この頃から渋いおぢさん趣味だった…。)

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顕微鏡で観た世界

しまった! 最初の数分を見逃してしまった! きょうの『世界一受けたい授業』の1時間目に、田中敬一先生が出ておられた。走査型電子顕微鏡(SEM)を用いる生物研究の第一人者である。1985年に鳥取大学がエイズウイルスの超高拡大像を捉えた時の第二解剖教室の教授(現在は名誉教授)であった。とても気さくな先生で、きょうも様々な生物や物体の写真の中に自分の尿管結石の超拡大写真を紛れ込ませておられたりした(笑)。久しぶりに元気なお姿を拝見できて嬉しかった。
060812_224301写真は『超ミクロ世界への挑戦 -生物を80万倍で見る-』(岩波新書)に書いていただいたサイン。左に写っている写真はバクテリオファージ。ボローニャ大学で講演した際、シルクハットを被せ「ボローニャ大学900年おめでとう」の旗を持たせたら大喝采だったとか。

さて、明日からお盆である。きょうはお墓の掃除をして麻殻(アサガラ)を立てて帰った。子どもの頃には、この麻殻を切ってキュウリとナスに突き刺して馬と牛を作ったものだ。ちょうど良い大きさと形のものがなくて苦労したものだが、最近はセットにされてスーパーで売っていたりする。人が買っているのは見たことがないが…。

『他人を見下す若者たち』(速水敏彦著)を読書中。

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新興宗教

新しく宗教が興ったとき、人はどういう心境でその教団に入るのだろう。それに出会ったという偶然が、その人にとっては出会うべくして出会ったという必然に思えるのだろうか。

日本人はそのほとんどが仏教徒ということになっていて、その他神道やキリスト教等の信者が数%いる(と思う)。仏教徒が多い理由は、江戸時代に仏教寺院が戸籍ともいうべき「宗門人別帳」を作成してキリスト教徒でないことを証明したという歴史的事実があるからだ。日本人全てがどこかの寺の檀家になっていたわけだ。明治以降には仏教に代わって国家神道が強制され、氏子制度ができる(ちなみに天皇家が神道になったのもこの時期で、それまでは天台宗であった)。そして現代は個人の信教の自由が憲法で保証されているわけで、初詣には神社に参り、お彼岸やお盆にはお寺に参り、クリスマスには教会へ行き、そして毎日「お布施するぞ」と修行するのも、教祖様が決めた相手とその日初めて会って結婚することも自由である。

信教は個人の自由なのだから、その人がそれで幸せになれるのならば、それでよい。ただ不思議なのは、それだけ長い間仏教だの神道だのに触れてきたはずの日本人が、どうしてそれらを捨てて新興宗教に走るのかということだ。最近問題になった「摂理」などは他のサークルを騙って勧誘していたというから論外だが、旧オ○ムとか統一○会などは自らの意思で入った人も多かっただろう。入信するときに既存の宗教と比べたりはしないのだろうか。比較した上で、これは素晴らしいということになったのだろうか。

人が何かの宗教を信じようとするとき、人は何を期待するのだろう? おそらく、昨日までの自分とは違う、素晴らしい自分になれると期待するのではないかと思う。あるいは、何か新しい力が自分に備わると期待するのではなかろうか。しかし、冷静に考えてみれば、そんなことはあるはずがない。

私の好きな禅の話に「サトリ」という妖獣の話がある。ある日、木こりが山で木を伐っていた。そこに「サトリ」がやってくる。木こりは何とかして「サトリ」を捕まえようとするのだが、「サトリ」は人の心が読めるので、「今、オレを捕まえようと思っただろう」とか「今、斧で斬りかかろうとしただろう」などと言い当ててしまう。どうしようもなくなった木こりは、もう「サトリ」のことなど忘れて一心に木を伐った。そのうちに斧が緩んで、振り上げた拍子に先っぽが飛んで行き「サトリ」に命中した、というあらすじである。これは、無心になることで初めて悟りを開くことができるという意味だろう。だから、何かの宗教を信じるときも、現世で与えられる何らかの利益を期待して、というのではダメなのだと思う。本物の信心ではない。またもしもそういうことを標榜している新興宗教があるならば、それだけでその宗教は偽物だと私は判断する。答は常に自分の中にある。無心になって自分でそれを見つけるしかない。ある宗教に入信することがきっかけとなってそれを見つけられるならそれはそれでよいのかもしれないが、教団に入ったから教団が答を教えてくれるわけでは決してない。

それにしても、こういう新興宗教絡みの問題が次から次へと起こるというのは、やはり日本人に宗教観が欠如しているからなのだろうとつくづく思う。

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新装開店

m○nからココログへ引っ越してきました。

前シリーズ同様、よろしくお願いします。

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