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2007年9月

とりとめのない話

舛添厚労相が、社保庁職員の横領を防ぐため、同庁の保険料徴収窓口を廃止する方針を明らかにした。さらに、記者団の質問に「銀行は信用なるけど、社会保険庁は信用ならない。市町村の窓口はもっと信用ならない」などと発言したとして、物議を醸している。まあどっちもどっちだと思うけどね。ついでに、銀行はただの金庫としては利用価値があるかもしれないが、利息が限りなく0に近い現状では決して庶民の味方とは言えない。

なんか最近思うのだが、政治家ってのは必要なのだろうか。国家ってのは必要なのだろうか。日本での情けなく腹立たしい社会保険庁の一件(これは福祉だって国をアテにしてはいけないということを明確に国民に知らしめた事件だと思う)とか、ミャンマーでの治安部隊に追いかけられる一般民衆の姿を見るにつけ、いったい誰のための政治なのかとつくづく思う。

自由主義とか民主主義とか社会主義とか共産主義とか、あるいは独裁政権、軍事政権等の形態とか……。一般民衆がそれぞれ働いた分だけの収入が得られて そこそこ衣食住に困らない生活ができれば、そんな政治のあり方なんかどれでもよいと私は思う。しかし、今ある様々な政治形態は結局はどれもが一部の有力者に富と権力が集中してしまうようだ。弱い者はとことん弱い。

群れがあればそこに上下の関係が自然にできてしまうことが、その原因なのかな? サルでも犬でもリーダー格の個体が群れを引っ張っていく。しかし、魚の群れにはどうやらリーダーはいないようだし、クラゲの大群にもおそらくいないだろう。ということは、群れで生活する動物の中でもいわゆる知能の発達した動物にしか上下の差は発生しないと思われる。

知能の発達は欲望と無関係だとは思わない。メスを手に入れたいと思えば、オスは他のオスを打ち負かす力を得なければならない。まずは体力、そして知力だ。ヒトくらいの自称高等動物になると、それが財力とか権力とか名誉とかに結びつく。ついでに、それを得れば優越感という快感を得られることを学習して、ヒトはますます底無しに貪欲になっていく。

なんだか最初とずいぶん話題が変わってきてしまったが。いや、わが家に残飯を食べに来るノラ猫の「シャー」を見ていてつくづく思ったのだ。たった1匹で生活し、全ての危険を全て自力で回避し解決し、生存するだけの欲求しか持たず、おそらく過去を回顧することも未来を憂うこともなく、気が向けば可愛らしく甘えた声も出すが基本的に相手に媚びることはなく、あらゆることに泰然としてあるがままの今を享受しているその孤高の姿が、なんとも羨ましく思われてならないのだ。人間なんて、その小利口さが却って仇となっている、ツマラナイ生き物なんだろうな、きっと。

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戦場カメラマン

ミャンマー軍事政権の反政府デモ鎮圧の様子を撮影していたカメラマン長井健司さんが銃撃されて亡くなった。お母さんが「行くなと言っても行ってしまう」と仰っていたのが悲しかった。ご冥福をお祈りしたい。

古くはインドシナ戦争で地雷を踏んだロバート・キャパ、日本人ではカンボジア戦線で狙撃された沢田教一さん、ポル・ポト派に処刑された一ノ瀬泰造さん(「地雷を踏んだら“サヨウナラ”だ」の言葉で有名)、イラク戦争で襲撃された橋田信介さん。いずれも取材活動中に亡くなった戦場カメラマンたちだ。

夫の知人にも一人戦場カメラマンがいる(フォトジャーナリストと呼んだほうがよいのか)。イラク戦争のときバグダッドから中継したり、自衛隊がサマワに入ったときにも多方面で活躍していたE氏である。私は直接お会いしたことはないが、世界各地で紛争が起きると真っ先にEさんが行っていないかどうかが気に掛かる。もう結婚していらっしゃるのかどうかも知らないけれど、もし奥さんがいらっしゃるならその心配たるや尋常ではなかろう。

ミャンマーでは軍事政権がインターネットを遮断するとともに、新聞の発行を停止、外国人記者を監視下に置くなど、情報統制を敷いているとの情報もある。Eさんがそこに行っていないことを、そしていつか世界中から「戦場カメラマン」というものが無くなる日が来ることを、祈りたい。

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(備忘録070928)

NHK7時のニュースは見逃したのですが、発見された「ブラック・ジャック」の未完成原稿コピーというのは「虚像」だったのですね。「虚像」の、そのまたコピーなんて、なんだか寓意的というか象徴的というか……。

きょうはクタクタなので、記事はお休みします。

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相撲部屋の事件

時津風部屋での殺人事件(敢えてこう書く)を知って、戸塚ヨットスクールの事件を思い出したりした。あの事件では傷害致死でたしか実刑6年だった。

戸塚校長の場合は確信犯的な行動だったと思う(ここで言う「確信犯」とは元来の意味、つまり「自分の行動の正しさを確信して行った犯罪」という意味で使っている)。彼はきっと現在でもスパルタ式の教育指導方針を曲げてはいない。

今回の場合は「可愛がり」と呼ばれる「リンチ」の果てに起こった悲劇だ。「指導」という要素が最初から少しでもあっただろうか?

この事件が相撲界に及ぼす影響は大きいだろう。わが子を相撲部屋に入れようと思う親がいなくなるかもしれない。スポーツ、特に格闘技の世界なんかでは、ある程度のシゴキはあるものだと思う。一概に全てをイジメと称してはいけないと思う。要は、その目的と程度なのだろうが……。

時津風親方は温厚な人柄で知られていた人らしい。いろんな弟子をたくさん見てきただろうに、何がどうなってこんな事件が起こってしまったのか。止められなかったのかなぁ……。

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十六夜

ずいぶんと日が短くなって7時前にはもうとっぷりと暮れた道を、十六夜の月見をしながら家に帰る。

古来ウサギが餅を搗いていると言われる(私にはどうしたってそうは見えないのだが)模様もはっきりと見える。西洋の方では女性の横顔とか言われているようだ。ずっと昔から月はこの面しか地球に向けていないことが、つくづく不思議に思われる。月の自転周期と公転周期がぴったり一致しているから、と科学的な説明をしてしまうと味気ないが。何故一致しているのかというと、地球と月との距離が関係しているのだそうだが、もうそこんところになると私の理解の範囲を超えるので説明しない(できない)。とにかくそれは偶然ではなくて必然らしい。アポロ宇宙船が月に行かなかったら、人類は月の裏側を見ることなどできなかった。たまたまその時代に生まれたことを僥倖に思う。

太陽と月の見かけの大きさがこれまたまったく同じなのも、私には不思議でならない。でもこれはたぶん偶然だ。遠い将来には、太陽は地球の軌道くらいひと飲みするほどに膨張して最期を迎えるらしいから、長い目で見ればこの偶然は今だけのものだ。もうその頃になれば、当然、地球上に生物はいなくなっているだろうことを思うと、日常のあれやこれやがなんだかもの凄く小さなことに思えてくる。宇宙は未来永劫、活動し続けるのだろうか? この世に「永遠」などというものは無いと思っていたが、宇宙だけは別物なのだろうか?

わーい、また身体が捩れるよ~(笑)。

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月によせて

任期ちょうど1年で官邸を去った安倍ちゃん。福田新首相の新内閣の顔ぶれが決定した。が、それはさておき、今夜は中秋の名月。中天高く上った満月が美しい。

日本の文化風土には満月が似合う。そのことが前提にあって、兼好法師の「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。」が生きてくる。群雲がちょっと月にかかる風情もまた無常観があってよいものだが、それにしてもやっぱり日本は満月を愛でる国なのである。

イスラムの国々では三日月と星がその象徴である。イスラム教国の国旗にはこの二つが描かれたものが多い。『月の砂漠』の月は決して満月ではなく三日月だろう。アリババが活躍した夜もその空に掛かっていたのは細い三日月であったろう。

さて、昨今問題となっているテロとの戦いは、言い換えればキリスト教国とイスラム教国の戦いに思えてならない。もちろんイスラム教の中にも多くの派があってそれぞれの主張を譲らないことも聞いてはいるが、世界中を巻き込んでいる現在の状況を大局的に見れば、キリスト教対イスラム教ということになるのではないかと思う。イエス・キリストが生まれて以来の争いを今でもずっと続けていることになる。

日本はそのどちらでもない。だからこそ、本来ならばそのどちらにも対等な立場で交渉ができる国だと思う。独自の立場で日本が果たすべき役割があると思うのだけれどね。それぞれの国の文化を損なうことなく、もちろん人命を損なうこともなく、仲介する立場だと思うのだけれどね。限りある資源の油を延々とムダに与え続けることよりも(成果が挙がっているのかどうかも定かでないことにどれだけ血税をつぎ込むのか)、テロ行為に走ってしまう貧困と無教育の状況をなんとか打開することにお金を投じるほうが、よほど将来のためになると思うし納得がいくんだけどね。

そういう根本的なところから国会で論じてほしいと思っているのだが、結党以来の危機に直面している与党と、批判のために批判している某野党では、そこまで期待するのは絶対無理なんだろう。

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残された者

今日は久々に酷い頭痛で身動きならず。一歩も外に出ないで横になっていたら、BJ先生が「メルモちゃんの名前は『メタモルフォーゼ』から取ってるんだぜ」と仰ったので「それは何の薬ですか?」と訊いたら「タンパク質の一種だ」と言われた夢を見ました。見る者の程度が低いとBJ先生がとんでもない馬鹿になってしまって申し訳ない。でも先生が「メルモちゃん」て……。「ちゃん」なんて言っているのを聞けて嬉しかったです。それ以来ずっと頭の中に「♪赤いキャンディ 青いキャンディ 知ってるかい」の歌が流れっぱなし。

というわけで、月曜日は『BJ』語り。まだ頭がズキズキしているので、きょうは日頃ぼーっと考えているあれやこれやを書いてみます。

【血縁者】
父、母、小蓮
【友人】
タカシ、間久部、矢口夏江(ナッちゃん)、ゲラ、トリトン
【恩師】
本間先生

【好きになった女性】
如月めぐみ、ブラック・クイーン

こうして改めて見ると、BJは本当に可哀想だ。家族はもとより親友と呼べる人達(含むシャチ)が残らず死んでいる。好きになった女性達は生きてはいるものの、遠くに離れているし、それぞれ結婚できない事情がある。BJ先生はせいぜい30代のはずなのに、既にこれだけの人々がすべて去ってしまっているのである。愛する人を失う辛さを、BJほど骨身に沁みて知っている人間はいないかもしれない。

BJは概して自分に向けられた好意や愛情に対して冷淡である。「誤診」でBJの助手になることを希望した伊東医師を追い返したり、女性からのアプローチをにべもなく断ったりしている。「忘れなさい 私のことなんか」とか「おしあわせに……奥さん」とか言ってニヒルに去っていく(しかし、なんでこの人が言うとこんなにこっ恥ずかしいメロドラマ風になるかねぇ笑)。

しかし、少なくとも一度は如月先生と真剣な恋愛をしようとしたことがあったわけで、恋愛感情というものがわからないわけではない。わからないどころか、人様の恋愛模様には非常に敏感であることは今までにも見てきたとおりだし、BJという男はとても人懐っこい一面も持っている。興味を惹かれる対象を見つけるとずーっと後を尾行していくし、街中で人だかりがしているようなところには必ずいる(笑)。人に興味が無いわけでは決してないのである。

なのに、より深く関わろうとしない、特定の人を愛そうとしないのは、人を愛することに臆病になっているからなのかもしれないと思う。もうこれ以上愛する人を失いたくないという気持ちがあるのかも。だから、いま愛情を注いでいるピノコの命に危険が及ぶとBJは俄然平常心を失う。白血病になったピノコを救おうと、行きたくもない医師会総会まで覗きに行くBJの懸命さはどうだ(「ピノコ生きてる」)。誤って青酸カリのカプセルを飲んだピノコを前にした、あのBJの慌て振りはどうだ(「ガス」)。冷静沈着な天才外科医にあるまじきミスをし、焦りまくっている。これが赤の他人だったら、BJは最初から的確な判断を下して余裕を持ってオペを成し遂げたのではないかな。

残された者の思いに関しては「99.9パーセントの水」に言及がある。原因不明の病気に罹ったドクター・キリコが自分を安楽死させようとしていることを知ったBJが叫ぶ。「自分を安楽死させる? そりゃあかってだが」「残った妹の気持ちにもなってみろ!!」 さんざん愛する人と別れて独り残され続けてきたBJ先生の、これが真情だろうと思う。基本、寂しがりやさんなのである。(←ちょっとドリーム入ってます・笑)

070924 ←「ピノコ生きてる」の扉絵。
為す術なく立ち尽くす天才外科医。

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きらきら星

♪ドドソソララソ~ ファファミミレレド~
夕方、近所の子供がピアニカで『きらきら星』を練習していた。

私達の頃は小学校低学年ではハーモニカを習ったが、最近はピアニカなのだろうか。4年生頃(記憶が定かでない)からソプラノリコーダーで、中学校からアルトリコーダーだったような気がする。この縦笛の呼び方にも年代差があって、7歳年上の夫は「スペリオパイプ」と呼ぶ。なんだかそっちの方が高級そうな響きがある。リコーダーをランドセルに縦に挿して通学した思い出があるが、ピアニカだとランドセルには入らないだろうな。

幼い頃から私の周りには絶えず音楽があったような気がする。8歳年上の兄がバイオリンを習っていて、これは結構上手かったらしい。毎晩私が寝る8時頃にいつもキコキコ練習していて、それが子守唄代わりだった。今でもオーケストラを聴くと若干眠くなるのは、この頃培った条件反射のおかげだろう(笑)。私自身は3歳から高校時代までピアノを習っていた。年期だけは長いが、身体の割りに手が小さいので1オクターブにやっと届く有り様では、とても使い物にはならなかった。クラシックばかりやらされて(最後の頃は不協和音だらけの現代音楽もあったが)ほとほと嫌になっていた頃、キース・エマーソンとかキース・ジャレットを聴いてたまらない魅力を感じたものだった。

今住んでいる家にはピアノを持ってきていない。時々むしょうに弾きたくなることがある。昔ならモーツァルトの『きらきら星変奏曲』くらいつっかえつっかえ弾けたと思うが、今はもうダメだろうな。バッハのインベンションも弾きたいな。リスト……これは当時から無理だったな。orz

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親と介護とアルツハイマー

昨日、9月21日は「世界アルツハイマーデー」だったそうだ。

折りしも、今朝は高齢者虐待に関するこんなニュースを目にした。「虐待者は息子(37%)が最も多く、次いで夫(14%)、娘(14%)の順。」「虐待を受けた高齢者は女性が77%を占めており、84%が同居している人から虐待を受けていた。」これらの文章が哀しい。虐待を受けるお年寄りも気の毒だが、その虐待者の中には決して悪意から虐待しているのではないケースも多々含まれているのではないかと思う。虐待しないではいられないところまで追い詰められる家族の心情も哀れだ。

こういう問題が表沙汰になると、これはもう一家庭内で解決することは不可能だから社会問題として法や制度を充実すべきだ、という意見が噴出する。それはそうだ、と思う。私の母のケースでも、ヘルパーさんの助けがなくてはとてもやっていかれない。だから、今後ともそういう福祉の充実は是非ともやっていただきたいと思う。

しかし……、そういう側面からだけでは解決できない問題がここにはある。一言で表せば「肉親の情」だ。ヘルパーさんにお願いし、そこそこ不自由なく暮らしていかれるように手配したからと言って、そこで「これで良い」とはどうしても思い切れないのが肉親だ。本来なら家族がやるべき、という内心忸怩たる思いを四六時中持ち続け、かと言って、ならば空いた時間をすべて介護に費やせるかというと、何やかやと理由をつけて逃げ腰になっている自分がいる。育児のように、数年経てば手がかからなくなるというものではない。これから更に過酷の度を増し、しかもそれがいつ終わるともわからない。でも……、親なのだ。かけがえのない、自分の親なのだ。この、決して忘れることのできない想いがある限り、介護にまつわる問題は永遠に解決できないのだろうと思う。

夫が知り合いの看護師さんから聞いてきた話。あの双子のき○さんぎ○さんは、アルツハイマーだったのだそうだ。それがあの時期急に人気者になって、さんざん取材を受けたりテレビに出たりしているうちに治ってしまったのだそうだ。看護師さんが言ったことだから、間違いのない話だろう。適度な緊張感が与えられ、新しい世界が開けたことが治るきっかけになったのかもしれない。また、アルツハイマーを飲んで治すワクチンも開発が進んでいるとのニュースもある。アルツハイマーが不治の病でなくなる日もそう遠くないかもしれない。

いやしかし、最近は自分の記憶力にさっぱり自信が持てなくなってしまって……。郵送したと思い込んでいたものがカバンの中から出てきたときの驚きといったらもう……_| ̄|○
心配になって、PCに入っているゲームの「神経衰弱」をやってみた。レベル3では勝てるが、レベル4になると負け越す。ここらへんにあったというのはおぼろげに覚えているものの、ほぼ100%の確率で隣のカードをめくってしまう。これは私の場合、記憶力というより位置を認識する能力に問題があるのかも。そう言えば、歩いていて通りを一本間違えることなどザラだ。う~ん。
音による「神経衰弱」も面白い。やっぱり私は隣を選んでしまうのだが……。

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懐かしアニメ

夫と、『鉄腕アトム』と『8マン』と『スーパージェッター』と『宇宙エース』の放映は、どれが一番最初だったかを論争する。私は『鉄腕アトム』だと言い、彼は『8マン』だと言う。調べてみた結果は以下のとおり。

『鉄腕アトム』1963年1月1日から1966年12月31日までフジテレビ系
『8マン』1963年11月8日から1964年12月31日までTBS系で全56話
『スーパージェッター』1965年1月7日から1966年1月20日までTBS系で全52話。
『宇宙エース』1965年5月8日から1966年4月28日までフジテレビ系で全52回。

ふふふ、勝った! 何か賭けておけばよかったなぁ。あと、『狼少年ケン』とか『宇宙少年ソラン』とか『マグマ大使』とか『おそ松くん』とか『ジャングル大帝』とかあったねぇと話が盛り上がる。あの頃は楽しかったな♪ この時代のアニメを再放送してくれたら嬉しいんだけどな。ところで、おそ松くんの兄弟、全部名前が言えますか(笑)?

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彼岸

彼岸の入りなのでお墓参り。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、今日の最高気温は33度くらいだったし、明日も34度の予報が出ている。お盆の頃と一緒じゃん?! 「おじいちゃん、おばあちゃん、暑いネェ」と言いながら墓石に水をかけたが、手を合わせて拝んでいる間にカラカラに乾いてしまった。この調子で毎年暑くなっていったら、私も近いうちにそっちに行くかもしれません御先祖様。そのときはよろしく。(-人-)南無南無

私の友人は、死んでも絶対に嫁ぎ先の墓には入らないと言い張っている(笑)。私は、どうせあの世はひとつだろうから、入り口(墓)がどこであろうとそんなことはまぁどうでもよいと思っているのだが。

この世とあの世の境に川があるというのは、東洋も西洋も一致した見解のようだ。いわゆる三途の川だが、日本では六文払って渡してもらう(六文銭。今は紙に印刷したものをお棺に入れますね)。西洋では川守カロンに渡してもらうようだ。仏教徒もキリスト教徒も行くところは一緒なのかもしれない。

日本の仏教の教えによれば、亡くなった人はその後修行を重ね、七日ごとに仏様に出会う。初七日には不動明王、二七日(ふたなのか)には釈迦如来、以下、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、そして七七日(なななぬか)に薬師如来に出会い、初めて仏の世界に行けると言われる。つまり成仏するまでに四十九日かかるわけで、その間遺族は七日ごとの逮夜(たいや)、四十九日の満中陰の法要を営んで功徳を積む。

ちなみに、三十五日目に出会う地蔵菩薩は地獄の閻魔大王と同一人物(人物?笑)である。お地蔵さまというのは本当に慈悲深い菩薩で、はるばる地獄まで罪人を救いに行かれるのだそうだ。そのときの姿が閻魔大王。数多おられる如来や菩薩の中でも、僧形のままなのはお地蔵さまだけだ。人に一番近しい雰囲気のある仏様だと思う。

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対テロ

なるほどなぁ。日本政府はそんなにしてまで給油をしたいのだなぁ。産油国でもあるまいに。

NHKのニュースで見たが、「日本」と名指しはされていないが、決議案の前文に書かれた「海上阻止行動」というのが「海上自衛隊のインド洋での給油活動」を念頭に置いたものなのだそうだ。

で、民主党はどう出るのかと思っていたら、鳩山さんが「それは必要条件ではあるが十分条件ではない」と言っていた。うまいこと言うね。

確かに、納得できるような十分条件ではないのだ。他の道はないのか、議論を尽くすことがなされていない。テロとの戦いは、なにも武力で抑えつけるしか方法がないわけではなかろうよ。

あ~、しかし、暑い! 9月も半ばを過ぎて連日真夏日ってなんなのよ! 頭が働きましぇ~ん。

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政治家ウオッチング

下馬評では既に福田氏圧勝と言われている総裁選。それでも投票日まではいちおう選挙活動をやるんだね。でも、福田・麻生両候補が一緒に移動して選挙演説するのって、なんだか不思議だ。自分のすぐ横にいる相手の批判なんかできないだろうに。

言っていることは、拉致問題解決についての方法に相違が見られる以外は、たいして違いはなさそうだ。それなのに福田氏圧勝の形勢だというのは、派閥の力がいかに大きいかという証明なのか、それとも出る杭は打たれるという組織の体質と見るべきなのか。小泉さんが派閥をぶっ壊してくれたはずなのに(小泉チルドレンだってあれはシンパという派閥だろうと思うけれども)、厳然と存在する派閥。自民党の天下のときには派閥間の争いもあったのだろうが、この危機的状況のもとでは大同団結したということなのだろう。

それはそうと、最近はいろんなニュース番組に代議士の皆さんが出演して、総裁選についてコメントしている。こういう番組を観るには、実は非常な忍耐力がいる。何故ならば、司会者が「これはどうなんですか? YesですかNoですか?」と質問しているのに対して、一言のもとに「Yes(あるいはNo)」と答える代議士はほとんどいないからだ。質問におよそ関係ないと思われるところから話し始めて、それでも最後まで聞けばわかるかと我慢して聞いていても、結局よくわからないことが多い。相手を批判するときはあれだけスラスラとわかりやすい話し方ができるのだから、これはわざとわかりにくい話し方をしているとしか思えない。自分の発言したことで不利な状況に追い込まれたり、言質を取られるのが怖いのかしらん? やっぱり体制の中に組み込まれた一員という、保身の影が見られるように思う。

聞かれたことに簡潔に答えられないのだから、あまり発展した話し合いにはならない。彼らはただ自分の言いたいことを、長々と主張しているだけだ。最初から、相手と話し合おうという気持ちがないのかもしれない。それを裏付けるように、彼らには一つ特徴的な行動がある。他の人の発言に対して絶対に頷かない、ということだ。同意していると思われるのが怖いのかもしれないし、安っぽく思われないようにしたいのかもしれない。が、普通、会話というものは、あなたの言うことをちゃんと聞いていますよ、という意思表示のためにも、相槌を打つなり頷くなりして進んでいくものだ。少なくとも日本人ならそうする。しかし彼らは絶対にそれをしない。相手の言うことをちゃんと聞いているのかどうかも怪しいところだ。次に自分が何を言うかを考えているのかもしれないな。

全体的に政治家が小粒になったと思う昨今、政治家ウオッチングの場として、こういうニュース番組はおもしろいと思う。

全然関係ありませんが、麻生氏が街頭演説で言及していた「脳内メーカー」を「麻生○郎」でやってみたら……、あんまり悩みがないようですこの人(笑)。

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アキちゃん 元気でね

『BJ』語り、書きたいネタはあったんですが、きょうはちと時間がなさそうなので、お休みします。

『水戸黄門 37部』が本日最終回。ラスト、アキちゃんが柘植の里に帰って行きました。ご老公との別れのシーン、やっぱりここで鬼若が出てきて、昔やっていたようにアキちゃんをひょいと肩に乗せて去って行きました。
ふ、不覚にも、涙が……。 (T-T)じ~ん
アキちゃん、もう出ないのかな。柘植の里で立派な「くノ一」になってください。長い間お疲れ様でした。

2時間SPだけあって、見ごたえがありました。平幹二郎さんの紀州大納言は貫禄があったし、中村敦夫さんの紀伊國屋文左衛門がなかなか凄味があって良かったです(いつ爪楊枝を飛ばしてくれるかと……蹴)。以前は森繁久弥さんでしたね。あっちは飄々としてはいるものの老獪なイメージがあったものです。

内藤さんの弥七にも慣れてきたし、当分は弥七とおえんさんで行くのでしょうか。あるいは、次のシリーズからまた新たな忍者が加わるのか、楽しみなところです。個人的には、もっと助・格に活躍してほしいのですが。

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はっちゃ

最近書いたエントリやいただいたバトンの回答から見るに、やっぱり私は古い人間なのかなと思う。目新しいものとか流行のものに対して、興味もなく、どちらかと言えば否定的な考え方をしてしまう。本を選ぶときもそうだ。ベストセラーとか「なんとか賞受賞作品」とかを読んだことがない。

これは性格によるものか、育った環境によるものか……。

全然関係ない話かもしれないが、出雲弁に「はっちゃ」という言葉がある。どういうときに用いるかというと、何か頂き物をしてそれをすぐに使おうとすると「お前は はっちゃだのう」と言われる。そういうシチュエーション以外では聞いたことがない言葉だ。要するに、「貰ったものをすぐに使う」→「貰ったもので生きている」ことを蔑んで言う言葉だと思う。語源はたぶん「鉢屋者(はちやもの)」 だと想像する。托鉢で使う鉦がなくかわりに鉢を叩いて歩いた「乞食」(コジキが差別用語ならコツジキとでも読んでくだされ)のことだ。

こういう概念があったばっかりに、わが家では頂き物は当分の間日の目を見ることもなく、いい加減忘れた頃に出てくるのが常であった。この思想(?)は拡大解釈されて、自分が買ってきた服や靴などもすぐに着用に及ぶことは憚られていた(わが家では)。少なくとも数日置いて「これは新品ではない」と思われるようになった頃に、おもむろに取り出すのである。

たぶん、こういうことが原因なのではないかと思う。私が新しいものに飛びつくことに躊躇するのは。変なプライドだと思うが、「習い 性となる」とはこういうことで。

……これに「け」がついて「はっちゃけ」となると、全然違った意味になるんだなぁ(笑)。

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昨夜の子猫は見つかりませんでした。ジャングル状態の庭に分け入っていく勇気も出ず、蚊の襲来を受けて早々に引っ込みました。それからも声だけは聞こえていましたが、今日は声を聞いていません。どこかへ行ったかな。

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神は細部に宿り給う

顕微鏡を覗いていてこんなものが見えたら、嬉しいだろうなぁ~♪ きっと小人さんがいるんだよねママン(殴)。何がどうなってこんな形のものができるんだろう。不思議、神秘としか言いようがない。

……と、きょうは小宇宙からはるか大宇宙まで思いを馳せようかと思っていたのだが、庭から か細い猫の鳴き声が聞こえてくるのが気になってしかたがない。子猫の声だ。ちょっと懐中電灯を片手に見に行くので、これにて御免。

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真逆

今日のタイトルをどう読まれただろうか。

主にネットで目にする単語なのだが、これを「まさか」と読んで文意が通じず「?」と思ったのが数年前のこと。最近は「まぎゃく」と読むらしいですな。「まさか」の意味のときはひらがな表記が多いようで。「真逆(まぎゃく)」とはつまり「正反対」(こちらの地方では「真反対(まはんたい)」とも言う)の意味らしい。

「真(ま)」は「真上」とか「真横」とか「真水」に使うのと同じ強調の接頭語だろう。だから「まさに逆」「ちょうど逆」「疑う余地もなく純粋に逆」という意味となって、文法的におかしいことはないのだろうが……。何故だか気に障って違和感を覚える言葉だなぁコレ。

「ま」が訓読み、「ぎゃく」が音読みで湯桶読みになっているからなのかとも思ったが、「真向勝負(まっこうしょうぶ)」の「真向」なんかも湯桶読みなのに違和感を覚えないのだから、それが原因でもないようだ。

文法が間違っているわけでもない。読み方がおかしいわけでもない。ならば、意味か?

「正反対」と「真逆」は同じ意味だろうか? それぞれ「正」「真」という接頭語を取り去って「反対」と「逆」で考えてみる。すると、なんとなくその違いがわかる。例えば、「東の反対は西である」とは言うが「東の逆は西である」とは言わない。「逆回転」「逆走」とは言うが「反対回転」「反対走」とは言わない。う~ん、なかなか適当な例を思いつかないのだが、おおよその概念として、「反対」は「位置関係」、「逆」は「順番、向き、序列」に対して用いるのではないかと思う。

また、「逆」の反対語は「順」だ。道理に従った本来あるべき整った姿を「順」とすれば、そのさかさまだから、「逆」には元々マイナスのイメージがある。「反逆」「逆臣」「逆縁」「逆境」等々。だから「それは(Aに対して)真逆だよ」と言われた場合、比較対象となったAが「順」であるのに対して「逆」である(本来あるべき姿ではない、正しくない、劣っている)というニュアンスを感じてしまう。それに「真」までつけられたら……orz。「反対」にはそういう価値的な意味は含まれていない。単純に二つのものの位置関係を表すだけだ。だから、本当なら「逆」は「反対」とまったく同じ意味ではないと考える。

私が「真逆」という単語を「正反対」と同じように使うことに違和感を覚えるのは、しかしたぶんそんなことが一番の理由ではない(あらら……笑)。同じ概念を表す異なる語彙はあってもよい。しかし、「真逆」という言葉にはなんだかものすごくマスコミ業界っぽい臭みを感じてしまうのだ。「真逆」と書いて字面で流行するはずのない言葉だ。テレビラジオを通して「まぎゃく」という音が耳に入らなければ流布しない。おおかた、発祥は誰かの読み間違いか何かだったのではないのかな。いずれにしても、マスコミが作り出した徒花(あだばな)のような気がする。

goo の辞書には既に「新語」として登録されている(意味は「正反対」)。一般人が面白がって使う分には良いが、私自身は使いたくない言葉だ。

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(備忘録070913)

つい先日『エロイカより愛をこめて』の話題から Led Zeppelin のことを書いたばかりだったが、再結成して1回限りのコンサートを行うことになったそうだ。ボンゾの代わりを務めるのは誰だろう? くそ~~、観たいぜ ZEP!!

さて、呆気にとられた首相の辞意表明から1日たって、今日は次の総裁選の話題で持ちきりだ。しかし、総裁選の日取りを決めるのにも自民党内ですったもんだあって、結局最初言われていた19日より更に遅い23日投票ということに決まったようだ。

なんとも日本は平和な国だ。その間10日あまりも政治は停滞し、国会も空転だ。アメリカなんかじゃ、大統領に何かあったときのために副大統領は大統領と同じ飛行機には乗らないというくらい、政治態勢の空白を恐れていると言うのに。それでもきっと日本はグダグダなりになんとか治まっていくのだろう。そもそも最初から政治に期待なんかしていないのかもしれない。面白い国だ。

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食べ物バトン

グリコーゲンさんに上記のバトンをいただきました。では早速答えてみたいと思います。

■コンビニで買うオニギリの種類は?

コンビニにはあまり行かないのですが。
梅、鮭、昆布、おかか、明太子……昔から食べ慣れているものを選ぶと思います。

■コンビニでよく買う飲み物は?

緑茶……かなぁ? あと、無糖のカフェオレ。

■目玉焼きにはソース派?醤油派?

ご飯と一緒に食べるときは醤油、トーストのときは塩です。
ソースは普段からほとんど使わない醤油派です。

■寿司で好きなネタは?

卵巻き、納豆巻き、カッパ……え? 別にお金を払うわけじゃないって?
なら、ヒカリモノ、甘エビ、中トロ、どんどん頂戴! あればアワビもお願い!

■好きなアイスクリームの種類は?

バニラ、抹茶、ラムレーズン。

■いつもつい買ってしまうお菓子は?

ミルクチョコレート。ひとつひとつ包装してあるのが食べやすくて好きです。

■マックで好きなハンバーガーは?

マック行かないんですが。
ごく普通のやつ。チキン系は選ばないです。

■ミスドで好きなドーナッツは?

ミスドも行かないんですが。
ごく普通の硬めのやつ。オールドファッションって言うのかな。

■味噌汁で好きな具は?

豆腐、ネギ、わかめ。
昆布とかつお(いりこでも良し)の旨みがしっかり出ていれば、何を入れてもおいしいですな♪

■好きなおでんの具は?

大根、卵、牛筋。

■好きな中華マンは?

肉まん。

■ご飯が少し余った、さて何で食べる?

ちりめんじゃこと小口ネギを載せて、お醤油をちょろっと。

■他人には理解出来ない食べ合わせは?

特に思い当たるものはありませんが、インスタントラーメンのトッピングには梅干が外せません。

■マヨネーズ好きはマヨラー。では貴方は何ラー?

これも、何も思い当たりません。七味唐辛子は結構多用してますが。

■最近はまっている食品は?

ゴーヤかな? チャンプルーだけじゃなくて、さっとゆがいて冷奴のトッピングにしたり、甘酢で和えたりしています。

■アン/パン/マンに出て来るキャラ、誰を食べてみたい?

「アン/パン/マン」もほとんど観たことないのですが。
長ネギマン……て居ましたよね。料理でも応用範囲が広いし、ネギ好きなもんで、彼にします。

■次にバトンを回す人の名前と、その人を連想する食べ物を書いて下さい。

では、殿方に回させていただきます。もちろんスルーもOKです。

koshi さん……あの大きい図体からあれだけの量しか取れない希少価値。他とは一味違う旨さ。ということで「牛タン」。
奥州亭三景さん……寒い夜に一緒にいたら暖かいだろうな、ということで「鍋焼きうどん」。
つるさん……しつこくない程よい甘み。暑い日に涼を運び、乾いた喉を潤してくれる「すいか」。

ちなみに、回してくださったグリコさんのイメージは、いろんな味がいっぱい楽しめる「五目ごはん」。
また、グリコさんから頂いた私のイメージは「木の芽のてんぷら」でした。おお、抹茶塩でいただきたいですな♪ 野趣のある食べ物にたとえてくださって嬉しいです。アクと苦味を持った人間になりたいものです。

考えていたら本当にお腹が空いてきましたよ(笑)。グリコさん、美味しいバトンをありがとうございました~♪

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1時から国会を観ようとテレビをつけたら、安倍首相の突然の辞意表明にびっくり。慌てて夫に携帯で教えたりしちゃいました。どうして今頃になって? 一昨日の所信表明はいったい何だったの? なんか最後まで「お坊っちゃま」のイメージが拭えなかったな~。拍子抜けもいいところだ。トホホ。

あんまり拍子抜けしたので、秋仕様のテンプレートに変えました。まだ最高気温31度とか言ってるのに……。

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9.11

アメリカの同時多発テロから6年が経過した。ちょうど2機目が衝突する瞬間をテレビで観て、信じられない思いがしたことを忘れない。翌10月にはアメリカは早くもアフガニスタンへの報復戦争を開始し、当時の小泉政権はアメリカに追随。テロ特措法を盾に、海上自衛隊によるインド洋での米軍艦船等への給油支援や在日米軍基地からの物資空輸を行った。

1ヶ月あまりでタリバン政権は崩壊した。しかし、ビンラディンは今にいたるも捕まっていないし、給油支援はいまだに続いている。

折りしも11月1日の期限を目前に控えて、テロ特措法をめぐる議論が喧しい。自民党の面々は総理を筆頭に、日本が出来る国際協力はこれしかないと言わんばかりだし、延長には反対を表明している小沢代表の民主党も、その内情は一枚岩ではないようだ。

衆参ねじれ現象の今こそ、国会の場で丁々発止と熱い議論を戦わせてほしいものだが、ただただ願うのは、これほど大きな問題を政権争いの単なる道具にしてほしくないということだ。参議院では時間切れを狙うのではないかとか、衆議院に戻して再可決するのではないかとか、新しい法案を出すのではないかとかいろいろ取り沙汰されて、その辺りの事情にだけは随分と詳しくなったが、そういうことは単なる政局のかけひきであって、政治のありかたを語っているとはとても言えない。

日本という国家がテロや戦争に対してどのような態度を示すのか、どのように国際協力をすべきなのかを、どこかの大国に追随する形でなく、しっかり考えて実行していかなくてはならない時だと思う。

最後に、同時多発テロで犠牲となられた方々、その後のアフガニスタン、イラク戦争で命を落とされた方々のご冥福をお祈りしたい。

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おいしそうなバトンを1本頂戴しております。
明日、回答させていただきます。m(_ _)m 感謝

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恐怖コミックス?

『BJ』という作品には、その連載の最初の頃に「恐怖コミックス」というレッテルがつけられていたことは以前に書いたことがあったと思う。人がどういうときに恐怖を感じるかと言えば、理解できない不条理な事象にぶちあたったときや、自分自身が危険にさらされたときなどがあると思うが、『BJ』の場合にはその他に、普段あまり目にすることのない状態の人体の描写に対する恐怖というのもあっただろうと思う。

実際、私と一緒に立ち読みをしていた仲間の一人は、第12話目の「畸形嚢腫」で脱落してしまった。内臓は平気だったが、本体に繋がっていない状態の手足が描かれているのがダメだったらしい。私が一番ショックを受けたのは、これまた何度も書いたが第21話目の「その子を殺すな!」に描かれていた無頭児の絵だった。非難を覚悟で書けば、ただ純粋に気持ちが悪い、見たくないという思いだった。何かが欠けている、という状態は恐怖なのだと知った。この話は結構重かった。そのままでは生存することができない無頭児の命をBJは一思いに絶つのであるが、その姿はそれまでの話で描かれた超人的な能力を発揮するBJとは違うものであったし、「気持ちが悪い」と思ってしまった私自身を恥ずかしいと思う、いや、思わなくてはいけないのではないかという正義漢ぶった思いもあったりして、今に至るも忘れることのできない話となっている。

後に、第128話で「最後に残る者」が描かれる。ここで描かれるのは妊娠1ヶ月の姿で生まれてきてしまった超未熟児である。「その子を殺すな!」と比較して読むと興味深い。そのままでは人間として生きていくことが不可能なことは同じだが、超未熟児の方は生命力だけは横溢している。ここで作者はドクター・キリコを投入している。「その子を殺すな!」で、そのほうが慈悲だと言って無頭児の命を絶ったBJの役割を、そのままキリコに振ってくる。それまでに「生=BJ」「死=キリコ」に振り分けて描き、そのスタイルが定着していたおかげで、BJは今度はその小さな命を救うほうに専念できる立場となった。

しかしその手術はもはや人間の域を超えたものだったかもしれない。それを「神」の奇跡のようだと捉えるか「悪魔」の如き所業と捉えるかは、どうやら人それぞれのようだ。「その子を殺すな!」の記憶がある者にとっては福音に思われる(私はそう思った)だろうし、嚢腫からピノコを作ったことにも恐ろしさを感じる読者ならば、逆に神への冒涜と考えるだろう。恐怖の感覚というのもまた非常に個人的なものであるらしい。

「その子を殺すな!」の無頭児と「最後に残る者」の超未熟児。決定的に違うのは、その「生きたい」と願う力の有無である。大脳を欠いた無頭児には意思がなく、生に対する執着もない。しかし一方の超未熟児のほうは「叫ぶ口があれば ぼくにも生きる権利があるんだとでも うったえるように(中略)とにかく生きていることをやめなかった!」のである。BJを動かすのは、間違いなく患者の「生きたい」という思いの強さだ。ピノコの場合も然りである。

最初の「恐怖」というテーマとはちょっとずれてしまったので、話を元に戻す。私は、全体として『BJ』を読んで恐ろしいと感じたことはなかった。血でも内臓でもOKだった。医学図書館員だった頃には、解剖学の人体アトラスや法医学関係の死体の写真なんかも喜んで見ていたくらいだ。しかし、人によっては『BJ』からドロドロした怪奇物、猟奇的な印象を受ける人もいるらしい。Chさんが指摘しておられたが、最初に『BJ』に出会った年齢も関係あるのかもしれない。最初に読んだ作品の印象も関係するだろう。あるいは、あのあざといまでに特異なBJの風貌もその原因かもしれない。確かに、ツギハギで黒尽くめの無免許外科医と、幼女の姿をした人造人間と、頬コケ黒眼帯の安楽死医と、……なんてミもフタもない書き方をすると、怖そうだもんな~(笑)。

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ブログ雑感

かつて経験したことのないほど暑かった今年の夏も、やっとその勢いに翳りが見え始めた。刈り入れの終わった田んぼを渡る秋風が肌に心地よい。

旧暦の9月9日は「重陽の節句(菊の節句)」である。「陽」は奇数、「陰」は偶数を表すが、その陽の一番大きな数が「9」。それが重なるから「重陽」。本来なら菊の花を愛で、収穫が終わったことを喜ぶ節句であるが、新暦では実感が湧かない。今回調べて初めて知ったが「長崎くんち」や「唐津くんち」の「くんち」というのはこの重陽の「9日」のことなのだそうだ。へぇ~。

さて本日は、「給油継続が無理なら首相退陣」くらいしか興味を惹く話題がない。ネタがないなぁと考えていたら、もうすぐ拙ブログが3周年を迎えることに気付いた。ちょっと早いが、ブログに対する思いなどをつれづれに書いてみようか。

思えば2004年9月12日のことだった。特にこの日付に意味があるわけではない。新しくメルマガを購読しようとしてMSNのメルアドを設定したときに、ふと「ブログ」の項目があるのに気付き、ポチッと押したらできてしまったという成り行きだった。以来3年。MSNからココログに移転したりしたが、アッという間だったような気がする。早いなぁ……。

何の芸もなく「日記」と名付けたが、あまり個人的なことは書かないようにしようということだけ考えていた。どこのどなた様が私なんぞの日々の暮らしに興味があるものか、という思いで、一般論で語れるような話題について私の至らない思いや考えをぐだぐだと書いてみようと思った。

すると、同感だとか、自分はこう思うというようなことをコメントしてくださる方が現れた。開設当初からお世話になっているk氏をはじめ、定期的に覗いてくださる方々がいらっしゃる嬉しさは筆舌に尽くし難い。本当に有り難いことだと感謝感謝の毎日である。また、コメントだけでなく、ご自分のサイト(ブログ)で話題を取り上げてくださったり、メールを下さったりする方もある。その一期一会に感謝感激するとともに、嬉しいという言葉しか出てこない……。

私は、直感的な人間である。こうだからああなって、ああなるとそうなる、という論理的な展開を何よりも苦手としている。このブログは自分のボケ防止という目的もあって続けているのだが、文章の書き方という点ではこの自分の苦手分野への挑戦でもある。直感的な人間であるから、結論が先に出る。もうこれはどうしようもない。これをもし人様に納得していただくためにはどう表せばよいかを考えると、結論までの空白の過程を埋めていく作業をしなくてはならなくなる。だから、ぐだぐだと書く。書いていて、自分の欠点がわかる。それが嬉しい。

本当は、本能の赴くままに「BJ萌え語り」などをやってみたいと思うことがある(いや、もう充分やってるだろう?!という声も聞こえるような気がするが……汗)。そういうのを「書け!」とおっしゃってくださる方もいらっしゃるし、BJ先生がいかに素敵かを熱に浮かされたように書けと言われればいくらでも書ける自信はある(えっへん)。だが、ブログの記事としてはどうだろうと二の足を踏んでいる。

もう少し、このままのスタイルで続けてみようと思います。ご用とお急ぎでない方は、どうぞ今後ともよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。

                            亭主軽薄…もとい、敬白

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(備忘録070908)

HDがいっぱいになったので、観ていなかった録画を消化、消去しています。なんかどうでもいいものがいっぱい入っていました(笑)。

ということで、きょうの記事はお休みです。m(_ _)m

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腐女子

『腐女子化する世界 東池袋のオタク女子たち』(杉浦由美子著)読了。いやまったく……、普段なら絶対目に入らない類の本だが、何故か今年の夏は「腐女子」がキーワードなので(私の頭の中では)、思わず買ってしまった(笑)。内容は次のようなもの。

【「腐女子」とは、男同士の恋愛物語にはまる女オタク。彼女らが物語に求めるのは「自分探し」ではなく「自分忘れ」だと著者は指摘する。背景には、男社会の視線に基づく競争を降りる女性の増加や、格差の定着で「キャリアか家庭か」という選択肢が無効になったことがあるとする。】(asahi.com より引用)

で、感想はどうだったかというと、これは杉浦氏の考える「腐女子」観であるにすぎないという印象を受けた。多くの引用を用いて「これはそうではない、こうなんだ」と畳み掛けてくるが、その根拠はいまひとつ曖昧だ。こういう方面に詳しい編集者とか実際の腐女子に取材もしているが、絶対数が少ないし、それも主に30代だ(BLの読者が一番多いのは10~20代ではないのかな)。論旨展開に都合のよいサンプルだけを取り上げるのはこういう本の常道だからそれもあまり説得力はない。前半はそれなりに実態がわかって面白かったが、後半は女性のライフスタイルとか男女格差や職種格差という流行の話題にむりやり帰結させたような印象があって、正直 読むのに骨が折れた。また、私は腐女子の心理的な面を知りたかったのだが、この本はどちらかというと腐女子を取り巻くビジネスの社会的背景を俯瞰するというような性格が強かった。……ちょっと選択を誤ってしまったぜ。

それでも、いくつかは「なるほど」と思うところもあった。曰く、「男女のセックスを描くレディコミを読むと、そこに自分を投影してしまうために、現実から逃れられない」。曰く、「……あるのは、自己否定ではなく、「たまには自分から離れたい」という願望だ」。

この本で言う「腐女子」とは広義の「女オタク」ではなくて、男女以外のカップルを妄想する女性限定である。彼女達は男のオタクのように外見で判断ができないらしい。ごく普通のOLだったり、彼氏や夫もいたりする。だから、決してモテないとか負け犬だからという事情で腐女子になったわけではない。この本の帯には「女たちは、「自分探し」に飽き、「自分忘れ」に走り出した!」とあるが、杉浦氏の言わんとするところも、要するに、腐女子たちは現実から逃れたところに楽しみを発見している、ということである。男のオタクはキャラクターとの擬似恋愛を楽しむが、腐女子は一切自分が介在しない世界を楽しむものであるらしい。

だから、BLというのは、ファンタジーなのである。所詮は他人事なのである。ここまではわかった。だが「ボーイズラブをテーマにした小説や漫画は、読者である女性が「感情移入できない」ものが主流である」という指摘には首を傾げてしまう。感情移入できないものに夢中になれるもんだろうか? 少なくとも私には、そんなものが面白いとは思えないのだが。そして、感情移入できない土壌でカップリング論争など起こるわけがないと思うのだが。しかしこの本にはそう断定してあって、それ以上のことを何も語ってはくれない。

で、しかたがないので、ネットでこんなサイトこんなサイトを読んで、ぐったり疲れて今に至る(笑)。

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警察官も大変だ

寡聞にしてさっきまで知らなかったのだが、電車内でやんちゃをした高校生を平手打ちした警察官が逮捕されるという事件があったらしい。事件の概要はこちら

で、それに対して、警察官の行動を支持する声が多数寄せられているというニュースがこちら

詳しい事情はわからないけれど……、いいんでないの、と思う。これが警察官でなく一般の市民が行った行為だったとしたら「よくやった!」と一気に美談(?)になるところではないのか。それが、治安を守る警察官だと問題になるという矛盾。以前『踊る大捜査線』の中で青島刑事がこんなふうなことを言っていたのを思い出した。「警察官であることが邪魔になって、人を守ることができないなんて……」。

先日、とある警察官が所持していた拳銃で女性を殺し自分も自殺するという事件があった。ミもフタもない言い方をすれば、痴情のもつれによる無理心中である。警察官が当事者でなければ、大して話題にもならなかっただろう。これ、拳銃でなく包丁を使っていたら……と思わないでもない(関係者の皆様スミマセン)。いや、一番の問題は警察官が人を殺したという事実であることはわかっているが、これほどマスコミで騒がれて挙句の果てに拙ブログのネタにまでされて、なんだか気の毒だなぁと思う。

警察官はマナーの悪い高校生を平手打ちしちゃいけないのか。警察官は無理心中しちゃいけないのか。「いけない」というのが世論なのだろうが、警察官であるという事実を利用するわけでもなく、職務を離れたところで警察官がこういう人間臭い事件を起こしても、私はそれほど嫌悪感を覚えない。彼らだって警察官である前に一人の人間だ、一人の男だ、と思う。

それよりは、己の職業や権力を使った卑劣な行為のほうによっぽど怒りを覚える。社会保険庁職員による数億円に上る着服とか(人はそれを泥棒と呼ぶ)、教師による生徒へのセクハラとか。たまたまその職業にあることを利用して計画的に悪事を働くほうがはるかにタチが悪いと思うんだけどね。

【追記】

その後、再会見が行われた模様。説明は過不足なく、報道は正確にしなくちゃね。

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戦争という狂気

『手塚治虫「戦争漫画」傑作選 II 』(祥伝社新書)読了。掲載作品は次のとおり。

1「カノン」
2「ジョーを訪ねた男」
3「ブラック・ジャック あつい夜」
4「ブラック・ジャック 魔王大尉」
5「ミッドナイト 足柄山の金太郎」*
6「0次元の丘」*
7「ザ・クレーター 溶けた男」
8「I.L. 南から来た男」*
9「イエロー・ダスト」*
10「1985への出発(たびだち)」*

* をつけた5編が未読だった。便宜上番号をふったが、(1、5、7、10)が太平洋戦争を扱ったもので、残りはベトナム戦争である。

ここには声高な戦争批判は無い。ただ、戦争によって人生を狂わされた人々の有り様が淡々と、しかし救いようもなく残酷に、描かれているだけだ。「イエロー・ダスト」に登場する暴漢が言う。「戦争ってのはおかしなもんだ…外から見てると…」「人殺し 破壊 強奪 火つけ 暴行 ま いうなりゃ無法地帯よ 信じられねえような地獄さ」「それが いったん中にはいってまきこまれると べつになんとも思わなくなる」

たぶんこれが戦争の実態なのだろうと想像する。それまで平穏に暮らしてきた一般市民でも、いったん戦争に巻き込まれればそういう精神状態になるに違いない。その狂気こそが戦争の本質なのだろう。自分が殺されたり後に残されたりするのも地獄だが、実際に戦地で戦うこともまた地獄だ。そして、それだけのことをして得られるものと言えば、戦勝国の権力者の自己満足だけだ。これほど愚かなこともあるまい……。

ならば、大事なことは、戦争を始めないこと、既に在る戦争に加担しないことだと思った。戦争は始まってしまったらオシマイだ。幸せな未来などあろうはずがない。戦争を始めないために自分達が今何をすべきかを考えなくてはいけないと思った。そしてそれは、日本だけでなく「世界中の国々」がそうなるために、考えるべきだと思った。それも、不断に、だ。戦争をしていない時代はいついかなるときも「戦前」だ。これを「開戦」→「戦中」としてはいけない。そうさせないことが、その時代を生きている全ての人間の責務だと、そんなことを考えさせられた1冊だった。

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マンガとロックの日々

先日入手した「プリンセスGOLD」別冊付録「青池保子スペシャル」を読んだ。お目当ては「手塚治虫トリビュート 指輪物語 BLACK JACK ALIVE」である。青池保子の『エロイカより愛をこめて』にブラック・ジャックが友情出演(?)している。

少佐と伯爵とBJが、とある屋敷で偶然出会う。少佐は任務、伯爵は泥棒、BJは取り立てが目的だが、他人の思惑なんぞどーでもいい男たちだから、当然起こるべくしてイザコザが起こる。ジェイムズ君の後先考えない行動にすったもんだがあったりするが、最後はすべてが丸く収まってめでたしめでたし。BJファンの青池さんだから、BJは終始クールに描かれていた。

それにしても懐かしかったな『エロイカ』。大学生の頃に夢中で読んでいたものだが、それから25年も経ってまた読めるとは。それもBJとのコラボだ。しかし、少佐も伯爵もだんだん顔が長くなってきてない……?

当時のマンガのキャラには結構ロックミュージシャンの見た目がそのまま使われていた。エロイカ一味のモデルは Led Zeppelin のメンバーだった。伯爵がロバート・プラント、ジェイムズ君がジミー・ペイジ、ボーナム君がジョン・ボーナム。初期の頃にはもう一人仲間がいたはずで、それがジョン・ポール・ジョーンズだった。ジミー・ペイジはお金にシビアだという噂が当時あったので、ジェイムズ君の場合は見た目だけではなくて性格まで取り入れられているわけだ。

因みに『エロイカ』に先立つ作品『イブの息子たち』では Emerson, Lake & Palmer の影響が大きい。ヒース・イアソンのモデルはキース・エマーソンだし、バージル・ワードのモデルはたぶんカール・パーマー、どこだかで出てきた「太めの海賊」のモデルがグレッグ・レイクだ。ジャスティン・レイも当時のなんとかいうアイドル歌手がモデルだったと思うが忘れた。あと、青池作品だけでなく他の少女マンガにも、David Bowie とか KISS や QUEEN のメンバーがちらちらと出てきたものだ。少年マンガでは鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』にもハード、パンク系のミュージシャンがよく顔を出していた。

カッコいい男を出そうと思えば、ロックミュージシャンの中から選ぶのが一番間違いのない時代だったかもしれない。前提として、マンガを読む世代とロックを聴く世代が重なっているということがあったのだろう。私自身を振り返ってみても、確かにそうだった。1980年に「ボンゾ」ことジョン・ボーナムが死んで Led Zeppelin が解散。以前からメンバーの不仲が伝えられていた Emerson, Lake & Palmer も同年に解散。好きなグループが次々となくなってしまってロックを聴かなくなったのと時を同じくしてマンガも読まなくなっていった。

だから余計に懐かしく嬉しいのかもしれない。ボンゾは死んでも『エロイカ』の中のボーナム君は今日も元気だ。久々に、ロックをガンガン聴いていた10代の日々を思い出した。……折りも折り、ロックスターは短命だというニュースを見かけた。私の青春時代を彩ってくれたカッコいいお兄さんたち、どうか長生きしてくれよー!

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本間先生

ちょうど1年前に終了したTVアニメ『BJ21』。あのストーリーは全体としてはBJによる本間先生の敵討ちではなかったかと、私は見ている。たしかに原作に出てくる本間先生の晩年は不遇であったから、あのアニメを本間先生とBJの師弟愛を描いたものだと解釈すれば、また見方も違って興味深いのではないかと思う。きょうはその本間先生について。

原作で本間先生が登場するエピソードは次のとおり。

#115「不発弾」   
#99 「友よいずこ」 
#202「20年目の暗示」  
#54 「アリの足」   
#14 「後遺症」   
#163「本間血腫」  
#29 「ときには真珠のように」  
#229「人生という名のSL」  

#87 「満月病」   
#151「ホスピタル」    

このリストは発表された順番ではなく、BJの過去→現在という視点で並べてみた。原作での初お目見えは14作目の「後遺症」だが、このときにはまだ「本間丈太郎」という名前が明らかにされていない(プロ野球の人気選手の手術を行った医師として登場し、BJはそれを「りっぱな手術」と評している)。順番に見ていくと……

・「不発弾」での登場は1コマだけ。黒男少年の手術を終えたときの様子と思われる。

・「友よいずこ」ではじめて黒男を実際に手術したときの様子が描かれる。一生懸命に皮膚の提供者を募り、病床の黒男を励ます本間先生。「ぼく治ったら本間先生みたいにお医者になるよね」と言う黒男がいじらしい。

・「20年目の暗示」では、黒男が病床で聞いてしまった本間先生と浅草先生の会話が暗示となり、20年後のBJに深刻な影響を及ぼすことになる。本間先生は懸命に黒男を励ましているのに、浅草先生ったら……。

・「アリの足」で、自らの壮絶なリハビリを述懐するBJ。本間先生の出番は、黒男の左手を動かしてやっている1コマのみ。ただ、本間先生は黒男の術後の経過やリハビリの様子を「ある身障者の記録」という1冊の本にまとめていたことがわかる。

・「後遺症」では、BJは既に開業している。本間先生の手術を受けた患者が身体が完全に治らないのを不服として、BJに再手術を依頼してくるという話。本間先生とBJが同じ時期に医者として働いていた おそらくほんの短い年月の間のエピソード。

・「本間血腫」では、生体実験の謗りを受けて医学界から引退する本間先生が描かれる。医学の限界を感じ、同じ医者としてBJの身を案じて手紙を残す本間先生。二人の絆の強さにホロリとする。

・「ときには真珠のように」で、本間先生は脳出血を起こし、BJによる手術中に息を引き取る。病床から、過去に犯した自らの医療ミスを懺悔し(幼い黒男少年を手術した際に腹の中にメスを1本置き忘れる)、生命の神秘を語り、BJに「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて おこがましいとは思わんかね」と最後の薫陶を遺す。傑作中の傑作である。

・「人生という名のSL」はBJが見た夢のお話。現実にはなかったであろう本間先生とBJペアによる手術。しかもクランケは爆発事故遭遇直後の黒男少年である。「きみは人間をロボットに改造するつもりかね?」「われわれは医者なんだぞ 神様じゃないんだ」「医者は 人をなおすんじゃない。人をなおす手伝いをするだけだ。なおすのは…本人なんだ。本人の気力なんだぞ!」……懇々とBJを諭す本間先生。

・また、本間先生は出てこないのだが、「満月病」というエピソードがある。
墓前に花を手向けるBJ。静謐で素敵な情景である。これが本間丈太郎の墓であることは最後にわかる。もう亡くなっているので本間先生の出番はないわけだが、このエピソードでは、本間先生の娘である山下クミの満月病(クッシング症=副腎の異常で脂肪が増え、体毛も増加する)を、BJが手術で治してやる。「先生にご恩を返すためにはなんでもする」というBJの想いの深さが胸を打つお話だ。
余談だが、「少年チャンピオン」に掲載された当時のクミの描写は、まん丸な身体の上に志村の「変なおじさん」のようなひげが生えているという、かなりショッキングなものだったと記憶している。それが段々とひげも薄れていって最後にとても美人さんになる過程が嬉しかった。あまりに気の毒な描写だったので、ひげを描かない方向で描き直されたのかもしれない。

この「山下クミ」という女性は謎めいた存在である。18歳で「去年中国からひきあげてきた」、「おとうさん(本間丈太郎)をたずねて……でも もうなくなったあとだったんです……」という設定。1975年の掲載当時で18歳なのだから中国残留孤児であるわけはない。しかも「おとうさん」だというのに「本間」と「山下」で苗字が違う。それに、どうして彼女の存在をBJが知っているのだろう? う~む…。いくら考えても決定的な答は見つからないのだが、このエピソードの後も、毎年BJは本間先生のお墓参りをし、その度に山下クミがどんな暮らしをしているのかを確かめているであろうことは容易に想像できる。案外、山下クミも元々は本間先生の患者であったのが、何か不幸な事情でもあって、本間先生が別姓のまま自分の養女にしたのかもしれない。とすれば、本間先生を父とも慕うBJにとってはクミは自分と同類の妹のようなものであって、ずっと陰ながら守ってやろうと思う対象なのかもしれないと考えたりする。

・そして忘れてはならない「ホスピタル」。
本間先生はもう亡くなっている。同期生の辰巳先生からの相談にはニベもないくせに、本間先生を侮辱されたらBJは黙っていない。「ヤブだ」「グズだ」「ダメな男だ」と本間先生を罵られたことに我慢できず、手術を買って出る。このときBJが患者のことだけを真剣に考えていたかという観点から見るといろいろ問題のあるお話だとは思うが、BJは正義の味方の「赤ひげ先生」ではないのであるから、ここはBJの本間先生に対する想いがいかに深いかという観点で読むべきだと考える。

以上見てきたように、BJの中で本間先生というのは非常に重い存在だ。自分の命の恩人だという以上に、唯一尊敬すべき医師としての存在が重い。手技の点では、既にBJは本間先生の域を超えているかもしれない。しかし、医師として長い年月を経て様々な思いを経験してきた本間先生の言葉には、まだ若いBJには辿り着けないものがあるのだろう。

本間先生を演ずるのは『火の鳥』のメインキャラである猿田彦だ。時空を超えて火の鳥に翻弄される猿田彦が、ここでは一人の医師としてBJを教え諭す。その教えを繰り返し反芻して苦悩するBJは、猿田彦の正当な後継者だ。命は限りあるものと知りつつ、医師のあり方を永遠に問い続けるBJ。手塚治虫がもっと長く活動していたら、BJと火の鳥と本間先生が共演するドラマを描いていたかもしれない。永遠に叶わぬ夢だが……読みたかったなぁ……。

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嬉しい日

きょうはいろいろと嬉しいことがありました。

・ほぼ3ヶ月ぶりに父の酸素マスクが取れました。別段苦しそうでもなく、ほっとしています。まだ半分眠っているような状態ですが、問いかけにはしっかり答えられるようになりました。頑張ってくれています。先生や病院のスタッフの皆さん、そして全ての人達に感謝です。ありがとうございます。

・TさんのBJサイトでニアキリ番をゲット。お優しくもリクエストを受けますよとおっしゃってくださったので、図々しくもリクエストさせていただきました。ありがとうございます。

・先日来探していたもののもうどこにもなかった「プリンセスGOLD」を、とあるコンビニでゲット。ありがとうポ○ラ。

・とても愛くるしいBJとピノコを描かれるRさんが、拙ブログをリンクに加えてくださいました(リンク元を辿ってビックリ)。ありがとうございます。何もお返しできませんが、これからもなにとぞよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m

様々な活力をいただいて、元気が出てきました。さあ、明日からも頑張るぞ~!

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『イミダス』と『知恵蔵』が休刊に

『イミダス』と『知恵蔵』が昨年発売の2007年度版を最後に休刊することになったそうだ。先般『日本紳士録』も休刊となり、こちらは個人情報保護法が休刊の大きな理由となっていたが、『イミダス』と『知恵蔵』については、ITやインターネットの普及による冊子体への需要の低下がその理由らしい。ネット版は存続するとのこと。

なんだかもやもやとして面白くない気分になる。テレビのCMで「詳しくはWEBで♪」というフレーズを聞くのと同じ感じだ。パソコンやケータイを使えない人はどうするの?!ってことだ。出版社だって商売なのだから、休刊はしかたのないことかもしれないのだが、情報弱者がいとも簡単に作り出されてしまう瞬間を垣間見たような気がする。

面白くない気分になる理由はそれだけではなくて……。求めたものが即座に何の間違いもなく得られることのつまらなさが想像できるからだ。それは旅行するのに目指す場所へ行くことだけを目的として、途中の車窓からの景色を楽しまない味気なさに似ているように思う。寄り道をする余裕の無さ、だ。

ちょうど1年ほど前に「ブラウジングの楽しみ」という記事を書いていた。言いたいことは同じ。利便性と合理性に適ったものには、えてして面白みがない。『イミダス』と『知恵蔵』はパラパラ読んでいると結構暇つぶしになったし、あの厚さは昼寝の枕にするにもちょうど良かったのに。残念だ。

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