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2008年1月

批評と批判 その後

先日の「批評と批判」と題した拙記事を引用して、奥州亭三景さんが興味深い考察をしておられる(許可を得ていないので現時点でリンクはしない)。私とは違う御主張だが、引用の箇所もそれに対するお考えも納得できるもので、ご高説の叩き台として取り上げてくださったことに改めて感謝したいと思う。

感想などをコメントしようかと思ったが、またダラダラと自説を述べてコメント欄を汚すのもご迷惑と思い、また、メールでとも思ったが、ご返信のお気遣いをなさってしまうことになるのも心苦しく、やはりここに書くことにした。三景さんのご考察からまた新たに思うこともあったので、それを書いてきょうの記事にしようと思う。

三景さんと私の意見の相違点は、直接的な短い表現(例えば「ダメだ」とか「残念」とか)を「批評」と言えるかどうかという問題において、三景さんは「批評である」と言われ、私は「批評ではない」と言っている点である。更に言えば、私が罵詈雑言と捉える言葉も、三景さんは「はらわたの煮え繰り返るようなコメントもあるのですが・・・」としながらも、ひとつの意見として真摯に受け止めると仰っていることである。

三景さんの文章を読んでも私には異論反論などなく、至極もっともだと思う。だから結局、批判を受ける側としての許容範囲が、三景さんと私では違うのである。これはもう人間の大きさを問われているようなもので、私には一言もない。

「罵詈雑言」か「ひとつの意見」か……ここからがきょうの本題なのであるが……、これはある程度の時間を置いて制作者側が判断すべきものだろうと思う。今回の『ヤッ○ーマン』を巡る騒動で、公式サイトに批判意見が渦巻いていた頃、拙ブログへのアクセス数が急増したことは前に書いた。検索タームは「ヤッ○ーマン オープニング」が圧倒的だった。これはつまり、他の人はどう思っているのか(大袈裟に言えば、世論はどっちに傾いているのか)を知りたい人が多かったからだと思う。自分の意見をどうしても書きたいなら堂々と書けばよいと思うのだが、多数派に付きたい日和見主義というのか、自分一人ではないことに力を得る心理というのが少なからず作用していたように感じる。

ネットでは投稿時刻が表示されるからそれがリアルタイムで判るのだ。今はこれを批判するのが良い、と判断するのかどうか知らないが、勝手に扇動されて人の尻馬に乗っただけの人間も相当数いたのではないかと思う。最近では私の近辺でも「うん、あれも悪くないかも……」という意見も複数ある。渦中においては、本当にその人がそう思ったかどうかも疑わしい場合もあるのではないかと思う。特にネットの世界では。

そして、事が沈静化して、批判を受けた当事者が今後の参考にしようと思う批評というのは、具体的にどこがどう不評なのかが判る批評であると思う。これにはやはりある程度の内容が求められるのではないか。一番頭が良さそうに見える評論というのは、『戦争と平和』を全文書き写した後に「……とトルストイは書いたが、さていかがなものであろうか。」と書いたものだと言われるが、これと同じくらい「ダメだ」一言の批評は今後の改善の役には立たないのではないかと思う。何がダメかすら判らないからだ。もっとも、ごく丁寧に書かれた批判でも制作者側が受け入れられない場合は当然あるだろうから、制作者側がそれによって方針を転換するかどうかなどは、また全然別の問題である。

最後に、許容範囲という点についてなのだが、直接当人同士を知らず文章だけで判断をせねばならないネット上のやりとりならば、日常生活よりも更にマナーが重視されるべきだと私は考えている。上で三景さんの「はらわたの煮え繰り返るような」という言葉を引用させていただいたが、そう思う原因というのは、内容云々ではなくて、たいていはその文章がマナー違反であるからのように思う。それをここに書くかとか、他に書きようがあるだろうとか思う場合は多い。相手が見えないからこそ気を遣うべきなのに、と私は思う。私の許容範囲が三景さんのそれより狭いことは明白で、こういう考えをしている限り広くもならないわけだが、今後もっと狭くならないことを願ってやまない。

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最近の原油高の主な原因は、某国の投機ファンドのマネーゲームであるという見方が一般的のようだ。1970年代の日本を襲ったオイルショックが産油国側の事情や思惑によって引き起こされたのとは、決定的に異なる。

これってよく時代劇でお目にかかる構図だ。有力な商人が悪代官と結託してある品物を一手に扱う権利を得て、市場に出回る量を少なくして価格を吊り上げる。劇中では米や材木、各地の特産品などが多いが、今はそれが油であるわけだ。

産油国側は別に減産しているわけではなかろう。でも市場には出回らない。じゃあ実際問題、買った者がどこかに備蓄しているのか? 全世界的に経済不安を起こさせるだけの膨大な量の原油を? 最高値になるまでずっと持っているのか? 夫に、どこに溜めてあるのかと訊いてみたが、無論のこと、知らんと言われた。

時代劇なら8時40分、暴動が起きる寸前の場面ではないかと思う。いや、実際に近世日本では米を巡って「打ちこわし」が起こった歴史上の事実もあるわけで。流通の発達した現代、米よりも油のほうが事は深刻かもしれない。

金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になる構図。我が身の腹の脂身を取って燃やすくらいしか対抗策を思いつかないが……痛いだろうな。

経済というものには、誰もが無縁ではいられない。ビル・ゲイツに言わせれば、金は使うよりも儲けるほうが簡単らしいが、誰もにその才能とチャンスと運が与えられるわけではない。金儲けは決して一概に悪いことでもない。しかし、程(ほど)というものもあろう。このまま貧富の差が拡大していけば、社会はいったいどうなるのだろう……。

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今年は勉強しよう

以前にブログで知り合いになったVさんが、ずっとある資格試験にトライし続けていらっしゃる。合格発表は昨日だったはずで、もし合格されていたらお祝いを申し上げようと思って度々覗いているのだが、まだ更新がない。受かっていらっしゃると良いのだが。

私が最後に試験を受けたのはいつだったろう? 大学4年の夏の図書館司書資格講座での試験、秋の国家公務員試験、卒論の口頭試問……これが最後だったな。ちょうど今頃が卒論の締め切りで、それからしばらくしてからあったような気がする。穴をズバズバ指摘されて大過なく(笑)終わった。

試験は、その結果が発表されるまでの間が嫌なものだ。もうそんな大きな試験など受けることもないと思うけれど、Vさんのブログを拝見するたびに、ああ私も勉強しなくちゃという気になる。今年は、何年もほったらかしだったルパンの原書を読んでみようか。また最初の1ページからだな。

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よくわからないことなど

1週間前の記事について、Chさんからメールで「シャチの詩」でBJが大衆食堂に行っている旨のご教示をいただきました。ワタクシ見落としておりました(汗)。ピノコが登場する前のエピソードですから、BJは自炊か外食をしていた頃。岬の診療所にも近い場所のはずですので、状況からしてこの大衆食堂はBJの行きつけの店(ビジェラン三ツ星)に認定したいと思います。やっぱりどことなく貧乏臭くてテーブルの表面がペトペトしていそうなBJ好みな店です。食べているのはカレーでしょうかね。ご教示ありがとうございます。m(_ _)m

さて、きょうの『BJ』語り、ちらりとテレビで聴いたAsa○i ビールのCMの音楽はアニメ『BJ』に使われていた曲なんじゃないの?と気になっている以外、これといってテーマを思いつかなかったので、原作の中で私にとって不可解なあれこれを挙げてみたいと思います。

・「ふたりの黒い医者」ラストのドクター・キリコの哄笑の意味。
重要な話の一番要(かなめ)のところがよくわからないのが悔しい。
BJの「それでもわたしは人を治すんだっ。自分が生きるために!!」という名台詞中の名台詞も非常に唐突なのだが、これはまあ何とか理解できたとして、キリコは何を笑っているのかがイマイチよくわからない。BJに対して自分が勝ったという高笑いなのか、BJの無駄な努力をあざ笑っているのか、運命のいたずらを単に面白がっているのか。
自然の摂理に反してただ生き永らえることの無意味さを笑っているという解説もあるが、既に患者はBJの手術によって怪我が治ってあとはリハビリ次第となっていたのだから、これは当たらない。「生きものは死ぬ時には自然に死ぬもんだ…… それを人間だけが……無理に生きさせようとする。どっちが正しいかね ブラック・ジャック」という自分の説が正しかったから「ほ~らみろ」と笑っているのか。しかしこの患者の場合は生死の境にいたわけではなく、どちらかといえばキリコは患者の意を受けて自殺幇助をしようとしたのであって、自然に介入しようとしたという点ではキリコもBJと大差ない。キリコはBJを笑えないのだ。
なんで笑ってるんだ、このオッサン……?
理屈でいくと判らないのだが、しかしこのラストシーンが圧巻であることに間違いはない。この狂気を帯びたような哄笑のせいで、私にとってドクター・キリコというのは怖い男であるという印象が植え付けられたことも確かなのだ。
後の話でキリコがBJと表裏一体であるということが判ってくると、この高笑いも、人間の限界や医療の限界に対する泣き笑いのように思えてくるのだが……。

・BJの父の再婚相手・蓮花はどうして再度整形手術を受けなかったのか。
蓮花の顔をBJの最愛の母そっくりに整形することは天才外科医BJにしかできない芸当だろうが、全然別の人相にすることなら他の外科医にだってできるはず。アニメでは蓮花が「この顔のおかげで私は地獄の苦しみを味わった」とまで言っていたが、影三が前妻みおを愛していたというアニメ設定なら、影三が今は亡きみおの面影を大事にしていたと想像できなくもない。しかし原作では、BJの父は前妻をもはや愛していないという設定なので(だからこそBJの父に対する復讐の残酷さが際立つのだ)、それならもう一度整形しろということになるんじゃないかと思う。
息子の復讐を甘んじて受けて償いにしようと、あのロクデナシの父は思ったのだろうか。

・「誤診」ラストのBJの台詞。
「くれぐれもいっとくが 私みたいな医者になるなっ だれかに軽蔑されるような医者にはな!!」なのだが、どうも今ひとつBJの真意がわからない。その前の「私はだれとも組まないし だれの助けもいらない!!」までは勢いがよかったのに、どうしてここで突然急降下したのだろう? もしも私が、言われた当人の伊東医師だったら、わけがわからず面食らう。医師としての実力もないのに今は大病院の院長になっている学友の言動に相当頭に来ていたことはわかるが、BJがここまで自分の鬱憤を他人にさらけ出すことも珍しい。
その前には同窓生の結婚式に出席しているし、華やかな友人たちと我が身を比較してナーバスになっているのかとも思う。そういえば「コレラさわぎ」の安東医師にも「聞けば おまえまだ独身だっていうじゃないか」と言われていたが、男性にしてみれば嫁をもらえるかどうかで男の力量を計るという意識があるのかな。
この台詞、真意はわからないが、怒り、悔しさの他に、ライバル心(医師としての実力は断然上なのにネ)、劣等感、ジェラシー等々が入り混じっているようにも聞こえる。

他にも、「本間血腫」で本間先生がBJに遺した手紙の謎(人工心臓のジの字も書いてないのは何故だ?)とか、「血がとまらない」のトリックがわからん(トリック?)とか、「畸形嚢腫パート2」でなんであんなにたくさんの皿が積み重ねてあるのかとか、大きなものから小さなものまで謎はいっぱいだ。宝の山を前にしているようで、『BJ』ってのは何度読んでも本当にワクワクする。

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(備忘録080127)

きょうは庭の木をバッサバッサ切ってやった。葉っぱが落ちている今の時期が切りやすいのである。寒かったのでいっぱい着込んで始めたが、すぐに汗が出るほどになった。明日は筋肉痛だろう。肩が上がるかなぁ……。

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正義に関すること

先日来思っていることを吐き出してみる。まとまらないことは判っているが……。考えているとどんどん拡散してしまって自分でテーマも絞りきれないのだが、まあ所謂「正義」に関すること、だ。

発端は『ヤッ○ーマン』の初回だった。OPよりも数段気になったのが主人公(?)のガンちゃんの性格付けだった。このアニメはそれまでのアニメやマンガと違って、全編を通して主たるストーリーがあるわけでもなく、徹底的に「正義の味方 vs 3悪」の戦いにのみ焦点を当てたギャグアニメだった。正義の味方側は己の正義に疑問を感じることもなく3悪を懲らしめ、3悪のほうは己の欲望のままに悪いことしかしなかった。これ以上ないほどに単純だが、観ていてこれほど楽しいアニメもなかった。「つべこべ言うな!」の力技である。だからガンちゃんは何の理由もなく「正義の味方」でなくてはいけないのだ。そうでないとこのアニメそのものが成り立たない。

30年前にこのアニメが人気を博した理由は、そういう単純明快さだったと思う。当時、闘うヒーローの苦悩とか迷いとかが描かれた作品群が他にあって、でもそんなの関係ねェとばかりに痛快に呆気なく勝ってしまうストーリーそのものが、一流のパロディでありギャグだったと思う。

昔の(今もそうかもしれないが私は近頃の事情を知らない)マンガやアニメでは、まず何かを「守る」ということが正義だった。地球を、平和を、愛を、大切な人を、果ては正義を、守ることが正義だった。そこに迷いはなかった。ヒーロー達は毎週毎週飽きもせずに専守防衛に明け暮れた。『ウルトラマン』の中に、名前を忘れたけれども間違って地球にやってきてしまった怪獣というのが出てきて、ウルトラマンも彼とは闘うことをせず、宇宙まで送っていってやるというストーリーがある。また『ウルトラセブン』も全体として、怪獣の悲哀というものを描いていたように思う。たまにこういうお話があるとかなり異色で今でも覚えているほどだが、それでもヒーローは「守る」ために闘い続けていた。

そこに『ヤマト』や『ガンダム』といった作品が出てきて「侵略者側の正義」が描かれる。そうなるともう勧善懲悪のヒーローではいられない。絶対の正義とは何かを問い始めたときに、ヒーロー像は変わったように思う。マンガは彼らの人間としての成長物語になった。

そして同時にその頃からマンガは大人が見るものになったように思う。最初にこれでもかというくらい勧善懲悪を刷り込まれた上で、より人間の内面に踏み込んだ作品を見る分には良いと思うが、子供たちが最初からどっちが正義かわからないようなものを見たらこれは混乱するのではないかと思う。正義が迷っていたら、どんな悪にでも言い訳を与えてしまう。

確かに万人に共通な絶対の正義なんてものは「無い」のかもしれない。「正義」を定義しようとすると泥沼に足を取られるような感覚になる。ただ、それは個々人には絶対に「有る」としか私には言えない。有ると信ずるべきもの、かな。言葉にして説明しようとすればするほど胡散臭いものになってしまうもの。理由も動機も必要ないもの。つべこべ言うな、有るものは有るんだ!としか言えないもの。

話は変わるが、きょうの『世界一受けたい授業』で国境なき医師団の先生(吹き替えは大塚明夫さん)が、世界に知らせたい10のニュースを紹介していた。何らかの圧力が掛かっているのかどうか知らないが、普通のニュースではほとんど流されることのない、世界の悲惨な状況が写し出されていた。感染症、内戦、栄養失調でどれだけたくさんの子供たちの命が奪われていることか。また、大人たちの言いなりに5~6歳の頃から銃を取り兵士となる子供たちもいるとか。

おそらく、きょうの番組を観た人なら、これはどこか間違っている、これではいけないと思ったのではないか。理屈ではない。そう思わせたものこそ、自分の中の正義感なのではないかと思う。

う~ん、あんまりこういう話題には触れないほうが無難なことはわかっているのだが、最近一番ジェネレーションギャップを感じるのが、こういう大上段に振りかぶった話題のときに「ふん」と冷笑する若い人が多いことで……。ちょっと吐き出してみた。オチがない上に意味不明の文章、お詫びします。

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(備忘録080125)

『梅原猛の授業 道徳』(梅原猛著)読了。感想を書く時間がなくなった。またいずれ。

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金打

きょうのタイトル、「きんちょう」と読む。辞書によれば「近世、誓いの印として、金属製の物を打ち合わせたこと。武士は刀の刃または鍔(つば)、女子は鏡などを打ち合わせた。かねうち。」とある。

ここ何年と時代劇でお目にかかったことがなかったが、本日のNHK『鞍馬天狗』第2回でこの金打が見られた。天狗が白菊姫に会いに行き、姫の父を斬ったのは自分ではないと告げる場面。自分の言に嘘はないことを誓う手段として、刀を少し抜きそれをチャキーンと納める金打をしていた。

時代小説を読むと時々出てくるが、あまり馴染みのある言葉ではない。きょうのシーンも知らない人が見れば、どうして抜きかけた刀を戻したんだろう、と不思議に思うかもしれない。

で、その起源は何かとネットで調べてみたが、よく判らない。中国では馬具を鳴らしていたという記述があったから、起源は大陸かもしれない。武士なら刀、僧侶なら鉦、役者なら鏡と、各人の一番大事な品物で金属音を立てる。神社で鈴を鳴らすのと同じような意味合いかと愚考したりもしたが。風習というのは、一度断絶すると、その根底にあったはずの精神までわからなくなってしまうのだなぁ。

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『普通バトン』

きょうは神無月さんから回していただいた『普通バトン』に答えてみたいと思います。ん? 何が普通なんだろう?

Q1/理想の生活像を教えてください

「晴耕雨読」の生活に憧れます。毎日が清々しいんじゃないかなぁ。
(まずは掃除からだな……)

Q2/好きなものについて語ってください。(何でも可)

神社仏閣および仏像について……は長くなるので止めにして、魚肉ソーセージについて。
好きなんです、魚肉ソーセージ。細長く切って、キュウリも同じように切って、グラスに挿しておいてマヨネーズつけて食べたり、時には丸ごと齧り付いたりします。あれ、表面のフィルムがうまく剥けないとイライラしますよね。あのテープでうまく開けられる人っているんでしょうか。テープを引っ張ったらそれだけ取れて、ますます途方に暮れるのは私だけですか? もっと有効な方法を採用してもらいたいと思い続けて数十年、未だに改善されません。最近では、両端のクリップが金属じゃないものがあります。ECOの思想なんでしょうね。……え~と、もうこのへんにしときましょうか。

Q3/行きたい旅行先は?

国内なら京都、海外ならアジア圏。歴史の重みを感じる旅がしてみたいです。

Q4/憧れの人はいる?

自分に無いものを持っている人には、軒並み憧れます。

Q5/最近面白いと思った作品(本、映画など)を教えて下さい

本については割愛。先日テレビの『秘密の県民SHOW』で見た大阪の人の日常は面白かったです。みんなが吉本の芸人さんみたいでした。すごいなぁ。

Q6/人生で一度でいいからしてみたいことは?

有閑マダムというものになってみたいです。あと、魔性の女、とか。

Q7/カラオケでよく歌う曲は?

よく歌うもなにも……。25年ばかり前に「夢の途中」、20年ほど前に「Sweet Memories」、15年ほど前に「蘇州夜曲」、10年くらい前に「アジアの純真」を歌ったことがあるきりです。人様にお聞かせできるシロモノではないので、生涯この4回だけでたくさんです。

Q8/現在欲しいものは?

なんだろう? いっぱいあるような、反面どうでもいいような。う~ん。
とりあえずこの無気力さをなんとかしなければならんので、情熱、と答えておきましょう。

Q9/あなたのストレス解消法は?

何か活字を読むこと。本でもネットでも。没頭して気分転換さえできれば……。

Q10/自分の、ココは自慢!

目にゴミや虫が入る頻度。眼鏡かけてるのにそれでも入るんだゼ、Yeah!
……それはトロいと言わないか? 

Q11/今まで見てきたものの中で人生観が変わったと思うのは?

般若心経。あ、そういうことなんだ、って思いました。

Q12/現在、元気や幸せをくれる人物はいますか?

リアルでもネットでも、現在お付き合い願っている方は全て!
でもやっぱり一番は夫かな。

Q13/今日の晩ご飯はなんでしたか?

イカ大根
厚揚げの炙ったの(オロシ生姜こんもり)
豚汁
キュウリとワカメとちりめんじゃこの酢の物
 以上!

Q14/このバトンを回してくれた人はどんな人?

お会いしたことはありませんが、穏やかで優しい女性を想像しています。色に例えるならピンク色。また、ピノコの大ファンであらせられることから察すると、ピノコのように芯のしっかりした方でもあるんじゃないかと思います。

Q15/今まで回答してきた中で必要ないと思った問いを一つ外し、
欠番になった番号に自分で考えた問いを入れて次の人に回してください

すみません。このままで。

Q16/バトンをまわす5人を絶対に指名してください。アンカー禁止。

ごめんなさい。ここに置かせていただきます。興味がおありの方は、どうぞ持っていってくださいまし。
m(_ _)m

次を指名しなくてすみません。設問が次々に変わっていくせいでしょうか、とても広範囲な質問バトンで難しかったですが、楽しかったです。
神無月さん、バトンパスありがとうございました~♪ そして回答が遅くなって申し訳ありませんでした~。ぺこ。

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(備忘録080122)

きょうは回していただいているバトンにお答えしようと思っていたのですが、ちょっと時間がなくなりました。明日、頑張って考えたいと思います。遅くなってすみませんKさん(汗)。

昨日も『ヤッ○ーマン』観ました。いきなり本編が始まったので、こりゃあいよいよ不評だったOPを取っ払うという大技に出たのかと思っていたら、導入部の後に流れました(笑)。ガンちゃんの性格についても「今後に期待しよう」とか言ってましたナ。初回の放送後、かなり手直しが入ったんじゃないでしょうか?
隠れキャラは……むう。ガッチャマン2号ことコンドルのジョーに出てほしいなと先週書きましたが、出てきたのは1号の大鷲のケンと3号の白鳥のジュンで、仲良さそうにたこ焼きを食べてました。なんで2号を飛ばすかな。

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赤提灯

月曜日は『BJ』語り。
先日の板尾BJが、やれ「デ○ーズ」だの「ジョナ○ン」だのと口にするのが妙にツボだった私。ファミリーレストランに詳しいBJ先生というのに、意表をつかれたというか秘孔をつかれたというか(笑)。

日本で最初のファミレス「す○いらーく」が営業を開始したのは1970年。「デ○ーズ」が1974年、「ジョナ○ン」が1980年である。『BJ』の連載期間は1973~1983年だから、ちょうど都市部近郊を中心にファミレスがどんどんできていた頃だ。時代的にはピノコを連れてあちこちの店に行っていたとしてもおかしくはない。ただ、原作にはピノコと外食しているシーンが描かれたことはないように思う(アニメでは「誤診」の結婚披露宴や「二つの愛」の能寿しにも連れていっているし、喫茶店TOM なんてものまで設定されていたが)。原作のピノコはいつも家でBJの帰りを待っていて食事を供してくれる存在であり、拡大解釈すればBJにとっては「家」そのものだったのかもしれない。

それでは、BJは外ではどんな飲食店に出入りしているのか。行きつけと思われる店は次のとおり。

・「二つの愛」の「能寿し」。スシ職人のタクやんが「あのひとはお医者さんですよ かなり遠くにおすまいなんですがね ときどきみえられるんですよ」と他のお客に言っている。BJが食べたネタは「トロとヒラメとバカとマヌケとアホ」で750円也。BJ先生はトロがお好きなようでラストでも注文している。

・「ブラック・クイーン」のちょっと高級そうなバー(アニメでは「波止場」という店名だった)。BJはテーブル席でグラスを持っているが中身は不明。バーテンダーにブラック・ジャックという名前まで知られていて、かなりの行きつけと思われる。後述の他の例と比べると格段にオシャレな店なので、これはBQのセレブな雰囲気に合わせた設定かと思う。あるいはBJがナンパしようとするとき専用の(以下自粛)。

・「満月病」の喫茶店。ここは行きつけというほどの頻度ではなかろうが、年に1度は必ず山下クミに会うために立ち寄っていたようだ。ブラックコーヒーを飲んでいる。

・「老人と木」の一杯飲み屋。カウンター席でお銚子が2本出ている。お猪口でなくコップで飲んでいるようだ。BJが出ていった後、太った女将さんが「あのコートの中はメスやナイフがギッシリさ」なんて他のお客に話しているから、BJが何度か来ていることは確かだ。あの女将はどうしてコートの中を知っているのだろう?

・「春一番」の飲み屋街にある焼き鳥屋。オヤジさんとはかなり親しげ。1ヶ月タダで飲むことを条件にそのオヤジの娘の目の手術をしている。カウンター席、お銚子2本、コップ酒。アテは焼き鳥。

・「過ぎ去りし一瞬」の場末の定食屋。周りの人に気兼ねなく話せる場所として今村健平を連れてきた店。ごく庶民的なオヤジ連中で賑わっている。太った女将さんが切り盛りしていて、カウンターとテーブル2つで10人も入ればいっぱいの店。BJはコップ酒を飲んでいるようだ。BJ邸へは歩いて帰れる距離にあるらしい。

あと、ふらりと立ち寄ったと思われる店は……

・「震動」の新幹線の高架下の一杯飲み屋。カウンターで日本酒。お猪口で飲んでいるが震動でほとんど零れている。

・「銃創」の山道のドライブイン。カレーライスとコーヒー。

・「ある女の場合」のビヤホール。大ジョッキ。また「駅の裏にうまーいラーメン屋がありますぜ!」というBJの台詞があるので、そのラーメン屋は行きつけの店と思われる。(ちなみに私の妄想では、この「駅」は西武新宿線の高田馬場か下井草なのだが、高いビルが多いから高田馬場かなぁ。)

・「がめつい同士」で手術後に入った、おでんが見える一杯飲み屋。カウンターで熱燗を注文するが、出てくるまでにグーグーいびきをかいて寝てしまう。(この話の舞台はどこだろう。駅舎を見ると新大阪駅に似ているような気がするが……。)

以上のように、圧倒的に飲み屋が多い。それも近所のオヤジ連中がクダを巻いて逞しい女将さんに「もう帰っとくれ!」と言われているような、実に庶民的な飲み屋だ。間違っても可愛い女の子が横にはべってしなだれかかりつつ「ドンペリ入れてもいい?」なんて言ってくるような店ではない。当時既にカラオケも普及していたはずだが、それすらもないような店だ。そんな店に一人でふらりと入って、黙々とお銚子2本ほどの酒をコップで飲み、酔いも見せない仏頂面で勘定を払ってスイと出ていく。それでも本人は楽しいから行くんだろうなぁ……。

Photo 落書き1枚。「がめつい同士」の中のひとこま。一滴も飲まないうちから平べったくなって寝てしまうBJ先生。5千万円分の工場の権利書を持っているのにこの無防備さ! BJ先生にとって一杯飲み屋というのは、安心できる場所なのかもしれない。

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(備忘録080120)

きょうはメールとコメントへのお返事を書いたら時間がなくなりました。記事はお休みします。
久々に推理小説を読書中。

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最近、世事に疎くなっている。『魍魎の匣』が映画化されて公開中だということを、きょう初めて知った。もっとも、知ったところで、県内に上映館がないので観られないのだが(前作の実相寺昭雄監督による『姑獲鳥の夏』も観ていない)。しかし宮藤官九郎演ずる久保峻公というのは興味があるなあ。美馬坂幸四郎に柄本明というのもぴったりかも。

シリーズ中もっとも人気が高いと言われる『魍魎の匣』。読むのにもっとも想像力を必要とされるのもこの作品だと思う。魍魎とは「境界」であり「人を惑わすモノ」であり「形はあっても中身はない。何をするのでもない。惑うのは人」というようなモノ。「匣」を巡って輻輳する事件。結末はとてもドラマチックだったように記憶しているが、だいぶん忘れてしまった。榎木津がまだ比較的まともだし、木場のロマンチックな一面にも心和む。暇があったら再読したいと思う一冊だが、ちょっとやそっとの暇では読めないところが難だ。

Photo 『源氏物語』の前に燦然と並んでいるわが家の「京極堂シリーズ」。……あら?『邪魅の雫』がないぞ、どこ行った? ちなみに私が一番好きなのは『鉄鼠の檻』。これはどうかと思うほど……厚い(笑)。でも、私の憑き物も落としてもらったような気がして、非常に気分が良かった作品。

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天狗参上

録画しておいた『鞍馬天狗』を観た。私にとって天狗と言えば高橋英樹さんの印象が強いが、野村萬斎さんもちょっと線の細い天狗で好印象。『陰陽師』を観たときもそう思ったけれども、この人はやっぱり着物の着こなしや所作がうっとりするほど綺麗だ。静止したとき、目線も含めてピタリと決まる(←これは、視線でなく目線でいいんだよな)。

で、天狗は良いのだが、桂小五郎や近藤勇や土方歳三の配役がちょっと老け過ぎているように感じた。当時皆30代前半くらいではないかと思うが、どう若作りしても40代に見える。もっと若い俳優さんで重みのある演技のできる人はいなかったのかしら? 幕末~維新の時代は坂本竜馬はじめ若者が活躍した時代だという印象があるので、ちと違和感がある。

大佛次郎の原作では、鞍馬天狗の本名は倉田典膳(維新後はもっとモッサリした名前に変わったと思う)。イカのようなシルエットの宗十郎頭巾に顔を隠し勤皇の志士に助力する、反権力反体制、個人主義自由主義のヒーローだった。ドラマでは公家の出身で幼少の頃から不遇をかこつ身として描かれていた。従姉妹に当たる白菊の存在が気になるところ。あと、黒姫の吉兵衛の登場が待ち遠しい。

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段差に注意!

家の階段から落ちた。といっても、急いで降りようとして一番下の段を踏み外しただけだけれど。0コンマ何秒の間に右足の踵を2度強打した。つまり、一番下の段の縁と、床とで。今に至るもじんじんと地味に痛い。擦過傷もないし色も変わってないし腫れてもいないから、大丈夫だと思うけれども……。

0コンマ何秒の間に私の脳裏に浮かんだものは、何故か「あの人」の姿だった。どこの誰かも知らないけれど、つまづいたり、転んだり、落下物に当たったり、電車のドアで指を挟んだり、感電までしている「あの人」。

名前も知らないのではあまりに可哀相だと調べてみたら「ピクトさん」というそうだ。漢字で書くと「被苦人さん」。見るだけで涙を誘われる字面だが、実際に彼が痛い目に遭っている姿を見るともっと可哀相だ。「日本ピクトさん学会」なるものまであったので、我々が受けるべき災厄の犠牲になっている彼の勇姿を、見てあげてください(笑)。

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批評と批判

きょうネットに繋げて自分のブログの管理画面を見てビックリした。昨日『ヤッ○ーマン』の記事を投稿した直後から、アクセス数がウナギ上りになっている。すわ何事かと調べてみて、同アニメのオープニングに批判が殺到していることを知った。前シリーズで楽曲を担当した山本正之氏の「恨み節」なる一文(←これは見出しであって、ご本人が付けられたわけではない)もネット上でのニュースとなっており、関連記事を探す人が多かったということらしい。幸い、どんどん新しい記事が追加されていったので、異常事態は2時間ほどで終わったけれども。

寡聞にして山本正之さんのことは知らなかったのだが、歌声はもちろん知っている。前シリーズで楽しげに「ヤッ○ーマンの歌」を歌い上げた人だ。その曲が今回もオープニングテーマとして使われるに当たり、山本氏と制作側との間で「話が違う」というようなゴタゴタがあったらしい。話を違えてまで制作側が採用したのがあのオープニングだったわけだが、往年のファンから「最初から盛り下がってどないすんねん!」というような否定的な意見が多数寄せられている、ということらしい。

約束を違えられた山本氏の心情は察するに余りあるが、それはひとまず置くとして……。いろんなところで、今回のオープニングに対する批判を読んだが、心底そう思って丁寧に真面目に書いている文章もあれば、明らかに調子に乗ってここぞとばかりに罵詈雑言を書いていると思われるものもあった。いや、「明らかに」というのは私の主観だけれども、一言「ダメだ」とか「ガッカリ」とか「出直してこい」とかいうのはそう捉えても構わないと思う。ダメならダメでどうダメなのか、それを書かないものには何の価値もない。

そういう、批評せずに批判ばかりしているまったく意味のない書き込みは、読んでいても非常に不愉快になる。今回のことは、理由を知ると制作側のやり方が拙かったと私も思うけれども、それならそれでその経緯がよくないと制作テレビ局に文句を言うべきことだし、今回の音楽自体が悪いと思うならどこがどう悪いのかを音屋○右衛門の目に触れるところで書かなければ意味がない。

こういうところが、ネットの怖いところだと思うのだ。誰かが口火を切れば我も我もと言いたい放題だ。そしてそういう記事を探し回る。昨夜から拙ブログに辿り着いた多くの人達が皆、新オープニングをけちょんけちょんに貶している記事を探していたのかもしれないと思うと、なにやらゾッとする。みんな踊らされていないか? ネットが無い時代なら、電話を掛けるとか投書するしか方法がなかったと思う。それは強くて持続する意志がなくては、いい加減な気持ちではできなかったことだろうと思う。それが今では、誰でも、すぐに、匿名で、何でも、書ける。

まあ、こんな自分以外には意味のないブログを書いている私が言えることではないが、あんまり何事にも軽々しく乗っかってはいけないと思う。特に、他人を批判する場合には。

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『ヤッターマン』

昨日は『ヤッターマン』を観ましたが、さすがにタツノコプロ! 絵が綺麗でしたな! アニメはまず絵が良くないと観る気がしません。内容も、あの妙なノリの破壊的なくだらなさはそのままで、そこのところは楽しめました。

ただ、アイちゃんの声と喋りが最近流行の萌えキャラみたいだったことと、ガンちゃんの覇気のなさにはガッカリしました。今の時代に合わせようとすると、こんなんなっちゃうんでしょうか? 無気力で投げやりで行き当たりばったりで。こんなのがカッコいいわけ? 正義の味方側は私的にはダメダメでしたが、対する3悪は健在でした。あの飽くなき野望と貪欲さの方が断然エネルギッシュで光っていました。ブラボー!! 

音屋吉右衛門(世良公則と野村義男)の歌うオープニングは今風にクールにアレンジしてありましたが、内容のばかばかしさとのギャップが面白いかも。と、好意的に解釈しておきましょう。あのノリの良かった原曲を知っている世代としては複雑なものがありますが。エンディング担当は mihimaru GT 。どうしてこんな選曲なのか理解に苦しむくらい、合ってなかったです。レコード会社とのタイアップなのでしょうが、アニメにもアーティストにもプラスにならないと思います。やめたほうがいい。

あと気が付いたことといえば、タツノコキャラがちょこちょこ出ていました。わかったのはグズラとハクション大魔王だけですが。アニメ『BJ』にサファイアやいんこが出てきたように、この作品もスターシステムなのかも。コンドルのジョーには是非ご登場願いたいです! ……いま気付きましたが、ベルクカッツェとドロンジョは似てますね。

前作の放送は1977年1月からだったそうなので、実に31年ぶりのリメイクです。このアニメからは数々の名言が生まれました。「ブタもおだてりゃ木に登る」「全国の女子高校生のみなさん」「説明しよう」「おしおきだべ~」「ポチッとな」……etc。最後の「ポチッとな」なんて、ネット上の拍手ボタンによく付けられているキャプションとして認知度抜群なのではないでしょうか。ちなみに私が好きなのは、ドロンジョが言う「このスカポンタン!」です。

それにしても、アイちゃんが中学生だったとは……(愕然)。

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キューカン キューカン キューカンチョーよ!!

昨年あたりからにわかに「救急患者のたらい回し」の話をよく耳にするようになった。「たらい回し」という言い方には語弊があると思うが、要するに「救急患者の受け入れ先が見つからず、手遅れとなって患者が死亡するケース」が多くなってきたということだ。中には、かかりつけ医を決めていなかった妊婦の例など患者側の意識の低さに問題がある場合もあるが、交通事故の怪我人でさえ搬送先が見つからないという状況は危機的であると言うほかない。

今朝のA新聞では1面トップに「救急『撤退』235病院」の文字が躍っていた。日本の救急医療機関は、開業医らが軽症患者を診る「1次(初期)救急」、入院や手術の必要な患者を治療する「2次救急」、救命救急センターなど重篤患者に対応する「3次救急」に分かれているらしいが、このうち中核的存在の「2次救急病院」だけでこの2年間に174ヵ所が減っているのだそうだ。

その一番の理由として挙げられていたのは「医師・看護婦不足」だった。国民1人あたりの医師の数は、日本は先進国中最低レベルだと聞いたことがある。少子高齢化の時代、この状況はしばらく続くのだろう。また新聞では、救急患者に対し最善を尽くして治療しても訴訟を起こされるリスクが高くなったとも指摘されている。患者からは24時間同じ水準の医療を求められ、医師の労働環境はますます過酷になる。「救急」から離れたいと思う気持ちもわからないではない。

これはもう、行政がなんとかするしかない状況に来ているのではないかと思うが、一朝一夕になんとかなるものでもなかろうし、数が少ないからといって藪医者ばかり出てきても困る。われわれ一人一人も日頃から考えておかなければいけない問題だと思う……というところで、この問題についてこれ以上の言及は避ける。

さて、われらがBJ先生はモグリの個人開業医だが、↑の分類でいくと1次2次は当然のこと3次救急までやってしまっている。また、緊急に運ばれてくる患者を受け入れるだけでなく、往診も当然している。鉛筆を飲み込んだ猫まで診に行っているし(笑)、故障したコンピュータまでもが対象となる。「U-18は知っていた」の中の「医者ってやつはですな 急患の場合にはとるものもとりあえずかけつけるくせがついていましてね」という台詞は、患者にとって頼もしいことこの上ない。

ところで……。いま5分ほど考えてみたのだが、BJが急患を断った例は1件しかないように思う。「キモダメシ」での県会議員の息子ツヨシである。もっとも「まだもつよ たぶん」とふもとの医者に見せることを指示しているので、これがもっと重篤な状態ならば自分で診ていただろうとは思う。しかしなにしろ自分は湯治場で休暇中なのだから「商売はしない」と追い返し、健気で勇気のあるノン子の方を「道楽で」診ている。

この話、一般的には、自分の感情で患者を選ぶ(ツヨシはピノコを泣かしているのだ)などという医者の風上にも置けない所業が批判を浴びるかもしれない。また、BJならば2人ともちゃっちゃと治してノン子の治療費まで県会議員に請求しそうな気もして、ちょっと釈然としないお話である。『全集』に未収録だったり『文庫』でもやっと17巻に収載されたというのは、そういう理由からではないかと思う。

この話で特徴的なのは、BJが「仕事(BJに言わせると商売)」と「道楽」を分けていることである。われわれ一般人には、医者の仕事は単なる仕事であってほしくないという願望に近い思いがある。病人や怪我人が出てそこに医者がいたならば、無条件で治療活動をしてくれることを期待する。BJ自身も「曇りのち晴れ」の中では、ストを決行して重篤な怪我人を診ようとしない医師に対して「ストかなんか知らないが 気楽な商売だなあんた」と皮肉を飛ばしている。「医は仁術なり」とか「太医病を治するに無欲無求、大慈惻隠の心に発すべし(『医心方』より)」を理想とする医師像はBJ先生の中にもちゃんとあるのである。

しかしBJ先生はそれだけには収まらない。医者というものに絶対の価値を認めているにもかかわらず、医者である自分の仕事を「商売」だと言う。患者の命を金に換算し、「慈善家じゃないのです」と言い放つ。こういうスタンスだからこそ、BJは絶対に手術に失敗できない。失敗を許されないギリギリのところで勝負している以上、医師連盟会長が言うような決められた料金でオペをすることなどばかばかしくて話にならないのである。BJは自分の腕を患者に買ってもらっているのだ。これは言い換えれば、自分の患者に対して最後まで絶対の責任を持つということだ。実際、助けられなかった患者からは報酬を受け取りもしないし(「約束」)、分業制で患者を診るような病院のやり方には批判もしている(「流れ作業」)。そんなBJ先生だから、取引相手である患者を選べるし「道楽」で患者を診ることも許される……と解釈するのは贔屓目だろうか。

オンとオフをきっちり自分で決められるというのも、他の医者にはなかなか真似のできないことだろう。オフだと決めれば、あるいはこの患者に責任なんか取りたくないと思えば、患者(ツヨシ)を他所の医者に回す。県会議員の息子だと判れば、どこの病院でも進んで受け入れてくれるだろう(いや失礼)。そんな患者にまでBJ先生が出張る必要はないのである。そして当然、「道楽」で診たノン子からはビタ一文受け取ろうとはせず、ピノコと一緒に遊ぶ様を眺めて楽しんでいるのだろうなと思う。

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(備忘録080113)

う~ん、時間がなくなっちゃいました。本日の記事はお休みです。

きょうは市内で成人式の式典があったようで、晴れ着のお嬢さんをたくさん見ました。若いっていいですね~。帰りたいとは思いませんが。

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悶々

最近なにかと忙しい。メールを差し上げたい方もあるのだが、もうちょっと落ち着いてから。すみません。

昨年から、母のことでグループホームを探しているのだが、どこも空きがない。数箇所に仮申し込みをして連絡待ちという状況だ。先日、医者をしている親戚から「知り合いの医者がやっているグループホームに話をしてあげようか」という話があった。そこにも既に仮申し込みはしてあって次に空いたらということになっていたので、ご丁重にお断りしたのだが……。

なんだか複雑な気分になってしまった。とてもありがたいお話で、それだけ気にかけてもらっていたことは、正直嬉しかった。しかし、そういうコネで予約の順番が変わってよいわけはない。どこのご家庭でも辛く大変な生活をしておられて、もうどうしようもなくて断腸の思いでそういう施設を探しておられるのだ。申し込んでも、何ヶ月、何年と待たなくてはならないこともある。(←この、待つということも、いま入所しておられる方々が何らかの事情でそこを出られるのを待っているわけで、まるで人様の不幸を待っているような心持ちがして胸が痛くなることがある。)

そこに割り込むことなど、出来ない。そう思ったのだが、そこがたまたま一番順番の早い施設だったからそれを理由に断れたのであって、他の施設だったらどうなっていたか……。夫の方のかなり近い親戚だから、今後の付き合いのことなど考えると、無碍に断れたかどうかも自信がない。

いや、もちろん、話をしてもらったからといってすんなり事が運ぶとも限らないことで、ご厚意を要らぬお節介だとは思わない。が、しかし、もしも誰かの口添えで順番が早まるようなことが一般に行なわれているとしたら、それもまた嫌な気分になる。家族の介護に疲れて、痛ましい事件が起こることも多い昨今なのに。なんだかなぁ……。聞かなきゃよかったなぁ。

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(備忘録080111)

「新テロ法案再可決、小沢代表は棄権!?」とか「安倍前首相を退陣へと追い込んだ決定打は原稿の読み飛ばしだった」などのほとほと情けない政治ネタはありますが、本日届いた本を読むことに専念したいため、記事はお休みいたします。m(_ _)m

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落し物

きょうから配信が始まった集英社VOMIC『死神監察官 雷堂』を聴いた。登場人物のプロフィールを読んだだけで筋は読めたが、結構楽しめた。それぞれの声優さんが声を付けて音楽や効果音が加わると、絵は無くとも途端に臨場感が出てくるものだと感心する。

ドラマ後に大塚さんが小さい頃落し物を拾った思い出を語っておられたが、私にも同じ経験がある。小学校1年生くらいの時、道で30円拾ったのを家に持って帰って母にどうしたらよいか尋ねたら、交番に持っていきなさいと言われた。その30円を握り締めてドキドキしながら持って行ったら、一人のお巡りさんがちゃんとメモを取りながら話を聞いてくれて、「届けてくれてありがとう。これはご褒美だよ」と言って、どこからか30円出してきて私にくれた(私が届けた30円は目の前の机の上にあった)。行きと違う30円をまた握り締めて飛んで帰って母に話したら、「あら良かったねぇ。良いことをすると良いことがあるねぇ」とニコニコしてくれたので、私も嬉しかった。預かっといてあげると言うので渡したが、それっきり返ってこなかった。母さん、私のあの30円、どうしたでせうね?

ホームランバーにしてたった3本分のお金を交番に届けろと言った母も、何やらもっともらしく紙に書きながら相手をしてくれたお巡りさんも、私に社会勉強をする機会を与えてくれていたのだと気付いたのはずっと後年のこと。気付いたときには、大人ってのはこういうものなんだと漠然と判ったような気がしたものだ。きょう久々に懐かしく思い出した。

「落とすことはよくあっても、拾うことはあまりないです」と大塚さんも言っておられたが、私もその後は落とす一方。一番金額の大きい落し物は、額面1万2000円のバスカードだ。買ったばかりで1回使っただけだったので、まだ1万1720円分残っていたのに~(泣)。

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本人である証明

印鑑登録をするために、兄と一緒に市役所へ行った。私の方は、簡単な書類に記入して該当の印鑑と運転免許証と共に提出し、待つこと数分で出来た。母の代理人として行った兄の方は、必要書類等を用意してから再度手続きをしに来ることになった(まあ、最初からその覚悟で行ったのだが)。

待っている間に、こんなちっぽけなもの(印鑑)が本人の証明になったり、とても重大な意味を持つようになるなんてね、という話をする。更には、そもそも本人が本人であることの証明って難しいはずだよね、と。それを、印鑑というものに意味を持たせることによってなんとなくクリアしている、日本社会の仕組みってスゴイと思う。印鑑と印鑑証明を出せば、それは本人だということになるわけで。日本国民が皆そういうお約束を守っているというのは、やっぱりスゴイ。

あの印籠さえ出せばOKの水戸黄門と同じ理屈だ(笑)。何故だか暴れん坊将軍の新さんの場合は、葵の御紋を見せても「上様の名を騙る不届き者じゃ!斬れ!」と信用してもらえないのだが、とりあえず今それは関係ない。

いやしかし、印鑑とか日本社会の仕組みとかを抜きにして一般論で考えた場合、本人が本人であることを証明するというのはなかなか困難なことのように思う。身体的な特徴(顔、指紋、声紋など)というのが一番わかりやすいと思うが、例えば整形したり怪我で欠損したりすればそれもあやふやなものになってしまう。特技や癖も決定的なものではあるまい。ならば、脳の中身、思考能力とか記憶とかなら良いかと思うが、それも病気や怪我で衰えることがある。そうするとやはり……DNAしかないのかな。

こんなに大きな図体をしていても、その外見や能力などでは個々人を特定できなくて、遺伝子レベルでしか違いがわからないというのは……。人間個々人の違いなんてその程度のものだということか。

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神話のイルミネーション

夫と夜のドライブ。神代の昔からある玉造温泉に「神話のイルミネーション」を見に行った。

川岸に約3000球のLEDで出雲神話の名場面などが描かれているのを、対岸から足湯に浸かりながら見る。交通量も少なくて、たまに温泉客が行き交う下駄の音の他には、川の流れの音しか聞こえない。「あつめ」と書いてある割りにちと足湯の温度が低いことを除けば、なんともゆったりとして贅沢な気分になれる。あ……、いま気が付いたけれど、夫と一緒に同じ「湯」に入ったのは、今夜が初めてだ。ぽ。

携帯のカメラで撮ったのでちょっと見づらいが、順番に、
「ヤツカミズオミヅヌノミコトの国引き神話」
「スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治」
「因幡の白兎」
「勾玉(まがたま)」
……のイルミネーションである。

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黒が赤くなるとき

大晦日には板尾BJがえらくウケたようですが……ワタクシ見逃しました。_| ̄|○ 後日友人のMが「面白かったよ~♪」とヌケヌケと教えてくれたのを聞いて、日頃くだらないメールは山ほど寄こすくせに「いまBJ出てる」の1行が何故打てなかったのかと、正月早々小一時間ほど文句を言いたい気分になりました。

BJ公式サイトも10ヵ月間更新がなく、新春恒例BJ先生の裃姿のご挨拶も今年はとうとう見られませんでしたし……。各BJ二次創作サイト様で豪華絢爛なお年賀が発表されても、今年ばかりは頂いてきて飾らせていただくわけにいかないし……(喪中なので)。そんなこんなでBJ関連では面白くない年明けだったわけですが、唯一『虫ん坊 1月号』で「手塚治虫ファン大会2007」のレポートを読んで自分を慰めています。それになにしろ今年は手塚治虫生誕80周年ですから、きっとBJ関連でも何か動きがあるのではないかと期待しています。

さて、新年1発目の『BJ』語りは暗い話題を避けて、嬉し恥ずかし赤面シーンについて。いえ、別に変な意味ではなくて、文字通りの意味です。

日頃クールな無頼漢を装っているBJ先生、人前で顔色を変えることなど滅多にありませんが、たまに赤面する様子が描かれていることがあります。「万引き犬」では、車に撥ねられた犬を助けろとひっくり返って泣き喚くピノコに、通行人が人垣を作ります。「ど……どうかしましたか」と訊ねられた先生、真っ赤になって「い いや べつに…………」と弁解しています。このコマは小さいのですが、突然こんなことで衆目を集めてしまって恥ずかしがっている先生の顔がとてもかわいいのです。先生がどもるなんてこともこれまた滅多にありません。ピノコが先生の足元で「勝った」という顔をしてのびているのも可笑しいです。同じ話の中で彼はもう一度赤くなっていますが、ピノコのペースに乗せられると彼はとことん弱いようです。

女性絡みのお話では「B・J入院す」がありますね。交通事故の怪我でたまたまBJが入院した病院の女医さんが、実はずっと前からBJに憧れ続けていたという設定の話です。ラスト、女医さんからお兄さんが交通事故に遭ったという電話を受けたBJが「残念ながらお役に立てないね……それに あなたとはもう会わないほうが おたがいにいい」な~んて色男ぶったことを睫毛バシバシで言っていますが、「いつ先生にオペをお願いしまして?」(←字が大きいヨ)「私これでも医者ですわ 私が手術をするんです!」と言い返されて、目を真ん丸くして赤くなっています。やーいやーい! 女医さんはもうすっかり吹っ切れてるんだよーだ! モテていると自意識過剰なBJ先生完敗の巻でした(笑)。

もうひとつ、印象的な赤面シーンがあるのは「六等星」。交通事故での応急処置に卓抜した手腕を見せた椎竹先生をBJが追っていきます。真中病院のヒラの医局員であることを訊いた後で「先生はベテランだ! なぜもっと地位を望まないのですか?」と問いかけるBJ。それに対して「医者は欲が優先しちゃおしまいですよ…ハハ……」と笑って去っていく椎竹先生。「…………」と言葉を返すことができずに椎竹先生を見送るBJが、ほんのり頬を赤らめているのです。

堪らないシーンですコレ! 自分のヤクザな生き様やこんな高潔な人に地位を望めと言った失言を恥じる気持ちもあったでしょうが、それよりも、尊敬できる本当の医者に出会えた喜びと興奮のほうが大きかったのでしょう。眩しいものを見るように幸福そうな微笑を浮かべ、心底感じ入った表情をしています。BJ先生、よっぽど椎竹先生に惚れ込んだと見えて、この後自分は憎まれ役になりながらも、陰から椎竹先生をバックアップして真中病院の院長に押し上げます。(←こういうのを出雲弁では「くらめ(暗目?)の仁義」と言います。本人にわからないところで、義理を果たしたり恩義に報いたりして尽くすことです。)いやー、「漢」ですねBJ先生(拍手)。

……とまぁこういう具合に、BJ先生は時々赤くなっています。こういうシーンを見ると、先生がいたって普通の感覚を持ち合わせている人だということがわかって、なんだかむしょうに嬉しくなります。金銭感覚だけが桁外れですが、時には報酬が50円だの30円だのと駄菓子を買う子供みたいなことを言っていることもあって……ああ、やっぱり金銭感覚だけはオカシイ(笑)。

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(備忘録080106)

きょうもテレビ三昧。裏で録画を撮りながら『あんみつ姫』と『アルカトラズ』を観た。『あんみつ姫』の中で、段田安則が中条きよしと京本政樹に向かって「同じ職場で働いてたんですか?」とかなんとか言っていて、思わず吹き出した。そうか、必殺仲間か。柳葉敏郎が出るシーンの音楽がモロに『踊る大捜査線』だったし、なかなか隅々まで楽しめるドラマだった。

さぁ、腰もだいぶん良くなったことだし、明日からまた頑張ろう!

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音楽ってやっぱり良いな

結局『のだめカンタービレ in ヨーロッパ』を2晩とも観てしまった。最後の千秋のヨーロッパデビューでのブラームス「交響曲第1番」には、ちょいと震えが来た。音響がとても良くて、出だしで倍音が聴こえたように思ったのは気のせいか? ドラマの方もそこそこ面白かったが、いろんなクラシックの名曲が聴けるのが嬉しかった。

アナリーゼができない のだめ。感覚で曲を解釈してしまう のだめ。でも結局、のだめの方が正解なのではないかと私のような素人は思う。言葉も風習も衣食住もすべて西洋とは違う日本人には、西洋音楽の完璧な理解など無理なのではないかと思いながら観た。培ってきたものが違うわけで。のだめはモーツァルトを一生懸命勉強してあれだけの演奏をしたが、それでも最終的には演奏家としての感性が物を言ったのではないのかな。

『のだめ……』の前には、先日録画しておいた番組を夫と観ていた。タイトルは忘れたが、その中でマイルス・デイビスが取り上げられていた。ジャズの帝王と言われた彼は、その状況に甘んじることなく次々にその表現方法を変えていく。絶頂期の彼に衝撃を与えたのはロックギタリストのジミ・ヘンドリクスだったとか。酷評されたり、一時は音楽活動を休止したりしながら、彼はジャズからフュージョン、最終的にはラップにまで手を伸ばしていたという。彼は言う。「ミュージシャンには人間性など求めない。刺激を与えてくれる人間なら誰とでも組む」。

作曲家や演奏家というのは、自分が求める音にはとことん貪欲なのだと知った。だからジャンルが違おうと構わずに自分のスタイルを変えていく。「マイルスの気持ちはわかる。飽きるんだよ」と、コメンテイターの泉谷しげるが言っていた。しかし「ファンは変わらないスタイルを求めるんですよ」と司会者が返した。このあたりが、ミュージシャンとリスナーの意識の乖離なのだろう。「ポール・サイモンもグレイスランドでアフリカ音楽に行ったもんなぁ」と夫が言った。そういえば、悩める若者、悩めるアメリカを歌い上げたポール・サイモンも、その音楽はガラリと変わった。グレイスランドも悪くないが、「(自分の)昔の曲は聴きたくもない」とまで言われると、夫のような昔からのファンは戸惑ってしまうのだろう。

この二つの番組を観て、自分の音を求めてより高みに登ろうとする音楽家にレッテルを貼ったり、音楽自体をジャンル分けしたりするのが一番いけないことなのかもしれないと思った。いまクラシックと言われている音楽も、昔からクラシックだったわけじゃなくて当時はポップスだったはずなのだ。音楽は時代も国境も越える。「この津軽三味線は世界一だね」「いや、この椿姫のバイオリンが最高だ」という会話が成り立ってもよいはずだ。音楽家が様々な音を模索するように、聴く方も自分が心地良く感動できる音楽を探し出せばよいのだと思った。私にとってはバッハが最高の作曲家だが同時に TOKIO も好きだ。のだめが弾く「キラキラ星変奏曲」を聴きながら、音楽ってのは音を楽しむものだと改めて思った。(あ~、まとまらない~)

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『雪之丞変化』

昨日録画しておいた滝沢秀明の『雪之丞変化』を観た。上方歌舞伎の花形女形・中村雪之丞が父母を窮死させた五人の仇に復讐をしていく物語である(五人の仇というところで誰かを思い出すな……笑)。昔、市川崑監督、長谷川一夫主演の同名の映画を観たことがあるが、薄ボンヤリとしか覚えていないものの、あれよりドロンドロンしていて、特に浪路には鬼気迫るものがあったように思う。川口屋改め長崎屋を演じた本田博太郎のキレっぷりも良かった。

はっきり言って、私はタッキーの女姿が堪能できれば良いと思って観ていたのだが、綺麗な顔した男の子が女形に似合うかというとそういうものでもないな、というのが実感だった。黙って座っているのをベストアングルから撮ればそれはそれは綺麗なのだが、ドラマとなると……。所作なのか姿勢なのか、例えば歌舞伎のおじいちゃん役者さんが女形を演じるほうがよほど綺麗に見えるのが不思議だ。これがきっと「芸」の力というものなのだろう。

タッキーも悪くはない。が、やっぱり男の子。雪之丞より闇太郎役のほうが似合っていたように思った。(しかし何故、映像化されると雪之丞と闇太郎は一人二役がお約束なのだろう? 顔がそっくりだからどうのこうのという伏線もなく、筋の上ではまったく必然性がないのに。主役の顔を観に来る観客や視聴者へのサービスかな?)

ちなみに私は三上於菟吉の原作を読んだことがないのだが、一途に雪之丞に恋する将軍の寵姫・浪路への雪之丞の気持ちというのは、どのように描かれているのだろう。浪路が死んだときは心から悲しんでいるようにも見えたが、その亡骸を唐櫃に入れて父親の土部三斎の元に送りつけるという所業は、彼女に対する冒涜のようにも思われた。なんだか『藤十郎の恋』(菊池寛)のお梶みたいで悲しかった。男の目的のためにただ利用されただけなのかと……。

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占い

ネットで百人一首をして遊んだ。私の得意札は「淡路島かよふ千鳥のなく声に いくよねざめぬ須磨の関守」。

ところで、時代劇に出てくる「淡路島かよふ千鳥の 恋の辻占」という文句がある。調べてみると正しくは「淡路島かよう千鳥の河内ひょうたん山恋の辻占」というらしい。なんか字余りで収まりが悪いナ……。道を行く人々の話を自分への答と捉えるもので、「辻占」のほかには場所を橋に変えた「橋占」というのもある。安倍晴明ゆかりの一条戻り橋などはそのメッカだったとか。

この時期はネット上でも各種の占いがたくさん紹介されているし、先日の初詣ででも結構多くの人がおみくじを引いていたのを見た。偽物と不信が蔓延した去年より今年は少しでも良い年になることを願って、今年最初の運試しをする人々が多いのだろう。私はと言うと、正直こういう占いはあんまり信じていないのでやらない(笑)。

毎年お正月頃になるとよく目にする『高島易断』と表紙に書かれた本。私は買ったことはないが、パラパラと見て「きょうは悪い日だから云々」というようなことを言う人は私の身近にもいる。ちょっと調べてみたら、高島易断というのは天保3年(1832)生まれの高島嘉右衛門という人が開祖らしい。もっと古くからあるのかと思っていた。この人は明治政府の高官や特に伊藤博文とは昵懇の仲で、その暗殺(一説には暗殺者の名前まで)も易占で予言していたと言う。

この高島易断などは偶然性に頼る先の「辻占」などと違って、陰陽五行説が元になっている体系立った占いらしいが、こういう類の占いは占者の力量が結果を大きく左右するような気がする。算命盤やホロスコープを作るところまではできても、そこから何を読み取るかは占者の熟練と経験によって違ってくるのではないかな。ということは、よく当たる占者というのは一種の特殊技能者なのかもしれない。安倍晴明とか高島嘉右衛門とかは、おそらくそういう人達だったのだろうと思う。

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(備忘録080102)

きょうは、いつテレビをつけても『のだめカンタービレ』の再放送をやっていたということしか記憶がありません(笑)。頭の中に「ラプソディ・イン・ブルー」を鳴り響かせつつ読書中につき、記事はお休みします。

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八雲立つ

皆様方におかれましては、めでたく新年をお迎えになったことと存じます。喪中の慣例につき慶賀のご挨拶は控えさせていただきますが、本年もなにとぞよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。m(_ _)m

さて、きょうは夫の実家でワイワイ過ごし、雪の降る合間を縫って初詣でにも行ってきました。喪中なのに良いのかなと思いましたが、四十九日は終わったことだし、まあイイかと。

Photo_2Photo_3出雲大社よりも格式が上だといわれる神魂神社(かもすじんじゃ)。イザナミ(主祭神)、イザナギの二柱の神が祀られていて、この本殿は国宝です。
私が「神気」とでもいうようなモノを感じる唯一の神社です。来るたびに濃密で厳粛な空気に圧倒される気がします。きょうの雪の神魂神社も凄い迫力でした。(ちなみに、私が「ここには何か居る」と感じるもうひとつの神社は京都太秦の「蚕の社」です。)

Photo_4 縁結びの八重垣神社。霏々と降る雪をものともせず、多くのカップルで賑わっていました。スサノオがヤマタノオロチを退治してイナタヒメを娶り、宮殿を構えたのがこの地。

Photo_5 日本最古の和歌と言われる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌碑。高天原を追放されたスサノオが流浪の果てにイズモに辿り着き、俺はこの地で美しい妻を大切に守って暮らすんだ、と喜び勇んで宣言しているような、開けっ広げな惚気の歌……かな?

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