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2006年10月

Happy Halloween!

で、ハロウィーンとは何ぞや?(笑) 『バットマン』シリーズのどれかに出てきていたな、というくらいしか馴染みがない。Wikipedia で調べてみた。

もともとはケルトの風習がキリスト教に取り入れられたものらしい。ケルト人の1年の終わり(10月31日)の夜には死者の霊が訪ねてくる。日本のお盆のようなもの? ご先祖だけならよいが、魔女や精霊やなんだか妖しげなものまで訪ねてくるから、おばけカボチャ(Jack-O'-lantern)を魔除けとして使う、と。西洋の悪霊は妙なものを怖がるものだね。

ジャック・オ・ランタンについては、鍛冶屋のウィルという男の話が載っていた。現世でどうしようもなく悪いヤツだったが、死んでからも聖ペテロをだまくらかして生き返ってしまう。生き返ってもやっぱり悪いヤツのままで、2度目に死んだときには「天国へ行くことも地獄へ行くこともまかりならん」ということになり、暗い闇の中を彷徨うことになった。これを憐れんだ悪魔が地獄から燃える石炭をひとつ彼に与えた。この微かな灯りを「Will o' the wisp」とも「Jack-O'-lantern」とも言うらしい。どうやらハロウィーンとは直接関係ないようだ。

しかしなんですな。天国でも地獄でもなく、かといって煉獄へ行かれるわけもなく、ウィルは地獄よりもまだ辛い世界へ行かされるわけだ。ダンテの『神曲』によれば地獄は9圏から成り立っている。愛欲者の地獄、暴力者の地獄などいろいろあるが、最も深いところにある「第9圏・裏切者の地獄」には裏切りを行った者が氷漬けにされている。その下には堕天使の成れの果てであるサタンが永遠に氷の中に幽閉されているばかりである。鍛冶屋ウィルはその地獄へも行かれない、というのは、どういうことだろう? 地獄にはまだ他の仲間たちがいるだけマシということなのだろうか。地獄の悪魔にまで憐れまれる境遇って、いったいどんなのだろう?

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『BJ』に描かれた時代 その2

月曜日は『BJ』語り。きょうは先週の補足を少し。

将来『BJ』がリメイクされるときには、原作における「時代性」の要素がだんだんと失われていくであろうことは先週書いたが、その代わりに新しい流行が取り入れられていくわけで、先般のTVアニメでも、原作「不死鳥」でカセットテープであったものがCD-ROM(「火の鳥伝説」)に、「ハローCQ」でアマチュア無線であったものがメール通信(「メールの友情」)に変わっていた。ピノコは携帯電話を持って誰かと(写楽と?)頻繁にメールのやり取りをしていたようだし、BJもパソコンを駆使していた。流行語としては、ピノコが「イナバウアー!」(「黒い医者の宿命」)と言っていたくらいかな。
もしも数十年後にこのアニメを観ることがあれば、これらのことはきっと「なんて古臭い!」と思われるのだろう。最新流行のものほど、すぐに古くなる昨今である。しかし、時代に即した事物を取り入れながら、いつの時代でも『BJ』は新しいファンを獲得していくのだと考えると、それはそれでとても嬉しい。

・カネとクジラ
 これは時事ネタではないが、時代の移り変わりということで書いておこう。「やり残しの家」1976.11.29号で、BJ邸を建てている丑五郎が「コン畜生……カネとクジラとをまちがいやがった」とBJを怒っている。カネ尺は1尺=33cmで主に建築に使い、クジラ尺は1尺=38㎝で主に和裁に用いる。日本の度量衡制度は1959年にメートル法に統一されているから、若いBJには区別がつかず、間違ってクジラ尺で測ってしまったのだろう。

・ダウンタウン・ブギウギ・バンド
 「満月病」1975.8.25で、街の喧騒に「ブギウギ・バンドの新曲!たちまちベストワン!」とあるのはダウンタウン・ブギウギ・バンドのこと。掲載時にはちゃんとそうなっていた記憶がある。1973年に宇崎竜童が結成したロックンロールバンドで、1975年4月20日に出した『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』で大ブレイクした。クミを探して歩くBJはまさに「あんた、あのコの何なのさ」。

・ストラディバリウス
 「ストラディバリウス」1975.1.1号のタイトルになっているのは、バイオリンの名器。バイオリニストの辻久子が家を抵当に入れてストラディバリウス(1703年製)を買ったのが1973年。新聞で大いに話題になったので、その名前は読者にしっかりインプットされていた。

・地震
 「もらい水」1978.7.24号で、「6月14日午前8時頃東北一帯にマグニチュード7.5の地震発生」とあるのは、1978年6月12日17時14分44秒に発生したマグニチュード7.4の宮城県沖地震のことだろう。建物の全半壊7400戸。ブロック塀が危険なことをこのとき学んだ。
 「万引き犬」1974.5.27号では、BJ邸が倒壊してラルゴが下敷きになったが、1974年5月9日8時33分ごろ、伊豆半島沖を中心とする地震が発生している(1974年伊豆半島沖地震)。いくらなんでもタイムラグが短すぎるので、これは偶然かもしれないが……、わからない。ちなみにBJが住んでいると思われる千葉県では、館山で震度4、銚子で震度3。その後群発地震が続いた。

・手塚治虫の分身としてのBJ
 「研修医たち」1976.8.2号では、BJが南米から帰ってくる。お土産のメキシコのひょうたん人形に「わがむすめピノコへ」と書いてピノコを激怒させたりしているが、この年6月に手塚はメキシコをはじめ南米を旅行するはずだった。しかし、超多忙なのと現地の飛行機が飛ばなかったせいで、結局ロサンゼルスだけで帰ってきてしまう。よっぽど残念だったのだろう、自分の代わりにBJを南米に行かせているのである。手塚自身はその1年後に南米旅行を実現している。「アヴィナの島」1977.9.5号でのダイビングのネタも、もしかしたらその時イースター島で聞いた話から仕入れたものかもしれない。
 「BJそっくり」1982.1.1号では、老人の介護に疲れ果てる家族の様子が描かれている。これも当時の手塚家の有様と重なるものかもしれない。

 (おそらく、この他にもいろいろなところで手塚治虫はBJに自分を投影しているのではないかと思う。先週挙げた西武新宿線の件もそういうことだろう。そしてここから先は私の想像だが、BJの出身大学も手塚治虫が医学博士の学位を取った奈良県立医科大学が最有力候補ではないかと考えている。「笑い上戸」でツーショットもあるし。)

その他(関連性があるのかないのか判断がつかなかったものなど)
・ベン
 「地下水道」1975.7.28号で、ネズミがロックを襲うシーンがあるが、もしかしたら1972年映画『ベン』の影響があるのかもしれない。少なくとも私は「地下水道」を読んだとき、この映画を思い出した。マイケル・ジャクソンが歌う「ベンのテーマ」は有名。

・空港
 「消えさった音」1978.2.27号で、ジェット機の騒音公害のためにノイローゼになる農民が出てくる。成田空港開港(1978.5.20。当初は4月開港の予定だった)に伴う反対運動(三里塚闘争)が下敷きになっているかも。

・有珠山噴火
 「昭和新山」1976.11.15号で、立ち入り禁止だというのに石を拾いに登った観光客が出てくる。近くにある有珠山が噴火したのは1977年8月7日。これはマンガの方が早かった……笑。

この他にも、私が見落とした時事ネタはたくさんあることと思う。それらはまた気がついたときに追い追い書くとして、本日はこれまで。

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(備忘録061029)

『あるある大事典』で、部屋が片付けられないのには3つのタイプ(捨てられない、隠すだけ、散らかっていても気にならない)があって、それぞれ脳のある一部分を使っていないからだと知った。つらつら己の身辺を見回し、ならば逆に部屋を片付ければ脳のその部分が働くだろうと考え、やおら部屋の片付けに着手した。「何故、昼間にせぬか」という夫の言は至極もっともなれど、もはや止まらぬ。よって、本日の記事はお休みなり。

余計に散らかったように思うのは気のせいだらうか。どうなっておるのだ私の脳は……?

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『勝海舟捕物帖』

坂口安吾生誕100年ということで、学陽書房の人物文庫から『勝海舟捕物帖』が出ていた。すかさず買ってしまうあたりが安吾ファンだと我ながら思う。しかもこれ、持ってるのに!! 原題は『明治開化安吾捕物帖』。角川文庫から出たものを高校生の頃に買って今でも持っている(テレビドラマ『新十郎捕物帖・快刀乱麻』の原作で、勝海舟役の池部良の写真が載った帯がついている)。久々に読んだがやっぱりおもしろい。

解説の縄田一男は、尾崎秀樹の論考を紹介している。曰く「坂口安吾は維新後の世相と、戦後の世情を対比させるだけでなく、そこに薩長藩閥政府の専攻と、アメリカの戦後占領という政治的(同時に精神的)類似性を見抜き、一人の勝海舟が存在しない戦後社会のあり方に批判の眼を向けている。勝海舟の眼に坂口安吾の眼が重なるのはこの瞬間だ」。昭和25年から連載されたこの捕物帖は、「敗戦後の有為転変のさまや、価値観の変化を、維新後の文明開化の世に重ね合わせ」てあるというわけだ。安吾史観と言われるほどの、いっぷう変わった歴史観を持つ安吾の思想がこの中には盛り込まれている……らしいのだが、悲しいかな、私にはそれがわからない。戦争を体験した世代にはわかるのだろう。歴史に詳しい方にもわかるのだろう。

061028_225901_1 テレビの『新十郎捕物帖・快刀乱麻』も反逆のドラマだった。原作では紳士探偵だった結城新十郎は、着流しの反政府反権力主義者として描かれる。いつも仲間とゴロッチャラしていたが、最終回には西郷札に絡む陰謀に怒りが爆発、背中の龍の刺青まで見せたのではなかったか(まるで任侠モノのようだった)。でも推理ドラマとしても超一品だったと記憶している。坂口安吾の原作、反骨精神溢れる推理モノ、とくれば、おもしろくないわけがない。最終回しかフィルムが残っていないらしいが、ビデオになったら1万円出しても買うぞ! と、前にも書いた記憶があるナ(笑)。

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高校履修不足問題

いや~、高校の先生はスゴイね。生徒に「世界史的に地理を学」ばせることができるのだから、たいしたものだ。きっとその他にも、数学的に書道を教えたり、化学的に倫理社会を教えたりしてたんじゃないだろうか? いろんなことを学べて良い学校だと思うが、先生がこんな詭弁を弄しているようでは「恥」だけは学べないだろうな~。あ、最終的に生徒は学ぶことができたのか。この期に及んでこんなことを言うことが「恥」だって。先生が身をもって示したのか。いや~、立派な先生だな~!

なんだかつくづく……なんだかなぁ。呆れて言葉が見つからない。救済措置がどうのこうのと言われているが、それもまたおかしな話ではないかと思う。高校教育で履修すべきものを履修していないのなら卒業できるわけがない。それを大学入試のために温情をかけるというのは、本末転倒だ。高校が単なる大学予備校ということになってしまう。それより、生徒が他の教科を学ぶ機会を奪ってしまった確信犯の先生、学校はどう責任を取るのだろう? 生徒がかわいそうだ……。

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テレビで観劇

日曜日に録画しておいた『京都都大路謎の花くらべ』(NHK教育)を観た。山村美紗の没後10年を記念して9月に京都南座で公演されたお芝居である。若林豪さんご出演~♪ ほかの出演者を見ても、ん?2時間サスペンス? と思わせるような面子だし、これは日頃舞台など観る機会のない私でも気楽に観られるのではないかと思って録画しておいたのだが、正解だった。

おもしろかった! 序盤は、登場人物の説明とその相互関係が語られるのでちょっと冗長な感じがしたが、殺人事件の推理モノなのだからそれは仕方のないことだろう。『赤い霊柩車シリーズ』の秋山さん(大村崑)と山村紅葉のコンビが相変わらずドタバタといい味を出していたし、京都府警の狩矢警部が若林豪さんをモデルに書かれている事実もさりげなく語られていて嬉しかった。中盤ではミュージカルの要素もあり、仮装パーティーの扮装も煌びやか。主役の萬田久子のマリリン・モンロー姿も可愛かった。そんな中で次々と起こる連続殺人。20年前の「前向き小町贋作事件」も絡み、そんな芸術品をめぐる人間模様がいかにも京都らしいと思ったりする。そのあたりからの池畑慎之介の演技がすごい。ゾクゾクする。声も通るし、上手いワこの人。もしかして犯人か? そして終盤、観客をも欺くギミック。犯人が語る密室の作り方にも、おぉ、なるほど!と納得(実際には鑑識の目はごまかせないと思うが、盲点ではある)。

盛りだくさんで楽しいお芝居だった。推理モノだから、登場人物の台詞も一生懸命聞いた。何気ない動作も見逃せない。また、実際にその場で舞台を観ている者なら見逃すかもしれない わずかな目の動きなども、テレビだとアップで映してくれていた。カメラワークもきちんと計算されていたから、テレビでも充分堪能できたのは嬉しかった。しかし「花道」というのは魅力的な仕掛けだと思う。至近距離から役者さんを見られるというのはいいよなぁ。やっぱりナマで観たかったなぁ。アドリブなんかもあったんだろうなぁ。ああ憧れの「若林豪保存会」…(笑)。

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『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』

『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(北尾トロ著)やっと読了。だいぶん前に読み始めていたのに読了までに時間がかかったのは、途中で気分が悪くなって中断していたから。そこのところについて書いてみる。

著者が裏モノ系のライターさんなので、真面目な内容でないだろうことは買う前から察しがついていた。それでも最初のうちは、裁判の傍聴マニアなんてものがいるんだということや、裁判に出てくる非常識で罪の意識のない被告などに驚きながら面白く読んでいた。しかしあるとき、自分がもし被告の立場だったら、と考えたら、急に嫌気がさした。

事件に何の関係もない人々が、週刊誌のゴシップ記事を読むのと同じレベルの興味で、自分の一挙手一投足を背後から見ているのだとしたら。ただただ2時間サスペンスのようなドラマチックな展開になることを期待して見ているのだとしたら。勝手に犯人像を作り上げながら聴いているのだとしたら…。正義感とか義憤とかいうのとは別次元の感覚……単なる「他人の不幸は蜜の味」という愉しみで裁判を見つめる人々がいる。そう思ったら、突然に人間の下衆な部分を見せ付けられたような気がして、読む気が失せた。

私のこれからの人生に、できることなら裁判沙汰になるような出来事は起こってほしくない。しかし起こらないとは絶対に言い切れない。そのときに私は被害者になっているのか加害者になっているのか、それも判らない。この本の中に、ずっと真っ当な道を歩んでいた人が度重なる不幸に見舞われて犯罪に手を染めてしまった例が出てくる。彼と同じ目に遭ったとき、自分がそうならないと言い切れる自信が、私には無い。後悔に後悔を重ねて、打ちひしがれて、法廷に出て行ったときに、傍聴席にまるで芝居見物のような気分の人々が陣取っているのだとしたら、悔しくてたまらないだろうと思う。見世物じゃない、と叫びたいだろうと思うのだ。

だから……、自分は絶対に裁判の被告になどならないという自信がある人なら、この本は楽しめると思う。

きょうは『邪魅の雫』(京極夏彦著)を買ってきた。前作の『陰摩羅鬼の瑕』が今一つだったので、今作は期待している。一気に読みたいが、いつになるかなぁ。

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お酒バトン

またまた神無月さんからバトンを頂戴しましたが……、いや~……、飲めないんですよお酒。最初の「乾杯!」の一口でデキアガッテしまうくらい弱いので、バトンを受けようかどうしようか迷ったのですが、折角のご指名ですし、次にお回ししたい方があるので答えてみることにしました。では頑張っていってみます。

【1.好きなお酒はなんですか?】
  辛口の日本酒、ワイン。味は、とても美味しいと思うのです。でも量が飲めません。舐める程度。悔しい。

【2.嫌いな(または苦手な)お酒はなんですか?】
  焼酎かな。匂いが苦手です。

【3.誰と飲みますか】
  う~ん、普段まったく飲まないのでどう答えたらよいのやら。過去の記憶を引っ張り出すと、当時付き合っていた人と飲むことが多かったでしょうか。今なら夫と、でしょうね。

【4.泣き上戸?笑い上戸】
  陽気にはなりますが、それより「眠い……」。

【5.酔いが顔に出る方ですか?】
  モロに出ます。お酒の匂いだけで飲む前から真っ赤になってます。

【6.記憶を無くしたことはありますか?】
  オボロになったことはあります(たいして飲んでもいないくせに)。てか、半分寝ていたんでしょう。

【7.今までで一番楽しかったお酒は?】
  職場で仲のよい女性達と飲みに行ったときかな? 食前酒から酔ってイイ気分でした。

【8.逆に一番思い出したくないお酒は?】
  ん~。職場の飲み会で酔っ払った嫌なオヤジに説教されたときかな。送ってくれた人(彼氏にあらず)が無理矢理家の中まで入ってきそうになったときとか。男性のいる席で飲むのが怖かった時期があります。今なら、私がそこらで酔いつぶれていても、皆が跨いでいくに違いないですけど。それもまた寂しかりけり秋の夕暮れ。
  
【9.彼氏(または彼女)とお酒を飲むのは好きですか?】
  私は飲めませんが付き合うのは好きでした。寝てしまっても大丈夫だし。

【10.お酒を飲んで勢いで喧嘩したことはありますか?】
  ないです。相手が酔って絡んできたのでブチ切れそうになったことはありますが(こっちは飲んでねーんだよッ!)。

【11.お酒が好き?飲み会の雰囲気が好き?】
  お酒自体は嫌いではないと思います。飲み会は、メンバーによりますね。

【12.お酒を飲むとどうなりますか?】
  ひたすら眠くなります。どうにか家に帰ってからお風呂に入って、そこで朝まで寝て風邪ひいたこともあります。

【13.次にまわす5人を指名してください】
  トーレスさん! 是非お願いします。語ってください。

お酒を楽しめる方が羨ましい限りです。神無月さん、面白いバトンをありがとうございました~♪

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『BJ』に描かれた時代

(月曜日は『BJ』語り。もうどれだけ長くなるかわからないので、いったんここでアップする。まだまだ漏れたものがたくさんあると思うので、見つけたら第2弾で…)

『BJ』に描かれた時代

『BJ』が連載されたのは「少年チャンピオン」1973.11.19号~1983.10.14号である。そして作品にはこの間に実際に起こった出来事が数多く反映されている。きょうはそういう時事ネタ等を探し出してみようと思う。

その前にひとこと。
例えば原作でドクター・キリコは軍医として戦地へ赴いているが、それがどの戦争においてだったのかは明らかにされていない。作者とすればどの戦争であってもよかったのだろうが、連載当時日本においてもっとも身近な戦争と言えば、それは間違いなくベトナム戦争(1961~1976)だった。1973年にアメリカが撤退するまでは特に、毎日のようにニュースで報道されていたことを覚えている。だから、キリコがベトナムに行っていたのだろうというのは、当時の読者にとっては暗黙の了解であったように思う。しかし、最近になって『BJ』を読み始めた若い読者ならば、それが湾岸戦争であると思ったとしても不思議はない。同様に、『BJ』に描かれた様々な事柄を現在進行形の出来事であるとして読むことも可能だろうと思う。時代設定がいつであれ、手塚治虫が描きたかったテーマはどの時代においても普遍的なことだからである。

しかしながら、私にとっての『BJ』はあくまでも連載当時がリアルタイムである。それについては、描かれている風景や風俗が当時のものであることや、連載されている間にもピノコの自称年齢が加算されていったこと(そういう点で『サザエさん』などの永遠に齢をとらない登場人物たちとは違うのだ)などの客観的な理由を挙げることができる。しかし何よりも大きな理由は、自分が連載当時に『BJ』という作品に出会えた僥倖を大切にしたいというごく個人的な事情による。ほんのちょっと前にニュースで話題になった事件がすぐに『BJ』に取り入れられる面白さ。「リアル性」「同時代性」と言うのだろうか、自分とBJは確かに同じ時代に生きていると思えることが嬉しかったのである。

また、原作を深読みしていく場合には時代が限定されていたほうが読み解きやすいのも事実なのだ。世相とともに当時の手塚治虫を取り巻く状況もきっと作品に反映されているであろうと考えれば、例えば「終電車」(1978.1.16号)に西武新宿線が出てくるのもなんとなく理解できる。当時、虫プロ(手塚プロ)は西武池袋線沿線の富士見台から西武新宿線沿線の高田馬場に移転しているし(1976.5)、手塚治虫の自宅は新宿線を下った下井草にあったのだ。ストーリーの上ではBJが真夜中に虫プロや手塚家を訪れる必要などないとは思う(むりやりこじつければ、飲み会で遅くなって岬の家まで帰る手段がなくなったので、手塚治虫=手塚医師の家に転がり込むつもりだった、などと考えることはできる。←これを妄想と言う)。が、大都会の中での偶然のめぐり会いを描く舞台として、手塚自身が土地鑑のある場所を選んだのではないかという推測は可能なのではないか。だから、「終電車」でBJはBQと別れ難くて目的地(高田馬場)を通り越して下落合までついて行ったか、あるいは目的地(下井草)に行く途中で降りてしまったのだと私は見ている。同様の理由で、「ある女の場合」に出てくる駅も高田馬場か下井草だろうと思う。(ちなみに高田馬場駅の発車ベルは『鉄腕アトム』だと聞いたことがあるが本当だろうか?)

「ひとこと」と言いながら長くなってしまったが、私が原作を読むときの視点はそういうことだ。連載されていた10年間の世の中の動きと原作の内容は密接にリンクしていると考える。しかし将来、その時代時代に合わせて『BJ』がリメイクされていく場合には、原作が持っていた時代性はどんどん排除されていくことだろう。当時流行っていたギャグや登場人物が日の目を見ることはまずあるまい。これから列挙する事柄は、若い読者にとっては現時点で既に元ネタがわからないかもしれない事柄である。私自身が忘れないうちに思い出せる限り挙げてみよう。例によって順不同スミマセン。

・ねじ式 
 記念すべき『BJ』第一話の「医者はどこだ!」1973.11.19号。このタイトルそのものが つげ義春の『ねじ式』(1968。メメクラゲに刺された主人公がシリツ(手術)してほしくて医者を探す話)に出てくる台詞から取られている(と思われる)。

・第四次中東戦争
 「アナフィラキシー」1973.12.10号で、横田基地で、アラブ前線で負傷した患者を手術するBJ。1973年10月6日に始まり10月22日に停戦が宣言された第四次中東戦争での負傷だと考えるとピッタリ時期があう。実際にはこのとき米軍は仲裁しただけで軍事介入はしていないようなのだが…。

・エクソシスト
 「化身」1974.7.15号、「誤診」1974.10.7号に、登場人物が口から何かを噴出する描写に加えられた説明が「EXORCIST」となっているが、この言葉は「悪魔払いの祈祷師」という意味で「吐瀉物」などという意味はない。同年に日本公開された映画『エクソシスト』の中にそういう場面があったことからのお遊びである。

・刑事コロンボ
 「水頭症」1975.6.9号の中で、患者の少年が「刑事クロンボ」とおどけて真似をしている。ピーター・フォークが冴えない風体の刑事を演じた『刑事コロンボ』シリーズは、1972年8月27日からNHKが放映して大好評だった。

・放射線漏れ事故
 1974年9月1日、原子力船「むつ」の放射線漏れ事故が起こった。そして「死神の化身」が掲載されたのは1974.10.28号である。そのあまりの対応の速さには驚くほかはない。その後「恐怖菌」に改訂されたときには新種のウイルスが原因ということに変えられていたが、もともとは放射能症とはっきり書かれていたし、なにより船の名前が「原子力船ムツゴロー」だった(笑)。誤解を恐れずに言えば、BJとキリコが初めて出会ったのは むつ湾大湊港近くの施設と考えられる(灯台の形が違うのとBJ邸から300キロというのがちょっとひっかかるが)。「むつ」の事故が起こっていなかったら二人は違う状況で出会っていたに違いない。

・ソ連の戦闘機
 1976年9月6日、ソ連製の最新鋭戦闘機ミグ25が函館空港に強行着陸した。そしてVTOLレポールがBJ邸にやってくる「空からきた子ども」は1976.10.18号に掲載されている。速い!速すぎる!

・コインロッカーベイビー
 コインロッカーの中に生まれたばかりの赤ちゃんを置き去りにするという、ショッキングな事件が初めて起こったのは1970年2月だった。その後同様の事件は増加の一途を辿り大きな社会問題となった。「赤ちゃんのバラード」1974・9・30号のネタになっている。

・赤ちゃん取り違え
 「すりかえ」1978.1.23~1.30合併号では、病院での母親による新生児のすりかえが描かれている。これは故意的なものだったが、実際に沖縄県で起きた赤ちゃん取り違え事件が1977年に発覚している(この事件は奥野修司著『ねじれた絆-赤ちゃん取り違え事件の十七年-』に詳しい)。

・核実験
 「絵が死んでいる!」1975.8.18号では、核実験で被爆した画家ゴ・ギャンの生き様が描かれる。ビキニ環礁、クリスマス島、ムルロア環礁…、この頃、南太平洋の楽園で大国は核実験を続けていたのである。

・サリドマイド
 「なんという舌」1975.5.26号では、サリドマイド短肢症の少年が珠算コンクールに出場する。1959~1962年に販売されたつわり防止薬に入っていたサリドマイドが胎児に影響を与えたもの。日本での被害者は309人に上る。

・ロゼット洗顔パスタ
 「えらばれたマスク」1975.4.14号で、ピノコがBJの本名が黒男と知って「へんなの。ロゼットってしみぬきの広告みたい」と言っている。これは黒子さんと白子さんが出てくるCM(昭和30~40年代)のことで、黒男さんから黒子さんを連想したわけだ。
 黒子「あ~ら、白子さんの肌、いつもおきれいね~」
 白子「だってロゼット洗顔パスタを使っているんだもん」
  http://rosette.jp/topics/paste70th/ad_iou2.htm

・かもめのジョナサン
 「コルシカの兄弟」1975.2.10号で、BJが読んでいないと語っていたのが『かもめのジョナサン』。リチャード・バック原作で1974年に日本でも翻訳出版された。 

・限りなく透明
 「99.9%の水」1976.11.8号の改訂前のタイトルは「限りなく透明にちかい水」だった。村上龍の1976年の芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』より。

・ロッキード事件
 「激流」1976.12. 6号で、子だくさんなおかみさんが「一人くらいは総理大臣になって汚職でもうけてくれるかもしれんで」と言っている。この年、ロッキード事件で田中角栄元総理大臣が逮捕(1976.7.27)されている。
 「春一番」1977.4.11号で、BJが飲みに行った飲み屋街の看板に「三木おろし」「鬼頭」とある。三木武夫内閣はロッキード事件の解明に力を注いだが自民党内の倒閣運動(三木おろし)に遭い、衆院選の敗北の責任を取って退陣した(1976.12.24)。鬼頭史郎は、ロッキード事件に絡んで「偽電話事件」を起こした元裁判官。
 
・「わっかるかなァ わかんねえだろうな」
 「コマドリと少年」1977.1.10号でのBJの台詞だが、1976年に流行した松鶴家千とせのギャグである。
 「俺が夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。お袋は霜焼けで、親父は胸やけだった。わっかるかな~ わっかんねぇだろうなぁ~」

・木登り協会
 同じく「コマドリと少年」に、「ピノコね イーレス・ハンソンって人が会長の木登り協会の会員なの」というセリフがある。1976年に結成された同好会で、『花の木登り協会』(イーデス・ハンソン著)という本も出版された。

・山口百恵、ポール・サイモン
 「血がとまらない」1974.5.13号で、恋人達が「山口百恵すき?」「ええ ポール・サイモンも」と話している。山口百恵はその前年にデビューしており、1974年6月1日に出した『ひと夏の経験』で大ブレイクする。ポール・サイモンは1970年にサイモン&ガーファンクルを解散後、ソロ活動で1974年4月1日に大阪公演を行っている。(『Paul Simon Live Rhymin' In Osaka』)

・ブロンソン
 「白い正義」1977.2.21号では悪党のボスがチャールズ・ブロンソンの顔で、警察に捕まったときには「SARABA TOMOYO」とローマ字で呟いている。1968年公開された映画『さらば友よ』ではアラン・ドロンとの共演が話題となった。ラスト近くのタバコに火をつけるシーンは良かったですな。1970年からはマンダムのCMに起用されたのでお茶の間でも知られた顔だった。「ん~~、マンダム」。

・犬神家の一族
 「猫上家の人々」1977.8.22号のタイトルはこの映画からとられている(『楡家の人びと』にも似ていると思うが)。横溝正史原作で1976年に公開された。死体を壁に塗り込めるというトリックはエドガー・アラン・ポーの『黒猫』を思わせる。

・ルーツ
 「二人三脚」1977.12.12号でピノコが「ユーウツじゃーない!! ユーツよ」と言っているのは、テレビで見た『ルーツ』のことである。原作はアレックス・ヘイリーのベストセラー小説。1977年に翻訳、テレビ放映された。日本に「ルーツ」という言葉が定着したのはこのドラマ以降のことである。

・宍戸錠
 同じく「二人三脚」でピノコが「イジワユ! 先生キヤイ! 先生の宍戸錠!」と発言している。1977年実写映画『瞳の中の訪問者』で、宍戸錠がBJを演じたことによる。そんな喩えで罵らなくても……。

・不正入試
 「銃創」1977.11.7号に出てくるどうしようもないダメ医者の出身大学は「愛想大学」。1977年6月9日、愛●医大の不正入試が発覚している。

・グロリア・スワンソン
 「あるスターの死」1976.8.16号に出てくるマリリン・スワンソンのモデルとなったサイレント映画時代の美人女優。代表作は往年の美人スターが銀幕復帰を願う『サンセット大通り』(1950)。1976年には作家のウィリアム・ダフティーと6度目の結婚をして話題となった。1983年4月4日没。

・大平正芳
 「浮世風呂」1978.1.9号で、ピノコの声に恋する少年の名前は大平芳正。大平正芳は当時自民党幹事長で、1978年12月7日に首相に就任した。「あ~う~」。

・ゴルゴ13 
 「デベソの達」1975.8.4号で、「こりゃまちがいなくゴルゴサウルスの骨格ですね!」と言っているのは『ゴルゴ13』(さいとう・プロ。「ビッグコミック」で1969年1月号より連載中)のデューク東郷。BJとは、報酬をスイス銀行の口座に振り込ませるという共通点がある。

・少年チャンピオン
 「魔女裁判」1976.9.20号で、「黒ミサ」という言葉が出た後にひとコマだけ古賀新一の『エコエコアザラク』のような絵が描かれている。黒ミサ→黒井ミサの連想だろう。
 「虚像」1979.4.30号で、BJは平松小学校の同窓会に出席しているが、その恩師の顔が『ドカベン』の作者・水島新司、『がきデカ』のこまわり君、『マカロニほうれん荘』の膝方歳三になっている。当時の「少年チャンピオン」誌上でお馴染みの面々である。この作品以外にもこまわり君はよく出没している。 

・タモリ
 「笑い上戸」1983.6.10号で、ゲラの描いたマンガに笑うBJ。ひとコマだけゲラの顔がタモリになって「笑っていいとも」と言っている。これは今でも続いている長寿番組。1982・10.4放送開始。

・公害問題
 「しずむ女」1974.8.19号、「望郷」1976.3.1号では海の汚染、「ふたりのピノコ」1975.3.31~4.7号、「魔女裁判」1976.9.20号では大気汚染に苦しむ人々が描かれている。
 当時は水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、第二水俣病(阿賀野川有機水銀中毒)の四大公害病をはじめとして、日本各地で発生する公害が大問題となっていた。ちょうどそれまでの高度成長期のツケが回ってきた時期だったのだ。ニュースではメチル水銀だのダイオキシンだのカドミウムだのといった言葉が飛び交い、いろいろなドキュメンタリー番組で患者の悲惨な状況が紹介された。因果関係や責任をなかなか認めようとしない会社や国に対しては皆が怒りを覚えたものだ。「ふたりのピノコ」で見せるBJの憤怒の形相は国民の感情を見事に表していた。
 なお、「魔女裁判」に描かれているミラノの化学工場の事故は、ちょうどこのストーリーを企画していた頃に偶然起こったもの。
  http://www.europesports.co.jp/takamoku/recycle/mmz_doxn.html

・自然保護、動物保護
 「オペの順番」1983.10.14号では、観光開発される西表島とイリオモテヤマネコの保護が描かれている。1972年に本土復帰した西表島には、1975 年に島の東西を結ぶ北岸道路が開通して大勢の観光客がバスツアーを楽しむようになった。年に数匹は交通事故に遭うらしい。
 「1ぴきだけの丘」1977.11.14号では、1972年札幌オリンピックの滑降競技のために山腹の樹木を伐採したペカンペの丘に住むクマが取り上げられている。跡地に植林はされたものの、現在でも原状回復には至っていない。
 「ディンゴ」1976.5.17号では、人間による生態系の破壊や農薬散布による新しい病気の発生が描かれている。
 また、「宝島」1975.7.14号、「青い恐怖」1976.7.12号では、BJが自然保護のために島を買い取っていることが語られている。

・受験戦争
 「夜明けのできごと」1976.8.23号、「三者三様」1977.4.18号、「壁」1977・5.9号には、それぞれ受験戦争に悩まされる少年が描かれている。今でも学歴重視の傾向は残っているが、当時はもっと厳しかったような気がする。

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盗作?

松本零士 vs 槇原敬之「ゲド戦記」vs「こころ」。最近立て続けに盗作が話題になっている。映画「ゲド戦記」に使われた「テルーの唄(うた)」は、萩原朔太郎の「こころ」にインスパイアされて作ったことを宮崎監督自身が認めているから、こちらはあまり大ごとにはならないだろう。先人の作品に対しての賛辞がなかったことが問題なだけである。

松本零士と槇原敬之の場合はどうなのだろう。
「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」(『銀河鉄道999』)
「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」(『約束の場所』)
う~ん。あくまで個人的な見解だが……、そっくりだと思う。私なら100年考えてもこんな特殊な言葉は紡ぎ出せないだろうし、正直、意味もわからない(笑)。槇原は『銀河鉄道999』を読んだことはないらしいが、「どこかで聞いたものが記憶にすり込まれたのかも」とも発言しており、その言葉を信用すれば決して意図的な盗作ではないようだ。本人にさえその発想がどこから湧いたのかわからないのなら、誰にも決着はつけられないような気がする。

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『銃とチョコレート』

きょうは取り立てて話題がないので、ずっと書けないでいた『銃とチョコレート』(乙一著)の感想なんぞを。

その昔、ルパン、ホームズ、少年探偵団に心躍らせた年代には、なんとも懐かしい趣きの一冊である。装丁も大きさもポプラ社のシリーズのよう。小学校の図書室にはこんなシリーズがズラリと並んでいたことを思い出す。活字が大きくてひらがなが多くて漢字には読み仮名がふってある。挿絵が入っているのがまた嬉しい(あまり好きな絵柄ではなかったが…)。

怪盗ゴディバがルパン、名探偵ロイズがホームズ、リンツが小林少年のような役割……と思って読んでいると、中盤あたりからアレレ?という展開になっていく。単純な勧善懲悪の体裁をとっていないのだ。誰が良い人で誰が悪い奴かが混沌としてきて、どんでん返しに次ぐどんでん返しの末に、なるほどそうだったのか、となる結末。大人が読んでも納得できるくらい、謎解きも明快である。

いや、そもそもこれは子供向けの本なのか……? これは講談社が出している「ミステリーランド」というシリーズの中の1冊なのだが、謳い文句には「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」と書かれている。既刊の作品の著者を見ると、島田荘司、殊能将之、有栖川有栖、森博嗣、法月綸太郎、綾辻行人、等々、おもに新本格派と呼ばれる当代の推理作家がズラリと名前を連ねている(京極夏彦も今後の予定に入っているので楽しみにしている)。どちらかといえば、友情あり冒険ありのジュブナイルというよりも、謎解きに主眼が置かれているように思えるラインナップだ。

この作品で主人公リンツは、信じていた人に裏切られたり、酷い奴だと思っていた友人が実はそうではなかったりと、人間のいろいろな面を見ることになる。二転三転する登場人物の豹変ぶりに、品行方正な児童文学から外れた面白さがあり、それはやはり大人向けといった印象がある。だから個人的には、この作品は、まだ価値観の定まっていない低年齢層にはあまり読ませたくないという感想を持った。大人が読むぶんには確かに面白い。しかし、人間幼いうちは、良いものと悪いものというのははっきり区別して認識していたほうがよいのではないかと、最近私は思うようになったのだ。

例えば昔の子ども番組では、正義のヒーローはどんな困難にぶつかっても己の信念を曲げることなく正義を貫いた。悪い奴はとことん悪くてツメの垢ほども良いことはしなかった。最近はどうもそうではないらしい。悪い奴にも良いところはあるし、良い人間にも悪心が芽生えることもある、そういうことを描きたいらしい。しかしそれも、自分の中に善悪の価値観があって初めて理解できることなのだ。だから子供達には、まずは善悪の基準をしっかり持ってもらいたいと思うのである。

というわけで、この作品は大人向けの1冊である。リンツの母親の愛らしさが良くて、読後感も良い。

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(備忘録061020)

いじめのない学校をつくります、なんて言葉をよく聞くけれど、そんなの簡単だ。学校がいじめ自体を認めなければよい。あるいは教育委員会がもみ消せばよい。なにしろ文部科学省の統計では、ここ数年「いじめによる自殺者」は全国で1人もいないそうだから。こんな統計、いったい何の役に立つんだろう?
http://www6.plala.or.jp/fynet/5tokei-monbukagaku-kodomo-jisatu.htm

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歴代バトン100代目

いつもお世話になっている神無月さんからバトンを頂戴しました。ありがとうございます。ココログのメンテナンスのため、回答が遅くなってしまって申し訳ありません。
お、ちょうど100代目ですか。嬉しいことです。では早速答えさせていただきます。それから大変申し訳ないのですが、今回はアンカーということで。すみません。

ルール■
 ・この中の質問を2つだけ削除する
 ・新しい質問を2つ考えて付け加える
 ・○○代目のところのカウントをアップする
 ・5人の人にまわす

1.あなたの願いが3つ叶うとしたら、何を願いますか?
うわ~、しょっぱなから超難問だぁ! 
う~む。
ウ~ム。
(痩せたいとか、綺麗になりたいとか、自信を持ちたいとか、家事したくないとか、京都へ行きたいとか、将来年金ちゃんと欲しいとか、畳の上で苦しまずに死にたいとか、家族が健康でありますようにとか、犯罪がなくなりますようにとか、戦争が起こりませんようにとか、生きとし生けるものが幸せでありますようにとか……。欲深なのでいろいろ考えましたが、突き詰めると結局これ1つです。私は今のままで充分)

「願いが3つ叶うことで幸せになれる人に、この権利を譲らせてください」 

2.ブログを始めた理由は?
ボケ防止です(笑)。脳は使わないと衰えるそうなので、毎日文章を綴ることは活性化に繋がるかと思いまして。それと、文章が少しでも上手くならないかと期待して。効果のほどは…………???

3.好きな異性のタイプは?
頭が良くておおらかな人。

4.次に回したい5人は?
今回はここで置かせていただきます。

5.今すぐやりたい事は?
やらなくちゃいけないことや、やるべきことなら幾つでも思いつきますが……やりたい事?何だろう?
本が読みたい。かな?

6.今、生活の中でかかせないものは?
読書とネット徘徊。日常の中の潤いです。

7.あなたの好きなお話で1番好きなセリフは何ですか?
『BJ』で答えさせていただきます。「ふたりの黒い医者」中の「それでも私は人を治すんだ」です。

8.この夏の思い出をひとつ!
あわや床下浸水!でしょうか。 ヒヤヒヤしましたぜ。

9.最近笑ったことは?
詳細は省きますが、世間は狭いなぁと思うことがありまして、思わず笑いました。

10.自分の前世はなんだと思う??
ナマケモノか何かじゃないかな?

11.もし、余命一年と宣告されたら、あなたはその一年をどう過ごしますか?
アタフタするだけで何もできないような気がします。だから今のままかな? 死後に他人に見られたらマズイようなものだけは処分したいと思いますが。

12.あなたはこの世界にただ一人しか持てない「呼び出しノート」を手に入れました。あなたなら、なにを呼び出しますか?(例:漫画のキャラとか、空想の生き物とか)
デスノートじゃないんですね(笑)。歴史上の人物に会いたいです。釈迦とかキリストとか老子とか、卑弥呼とか聖徳太子とか織田信長とか、クレオパトラとか楊貴妃とか小野小町とか、曹操とか劉備とか諸葛孔明とか、その他た~くさん。毎日日替わりで話ができたら楽しいだろうと思います。

13.生まれ変わったら何になりたいですか?
大河の一滴。海に流れて、蒸発して、雲になって、雨になって、また大河の一滴になって…。あ、問題の趣旨と違う?

14.あなたがアニメor漫画のキャラクターに登場できるとしたら、どの作品の何役がいいですか?
『水戸黄門』。天下無敵のご隠居さん。助さん格さん侍らせて。というのが本音ですが、アニメでも漫画でもないからなぁ。『ルパン三世』の不二子ちゃんかな。ルパン、次元、五右エ門の味方についたり敵になったり。

以上で~す。

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『BJ』(何気ない珍発言編)

きょうから始まった『のだめカンタービレ』を観た。私は原作を読んでいないのだが、ドラマ自体もまんがチックだった。楽器を弾く演技ってたぶん難しいだろうと思うのだが、のだめ役の上野樹里(だっけ?)は本当にピアノを弾いているように見えた。BGMにクラシックが流れるのも心地よい。ベートーベンの『悲愴』、ガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』、プロコフィエフの『ロミオとジュリエット』(最近ソフトバンクのCMでも使われている)、劇中で歌っていたのはモーツァルトの『魔笛』の中の「夜の女王のアリア」。脇を固めるのがまた個性派の俳優さんたちで、それもまた楽しい。来週もまた観よう……かな?

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さて、月曜日は『BJ』語り。バトンもいただいていますが、明日答えさせていただきます(すんません神無月さん)。

『BJ』(何気ない珍発言編)

BJの名言集なんてものはたぶんたくさん出版されていると思う(持ってないけど)ので、逆に原作中のBJの珍発言を探してみることにした。
深く考えた言葉ではなく思わず口をついて出たような何気ない台詞。本人は決してギャグだと思って言ってはいないのだけれど、読者が思わずクスリと笑ってしまう、そんな発言。そこにはBJの人となりが滲み出ているに違いない。…と思って探してみたのだが、根がまじめ且ついつでもギリギリな男だからそんな台詞がなかなか見つからない。みんな名言になってしまっている。手塚治虫もあまりBJを崩したくはなかったのかもしれない。

ということで、あまり数は多くないが挙げてみる。ほとんどの例が、BJの生真面目さが可笑しいという性質のものだ。例によって思いつくまま順不同。

・「ボンカレーはどう作ってもうまいのだ」(『報復』)
 真っ先に思い出したのがこの言葉。どちらかといえばこれは名言かな? 無免許で捕まった獄中のBJの独白。ボンカレーとカップヌードルはピノコからのお中元(←差し入れ)。

・「ゾウもこうもないですな」(『ちぢむ!!』)
 戸隠先生が「ゾウ思う?」と言ったのに対して。話題にしているのは縮んだ象。超シリアスなストーリーの中で、二人ともニコリともせずにダジャレを飛ばしている。

・「ほんものでかまわんですかね」(『されどいつわりの日々』)
 別人を整形手術して再起不能のスターの身代わりにさせようとする芸能プロダクションだったが、BJは別人を逃がして本物の方を治してしまう。別人を逃がすときの台詞がまたパンチが効いているのだが、芝居だからそっちは不採用。患者を芸能プロに引き渡すときに言った言葉がこれ。大真面目に尋ねているのだが、言っていることは不条理で可笑しい。

・「おたくの実験用モルモットが外をはねまわってるけどいいのかい」(『モルモット』)
 いいわけないでしょ! 早く捕まえて!

・「利用され捨てられた…か。女はたいていそういうことだ」(『水とあくたれ』)
 わーわー泣いているピノコに向かって。そんなトンチンカンな思い込みを断言されても…。

・「ハンモンとはブチのことかい」(『ピノコ・ラブストーリー』)
 漢字を尋ねてきたピノコに向かって。斑紋、煩悶。その前に「相愛」という字も聞かれているのだから判りそうなものなのに。BJ先生、鈍すぎます。

・「まだディープ・キスまでははやすぎるんじゃないか……」(『ピノコ・ラブストーリー』)
 チンクとキスをして舌をかまれたピノコの治療をしながら。たぶん真剣にそう思ってアドバイスしているに違いない。

・「イモ畑でデートッ」(『落下物』)
 ヤムイモが放射能に汚染されていると知って、ルンバを連れて現地調査に行くBJ。「どこいくのよーっ」と言う彼女に向かって言った言葉。麦畑ならぬイモ畑。

・「女もひからびちゃおしまいだねえ」(『のろわれた手術』)
 1500年前のミイラを見て。なにも干乾びようと思って干乾びたわけではないと思う。

・「そういうときは はじめからまぜるのだ」(『ピノコ愛してる』)
 BJに顔を洗えと言って、初めは熱湯、次に冷水をぶっかけるピノコ。この頃のピノコは生まれたて(?)で常識がない。ピノコに教えているというよりは、BJのボヤキである。

・「長雨にはお茶づけにかぎります」(『土砂降り』)
 清水先生に向かって。まあそう信じてるんなら…。

・「絵は絵だ。生きてきたらおばけだ」(『動けソロモン』)
 アニメーションの話をするピノコに向かって。頭の良い人にありがちな発言。

・「おじさまはよしてくれ!」(『赤ちゃんのバラード』)
 スケバンのマギーに「おじさま」と呼ばれて。まだそんな年齢ではないと思っているのか、柄じゃないと思っているのか。単に照れているだけかも。

・「お祝いの旗立てとけ」(『オペの順番』)
 いやーカッコいいなBJ! 電話が鳴った途端に自分への告訴が取り下げられることを確信してこの台詞だ。嬉しそうにカレーライスに日の丸を立てるピノコが可愛い。きっとBJには、何かお祝い事があったときに家族でレストランへ行って旗の立ったお子様ランチを食べたという、少年時代の思い出があるのだろう。

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(備忘録061015)

バトンを頂いたので、ウンウン呻りながら考え中。今晩のアップは無理のようです。また後日に。すんません。

出雲国府跡の現地説明会には行かれませんでした。残念。

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茶髪とピアス

ちょっと前から話題になっていたが、秋田経済法科大学の茶髪・ピアス問題に決着がついたようだ。記事中の「図書カードに替える案も検討したが」に笑った。アホか。

真面目な学生に恩恵がないのはおかしい云々ということで取りやめになったようだが、問題はそんなことではないだろう。どうして茶髪・ピアスがいけないのかということだ。大学側の説明ではこうなっている。

今回の規則の基になっているのは「高等教育を通じて健全にして善良な社会人を育成する」という本学設置の趣旨であり、学則にも制定されている事項です。
(中略)
頭髪に関しては「清潔を旨とし、周囲に不快感を与える特異な髪形や染色及び脱色等は禁止」
装身具については「華美を避け、かつ品位を保つことを旨とし、ピアスは禁止」

まるで茶髪・ピアスの者は善良ではないかのような書き方である。私はもともと髪の毛の色が薄いんですが、不快ですか善良ではありませんかスミマセンね。いや論旨が違うことは判っているのだが。

私は基本的に「身体髪膚之を父母に受く。 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」 (『孝経』)の考え方を支持している。整形したりピアスのための穴を開けることは、少なくとも私はしない。しかし、他人がどういう考えを持って自分の身体をどうしようが、基本的には自由だと思っている。それが美しいと思うなら茶色にでもグリーンにでも染めればよいと思う。さらには、男の子が眉の形を整えようが化粧をしようが(私にはちっとも良いとは思えないが)、本人が断固たる意思を持ってしていることなら止める権利はないと思うし、中学高校での「頭髪は丸刈り」などという校則も人権侵害ではないかとも思っている。

要は、見た目と人格を関連付けることが短絡的であるということだ。紳士的な風貌で悪いことをする奴はゴマンといる。逆のパターンもゴマンとあるだろう。いやしくも教育機関ならば、そんなことより内面の教育に力を入れるほうが良いのではないかな? もっとも大学というところはそういうことを教育する場ではないけれども。

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古い話2題

●松江市にある出雲国府跡で、平安期の道路跡が見つかった(12日発表)。『出雲国風土記』(天平5年・733年完成)にも記されている国府から北に向かうメインストリート「枉北道(きたにまがれるみち)」ではないかとされている。以前に見つかった奈良時代後半の道路跡とも重なり、奈良~平安にずっと使われてきた道らしい。このあたり、今ではのどかな田園地帯。15日には現地説明会があるというので、行かれたら行ってみよう。

●大阪市中央区の難波宮跡で、日本最古の万葉仮名が書かれた木簡が見つかった(12日発表)。これまで万葉仮名の成立は7世紀末ごろとされていたが、今回の発見で20~30年さかのぼることになるという。
 

 ちなみに、上で触れた『出雲国風土記』は漢文を基調としているが、神話を語った部分などにはところどころ万葉仮名も混じっている。お役所の公文書は漢文で書き、叙事詩的な部分では日本語の話し言葉のリズムを大事にしたのだろう。

 ところで、万葉仮名といえば『万葉集』だが、未だに読み方が定まっていない難読中の難読歌を挙げておく。

莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
━━━━━ ━━━━━━━  わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと
                 <巻一・0009 額田王>

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巨大掲示板

2ちゃんねるの管理人「ひろゆき」氏が、数々の訴訟や損害賠償を抱えているにも関わらず失踪状態にあり、このままでは2ちゃんねるの存続そのものも危ういとかなんとか…。2ちゃんねるが閉鎖されるという噂は何も今回が初めてではないので、全てをうやむやにしつつ今後も継続していくのではないかと私は思う。

「ひろゆき」氏が削除依頼のあった書き込みについてそれを迅速に行わなかったり、発信者の情報を開示しなかったり、つまり管理人としての責任を果たしていないことが問題となっているわけだが、まあそれは非難されても仕方がないと思う。実際に多くの被害者(実名で誹謗中傷された人たち)が存在するわけで、その人たちの憤りたるや察して余りある。場所を貸しているだけだという理論は通用しないだろう。「ひろゆき」氏は2ちゃんねるに貼り付けられる広告で広告料を得たりしているわけだから、管理人としての責任はきちんと果たすべきと思う。また反論があるならあるで、それをちゃんと司法の場で主張すべきだ。

しかし、それにしてもだ。私自身は書き込みをしたこともなく時々覗くだけだが、まあなんとくだらない!と思わないでもない(あ、私が覗く板がくだらないのか)。誹謗中傷、罵り合いが渦を巻く。管理人自らが「痰壷」とか「便所の落書き」などと言っているように、これはインターネットの最下層に位置する掲示板なのだろう。匿名だから遠慮がない。2ちゃんねる独特の言い回しや当て字で書かれるのが多少の緩衝材にはなっているが、相当酷いことが当たり前に書かれたりしている。一言で言えば「陰湿」で「意地悪」な印象がある。目の前で実際に喧嘩が行われているのとは全然違う。いったいどんな人間がどんな顔してこの文章を書いたのだろうと思うくらい、底知れぬ悪意を感じることもある。自分の素性を隠すと、人はここまで裏の顔をさらけ出せるものなのか。

人間の負の部分を観るウオッチングの場としては、2ちゃんねるは面白い。

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(備忘録061011)

地べたに寝っ転がって手足をバタバタさせてギャンギャン泣きながら駄々をこねる子。北朝鮮は究極の「かまってちゃん」だ。いちいち過剰に反応せずに無視したらどうなるのかな。

『ほけきょう』(西村公朝著)再読中。

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『酔生夢死か、起死回生か。』

『酔生夢死か、起死回生か。』(阿川弘之、北杜夫共著)読了。二言目には「鬱なんです。もう死んでしまいたい」と訴えるマンボウ先生と「美味いものが食いたい」という阿川元海軍大尉の、噛み合わない対談集(笑)。ちなみに阿川さん(大正9年生まれ)のほうがマンボウ先生より7歳年上。

「瞬間湯沸かし器」と言われる阿川さんと、坊っちゃんで躁鬱病のマンボウ先生。まったく正反対の性格のようなのだが、二人は若い頃からの知己の仲で、家族ぐるみで一緒に旅行した話とか、斎藤茂吉の思い出話とか、文壇の仲間の話(次々に死んでしまったねぇ、というような・笑)とか、グルメの話とかに花が咲……いているのかいないのか。何しろ片方は、鬱で、食事をするのも辛くて、対談するたびにこれが最後の対談です、と言っているような人なのだから。でも何故かその噛み合わなさが傍目には非常に可笑しい。ご老人(失礼)二人の思い出話と言ってしまえばそれまでなのだが、功成り名遂げた人たちが醸し出すゆったりとした空気が心地よい。これが「老成」ということなのだろうなぁ。これくらいの年齢になっても、若い頃と変わらずに話ができる友達がいるというのが何より羨ましいと思った一冊。

カバー裏にも引用されているが、この対談集を象徴するような会話を挙げておこう。
「阿川さん、その背広、いいですね」
「そうですか。何のいやがらせです、今度は?」
全編を通してこんな雰囲気。笑

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Dr.キリコ診療所 「おれの仕事は神聖なんだ」

北朝鮮が核実験をしようがしまいが、月曜日は『BJ』語り!

Dr.キリコ診療所 「おれの仕事は神聖なんだ」

原作でドクター・キリコが登場するエピソードは9編あるが、彼の診療所の様子が判るのは『小うるさい自殺者』においてのみである。BJが自殺志願の少年喬を車に乗せて向かった先は、木立越しに見える2階建ての洋館、それがキリコの診療所だった。観音開きのガラス窓と鎧窓、上に半円形の飾りのついたドア。かなりお洒落な外観である。3段ほどの階段を上ったところが玄関。ドアを開けるといきなりそこが診察室らしく、キリコ先生の机があったりする。ついたてくらいは欲しい。台の上にはフラスコやらビーカーやら瓶やらが置かれ、キャビネットの中にも瓶類が見える。殺人を依頼するBJがふんぞり返って腰掛けているのは、おそらく患者用の椅子だろう。

余談だが、原作中BJとキリコは1回ずつお互いの診療所を訪ねている(『弁があった!』と『小うるさい自殺者』)。それも、二人とも事前に連絡することを潔しとしないらしく、突然に押しかけていく。当然押しかけられた方はびっくりするのだが、そんなことはおかまいなしに自分の用件だけバタバタと済ませると疾風のように去っていく。(なんだろうこの二人……。)

原作に描かれているのはそれだけだが、この二人が普段から行き来があるという証拠はいくつかある。『弁…』のとき、キリコは自分の父親を探しているが、BJ邸に押しかけるなり躊躇もせず真っ先に手術室のドアを開けて中を確かめている。そこにいないので2番目のドアを開けると、ピノコが何か食べている(笑)。キリコは明らかにBJ邸の間取りを知っているのだ。そうでなかったら、トイレとか寝室とかのドアも間違えて開けそうなものである。ではBJの方はどうか。『小うるさい…』で、喬を乗せたBJは迷うことなくキリコの診療所に着いている。恩師と仰ぐ本間先生の家を訪ねる時でさえ近所で道を尋ねているこの男が、である。これはもう紛れもなく過去に来たことがあるとしか思えない。さらに決定的なのは「きょうは正式の依頼だ キリコ先生」という発言である。「きょうは」である。「は」なのだ「は」。日本語において「は」という副助詞は「とりたてて言うのに用いる」という決まりがある。だからこれは「いつもは違う用件で来ているのだが、きょうに限って言えば」ということを表しているのである。二人が無意識に露呈した言動から、普段から行き来があることは明白なのであった。

さて、話を『小うるさい…』に戻そう。BJがさっさと帰ってしまったので、仕方なく喬を病室に案内するキリコは「ここはいやしくも医院だぞ。病人でもないものをおくわけにはいかんのだっ。だからおまえさんは病人としてあつかう!!」とオカンムリである。病室には、なにやら仰々しい機械とベッドが2床。既に一人、千代子が重篤な腎炎で入院しており安楽死する日を待っている。

ここで判ることは、キリコは「入院設備のある医院」を開業しているということだ。いや当たり前だと思われるかもしれないが、私には意外だったのだ。キリコの本業が言わずもがな「安楽死専門医」(BJに言わせると「殺人うけおい業」)であり、人を治すことを専らとする医者ではなく、安楽死のエキスパートであるというイメージが強すぎたのだろう。なんらかのルートで世界中の安楽死を希望する人からの連絡を受けて出張するのだと、それまで私は思い込んでいた。

それが「医院」を開業しているとなると、キリコはギリギリまでは保険の範囲内で普通の治療を行い、カルテを書き、いよいよとなると別に代金を取って安楽死を施しているのだと思われる(最後の部分だけはカルテに書けないだろうが)。通常は近所の住民たちが「風邪ひきました」と診察を受けにくるのかもしれない。しかしそもそも何科なのだろうか。まさか「安楽死科」の看板を掲げるわけにはいくまいが、原作にキリコがモグリだという記述はないのでBJと違って医師免許は持っているのだろう。だから開業していてもなんの不思議もなく、自分の医院なのだから(敢えて言うが)殺人をしてもバレることもなく、警察に引っ張られることもないのだろう。しかしそういう事情であるから看護師を置くわけにはいくまい。入院患者の世話も一人でしているに違いない。カロリー計算などしながら患者の食事も作っているのだろう(へぇ~)。ホスピスというのともまた違う。患者の苦痛を取り除き自然に死を待つのではなく、キリコは最後は自分の手を汚す。積極的尊厳死という処置を施すのである。

謎なのは、千代子だ。彼女はどういう経緯でキリコの診療所に入院したのだろう。喬が「あなたも安楽死をたのんでいる人?」と問いかけたのに対して「…ええ……」と答えている。「苦しみながら死ぬのいや……ねむってるうちに死にたいわ」と言っていることからも、たまたま掛かった医者がキリコという安楽死医だったわけではなく、最初から安楽死を願ってキリコの元を訪れたと考えられる。しかし先に書いたように、キリコの診療所で安楽死が行われていることは一般人には判らないはずである(一般人に知られているほどなら警察と税務署が動く)。とすれば、千代子がそれまで入院していた病院(千代子は過去に3回も腎移植手術を受けている)が、苦しまずに死にたいという彼女の意を受けて、キリコの元に転院させたと考えるのが妥当だろう。

おそらく、ドクター・キリコはそのスジでは有名なのだ。『恐怖菌(死神の化身)』では明らかに安楽死目的で役人が彼を呼んでいるし、『浦島太郎』では病院から、『最後に残る者』でも担当医から連絡が行っている。彼の存在はその世界では公然の秘密なのだ。『ふたりの黒い医者』では患者が彼を呼び寄せているが、一般人が彼を知っているはずがないという前提に立てば、担当医が患者に吹き込んだのではないかという推測が成り立つ。患者がキリコを呼ぶのではない。突き詰めれば医者が呼んでいるのだ。そしてその医者は口を噤む。

彼が彼なりの信念に基いて安楽死を行っていることは間違いない。彼が救おうとしているのはあくまでも患者なのであって、医者を救おうという意識はないだろうと思う。しかし以前に『キリコ考』で触れたように、終末医療現場での医者のジレンマをも一気に解決できるのがキリコなのだ。さらには、診療報酬が引き下げられ、介護だけで治療を必要としない患者がベッドを塞ぐことを厭う病院が多い昨今ならば、「必要悪」と言えばいいのか、医療現場の暗黒面を請け負うこの「黒い医者」の出番はますます増えていくのかもしれない。(←ものすごく怖いことを書いてしまったので注意を一言:キリコさんはフィクションであり、実際の個人、団体等とは一切関係ありません。)

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画像テスト

Bjbig2_2

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「フレーフレー」

昨日チラリと観たクイズ番組での問題。
「Q:次のうち、もとは英語なのはどれ?」(←正確な言い回しは忘れた)
 「フレーフレー」「ソイヤーソイヤー」「ワッショイ」「ヨイショ」(←たしかこの4つだったと思う)

あとの3つが英語だとは思えなかったので「フレーフレー」だと思ったら、やはりそれが正解だったのだが、ちょっと引っかかったので英語の辞書をひいてみた。
「hurrah」「hurray」…「int.万歳!フレー! n.万歳の声、歓声。 vi.万歳を唱える、歓声をあげる。 vt.歓声をあげて迎える(はやす)。」とある。
やっぱりそうだ。ふつう我々が「フレーフレー、赤組」と言うときにこの言葉に託す「頑張れ!」という意味は無いのだ。int.(間投詞)だとすれば「万歳、赤組」という意味になるし、名詞、動詞だとしてもやっぱりおかしなことになる。

応援の意味で使う「フレーフレー」、私はこれも日本語だと思う。つまり「奮え、奮え」だろうと思うのだ。さっきまでネットで調べていたが、やはり「奮え」が語源だろうとの説もあって、意を強くしたところである。

昨日のクイズ、確かに英語の単語にはあるのだが、設問としてはどうなんだろうな?

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『脳のシワ』(養老猛司著)読了。脳にまつわる話題を集めたエッセイ集。つくづく思う、この人は頭が良い。この人の文章は実に判りやすい。もちろん内容については難しくて理解できないところもあるが、文章自体は平易で判らないということはない。そして、難しい話を消化しきった言葉に噛み砕いて易しく語れる人こそ、本当に頭の良い人だと私は思う。(ちなみに、そういう視点から私が頭が良いと思っている人は竹中平蔵さんであるが、それはきょうの話題とは全然関係ない。)

全体としてとても面白い本で、感想を書き出すととめどがなくなるような気がするので、興味をひかれた一点にだけ触れることにする。

中に「土にかえる」という話があって、以前からの私の疑問を解いてくれていた。ちょっと前に、地表をコンクリートで固めることでいったいどれだけの命が失われているのだろうか、ということを書いたことがあるが、まさにその答が書かれていたのだ。

「1平方メートルの地面の下に、何個体の生物がいるか、ご存じだろうか。約1億だという。東京の地面の下の生物を、人間がどれだけ殺したか、だれか計算してくれないかと思う。」

今の日本の人口は1億3000万人弱だろう。ほんの1平方メートル強の地表を覆うだけで、日本の全人口に匹敵するほどの数の命を我々は奪っていたのだ。この事実を知ってどう思うかは各人それぞれだと思う。しかし私にとってはこれは記憶に残る数字だったことをメモしておく。

突然に話は変わるが、私は幼いころ土を食べたことがある。飢饉があって食べるものに困ったというわけではなく、おままごとをしているときに何かのはずみで口に入ってしまったのだ。そして今でも鮮明に覚えているが、それが美味しかったのである。白くてさらさらした土だった。それからしばらくして祖父の家に遊びに行ったとき、私はそこの庭の土を食べてみたが、今度は非常に不味かった。後々思い返してみると、その土は日当たりの悪い場所の湿ったような黒い土だった。幼い私は、土にも美味しいのと不味いのがあるというのを学習し、それ以来食べるのをやめたのだが、あれはどういう違いだったのだろう。土の中には、鉱物やら細菌やらバクテリアやら…あと何かわからないが、とにかくいろんなものが含まれているのだろうと思う。最初に食べた美味しい土には、もしかしたら、そのとき私の身体が欲していた何かの成分が含まれていたのかもしれない。亜鉛とかカルシウムとか…。だから美味しいと感じたのかもしれない。そして次に食べた不味い土には、私の身体に有毒な何かが含まれていたのかも。

常々思っているのだが、この地球上で生まれた生命体は、この地球上でまかなえるものだけで生命を維持できるようにできているのではないかと思う。また、何かの毒が存在すれば、それを中和する薬もまた同時に存在するのではないかと思う。自然に滅びる種があれば新しい種もまた生まれているはずだ。(現に、新しい病原体は次々とできている。)何もかも収支はトントンになるようにできているような気がする。土の中の鉱物やら細菌やらバクテリアやらも、地球全体の収支のバランスを取るために、なくてはならないものなのではなかったのだろうか。どうもそんな気がしてならないのだが…。

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吉祥天

出雲市にある山持(ざんもち)遺跡から、奈良~平安時代のものと思われる、墨で描かれた女性像の板絵が発掘された(4日発表)。このうち、頭の後ろに頭光(ずこう)と呼ばれる円形の光が描かれた女性は「吉祥天」ではないかとされている。

061005_223601 「天」が付くのはインド神話の神であるという例に漏れず、吉祥天はヴィシュヌの妻、ラクシュミーである。富と幸運と豊饒の女神とされており、蓮の花を持ち、手の平からは金貨がこぼれ落ちている。泡立つ海から生まれたとされ、そのあまりの美しさに神やアシュラが言い寄ったが、彼女は結局ヴィシュヌの妻となった。ヴィシュヌは、シヴァと並んで強大な力を持つヒンドゥー教の神である。ところが、吉祥天と漢訳されて日本に入ってきた彼女は毘沙門天(インド名:クベーラ、ヴァイシュラヴァナ)の妻とされている。不思議な話である。またこの毘沙門天というのが、多聞天とも、十二神将の筆頭・宮比羅大将(くびらたいしょう)とも、金毘羅(こんぴら)とも呼ばれるからややこしい。音訳意訳の違いがあるだけでみな同一人物である。

よく知られている吉祥天の像としては、京都・浄瑠璃寺の「吉祥天立像」が一番有名だろう。華やかな衣装、煌びやかな装飾で、一見仏像という感じがしない。秘仏だが、おりしも10月1日~11月30日には特別開扉されている。私も近くに住んでいたら行くのだが…。

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(備忘録061004)

アニメ『BJ』のDVD Vol.15を買ってきた。『オペと映画の奇跡』『人生の誤診』『ちぢむ!』の3本。「医者は何の為にあるんだ!」の絶叫に酔いしれております。

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敬語細分化

敬語が5分類になりそうだ。現在の敬語は「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3種類だが、これに新しく「美化語」を加え、「謙譲語」を2つに分けるのだそうだ。頭に「お」や「御」がついた表現が「美化語」ということになるのだそうだが、

「お導き」「お名前」などの「お」はこれまで通り尊敬語、「お手紙」の「お」も「先生からお手紙をいただく」なら尊敬語、「先生にお手紙を出す」なら謙譲語となる。

という解説があり、もう私には何がなんだかわからない。(自分が書く手紙に「お」をつけるのは間違いではないかと違うところに反応したり。私なら「先生に手紙を差し上げる」と書いて×になる可能性が大だ。謙譲語の「お」なんてあるんだなぁ。)しかし、敬語を細分化することは何かの役に立つのかしらん? 敬語の種類が増えようが減ろうが、実際に使う敬語が変わるわけではないのだが、例題を読んで敬語の種類を答えなさい、なんて問題を解かねばならない児童生徒諸君は大変だろう。

言葉は実際に使えなければ意味がない。敬語を日常的に使う場面はどんどん少なくなっているように思う。学校の先生に対してさえタメ口をきく子供達が、いったいどこで敬語を使うというのだ? 世代の違う人たちとの交流も少なく、ファミレスやコンビニで使われる変な敬語が当たり前だと思っている若い人たちには、実際、敬語など必要ないとさえ思える。社会に出てから多少の苦労はするだろうが。

敬語は、相手を敬う気持ちの発露である。あるいは最低限、相手に失礼のないように接するための話し方である。話し手にそういう気持ちがない限り、敬語が自然に出ることはない。そんな気持ちもないのに、取ってつけたような定型句の敬語はいっそ寒々しい。だから結局は、言葉の問題は心の問題なのだ。敬語が使えるか使えないかは、「敬う」という気持ちが理解できるかどうかなのだと思う。

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BJをめぐる女性たち

月曜は『BJ』語りの日なのだが、は~~~ん、某プロデューサーが書いていた『コ●ン』だらけの日というのは今日だったのか。いや別にいいんだけどねッ!!!

気を取り直して、きょうはBJに想いを寄せた女性達に対してBJが言った言葉を挙げてみる。ピノコは除く。例によって思いつくまま順不同。

・「残りのものはみんな焼いてしまいましたよ。思い出といっしょにね」「おしあわせに……奥さん」(『盗難』より)
ジェーン・ギッデオン伯爵夫人の秘められた慕情に気付いて言った言葉。焼いたのはBJへのラブレターの束。

・「その娘はもう死んだ。魅力的な子だった」(『スター誕生』より)
BJに恋愛感情を持つ女優の杉並井草に言った言葉。整形手術をする前の彼女の写真を指して。

・「くだらん……くだらないことだ!」「忘れなさい 私のことなんか」(『土砂降り』より)
BJが行ってしまうから自分も島を出ようと思う、と言った清水きよみに向かって。

・「…………」(『霧』より)
美江がいまわの際に「先生…先生…こんなに元気なのよ。ね…結婚してね……先生…好きなの…世界で一番…」と言ったときの反応。なんか言ってやれよーーー!

・「私は愛されるような人間じゃないよ」「医者は患者をなおすだけが商売だ……さようなら」(『かりそめの愛を』より)
真似事だったはずの結婚式を挙げた青鳥ミチルが本気になってしまったときに言った言葉。

・「あなたとは もう会わないほうがおたがいにいい」(『BJ入院す』より)
自動車事故で入院することになったBJ。以前からBJに好意を抱いていた女医さんに対して言った言葉。

・「たぶんね」(『てるてる坊主』より)
BJが窮地を救った竹中医院の未亡人が「もうお会いできませんの?」と言ったのに対して。

・「…………」(『きたるべきチャンス』より)
ノーベル医学賞を受賞した綿引博士の癌を取り除いたBJに、その妹十枝子が「もうお会いできないの?」と言ったのに対して。なぜ無言?

・「ごきげんよう。長生きしたまえ」(『復しゅうこそわが命』より)
爆発事故で重傷を負ったラブロの娘を、爆破犯人と間違えられながらも治すBJ。最後に真相を明かしたときに「あたし…先生と…別れるのいやです」と言われたのに対して。

・「ずいぶんもの好きだよ きみは」(『クマ』より)
中学校のころ、同級生のナッちゃんが「クロオさんと結婚してもいいわ」と言ったのに対して。

このように女性にはかなりモテているのだが、総じて態度は冷淡。基本的に医者と患者という関係は絶対に崩していないし、自分はロクな人間じゃないと卑下した態度を取っている。上記の例のうち、BJが少しでも好意を持っていたと思われるのは整形前の杉並井草と美江(何もなかったとは思うが一緒に寝てるし)。やっぱ若い子が好きなのか、あるいは「女性」という範疇に入っていなかったのか。

こうして見ていくと、やはり、如月めぐみとブラック・クイーンの二人はBJにとって別格の女性だったことが判る。

・「たしかに…ある時期 私は あなたが心に焼きついたことがありましたがね。それももう過ぎた話です」(『終電車』より)
「先生とごいっしょならいきます!!」「…あたしの気持ちをおわかりになりませんの?」と至近距離から迫るBQに対して言った言葉。しかしBJ、BQに迫られて汗だくになっているし、この言葉もBQから目を逸らしてあらぬ方を見ながら言っている。BQに諦めさせるというよりは、自分自身に言い聞かせているといった雰囲気もある。このときBQは夫(ロクロー)について中近東へ行くふんぎりがつかないでいるという状況なのだが、彼女が人妻でなかったら、もしかするともしかしていたかも…。

そして、大本命如月めぐみ。『めぐり会い』の名シーンより。

・「めぐみさん きみが好きだ。心から愛している!」
ここで、少年マンガ史上最高に美しいといわれるキスシーン。
「この瞬間は永遠なんだ」

たしかこのお話を読んだのは私が中学3年のときだったと思うが、この号だけは立ち読みだけで終わらず買った覚えがある(笑)。もうドッキドキだった。悲恋に終わるのがまたなんとも切なくて。今ならば女性としていろいろ思うところもあるお話なのだが、それについてはあまり深く考えたくない。ただこの美しい恋人同士をうっとりと見つめていられたらそれでいい。
ちなみにこれが原作に描かれたBJ先生の唯一のキスシーンである。あとは、ピノコからの吸い付きチュウと、『コレラさわぎ』の安東医師との間接キスと、男何人かと…(←それ人工呼吸だから!)。

心の中にはいつまでも如月先生がいて、現実の生活ではピノコと寄り添って生きているBJには、本気の恋愛はもうできないのではないのかな。

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神在月

早いもので今日から10月神無月。ここ出雲地方だけは「神在月、神有月(かみありづき)」となる。これは旧暦の10月に全国の神々が出雲大社へ集結して会議を行うからなのだが、その邪魔になってはいけないと地元では歌舞音曲を控える風習がある。神とは畏れ忌むべき対象なのであって、迎える方も何かと大変なのである。ちなみに、出雲大社の紋は「二重亀甲に剣花菱」(一説には出雲国造家の家紋ともいう)と「二重亀甲に有の字」が使われる。「有」の字は「十」と「月」からできていて、「十月」に神々が集るからだとか。ただし、何故10月に神々が出雲に集結するのかは諸説あって定まらない。これを調べたら面白いだろうと常々思ってはいるのだが…。

では、神無月には出雲以外に神様はいないのかというとそうではない。ちゃんと留守番をする神(恵比寿さんであることが多いらしい)がいたり、土地神がやってきて留守を守ったりする。あるいは、近隣の神様がローテーションを組んで、「わたし去年行きましたから、今年はあなたどうぞ」みたいなこともあると聞いたことがある。

さて、神様たちは「龍蛇(りゅうじゃ)さま」と呼ばれる海蛇に先導されて海からやってこられる。(陸路来られた神様もいったん日本海に出られるのだろうか?)出雲大社にほど近い稲佐の浜というところへ到着されるので、それを神官たちや地元民はひたすら静かに畏まってお迎えする。出雲大社にはちゃんと神々のための宿舎も用意されていて(東十九社、西十九社)、会議の期間中はそこにお泊りである。

会議は出雲大社から佐太神社へと場所を移して行われ、会議が終わると万九千神社で解散となる。(来るときは船で、帰るときは飛行機?)スケジュールをまとめると次のようになる。

旧暦10月10日夜 「稲佐の浜」現地集合 ガイド:龍蛇さま
             神在祭(かみありさい)の後 指定宿舎「十九社」へ
~10月17日   「出雲大社」にて会議
10月17日    神等去出祭(からさでさい)の後「佐太神社」へ移動
~10月26日   「佐太神社」にて会議
10月26日    「万九千神社」へ移動後、解散

連日会議会議でご苦労様なことである。いったい何を話し合っているのかというと、一番の議題は「縁結び」であると言われている。遠隔地に住んでいた男女がひょんなことから結婚したりするのは、その土地から来た神様同士で話がついたということなのだろう。(あとは、目に見えないいろいろな事柄を決めるのだとされている。これは「国譲り神話」で語られるイズモとヤマトの間の約束が元になっていると言われているが、『日本書紀』にしか記述がないことから、このあたりのことも調べれば面白い結果が出るのではないかと思う。)

出雲地方に住んでいると、「龍蛇さん」とか「カラサデさん」とか「お忌みさん」とか、神事にまつわる言葉がヒョイと耳に入ってくることも多い。出雲大社の神官を務める出雲国造家(コクソウと発音する)なんて、歴史の教科書に出てくる「くにのみやつこ」の末裔だ。律令国家以前の時代からの形態が厳然と存在し続けて、何の違和感もない。つくづく、出雲という土地はスゴイ所だと思う。

死神キリコさんも来るのかな? しかしキリコさんが神奈川県あたりのどっかの神社に祀られているなんて、……(自分で書いてキリコさんが鎮座ましましている様子を想像したら可笑しくなって以下の文章書くことあたはず…)

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