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批評と批判

きょうネットに繋げて自分のブログの管理画面を見てビックリした。昨日『ヤッ○ーマン』の記事を投稿した直後から、アクセス数がウナギ上りになっている。すわ何事かと調べてみて、同アニメのオープニングに批判が殺到していることを知った。前シリーズで楽曲を担当した山本正之氏の「恨み節」なる一文(←これは見出しであって、ご本人が付けられたわけではない)もネット上でのニュースとなっており、関連記事を探す人が多かったということらしい。幸い、どんどん新しい記事が追加されていったので、異常事態は2時間ほどで終わったけれども。

寡聞にして山本正之さんのことは知らなかったのだが、歌声はもちろん知っている。前シリーズで楽しげに「ヤッ○ーマンの歌」を歌い上げた人だ。その曲が今回もオープニングテーマとして使われるに当たり、山本氏と制作側との間で「話が違う」というようなゴタゴタがあったらしい。話を違えてまで制作側が採用したのがあのオープニングだったわけだが、往年のファンから「最初から盛り下がってどないすんねん!」というような否定的な意見が多数寄せられている、ということらしい。

約束を違えられた山本氏の心情は察するに余りあるが、それはひとまず置くとして……。いろんなところで、今回のオープニングに対する批判を読んだが、心底そう思って丁寧に真面目に書いている文章もあれば、明らかに調子に乗ってここぞとばかりに罵詈雑言を書いていると思われるものもあった。いや、「明らかに」というのは私の主観だけれども、一言「ダメだ」とか「ガッカリ」とか「出直してこい」とかいうのはそう捉えても構わないと思う。ダメならダメでどうダメなのか、それを書かないものには何の価値もない。

そういう、批評せずに批判ばかりしているまったく意味のない書き込みは、読んでいても非常に不愉快になる。今回のことは、理由を知ると制作側のやり方が拙かったと私も思うけれども、それならそれでその経緯がよくないと制作テレビ局に文句を言うべきことだし、今回の音楽自体が悪いと思うならどこがどう悪いのかを音屋○右衛門の目に触れるところで書かなければ意味がない。

こういうところが、ネットの怖いところだと思うのだ。誰かが口火を切れば我も我もと言いたい放題だ。そしてそういう記事を探し回る。昨夜から拙ブログに辿り着いた多くの人達が皆、新オープニングをけちょんけちょんに貶している記事を探していたのかもしれないと思うと、なにやらゾッとする。みんな踊らされていないか? ネットが無い時代なら、電話を掛けるとか投書するしか方法がなかったと思う。それは強くて持続する意志がなくては、いい加減な気持ちではできなかったことだろうと思う。それが今では、誰でも、すぐに、匿名で、何でも、書ける。

まあ、こんな自分以外には意味のないブログを書いている私が言えることではないが、あんまり何事にも軽々しく乗っかってはいけないと思う。特に、他人を批判する場合には。

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「パソコン・インターネット」カテゴリの記事

コメント

OPの件は某森氏の一件を彷彿とさせるような……。
歌に関しては、例え著作権をプロダクションなりテレビ局なりが持っていたとしても、『歌手』無しには完成しない物だと思う。それが、既に定着しているものだとするならば、より一層に『歌声ありきの曲』となっていることも考慮しないといけないでしょうね。
歌の著作は曲・歌詞・声に分かれているわけじゃなく、総合しての著作権だったように記憶しています(間違ってたらスイマセン)。そこを分割すれば、ややこしくはなるけれど歌手が歌声が蔑ろにされることも少なくなるのでは、と愚考いたしました。
ついでに批判ですが、意味、ありますよ。当人のストレス発散。
いや、まあ、見た人がストレスを被るというのは賛成します。はい。

投稿: もりびと | 2008年1月18日 (金) 00時22分

もりびとさん
今回のOP問題は、著作権所有者の山本氏と制作側の意思の疎通がうまくいっていなかったが故に、事が大きくなってしまった感じがします。もりびとさんがおっしゃるとおり『歌声ありきの曲』だったわけですから、制作側はもっと責任を持って話を通すべきだったと思います。曲のアレンジが悪いとか歌手が悪いとかいうことではないと思います。
森氏の場合は歌詞の同一性保持が問題だったように記憶していますが、それも事前にちゃんと話し合っていればクリアできた問題だったかもしれませんね。
歌の著作権は……どうだったかな。作詞家、作曲家、歌手それぞれに著作権があったんじゃなかったかな。(←うろ覚えです。間違っていたらゴメンナサイ。)

>当人のストレス発散
下の記事のレスにも書いたのですが、そういうことでストレス発散する方法を「恥」と思わないのが一番恥ずかしいと思うのですよ。自分のサイトやブログならまだしも、人様のところに書くのなら、自分のストレス発散の場なんかにしちゃいけませんやね。でも、そんなことで本当にストレスは発散できているのでしょうかね?

投稿: わかば | 2008年1月18日 (金) 00時48分

ご無沙汰しています。
なんだか世間は凄い事になっている様で・・・

先に一般的な話をしますね。

著作権は基本的に制作した人に与えられます。
したがって、歌の著作権は作詞者、作曲者に帰属します。
歌手には著作権はありませんが、自身が録音した曲が利益を得られる状況下で使用がされた場合について使用料は発生します。
例えば、あるコンサートで歌手が自身の持ち歌を歌った場合に作詞者と作曲者には著作権料が入りますが、歌手にはコンサートのギャラしか入らないという形になります。(故に某歌手がコンサートで歌詞の改編に激怒して、作詞家が歌手に自身の歌詞の使用許諾を与えなくする事で、歌えなくなるという状況が発生します。)

あたしは何度か山本さんのライブに行っていて若干ですが性格的なものも分かるのですが、あの方は制作に当たり、一体感を大事にする方なんです。ところが自分の知らない所で歌手応募があり、知らないうちに歌手が決まり、気がついたら曲も録られていた。多分、現場プロデューサーが今の制作手法しか知らない人であったのが原因ですよね。その意味では現場プロデューサーはKYな奴だったという事でしょうか。

批評と批判については本当に難しい所です。
あたしは批評と批判は紙一重だと思っています。
たった一言「残念」「駄目だ」等とかいたとしても、直接的な感想であり、批評の一番初期的な表現だと思うからです。あたしも映画や漫画の批評サイトに書き込ませて頂いていますけど、中に物凄く短い言葉でコメントを残す方が居るのですが、それが物凄く直接的な表現ながら、その言葉が非常に伝わる場合があり、あたしはそれを立派な批評だと考えています。
但し、誤解の内容に付け加えますけど、”炎上”が目的の荒らしや、人の尻馬に乗る様な書き込みは断じて批評ではありません。まぁ、そこをどのように判断するかが非常に難しいのですけどね。


投稿: 奥州亭三景 | 2008年1月20日 (日) 03時42分

三景さん

こちらこそご無沙汰しております。三景さんのエントリで「正義の味方になるのにも動機付けが必要らしい」という趣旨のご指摘にいたく同感感激しまして、コメントしようと思いつつ、ムダに長くなりそうで、できないでおります。m(_ _)m

歌の著作権についてのご教示、ありがとうございます。そうでした、歌手には著作権は無いのでした。あるのは、その楽曲を実演できる権利=著作隣接権でした。ここに財産的な価値があるのかどうかまでは法令を読んでもよくわかりませんでしたが、通常は所属事務所から支払われるギャランティが報酬となっているようですね。

今回の騒動、山本氏にしてみれば寝耳に水という事態が立て続けに起こってしまったのだろうと思います。またそういう裏事情が人々の知るところとなってしまったために、本来ならばそんなにまで批判されなくて済んだかもしれないのに、これほどの事態になってしまったようにも思えます。制作側の手落ちでしょうね。

さて、批評と批判についてですが、やはり私はたった一言感想を述べたようなものを「批評」と呼ぶには抵抗があります。やっぱりそれは「感想」でしかなくて、三景さんが書かれているような「批評」と思えるケースはごく特殊なのではないかと思います。つまり、この人はそういう書き方をする人なのだというような予備知識が必要で、どこの誰ともわからない人が同じことを直接的な言葉で表現していたら「なんだこれは」ということになるのではないかと思うのです。

批評というのは、そこに対象を正当に評価しようという意思があるかどうかが問われると思います(感想はそんなもの無くても心情の吐露でいいわけで)。そういう意思があった上で、これはダメだと思えば、その人の書く批評は批判的なものになるでしょう。それは構わないと思います。でも批判的な意見というのは、書き方に十分な注意が必要だと思うのです。理由も何もなく「ダメだ」とただ一言書かれた文章からは、不快と怒りしか生まれない。実際、私がもしそう書かれた当事者だったとしても、何をどうすればよいのかちっとも判らない。何の参考意見にもならないのです。

これが逆に、「良い」という一言ならば、そこにはなんの問題も起こりません。比較してみると判るように、否定の言葉というのはものすごく強いもので、それに触れた人の気持ちに何らかの波を起こすものだからこそ、言葉を選びつつその意味を十分説明する責任があるのではないでしょうか。批判をするにも、優しさとマナーは必要です。ましてや、不特定多数の目に触れるネット上のことなのですから、悪影響を受けて「ああ、こういうの書いてもいいんだ」と煽られる人が多数出てくることを危惧します。

また、これまでにも拙ブログで触れたことがありますが、自分の趣味に合わなかったということが批判の対象になるのかどうか、これも疑問に思う点です。私も旧オープニングの方が好みではありますが、だからと言って今回アレンジをしたプロのミュージシャンを批判しようとまでは思いません。新オープニングしか知らない視聴者にとっては「これ最高!」と思える作品かもしれないのですから。

今回の場合、面白がって悪口に便乗しているケースが多いように見受けられて、とにかくそれが嫌だったのです。(←これも私の主観に過ぎないと言われればそれまでですけれども。)現実社会での「いじめ」に通ずるものを感じました。数を頼みに寄ってたかって一つの対象を潰そうとする、あるいはそこにヨロコビを見出そうとしているような。それも匿名性の高いネット上のことですから、いざとなれば自分は関係ないよと逃げてしまえる卑怯さが垣間見えて。自分の身元がわかる手紙とか電話とかなら、こうまで無礼な言い方はしないだろうと思うのです。他人の不幸を喜ぶ感情はどんな人間にも多かれ少なかれあると思いますが、それが恥も外聞もなく赤裸々に映し出されているのを目撃してしまったような、とても嫌な心持ちがしてしまいました。

今回の騒動、その後どうなったのか追跡調査しておりませんが、明日の放送の視聴率は跳ね上がるような気がします。私はどちらかというとOPよりもガンちゃんの性格のほうが気に入らなくて……プンスカ!

投稿: わかば | 2008年1月20日 (日) 23時48分

今更ながらにこんな引用を。
多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい。他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ。
ある故人が遺した言葉ですが、この後半部分、わたしには『まさにわかばさんを語るもの』と思えました。
自らを語れと、いやいや、ホント今更ですが……(笑)

投稿: もりびと | 2008年1月24日 (木) 17時34分

もりびとさん

あっはっは!!
ニーチェ並みの愚者なら言うことないんですがねえ。
自力のみに頼れるほど自力はありませんが、最大級のお褒めの言葉と受け取って、これからも頑張ります(笑)。本人は、なるべくニュートラルに、を心掛けてはいるのですが……。

投稿: わかば | 2008年1月25日 (金) 00時22分

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