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2007年12月

さようなら2007年

「たかが紅白 されど紅白」という感じで今年もやっぱり観ております。カワイイ系のお嬢ちゃんたちと、オカm……もとい、ビジュアル系のオニイチャンたちがワンサカ出ている中で、長山洋子の三味線が良かったと思いました。米米クラブまで観て、ちょいとパソコンを覗きにきたところです。

今年はまあ大変なことがあったりしましたが、元気で年を越せそうで喜んでいます。腰は痛いけど……。来年はワタクシ年女です。祝・24歳(コラコラ)!! my 設定では黒男先生も年男です。祝・還暦!! 良い年になるといいナ。

それでは皆様。今年一年どうもありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。

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今年読んだ本

遥か東の都の祭典に思いを馳せながら、きょうは大掃除に邁進……できなかった。きのう、腰をグキッとやっちまって。ああもう、今年はこのまま年越しだ。_| ̄|○ 

近くにちょっと買い物に出たら、横殴りの吹雪。積もってはいなかったのだけれど、腰をかばいつつヨタヨタギクシャクと歩く気分はすっかり八甲田山だった。

さて、今年ももう終わり。今年読んだ本を振り返ってみると……。

冊数だけは近年になく多かったと思う。特に夏頃には再読も含めて手当たり次第に読んでいたから、200冊くらいは読んだのじゃないかな? でもそれが全然頭に入っていない。没頭していたつもりだったが、結局文字だけを追っていたのだと思う。やっぱり心に余裕がないと読書なんかできない。この間に読んだ本たちには、ホント申し訳ないことをした。ごめんよ。

今年の My Best 1 は、内田樹の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』--最も信用できる哲学者に学ぶ、仕事・自分・幸福論--。この人の文章は明快で、好きだ。言いたくてもどう言えばよいか分からなかった事柄を、スパッと言い切ってくれる。そうだ、そうなんだよ、と、ストンと納得できるのが気持ちよい。

次点は、養老孟司・玄侑宗久の『脳と魂』。養老先生の博学振りに舌を巻く1冊。べらんめぇ調の喋りも小気味良い。安楽死とか脳死の問題も取り上げられていて、なかなか興味深かった。

その次に、久保寺健彦の『ブラック・ジャック・キッド』を挙げておこう。上2冊とはまったく趣きを異にする小説だが、著者のBJ好きが私には何より嬉しい作品だったから。

あとは、ファンドーリンが活躍するボリス・アクーニンの『リヴァイアサン号殺人事件』が印象に残っている。このシリーズは是非とも全作日本語版を出してほしい。

さて、来年はどんな本に出会えるか、楽しみだ。

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こぞことし

去年今年貫く棒の如きもの  高浜虚子

カレンダー上では1月1日と年が改まろうとも、物事はずっと続いているのだ。という実に表面的な解釈を言い訳に、今だけ綺麗にしてもしょうがないと開き直り、きょうは実家の大掃除を適当に終えた。明日から雪との予報なので、お金を下ろしたり墓参りをしたりと外回りの用事も終わり。夫は仕事の合間にちょっと帰ってきて車のタイヤを換えていた。毎年のことだが彼は31日まで仕事だ。ご苦労さん。

実家で大掃除の最中、ちょうどヘルパーさんが来られたので1時間ほど一緒に話をした。私と同い年の女性だった。母の堂々巡りのトンチンカンな話にも根気強く付き合ってくださる。そういう仕事だからできることなのか、親しくお話ししてくださることに頭が下がる。もっとも、母はヘルパーさんが帰ってしまわれると、毎日そういう人達のお世話を受けていることも一切忘れてしまうのだが……。申し訳ない。

この年末年始も、母のような一人暮らしのお年寄りを対象としたサービスは休みなしに行なわれる。ご自分の家のこともあるだろうに、つくづくありがたいことだと思う。また来年もよろしくお願いしますと挨拶して見送った。

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『ルパン三世 DEAD OR ALIVE』

手の届く範囲をちょこちょこ片付けながら『ルパン三世 DEAD OR ALIVE』を観た。ルパン三世生誕40周年記念らしい。1996年の劇場版で、私は初見。

原作者のモンキー・パンチが監督したことで知られている作品だが、キャラクターの顔(特に五ェ門)が原作に近いのが嬉しい。銭形警部はえらい二枚目でカッコいい。いいぞ、とっつぁん♪

面白さという点では平均点かな。首狩り将軍の娘(エメラ)の扱いも中途半端だったし、サブタイトルである「DEAD OR ALIVE」の懸賞金が掛けられたルパンを狙う殺し屋との闘いも緊迫感がなかった。でも、最後はやっぱりルパンファミリー、魅せてくれました。ルパンの元をバラバラに出ていった次元、五ェ門、不二子のチームプレー! 打ち合わせなんぞ一切無用の阿吽の呼吸。これが無くちゃルパンシリーズとは言えませんやね。

……で、パニシュはやっぱり2年前に死んでたの? (←ストーリーが把握しきれなかった者約一名 orz )

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(備忘録071227)

ニュース速報でパキスタンのブット元首相の暗殺を知った。今まで何度も危ない目に遭ってきた人だったが、とうとう……という感じだ。パキスタン国内情勢も大変なことになりそうだが、大きな国際紛争の火種にならないことを祈る。それにしても、今の日本で命を狙われそうな大物政治家って……いな(以下自主規制)。

明日から本格的に忙しくなるので、きょうはこれにて御免。お天気、崩れそう。

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ダウンロード違法化

きょうの記事、アップしようかやめようか迷った。反対意見が多い事柄であるし、IT のことになるとさっぱり疎いので、認識不足な点もあるかもしれないからだ(いや、きっとある)。しかしそれだからといって、私が基本的に言いたいことは変わらないと思ったので、アップすることにした。

【なお、このエントリに限り、コメントをいただいてもレスはしないことを書き添えておきますので、ご了承願います。いや、これから超繁忙期なので、じっくり考えたり調べたりしないと書けないレスは無理なので。】

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スーパーで買ったものを自分で袋に詰めるとき、ロール状に巻かれた薄いビニール袋を引き出して20枚ばかり持って帰るおばさんを見たことがある。また、パート先に小さな瓶を持って行って、そこのインスタントコーヒーを詰めて帰るおばさんがいるという話を友だちから聞いたことがある。

まずいい度胸だなと思い、次にセコいなと思い、全体としてみっともないなと思う。よしんば生活に困窮してどうしてもビニールやコーヒーが必要となった人が、誰にも判らないようにこそっとするならまだしも、堂々とやられたら見てしまったほうが嫌な思いをする。

ところで、IT を巡って最近目に付いた記事に、「「ダウンロード違法化」不可避に」とか「「違法着うた・着うたフル」は正式配信数を上回る」などがある。「違法サイト」をそうと判って野放しにしておくのが一番良くないと思うが、利用者のほうにももっと問題意識を高める必要があると思う。それまで CD や DVD を買うか借りるかしてそれなりにお金を払ってしか視聴できなかったものが無料でダウンロードできるようになったことに疑問は感じないか、ということだ。

ダウンロード違法化に対しては、多くの人達が「ユーザーの不利益」を根拠に反対していると聞く。しかしそれは考え方の出発点が違うと私は思う。ダウンロードできないはずのもの(アップロードされてはいけないもの)をダウンロードできている現状を出発点にしているから「不利益」などという言葉が出てくるのだと思うが、まさにそれがオカシイ。今まで得てきた「利益」のほうが不当なものだったのだ。ならばダウンロードしようにもできないように違法アップロードだけを取り締まればよいという考えがあり、それは誠にもっともで現に今まではそうだったのだが、IT の進歩によりアップロードしたユーザーの特定が難しい場合があり、事実上それを完璧に行なうのは不可能なのが現状らしい。だから違法アップロードだけでなく、ダウンロードも違法化しようというのが今回の動きなのだ。

そこにそういうサービスが在るから野放図に使うというのでは、意識レベルはビニール袋おばさんやコーヒーおばさんと変わらない。いや、店のサービスと著作権を同列に扱うことのおかしさは重々承知している。ただ、それらを何の問題意識もなく利用する側の程度は同じだという気がする。もしも、業を煮やしてビニール袋やコーヒーを提供しなくなったスーパーやパート先に件のおばさんが文句をつけていたら、みんな嘲笑するだろう。それと、ダウンロード違法化に対して「ユーザーの不利益」を根拠に反対している多くの人達と、どこか違うだろうか?

偉そうなことを言うつもりはないし、言えない(←知らずにブートレグ CD を喜んで聴いていたこともある前科モノだ……)。一部の不心得者のせいでだんだんと法の縛りがきつくなることは嫌な流れだと考えているし、心情的には反対したい。しかし、それらのサービスを大きな顔して当たり前に使うユーザーが増えることで、市場の正規品(CD や DVD)が売れなくなり、関係者に損害を与えることは許されないだろう。ことにアニメ業界では一番の経済的被害を蒙るのは末端のアニメーター達だという記事を読んだこともある。これからも良いアニメを国内で生産し続けてほしいと思う良識あるファンならば、自分が蒙る「不利益」とやらの正体をもっと真剣に考えてみてほしいと思う。

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(備忘録071225)

『フランダースの犬』に共感するのは日本人だけ、というような記事を読んだ。ならばそもそもこの話は何を描きたくて書かれた話だったのかな? 原作を読んだことがないのでわからないのだが。

「滅びの美学」、そう言われればそうかもしれない。新選組がもてはやされるようになったのも(子母沢寛以前はだたの人斬り集団だったそうだ)、『忠臣蔵』が変わらぬ人気を誇るのも、そういうことかも。

もっとも『フランダースの犬』に関しては、「滅びの美学」というよりは「惻隠の情」というほうがしっくりくるような気もする。まあそういうものを感じるのが日本人だけというのなら(そんなはずはなかろうと思うのだが)、私などは日本に生まれて良かったと思う。

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おれは、ブラック・ジャックになりたかった。

一昨日宣言したので、きょうは『ブラック・ジャック・キッド』(久保寺健彦著)の感想を書いてみる。

なにしろ、本文に入る前から笑った小説はこれが初めてだ。「手塚治虫とB・Jに」と献辞の書かれたページをめくると、最初の章のタイトルが「患者はどこだ!」ときた(爆)。BJファンならこの面白さがわかるだろう。記念すべき『ブラック・ジャック』第1話のサブタイトル「医者はどこだ!」のもじりである。

もちろん『BJ』を知らなくても楽しめるだろうが、『BJ』を知っている者には一粒で二度おいしい物語。だから真面目な感想はよそ様におまかせして、以下は一BJファンの目から見た感想ということでひとつよろしく。

内容をごく簡単に書くと、BJに憧れ、身なりや髪型からメス投げ、走り方に至るまでBJその人になりたいと望んだ小学生・織田和也の成長物語だ。前半(小学校3~4年生)の幸せな時代から一転して、後半(5~6年生)では父親の仕事の失敗、母親の失踪、転校、いじめなど、和也を巡る環境にはかなり辛いものがある。それでも和也はBJを「よりどころ」としてそれらのことを乗り越えていく。雄々しく立ち向かって突破していく、というのではなくて、自分の中でそれらの収まりどころを見つけていく、という感じだ。和也の心情を思うとハードな内容なのだが、不思議と暗さを感じない。むしろ、誰もが通り抜けてきたはずなのに今はそういうことがあったことさえ忘れてしまっている 少年期のキラキラした日々に、甘酸っぱい懐かしさを覚えるほうが大きい。

この小説のどこがファンタジーかというと、不思議な少女がひとり出てくるのである。孤独感を募らせる和也が川原へ行くと必ずどこからともなく現れる美少女。名前を訊ねても「好きな名前で呼べ」と言うばかり。ここで和也がどんな名前を思いついたかというと……皆さんもうお判りだろう。「めぐみ」である(笑)。逆に名前を問われて和也が名乗ったのは……「黒男」。「めぐみすと」の私にとっては「めぐみ」「クロオ」と呼び合って遊ぶ二人がタマラナイ(嬉)。どういうわけか川の側から離れられないと言うめぐみ。和也は川で溺れ死んだ少女の幽霊かと思ったりするのだが……。川と言えば海。今も船医として世界のどこかの海上にいるはずのBJの想い人に通じるものがあって、読んでいてニンマリしてしまう。BJも和也も共に岸辺で「めぐみ」を待っている。

この少女が何者なのかは結局よく判らない。尋常でない力を持っていて人間ではなさそうなのだが、あるいは和也の妄想が生み出したモノとも受け取れるのではないかと思う。めぐみは「命は絶対、消えることができないんだ」と言ったり、BJになりたいと言う和也に「(BJが)もうそこにいるのなら、(和也がBJに)なれるわけないじゃないか」と言ったり、つまりは不滅なる命の「総体」と「個」の関係などを語ったりしている。私はこのあたりで『火の鳥』を思い出したりもした。何故そんな少女が突然和也の前に現れたのか。和也が(もしかしたら自分はブラック・ジャックにはなれないんじゃないか)と気付くために必要な存在、もうそろそろブラック・ジャックの真似から卒業しなくてはいけないんじゃないかという和也自身の潜在意識が生み出したモノだったのかもしれないとも思う。

めぐみは最終章「さらば、B・J」でもう一度だけ登場する。この章では、和也の現実の初恋の相手(泉さん)の弟を探すというクリスマス・イブの小さな冒険が描かれる。ネタバレになるので詳しいことは書かないが、和也の前にまずBJとピノコが、続いて(和也の)めぐみが現れる。
 
----ブラック・ジャックがゆっくり顔を上げた。憧れてやまなかった冷たい三白眼が、その時、確かにおれを見た。
「ここは、お前さんの来るところじゃない」
 初めて聞くのに、なぜか懐かしい。視線をそらさず、ブラック・ジャックが言った。
「人生はこれからだ」
 すぐに分かった。第113話、『奇妙な関係』。おれだけのために、その言葉を口にしてくれたんだと思った。----

----クロオ、まだだよ。パチッと泡が弾けるように、頭の中に覚えのある声が響き、突然グングン引き上げられた。----

このあたりは是非とも本書を読んでいただきたいと思う。和也にとってはきっと生涯忘れられないイブの夜の出来事である。

夢の中にいたような少年時代は終わりを告げて、ラスト4ページには現在の和也の姿が描かれる。マンガの原作者となった彼は既に結婚して4歳ほどになる娘がいる。ダンボール箱にしまわれていた『ブラック・ジャック』(少年チャンピオンコミックス全25巻)を久しぶりに手に取ると、娘も夢中になって読み始める。私には、この和也と娘の姿が、BJとピノコの姿とダブって見えてしょうがなかった。
----愛しい命をずっと見守りたい。----
ホロリとするエピローグである。

さて、おおよその感想はざっと以上のようになるが、他に印象に残ったことなど書いてみると……。

和也の母親は失踪する前に、和也を連れて以前住んでいた街を辿って歩く。このとき二人は『ブラック・ジャック』の話をするのだが、彼女のお気に入りは「台風一過」のラストシーンだと言う。跡形もなくなったBJ邸でピノコがBJにお茶を差し出す、おままごとのようなシーンだ。彼女が家庭生活にどんな夢を持っていたのか、何を求めていたのかが如実に窺える気がする。

また、和也が密かに「ブラック・クイーン」と名付けた石野という女の子がいる。顔も綺麗だが勉強も運動も男子が太刀打ちできない女子だ。そして、小学4年生にして和也とセックスの真似事までやってしまう。この頃の女子は確かに男子より大人だからなぁ。しかし本家BJでもそこまではやってない……はずなのだが。どこの世界でも「ブラック・クイーン」と名のつく女性は魔性らしい(笑)。

ブラック・クイーンの他にも、和也の友だちには原作の登場人物を彷彿とさせる者がいる。孤独な和也に声をかけてきた宮内は間違いなくゲラと思われるし、才女の泉さんはナッちゃん(早死にするところも似ている)かもしれない。ドクター・キリコの名前も1回だけ出てくる。誰が、とはバラさないが(笑)。

一番笑ったのは……。志望する有名私立中学校への合格の可能性が5%と出た場面。母親は心配するが、当の和也はやる気満々。頭の中にあったのは「浦島太郎」のエピソード。あのオペの成功率は3~4%だった……(爆)。

あと、ひとつ気になったのは「第○○話」と書いてある『BJ』のエピソードが、私の持っている『BLACK JACK ザ・コンプリート・ダイジェスト』の数え方と大幅にずれていること。何故なのだろう? ちょっと不思議。

最後に……。本作を読んだ読後感は芦原すなおの『青春デンデケデケデケ』に似ていた。あれよりもっと幼い小学校での日々が綴られているけれども。「めぐみ」の存在がファンタジックであるだけで、とても優れた青春小説、少年の成長物語である。「日本ファンタジーノベル大賞優秀賞」は嬉しいけれど、そういう目でだけ見られるのは惜しい。『青春デンデケデケデケ』が「文藝賞」を取っていることを思うと、ああいう賞を狙ってもよかったのではないかと思う(新潮社さんゴメン)。『青春デンデケデケデケ』は後に直木賞を取り、映画化もされた。この作品もそうならないかな。映像化には向いていると思う。キートンのような少年が、コートを地面に引きずらないように「シャーシャー」言いながら疾走するシーンは是非見てみたい。

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Eve2 本家BJは、イブの前日にBQに手紙とプレゼントを渡そうとして、渡す前に失恋する。
手紙を破り捨てて去って行くBJ(きゅん)。

プレゼントは……捨てないんですね先生。使い回すんですか?

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暖簾に腕押し

スーパーに入ろうとしたら、出入り口の自動ドアの真ん前に駐輪しようとしている小学生の男の子がいたので、「そこに置いたら出入りする人の邪魔になるでしょ。こっち側に置きなさい」と注意した。男の子、黙々と3mほど後方の駐輪場へ移動させる。「はい」という返事がないのは気になったが、一応よしよしと思い、「はい、良い子ね」と一言かけてやったのだが、男の子は表情ひとつ変えず、もちろん返事もなく、あまつさえこちらを見ようともせず、さっさとスーパーに入っていってしまった。スーパーの中でも何回も行き会った。さっき注意したおばさんだという認識があるのかないのか、私の目の前をうろちょろしている。

この私の気持ち、なんと言ったら良いのだろう? 一種の不気味さを感じた、というのが一番適当かもしれない。

あのねぇ、ちっとは悪そうな顔してくれよ。いや、謝ってくれというのではない。「やかましい、くそばばあ!」でもいいよ。喧嘩なら買ってやる。気付かないで人の迷惑になるようなことをやっちまった。知らないおばさんに注意された。そこに何らかの気持ちの動きってものがあるでしょう? まるで蚊が止まったほどの変化も見られないのが不思議だ。私が同じ立場なら、せめてスーパーの中ではおばさんの動向を窺って出会わないように立ち回るのだが。

駐輪しようとしたら移動しろと言われた。だから動かした。こんなおばさんは知らない。……と、あの男の子にとってはただそれだけのことだったのだろうな。だから、きっとまた同じことやるんだろうな。

昔は、大人によく怒られた。ふと気付くと、一緒に遊んでいた男の子が怖そうなおじさんに何か言われていたので、何だ何だと皆で集ると、今度はみんなまとめて怒られた。要するに、ここで遊ぶなということだったのだが、日が暮れるまで延々(たぶん20分くらいだと思うが)怒られた。みんなひたすら項垂れて声もなく、一番年下の女の子は泣き出した。やっとお小言が終わっておじさんが行ってしまったときには皆でほーっと息をつき、今のは誰だという話になったが誰も知らなかった。ただの通りすがりのおじさんだった、なんてことがよくあった。学校で先生に叱られたと親に話したら、もう一回家でも叱られたものだし。

大人の言うことはきかなくちゃいけないという意識がまだあった時代。そこに異を唱えることはタブーだった。というより、それは揺るがせにしてはいけない原則だった。怒られたら反省し、注意されたら恥じるのが普通だったんだけどな。う~ん……。

おそらくあの男の子は今頃そんなことすっかり忘れているであろうのに、注意したおばさんのほうが考え込んでしまっているというこの事実が、何より腹立たしくもある。

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『ブラック・ジャック・キッド』

『ブラック・ジャック・キッド』(久保寺健彦著)読了。

「雪降る聖夜、奇蹟が起きる! 黒いレインコートを羽織り、髪にシャギーを入れ、ポケットにはメスを忍ばせる。
----おれは、ブラック・ジャックになりたかった。」

「第19回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作
ドラマ原作大賞選考委員特別賞、パピルス新人賞を同時受賞、三冠制覇の俊才が放つ青春小説!」

大笑いできてホロリとする佳作。BJファンには超お勧めの作品。詳しい感想は来週月曜日に。ちょうどクリスマスイブだし。

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(備忘録071221)

『脳と魂』(養老孟司・玄侑宗久共著)読書中のため、記事はお休みします。

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人名の表記

昨日、韓国の次期大統領にイ・ミョンバク氏が当選したと聞いて、夫との会話。
私「じゃあ、今の大統領の名前は?」
夫「ノ・ムヒョン」(即答)
私「その前は?」
夫「ウ・タント」(即答)
一瞬の間のあと、二人で大爆笑した。そういうセンスは好きだぞ夫よ。なお、正解はキム・デジュンである。

で、引き続きウ・タントって誰だっけという話になったのだが、ビルマ出身の国連の事務総長だった人で、私なんかは「ウ・タント国連事務総長」と一続きで覚えている。昔は毎日のようにニュースでその名を聞いていた。ベトナム戦争の頃のことだ。その後ヴァルトハイム氏に替わったところまでは知っているが、最近の事務総長なんて知らないなぁ。当時は国連が東西を牽制できていた時代だったのだろうが、最近はアメリカの一人勝ちを国連でさえ止められなくて、それで知らないのかもしれない。

さて本題。韓国人の名前をカタカナで表記することに、私は未だに慣れない。確たる理由はない。ただ何と言うか……文字で見たときに印象に残らないのである。私が若い頃は韓国人名は全部漢字表記で、日本語読みによる発音をしていた。「ニク・角・朴」(ニクソン大統領・田中角栄・朴正煕)なども「にくかくぼく」と読んで「にくかくぱく」とは言わなかった。調べてみると、1984年全斗煥大統領の訪日(9月)を前に、7月4日に 安倍晋太郎外相が外務省に、中国人・韓国人の名前を現地読みにするよう指示した事実があり、これ以降韓国人名を日本語読みをすることはなくなったようだ。中国人名については、何故だか今でも漢字表記と音読みのままだけれど。

他にも、ある在日韓国人が自分の名前を日本語読みされて精神的苦痛を味わったとして訴訟を起こした例もあるそうで、そういうこともカタカナ表記をする理由のひとつになったものか、そこらへんの詳しいことはよく判らない。自分の名前のことであるし、その発音に違和感を持つ人々もいるのかもしれない。要は、漢字というものを周辺各国で利用していて、その国によって読みや発音が違うことが問題なのである。

私の希望としては「裴勇俊(ペ・ヨンジュン)」と両方書いていただくと一番スッキリするのだが。しかし一説によると、最近の韓国の若い人には漢字が読めない人もいるそうだし、人名についても苗字は漢字だが下はハングルという事例も結構あるそうで、韓国は漢字から離れようとしているのかもしれない。ということは、今後はますます表音文字のカタカナが大活躍するということなのだなぁ。

しかし一律に、アルファベット、ハングル、カタカナ、ひらがな等の表音文字にすればよいかというと、そうでもない気がする。実際に発音できるかということになると問題もあるのではないか。例えば「花子」を「hanako」と表記してもフランス人なら「anako」としか発音してくれない。フランス人は語頭の「h」を発音しないからだ(ブランドの「HERMES」は「エルメス」ざましょ)。ハングルとカタカナの間にもそういう問題はあるのかもしれない。

小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)を、私たち松江市民は愛情を込めて「へるんさん」と呼ぶ。「ハーン」でないのはおそらくその表記に引っ張られたからだと思う。それもカタカナで「ヘルン」と書くよりもひらがなの方が多い。本来の発音でなくその土地の発音で呼ぶほうが、より受け入れられた印象があると思うのは気のせいか。「ギョエテとはおれのことかとゲーテいひ」なんて川柳もあるけれど(笑)。

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ヤバい

どうやら風邪を引いた模様。年末の忙しい時期に限って……。軽いうちに治してしまわないと。
ということで、きょうの記事はお休みです。m(_ _)m

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「ねんきん特別便」

「ねんきん特別便」の郵送が始まっている。もしも母のところへも送られてきたらどうしようと思う。母は痴呆症(一般的には認知症という)だ。

ネットを検索して、社会保険庁が12月5日付けで作成した資料を読んだ。

「3 視覚障害者・施設入所者・認知症の方々に関する「ねんきん特別便」の周知等について」
「「ねんきん特別便」が送付された際には、
 ②認知症の方については、家族・後見人が援助できない場合には、その同意の下に、必要に応じて介護者の方に必要な援助をお願いしたいこと。」

周知のことしか書いてない。結局どうしろと言うのだ? 舛添要一厚生労働相は加入者や受給者に「頑張って思い出してもらわないと」と自助努力を求めたが、大臣や社会保険庁は認知症というものを知っているか? 自分の年齢さえもあやふやなくらいの人間に、昭和何年何月何日から昭和何年何月何日までどこそこに勤めていたなどと言えるはずがないではないか。家族の援助? 自分が生まれる前に、母親がどこで何年何ヶ月働いていたかキッチリ把握できている人間が何人いる? 舛添さん、あんた知ってるか?

この「ねんきん特別便」には「なりすまし」を警戒して、不明分5000万件のうちその人に該当するかもしれない年金記録は記載されていない。中には悪人もいるかもしれないが、なりすまし分くらい二重に払う覚悟で事に望めないものかね、社会保険庁は。今までさんざん湯水の如く大金を使って無駄な投資をしてきたくせに。もともと自分達がきっちり照合しなかったから個人を特定できないのだということを判っているのか? 

「ねんきん特別便」、該当するかもしれない記録も載せるべきだ。そこで「いや、これは私の記録ではないです」と名乗り出る良心的な人々を待つくらいで良いではないか。でないと、現在一番年金を必要としている病人(痴呆症や脳軟化症その他もろもろで記憶がなかったり喋ることができなかったりするご老人)が一番損をする。こんな馬鹿な話はない。しかしそんな馬鹿な話が往々にしてまかり通るのが今の世の中だ。

わが家の場合はもう手遅れで送られてきてもどう手続きしようもないが、親御さんがまだお元気でいらっしゃる皆様方、今のうちに親御さんの詳しい職歴をちゃんと聞いておかれることをお勧めします。

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BJが治せないもの

「医者は人のからだはなおせても……ゆがんだ心の底まではなおせん」(「灰色の館」)
「私はね 頭の傷はちゃんとなおしたんだ。だが 心の傷まではなおすとはいわなかったぜ」(「魔王大尉」改題前は「悪魔」)

天才的なメスさばきで何でも治してしまうBJだが、治せないものもある。それは人の病んだ心。

「白葉さま」では自分の病気を治せない医師を逆恨みして怪しげな女教祖になった白葉さまを、「電話が三度なった」ではこれまた医師を恨む少年を、患者を懸命に救おうとする医者の姿を見せることによって改心させているが、それはまだ「突発的な自暴自棄」という段階だったからかもしれない。最初に挙げた2作品に描かれたような、もっと深いところを病んだ心は、いかなBJでも治せない。それは一言で言ってしまえば「狂気」ということになるのだろうか。

「灰色の館」では兄妹間の愛憎が生んだ狂気(←これ、妹の心理状態の変遷もかなり複雑だ)、「魔王大尉」では恐怖や悔恨が原因となる狂気、と様相は異なるのだが、最後はいずれも惨事となる。また「人面瘡」にも殺人鬼の病んだ心と良心との葛藤が描かれ、これもやはり患者が死ぬことでしか解決されていない。BJにも治せないのだ。

狂気を描かせたら上手いと思う漫画家に山岸凉子がいる。「天人唐草」は私の一押しであるが、この作品の主人公の女性は、厳格な父親の影響を受けて非常に引っ込み思案で自分の意見も決められないような性格、よく言えば従順だが悪く言えばオドオドとした性格に育つ。苦手意識はあっても、頑固で厳しい父親を彼女は誇らしくも思っていたようだ。ところがそんな厳格で頼もしい父親が実は外に女性を作っており、挙句そこで亡くなってしまう。ショックを受けた彼女を更に不幸が襲う。どこの誰ともわからない男にレイプされてしまうのだ。彼女は狂う。金髪に染め、それまでの地味な服装をフリルだらけのドレスに変えて街を闊歩する。ときどき「きぇーーーっ」という奇声を発しながら……。

それまで自分の中で抑制できていたものが、何かのきっかけで抑制できなくなることが即ち狂気という状態なのではないかと思う。「魔王大尉」を読むとよくわかる。ケネス大尉は「許してくれーっ」と叫んでジェット機の入気口に飛び込んでいく。ベトナム戦争で残虐行為をはたらいたことへの自責の念--それは戦争の英雄となった栄誉とで相殺されていたものだが、自分が殺されるかもしれない立場になって初めてその恐怖に気付き、抑制できなくなる。

先日起きた佐世保の猟銃乱射事件は、まさに「狂ってる……」としか言いようのない事件だったが、犯人がそれぞれの場面で取った行動は決して狂ったものではなかった。友人をメールや電話で呼び出す。自分の顔を隠して犯行に及ぶ。行き慣れた教会に行き自らの魂の救済を求める。すべて正常な判断だと私は思う。正常な思考能力と狂気は相反するものではないらしい。しかし、彼を狂気へと導く何らかの原因はあったに違いないのだ。死にたいという思いと、友に一緒に来てほしいという思いを抑制できなくなる「何か」が。

元から身の内にあったものが噴出してくるわけだから、そりゃあBJ先生にだって治せない。しかもそれは、漫画や事件の人物だけに限らず、いつ自分の身に起こるかもわからないことだ。だから、怖い……。

あ~、時間切れ。もうちょっと何か他のことが言いたかったような気がするが、書いているうちにわからなくなった。読み返しもしていない書き殴り。まとまってなくてスミマセン(汗)。

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『超どうぶつ奇想天外!』

『超どうぶつ奇想天外!これが地球No.1生物!!』を観た。陸上で一番大きな哺乳類(アフリカゾウ)とか一番小さな爬虫類(なんとかいうカメレオン)の話題のときはよかったが……。終盤のグンタイアリにやられた!!

彼らの行進にぶち当たったバッタもハチも、とにかく動くものは全て彼らの餌食となる。逃げ遅れて毒を注入されてどろどろに溶けたサソリを見てゾッとした。人間も刺されたらただではすまないそうだ。いや、それよりも、私は……

モブシーンを見ると全身総毛立つんだよーーーー!!!

幅20メートル(長さではない)にもわたる500万匹のアリの行進。大きな大きな絨毯が動いているようなものだ。うじゃうじゃぞろぞろ延々と見渡す限りアリ、アリ、アリ(ぎゃあ!)。おまけにそのアリの巣をつつくと、バラバラと崩れて中から白いサナギがボタボタと落ちて……(うぎゃあ!)。更には、その巣が生きたアリの身体そのものでできているときた日にゃ、もう気が遠くなりそうで声も出ない(泡ふきそう……)。

大型動物や鳥や魚のモブシーンならまだ大丈夫なのだが、小っこいものが大量に蠢いているともうダメだ。生理的に受け付けられない。ヘビやクモが嫌いというのともまたちょっと違う(もっともヘビやクモのモブシーンを見たらショック死するかもしれないのだが)。

私の前世はグンタイアリに食べられたミミズだったのかもしれないなどと思いつつ、大塚明夫さんのナレーションを堪能した2時間だった。

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佐世保・乱射事件

犯罪心理学の先生は「馬込容疑者は仕事や生活でストレスを抱え、自殺願望から他人を道連れにしようと考えたのではないか。教会に逃げたのは自らの魂を救ってくれる場所だと思ったのだろう」と推測した。誰でもが言えるような言葉で目新しさはない。

神が自らの魂を救ってくれると思うのなら、他人を道連れにする前に、自殺願望を起こす前に、教会へ行ってほしかった。

亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。

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白馬の王子様

先日録画しておいた『関口知宏の中国鉄道大紀行 秋の旅』を観た。西安を出発して中国東北部を回ってから西域カシュガルまでの長旅だ。移り変わる風景よりも何よりも印象的だったのが、現地の人々の暖かい歓迎ぶりだった。(おそらく)何のアポもなしに訪ねていった家で「まあどうぞ」と出てくるのはただの白湯だったりする。それでも、マイナス何度という気温に凍てついた身体には何よりのご馳走だったに違いない。それ以上に、突然押しかけた人々を断らないで歓迎するという気持ちが暖かい。

関口さんが女好きのする優しい顔立ちということもあるのだろうが、概して女性からは歓待されていたように見えた。男達は最初はちょっと「誰だコイツ?」というような様子が見える(すぐに打ち解けるのだが)が、女達は割りと最初から積極的である。

それで思ったのだが、女性というのは無意識に「外」からの男性を待っているのではないのかなと。同族とか狭いムラの中の男ではなくて、どこか遠いところからくる旅人を。

学校で転校生が人気者になるというのもそういうことかもしれない。あるいは神話の世界で、高天原を追放されたスサノオノミコトが出雲の地でクシナダヒメの婿となり安住の地を得たこととか、因幡のヤガミヒメが様々な求婚者を振って出雲から来たオオクニヌシノミコトを選んだことなども、そういう理由なのかもしれない。動物の世界だって、オスはある時期になると生まれ育った群れを離れて放浪する。これには、遺伝生物学の見地から近親結婚を防ぐための本能という理由が付けられるのであろうが、ならばメスの立場から言っても、自分とはかけ離れた遺伝子を持つオスを求めることだってあるだろうと思う。

外からやってくる、自分とはかけ離れた遺伝子を持つ男性……。これがつまり「白馬の王子様」の原形なのかなと、ふと思ったりした。いやそれにしても、感動大紀行をこんな目で見てしまって、関口さんには本当に申し訳ない(汗)。

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忙しくなってきた

江戸時代、武家では12月13日が大掃除の日と決まっていた。『復元江戸生活図鑑』(笹間良彦著)にはこうある。
「毎年12月13日に将軍家営中の煤払いが行なわれ、一般武士もこれにならった。この日は将軍は服紗小袖に麻裃、役人も同様の服装で登城する。月番老中は熨斗目長袴姿で年男を勤め、若年寄は服紗小袖麻裃で、まず御座の間上段から御煤納(すすおさめ)の式が行なわれ、表、中奥、大奥も一緒に行なわれ、畳替えと障子張りがされる。」

形だけではなく実際に畳替えと障子張りを行うのだから、江戸城も一日バタバタとしていたことだろう。将軍がその間何をしていたのか興味があるが、それについては書かれていない。どうせテゴにならんで(←出雲弁で手伝いの役にたたない、の意)邪魔になること夥しかっただろうから、「あっち行っててください!」とか言われて城内をウロウロしていたら可笑しいナ。武家の多い江戸では、13日の夜は新しいイグサの香りが漂っていたことだろう。

今は平成の御世なので、わが家でももちろんまだ大掃除には着手していない。カーテンやらマットやらの大物を洗っただけで今日は終わってしまった。今年もあとわずか。計画を立てて用事を終わらせないと。いろいろやることはあるけど、とりあえず最優先はこれ(笑)↓

録画予約すること!
2007/12/16 19:00~20:54
「 超どうぶつ奇想天外!これが地球No.1生物!!謎&感動(秘)永久保存版スペシャル」
 ↑
大塚さんナレーション。
あと1月は集英社VOMIC。

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ネット上の引用とかリンクとか

昨日の記事の続きである。昨日はいろいろ調べまわっていたら時間が無くなってしまって、何も内容が書けなかったので。

A さんが書く a というブログがあるとする。a の中に X さんを誹謗中傷するような記事 x があったとする。それを読んだ B さんが「これは面白い」と自分の書く b というブログに x をそのまま転載したとする。たまたま X さんが a の中の x を見つけて A さんに「名誉毀損であるから訴訟を起こす」と言ったとする。A さんは誤りを認めて謝罪して a から x を削除したとする。X さんが納得すればここで A さんと X さんの関係は切れる。後には B さんが b に転載した x という記事が残るわけだが、気をつけなくてはならないのは、今度はこの B さんが訴訟の対象になり得るということだ。←これは某アルファブロガーさんが弁護士さんに確かめた話らしいので、信用してよい。

You Tube の中に面白い動画 x があったので自分のブログ a に掲載したとする。x はあるテレビ番組そのものズバリだったとする。著作権法違反の指摘があって You Tube から x が削除されたとする。では a に残った x はどうなるの?

私には動画を共有するサービスの仕組みがよく解らないので、You Tube から x が削除された時点で a に残った x も見られなくなるものなのかそういうことが不明なのだが、そこまで調べる元気もない。しかし上の理屈からすれば、a に x が残った場合や魚拓を取って公開した場合に問題になるであろうことは想像に難くない。

現在 You Tube では、アニメやドラマなどテレビで放送された映像がアップされるとかなり早い時点で削除されるようになってきたらしいが、いたちごっこであることに変わりはないらしい。またテレビで見逃した映像が見られるからという理由で人気を博してきた経緯もあって、You Tube 側も痛し痒しというところなのだろう。明らかに著作権法違反と思われる動画は今でも山ほどある。そこんとこ、ココログはどう考えているのかな?

しかし結局は……。You Tube にしろ、「それを自分のブログに掲載してみませんか」というサービスにしろ、そういうサービスを提供するのは勝手だ。You Tube に著作権に抵触する動画があるかどうかはココログが関知するところではないのかもしれない。それを適正に利用するかどうかが、ひとえにブロガーの良識にかかっているということなのだろう。……ということで、私はたぶん動画を掲載することはないと思うし、面白い動画があってもテレビ番組そのものだったりした場合はリンクもしないという今まで通りの方針で行こうと思う。

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(備忘録071211)

先日来気になっていることがある。このページの左欄の「ココログからのお知らせ」に「日本版You Tubeから直接投稿が可能になりました」とある。内容を見てみると、投稿手順などが書いてあって、最後に「気になる動画を見つけたら、あなたのココログに掲載してみませんか?」となっている。

いいのか?

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傷痕

BJが自分の顔のことを言われたときに反応する場面がいくつかある。

「おれの顔のことをもう一度いってみろ 女だって ただじゃすまんぞ!」(「鬼子母神の息子」)
「必要のないことは聞かないでください」(「えらばれたマスク」)
「私の顔の話ならやめてもらおう」(「もう一人のJ」)←自分から話を振ったくせに逆ギレしている(笑)。

面白いのは「オオカミ少女」でのレーカとの会話だ。狼咽のレーカが「あたいがこんな顔だから あたいみたいにみにくい人間だけ助けるのよ」と言ったのに対して「じゃあわたしはなぜ助けた」と訊き返している。「そうね あなたはツギだらけだから」と言われているが、ほほぉ~、BJ先生自分の顔の造作自体にはかなりの自信を持っていると見える(笑)。

面と向かって顔の傷痕のことに触れられたときにだけ、ちょっと異常にも思えるほどBJは反応するのである。その理由について模範解答をするとすれば、「皮膚を提供してくれたタカシの誠意に応えるため」ということになろう。タカシと自分との暖かい交流の思い出を他人に土足で踏みにじられたくないという思いがあるのだろうが、そうならそうでもうちょっと穏やかに斯く斯く然々と説明してもよさそうなものだ。それに、私が気になるのは「友よいずこ」の中で医大生時代の黒男が友達から「いい皮膚ととりかえろよ」と言われたとき、「おれがこれをとりかえたりすることは その友だちの誠意を裏切ることなんだ!」と言う姿がなんとも辛そうに見えることである。胸を張って言えばいいじゃないか、と思う。

ところで、「もう一人のJ」という話がある。「J」というのは、ジョナサンというBJに傷痕まで瓜二つの男のことだ。簡単にあらすじを書くと……。

見つけたナチの金塊を巡って、ハンスは仲間のジョナサンの顔や身体ををめった刺しにして海に投げ込んでしまう。しかしジョナサンは生きておりハンスに復讐しようとする。その話を知ったBJは、ジョナサンが実は病気(脳視床部の腫瘍)だと見抜き、手術する。ここに腫瘍があるとシモンズ病が起こり傷痕が治りにくいのである。3ヵ月後、ジョナサンの顔と身体からは傷痕がすっかり消えた。治療費もハンスが支払ったことを知ったジョナサンは、ハンスに復讐することができなくなってしまう……。

なんとも複雑な読後感の残る話である。ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、それすらもよくわからない。傷痕がなくなってしまったことで、ジョナサンの復讐心は行き場をなくしてしまったのだ。

この話の中でBJは「あのきずあとをなおす気なんですか!」と尋ねるハンスに向かって「病気をとりのぞいてやれば心も明るくなるし第二の人生をふみだすこともできるだろう」などと真っ当なことを言っている。う~ん、あんたがそれを言うか、と思わないでもない。ならば、BJも顔の傷痕を治せば心も明るくなって復讐を忘れられるはずではないか。

ここに至って私は思う。BJが顔の傷を治さないのは、タカシとの友情を忘れないためということの他に、復讐を忘れないためではないかと。しかし忘れないということもまた辛いことだ。だからあれほど傷痕について他人から無神経に触れられることを嫌がるのではないのかと。タカシのことはまだ人に話せるとしても、そこに表裏一体で暗くわだかまったままの復讐心を意識して、BJは辛くなっているのではないのかと。

「もう一人のJ」とは、BJと頭文字が同じで顔が似ているというだけの意味ではない。復讐する相手があるという共通点を持つ二人のJのうちの一人、という意味が込められている。「もう一人のJ」の復讐譚は、実行されないまま結末を迎えた。そうしたのは他ならぬBJである。ラストで「なぜなおしたんだ なぜ おれをもとどおりにしちまったんだ バカ……」と泣き崩れるジョナサンにBJは言う。「もう一度きずあとをつけてほしいなら……百万ドル持ってきな いつでもつけてやるよ」。ジョナサンとハンスがその後どうなったのか、手塚治虫は描いていない。

ちなみに、「もう一人のJ」は113話、「不発弾」が115話である。ジョナサンには復讐をやめさせたくせに、BJは大掛かりな復讐を完遂している。なかなか興味深い流れではある。

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ドキドキ

昨日は「手塚治虫ファン大会」が開かれたようだが、私は行かれるわけもなく……(しょぼん)。ネットで、水谷さんは大塚さんを「ちぇんちぇー」と呼んでいただとか、『BJ』関西語バージョン生アフレコがあっただとか、『BJ』アニメ続編は日テレがOKしてくれないとダメなんだとかの記事を拾って読んだりした。いや、私は今度は是非とも別系列のテレビ局でやっていただきたいと思うのだが。NHKとか、ダメかな。『火の鳥』だってやったんだからイイじゃん、ねぇ。

で、昨日は届いたばかりの『Knock Out VOICE!! FINAL』のCDおよびDVDを視聴していた。番組中、大塚ヴォイスで1回だけ「わかばさん」と呼ばれたのをもう一度聴きたいばっかりに買ったのサ♪ そこだけ繰り返して聴いてはドキドキドキドキ♪♪ 全部視聴しようと思えば寝ずに聴いても2日ほどかかる大ヴォリューム(その割りには格安料金6,000円也)。よく1枚に収まるものだと感心する。他の所も聴こう。

ところが、きょうになってパソコンを立ち上げたら途端にエラーメッセージが出た。「ディスクがありません 云々」。そりゃそうだろうよ、入れてないもん。と、「キャンセル」をクリックするが、消えない。「再試行」「続行」を押しても消えない。ネットに接続するのに問題はなかったので、このエラーメッセージを検索してみると、どうやら昨夜件のDVDを観るために「QuickTime」を使ったことが原因だとわかった。

悪戦苦闘はここから始まった。解決法のページを探し出して、いざ「QuickTime」を起動させようとすると……あれ? 起動しない。わけが判らないながらも、この際だから新しいヴァージョンにアップしようとダウンロードする。次にインストール。よし、始まった、と思っていたら……、途中で止まってしまった。30分様子を見たが(気が長いわかばちゃん)何の変化もないので、仕方なくキャンセルボタンをクリック。あれ?……またもや何の変化もない。ウインドウも消えなければ「キャンセルされました」の表示も出ない。

やってはいけないことを何かやっちまったかも、とドキドキしながら、物は試しとWindows の再起動を試みる。……いつもより余計に時間がかかっております……。と、「インストール中だから再起動できないんだよバ~カ」という旨の表示が! もちろんこんな文章ではないが、私にとってはそう言われているようなもので、心拍数が跳ね上がる。ドキドキドキドキ。だって、私はちゃんとキャンセルをクリックしたのに~! ここで嫌な記憶が甦る。私は前のパソコンをやはり何かのソフトのインストール中にキャンセルして壊したことがあったではないか! 富○通のエンジニアさんに来てもらったがどうにもならず、お持ち帰りでやっと直してもらったことがあったではないか! ああ~、またやっちまったよ、懲りないヤツ! このパソコンはお持ち帰りしてもらいたくないなぁ、恥ずかしいシロモノがいっぱい入ってるもんなぁ、と絶望的な気分になりながら、Ctrl+Alt+Del。そこで出た「タスクの終了」で全部を終了させて何とか強制終了。

どうしても出かけなくちゃいけない用事があったので、暗い気分のまま外出、夕方帰宅。神に祈る気分で電源を入れたら……。普通に動いた~! 「ディスクがありません」のエラーメッセージも消えた~! 良かった~~(うれし涙)!! でも、プログラムから「QuickTime」が消えていた……。もしかして、またインストールしなくちゃいけないのか(怖)。ドキドキドキドキ。

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人の死をめぐって

12月8日と言えば、ジョン・レノンの命日だ。あの日のことはまるで昨日のことのように覚えている(一昨年の記事参照)が、あれからもう27年か。つくづく、早いなぁと思う。

人の死というのは、残された者にとって多かれ少なかれ影響を及ぼすものだ。私はジョン・レノンの死を知ったとき泣きはしなかった。死の経緯のほうがショッキングだったこともあるし、彼の音楽は一応知っておくべきものという範疇で自分が特別に彼のファンというわけではなかったからだ。しかし、ずっと『Imagine』を聴き続けていたときに、ふいに涙が出た。悲しい、寂しいという想いではなく、惜しむという感情だったように思う。それは、もう彼に関する未来が無いということが分かった瞬間だったかもしれない。

マンガを読んで号泣したことが何度かある。池田理代子の『ベルサイユのばら』で、オスカルがもういないアンドレに話しかけてしまう場面。死んでしまったことを思い出してふいに悲しみに襲われるオスカルの姿に、友人とビービー泣いた。木原としえの『天まであがれ!』で、土方歳三が最後に沖田総司を見舞う場面。「直感だった “もうあえない”」の台詞で、同級生3~4人とオイオイ泣いた。人の死に伴う喪失感、更には喪失感への予感だけでも泣けるものだと知った。

ところが、つい先日ネットを徘徊していて偶然「自分はとても好きだった人を亡くしても悲しいと思ったことがない。涙も出ない。どこかおかしいのでしょうか」という内容の記事を見つけた。それに対して「自分もそうです」というコメントがたくさん付いており、また「おかしくないですよ。でも人前ではそれを見せたり言ったりしないほうが良いですよ」というアドバイスなども寄せられていたのを見て、なんだかな~と思った。人によって感受性は様々だとは思うからそういう人達を責めるつもりは毛頭ないし、周りに合わせる努力もご苦労なことだと思うのだが、どうしてこうも自分とは違うのかが不思議でならない。いくつかのコメントにあった「あなたは強い人だからですよ」という理由も、なんだかピンと来ない。何が分岐点になっているのだろう……。

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(備忘録071207)

久々にネットで百人一首のゲーム中なので、記事はお休み。

うわ~、こんなに忘れているとは! 「みをつくし……」どっちだったっけ!!とか、ややこしい札がごちゃごちゃになっている。う~ん、年々衰えを感じるな……。

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言葉と概念

先日録画しておいたNHKの『爆笑問題のニッポンの教養』を観た。今回のゲストは一橋大学名誉教授で社会言語学が専門の田中克彦氏。

「コトバから逃げれられないワタクシ」というサブタイトルから、F・ド・ソシュールの「言葉があって初めて概念が生まれる」という言葉を思い出したが、やはり番組内でも紹介されていた。突き詰めると、言葉というものはそこに行き着くのだろうなぁ。「肩凝り」に相当する英語がないので、英米人には肩凝りがないとか。良い例だね。一発で判る。言葉が無いと概念が生まれない。「初めに言葉ありき」だ。いや、聖書の中での意味は知らんけど……。

興味深かったのは、田中先生が人間の身体の不都合を指摘していたこと。つまり、物を食べるところと言葉を発するところが同じなのは不便なのに、そうなってしまっているということだ。確かに口いっぱいに頬張っていては言葉を発することはできない。別の器官で喋ることができたら、食事とお喋りが同時にできるのに。

それを不都合に思うということは、つまり人間がいかに言葉に頼ってコミュニケートしているかということの証なのだろう。それだけ伝えたいものがあるのが人間、ということなのだろうか。人間を人間たらしめているものが言葉ということか。

抽象的な概念、例えば「死」とか「0(ゼロ)」とかは言葉によってしか理解できないものだろう。「人生」とか「-(マイナス)」なんかも。そしてそれらの言葉ができているということは、そこに必要があったからなのだろう。私なぞには判らないが、きっと最先端の科学というのは概念でしか語ることのできないものなのかもしれないと思ったりする。

しかし究極の問題は、人間がそういう概念を持つことで果たして幸せになったか(あるいは、なれるか)どうかということなのだろうなぁ。バベルの塔のエピソードで人間同士の言葉を通じなくしてしまった神の意思はどこにあったのか、などということにまで思いを馳せた番組だった。

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安らげる声

全然眠れないということはないが、最近また不眠症気味だ。寝られたと思っても眠りが浅いらしくて、一日中なんだか頭がスッキリしない。考えがまとまらない。無理して寝ることもないとは思うものの、ぐっすり眠れるものなら眠りたいものだ。

『羊でおやすみシリーズ』という安眠促進CDがあるそうだ。人気声優さんが羊を数えるのを聴きながら夢の世界へ……という企画らしいのだが、果たして若本規夫さんの声を聴きながら眠れるものだろうか(笑)。大塚明夫さんも近くこのシリーズに登場(黒田崇矢さんとのコンビで来年4月頃)とのこと。あの甘い低音ヴォイスなら寝られるかもしれないが、私の場合BJ先生を思い出して余計に目が冴えてしまう危険の方が大きいかもしれない(ギンギンギン)。

森本レオさんの声なら寝られそうだと思う。「1/f ゆらぎ」とかいうものが現れている声として有名だが、他には宇多田ヒカルやドリカムの吉田美和の声なんかもそうなのだそうだ。確かに心地よい声ではある。以前私は、梅原猛さんの対談や中村元さんの講演テープを聴いているときに猛烈な眠気に襲われた経験があるのだが(失礼)、あのお二人のお声にもきっとその fナントカが含まれているに違いないと思う。あるいは、あの穏やかな語り口に安心感を覚えるのかも。

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「島根のおじさま」

いま島根で一番有名なものと言ったら、出雲大社でも石見銀山でもなくて「島根のおじさま」かもしれない。

いや、ソフトバンク携帯のCMの話である。母・樋口可南子、兄・ダンテ、妹・上戸彩、父・犬(声は北大路欣也)の白戸(ホワイト)家の面々にもたいがい驚くが、島根におじさまがいて、それが水族館「アクアス」のシロイルカときたもんだ。口からリング状のあぶくを出す芸をするのだが、このCMの効果か11月の入館者数が1万2000人増えたと地元の新聞が報じていた。

いかにも意外性を狙っていますというあざとさが鼻についていたCMだが、ここまで来たらどこまで親戚が広がっていくのか興味が湧いてきた。「ワ」があるものなら、天使や土星なんかどうだろう? 聖徳太子は? 「和」か……。

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(備忘録071203)

ちと多忙につき、記事はお休みします。

本日のお買い物。『アミターバ 無量光明』(玄侑宗久著)ほか2冊。

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昨日の続き

昨日書こうと思っていながらうまくまとまらなかったので書かなかったのが「第1回ニコニコ映画祭」の件。受賞作品が暴力的な作品だったということで審査員に批判が浴びせられ、審査員の1人だった女性タレントが自分のブログの中で謝罪をした。審査委員長(だったと思う)の手塚眞氏のところにも「何かコメントはないのか」と、実際には謝罪を求めていると思われるコメントが寄せられている。

この謝罪を求める人達というのが私にはまったくワケがわからない。審査員が推した作品が(おそらく)自分の気に入らなかったことが、謝罪させる根拠になると思っているのだろうか。こんな作品が受賞するのは恥ずかしいと思っているのなら、自分一人でそう思っていればよい。そう思う人が多数派ならば、この映画祭自体がいずれ消滅していくであろう、ただそれだけのことだ。

別に、映画祭のことについて書きたいわけではない。何でもないことで、しかも自分とはまったく関係のない事柄について、誰かに謝罪させたいと思っている人が昨今多いような気がするということを書きたいだけだ。何か意に染まないことがあって、憤ったり、不満を感じたり、苛立ったりするというのは人間誰しもあることだろう。自分の期待通りに事が進む場合のほうが少ないような気がする。しかしそれが誰かの意図的なものならまだしも、誰のせいでもないことも多いのに、そんなときでもスケープゴートを求めるのはただの鬱憤晴らしのように思われてならないのだ。

更に厄介なのは、そこに自分こそが正義だという感覚が入り込んだときだろう。不平不満をぶつけるだけでは済まなくて「謝れ!」となる。そして、本当なら謝ったって許してもらえないことだって多いだろうに、そこで「まあ謝ったのだから許してやるか」となるのが、いかにも一時の鬱憤晴らし的だと私は思う。そこで溜飲が下がったということになるのだろう。

いつも私が変だ変だと言っているのが、何か悪いことをした社員の上司が謝るという風習だ。むろん本人は捕まっているのでカメラの前に出ることなどできない。そこで何故か上司が出てきて深々と頭を下げる。その社員が勤務時間外に犯した仕事とはまったく関係のない罪を、どうして上司が謝るのだ? あんた(上司)は本当に自分が悪いと思っているのかと私はいつも疑問に思う。それでもどこかから「一応上司が謝っておいたほうがいいよ」という声が出るのだろう。そしてそんな形だけの謝罪で溜飲を下げる人々がいることのほうが、私には薄ら寒い気がするのである。

ちなみに、朝青龍の一件については、私は別に迷惑をかけられたわけでも心配をしたわけでもないので、謝罪してもらう必要性などちっとも感じない。そして会見を見ても、横綱の品位を汚したことを恥じている様子を感じることはできなかったことを追記しておく。

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謝罪会見

今年は謝罪会見を山ほど見た年だった。テレビ番組の捏造やら、食品の偽装(ミートホープ、白い恋人、赤福、吉兆その他続々)やら、スポーツ選手の恥ずべき行動やら。

捏造やら偽装といった行為は明らかに相手を騙そうとしたものなのだから、バレてしまったからには仕方がない、罰は罰として受け入れた上で、広く世間に対して謝罪して許しを乞い、なんとか会社だけは存続させようというつもりなのだろう。自発的にやらざるを得なかったものだろうと思う。

しかし、昨日行われた亀田大毅と朝青龍の謝罪というのはちょっと性格が違うと思った。なんだか誰も彼もが2人に謝罪させようと躍起になっていたような感じがした。せめて謝らせなくちゃ気が済まねぇ!と怒りを買っているのかと思ったら、会見後は、一応謝罪したのだから反省したものとして様子を見ようという人が多いようだ。日本人は人が良いなぁ。それだけこの2人は期待されているということなのだろうか。よくわからない。そもそもこの2人は誰に対して何を謝罪したのだろう? それもよくわからない。

私にとってはどうでもよいことなのだが、マスコミが騒ぎすぎるので嫌でも耳に入ってきてしまう。鬱陶しい。

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BJのブログパーツ

一応、取り込んではみたものの……。

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