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遊びをせんとや生れけむ

録画しておいた『バチカンに眠る織田信長の夢』を観た。引っ張るだけ引っ張っておいて、最後に、バチカンにあるはずの屏風絵が見つかると良いですね、という終わり方って、なにソレ? というのが正直な感想。こういう番組にありがちな構成だったし、「Windows Vista」のプロモーションビデオのような印象も強かった。もっとも、一番持って行かれたのは加藤雅也のエナメルコートだったが(笑)。

本能寺の変の黒幕は近衛前久であるという説が紹介されていた。最近よく聞く説だが、それが果たして真実であるかどうかは判らない。ただ、どの文献を見ても本能寺の変が起こった天正10年の記録だけが残っていないという事実は、何か巨大な陰謀が感じられて興味深かった。本能寺に火薬庫があったというのも初めて知った。信長は爆死したから、髪の毛ひと筋残らなかったのだなぁ。敵に己の首級を渡してたまるか!という意地だろうか。

もうひとつ興味深かったのは、安土城の内部構造だ。南蛮寺を参考にして造らせたらしいが、まさか吹き抜けになっていたとは知らなかった。まさにキリスト教建築の天井の高い礼拝堂を思わせる構造だ。そしてその天辺部分に更に2層ほどあり、襖や壁には中国の思想や仏教思想が描かれている。信長が座すのはその頂上だ。つまり、キリスト教も中国思想も仏教も信長より下に配置されているわけで、安土城というのはまさに信長教の神殿だったのである。

ゲストの井沢元彦氏が「(キリスト教を下に見ているという点からも)信長はキリスト教の信者ではなかったようだ」と語っておられたが、私もそう思う。無神論者だったとも言われるが、そもそも精神世界などには興味を持たない人間だったのではないかと思う。自らを「第六天魔王」と称したことからもそれが窺えるような気がする。「第六天魔王」とは、仏教で世界を上から「無色界」「色界」「欲界」に分けたときに「欲界」の一番上位にある「他化自在天」の支配者を指す(「無色界」「色界」に五つの天があるので、「他化自在天」は第六天となる)。上から第五天までは、これはもう有り難い仏様の世界だが、第六天は「人を楽しませて自分も楽しもう♪」という天人の世界だ。当然「人界」よりは上にある。そういう天人が何故「魔王」かというと、その与えられた快楽によって人が仏道修行を忘れてしまうからである。

絶対的な信仰を集める神とか仏とかになるのを望んだのではなくて、「第六天魔王」という微妙なポジションを選んだというところからも、彼の現実主義的な志向が窺えるのではないかと思う。生き馬の目を抜く戦国時代に生まれ、精神的な拠り所となるはずの仏教も荒廃し、信ずるは己の力のみ、という生き方をしてきた男ならではの思想であり理想郷なのだろう。しかしちゃんと仏教の素養のあることは、数ある天の中から「第六天魔王」なんてものを選び出すことからも判る。キリスト教からはその荘厳さをピックアップして安土城に生かしているし、なかなか鋭いセンスを持った男だったのだろう。戦の無い現代に生まれていたならば、偉大なクリエイターとかプロデューサーとかになっていたような気がする。

「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけむ
  
 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」 <粱塵秘抄>

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