« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月

静かな大晦日です

うららかな陽気の大晦日でした。

今年の『紅白』で一番観たかったTOKIOの「宙船」も終わりました。この曲は今年のワタクシ的No.1の曲です。歌詞がカッコいいな~と思っていたのですが、中島みゆきの作詞作曲だということを今日初めて知りました。そう思って聴くと、もうそれ以外には聴こえない、まさに「みゆき節」でありました(笑)。DJ.OZMA の出番はどうなることかと思っていましたが……、そういうことだったんですね! もう小林幸子の衣装の話題ではもたないから、新手の戦略に出ましたねNHK(笑)。しかしバックダンサーは本当にトップレスなのかと思って、一瞬びっくりしました。まさかNHKがそんなことやるはずないと思ってよく見たら、ボディースーツでした。二重の仕掛けがあって面白かったのですが、なんか視聴者からの問い合わせもあったようで…。子供も観る番組だから、後々問題になりそうな気もします。

「壊れかけのRADIO」も懐かしく聴きました。当時から、壊れかけのラジオというのは壊れているのかいないのか、どっちなんだろうと思っていた曲です。どーでもいいですね、はい。そこまで聴いてお風呂に入りました。年越し蕎麦も夕飯時に食べてしまったので、あとは寝るだけです。

今年もネット上で多くの方とお知り合いになれました。とても楽しかったです。拙ブログにコメントを下さった方たち、覗いてくださっている方たちには、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。来年もまたどうかよろしくお願い申し上げます。

除夜の鐘が聴こえてきました。

では皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

Hussein Executed

今年最後のビッグニュースは、イラクのサダム・フセイン元大統領の処刑、ということになりそうだ。罪状はイラク中部ドゥジャイルのイスラム教シーア派住民148人を殺害した「人道に対する罪」。裁判で死刑が確定してからわずか4日後の出来事だった。この裁判自体の正当性に対する疑義も取り沙汰されている中でのあまりにも早い死刑執行。これでまたスンニ派の報復テロが過激さを増すのではないかと思われる。それにしても、結局見つからなかった大量破壊兵器を持っているとしてイラクに戦争を仕掛け、イラクの一般市民の命を大量に奪ったブッシュ大統領は断罪されなくてもよいのだろうか? 戦争では何事も解決しない、というのが私の持論である。

ところで先日「憲法9条」を巡る論争をテレビで観たが、そのときに硫黄島での戦いを生き延びた方がゲストで出ておられた。その人は、国を、家族を守るために日本も軍備を整えるべきだと主張しておられた。自分はそのときに亡くなった多くの戦友のためにこの場に出てきたのだ、とも涙ながらに語っておられた。地獄のようだった戦場の有様を知らない私には、その方の思いや意見を否定することなどできないし尊重すべきだ、とは思う。しかしそれでもやはり私の意見は変わらない。戦争への道を開いてはならない、と思う。

こういう問題を考えるとき、私はいつも「国」とは何だ、という問題に突き当たる。お国のため、国を守る…。わからない。以前にも書いたことがあるが、もしも戦争が始まって日本も巻き込まれて、まあ勝ったとする。しかしその戦争で自分の家族や知人友人が命を落としたとしたら、日本が勝ったことなどちっとも喜べないと思う。私にとっての「国」なんて、夫の命ひとつよりも軽い存在だ。夫にそう言ったら、「男と女の違いかもしれない」と言った。そうなのかもしれない。守るべきものがあれば命を懸けて戦ってでも守るというのが男という生き物なのかもしれない。

だから、戦争というのは男のやり方なのだとつくづく思う。フセインも最期は観念して静かに刑に処されたと聞く。負けたのだから仕方がない、というところなのかもしれない。きっと彼の死はひとつの時代の終焉であり、新たな事態への幕開けでもあるのだろう。来たる新年が平和な年になりますように。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

(備忘録061229)

きょうは、買い物以外の外廻りの用事……病院2つ、墓参り、散髪に行き、それだけで1日が終わった。_| ̄|○ どうなる、大掃除?

玄関に掛けるしめ縄だけは買ってきたのだが、なんと夫も同じものを買ってきてしまった。いつも買ったことなんかないくせに、どーして…? 2つあってもしょうがないので、親しくしているご近所さんに差し上げた。ここら辺では「九飾りはいけない」とか言って、9のつく日には飾ってはいけないとされているので、実際に飾るのは明日か明後日になる。28日までで仕事が終わって以降無人になるような事務所などには、既に飾られているのを今日何軒も目にした。雪も降って、いよいよ年末も押し詰まってきた観がある。明日は大掃除、頑張ります!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(備忘録061228)

外はうっすら雪化粧しています。

今年も残すところあと3日。やることは、大掃除、障子の張り替え、散髪(せめてカットと言え)、墓参り、お正月用品の買い物、おせち料理の準備です。どう考えても2~3日、日にちが足りません。明日、廻れるだけ外を廻ってしまおう。でも、雪だよなぁ…。

というわけで、気ばかり焦りながら、きょうはわが家のテレビを地上デジタルに替えたりなどしてみました。優先順位が完全に間違っています。いや~、綺麗だわ~!!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『紅の紋章』

最近何度か、お昼のドラマ『紅の紋章』を観る機会があった。きょうは最終回で、ヒロイン純子は失明したけれど、愛する人と一緒になるというハッピーエンドだった。中盤まではまったく観ていなかったので、こんがらがった人物関係を理解するのが大変だった。終盤に至っては、女性と見ると「愛人になれ」と迫る親爺が出てきたり、なんとかという元侯爵が出てきて全てを一気に解決してしまったりと、そのめまぐるしい展開についていくのが大変だった(笑)。最初からその元侯爵が出て来りゃよかったじゃん、と思うが、水戸のご隠居さんが8時45分までは印籠を温存するが如く、最初から出たのではドラマにならないのだろう。

そんな愛憎渦巻く環境の中で、ヒロインはあくまで清く正しく美しく、愛する人たちを守るためなら自分はどうなってもかまわない、というスゴイ人だった。だから良かれと思って、こっちにはこういう嘘を吐き、あっちにはああいう嘘を吐き(それがなかなかバレないところがドラマだ)、次第に自分が追い詰められていく。試練に次ぐ試練。それを視聴者は、「かわいそうに。でもいつかは一発逆転できるわよね」と、カタルシスを夢見ながら観ているわけだ。それはそれで楽しいわけで、こういうドラマの王道だと思うのだが、どうも私のような俗物は、誰か(この場合はヒロイン純子)の犠牲の上に成り立っている幸せというものに欺瞞を感じてしまう。純子自身は自己満足できるだろう。しかしもしも私が純子の愛する道也だったとしたら、いつか真実を知ったときには立ち直れないだろうと思う。純子の愛に感動するよりは、何故本当のことを言ってくれなかったのかとやり切れない思いになると思う。まあ、ちゃんと最終回には全てがオープンになって丸く納まったのだけれど。

いやそれにしても、何かと言うと「医師免許を取り上げるぞ」と道也を脅す医学界のドン(これは「愛人になれ」の親爺と同一人物)の悪役ぶりが一番印象深かった……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

割っちゃいました…

手が滑って自分のご飯茶碗を割ってしまった。ここ何年と食器を割ったことなんかなかったのに。お気に入りの柄だったのに。でもまあしょうがない。今までありがとう、とお礼を言って新聞紙にくるんで捨てた。

で、思った。「自分の」茶碗だったんだよなと。間違っても夫がそれを使うことはない、私だけの食器だった。食器とか、お箸とか、各人が固有のものを使うのは何故だろう? いや、スプーンとかナイフ、フォークは、誰が使うかなんて決まっていない。前回夫が使ったものを、今回は私が使っているかもしれない。お皿やお椀も決まっていない。だから、誰のものか決まっているのは、湯飲み茶碗とご飯茶碗とお箸だけだ。何故だろう?

お箸を使う他の国ではどうなっているのかと思うが、これはたぶん日本だけの文化なのではないかと思う。中国に行ったときも聞いたことがなかった。日本には割り箸というものまである。大皿から取り分けるときには必ず取り箸を使う。他人が口をつけたものを再び使うこと、あるいは唾がつくことを嫌う民族なのかもしれない。子どもの頃に「箱膳」というものを見たことがある。各人が使う食器が納められていて、蓋を裏返して上に乗せると一人用の食卓にもなる。調べてみると昭和の初め頃までは使われていたらしい。だから、この頃まではお皿やお椀も各個人用に決まっていたのだろう。その後、洋食というものが入ってきて、それと同時に洋食器も一般に普及したのだろうと思う。洋食の場合、テーブル全体の統一感を大事にするから、皆が同じデザインのお皿やカップ、カトラリーを使うわけだ。誰が使ったかわからない食器を使うことは、当時の日本人にとってはかなりのカルチャーショックだったのではないかと想像したりする。

しかし、なぜ日本人だけがそうだったのだろう? そのあたりのことが、わからない。

話が飛ぶが、たいていの人は他人が使った歯ブラシは使えないだろう。どんなに洗浄殺菌してあったとしても嫌だろう。もしかして、こういうのも日本人だけの感覚なのかな?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

クリスマスのエピソード

久しぶりに『BJ』語りをしようかと思うわけですが、BJ邸ではピノコがどんなクリスマスプレゼントを強請ったのか気になるところです。BJ先生としては、馮二斉のところから無断でもらってきた瓢箪で自ら作った瓢箪人形か何かでお茶を濁そうと思っていたのに、ピノコが書いた「サンタさんへ オール電化キッチンが欲しいのよさ」という手紙を見つけて愕然としているような気がします。

「Romantic BJ」の続きを書こうかとも思ったのですが、クリスマスではあるし、原作にクリスマスのネタはなかったかと考えてみたところ、「ブラック・クイーン」でBQに逢いに行ったのが12月23日でした。BQに手紙とプレゼントを渡して、イブには二人で×××……と考えていたに違いない(断言)のですが、BJの願いは叶いませんでした。他にはクリスマスに関したものはなかったように思います。強いて言えば発行年月日から「雪の夜ばなし」くらいかな? ところが、あったんですな、『ミッドナイト』の中に! というわけで、きょうは『ミッドナイト』に出てくるBJについて書いてみたいと思います。

私は連載当時の『ミッドナイト』をほとんど読んでいない。ちらりと見たことがある程度で、それもBJが出ていないお話だった(このシリーズにBJが出ていることすら知らなかった)。今でも単行本も持っていないし、手元にあるのは『AKITA TOP COMICS ミッドナイト ブラック・ジャック編』のみである。しかし、『ミッドナイト』の最終話を読むと、『ミッドナイト』自体が『BJ』の番外編と言ってもよいくらい、BJが大きな役割を果たしていることがわかる。『ミッドナイト』の幕を下ろしたのは間違いなくBJである。この作品を初めて読んだとき、こんな大風呂敷を広げて収拾がつけられるのはBJだけだという感想を持ったが、その感想は今も変わっていない。

その中にクリスマスの夜のお話がある。主人公のタクシードライバー、ミッドナイトこと三戸真也には、植物状態になった恋人がいる。クリスマスの夜、ミッドナイトはケーキを買って見舞いに行こうとする。もちろん彼女は食べられないが、気持ちだけでも……。ところが病院に向かう途中、彼は道端に寝ていた浮浪者につまづいてケーキをダメにしてしまう。調子の良い浮浪者の言葉に乗って、ケーキをその浮浪者に食べさせてやるミッドナイト。浮浪者は感謝して、自分の身体をあんたにやると言い残して突然死する。びっくりして慌てて逃げ出すミッドナイト。とりあえず恋人の見舞いに行くと、彼女は死んだ、遺体はBJのところにあると告げられる。BJ邸に急行し悲嘆にくれるミッドナイトにBJが言う。「今すぐかわりの心臓を持ってこい」。ミッドナイトは先ほどの浮浪者のことを思い出し、彼の遺体をBJ邸に運び込む。が……、浮浪者の死因が狭心症とわかったBJは「この心臓は使えん!」。今度こそ打つ手がなくなり「おれは彼女を助けることだけが生きがいだった。おれはこれからなんの目的で生きるんだ!!」と叫ぶミッドナイト。ところが、ここで奇跡が起こる。停まっていた彼女の心臓が動き出したのである。「世の中に奇跡ってものがあるとすれば……だが、急に気温が下がって その温度差で心臓が刺激をうけたかな…」とBJ。「治療もしないでひとりでに助かる患者なんか用はねえ。さっさとその娘と三太とをひきとって出ていけッ」。オーバーの縫い取りによれば、浮浪者の名前は「サンタ」だったのである。BJ邸の外は雪。

結局BJは何もしなかったのだが、クリスマスの夜の奇跡ということでめでたしめでたし。ところで、『ミッドナイト』に現れるBJは、『BJ』本編よりも言動がクールでヤサグレている。本編ではだんだんイイ人になっていかざるを得なかったBJだが、その元々持っていたヒールな面が拝めるのは嬉しい。「ドタバタすんな ホコリが立たァ」なんて伝法な口をきく先生は本編には出てこない。最終話では、脳死と心臓死をめぐってのBJの決断も見られる。これ、とても重くて難しい話なので、またの機会があれば……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分へのクリスマス・プレゼント

イブなので、自分自身へのプレゼント、『BJ21』のDVD-BOXを買ってきた。うほほ~い♪ 放映当時ほとんど全部録画したのだが、やっぱりそこはそれ別物であって一応公式のものを持っていなくちゃ、という言い訳をする自分がいじらしい。

で、ビニール袋からBOXを取り出す。取り出す前から思っていたが、この絵柄から受けるチープな印象は何だろう(笑)? 色合いかな? 裏側を見て更にその感が強まる。女性陣総出演だが、なんか30年ほど前のオールスターキャストの無国籍アクション青春映画のポスターみたいだ(なんだそれは…)。ま、いい。早速開けようとして、開け方がわからない(汗)。あっちを押しこっちを引っ張りしているうちに、開いた。マグネットか! 和綴じ本をまとめて入れる帙(ちつ)のような構造になっている。お。中の装丁はなかなか渋くてカッコいい。『21』においてBJとピノコが旅した地点を示す世界地図と、コート掛けに掛かったBJの帽子とマントの絵だ。表もこの路線で描いてほしかったな。

で、まず『Black Jack 21 DVD BOX Complete file』と題された小冊子を取り出して読む。スタッフやキャストのインタビューが読みたかったのだ。手塚眞監督、諏訪道彦チーフプロデューサー、桑原智チーフディレクター、音楽の松本晃彦氏、そして、BJの大塚明夫さんとピノコの水谷優子さんが、制作の様子や裏話を語っている。それらを読むと、放映当時はいろいろ文句も書いたけれど、21世紀のブラック・ジャックを作るのだという熱い想いを実現させて我々に見せてくださった方々の努力と奮闘振りに、やはり素直に頭が下がる。改めて「ありがとう」と言いたい。そして、多くの方が、またすぐに何らかの形で再開できるのではないかな?ということを言っておられるのが嬉しい。期待が膨らむ。

『21』でBJが被っていた帽子は、手塚監督の発案だったようだ。制作サイドからは「BJに帽子は被せられない」と反発の声が挙がって、なかなか描いてもらえなかったとか。そりゃあ、あの髪型で帽子は無理だろうと素人でも思う。ネット上でも多くのBJサイトで物議を醸したものだ。しかし監督としては、あれは何か新しいことをやるための手段だったようだ。原作のBJが持っている要素(マントとか)を取り去ってしまえば、それはBJではなくなる。ならば何かを加えよう、という発想の結果が帽子だったようだ。現場も最初は非常に苦労したらしいが、1~2週すると慣れてきたとか。

大塚さんのインタビューの部分はBJ先生の声を当てはめながら読んだ。OVA、映画とBJの声を当ててきた大塚さんにとっても、アニメは毎回が試行錯誤だったと語っておられる。『BJ』アニメを観ていた人たちが、更に手塚治虫の作品全体に興味を持ってくれたらいいとも言っておられる。手塚治虫のエッセイ『ガラスの地球を救え』についても言及されていて、『BJ』も『アトム』も『アドルフ』も、伝えたいこと、究極のところはみな『ガラスの地球を救え』と同じであって、「先生の作品に携わってる以上、そのメッセージは引き継いで、そのつもりで演じないと」と言っておられるところに感銘を受けた。声を当てた役者さんがそれだけ深い理解をして、魂を込めて命を吹き込んだBJ像は、今の子ども達にもきっと忘れられないものになっていたのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あしたはイブですよ

予定は未定にして決定にあらず。今夜は年賀状のプリントアウトを終わらせる予定だったのに、夫がインクを買って来なかったため、何の進展もなし。お歳暮に頂いた島根和牛のステーキとワインで、一足早いクリスマス。ちと酔っ払っております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

年賀状

わが家の年賀状に着手しました! 図案がなんとかできたので、明日インクを買ってきてもらって夜には印刷の予定。あくまでも、「予定」。その後、手書きで宛名書き。ふむ、間に合いそうだな。ということで、この時期には必ず思い出すエッセイ「年賀状デッドライン」を読む。結果はわかっているのに、毎年笑う。(←リンクはしませんが、大笑いすること必定の名作ですので、興味のある方は検索してみてください。)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

Et alors?

政府税制調査会の本間正明会長が公務員官舎に「不適切な」入居をしていたとして、その職を辞することになった。(いやそれにしても「不適切」とか「不具合」とかは、実に便利な日本語だと思うことしきり。)どこが「不適切」だったのか? 入居の際の書類には、同居人の欄は空白だったとか妻の名前が書かれていたとか言われている。そこにはっきり愛人の名前を書けば「適切」だったのだろうか。

いや、わかっている。「不適切な」入居をしていたのが問題なのではなくて、政府税制調査会の会長たる者が愛人を持っていたことが「不適切」なのであって、皆は彼のそういう人格的な側面を責めているのだ。本間という人物が税制においてどれだけの力を発揮できる人物だったのかは、ほとんどの国民が知らないし、もちろん私も知らない。着任早々何の仕事もしないうちにそんな迂闊なことをした本人が一番バカだとは思うが、政界というところはそういうスキャンダルを鵜の目鷹の目で探している世界なのだということがよーくわかった一件だった。

6ヶ国協議をなんとか進展させなくてはならないというようなときに、やれ造反議員の復党問題だの不適切な入居問題だの、実にくだらないことで安倍政権はガタガタだ。フランスなら「エ・アロール」の一言で終わったかもしれないのにね。いや、終わらしてはいけないのかもしれないが、問題自体があまりにお粗末で情けなさすぎる……。

★「エ・アロールとは、かつてフランスのミッテラン大統領が、新聞記者の質問を受けたときに答えた言葉です。当時、大統領には妻以外の女性との間に子供がいて、そのことを知った記者たちが、その真偽について訪ねました。それに対して大統領は、『エ・アロール(et alors)、それがどうしたの?』と一言つぶやいただけで、記者たちはそれ以上、追求はしませんでした。」(渡辺淳一著「エ・アロールそれがどうしたの」角川書店版より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(備忘録061220)

ま、また寝てしまっていた……。年賀状の図案を考えようと思っていたのに。夜中に目が覚めたのでメモ書き。日付は操作して前日に。

母の介護認定の聞き取り調査あり。郵便局、銀行で各種振込み終了。きょうは父の体調も良さそうだった。

『BJ21』BOXを買いに行くも店頭に無く、注文して帰る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

兄と

皮肉なもので、親が病気だと普段は滅多に会わない兄と毎日のように会う。こんなにしょっちゅう会うのは、私が大学生の頃に兄が結婚して住まいを別にして以来のことではなかろうか(笑)。

兄の車に乗り込むといつも音楽がかかっていて、それが当時と変わっていないことが可笑しい。松任谷由実、中島みゆき、サザン、チューリップ…。レコードからCDに媒体は違っても曲は変わらない。当時から聴きなれた曲を口ずさみながら、一緒に病院に向かう。

道々、いろんな話をする。「戒名というのは今までどおりにしなくちゃいけないものか」と兄が言う。(注:まだそんな切羽詰った状態ではありませんのでご心配には及びません。笑)二人きりの兄妹だから、この際一応相談しておこうというような気持ちなのだと思う。代々「院居士」がついているが、こんなことに無駄なお金は使いたくないし、「信士」じゃダメだろうか、という意味だ。聞くところによると、何十万円も違うものらしい。まあ、本人が元気になってからどうなりたいか聞いてみるのが一番だろうね、と答える。しかし、これから何代か先の子孫が過去帳を開いたとき、私の父の代から変わっているということになると、その息子(つまり私の兄)の代に何かがあったと思われるかもね、と言ったら、「そうなるか」と笑っていた。結局生きている者の都合で代々変えることができないのかもしれない、ということで話が落ち着いた。

061219_231001

061219_230901 大昔……。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

きょうもバタバタ

夕方になってから出掛けて、帰ってからテレビを点けたら『のだめ』が「今日の料理」を弾いているところだった。なぜ??? どうしてこんなことになっているの? というか、2次予選のドビュッシーはちゃんと弾けたの? うぅ~~。『水戸黄門』も見られなかったし、やっと洗濯が終わったと思ったらこんな時間だ。すみません。きょうの記事もお休みです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『BJ2D』記念日

忘れもしない、去年の今日でした、映画『BJ2D』の封切り。朝っぱらから吹雪の中を、橋から吹き飛ばされそうになりながら映画館まで歩いて行ったのでした。あれからもう1年も経ったのか…。あのドキドキする胸の高鳴りは今でも忘れていません。ということで、きょうは『BJ2D』語りをしようかと思ったのですが、どうにも眠くて目を開けていられません。それに、語れるほどには全編を通して観てもいないのですDVD。どうもお気に入りのシーンばっかり繰り返し観ているようで。
というわけで、語れません(笑)。

40000top_1 代わりに、と言ってはあまりに恐れ多い。トーレスさんのところから頂いてきた40000ヒット記念「立ち去る男と見送る男」の素敵イラストを、恭しく飾らせていただきます。いつもありがとうございます、トーレスさん。『BJ21』シリーズの中の「黒い医者の宿命」の回から湧き出たイメージを描かれたものと承っております。多くの人の死をその肩に担って黙して去って行くドクター・キリコと、それを哀しく見送るBJです。めっちゃカッコいいだけではない、深いドラマを感じさせる傑作です。「あほ」が定着した観のあるキリコ先生ですが、これが、これこそが本来の姿、原点なのですよね。その後ろ姿には十字架が見える気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サディスティック・ミカ・バンド

HDDの中が録画でいっぱいになった。録画してあるという状態に安心し、いつでも観られると思ってしまう。実際少しずつ観てはいるのだが、結局完全に観終わるということがない。無限級数か、永遠に亀に追いつけないアキレスか。

きょう観た録画は音楽番組。「サディスティック・ミカ・バンド」が、木村カエラをヴォーカルに迎えて再結成されたということだった。加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏という錚々たるメンバーは健在だった。「タイムマシンにおねがい」を演奏していたが、いや懐かしかった。私が中学生の頃のヒットナンバーだ。「Big-Bang,Bang!(愛的相対性理論)」というのは新曲なのかな? なかなかノリが良い。「タイムマシン…」もそうだが、歌詞が全共闘時代の大学生が言いそうなフレーズ満載で(どんなんだ?笑)、楽しい。なかなかの見っけものだった。

このバンドと同時代かちょっと後になるのかな、「カルメン・マキ&Oz」というグループがあって、これを聴いたときには文字通りぶっとんだ。なかば投げやりな感じで「ときには~母のない子のよう~に~」と歌っていたのと同一人物とは思えない金属音のような歌声に、日本にもこんなヴォーカリストがいるんだ!と驚いたものだ。また、これよりちょっと前になるのか、「はっぴいえんど」という、これまた完成度の高いバンドもあった。当時の日本のロックシーンは、形だけ真似た今のロックよりずっと面白かったのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『雨鶏』

軽い感じの短編集を1冊、いつもバッグの中に忍ばせておいて、バスに揺られている間や点滴の合間などに読む。きょうは『雨鶏』(芦原すなお著)。本当は読みかけの京極本を読みたいのだが、のめり込みすぎてもいけないので(それに重いし)、軽く読めてほんわかした気分になれる本をチョイスした。以前に一度読んだものだが、どうもその時に感想を書いていないようなので、きょう改めて書いてみる。

帯に「『青春デンデケデケデケ』の世界ふたたび!」とある。『青春…』は高校生が主人公だったが、『雨鶏』は大学生・山越只明が主人公である。歳がいっているせいか、『青春…』のような明るいけれど切ない雰囲気はあまり無い。大学の講義には自主休講を決め込み、親からの仕送りはすぐに使い果たし、何をするでもなく友人達と喋り、あり余る時間をノンシャランに生きている。

標題の「雨鶏」は、切ない恋(片思いとも言える)をしていた友人が恋に破れ、雨の中を、彼が通っている畜産大学で〆た鶏をビニール袋に入れて持ってきたというお話である。そのまんま、雨と鶏である(笑)。なんちゅう無粋なタイトルかと思うが、これがもう、これ以外のタイトルは持って来ようがないというほどピッタリな、とにかく切なくなるお話なのである。これには、私自身の失恋の思い出も関係している。それを話すと長くなるが、ちょっとだけ話すと、まぁ、彼と別れることになって、それでも思い切れずに、彼のアパートまで行ったことがあって。最初から会うつもりもなくて、部屋に灯りがついているのを見て帰ろうと思っていたのだけれど、途中から雨が降ってきて、でも引き返すこともできなくて、街灯もない舗装もしてないぬかるんだ道をとぼとぼ歩いて行ったら、部屋には灯りがついてなくて、何をどうしようもなくてしばらく外から眺めていたのだけれど、雨はだんだん強くなるし傘は無いしで、もうこの世が終わればいいと思いながら引き返したのだが、明るいところまで出て自分の足元を見たら、ふくらはぎのあたりまでドロドロになっていた。いまどき田舎の子どもでもこんなドロだらけになることはあるまいと思って、思わず笑った。そういう経験があるので、この「雨鶏」における彼の行動および心理には、あまりに哀しく同感できるのである。なんでこういうときって、傍から見ると間抜けなことになっちゃうんだろうね(笑)?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

眠いです…

最近、夜の10時とか11時頃に爆睡するクセがついてしまって、良くありません。今日も、「ロンドン近郊で起こっている売春婦連続殺人事件発生第2の切り裂きジャックか?」についてとか、「三菱ふそうのタイヤ脱落死傷事故で無罪判決はないだろオバサンは怒っているぞ」的心情とか、「タウンミーティングやらせ問題はアベちゃんがお金を払えばそれで終わりか良いのかそれで」関係とか、「自動車事故や違反を犯しやすいのは○○座生まれの人、なんてこと書かれたらその星座の人は気分悪いだろうな」あたりの記事を書きたかったのに、頭が働いてくれません。当分こんな状態が続きそうですが、存在証明のために毎日ちょっとずつは何かを書きたいと思っています。
さて、討ち入りの刻限も迫ってきたようで…。おのおの方、いざ参らん。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

(備忘録061213)

ベッドが空いたので今日から父が入院。1~2ヶ月の予定。

水道管工事終了。

ばたんきゅう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Knock Out Voice

前から聴きたかった『黒田崇矢&大塚明夫 Knock Out Voice』を聴いてみた。渋いわ~この二人! 渋いというか、ドス効いてるわ~(笑)。一人一人聴けば甘い声なのだろうが二人揃うとめっちゃ男臭い。好きな映画も二人揃って『ゴッドファーザー』だとか。『小さな恋のメロディー』とかが好きだったら笑うけどなー。しかもそんな低くて渋い声で礼儀礼節を説いているのが怖いというかなんというか……、もうハイすみませんと言うしかない。

『BJ21』においてはこの二人は玄武とBJの役だったが、そのときとは声が違う(特に大塚さんは違う)。このラジオの方が素の声なのだろう。黒田さんはまだ30代なのかな? 男盛りでブイブイ言わせてる感じ。大塚さんのほうがちょっと年上のサバけたおぢさんという感じで、年下の黒田さんを自分より前面に出してやろうというような心遣いも感じられる。まぁ私と同学年だから話の内容の感覚も似ていて共感を覚えるところも多かった。着る物に気を遣わないとか、ホワイトのお湯割りが好きという庶民的な好みにも好感度大幅UP。(余談:BJ先生は角瓶を飲んでいたようだが、これもまた庶民的と言えるかも。オールドだともうちょっと年配のイメージだし、リザーブやロイヤルあたりになると嫌味だろう。億万長者のくせに生活ぶりがいたって質素なところがよい。)

いくつかのコーナーやラジオドラマなどもあって、男のお喋りが楽しい1時間だった。隔週金曜日更新とのこと。

ところで、男性って、気の置けない仲間同士のときには何を話しているのだろう。女性の場合はもちろん天下国家について論じているわけだが(をーい)、男の人も一緒かな。なにしろ私がその場にいれば、これでも一応生物学上は女だから「男性同士」という条件を満たさなくなるわけで、それを知ろうと思えば密かに盗聴マイクを仕掛けるくらいしか方法がない。や、もちろんそんなアホらしいことしませんけど! いつだったか読んだ本の中で「女は3人寄ると姦しいが、男は3人寄ると4人目を探しに行く」と書かれていた。麻雀のためである。これはまぁジョークだが、少なくとも仲間でお喋りを楽しむという雰囲気ではないようだ。夫を見ていても、趣味の釣りの話ができる相手なら情報交換で話がはずんでいるようだが、それ以外では「景気はどう?」なんていう感じだ。まぁ、ね、一般的に、あんまりベラベラ喋る男性ってのは軽い感じがするものだけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Romantic BJ

紹介状を持って行った最初の病院では専門の医師がいないからと断られ、2つ目の病院ではベッドの空きが無く、今日の入院は不可。検査と点滴をして、ベッドが空くまで数日間は自宅で点滴をすることになった。あ、父の件です。一日中引っ張りまわされて、クタクタ。

こんなときはBJ先生に慰めてもらおう!というわけで、ちょっとだけ『BJ』語りを…。

Romantic BJ

表面上は色恋沙汰に縁がなく、惚れられることも多いくせに概して女性には無関心(つーか鈍感)なBJだが、関わった恋人達に対しては非常に優しい。きょうは、そういう事例を探してみる。例によって思いつくものから順不同。

・「ゴーストタウンの流れ者」
 西部劇を思わせる情景の中で描かれる大人の恋の物語。立ち寄ったゴーストタウンでBJは怪我を負った脱獄囚トムを見つけ、壊疽を起こしていた腕を切り落として命を救う。報酬に馬をもらい街を立ち去ったBJは、トムの昔の恋人アンに切り取った腕を渡し、そして彼女を連れて再びゴーストタウンに帰ってくる。むかし殺人を犯したことで結婚できなかったトムとアンは15年ぶりの再会を喜び合う。アンは既に結婚して子どももいる。これから二人が結ばれることは決してないが、アンに逢えたトムは「これでサッパリしたよ」と言っておとなしく警察に捕まるのである。
 トムを演ずるのはランプ氏。友引警部とはまた違った味わいの渋い役柄が良い。
 本来ならばBJの役割はアンに腕を渡すところまで。それをわざわざ二人を逢わせるところまでやっている。「どうだ 薬はきいたか?」とトムに尋ねるBJがまたカッコいいのである!

・「海は恋のかおり」
 BJの昔の恋人で今は船医をしている如月先生からの紹介状を持って、船員の少年が刺青を取ってくれとやってくる。移植できる皮膚が見つかるまで手術はできないのだが、少年はBJ邸の前にテントを張って長期戦の構えである。しかもどうして刺青を消したいのか、その理由を明かそうとしない。BJは少年が働いている船まで皮膚の提供者を募りに行くが、船員達の話から、少年が如月先生のことを好きになり結婚したいから綺麗な身体になりたがっているのだということを知る。動揺を胸に、少年を問い詰めるBJ。(←ここらへん、ライバル心むき出しの3ページ。)「イキがったりイレズミをおとすくらいで結婚できると思うのか」「どうどうと男らしい仕事をやってのけることが一人前のおとななんだ!」「よーく考えて一人前の男になってみろ!結婚はそれからだっ」。少年は姿を消す。
 しばらくして横浜港に停泊中のタンカーが火災を起こす。BJはテレビのニュースであの少年がめざましい働きをして負傷したことを知り、駆けつける。病院の医師は、全身火傷でもう助からないと話す。それでもBJは別の遺体から少年に皮膚を移植して、意識を取り戻した少年に鏡で見せてやる。つぎはぎだらけだが、刺青はもう無い。「よくがんばったぞ。おまえはもうりっぱなおとなだ!」この言葉を聞いて少年は息を引き取る。少年の帽子を海に投げ、「さあ……如月先生に会いに行ってきな……」と語りかけるBJ。ラストのコマには、海に向かって立ち尽くすBJと、その先に、帽子を被り綺麗な身体でBJに明るく手を振りながら去って行く少年の幻が描かれている。
 少年は一人前の男になった。BJは潔くそれを認める。そして同じ女性を真剣に愛しているライバル同士。少年の想いはそのままBJの想いと同じだ。自分の想いをも少年に託して、BJは彼の魂が如月先生の元へ行き着けることを祈っているのだろう。あるいは、魂だけでも如月先生に逢える少年を羨ましいと思っているか…。

頭が働かないので、きょうはここまで。このテーマで書くとすると、いま思いつくだけで10話ほどある。きっともっとあることだろう。う~ん、考え無しに始めてしまったが、テーマが大きすぎたナ……。何週か続くと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

(備忘録061210)

最近なにかとバタバタと慌しく、ゆっくり記事を考える暇がありません。きょうの記事もお休みします。明日は父を病院へ連れて行って(連れて行くのは兄、私は途中からバトンタッチ)、もしかするとそのまま入院ということになるかもしれないので、またバタバタしそうです。明日の『BJ』語りは、なんとか少しでも、と思っていますが、アップがなかったら疲労困憊で寝ていると思ってくださいまし。m(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

母の記憶力と第二のハーン

母を脳外科へ連れて行く。いつものように先生からいろいろな質問(きょうは何月何日?とか、総理大臣は誰?とか)が出される。箱の中にある5つの品物を覚えて蓋を閉じ、しばらく雑談してから箱の中身を思い出すというのもいつもと一緒。それに加えて今日は新しい質問があった。先生が紙に直径5cmほどの○を描いて「これを10時10分の時計にしてください」。母が12、6、3、9と最初に4つの数字から文字盤を描き始めたときには、(おお、すごい!)と内心びっくりする。針を描く段になって長針と短針を間違えて「1時50分」ができあがったときは、母にはとても申し訳ないが、逆になんだか安心して、母が堪らなく愛おしく思えた。先生からは「よくできました」のお言葉をいただく。

急激に進行はしていないとのことだったが、しばらくCTを撮っていないので撮ってみましょうということになり、画像ができたところで再び診察室へ。徐々に萎縮しているようですと、前回の画像と比べながら説明を受ける。確かに以前より中央の脳室の部分が若干広がっている気がする。健康な人との比較からもそれは顕著だった。新しい記憶ができないとはどういうことですかと質問してみる。海馬という部分があってね、ここのところ、と先生が指し示すが、別に周りと色が違って見えるわけでもなく、ただ単に脳の奥の一部分にしか見えない。ここが萎縮してくると新しいことが覚えられない。でも、記憶のメカニズムというのは今でも完全には判っていないのでね、と先生。脳自体が徐々に小さくなってきてキャパがいっぱいになって覚えようとしても覚えられないということもある、とのこと。とにかく現状維持を心がけましょうということで、いつもの薬が出た。

061209_122901 帰り道、母がまだ小さかった頃によく遊びにきていたという家の前を通る。大正から昭和初期にかけて旧制松江高校でドイツ語やドイツ哲学を教えていたフリッツ・カルシュが住んでいた宿舎である(小雨だったので車の中から写す)。母はカルシュ氏の娘さんとは同年代で一緒に遊んでいたらしい。家を眺めながらその娘さんの名前を尋ねると、メヒテルちゃん、と即答が返ってくる(正確にはメヒテルトさんだが、当時からそう呼んでいたそうだ)。こういう古い記憶は残っているのになぁ…。

ちなみに、カルシュ氏が赴任先として松江を選んだのは、若き日に読んだラフカディオ・ハーンの書物によるところが大きいという。折りしも今日の新聞に、この宿舎が国の登録文化財となることが決まったという記事が載っていた。あまりの偶然にちょっとびっくり。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

寝てしまった…

『BJ』DVDの「雪原のヴァイオリン」を観ながら寝てしまっていました。「G線上のアリア」が気持ちよくて。きょうの記事はお休みします。明日もお医者さん巡りで忙しいっす。頑張らねば。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本人のDNA

【ココログのメンテナンスが終わったようだ。同時にバージョンアップするとのことだったが、今のところどこが変わったのかよくわからない。何かが新しく付け加えられたのかもしれないが、従来からあった機能すら上手く使いこなせていなかった私にとっては無用の長物だ。】

昨日のテレビ番組なのだが、良い番組だったので取り上げておこうと思う。『関口宏の 日本を探しに行こう』である。様々な観点から、日本とは何かを探る試み。

日本の美に魅せられた外人さんたちが、草木染めや浮世絵や酒造りや紙漉きなど、多くの分野で活躍していることを知った。その誰もが言うことは、それらはみな「日本の自然から与えられるもの」であるということだ。西洋の人たちがそれを言うということは、西洋文化からはそういう要素が感じられないということなのだろう。日本にいるとわからないことを、彼らは教えてくれる。松江に住んだ小泉八雲ことラフカディオ・ハーンもそういう外人さんの一人だったのだろう。日本人の虫の音を愛ずる感性や自然を畏怖する感覚を、彼は西洋人が忘れ去ったものとして再発見したのだ。

番組の中で、「和食は引き算である」と言われていたが、これも西洋文化と大きく違うところなのだろう。洋食がこってりと様々なものを混ぜ合わせていく足し算であるのに対し、和食はできるだけ引いていった引き算の最後に残った一番シンプルなものになる。有名料理店の料理長さんが「木の中には最初から像があって、芸術家はそれを彫り出すだけ。それと同じで、この一匹の魚の中に最初からお刺身はある。引いていってそれを取り出すだけ」というようなことを語っていた。きっと、日本文化の根本というのは「素」とか「髄」とかいうものなのだろうと思った。

金比羅歌舞伎の舞台では江戸時代そのままの照明を実験。太陽光や天気などが舞台に取り入れられた様子を窺い知ることができた。また、京都のお寺(名前失念)では究極の間接照明である月光を楽しむ。あるいは、銀閣寺が池の水面に反射した月光に揺らめく様も幻想的だった。太陽や月は、現代の我々には想像し得ないほどに明るく大切なものだったのである。

番組の最後に、松岡正剛さんが熊野古道を案内してくれた。(ご病気で随分痩せられた印象だったがお元気そうでなにより。)那智の滝や、山頂に聳える巨大な岩、それらに神性を見る日本人。そして神が降りてくる庭に設えられた小さな社。(←これがどこだったかはっきり覚えていない。伊勢神宮の奥深くに当たる場所だったか?)そこにあるのは、自然に対する畏敬の念だ。体裁を整えた神話に出てくるような固有名詞のある神ではない、そこにあるがままの自然が、即ち日本人が神と信ずるモノなのだ。

今の日本人が忘れ去ったものを、様々な形で見せてくれた番組だった。ただ紹介しているだけなのだが、それぞれのシーンに胸が熱くなるほど懐かしい想いが込み上げる。関口さんが番組内で何回も口にしていた、これが「日本人のDNA」のなせる業なのかもしれない。日本ってやっぱりいいな、と思わせてくれた番組だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きょうの『BJ』語りはお休み

あー、きょうはもう思考能力がありましぇん。『BJ』語り、お休みします。クスン。ぼーっと『水戸黄門』から9時のニュース、『のだめカンタービレ』後半、『スマスマ』前半と観て、よけい疲れました。デッサンなんかクソ食らえの落書き1枚アップして寝ます(恥)。

明日からココログのメンテナンスがあるようです。「12月5日(火)10:00~12月7日(木)15:00の約53時間」だそうです。閲覧はできるそうですが、明日は記事のアップができません。こういうのはたいてい予定より長引くので、もしかしたら明後日もできないかもしれません。

Blackmirrorimage5
「逝かせる者と生かす者」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

忙中閑をつくる

フカしたお芋をほこほこと食べながら、やっと『邪魅の雫』(京極夏彦著)を読み始める。洗濯機の中のものを入れ替えたり(わが家は2槽式)干したりを同時進行させて、2時間でやっと120ページほどしか進まない。京極堂シリーズは、どこにどんな仕掛けが施されているかわからないから、一字一句なおざりにできないのだ。読者を文章にのめり込ませておいて、読者にも術をかける。たいした手腕だと思う。個人的感想としては前作が今ひとつだったので、この作品に期待する度合いも大きいのである。誌上やネット上での書評にも目を背けて(だってもしも評判悪かったら読む前からがっかりするでしょ)、ひたすら没頭して読む。本読みの至福の時だ。

しかし、師走の気忙しい今それをやるのは逃避以外の何物でもない。少しずつ大掃除にも着手したいし、その前に年賀状の図案も考えなくてはならない。美容院にも行きたいし、お歳暮の手配だってしなくてはいけないし、明後日からは水道管工事の予定もある(何日かかるかなぁ)。街の方から聞こえてくるクリスマスソングにも、否応無く切羽詰った感が盛り上がる。

でも、いいのだ。今日は本を読むと決めたのだから、読む! 何事も明日からだ。←この台詞、きっと12月25日くらいにも言っていると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(備忘録061202)

人から聞いたところによると、去年の今日は雪が降ったそうだ。今年の今日も、雨ときどき氷雨あるいはアラレという寒い一日となり、炬燵だけでは寒いと夫が言うので、いよいよストーブを出した。私は真冬でも汗をかくくらいの暑がりなので、寒いのはなんともない。手は冷たいけれども。

頼まれて、封筒の宛名書きをする。久しぶりの毛筆(いや筆ペンだが)に手が震える。永田町の議員会館の住所なんて生まれて始めて書いた。もうじき青○参議院議員会長やら、細○元官房長官やらの元へ、ヘッタクソな宛名が書かれた封書が届く。すまんね。ああ、年賀状も書かなくっちゃなぁ……。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

実相寺監督

実相寺昭雄さんが亡くなった。私にとっては『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の監督という印象が強いが、映画では『帝都物語』や『姑獲鳥の夏』など、怪奇色の濃い、ちょっと暗めのカルト好みの作品を撮った監督だったようだ。

ウルトラセブンと宇宙人をがちゃぶ台を挟んで話し合っている名シーン(?)を撮ったのはこの人だ。また『シルバー仮面』の第1回目の監督もこの人だ。この第1回目、めちゃくちゃ暗かったのを覚えている。だいたい、シリーズの最初のお話というのは、シリーズのその後の方向性などが現れるものだと思うのだが、なんか不安を覚える立ち上がりだった。案の定というか、シルバー仮面はたいして強いヒーローにはならなかった。戦いぶりも決してかっこよくなかった。もうどうしようもなくて、途中から巨大化できるようになったりしたのがまたいかにも間に合わせという感じだった。でも、シルバー仮面、私は大好きだった。春日兄弟の不安げな顔といい、悲愴感漂うヒーローだった。今でも柴俊夫さんを見ると「シルバー仮面だ!」と思う。(関係ないが、三ツ木清隆さんを見ると「光速エスパーだ!」と思う。)

先月20日まで、実相寺監督は新作『シルバー假面』の撮影に携わり試写を見たりしておられたそうだ。大正年間を舞台にして、森鴎外や江戸川乱歩やカリガリ博士も出てくるらしい。おもしろそうだ。遺作となったこの作品、観に行こうかな。

ご冥福をお祈りします。

| | コメント (4) | トラックバック (3)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »