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2007年5月

(備忘録070531)

本日のお買い物。
『憑神』(浅田次郎著)
『明智小五郎 対 金田一耕助』(芦辺拓著)
『ガラスの地球を救え』(手塚治虫著)
『手塚治虫のブッダ 救われる言葉』(手塚治虫著)

『憑神』は間もなくロードショー公開される。原作がなかなか面白いという話だったので買ってみた。大好きな浅田次郎だし。きっと最後は泣かされるんだろうなぁ。

『明智小五郎……』は、なんとなく面白そうだったので(笑)。これは「名探偵博覧会II」となっていて、「I」は『真説ルパン対ホームズ』だった。これも以前に読んだが、シャーロキアンから石礫が飛んできそうだった本家本元ルブラン作の『ルパン対ホームズ』よりも公正で面白かった(ような気がする←既に内容を忘れた)。

『ガラスの地球を救え』は、発行当時に友人から借りて読んだことがあるが、持っていないので買った。あれから20年近く経ったけれど、今読んだらどんな感想を持つだろう?

『手塚治虫のブッダ』は、マンガ『ブッダ』の中から重要な場面を抜き出したもの。マンガとセリフと注釈から構成されている。全体として、釈迦本人の言葉ではなくて、手塚治虫というフィルタを通した1つの解釈ということになる。『ブッダ』に描かれているエピソードも、いかにも本当にあったことのように思われるものが手塚治虫の創作であることも多いので、ここらへんは踏まえて読む必要がある。でもしかし、釈迦の教えを、恐らく本質的にそれほどズレることもなく、子どもにも判るように易しく代弁できるというのは、実にたいしたものだと尊敬する。

 ついでに。手塚治虫関係で見つけたサイト。
http://www.yomiuri.co.jp/book/column/pickup/20070529bk02.htm
http://ja-f.tezuka.co.jp/manga/backlist/kaigai/009/hu12/index.html
  ↑ビジュアル系BJ先生!

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早朝4時半頃からのすさまじい雷で目が覚めた。ひっきりなしの稲光と雷鳴。光ってから1、2…と数えると10秒かかるものから1秒で鳴るものまで様々。生きた心地がしなかったと言えばオーバーだが、やっぱり怖いものの代名詞だろう、雷は。

ここ出雲地方では、雷が落ちることを「(雷が)あまる」と言う。語源はおそらく「天降る(あまおる→あもる)」で、それが訛ったものだと思う。神々が降臨し給う様を表す古語である。ところが、同じ天から降る雨とか雪とかには使われず、「あまる」のはただ雷だけである。「神鳴り」というだけあって、雷だけは神格化されていたものと見える。いやしかし時々こういう古語が残っているから出雲弁というのはおもしろい。

日本の神話で雷と言えば、タケミカヅチ(建御雷)である。イザナギ・イザナミが神産みをしたとき、最後に火の神カグツチを産んだことでイザナミは命を落としてしまう。怒ったイザナギがカグツチの首を刎ねたとき、その剣についた血が飛び散って生まれた神がタケミカヅチである。

ちなみにその後の展開は、イザナミは黄泉の国へ行ってしまったのでイザナギが追いかけて行ったりだとか(このあたりのキーワードは黄泉比良坂(よもつひらさか)とか桃とか)、スサノヲが母イザナミを慕って黄泉の国(イズモ)へ下ったとか(このあたりのキーワードはヤマタノオロチとか草薙の剣とか)、わくわくするような神話が続く。

そして後年、スサノヲから代が代わってオオクニヌシによって治められていたイズモに、アマテラスの命令で国譲りを迫ったのが、他ならぬこの雷神タケミカヅチであった。なんか高天原と出雲の因縁を感じるなぁ……。最後まで抵抗したタケミナカタ(オオクニヌシの息子)との闘いは相撲の原点とも言われている。

【メモ】
 イザナギ---(高天原系)アマテラス---
     ---タケミカヅチ

 イザナミ---カグツチ
      (出雲系)スサノヲ---オオクニヌシ---タケミナカタ

だから、想像を逞しくすると、出雲人にとって雷が怖いというのは、DNAに組み込まれた記憶のせいかもしれない(笑)。

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昨日のこと

昨日ほど慶応大学病院がテレビによく出る日もなかったかもしれない。松岡農水大臣の自殺とZARD坂井泉水さんの死。

実は夫が坂井さんの大ファンで、CDやDVDはたぶん全部揃っているはずだ。居間の壁にはカルロス・クライバーのレコードジャケットに並んで彼女のパネル(彼女の写真を引き伸ばしたもの)が飾られている。だから、外出せず誰とも会わない日でも彼女の顔だけは毎日見ていた。しかしテレビに出ない人だったから、今度のことで初めて彼女が癌と闘っていたことを知った。年齢も初めて知った。

病院側はその管理体制を追求されるのを恐れてか「自殺」だと言い、事務所側は再起に向けて頑張っていたと「事故」であることを強調している。真相はわからないし、関係のない一般人があれこれ言うのは亡くなった方に対しての冒涜だろう。ただご冥福を祈りたい。

松岡大臣の自殺も衝撃的だった。生前なら一国民としていろいろ言いたいこともあったが、今はもう何も言えなくなった。ご冥福を祈る。

しかし、だ。政治と金の問題に終始する国会って実にバカらしいと思う。もっと大事な重要案件を見えなくするための方便ではないかとさえ勘繰ってしまう。他に議論することいっぱいあるでしょう? それに、この問題は基本的に国民全体の意識の問題でもあると思う。自分とまったく関係のないことと言い切れるかどうか? 自分が、自分の夫が勤める会社はどこかの政党に献金したりしていないか? そのお陰で会社が、ひいては社員及びその家族が、何らかの恩恵を蒙ったりしていないと自信を持って言えるだろうか? それに何よりも、そんな議員を選挙で選んだのは他ならぬ国民だ。そんなことを考えると、天に向かって唾するような(ちょっと違うな……)、妙な虚しさを感じてしまう。

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千葉県民

やっとこさ昨日 UNIQL○ へ行ってTシャツ買ってきました。黒男先生どアップのこれだけ買うつもりが(おお、SOLD OUT になってる。間に合ってよかった)、こちらも涼しげだったのでつい……(数え間違いがなければ、183人の黒ちゃんがいます)。左上から右下にかけての切り替えラインは共通ですね。ついでに縫合の痕もつけてくれればよかったのに。どアップの方は、上にジャケットを合わせれば、かなりオシャレになると思います。さすがにこの柄をむき出しに着て出かける勇気はありません。どこかで同好の士を見つけたりしたら恥ずかしくて……。

さて今日の『BJ』語りは、「BJの家はどこにあるのか?」と「不発弾事故に遭ったのはどこか?」の2点について。これはさんざん先達が調べ尽くしたことだろうと思うし、それをどこかに特定することに果たして意味があるのかとも思うのだが、それでもやっぱり一度は自分でも考えてみたい永遠の謎である。

●BJの家はどこにあるのか?

・「二人目がいた」で「私の家はT県××町○○番だ」とBJ自身が語っている。
・BJ公式サイトによれば「ブラック・ジャックの家は海に面しており、さらに西武新宿線、山手線を利用していることから関東近郊に限定すると千葉県?」とされている。
・『BLACK JACK QUIZ 101』(中野晴行編)では、東京から北海道へ向かう飛行機がBJ邸の近くで墜落したこと(「雪の夜ばなし」)、日本海側でのシャチの目撃例がほとんどないこと(「シャチの詩」)……の2点から、BJの家は太平洋側にあり(*)、東京からの交通の便を考えると千葉、茨城、福島、宮城あたりまでが候補であろうとした上で、茨城県五浦海岸ではないかとしている。(*ただし、「パク船長」や「空からきた子ども」から考えると日本海側かもしれない、とも書かれている)
・ネット上では「信号」に出てくる地図が千葉県勝浦市八幡岬に似ている、という説がある。

で、結論から言えば、私も千葉県だと思う。「私の家はT県××町○○番だ」というセリフ、県のところにだけ「T」が付いている中途半端さがどうしても気になる。「△△県」でよかったはずなのに。これを架空の「手塚県」とする説もどこかで読んだ記憶があるが、あまり説得力はないように思う。ほかの作品では下落合だの上石神井だの遠坂峠だの実際の地名がバンバン出ているのだから。首都近郊であることは間違いなく、海に面した県で「T」から始まるといえば千葉県しかない(訓令式だが)。そうすると、「信号」の地図と確かに地形が似ている八幡岬が有望ではないかと考える。
とはいえ、私は実際にその岬を見たことがないので、似ているのかどうかはさっぱりわからない。

●不発弾事故に遭ったのはどこか?

1)8歳の時に母親とともに曲がり浜の海岸沿いの道で不発弾の事故に遭遇。(「笑い上戸」)
2)「このあたりは米軍の特別射撃練習地になっています …… 県」(「不発弾」)

不発弾というのは結構どこにでも残っているものらしく、ネットを調べても枚挙に暇がない。沖縄では現在でも毎日のように不発弾処理が行われているというし、我が家の近辺でもつい近年ある行政機関のビルを建てようとしたところから不発弾が出たと聞いたことがある。更に不発弾が爆発して死傷者が出たという記事もけっこうある(2003年の沖縄・自衛官爆死事件とか)。民間人が巻き込まれたもので『BJ』連載当時の記事を探してみると、1973年に陸上自衛隊東富士演習場に山菜採りに来ていた2人が死傷した事故、1974年に那覇市の下水道工事現場で24人が死傷した事故などが見つかった。「不発弾」が描かれたのは1976年だから、手塚治虫がこれらのニュースから着想を得た可能性も無いとは言えないだろう。

では、BJが事故に遭ったのはどこか? 
「曲がり浜」という地名はネットでいくら調べても出てこない。どこかの「県」にある「曲がった浜」を想定して、手塚治虫が適当に作った地名と思われる。山陰地方に住んでいる私は鳥取県の弓ヶ浜を連想するが、おおよその日本人なら九十九里浜を思い浮かべるのではあるまいか? しかも、九十九里浜だと想定すると、2)の記述とぴったり一致するのである。 昭和23年4月9日、アメリカ軍は高射砲の射撃訓練のため九十九里浜に対空射撃演習場を作っている(「キャンプ・カタカイ」という)。
ただ問題は、この高射砲射撃訓練は昭和32年5月まで続いたということだ。BJ先生が昭和23年生まれだと仮定すると9歳の年まで米軍の訓練場だったことになってしまって計算が合わなくなる。ここのところはどぉかひとつ大目に見ていただきたい(笑)。なお、キャンプ・カタカイで不発弾の爆発事故があったという記述は見つからなかったことも明記しておく。

以上のことから、BJ先生は九十九里浜で爆発事故に遭い、岬の家も千葉県にあると、私は想像する(もちろん不発弾の爆発事故はフィクションである、しつこいけど)。「骨肉」には、学生服を着た中学生くらいの黒男が墓前に花を供えるシーンが描かれているが、墓所も近くにあるとすれば、母親が眠り、そして今はその隣に父親も眠っているであろうその地を離れる気にならないのかもしれない。

ところで、BJの家については、その他にも疑問がある。まず、近くに電柱がない。自家発電ということはあるまいから電線や電話線は地下に埋設してあるのだろうが、このたった1軒の家のためにどうしてそんなことをしたものやら? アンテナもない。「腫瘍狩り」でピノコが非常に映りの悪いテレビを観ているが、きっと室内アンテナでこっそり観ているのに違いない。N○Kの聴取料なんか絶対払っていないと思う(笑)。

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『アキレス将軍暗殺事件』

『アキレス将軍暗殺事件』(ボリス・アクーニン著)読了。

先ごろ読んだ『リヴァイアサン号殺人事件』が豪華なミステリなら、こちらは超一級の冒険活劇である。変則的な3部構成になっていて、全体の5割の分量を占める第1部がファンドーリンから見た事件の概要、続く第2部は殺し屋アキマスの視点から描かれていてこれが全体の4割ばかり、そして残り1割ほどがクライマックスの第3部でファンドーリンとアキマスの直接対決である。

発端は、アキレスとあだ名されるロシアの英雄ソーボレフ将軍の突然死。評判の歌姫ワンダとの情交の最中の出来事だったため、将軍の側近たちはその不名誉を隠そうと躍起になる。事故か事件か。しかしそこには更に巨大な陰謀が隠されていた。日本から帰国したばかりの八等官ファンドーリンはドルゴルーコイ総督の庇護の下、秘密捜査官として真相を暴こうとするのだが、様々な政治的思惑が複雑に絡み合い、情報は筒抜け、打つ手はすべて後手に回る。誰が味方やら敵やらわからぬうちに、事件に関係すると思われる人物は次々と死んでいく。二転三転する捜査。ファンドーリン自身にも危険が迫る。そしてそこに見え隠れする「白い目をした殺し屋」の影……。

この殺し屋がアキマスという男なのだが、このハードボイルドな第2部がおもしろい。彼がどんな生い立ちでどうして殺し屋になったのか、そしてプロとしての手腕が淡々と語られる。第1部で謎とされていた事件の真相や本当の黒幕もここでほぼ明らかになる。非情で凄腕の殺し屋なのだが、その憂いを帯びた人物像には読んでいくうちにだんだんと惹かれていく。「悪人」を描きたいのだという著者・アクーニンの面目躍如というところ。

そしてファンドーリンとアキマスの死闘(まだ読んだことがないが、この2人には以前から因縁があるらしい)。ファンドーリン絶体絶命のピンチ!……あとはネタバレになるので書かない。本当は一番書きたいところなのだが。思わず一瞬の隙を見せるアキマスの心情が切なかったということだけ書いておこう。

ファンドーリンよりアキマスの魅力にやられた1冊だった。これは2人の因縁が語られるシリーズ第1作『アザゼル』も読まねばなるまい。過去に作品社から邦訳が出ているらしいが、この岩波のシリーズからは出ないのかな?

それから、ファンドーリンが日本から連れて帰ってきた小姓マサがなかなか面白い存在として描かれている。もと横浜のヤクザらしいが、命を助けてくれたファンドーリンに絶対の忠誠を誓い、そこそこヘマもするが主人とは友情に近いもので固く結ばれている。また、ファンドーリンが行う珍妙な日本式身体鍛錬法も面白いのだが、ロシアでこのシリーズが広く受け入れられているらしいことを考えると、日本及び日本人に対するイメージがちょっと心配ではある。著者のアクーニンは日本文学研究者で三島由紀夫などの翻訳も手がけている日本通だから、本人はお遊びのつもりかもしれないが、一般ロシア人はこれを現実と受け取ってしまうかもしれない。ロシアのみなさん、普通の日本人は氷を浮かべた水風呂になんか入りませんし、壁を天井まで駆け上がったりはしませんからね(笑)!

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(備忘録070526)

3~4日前から、どうもカウンタがおかしい。自分がアクセスしても管理画面のアクセス数が変化しないので、サポセンに問い合わせていろいろやったりしている。どうやらこちらのブラウザの動作が不安定になっているのではないかとのことなので、ブラウザを標準化し直したりしたが、やっぱりまだおかしい。自アクセスがカウントされたりされなかったり。来てくださっている方のもカウントされていないのかもしれないが、それは確かめようがないし……。う~ん、どうしようかな。この際、ブラウザをIE7にバージョンアップしてみようか? 支障が出ているのはカウンタだけなので、このままもうちょっと様子を見てみようか? 考え中。

楽しみに少しずつ少しずつ読んでいる『アキレス将軍暗殺事件』がもうすぐ終わりそう。もったいない……けど、ファンドーリンと白い目をした殺し屋との死闘の結末を早く見たいし。う~ん、これまた迷う。

美容室へ行ったら、そこのビーグル犬とすっかり仲良くなってしまい、顔中ベロンベロン舐められた。ムツゴローさんなら舐め返してやれるんだろうけど。

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カッコイイとは、こういうことさ。

『紅の豚』を初めて観た。あれが豚じゃなかったらただのハンフリー・ボガードだが(何だこの表現は)、豚だから面白い。でもどうして豚なんだろう? 

主人公のポルコ・ロッソ(まんまのネーミングで笑った。イタリア語ではかなりの罵倒語だ)を始めとする飛行艇乗り達のダンディズムを観るべき作品なのだろうが、全体にユーモラスな作りになっているので、私の感想としては「男って奴ぁバカだねぇ……」というのが正直なところ。だからこそ可愛いのだけれど。だって、空中戦で物を投げ合う男達ほど子どもっぽくて愛おしいものはないと思う。

小難しい主張も「これを感じ取らなくちゃダメだ」というような教条的鑑賞法もなく、ただ単純に楽しめるのが心地よい一作。私のジブリ作品に対する評価の中では『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』などよりはるかに上。『となりのトトロ』と良い勝負かな。

マダム・ジーナが歌うシャンソン『さくらんぼの実る頃』が作品のカラーととても合っていて、酔いしれた。良い映画でした。

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Zくん

暇を見つけてコソッと更新。そろそろテンプレートを夏仕様にしようかと探すつもりがブログパーツに目移りしてしまい、「Zくん」を貼り付けてみた。

【パーツの特徴:デイリーポータルZのキャラクター、Zくんのブログパーツです。クリックすると様々な動きをします。便利な機能はありません。】

【提供元から一言:クリックする楽しさがコンセプトです。クリックするだけで楽しめます。飽きたらさっさと別のブログパーツにしてください。】

「便利な機能はありません。」、なにしろこの潔さが気に入った。提供元から「飽きたらさっさと別のブログパーツにしてください。」と推奨されるようなパーツが他にあろうか。おまけに「クリックすると様々な動きをします。」「クリックするだけで楽しめます。」と書いてある割には、すぐに飽きる程度の動きのパターンしかないし、たいして楽しくもない。

いや、今までは「星占い」のパーツを貼り付けていたのだが、これが私にとっては役に立ちすぎてどうにもいけなかった。朝一番に「魚座 12位 思わぬ災難が……」なんて見た日には、思わぬ災難があってもなくてもその日1日ドンヨリしていた。

役に立たないもの、意味のないものは罪もないから良い。「無用の用」と老子も言っている。

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家族の思い

「認知症」という呼称には未だに馴染めないのだが(なんか日本語としておかしいような気がするし、言葉だけ取り繕うことは病気自体を認めていないような気がして。私は「痴呆」でよいと思う)、本日のニュースでは「認知症患者に対する運転中止マニュアルが作成された」と伝えられていた。医師の勧告を拒んで運転を止めない認知症患者が8割いるというから「運転をやめるべき一定の判断基準を設け、どのように患者の説得を進めるかの手順を示す」のだそうだ。

いや実際、本人は、本人だけは、自分は正常だと思っているから、周りの人間との間には様々な悲喜劇が起こるわけで。これは患者が身近にいないと想像もできないことだろうなと思う。

認知症だけでなく一般の病気でも、介護を行う者のストレスというのは大変なものだ。たまたま朝のニュース番組で、脳梗塞か何かで身体が動かなくなった夫の世話に疲れた妻と息子が介護を放棄して、結局患者を餓死させた事件が取り上げられていたのだが、家族の結びつきが薄かっただの、行政が悪いだのとコメンテイターがいろんなことを言っていた。そんなことじゃないのだ。「あんた、やったことないだろう」と言いたかった。餓死させてそれを隠蔽しようとしたことは確かに悪い。犯罪だ。罰せられても仕方がない。しかし私には彼らの気持ちの一端がわかる。一方的に責めることはどうしてもできない。

家族だからこそ追い詰められるのだ。自分がやらなくちゃ、と思うからこそ逃げ場がなくなるのだ。夫だから親だから大事にしたいし少しでも良くなって欲しいと願うからこそ、そうならない現実から逃げたくなるのだ。

患者本人に対してのケアはいろいろ行政も行っているが、そういう家族の思いに対する根本的なケアは無い。私はケアマネージャーさんに話を聞いてもらってずいぶん気が楽になった経験があるが、それも一時的なものに過ぎない。現実は変わらないのだから。なんとか自分で気を確かに保っていく努力をするほかはない。時間を見つけてどこかへ遊びに行くとか。でもその間に何かがあったらと思うと不安だし、携帯の電源を切る勇気もない。

なんだか……。何を書きたいのかわからなくなったので、このへんでやめておこう。まあ、テレビの無責任なコメンテイターのコメントに情けなくなったということだ。

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君の名は?

070522_153301 早くもジャングルの様相を呈しているわが家の庭であるが、毎年5月頃から咲き始める花木で、その名を知らないものがあった。白い花と赤い花が同居している珍しい(と思う)もので、よくよく観察していると、最初白かった花がだんだん赤くなって最後に萎んでしまうのがわかる。

ネットで調べてみようと思ったのだが、はて、どうやって検索したものか? ネットで植物の名前を調べる手っ取り早い方法をご存知の方がいらしたら、是非ご教示賜りたい。今回は適当に「花木 初夏」「花木 春」などで検索してみたら、あった。たぶんこれだ。「箱根空木(ハコネウツギ)」というらしい。「箱根」が付いているのに箱根には自生していないとか(笑)。

毎年忘れずに花をつけて「そろそろ夏だぞ」と教えてくれるのに、長い間名前も知らなくて悪かったという気持ちでいっぱいだ。ごめんね。このハコネウツギの近辺には夏に花をつける木が植わっている。もうじき梅雨が来るとネムノキがピンクの花を、夏になるとムクゲが白い花を咲かせて楽しませてくれる。「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」 か……。

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キャラ会話形式バトン

きょうは神無月さんから頂いていたバトンにお答えしようと思います。指定人物がなんと「友引警部」!
(ノ∇≦、)ノ彡☆ キャハハ!!バンバンッ!!
私の友引贔屓を覚えていてくださり、ありがとうございます!
相手を誰にするかさんざん迷いました。私自身じゃおもしろくないし、BJだと会話にならないと思うし。キリコなら更に陰々滅々たるものになりそうだし、琵琶丸では禅問答みたいになりそうだし。白拍子……そんな会話聞きたくもないし、ヨーコちゃんだと「ヌ?」で終わるだろうし。
で、ピノコです。状況としては、BJに関する情報を集めるために友引警部がピノコを呼び出したということで。映画『BJ2D』では、警部とピノコは和気藹々とやっていましたが、ここでは会って間もないころという感じで妄想してみました。
では、張り切って参ります。

・お互いの印象
友引「あんまりあいつ(BJ)には似ていないな。お母さん似でよかったな、お嬢ちゃん」
ピノコ「おっちゃん何言ってゆかわかんないのよさ。ピノコは先生の娘じゃないよのさ」
友引「え? 違うのか? じゃあ、お嬢ちゃんはどこの子だい?」
ピノコ「……そんなこと知やないわのよ」
友引「あ、悪いこと聞いちまったな。ほらチョコレート食いな」
ピノコ「あいがと」
友引(調書に記入)「BJの余罪について:幼女誘拐の疑いあり」 

・なんとなく気が合いそうな所は?
友引「先生と仲の良い人って誰かいるのかい?」
ピノコ「ピノコ」
友引「あ、お嬢ちゃん以外で。よく家に来る人とかいるかい?」
ピノコ「ん~、たまに殺し屋のおっちゃんが来ゆわのよ」
友引「誰だそれは?!」
ピノコ「ろくたーきいこ」
友引「……もう一遍言ってくれ」
ピノコ「ろくたーきいこ!」
 (5分経過)
友引(調書に記入)「BJの交友関係:殺し屋ろくたーきいこ」

・相手は恋人としてやっていけそう?
友引「先生には恋人とかいるのかな?」
ピノコ「いゆわけないのよさッ!!」
友引「わ、えらい剣幕だな。そうかい、いないのかい。ふ~~ん。(結構モテてるって噂だが特定の女はいねぇんだな)」
ピノコ「おっちゃん」
友引「何だよ、なに睨んでるんだよ」
ピノコ「何か知ってゆんれちょ。先生、どっかで浮気してゆの?」
友引「いや、浮気かどうかしらねぇが、凄ぇ美人の外科医とかどっかの伯爵夫人とかいろいろ……」
ピノコ「なんれすってぇーーー?!」
友引(ピノコに引っ掻かれたり殴られたり蹴られたり)

・自分の理想100点とすると何点?
友引「(顔にカットバンを張りながら)先生は苦労してるんだろうなぁ」
ピノコ「先生には悲しい過去があゆかや……」
友引「(そういう意味じゃないんだが)そ、そうだよな。たしか爆発事故で大怪我して、リハビリしてやっと動けるようになったんだよな」
ピノコ「そうなのよさ。まだ小っちゃい子ろもらったのに頑張ったのよさ。お父さんもお母さんもいないのに、独りぼっちで頑張ったんらよ」
友引「……そうだな。身体は動かない、母親は非業の死、父親は女つくって逃げちまう……か。まだ8つの歳から独りで生きてきたんだよな、奴は……」(しんみり)
ピノコ「おっちゃんにできゆ?」
友引「いや……出来なかったかもしれねぇな……辛くて淋しくて悔しくて……」
ピノコ「おっちゃん……泣かないれ。チョコ分けてあげゆかや」
友引「おう、ありがとよ(グス)。お嬢ちゃん、優しい子だな」(頭なでなで)
ピノコ「おっちゃんも、見かけによらずいい人なのでちゅ」
友引「……うるせえよ」

・あなたの部屋は最速で何分で人を呼べるレベルまで片付けられますか?
友引「あの小汚い家を掃除しているのはお嬢ちゃんかい?」
ピノコ「……。チョコ返して」
友引「あ、悪い。じゃあ先生がどこに大事なものを隠してるか知ってるかい?」
ピノコ「らいじなものって?」
友引「現金とか小切手とか通帳とか。だって先生ものすごく儲けてるじゃねぇか? それにピストルも持ってるって噂だが」
ピノコ「ピノコ知やない。でも先生にはもうひとつお家があゆみたい」
友引「本当か?! どこにあるんだ?」
ピノコ「それがろんなに訊いても教えてくえないのよさ」
友引「ふ~ん、怪しいな……」
ピノコ「そこに女の人がいゆとか?!」
友引「いや、そういうことじゃなくて……わ、引っ掻くな~!」
 (調書に記入)「別のアジトあり。」

・炊事、洗濯、掃除、相手にこれだけはやってほしい事は?
友引「先生は家では何してるんだい?」
ピノコ「いつもお仕事してゆのよさ」
友引「趣味とかは無いのかい?」
ピノコ「たまに少女マンガ読んでゆ」
友引「少女マンガぁ?!」
ピノコ「うん、ピノコのを貸ちてあげゆの。おっちゃんは少女マンガ読む?」
友引「いや、うちは男の子だから。オスカル様くらいしか知らねえな」
ピノコ「先生は、宗方コーチはどっか身体がわゆいって気にしてゆのよさ」
友引「へぇ~……そりゃあ気になるなあ」
 (調書に記入)「宗方コーチって誰だ?」

・無条件で相手にこれだけはやってほしい事は?
ピノコ「おっちゃん」
友引「なんだよ」
ピノコ「火の始末だけはちゃんとやるのよさ」
友引「ん? タバコには気ぃつけてるぜ?」
ピノコ「ローソクの火のことでちゅ」
友引「え?」
ピノコ「うちの先生、いっつも心配してゆのよさ。知り合いに頭からローソクが生えゆ男がいゆ、ろんなに世界中の文献を調べてもそんな症例が見つかやない、今すぐ命にかかわゆことはなさそうらけど、たまに火が点くかや危なっかしくて仕方がない、って。おっちゃんのことなのよさ」
友引「あいつ(点灯)!! 俺と話すときにどうも視線が上に泳ぐと思ってたらこれを観察してやがったのか……(消灯)」
ピノコ「おっちゃん……ローソクちゃんと消えましたのよ」
友引「ああ、ちゃんとコントロールできるし、悪い病気でもないから心配いらないって、先生に伝えてくれ(脱力)」
ピノコ「あらまんちゅ! じゃあピノコもう帰ゆわのよ。せっかくだかや、このお菓子全部貰って行くわのね」
友引「いいぜ(笑)。先生と仲良く食べな」
ピノコ「あらまんちゅ!!」
 (調書に記入)「転んでもただでは起きないあの子がいる限り、BJは大丈夫。」

あ~~~、まったく質問に答えていませんね(滝汗)。1週間もバトンを暖めていた結果がコレで、どうもすみません。相手にピノコを設定したら、力関係が「ピノコ>>>友引警部」になりました。おまけにピノコが喋る喋る(in my 脳)。やっとこれだけの量に減らしました。つくづくピノコってのは強いキャラだと再認識いたしました。
お次に回すこともせず、ここで埋めさせていただきます。
神無月さん、楽しいバトンをどうもありがとうございました~~♪

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浅草三社祭でお神輿に乗った人がいたそうだ。記事を読むと、神社側は事前にお神輿に乗らないように注意していたというから、確信犯だ。来年は果たして宮出しが行われるのだろうか?

俗に「お祭り騒ぎ」と言うけれど、そもそもは「祭る=祀る」で神仏を崇め敬う儀式だったはずだ。お神輿というのも人が持ち運びのできる神社であって、普段は神社の奥に鎮座まします神様がそれに移られて人々に近いところまでお出ましになるから、皆が喜んで騒ぐわけだ。お神輿は神様の座であって、決して人間ごときが乗ってよいものではないのだ。山車と間違えてはいけない。

祭礼をイベントと捉えるからこんなことになるのだろう。神様そっちのけで、自分達が楽しむことしか考えていない。長い三社祭の歴史に大きな汚点を残したと思う。

ちょうど今夜の『世界の果てまでイッテQ!』では、タイの奥地のロケット祭というのが紹介されていた。恵みの雨と豊作を祈って、長さ1.5メートルほどのロケットを飛ばす。なんと3000メートルの高さまで上がるのだそうだ。その祭に日本からタレントがやってきて、2倍の長さのロケットを飛ばそうと提案する。村人達の会議が行われる。村長さんの言葉が印象的だった。「もし失敗すればこの村の1年間は不安なものになる」(←うろ覚えだが……)。結局は3メートルのロケットを高度5000メートルまで上げることに成功したのだけれど、祭をイベントとしか考えていない日本人と、農耕生活に欠かせない神聖な行事と考えているタイの人々との違いをまざまざと見た思いだった。

いったいどっちが豊かなんだろうね?

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鈍感

先日、朝のニュース番組を観ていたら「日本語が通じない」若者のことが取り上げられていた。街頭で新入社員ふうの男女に「おうむ返し」「お釈迦になる」等の言葉の意味を質問して、珍回答をしている様子が写し出されていた。また実際に起こったこととして、コンピュータのマニュアルに書いてある文章の意味がわからず会社のコンピュータを止めてしまった、などと報道されていた。

要するに語彙が不足しているということだ。私が図書館員時代に経験した例では、学生に「このリストはこちらでお預かりすることになりますが、そちらで内容を控えておかれなくてもよろしいですか?」と尋ねたら、キョトンとされた。何回か繰り返してようやく「控える」という言葉の意味がわからないらしいということがわかった。ちょっとしたカルチャーショックだった。

番組では「新聞を読め」と言っていた。私も賛成だ。単語だけというのでなく実際の用例として読めるから、一番手っ取り早く生きた日本語として身につくのではないかと思う。もちろん辞書は必要だが。

ところで、この番組を観ていてもうひとつ感じたのは、珍回答をする若者達の気持ちがわからないということだ。例えば「おうむ返し」と書かれたフリップを見せられて、何のことやらわからなかったら、私なら「わかりません」と答える。言葉(語彙)なんて知っているか知らないかのどちらかしかない。知っていれば答えられるが、知らなければ答えられないというだけの話だ。それを乾坤一擲、イチかバチの当てずっぽうで答える愚を冒す勇気は私にはない。

つまり私なら、語彙を知らないということよりも、テレビで珍回答をすることのほうを、より恥ずかしいと思うのだが、こういう番組を観る限りではそうでない若者も多いらしい。そこのところの気持ちがわからない。というか、理解できない。「恥」に対する意識が違うのか……? しかし、彼らは推察する能力が劣っているのではないかということだけは言えるだろう。テレビ番組がこういうとき100人中1人くらいしか正解しないような超難問を出すわけがなかろう。他にも何問か尋ねられているのだから、どれくらいのレベルかはわかりそうなものだ。番組で紹介されて、呆れられて笑われることが予測できないことにこそ、危機感を覚えてしまった。

「大らか」というレベルではない。「気付いていない」のだ。無防備すぎるし、鈍感すぎる……。

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(備忘録070518)

めちゃくちゃ明るい本日配信の『Knock Out VOICE!! #24』。先週がちょっと重すぎたので、余計にそう思えるのかも。おそらく小学生と思われる子からのメールなどもあって、いろんな人が聴いているんだな~と実感しました。
大塚明夫さんに「わかばさん」と呼んでもらえて幸せでした♪ 完全に油断していたので、聞いた瞬間頭に血が上って手足が冷たくなりましたが(笑)。嬉しかったです。ありがとうございました~♪

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教師の質

今でも「でもしか先生」という言い方はあるのかな? 先生に「でも」なるか、と先生になった人、先生に「しか」なれない、というので先生になった人のことだ。

以前にも書いたかもしれないが……。今はどうだか知らないけれど、私が大学を受験したころは、滑り止めに教育学部を受けた。偏差値が低かったからだ。こんなことを書くと、真面目に教師になることを目指して勉強して今現在教師になっている人たちに本当に申し訳ないと思う。私の友人の中にも少なくとも2人はそういう人がいる。だからここは、「でもしか」先生のうちの「しか」先生を対象にして書いていると思っていただきたい。実際そうなので。特別、教師になりたかったわけでもないのに偏差値の関係で教育学部にしか入れなかった人たちが、未来を担う子供達の教育を行っている。

これっておかしくないか? もちろん人間の価値は偏差値だけでは決まらない。学力と人格は直接関係ないかもしれない。しかし先生には、少なくとも学力にも優れた人になってもらいたいではないか。先生の質を上げるためには、教育学部の偏差値を上げるべきだと思う。大学での募集人数を少なくして、更に教員採用試験の問題の難易度も上げる。そうすれば社会でのステイタスも上がるし、保護者にも好き勝手言われなくなるのではないかな。最近の親は学校の先生をそんなに優れた人だとは思っていないようだから。あるいは、大学を出てしばらく社会で働いてから先生になっていただきたいものだと思う。教員採用試験は30歳以上でないと受験資格がないようにするとか。だって、あまりにも世間を知らない先生が多い。「ごめんなさい」や「ありがとう」すら言えない先生を、私はいっぱい知っている。学校という閉ざされた環境の中だけでなく、いろんな人やいろんな考えに触れて、いろんな局面を経験することで人間の幅を広げてもらいたいと思う。

で、このたびの安倍政権の教育改革なのだが、本日衆議院特別委員会で教育再生関連の3法案が質疑採決され、明日は衆院本会議を通過の予定だ。教師の質を重要視して、10年ごとに教員免許を更新しようという法案もあったわけだが、その更新というのは30時間の講習を受けるだけなのだそうだ。なんだそりゃ? 骨抜きもいいところだ……。
_| ̄|○

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(備忘録070516)

お腹を壊すほどキシ○トールガムを噛んで頑張ったのに、本日3回目のトライもダメでした。もう諦めよ(クスン)。

本日の記事はお休みします。なんか嫌なニュースばかりで気が滅入ります。

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こうのとりのゆりかご

きょうのニュースといえばやっぱりこれかな。「『赤ちゃんポスト』運用初日に想定外の3歳児」。想定外……ね。自分のことしか考えられない人間はたくさんいるのだから、これから先もどんどん想定外のことは起こるかもしれない。子どもだけでなく、大人(動けない老人とか正常な思考ができない病人とか)を置く人間だって出てくるかもしれない。もうこうなれば「預ける」ではなくて「捨てる」だが。

時代劇では貧困のために泣く泣くわが子を捨てる親が出てくることがある。また洋画などでも教会の前にそっと子どもを置いて泣きながら走り去っていく親を観たことがある。いずれからも「自分ではどうしても育てることができない。どうか他の人にもらわれて幸せになって欲しい」という親の思いが伝わってくる。しかし今回のケースからはそんな悲しい親心を感じることができない。なにしろ、誰しもが注目する運用初日、しかもポストが機能し始めてからほんの数時間後に起こったことなのだ。3歳児を連れてきた父親が、今か今かと待ちかねていたのかと思うと寒気がする。この男児はそんな父親をどんなふうに見ていたのだろう。かわいそうでならない。

誰かの庇護を受けなければ生きていかれない者(この場合は新生児を想定していたわけだが)の命を救いたいという思いは、本当に純粋で尊いものだと思う。いろんな問題があることは承知しているが、ポストのおかげで死なずにすむ子どもがこれから出てくるかもしれないし、ポストがあるのだということを最後の拠り所としてもうちょっと自分で頑張ろうと思う親もいるかもしれない。今回の3歳児だって、そんな親に育てられるよりも幸せになれるかもしれない。

それを自分勝手に解釈して保護者の責任を放棄する人間こそが悪いことは言うまでもない。今後はこんな不心得者が出てこないことを切に願う。動物だって、それも種族が違っていたって、小さくて弱い者に愛情を注いでいるのだから。→子犬が子猫を救った話

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いろんなBJ

月曜日は『BJ』語り。考えているネタがまだ調査途中なので、きょうはBJ先生の顔のアップを並べてみました♪ お茶を濁す意図がみえみえですが、著作権に抵触しないかドキドキもんです。中国ならOKなのでしょうが。(写メで撮ってPCに送信してペインタで細工しています。)

Bj

1:原作のBJ。「地下水道」の扉絵より。
2:OVA版のBJ。OVA版は持っていないので、広告チラシのカットより。
   作画は杉野昭夫さん。
3:テレビアニメ版のBJ。DVDのBOXのカットより。
   作画は瀬谷新二さん。
4:秋田文庫版のBJ。12巻表紙より。
   イラストは西口司郎さん。
5:山本賢治版のBJ。『ブラック・ジャック』2巻表紙より。
6:田口雅之版のBJ。『ブラック・ジャック・ネオ』1巻表紙より。

うわぁ、壮観!(←ちょっと見とれている。)10分経過。

はからずもこの角度からのものばかりになったのは、この角度からの描写が一番多いからです。反対側からでは、BJ先生のお顔は前髪でほとんど見えません。両目が見たいと思えば術着着用時の先生を見ればよいのですが、そのときはたいていマスクで口元が見えません。顔全部のパーツが見えることが滅多にないという珍しい人です。ヘアバンドをさせたくてウズウズします。しませんか? 

寝ているときでも、この前髪は横に流れるということがなく、ガッチリこの形を保っています。よっぽど硬い髪質なのか、ディップとかムースとかスプレーとかで固めているのか、あるいはヅラか。(こんなヅラ、どこで売ってるっていうんだ! 欲しいぢゃないか。)OVA版では、仰向けに倒れているシーンで前髪がちゃんと流れていました。なんだか見てはいけないものを見たような不思議な感覚になったのを覚えています。先生の裸はけっこう見慣れていますが、デコは!髪の生え際は!ちょっとやそっとじゃ見られないんですよね。原作でも、風に向かって立っているのに、見えないんです。目の前に立って思い切り吹いてやろうかと思いますよね。私だけですか。

まあそれはさて置き、この中でどれが一番好きかと言われれば、やっぱり「1」の原作先生なんですよね♪ どうということもない表情なのに、凄味(サッ○ロビールにあらず・笑)も優しさも頭の良さも色気も熱いとこも冷たいとこも全部表れていると思います。昨夜放送された『NHKアーカイブス 手塚治虫・創作の秘密』でも言われていましたが、これだけの絵が描けるのに「自分は絵が描けない」なんてずっと思っていらっしゃったのが不思議です。手塚先生の頭の中にはもっと別のBJがいたのでしょうか。

「2」のBJは、最初観たときに「なんて気障なんだ!」と思いました。くーるでせくすぃーなんですが暗いし。真夏のプールサイドで(ん?海岸だったかな?)バカンスを楽しんでいるシーンがものすごく似合っていなくて。なんかよくわからない不審人物に思えました。たったひとつ覚えている台詞が「患者は生きようとしている」という、地の底から響くような大塚ヴォイスです。杉野さんの絵自体は好きなんですが、このキャラじゃライスカレーは食えねぇ。

「3」のBJは、2年間見慣れたBJです。明らかに毒気がありません。目が丸すぎるんじゃないかな。こうして比べてみると一番幼い感じがしますね。ちなみに、ここには挙げていませんが映画『BJ2D』のBJは、「2」と「3」を足して2で割ったくらいでした。

「4」のBJは、個人的にはとても好きなのですが、手塚先生はお気に召さなかったとか聞いています。巻によって人相も違いますしね。

「5」のBJは、実はあまり好きな絵柄ではありません。全体に雑っぽいし、表情が大げさすぎるのも原作との大きな違いで、かえって感情移入がしにくいです。やっぱりBJは無表情というか仏頂フェイスでないと。

「6」のBJは、「これ誰?」と思いましたです。顔の縫合痕も左右逆ですし。10頭身を超えるスタイルの良さと「2」を超える気障っぷりが特徴。ハイソでセレブなBJで、たぶん何があっても逆上するということはないと思われます。

さて、皆様はどのBJ先生がお好みでしょうか? ではきょうはこのへんで。

あ? Kさんからバトンを頂戴しておりますね。ぶはっ!! ご指定の人物が~~~!!(悶絶中。おかしくて)ありがとうございます。嬉しいです。日本広しといえども、このご指定をいただけたのは私1人ではないかと。気を落ち着けてからみっちりお応えしたいと思います。 

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『リヴァイアサン号殺人事件』

『リヴァイアサン号殺人事件』(ボリス・アクーニン著)読了。いや~、面白かった! 帯に書かれた惹句は次のとおり。

「貴族の館での大量殺人。謎の財宝。
 そして、豪華客船に怪しげな人々と名探偵が揃った。
 さて、犯人は誰か---
 とくれば、もう欠けているものは何もない。
 優雅なグランド・ミステリーが現代ロシアで甦ったことを悦ぼう。
 スリルもどんでん返しも、精巧な銀細工のような贅沢さである。
                    ---高村 薫」

ネタバレになるから詳しくは書けないが、まさにこの評がぴったりの良質なミステリ。次から次へと事件が起こるので、冒険小説として読んでも、か~な~り~楽しめる。どんでん返しにはびっくりした。

この「怪しげな人々」というのが、それぞれ皆魅力的でどこか滑稽なのがこの作品のポイントだ。船という閉ざされた空間の中に真犯人がいるということで、お互いが疑心暗鬼になったり、各人がこっそり探偵の真似事のようなことをやったりしている。芥川の『藪の中』のように、作品が1人の視点でなく乗客それぞれの語りで進んでいくという手法も、臨場感があって効果的だ。読むほどに誰もが犯人のように思えてくる。フランス人、イギリス人、スイス人、ロシア人、日本人と、国籍もまちまちな人々のやりとりが、小さな国際紛争の様相を呈するのも時代性を感じさせる。人物がしっかりと描かれている小説はやはり面白い。最後のページではちょっとホロリとした。

かなり高度な(と私は思う)謎解きと、歴史への造詣の深さと、国民性への理解と、そして文章に横溢するユーモア感覚(ひょこひょこと思わず吹き出すような文章が出てくる・笑)が絶妙にマッチしていて飽きさせない。これは著者のみならず翻訳者の沼野恭子氏の力に負うところも大きいのだろう。感謝したい。

主役のエラスト・P・ファンドーリンについては、この作品だけではまだはっきりした素性がわからない。ロシアの外交官で、リヴァイアサン号で日本に赴任するところである。25歳くらいか?と書かれているが、詳細は不明だ。女性2人からモーションをかけられても動じない美青年。腹いせに、性倒錯者か?と疑われているが、そうでもなさそう。純情なのか朴念仁なのかわからない。

現在ロシアで刊行されているシリーズ11巻のうち、この『リヴァイアサン号殺人事件』は3作目に当たる。同時に4作目の『アキレス将軍暗殺事件』も日本語訳が刊行されたが、これはこの2冊が日本に関係しているから先に紹介したほうがよいという著者自身の提案によるものだそうだ。残りの作品も是非続けて刊行していただきたい。

さ、次は『アキレス将軍暗殺事件』を読もうっと♪♪

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(備忘録070512)

ぼんやり観ていた『トリビア』に、「キリコさん」というキャラがちらりと出ました。なんでも「人間がかわいいと思うキャラをつくる」という試みでのアイデアのひとつだったらしいですが、カマキリをモチーフにしたと思われる「キリコさん」はあんまりかわいくありませんでした。

しかし、カマキリの逆三角形の顔と、ドクター・キリコのあの頬のこけた顔の輪郭は通じるところがあると思いました。praying mantis、祈る姿の背後に隠された獰猛さ、死神の鎌など、キリコとカマキリは平仄が合いますね。

きょうも忙しかったです。記事はおやすみして、ばたんきゅ。(でも、本も読みたい。)

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ファンドーリン

『リヴァイアサン号殺人事件』(ボリス・アクーニン著)を読書中。

2ヶ月ばかり前の新聞の書評を読んでビビッと来たのがこの本。注文して取り寄せた。まだ3分の1ほどしか読んでいないが、久しぶりにワクワクする推理小説にぶち当たった感じがする。
時は1878年。パリで残忍な大量殺人事件が起こる。ゴーシュ警部は犯人が豪華客船「リヴァイアサン号」に乗り込むと予想して同船に乗り込む……。しかし実際の探偵役はロシアの若き外交官ファンドーリンのようだ。
サブタイトルにある『ファンドーリンの捜査ファイル』は現在ロシアで11巻まで刊行されているらしい。

印象はルパンとホームズを足した感じ。大海原を進む船の中に犯人がいるという設定は、アルセーヌ・ルパン初お目見えの『ルパンの逮捕』を彷彿とさせる。時代も似たようなものだ。
それにこのファンドーリンという主人公がご他聞に漏れず素敵だ。女性がぽーっとなるような美青年で紳士。ちょっと吃音があるが知性的な喋りをする。おまけに! 彼は黒髪なのだが一部が白いのだ! これはなにやら過去に悲しい出来事があった結果、心因性の原因でそうなったようだ(……と、解説に書いてあった)。まるっきりBJと同じではないか! ちなみに著者のアクーニンは大の日本びいきで、ペンネームの「アクーニン」も日本語の「悪人」から取ったもの。それくらい日本が好きなら『BJ』だって読んでいるかもしれないではないか。

既に私の頭の中では「アルセーヌ・ルパン + BJ = ファンドーリン」という公式ができあがりつつある(笑)。さ、続きを読もう。

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「喜楽湯」さん、お疲れ様でした。

「松江市内で唯一残っていた銭湯「喜楽湯」が9日、最後の営業を終え、92年の歴史に幕を閉じた。」(朝日新聞島根版より)

今朝の新聞を開いて歯噛みした。しまった! 行きそこなった! 閉店の噂を聞いていたから、最後に一度訪れてみたかったのに。

松江市母衣町(ほろまち)にあったお風呂屋さんだった。わが家から歩いて5分ほどのところだ。なのに一度も利用したことがなかった。母衣小学校に通っていた頃は毎日その前を通ったものだ。喜楽湯の前だったかどうか覚えていないが、その近辺にはいつも映画の立て看板が立っていた。女の人の裸が描かれているやつだ。集団登校のときには皆の間に一種独特の緊張感が走る通過ポイントであった(笑)。

そんな変な思い出もあるが、近くに赤十字病院があるので、入院患者の付き添いの人たちが今でも多く利用するという話を聞いていた。子どもの頃にはちょっと離れた京橋川近くにもう一軒お風呂屋さんがあったが、そちらは早々に廃業されて、この喜楽湯さんだけが頑張っておられた。

結局、松江城大手前線の道路拡張計画が廃業への最後の一押しとなってしまったようだ。道路が広くなれば移転を余儀なくされる。後継者もいないので……ということらしい。誠に名残惜しく残念だ。

喜楽湯さん、とうとう一度も行かれませんでしたが、長い間本当にお疲れ様でした。どうぞお元気で!

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再放送

わが家で観られるテレビチャンネルは5つしかない。NHK総合と教育、あと民放が3局だ。他の地方の人からは少ないと言われるが、子どもの頃からずっとそうだったし、これはと思う番組以外テレビはほとんど観ないので、別に支障を感じたことはない。リアルタイムで観られなくても、何年かたって再放送されることもあるし。

というわけで、きょうは再放送について。

夕方家にいるときには再放送の『水戸黄門』を観ることがある。東野黄門様の「カッカッカッ」という笑い声も懐かしい。ところで、こういう比較的古い作品を観るときにはそんなことはないのだが、ほんの数年前に(当時わが家では観られない局で)放送されたドラマの再放送を観ると、なんだかとても安っぽく見えると思うのは気のせいだろうか。どことなく偽物っぽい、ばったもんのように思えるのだ。

間に挟まれるCMが、全国的に有名なスポンサーのものではなくて地元の○○商店のものだからだろうか?(1枚の写真に棒読みっぽいナレーションが被さるCMが数本続くと非常につまらないものである。)4時とか5時とかのきっちりした時刻に始まらずに、3時10分とか4時50分とかの中途半端な時刻に始まるからだろうか?(いかにも時間調整的な意味合いを感じる。)あるいは、夕方の時間帯が問題なのだろうか?(一般的に夕食の準備に気忙しい時間帯だし、冬場は特に、辺りがだんだん薄暗くなっていくのも物悲しい。)そんなこんなが積み重なって、なんだか本放送のときのものとは違うものを観ているような気分になるのかもしれない。

しかしそういう安っぽさとは別に、内容からもどこかズレた感じを受けることがある。特に現代劇はそうだ。どんなに当時ゴールデンタイム枠で放送されて好評を博した話題作でも、いや、そうであればあるほど、なんだか違和感が拭えない。20~30年前のものなら、「そうそう、当時はこんなだったよね」と許せるものでも、最近の作品だと思わず身体が捩れるような居心地の悪さがつきまとう。タイムラグを実感する瞬間だ。そしてそれは私の場合、なんとなく悲哀を感じる類の感情なのである。……再放送って、なんだか哀しくありませんか?

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島根県立古代出雲歴史博物館

GW中 休みのなかった夫が休みだったので、今年3月にオープンした「島根県立古代出雲歴史博物館」に連れていってもらった。出雲大社のすぐ隣である。連休は終わったのに、それでもけっこうな人出。生涯学習サークルの人たちなどが見学のために訪れていた。

行ってすぐに20分ほどの映画を観た。3種類あるうちの「オオクニヌシの物語」というタイトルだったかな?「因幡の白兎」のお話から始まって、スサノヲの娘を娶るお話、高天原に国を譲るお話までがまとめられていた。正面のスクリーンだけでなく四方の壁に映るようになっていて、観客はあっちを見たりこっちを見たり。動きのある場面などは迫力があっておもしろかった。しかーし! こういうことにまったく関心のない夫の談:「神様がいっぱい出てきてよくわからなかった」。途中で寝なかっただけ褒めてつかわす。

次に「開館記念特別展 神々の至宝 -祈りのこころと美のかたち-」を観た。宗像神社、熊野大社、春日大社その他に収蔵されている国宝クラスの品々が展示されている。金の王冠とか宝玉がちりばめられた太刀、今も色鮮やかな檜扇などが美しかった。古代の昔からこういう工芸品を作らせたら日本人というのは天才だと思う。繊細な感覚と手先の器用さは世界に誇れる。

続いて、「まだあるのか……」と既にくたびれている夫の尻を叩きつつ「常設展」を観る。これからが本番じゃ! 48mの高さがあったと言われる出雲大社の1/10スケールの模型や、先の遷宮の際に下ろされた巨大な千木(8.3m実物)に圧倒された。どうやってこんなものを建設したのかというのも不思議だが、想像をはるかに超える大きさのものを目の当たりにすると人間というのは思考力を無くしてただ単純にひたすら感動するもののようだ。「 big 」ではなくて「 huge 」。奈良の大仏やリオ・デ・ジャネイロのキリスト像が大きく作られた理由もわかるような気がする。

続いて、荒神谷遺跡から出土した358本の銅剣や「景初三年」銘三角縁神獣鏡や銅鐸などを見る。この銅剣はこれまでにも何回か見ているが、やっぱりその圧倒的な数に感動する。どうして埋めたのか? としばし古代の謎に思いを馳せていたら、夫が「銅鐸は肉を蒸し焼きにするときに使う道具である」などという珍説を出してきたので台無しになった。人選を誤ったと臍をかみつつ、2階のカフェで軽く昼食を取ってから博物館を後にした。

女房孝行が終わったとばかりに晴れやかな顔になり、そのまま釣りに行くという夫とは雲州平田駅で別れ、私は電車で帰った。付き合わせて悪かったが、私はとても楽しかった。ありがとう。今度からは独りで行くことにするよ。

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BJの患者(人間以外)

月曜日は『BJ』語り。きょうは、BJが扱った人間以外の患者をリストアップ。

#2 「海のストレンジャー」 イルカ
#5 「人間鳥」 人を鳥に
#6 「雪の夜ばなし」 幽霊
#11 「ナダレ」 鹿
#12 「畸形嚢腫」 畸形嚢腫をピノコに
#24 「万引き犬」 犬(ラルゴ) 
#31 「化身」 馬の脳を人間に移植
#45 「白いライオン」 ライオン
#65 「のろわれた手術」 ミイラ
#77 「ドラキュラに捧ぐ」 手術はしていないがドラキュラ
#90 「シャチの詩」 シャチ 最初の患者
#98 「犬のささやき」 犬
#増刊「U-18は知っていた」 コンピュータ
#136 「戦場ガ原のゴリベエ」 猿
 (#155 「コマドリと少年」)
#169 「モルモット」 モルモット
#190 「1ぴきだけの丘」 熊(タロー)
#206 「山猫少年」 山猫
#211 「未知への挑戦」 宇宙人
 (#226 「ポケットモンキー」)
#242 「オペの順番」 イリオモテヤマネコ

動物、幽霊、ミイラ、ドラキュラ、コンピュータ、宇宙人……。これらは全て一度はBJの患者になったことがあるモノ達だ。BJ本人も獣医で治療してもらったりしているので、専門分野なんてあんまり関係ないのかもしれない。

そもそも、BJの容姿を気味悪がって誰も寄り付こうとしなかったあの岬の診療所の第1号の患者にしてからが「シャチの詩」のシャチ(トリトン♂)である。なにしろ患者が彼しかいないものだから、BJも「おれはもう人間相手をやめて獣医になろうかな」などと言っている。トリトンとの間には種族を超えた友情まで芽生えるのだが……、もうこのへんで止めておこう。泣いてしまう。

上記のリストは掲載順なのであるが(私にしては珍しい。褒めてくだされ)、特にシリーズの初期に人間以外の患者が多いことがわかる。なにしろ当初『BJ』に冠されたキャッチコピー(?)は「ホラーまんが」だったのだ。普通ではない医者を描こうとすれば、いきおい患者もそれなりにインパクトのあるものを選ばざるを得なかったのだろう。特に「人間鳥」はシリーズ随一のトンデモ話で、BJは人間を鳥に改造する。だから患者は人間なのだが、人間以外のものになったということで、リストに挙げておいた。

シリーズ中盤になって「ホラーまんが」から「ヒューマンまんが」に変わっても、BJは対象を選ばない。特に、決して人間を裏切らない動物たちとのふれあいを描いた作品には涙を誘う秀作が多い。患者ではないが()内の作品もそうだ。人の生死を左右することのおこがましさを描く一方で、他の生き物たちに対する人間の奢りを戒める作品が描き続けられていたのだ。そして正真正銘『BJ』シリーズの最後の作品「オペの順番」が描かれる。この作品の中でBJは権力者である代議士よりも先にイリオモテヤマネコの手術を行う。命の重さに人間かそうでないかの違いなどないとする思想が明確に現れている。

『火の鳥』を読むとわかるのだが、手塚治虫は地球自体をも含めてあらゆる生命体をひとつのものとして考えているように思われる。その大いなる生命体とも言うべきものが、人間や動物や宇宙人や惑星やその他ありとあらゆるものの姿を取って発現しているに過ぎないという考えのようだ。我々はたまたま現在人間という生き物になっているだけで……。輪廻転生などという言葉が頭をよぎる。また、そんな世界の中で「死」とはどういう意味を持つのかということも考えさせられる。次の生命の誕生のために養分となるのなら死もまた大きな意味を持つのだけれど、今の日本では火葬だからなぁ、などとも思う。こういう問題を考え出すと、いつもに増して支離滅裂なことになりそうなので、このへんで強制終了(笑)。
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50000hit トーレスさんから5万ヒットの記念イラストを強奪して参りました。珍しく和やかな表情の黒医者sです。敵でもなく友でもなく、運命づけられた「バディ」の関係を彷彿とさせます。これこそ私の萌えの原点。トーレスさん、ありがとうございます。そして5万ヒットおめでとうございま~す♪
(なお、イラスト内の歌詞は『新ゲッターロボ』挿入歌「伝説~Legend」より一部を引用したものだそうです。)

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誇りの問題

現在配信中の『Knock Out VOICE!! #22』の『迷狂止彗(めいきょうしすい)』のコーナーでは、先ごろの列車内での強姦事件が取り上げられている。パーソナリティのお二人(黒田崇矢さん、大塚明夫さん)も憤慨のあまり、休憩を入れないと先が続けられなかったとか。確かに、よく聴くと大塚さんの声が悔しさで震えているのがわかる。

二人とも、犯人は言うに及ばず、彼女を助けようとしなかった列車内の乗客に憤っている。大塚さんがこう言った。「男としての誇りの問題。もし自分がここで見て見ぬ振りをしたら、情けなくて死にたくなると思う。……(中略)……助けに入って怪我をしたり人生がそこで終わったりするかもしれないけれど、見て見ぬ振りをしても人生は終わると俺は思う」

まさに同意である。先日この事件を取り上げたとき、書こうとしてうまく書けなかったことを大塚さんが喋ってくれた。まさに人間としての誇りの問題なのである。こんな根源的なことを欠いた人間がそんなにたくさんいることが明らかになった事件だったからこそ、これだけ腹が立つし恐ろしいし信じられないのである。「義を見てせざるは勇なきなり」ともちょっと違う。義ではなくてもっと本能的な誇りの問題だろう。

自分がやらなくても誰かがやってくれると思っていたのだろうか。馬鹿な……! 以前、うまく歩けず転んで道を這っていた女性を助けたことがある。駆け寄って声を掛けていたとき、すぐ脇を通り過ぎた男性がいた。私も動転していたからその時はそんな余裕はなかったが、後から思い返してみて、その男性に石でもぶつけてやればよかったと思った。男性は私よりもその女性に近い位置にいたのだから。結局、その女性は泥酔状態だったようなので、折りよく車で通りかかって声を掛けてくださったお向かいのお宅の奥さんと一緒に、家まで送り届けた。独り暮らしのようだったし、決して若くはない女性だったので、地区の民生委員さんに電話をして一件落着。しかし、そ知らぬ風に通り過ぎたあの恥知らずな男性に対する軽蔑の念は未だに消えない。

あ~、また思い出してムカムカしてきた。冷静に、感情的にならずに書こうと思っていたのだが、やっぱりダメだ!

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文房具

探し物をしていたら、段ボールの中から大昔の私のノートが出てきた。左側の「こくご」のノートは表紙だけ、右側の自由帳は白紙のページだけ残っていた。どうしてこんなものが取ってあるのか、謎だ(笑)。

070505_213401 「こくご」の方は「1ねん3くみ ○○」と名前が書いてあるから、実に40年ばかり前の品だとわかる。金色のシールが貼ってあるのは、何かの賞の景品で貰ったものだからだろう。表紙は田舎道でジャンケンしている小学生3人の写真。うちはこんなに田舎ではなかったし私は制服で通学していたけれど、肌色のタイツやちらりと覗く毛糸のパンツには堪らない懐かしさを覚える。この子たちももう50歳ほどになっているのだろうと思うと感慨深い。右側の方は更に覚えがないが同じ頃のものだろう。私はお人形さんが嫌いな子だったので、こういう図柄はまったく趣味ではなかった。最初と最後の方のページが数枚破り捨てられていて、ほとんどのページが白紙のまま残っている。やっぱり当時から使う気にならなかったのだろう。この頃の自由帳の常として、表紙の内側は「ぬりえ」になっている。しかしまあ何と言うか、当時の女の子たちはこういう幼き日のお蝶夫人のようなのに憧れていたのかなぁ。覚えがないけど……。20円也。

文房具というのは何故だか見ているだけでワクワクしてしまう。ちょうど今日、「におい付き消しゴム」がニュースになっていた。さすがに世代が違うので、私には縁がなかったけれど。私の頃には、片方にプラスチックのハケが付いた消しゴムがあったのを覚えている。しかし私にとっての文房具というのは、そういう遊びの要素のある子供向けのものではなくて、機能性が優れているとか、長年使っているうちに手に馴染んでくるもの、というイメージが強い。高校入学のお祝いに買ってもらったパーカーの万年筆や、就職したとき自分で買ったモンブランの万年筆は未だに持っているし、父の製図用具の中から失敬した製図用シャープやロットリングペン、テンプレートなども、使えもしないくせに捨てられない。大学に入ったときに買った牛革のバインダーも。無駄のない機能美や長年の使用に耐え得る耐久性、シックな色合い、それらにその時々の思い出や自分が使うときの癖が加わって、世界にふたつとない自分だけの大切な文房具ができる。使い捨ての文房具には絶対に望めない風合いが出てくるのが面白いと思うのである。

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(備忘録070504)

読書中につき、本日はお休みします。

本日の「目からウロコ」
いろんなブログを見ていると「スポンサードリンク」という言葉を目にすることがある。「飲料水のメーカーでもないのに……。でもきっとこれはIT関係の専門用語なのだろう」と思っていた。「スポンサード リンク」なんだね。びっくりしました(あほ)。

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60年目の憲法記念日

単に「戦争反対!」と唱えると、現実を見ない愚か者だと言われる。私はそうは思わない。刻々と移り変わる目先の世界情勢(それもアメリカを中心とする)に汲々としていることこそ愚かではないのか。この地上において恒久普遍的な平和を目指すという高邁な思想は日本国憲法の「前文」に高らかに宣言されているではないか。拠り所となる確固たる基本原理があれば泰然としていられる。そして「戦争反対!」の基本原理は決して間違ってはいないはずだ。

もしも憲法9条が、日本は軍事大国への道を進むべし、という内容のものだったりしたら、私は猛然と反対し、憲法改正派に与する。しかしそうではない。たとえそれが日本の戦力を削ごうという当時のGHQの思惑で作られたものであったとしても、平和憲法が作られたことはまさに日本にとって世界にとって奇跡的な僥倖だったと言えるのではないか。

憲法を改正して自衛隊を軍隊と認め、軍備を強化すべきだとする人は私の周囲にもけっこういる。喧嘩になるのは嫌だから彼らと深くつっこんで話し合ったことはないが、それらの人々の言葉の端々から感じられるのは、国は国民を守って当然だという考えだ。確かにそうであってくれれば嬉しいのだが、自衛隊の限られた人数で全国民を守れるわけがない。いざ戦争状態になれば国民はお国を守るために出陣するのだ。ほ~ら、国と国民が逆になってる。国は国民を守ったりはしないのだ。

ここに至って、私はいつも思う。「国」というのは幻想だ。「一般」とか「平均」というものに実体がないように、国民1人1人は実体であるのにそれが1億3千万人ほど集ると国という実体のない幻想になる。幻想同士の戦いで実体である人間が死ぬなんて、一番愚かなことではないのか。

営々と繰り返されてきた戦争の歴史において、憲法9条はひとつの明確な答である。軍備を持った国が戦争反対を唱えても説得力はない(核を保有するA国がNK国に核の放棄を促す権利などないと私は思っている)。戦争を放棄した国であるからこそ、それを公平に声高に主張できると考える。日本の担うべき役割は非常に重いはずなのだ。本当に「美しい国」とは、武力以外で問題を解決できる国である。今朝の朝日新聞は「提言日本の新戦略」と題して21もの社説が掲載されていた。アメリカの方ばかりを見ようとせずに「地球貢献国家」になるべきだとする論調に、基本的に賛成である。

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上記とはまったく関係ないが、GHQと聞くと思い出す話がある。母から聞いた話だ。母は戦後しばらく婦人警察官をしていた。ちなみに県内で第一期の婦人警察官である。どんな仕事をしていたかというと、田舎の小学校へ紙芝居をしに行ったり街中の交差点で交通整理をするというようなものだったらしい。その交通整理では、GHQの車を止めてはいけないという決まりがあったという。今の緊急車両のように優先されるべきものだったのだろう。しかし母は止めてしまった。確固たる政治的思想によるものか生来のおっちょこちょいのなせるわざか、そのへんは知らないが、たぶん後者だろう。GHQの方々はどうしたか。ちゃんと車を止めてにっこり笑って口笛まで吹いてくれたという(笑)。そりゃあハタチそこそこの女の子が交差点の真中で一生懸命旗を振っていたら可愛かったことだろう。GHQの皆さんに受けたことがおもしろくなって、その後も母だけはGHQの車でも容赦なく止め続けたという。このへんがちょっと変わっているが、お咎めなんぞ一切なかったそうだ。国とか宗教とかの括りさえなければ、人間同士なんてそんなもんだ。

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ロンサム・ジョージ

世界で1匹しかいない珍種のゾウガメ「ロンサム(独りぼっちの)ジョージ」の「親類」が見つかったらしい。見つかったのは雄だが、探せば雌も見つかるかもしれない。ロンサム・ジョージは推定85~100歳。近い亜種の雌とずっとお見合いをしているらしいが、高齢のためかあまり興味を示さないとか。しかし推定175歳まで生きたガラパゴスゾウガメの「ハリエット」の例もある。ロンサム・ジョージが子孫を残して絶滅が避けられればよいなと思う。

本来、自然界の営みには人間は手を加えるべきではないと考える。自然淘汰されて絶滅する種があるのはやむを得ないことだと思う。しかし、このガラパゴスゾウガメの場合は別だ。Wikipediaによれば「ウチワサボテンの芽や実を食料とする。他のガラパゴス諸島の生物と同様に天敵が存在しなかったことから人間を警戒せず、捕鯨船の食用や燃料の油として大量に捕獲され、一時絶滅の危機に瀕した。」とある。いたっておとなしく生きてきた彼らを、人間が絶滅させかけているという事実があるのだ。

ならば、事実上最後のピンタ島のゾウガメとなってしまったロンサム・ジョージが生きているうちに、彼の血統を絶やさないようにするくらいの罪滅ぼしを、人間はしてもよいのではないのか。その昔、独りぼっちだったアダムのために神がイブをお造りになったように。いや、人間を神に譬えるなど不遜極まりないことなのだけれど、DNAの近い雌を連れてくるくらいのことは許されるのではないかと私は思う。

しかし、自分の仲間が1匹もいない状況とはどういうものなのだろう。もしも、自分が行ける範囲のところに他の人間が1人もいないという状況になってしまったら、私はどうするだろう。1人では食糧の確保もできないかもしれないし、野生化した犬に襲われる危険もある。それよりも何よりも、想像を絶する孤独感で、生きる気力を失うかもしれないなぁ。ロビンソン・クルーソー(これには実際のモデルがいる)はどうだったのだろう。やっぱりフライデーという人間は絶対必要だったと思う。ロンサム・ジョージに幸多からんことを!

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(備忘録070501)

昨日は良かったのに今日はなんとなく熱っぽい。人にうつしてもいけないので病院へ見舞いにも行かず書店に寄って帰る。午前中メーデーのシュプレヒコールが聞こえていたが、賃上げ要求や増税反対などに混じって「国民投票法案反対!」なんてのもあった。あんまり労働者の権利というのには関係ないような気がする。この際なんでも言ってしまおうということなのかな。メーデーそのものが形骸化しているようにも思える。

本日のお買い物。
「ひとは情熱がなければ生きていけない」(浅田次郎著)、「人はなぜ「美しい」がわかるのか」(橋本治著)。
ほか2冊注文。

本日見つけたBJ関連のサイト。
http://premium.yahoo.co.jp/tezuka/
「おばあちゃん」は是非観てみたいが、いつか京都へ行ったときの楽しみにとっておこう。このサイト右欄から「ブラック・ジャック公式検定」へ飛べる。タイトルのところに悪そうでカッコいいキリコさんがいる。上級問題で1個間違えた。悔しい。

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