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2008年2月

Leap day

きょうは閏日。この日に生まれた人の誕生日はどういう扱いになっているのかと、ずっと思っていた。まさか4年に1回しか歳を取らないわけでもないだろうし。で、調べてみた。

明治35年にできた『年齢計算ニ関スル法律』というのがあって、これは民法の付属法の一つらしい。本法によれば、毎年、誕生日の前日をもってある年齢は満了するから、誕生日の前日が終了する瞬間に1歳を加えることになるという。

つまり、2月29日に生まれた人は、毎年2月28日が終わった瞬間に歳を取るということだ。ということは、閏年には2月29日に、それ以外の年には3月1日に歳を取るわけだ。

就学に関して、4月1日と4月2日生まれで入学年が違うのも、同様の理屈だ。4月1日生まれの子供は3月31日が終了した瞬間に1歳を加えているのだから、4月1日生まれと4月2日生まれの間に入学年の境界線ができるわけだ。なるほどね。

参考:民法第143条

(暦による期間の計算)第143条 週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。2 週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。ただし、月又は年によって期間を定めた場合において、最後の月に応当する日がないときは、その月の末日に満了する。

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(備忘録080228)

きょうはヘトヘトに疲れました。寝るざます。

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マガジンとサンデー

7時のニュースで見たのだが、「『週刊少年サンデー』(小学館)と『週刊少年マガジン』(講談社)が共同でマンガ誌を発行することが明らかになった」そうだ。まずは『コナン』と『金田一』の過去の名作を掲載するとのこと。マンガ雑誌は10数年前と比べて売り上げ部数が半減しているらしいが、さて売り上げ増の起爆剤となるかどうか。

兄と話していたのだが、男性は少年時代からの愛読雑誌を大人になってもずっと変えないことが多いのだそうだ。その点、女性は年齢に応じた雑誌に次々に移っていく傾向が強いという。私の場合は「りぼん」から「少年チャンピオン」へ行ったところでマンガとは縁が切れたので、よくわからない。『ブラック・ジャック』が掲載されていた頃の「チャンピオン」は絶頂期だったかもしれない。その後「ジャンプ」の時代があったような気がするが、私は「ジャンプ」も「マガジン」も「サンデー」もほとんど読んだことはない。

しかし最近の子ども達は以前よりマンガ雑誌を買わなくなったということなのだろう。ゲームやアニメDVDなんかのほうに興味が移ったのかしらん? なんでもかんでも IT 化されていくのは、なんだか寂しいね。

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『旦那様指定バトン』

グリコさんより『旦那様指定バトン』を頂戴しました。ご指定は【BJ】ということだったのですが……。ワタクシどうしてもBJ先生の奥さんになった気がしません。いや、文章が変ですね。BJ先生の奥さんになった自分が想像できません。結婚相手には絶対選ばないと思うので(「私の方が選ばないんだ!」 by 怒りのBJ)。BJ先生は私にとってはメチャ可愛がりたい弟のような存在なのです。で、誰なら旦那様として想像できるかというと友引警部だったりするのが我ながら悔しかったり悲しかったりします。だもんで、ご指定を勝手に【友引警部】に変えさせていただいてもよろしいでしょうか。「指定バトン」の価値を根底から覆した上に、いかにも華のないカップリングですみません。m(_ _)m

01. 朝、旦那様の【友引警部】が時間になっても起きてきません。

「いま家の前を通ったのは、某無免許天才外科医じゃなかろうか……」とつぶやいてみる。
ほ~ら、飛び起きた。警察官の鑑だな。あっぱれ旦那様!

02. やっと起きてきた【友引警部】になんて声をかける?

「おはよう。何か食べる?」

03.【友引警部】があなたが作った朝食に好き嫌いを言います。どうしますか。

「食べなくてよし!」

04. これから出勤する【友引警部】。玄関であなたはどうする?

「行ってらっしゃい。きょうは某無免許天才外科医を逮捕するの? あ、ついでにこのゴミ出しといて」

05. 【友引警部】が出勤して家でひとりです。どうしますか。

普通に家事しますね。

06. 【友引警部】の為に夕食の準備をします。なにを作りますか。

ボンカレー。

07. 帰宅した【友引警部】に何か一言!

「お帰りなさい。きょうは某無免許天才外科医を逮捕したの? え? 某黒眼帯安楽死医のほう? そっちでもいいわよ、話聞かせて!!」

08. あなたの作った夕食を食べた【友引警部】。「おいしい!」と言ってくれました。

「ボンカレーはどう作ってもおいしいのよ。きっと某無免許天才外科医も今ごろ食べてるわよね」
二人してうっとり(とことんバカだ~……)。

09. お風呂の準備ができました。【友引警部】が入ろうとしています。一緒に入りますか?

入りませんね。いや、入ってもいいけど、入ろうとしたところでもう警部が上がってきそうな気がします。身体全部が濡れないくらいカラスの行水っぽい。

10. 寝る時間になりました。「おやすみなさい」【友引警部】が布団に入ります。

「あら……もう寝てる。某黒眼帯安楽死医の逮捕の話を聞きたかったのに……」。眼鏡をしたまま寝てしまった警部の眼鏡を外して「おやすみなさい」。

11. 最後に、このバトンを旦那様を指定して5人にまわしてください。

5人は無理ですが、もしよろしければ

桜雪乃さん 【BJ】で。スルーもOKでございます。

グリコさん、こんなアホな回答でホントすみません m(_ _;)m
でも本人すごく楽しかったです(笑)!! 警部さん、何事も行動がものすごく速そうです。 
ありがとうございました~♪

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(備忘録080226)
きょう母がグループ・ホームに入所した。母に限らずどなたでも最初はそうらしいけれども、本人が決して納得しているわけではないので、環境に慣れるまで、数週間は手厚いケアと注意が必要とのこと。どうかどうかうまくいきますように!!

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ヒーローとヒール

正義の味方とかヒーローってのは、どうして顔を隠しているのだろう? 悪いヤツが顔を隠すのはわかるが、正義の味方の方も、覆面とか仮面とか被り物とかサングラスとかの着用率が異常に高い気がする。鞍馬天狗、月光仮面、怪傑ゾロ、赤影、タイガーマスク、ヤッターマン、ゼンダマン、仮面ライダー、バットマン、スパイダーマン、etc.…。逆のパターンがスーパーマンで、クラーク・ケントが普段かけている眼鏡を外すとスーパーマンになる。同じ顔なのだからわかりそうなものだが、なぜかバレない(笑)。

彼らにしてみれば、そういつもいつも正義の味方でいるのも疲れるのかもしれない。「困ったらあの人を呼べばいいのよ」と他人からアテにされるのも嫌だから、顔や身元を隠しているのかも。普段は普通の人でいたいのだろう。そしてここぞという時に、変身の儀式をして正義の味方になる。きっと、別の人格になったような気がするのだろうな。普段できないことでもできてしまうというような……。

彼らが顔を隠すのは、照れ隠しの意味もあるのではないかと私は思う。「正義」を声高に叫ぶことには、おそらく気恥ずかしいものがある。ごく普通の生活の中で、他人にちょっとした親切をすることにさえ躊躇を覚えた経験は誰にでもあるだろう。ちょっとした親切やささやかな良い事でも気後れするのに、大上段に振りかぶって正義なんて……ねぇ。上に挙げたヒーローの面々でも、素顔を晒して同じことができるかどうかはちょっと疑問。

BJ先生の場合、正義なんて言葉は無縁だ。彼は己の確固たる信念に基いて行動しているだけで、そこに正義のヒーロー像を見るのは読者の勝手である。しかし、彼が胸のすくような活躍の数々を見せてくれるのも事実。ところが彼は、うっかりヒーローになってしまいそうになると途端に逆のヒールの仮面を被るのだ。

私が大好きな話、「勘当息子」のラスト、母子の情愛に感じたBJが一宿一飯のお礼にタダで手術をして去って行くシーン。「長居したって一文にもならんからな」。くぅ~~~~、たまらんです。o(>_<)o ぷるぷる
「上と下」のラストもそうだし、「死への一時間」のキリコとの会話も、「のろわれた手術」も、「六等星」も、「サギ師志願」も、その他諸々も、その底辺に共通してあるのは、彼一流の照れ隠しだ。

「あいかわらず正義漢ぶって…キザな男だ!」というのは、「人生という名のSL」でドクター・キリコがBJを評して言った言葉だが、それに続けて「おまえさんがいくら正義とかなんとかいって人助けをしたって どうせだれにも感謝されないんだぜ 大金をとるからな」と言っている。さすがキリコ先生、BJ先生がヒールの仮面を被ることをよくわかっていらっしゃる。

ところで、『BJ』において堂々と正義を主張するのは、白拍子先生(「白い正義」「腫瘍狩り」)であり百鬼先生(「灰とダイヤモンド」)である。百鬼先生の方は最後にはBJに感化されて一緒に飲みに行ったりしているが、なかなか難物なのが白拍子先生。育ちの良い苦労知らずのお坊っちゃまだ。言っていることは正論だし、一歩間違えばヒーローになり得るのだが、なにしろ相手がBJで価値観がまったく違うものだから、歯牙にもかけてもらえない。アニメではかわいそうなくらい Sky Hospital の操縦士扱いだった。

しかし何故か憎めない人物でもある。これは、たいていの人間が白拍子のレベルだからだと思う。BJ先生の方が子どもの頃から辛酸を舐めてきた分、はるかに世の中を知っているのだ。弱者の立場から世間を見て、その中で揉まれながら自分の立ち位置を見つけて確立してきたBJ先生に、理想の正義を語るだけの白拍子先生はとても適わない。良かれと思うことをして、それに拘り、自縄自縛となって自分の非を認めることもできなくなってしまう白拍子先生の姿は、そのままわれわれ読者の姿ともダブるものがある。BJは「正義」という観点でモノを見ないから、雁字搦めになってしまっている白拍子の縄も、アッサリと切ってやっている。この「腫瘍狩り」というタイトル、白拍子の心の中に凝り固まってしまった悪いデキモノを取り除くという意味にも取れて、なかなか秀逸だと思う。

(あ~~、ペルソナのことなども書きたかったし、もうちょっと掘り下げられそうなテーマだとも思うのだが、ここで時間切れ。とりあえずアップします。まとまりのない文章ですみません。汗)

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きょうの『ヤッ○ーマン』、コンドルのジョーが出てましたな~(嬉)♪ のん気な顔して私服で歩いてました。あとはミミズクのリュウとツバクロのジンペイですな。

Gさんよりバトンを頂戴しております。後日回答させていただきます。ありがとうございます~♪

明日はちょいと多忙になりそうなので、更新できないかもしれません。

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責任

「責任」という言葉はおもしろいと常々思っている。Yahoo! の辞書を引くと、こうある。

1 立場上当然負わなければならない任務や義務。
   「引率者としての━がある」「━を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。
   「事故の━をとる」「━転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。

法律用語としての「3」は「2」の意味に近い。「1」の任務や義務の意味と、「2(3)」の責めや制裁を負う意味を、「責任」というひとつの言葉が同時に持っているのがおもしろい。

未だ被害者が行方不明のイージス艦と漁船の衝突事故。諸々の証言からイージス艦が回避行動を取ったかどうかに疑惑が持たれ(今のところ、回避行動は取らず、事故直前まで自動操舵で運航していたことがわかっている)、石破防衛相の責任問題にまで発展している。責任問題……この場合はすなわち辞任ということで、上記の解説では「2」の責めを負うことに当たるわけだが、ハテいま石破氏が辞めることは良いことなのかどうか。

野党は敵失に乗じたいところであろうが、国民の多くは「1」の意味で氏に責任を全うしてもらいたいと思っているのではなかろうか。二転三転しながら小出しに公表される情報に、国民は不信感を募らせている。いま石破氏がしなくてはならないことは徹底的な事実解明と、それに伴う関係者の適切な処分だ。それが全て終わってからそれでもやっぱり辞めると自発的に思われるならば止めはしない。

民間人の自動車事故でさえ、危険運転致死傷罪が適用されれば、致死に対しては1年以上の有期懲役(最高20年、併合加重の場合は最高30年)だ。親子2人を冬の海に投げ出しておいて、ただ大臣の首をすげ替えるだけで「責任を取った」などと済ませられては困る。

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ドラマLP

『ヤッ○ーマン』を観ていると、途中で『科学忍者隊ガッ○ャマン』のCMが入るんですよね(誰に言ってる)。DVD付き週刊誌なんですけど。

昔、OST LPを持っていました。ドラマも入っていて結構聴き応えがあったのですが、誰かにあげたのか処分したのか、探したけれども見つかりませんでした。レッドインパルスの隊長が大鷲の健の父親だったんでしたっけ(誰に訊いてる)? コンドルのジョーは持病があったんでしたよね(だから誰に……)? なんか結構重い人間ドラマだったような気がします。敵方のベルクカッツェも色気があって好きでした。だからもう一度観たいんですけど……、毎週買うとなると先立つものがないのが悲しいです。

ドラマLPと言えば、『エロイカより愛をこめて』も持っていました。伯爵が野沢那智さんで、少佐が中田浩二さんでした。あと、ジェイムズ君と部下Zとこぐまのミーシャが出てきたような気がしますが、これも現物が見つかりません(泣)。たしかオリジナルの歌もあったし、英国風ドイツ風ロシア風の音楽も楽しかったのに。

もうこんなものを聴く年齢でもなかろうと思って手放したのだと思うのですが、その後ちっとも成長なんかしなかったようで、今さら後悔しています。あ~あ……。

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血液検査

母が来週半ば頃から施設に入ることになったので、準備に慌しい。きょうは母を病院に連れて行った。B型C型の肝炎に罹っていないか血液検査をするため。本人はそういう事情をまったくわかっていないので、健康診断だと言い繕うのが辛い(間違いではないにしても……)。ここ当分は何かと気の重いあれこれが続きそうだ。

ところで採血するところを見ていたのだが、最近は注射器に採るなんてことはしないんだね! 細いチューブのついた翼状針を血管に刺して、チューブを採血ホルダーに繋いで、ホルダーの中にスピッツを入れれば圧力差で血液が流れ込んでくるわけだ。なるほどな~。でもこれが全部使い捨てなんだと思うと、医療費が高いのもわかるような気がした。

私が小学校の頃は、集団予防接種のときに一人一人注射針を替えるなんてことはなかったように思う。講堂にずらりと並んだ児童2~3人くらい立て続けに打っていたような気がする。調べてみたら昭和33年(1958)に厚生省から1回ごとに針を替えるように通達があったようなのだが、徹底していなかったということだろう。注射針から肝炎に感染した方も少なからずいらっしゃるわけで、本当に危ないことが日常的に行なわれていたことに今さらながらゾッとする。

いや~、それにしても、ありがたいことに私自身が医者に掛かることがここ何年と無かったものだから、こういう医療器具の進歩を見ると妙に新鮮だ。点滴とか酸素マスクとかモニターとかは、イヤってほど見たけど……。

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(備忘録080221)

読書中につき、本日の記事はお休みです。

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闘病生活をなさっているあの方へ

以前、病気療養を理由にサイトを閉じられた方があって……。静寂と迫力を同時に感じさせる素敵なイラストが拝見できるサイトだったので、閉鎖されたあともどうしても「お気に入り」から外すことができないでいた。先日たまたま覗いてみたら、思いがけず、近況などが書かれているのを見つけた。もう一度観たかったイラストの数々も観ることができた。サイト復活というのではなく、書けるときにゲリラ的に……というご意向のようだ。

根治が難しいご病気とのことで、現在の心境などを吐露しておられた。命の価値と解釈を巡って戦っているドクター・キリコとBJを考察し続け、でもまだ自分では答が見つかっていないからなかなか絵が描けないけれども、現在進行形の作品を少しでも前に進めたい、とも。

「死」を見据えて日々を送ることがどんなことなのか、私には想像ができない。どんな想像をしても、それを遥かに超越した境地なのだろうと思う。そんな中で創作意欲を消すことなく前向きに生きていらっしゃることが嬉しく、心からの敬意を捧げたいと思う。同時に、今の平穏な生活がいつまでも続くことを願う。

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『50のプロフバトン』

神無月さんから『50のプロフバトン』を頂戴しました。早速答えてみたいと思います!

【プロフィール編】
●名前/ ハンドルは「わかば」です。本名は明かせませぬ。
●ニックネーム/ 苗字をもじったものが多いですが、最短「め」とも呼ばれます。目が大きいからなんですけど、友人が通りの向こうから「めー! めー!」と呼ぶのを聞くとヤギかと思います。
●年齢/ 忘れました。
●住所/ 島根県
●血液型/ A型 Rh+
●職業/ 主婦
●誕生日/ もうすぐ
●星座/ 魚座
●趣味/ 読書、ネット漂流
●特技/ 猫とお話ができるの(ルン♪)
●性格/ 抜けてるな~。限りなく抜けてるな~。
●身長/ 158.5㎝
●体重/ あ、突然耳鳴りが……。
●利腕/ 右
●髪型/ ショート
●家族構成/ 夫と2人
●携帯/ あ~う~
●メアドの意味/ 子猫ちゃん
●学校/ 昔行ってました。
●将来の夢/ 立派な大人になりたい!

【好きな物編】
●動物/ 猫
●色/ 紺とか黒とか紫とか
●食べ物/ ごはん
●本/ 小説なら……『燃えよ剣』かなぁ……。うあ~~、選べません!
●映画/ 『大脱走』
●漫画/ 『ブラック・ジャック』
●曲/ 今パッと思い出したのはサザンの『YaYa あの時代を忘れない』です。
●スポーツ/ ジョギングとか水泳とか。
●科目/ 音楽
●場所/ 書店
●季節/ 冬
●TV番組/ 『水戸黄門』
●芸能人・有名人/ つるさんつるさんつるさん!!
●国/ 日本
●キャラクター/ シルバニアファミリーなんか好きですが、キャラクターとは言わないのかな。あと「ひこにゃん」も好きです。マンガのキャラなら断然BJ先生!
●女性のタイプ/ う~ん、難しいな。ちゃんと自分を持っている人、かな。
●男性のタイプ/ 月並みですが、優しい人。

【質問編】
●好きな人いる?/ いっぱいいますよ。
●親友は何人?/ 1人です。
●隠し事してる?/ してます!
●お化けとか信じる?/ はい。
●寂しがり屋?/ どうなんだろう? それほどでもないと思いますが。
●おしゃれ好き?/ ほとんど興味がありません。
●カラオケで何歌う?/ カラオケ行かないんです。
●部活・サークルとかやってる?/ やっていません。暇ができたら三味線をやってみたいです。
●今までで一番の思い出は?/ 一番よく覚えているという意味でしょうか。う~~ん、若かりし頃の甘酸っぱいあれこれとか。今はもう遠い日の花火です……。
●ついやっちゃう癖は?/ 猫を見ると、挨拶せずにいられないこと。傍から見ればかなりアブナイおばさん。
●S?それともM?/ Sではないです。
●眼鏡?それとも裸眼?/ 眼鏡です。
●買い物好き?/ 本を買うのは好きですが、他はあんまり。
●誰に廻す?/ ここで置かせていただきます。やってみたい方、持っていってくださ~い!

またまたアンカーですみません。m(_ _)m
なんか面白みのない回答になってしまいましたが、猫好きの変なおばさんだということだけは判っていただけたのではないかと思います(笑)。
神無月さん、バトンのお恵みありがとうございました~♪

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読み方の違い

月曜日は『BJ』語り。

文学にしろマンガにしろ、作品はひとたび作者の手を離れたらあとは読者の解釈に委ねられるということがよく言われる。しかしそれは、作品を自分の考えや好みや願望に合わせて都合よく解釈してよいということではない。まずは虚心坦懐に、何の先入観も思い込みもなく、作者が提示した世界観を正しく受け取る努力はしなくてはいけないと、常々思っている。そうは思うのだが、特定の登場人物が好きだったりすると、それがなかなか難しい。

私がBJ先生を好きなことはもう未来永劫変わらないと思う。ピノコもキリコもBQも如月先生も誰も彼も、この作品の登場人物はみんな好きだが(青鳥ミチルだけはちょっとアレだけれども……)、私はやはりBJ先生が一番好きだ。だから『BJ』という作品を読むとき、意識はしていないがやはりBJ先生寄りの見方をしてしまっていると思う。批判がなかなかできない。そういうことは、ピノコファンにもキリコファンにも起こっているだろうと思う。だから同じ『BJ』という作品を読んでも、好きな登場人物が異なることによって様々な捉え方や感じ方があるのだろう。そして最終的には自分の主観に拠ってしまうことになるからこそ「ひとたび作者の手を離れたらあとは読者の解釈に委ねられる」のだが、このブログでは、できるだけ客観的に、また好きなキャラクターの贔屓の引き倒しにならぬようにしたいと思って書いているつもりだ。

好きなキャラという要素以外にもいろんな読み方があるということを前提に、きょうは男性読者の読み方と女性読者の読み方の違いに話を持っていこうと思う。

私はBJ先生が好きだと書いたが、この「好き」というのは恋愛感情ではない。もしBJ先生が現実にいらっしゃったとしても、お付き合いしたいとはあんまり思わない(笑)。しかし私は(これでも一応女だから)女の目からしか『BJ』を読むことができないわけで、その読み方には自ずと女としての感性が入り込んでいるのだろうと思う。BJ先生をお付き合いの対象としてどうかなどと考えること自体、私が女だからであろう。恋愛感情ではないが、一人の異性として見ていることは間違いない。だから、男がBJ先生を好きだと言うのと、女がBJ先生を好きだと言うのとでは、その観点と興味の内容はかなり違うのではないかと思う。更に言えば、男が読む『BJ』という作品と、女が読む『BJ』という作品は、たぶん違うものなのだろうと思う。

もちろん、手塚治虫が描きたいと思った普遍的なテーマの部分では、それほど大きな読み方の差は無いと思う。差があるとすれば、それはキャラクターの解釈の部分だろう。たとえば夫は「誤診」のアニメ版「人生の誤診」をDVDで観ていて、「私は誰とも組まないし、誰の助けもいらない」というBJの台詞に反応する。2度一緒に観て、2度ともそうだった。何か思うところがあるらしく、「それが理想だよなぁ……」などと言う。私はと言えば、BJってのはそういう生き方のキャラなんだからと軽くスルーした箇所だったので、同じ男性としてBJの生き様を見ている夫との違いを感じたわけだ。仲間も後ろ盾もなく一匹狼で世間を渡るBJへの憧れが、男にはあるのかもしれない。

報酬に執着するBJというのも、私などは何となくスルーしているのだが、男から見ればかなり関心のあるところではないかと思う。いや、女でもお金は欲しいに決まっているのだが、男ほどには稼ぐことに執着しないような気がする。どちらかといえば、女は今あるだけのお金で何とか遣り繰りしようとする。対して、男はもっと多く稼ごうとする。分数で言うなら、女は分子を減らそうとし、男は分母を増やそうとする傾向が一般的にあるように思う。しかしそう簡単に分母が増えたりしないのを、たいていの男達は身を持って知っている。サービス残業なんてものもあるし。BJが手術代を払おうとしない患者にしつこく付きまとう気持ちも、男性読者なら実感として理解できるかもしれない。タダ働きなんかじゃプライドが許さないのだ。

BJが要求する報酬が高い理由は、いろいろに言われている。一番大きい理由は自然保護のために島を買うため。次には復讐のための準備費用。その次にはモグリ開業であるが故の出費(医療機器や臓器なども正規のルートで買うよりは高価なのかもしれないし、また警察やその他関係各位への付け届けもバカにならないかもしれない)。これらは出費に着眼した理由だが、ヒューマニズム的見地から言えば、患者の生きたいという思いの大きさを計るためという理由が大きい。「これだけ吹っかけるけどそれでもいいか?」とBJは患者を試すのである。そしてもう一つがこの「仕事をする男としてのプライド」ではないかと私は思うのだ。自分はどれだけ大きな仕事ができるのかを試す「賭け」の要素も多分にあるのではなかろうか。

自分の腕を磨いて誰にもできないような難しい手術に成功することで大金を稼ぐというBJのやり方は、男の目から見ればこれまた理想的なんじゃないかと思う。そこには「自分のやった仕事が認められる ⇒ 報酬が得られる」という図式があるからだ。逆に言えば、報酬をもらわないうちは自分の仕事を認めてもらっていないということになる。だからBJは時間と交通費が掛かるのも厭わずに相手に付いて回ったり、果ては海外までも金を取り立てに行ったりする。ただ稼ぐだけが目的なら、そんな手間ひまを掛けるより新しい手術を一つやったほうが効率的だろう。しかしそれでは満足できないのだ。自分の仕事が認められた証として報酬を得るというのは、男として一番気持ちの良い稼ぎ方だろうと思うのである。額が大きければなおさらだ。

あと、女性が登場する話について、たぶん男女で読み方が大きく違うんだろうなぁと思う。男性読者が如月先生やBQをどのように見ているのか知りたいと常々思っているのだが、夫に聞いても「(BQは)美人だ!」(←アニメの杉野絵を観て)としか言わなくてその先がわからない。ちなみにピノコについては「可愛い」とか「かわいそう」(←『BJ21』の「ピノコ再び」部分を観て)とは言うけれども、完全に子供としか見ていないようだ。ネット上で男性が書いている『BJ』評論を探しても、あんまりBJの恋愛話には多くのページが費やされていない。このへんで既に男女差が見られる……と解釈すべきなのかな。男にとって「女こども」のことはあんまり大っぴらにすべきことではないのかも。話さないようにしようという紳士協定でもあるのか(笑)?

以上、きょう書いてきたことは、私の想像の域を出ないことばかりだ。男なら女と違う読み方をするんじゃないかなという想像から発した更なる想像だ。生き方のスタイル、仕事、金、女、こども……。BJ先生と同性の目から読めないことがなんとも悔しいが、男にはできない女ならではの読み方はできるのだから、まぁおあいこか。……というところで、本日これまで。

Kさんからバトンを頂戴しております。いつもお恵みありがとうございます。明日、回答させていただきます♪

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昨日が13㎝(気象台発表)、きょうはそれ以上の積雪で、連日雪かきに追われた。やっぱりこれくらい降らないと冬という感じがしない。軒先から垂れ下がる氷柱も、久しぶりに目にした。

昔、小学校の行き帰りには、雪玉を投げてあちこちの氷柱を落とし、それを舐めながら歩いた。どんだけ時間をかけて登下校していたものやら(笑)。友だちとの雪合戦もお約束だった。毛糸の手袋をビショビショにして帰り、母がそれをこたつ(電気じゃなくて、掘り炬燵)の中にぶら下げて乾かしてくれたものだ。乾くときになんとも言えない匂いがして……。今思うと、あれは冬の匂いだったなと思う。

今夜もシンシンと冷えるが、明日からは多少天気が回復する模様。雪が音を吸収するこの静けさも今夜が最後かな。

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東芝がHD-DVD撤退

ブルーレイのシェアが90%を占め、東芝がHD-DVDの生産を打ち切ると、7時のニュースで知った。はぁ~~~(sigh)。わが家は東芝製HD-DVDだ……。

買ったのは3年前だったかな。(←お詫びと訂正:3年前というのは間違いです。3年前にはまだ販売されていません。まっすーさんのご指摘により気付きましたので、この文章は削除いたします。よく確認せずに書いてしまったことを深く反省し、お詫びいたします。m(_ _)m )  当時からブルーレイとの競争になることは判っていたが、海外の映画会社で採用された状況も双方互角だったし、HD-DVDの方がDVDの生産コストが安いとも聞いていたし、少なくとも当分の間は両方の方式が並存すると思っていた。まさかこんなに早く勝敗がつくとは……。

以前のVHS 対 βの競争を思い出す。決してβの性能が劣っていたわけではなかった。βのテープは年月を経ても実に綺麗に再生できた。要は、市場での販売力の差だったのだと思う。今回もきっとそういうような事情だったのではないかな。

栄枯盛衰は世のならいとは言ふものの、記録媒体の移り変わりがめまぐるしすぎる。いずれブルーレイが駆逐される日も来るのだろうが。それにしても、SONY β、LD、HD-DVDのハード及びソフト、全部うちにある。今あるハードが壊れたらど~したらよいのだろう……。

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宗教と道徳

『梅原猛の授業 宗教』と『梅原猛の授業 道徳』を読んだ。2001~2002年に著者が真言宗設立の中学校で行なった授業の内容を収めたものである。著者が最終的に述べようとしたのは「道徳」についてであるが、「宗教なくして道徳はない」というドストエフスキーの言葉を元に、まずは「宗教」が語られる。このへんのことについては、ココにサワリの部分が書いてあるので参照していただきたい。

この2冊の感想をまとめて書こうと思ったのだが、著者の考えに共感できるところもあればできないところもあり、しかしそれが具体的にどういう点なのかと問われればはっきりとは判らないという、何とももどかしい思いをここ数日している。書評等はネット上でも山ほど見出されるので、ここでは本そのものの感想ではなく、読みながら頭をよぎった様々な思いや疑問等々を書き出してみることにする。

そもそも「道徳」とは何ぞや? と考え出すと、これがまず良く判らない。試しに「道徳」という言葉を英訳してみる。「行動の正しさ」“morality”、「行いの規準」“morals”と出る。どうやら「行動」がキーワードらしい。ちなみに「道徳的」は“moral”、「徳のある」は“virtuous”である。私が「道徳」という言葉に抱いている印象もそういうものだった。いわゆる「礼節ある行動」とか「行儀作法」とかの、対人関係において必要になるものが「道徳」なんじゃないのかと。しかしこれは考えてみれば、孔子の説いた儒教に基くもののように思う。江戸時代の武家社会に採用された行動規範のイメージが、戦前までの「修身」を経てそのまま現代まで受け継がれているような気がする。しかしこの本によれば、儒教もまた宗教なのである。

宗教色を一切排除された教育を受けてきた我々は、宗教と言えば妄信的な信仰として忌避すべきものというイメージを植えつけられているが、そもそも宗教の根幹をなす部分は宗教哲学に分類される哲学の一形態だ。他の宗教については知らないが、少なくとも仏教はそうだ。ブッダは、人生如何に生きるべきかを生涯考え、実行し、説き続けた実践的哲学者である。彼のことを有り難がって拝んだ町の人に、私を拝んだって何にもならないよと言った(と伝えられる)くらい、何かに縋るのではなく自分で考え実行することが大事だと説いた、哲学者なのである。

してみると、後世において似姿(仏像等)が製作されてそれを拝むとか、様々な奇蹟が伝説となって伝えられる等々、超人的存在として崇められるようなことが無ければ、ブッダもソクラテスとかカント達と同じように生身の一哲学者として教科書に載っただろうと思う。ちょっと話が逸れるが、そうして見てきた場合、今の日本の仏教はブッダの説いた仏教哲学とは全然違うものだ。念仏やお題目を唱えれば極楽浄土へ行かれるなどとは、ブッダは一切言っていない。そもそも、あの世について語っていない。それなのに、仏教哲学を離れて、信仰心のみが大きくクローズアップされたのが現代の日本仏教だ。その中で、自ら考え自らを灯明とせよとする実践部分でブッダの教えを受け継いでいるのが、禅宗系の宗派だと言えるのではないかと思う。

「宗教なくして道徳はない」という言葉を考えてみる。前述したように、宗教は元来哲学であるということになると、「哲学なくして道徳はない」と言えるのではないかということになる。しかし多分それは成り立たない。道徳が哲学の範疇ならば、それを覆す新しい哲学が出現すれば道徳もまた変わる可能性がある。道徳とはそう簡単に変わってよいはずのものではなかろう。とすれば、そこには、神なり仏なりの超人的存在が必要なのだと思う。言葉は悪いが、もう有無をも言わせず「つべこべ言うな。こうなのだ」と言える存在が。そしてそれは宗教にしか存在しない。

例えば「人はなぜ殺してはいけないのか」を、宗教抜きに説明できるだろうか? 宗教ならば「神または仏がそう言っているから」の一言で説明できる。これにあれこれと疑問を差し挟む余地はない。宗教とはそういうものだ。しかし宗教抜きでは……説明するのは難しかろう。今の日本の教育ではとにかく宗教色を排除する。ラジオで聞いた話だが、学校で食事の前に「いただきます」を言わせないようにしてくれと親がクレームをつけたという。何故なら、そんなことは宗教がかっている、と。図らずも、この親の姿に、宗教がないことが道徳の欠如に繋がる端的な例を見ることができるが、今の学校はそれに対抗する手段すら無い。ちょうど今日のニュースで、道徳教育に力を入れる旨の教育改革が紹介されていたが、宗教を用いずに道徳教育ができるのか、私は甚だ疑問に思う。

…………少しは、本の内容も書いておかなくてはナ(笑)。著者が言う道徳の重点項目は次のようなものだ。

【してはいけないこと】
・殺してはいけない
・嘘をついてはいけない
・盗みをしてはいけない

【人生をよりよく生きるためにすべきこと】
・努力と創造
・愛と信
・感謝と哀れみ

いわゆる「戒律」である禁止事項は明確に示してあり、やったほうがよいことは広く幅を持たせた書き方がしてある。著者が考える道徳が、最初に書いた「行動の正しさ」“morality”というだけではなく、人生をどうよりよく生きるかを考え実行するものだと判る内容である。

最後に一言。世界史上、大概の戦争には宗教が係わっている。「宗教がなければ文明もない」というドストエフスキーの説から言えば、ひとつの文明が別の文明を滅ぼすことも宗教戦争と言えなくはない。たいていの宗教は「殺すなかれ」と説いているのに、戦争が起こるのは何故だ? 人間が宗教の運用方法を間違えているのだというのが私の持論だが、いつまでたっても宗教を巡る戦争が無くならない、人間は正しく宗教を運用できないという現実は、つくづく哀しいことだと思う。

以上、途中の文章をごっそり削除したりして、論旨がまとまらないままだが、一応読了したメモとしてアップしておく。折に触れ、読み返したい本である。

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(備忘録080214)

この間から『梅原猛の授業 宗教』と『梅原猛の授業 道徳』の感想を書こう書こうと思っているのだが、いろんな方面へ興味が広がってなかなかまとまりそうにない。普段使わない脳みそを酷使して疲れたので、夫が頂いて帰ったチョコなど横取りしつつ私から贈ったロイズの生チョコまで摘まみ食いした後、お風呂に入ったらノボせてしまい、もうとても続きなんぞ考えられないのでエントリは明日ということにして今夜はもう寝る。おやすみさない。

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(備忘録080213)

きょうは寒かった。この冬一番の冷え込みだったかも。ところで私の部屋には暖房器具が無い。寒いのは好きだし身体は着衣と布団でなんとかなるが、手首から先が冷たいのは如何ともし難い。打ち間違い連発だ。よって、きょうの記事はお休みです。

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ソウル南大門焼失

韓国の国宝第1号、ソウル最古の建造物「南大門」が2月10日焼失した。日の丸をつけたショッピングバッグを持った不審な男が目撃されていたことから、当初韓国では日本人による放火という説もあったらしい。ちょうど2月11日が日本の「建国記念日」であることも指摘されていたと聞くが、牽強付会の謗りは免れまい。12日放火容疑で逮捕されたのは69歳の韓国人男性だった。

南大門、正式な名称は「崇禮門」。1398年の完成から幾多の戦乱を経るも現代まで残っていた、韓国の象徴的建造物とのこと。日本に例えれば……金閣寺とか五重塔とかが炎上したような衝撃だろう。誰一人、怪我したわけでも死んだわけでもないが、韓国の国民が失ったものは計り知れないと思う。民族の歴史と誇りの象徴が一夜にして灰燼に帰した。織田信長や坂口安吾あたりなら、そんなものが何だ!と言い放つかもしれないが、目に見えるモノで、己が拠って立つところの証が欲しいのが普通の人々だ。

貴重な歴史遺産の焼失を心から残念に思う。

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BQ

今週はバレンタイン・デーだな~。
バレンタイン・デーと言えば「本間血腫」だな~。
でも別に書くこと無いな~。
……と思いながら、何となくネットの海を漂っていたら、たまたま『BJ』における「一番好きな話」と「一番嫌いな話」の投票ランキングを見つけたので、それぞれの上位10作品を転載する。()内は全体における得票率。
 【転載するに当たり、それぞれのサイト様に許可を得ておりません。問題がありましたら削除いたします。なお「一番嫌いな話」については、その上位ページが既に存在していないのか、見つけられなかったことを付記しておきます。】

●「一番好きな話」(『ダ・ヴィンチ』2003年2月号より)

1位 畸形嚢腫(8.1%)
2位 めぐり会い(6.2%)
3位 おばあちゃん(5.6%)
4位 ときには真珠のように(5.1%)
5位 友よいずこ(4.4%)
6位 ちぢむ!(4.3%)
6位 人生という名のSL(4.3%)
8位 ふたりの黒い医者(4.2%)
9位 えらばれたマスク(4.2%)
10位 ピノコ生きてる(3.6%)

●「一番嫌いな話」(ネット上の投票、コメント付き)

1位 ブラック・クィーン(45.5%)
2位 終電車(14.8%)
3位 かりそめの愛を(7.9%)
4位 めぐり会い(6.2%)
4位 人間鳥(6.2%)
6位 リンチ(4.2%)
7位 昭和新山(2.3%)
8位 シャチの詩(2.0%)
9位 土砂降り(1.6%)
9位 おとずれた思い出(1.6%)

特筆すべきは、「好き」「嫌い」の両方共に、それも上位に「めぐり会い」がランクインしていることだろう。「嫌い」の方のコメントでも「女じゃなくなる、というのはおかしい」「BJが冷たい」というものが多く、如月先生が嫌だというものはごく少数だった。BJは冷たいかなぁ? 私は、如月先生の方から去って行ったのだと思うけれども。それでも、BJが引き止めなかったのがいけないということだろうか。いや、それは違うゾ……と、この話について語り出すと長くなるので割愛。ちなみに、私もこの話が一番好きだ。

「一番好きな話」の方には、さもありなんという作品がズラリと並んでいる。やはり、BJのインサイドストーリーとでも言うべき、彼の生い立ちや性格、医者としてのスタンスが描かれた作品群に人気があるようだ。得票率にもあまり大きな差がない。ピノコ誕生を描いた「畸形嚢腫」がちょっと抜きん出ているとはいえ、どう順位が変わってもおかしくないくらい完成度の高い作品群である。

一方の「一番嫌いな話」の方は……、これでもかというくらいブラック・クィーン(以下BQ)が嫌われている(笑)。BQが登場する「ブラック・クィーン」と「終電車」の2作だけで60%超だ。
更に、BJが形だけの結婚式を挙げる「かりそめの愛を」が3位、如月めぐみ先生との悲恋が描かれた「めぐり会い」が4位、清水きよみ先生のBJへの恋心が描かれた「土砂降り」が9位という結果を見ると、BJ先生にピノコ以外の女性が絡むのはいけないことのようで、ちょっとこれはあまりにも偏った見方ではないかと思える。投票したのはきっと女性が大半なのだろう。作品というよりはキャラクターに重点を置いた人気投票のような観があるが、「好き嫌い」を問うた投票だからそれも致し方ないのかもしれない。

もっとも、「ブラック・クィーン」や「終電車」を選んだ人が書いたコメントを読むと、「BJが浮気するなんて!」とか「W不倫だ」とか「父親と同じ浮気体質」とかの指摘があって、BQだけでなくBJもいけないらしい。しかしBJは独身で特定の恋人もいないのだから、浮気でも不倫でもないだろうに。恋愛の自由もないとは気の毒だ。「ピノコがかわいそう」というコメントもあるが、ピノコだって結構気が多いじゃないかと反論しておこう(笑)。ディープキスまで交わしたチンクとか、キスをねだったプール監視員のムサシとか、付いて回った水泳選手の有田とか、ポーッとなったブリリアント3世とか。公平に見れば、そういうピノコの浮気(ここではそう言っておく)を扱った作品だって、「こんなピノコは嫌いだ」と槍玉に上げなくてはおかしいと思うんだけどな(BJ擁護)。

ところで最近、BQのことが気になって仕方がない。私も最初に「ブラック・クィーン」を読んだときは、非常に違和感を覚えた。BJにこんな一面があったとは!と、まさか嫌いにまではならなかったが、BJに対するイメージの軌道修正を迫られたというか、ぶっちゃけ、中学生の乙女にとっては大人の世界を垣間見たようでショックだった。ことに、この話が発表されたのが「めぐり会い」のわずか2ヵ月後だったこともあって、めぐみファンとしては何ともかんとも複雑な心境であった。ずっと長いことそうだったのだが、以前の記事に書いたように、BQってのはそういう役柄なんだとわかってからは、何のわだかまりもなく、却ってBJの恋愛話を楽しく読めるようになった。

BQ……。結構かわいい女性だと思う。顔はもちろん超美人だし、スタイルも良い。「ブラック・クィーン」においては、重傷を負った婚約者の脚を切断しなくてはならなくなって悩みに悩む。BJは、医者ならば迷わずに切れと言うのだがやっぱり切れない。そこでBJがBQを眠らせた隙に、切断せずに整復してメデタシメデタシ。そんなお話なのに、どうしてBQがこんなに読者に嫌われるかというと、BJが一方的に惚れてしまったからである。告白する前にBQに婚約者がいることがわかって諦めるのだが、BQはBJの気持ちなどちっとも知らない。知らないうちにBJを振ったことになる。そして本人がまったく与り知らぬところで読者に嫌われて……。かわいそうだなぁ。

「終電車」の方では、逆にBQからBJへの好意が描かれる。このときBQは既に結婚しており、名前も桑田このみから鈴木このみに変わっている。中近東に単身赴任している夫(ロクロー)とのすれ違いに悩み、かといって今の生活を捨てて夫の元に行くフンギリもつかず、離婚も考えているという状況。親切にBQの相談に乗ってやるBJ、ところどころスゴイ台詞も言っている。

BQ「(BJ)先生なら あたしの気持ち わかってくださると思うの」
BJ「(酒をグイと呷りながら)じゃあ なぜ彼と結婚したんだ」

↑これ、恨み言に聞こえるのは私だけだろうか。「あなた、私を捨ててロクローと結婚したじゃないか」と(いや、さっきも書いたように、BQは振った覚えはないのだが)。うわー、未練タラタラじゃないか(笑)。

Bjbq2_2 ……というわけで、BQ先生との恋模様もなかなか良いなと思う今日この頃。……石礫が飛んできそうだナ(笑)。
落書き1枚。時間切れでここまで。美人ってどう描けば良いんだろう……(汗)
BQが煙草を咥えると、BJがスッとライターを差し出すシーンが好きだ。BJ先生、家には使い捨てライターがゴロゴロしていそうだが、こういうときはやはりシルバーのダンヒルあたりで渋くキメていただきたい!

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きょうの『ヤッ○ーマン』、ドロンジョ様の台詞に大笑いした。「いっすん(一寸)……ちょっと」って(爆)。アドリブかなぁ?

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クイズ

兄から出されたクイズ。以下の2つの文章の条件を同時に満たす家族関係を考えよ、というもの。

「私の父は 私の息子です。
 私の娘は 私の母です」

「父の名前が『私の息子』で、娘の名前が『私の母』だ」と言ったら、そんなトンチではないと一蹴された。“私”と“私の父”は実の親子関係なのだそうだ。

「“私”が他所に作った娘と“私の父”が結婚して、“私”が他所に作った息子が“私の母”と結婚したのだ」と言ったら、他所にそんなに子供なんかいないとこれまた一蹴された。もっと簡単に説明できる関係なのだそうだ。

散々考えたがわからず、答を教えてもらって納得した。現実にもありそうな話だ。
皆様もどうぞ考えてみてください。

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Aquarius

夫が『エド・サリバン・ショー』のDVDを観ていたので、私も台所仕事をしながら聴くとはなしに聴いていたら、フィフス・ディメンション(The Fifth Dimension)の「Aquarius ~ Let The Sunshine In/輝く星座」が流れてきた。1967年、ミュージカル『Hair』で使われ、世界的に大ヒットしたナンバーで、当時小学校低学年だった私でさえもよく覚えている。え? 41年も前のことなの?(絶句)

この『Hair』の背景には、当時アメリカにおいてベトナム戦争のため徴兵に取られた男達が髪を短く切られた事実がある。戦争に反対する意思表示として、長髪にしてヒッピーになる若者達が多かったのだ。

「Aquarius ~ Let The Sunshine In/輝く星座」の歌詞にも平和への希求が色濃く見られる。

When the moon is in the Seventh House
and Jupiter aligns with Mars
Then peace will guide the planets
And love will steer the stars
This is the dawning of the age of Aquarius
The age of Aquarius
Aquarius! Aquarius!
……

ちなみに「水瓶座(Aquarius)の時代」とは、春分点が水瓶サインにある時代のことだそうで、ちょうど現代、20世紀近辺からがそれに当たる。キリスト誕生から19世紀までは「魚座の時代」だったそうだから、約2千年単位で移行するもののようだ。検索してヒットしたサイトでは「水瓶座の革命作用により価値観が大きく変り、魚座の時代には物質に従属するものと考えられていた精神や霊というものが、むしろ重要視され、物質と精神が等しく評価され、云々」と書かれていた。

歌詞と共に、西洋占星術を理解していないとチンプンカンプンな内容なのだが、さて、時代は良い方向に変わっていくのだろうか。

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(備忘録080208)

『梅原猛の授業 仏教』読書中のため、記事はお休みします。

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地元民が知らないブーム

『秘密のケンミンSHOW』の中の「○○県の中心で愛を叫ぶ」コーナーが島根県だったので観たのだが……、地元民でも知らないことばっかりだったヨ!

ロケ地は松江市。殿町から京店、宍道湖周辺が映っていた。まあ、デートコースとしては一般的かな。

唯一、絶対間違いのない事実は「スターバックス」が無いこと(悪いか!)。で、行ったお店が「月○瀬」。あそこのお団子は食べたことがあるが「カツオ」なんて知らなかった(ごめん)。あと、抹茶をしょっちゅう飲むというのも、う~~む、どうかな~。確かに抹茶の消費量は全国でも一二を争うほどだが、毎日飲むお宅もあれば、1年に1回のお宅もあるだろうし。因みに我が家ではこの1ヶ月に3~4回くらいだ。

サメのことを「ワニ」というのは本当だ。鰐淵(わにぶち)の鰐淵寺の名前もサメに由来する。たまにスーパーで小さいのを売っていることもある……が、家庭では普通食べない。刺身で食べたことなど、私は一度もない。たいてい蒲鉾などに加工するんじゃないのかな。

あと、何があったかな? そうそう、勾玉のアクセサリーがブームとか言っていたが、そんなブームは知らない。県立美術館の庭のウサギの彫刻を撫でるとどうとか言っていたが、あの彫刻自体がそれほど古いものではないので(ここ10年くらい?)それも知らない。

なんだかな~。話題が無いので無理矢理小さな話題を大きく取り扱っている印象が拭えなかった。今の松江の恋人達は、カツオ食べてワニ食べてウサギを撫でているんだろうか? 私らの頃は、宍道湖岸でずーーーっと ぼーーーっとしてたけど。……そんなことしてたのは私だけ?

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『岩波いろはカルタ辞典』

書店に寄ったら「岩波書店 蔵出しコレクション」と銘打ったコーナーが設けてあり、いろいろ欲しいものがあったのだが、とりあえず1冊『岩波いろはカルタ辞典』(時田昌瑞著)3000円+tax を買ってきた。う~む、思わぬ出費。

約400点に及ぶカルタ句に解説とカラー図版が付いている。それぞれの時代を思わせる絵柄を見ているだけでも楽しいが、初めて聞く句もあり、当然そういうのは意味もわからない。

例えば「い」の項には、以下の句が並んでいる。

居食(ゐぐひ)をすれば山でも空し <混交>
砂子(いさご)も遂に巌(いわお)となる <新案>
石臼箸で刺す <たとえ>
石の上にも三年 <たとえ/上方/混交/戦後/現代>
石原で薬罐(やかん)引く <たとえ>
医者の不養生 <新案>
急がば回れ <新案/混交/現代>
一を聞いて十を知る <新案/混交>
一心岩をも通す <混交>
一寸先は闇 <上方/新案>
一石二鳥 <現代>
犬も歩けば棒に当たる <江戸/新案/戦後/現代>
井の中の蛙大海を知らず <混交/新案/戦後/現代>
芋の煮えたもご存知ない <江戸>
いやいや三杯 <上方>
祝いは千年万年 <新案>
鰯の頭も信心から <たとえ/上方>
言わぬは言うに勝る <新案>

Photo 「石原で薬罐(やかん)引く」なんて聞いたこともなかったが、騒々しい声や悪声のたとえだそうだ。「石ころがごろごろしている川原で金属製の空の薬罐を引きずれば、ガラガラと喧しい音を立てることから言われる」らしい。「江戸中期から末期には比較的用いられていた」とあって、カルタにはちょんまげの男が石ころだらけのところをわざわざ薬罐に紐をつけてひっぱり回している様子が描かれている。人々が喧々囂々やっている様を描けばよさそうに思うのだが、何故か本当に石原で薬罐を引いている男が描かれているのが妙に可笑しい。こんなことをする奴ぁ居ない。

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『ちりとてちん』

最近は毎朝、NHKの連続テレビ小説『ちりとてちん』を観ている。ストーリーも登場人物も面白いが、いろんなところにシャレのような小ネタが仕掛けてあって、それに気付くのも面白い。

主人公・若狭は徒然亭という落語家一門の妹弟子なのだが、その一門の紋所がセミである。今までずっと何気なく見ていたが、先週ハタと気付いた。これは「ヒグラシ」なのだと。『徒然草』の冒頭「つれづれなるままに ひぐらし……」の「ヒグラシ」だ。そう思ってよく見ると、床の間の掛け軸に書かれているのも「つれづれなるままに ひぐらし……」だった。この一門、いつもお金が無くて困っていたが、おそらく「その日暮らし」の意味もあるのではないかな。徒然亭とヒグラシ、上手いな~。

若狭の夫で兄弟子でもある「草々」。彼のライバルは二人いて、「尊建」と「柳眉」という。ソウソウ、ソンケン、リュウビ……? 『三国志』だ! これに気付いたときは嬉しかったな。

きっと他にもいろんな仕掛けが隠れているに違いない。それに気付くのは遅かったけれど(遅すぎ?)、あと2ヶ月弱、頑張って探すゾ!

ストーリーの方は、草若師匠が自分の余命が長くないことを知って、ちょっとシリアスの度合いが増してきた。それでも、全体の雰囲気は軽くて明るい。オープニングのタイトルロールも和風で気に入っている。久しぶりに「これは面白い」と思えた連ドラだから、朝っぱらから泣いたり笑ったりしながら楽しもうと思う。

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オチャカナニ ナリタイナ

「しずむ女」に出てくる薄幸の美少女ヨーコが、私はとても好きだ。「好き」という表現では全然足りないくらい、切なく愛おしいキャラなのである。いや、彼女を薄幸だと思うのもこっちの勝手な思い込みであって、彼女は自分が薄幸だなどとはちっとも思っていなかったに違いない。自分の力で精一杯生きようとし、好きな人に尽くそうとして死んでしまった。原作を何回読んでも必ず最後は鼻の奥がツンとなるし、OVA版を観たときはボロ泣きした。

このヨーコを演じているのは「地球を呑む」のゼフィルスだとどこかで読んだ記憶がある。とすれば、ブラック・クイーンと元は同じなのだ。地球上の全ての男を虜にしてしまう絶世の美女ゼフィルス。その性質をそのまま受け継いだBQの色香にBJが惹きつけられたのは無理もないと、以前に書いたことがある。酔っ払ったBQが「バイバーイ」と出て行くのを見送るBJは、完全に「男」の目をしている(と思う)。

しかし同じゼフィルスの化身でも、BQとヨーコでは180度印象が違う。ヨーコは公害病が原因と思われる脚と脳に障害を持つ孤児で、人並みよりは知能が遅れているが、それを補って余りあるだけの無垢な心と明るく優しい心を持っている。BQが生々しいまでの実体なら、ヨーコは生まれたままの生命の穢れなき精神そのものといった存在である。

このストーリーでは、BJは自分の方から積極的にヨーコに関わっていく。道でたまたま見かけたヨーコの後をつけて行くのだ。公害病とその原因を作り出した企業、被害者への補償に誠意を見せない役人、そういう巨大な敵を相手にするために、BJはヨーコの脳症状が公害病のせいであることを証明しようとする。しかしそれは義憤とか医師としての務めとかいうことではなくて、ここでのBJ先生は、ただただヨーコを放っておけなくて動いているという印象が強い。自分への報酬ではなく、ヨーコを守るために補償金が欲しいのである。「オニイチャーン」と無心にBJを慕うようになるヨーコ。BJは懸命にヨーコの膝の手術をし、歩行訓練に付き合い、優しく抱きしめる。BJがこんな態度を見せるのはシリーズ中 後にも先にもこの場面だけだ。

そしてラストの悲劇。「オサカナ トッテキマス センセイニ タベサセテ アゲマス」。書き置きを残し、ヨーコは治りきっていない脚で、汚染された海に魚を捕りに行き、溺死する。穏やかで優しげな表情のままゆらゆらと波に漂っているヨーコは幸せそうにさえ見える。このラストシーンでは、ただヨーコの死が儚く哀しい、それしか感じない。公害病が憎いとかBJ先生の努力が全てフイになったとか、こんな結果になるなら手術しないほうが良かったんじゃないかとか、そんな後付けの感想を考えることすら不謹慎に思われるくらい、透明で静かな死である。

これはシリーズ中でも名作に数えられる作品だと私は思う。膝の手術をしたことで公害病が治るのか(つまりヨーコの知的障害までもが治るのか)という点で論旨展開に瑕があることは否めない。また、「バカだ」「ココがいかれてる」というような知的障害者を蔑視する台詞があって、『全集』にも『文庫』にも収載されていないのはそういう理由からだとも思う。『コミックス』でしか読めないのが惜しい。しかしこの何とも言えない読後感は、ちょっと他のエピソードには見当たらない。まさに精神を揺さぶられる思いがする。ただ哀しい、のだが、悲痛な悲しさとはちょっと違う。これで良かったのだという思いがどこかにある。

もしも脳の障害が治ったらヨーコにはどんな生活が待っていただろう。ヨーコはどんなふうに変わっていってしまっただろう。無垢で無心なままではいられなかったに違いない。知能を得ることが、かけがえのない純真さを失うことになるとは、なんという皮肉……。打算的な行動をしたり、人を疑ったり、誰かを傷つけたり、いわゆる普通の人間になっていくヨーコなど見たくない。ヨーコにはこのままでいさせてやりたいと思う。それは、全ての人間がヨーコのような心を確かに持っていて、しかしそのままでは生きられず、知能という鎧で武装して生きていかざるを得ない哀しさを知っているからこそ、そう思うのだろう。ヨーコを愛おしく思う心理は、そのまま読者の自己憐憫の情に繋がっている。ヨーコは全ての人間の心の中にいるのだ。

汚染された海に入って死んでしまったヨーコの姿は、無垢で無心な魂が濁った世界では生きられないことの象徴だ。「……ヨーコ こんど生まれたら きれいな海で泳げよ……」。穢れない綺麗な魂のまま死んでいったヨーコへ贈ったBJ先生の言葉は、全ての人間が願って止まぬ、しかし永遠に叶わぬ夢を代弁しているように思われる。

人間って、哀しい生きものだ……。

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(備忘録080203)

節分。←漢字変換したら、最初、拙文と出た(笑)。
氏神さんにヒトガタさんを持って詣り、夜帰宅した夫と豆まきをし、南南東を向いて粛々と恵方巻にかぶりつき、ワハハと笑って、蕎麦を食べた。
明日から春。皆々様にも良い春が来ますように。

久しぶりにアニメ『BJ』のDVDを鑑賞中。

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『生首に聞いてみろ』

『生首に聞いてみろ』(法月綸太郎著)読了。「2004年週刊文春ミステリーベスト10」第2位、「2005年このミステリーがすごい!」第1位に選ばれた作品である。

久々に読んだ新本格派のミステリー。いや、法月綸太郎の長編を読んだのも10数年ぶりだ。何しろ寡作な作家だから、次はいつ出るのかと待ちくたびれてしまう。

タイトルがおどろおどろしいのだが(これはたぶん都筑道夫の『なめくじに聞いてみろ』に引っ掛けたのだろう)、このタイトルと、表紙に書かれた“The Gorgon's Look”という言葉は、実に上手く内容を表現している。頭部が切り取られた石膏像と、送り届けられた本物の生首。造形と視線に関する芸術論まで絡めて、物語は進行する。誰もが何かを隠している。誰もが誤解と憶測を繰り返し、巧まずして謎が生まれる。決定的なチャンスを2度も逃がした名探偵・法月綸太郎の汚名挽回なるか。……というような内容なのだが、ネタバレしないで感想を書くのはなかなか難しいナ。

私がファンであるという事実を差っ引いても、なかなか良い出来ではないかと思う。あちこちに散りばめられた大小様々な謎が、最後に全てあるべきところにパチリと収まるのは気持ちよい。実際には起こり得ない事件だと思うが(何故なら、大抵の人間はこの作品に出てくる人物達ほどには頭が働かない)、パズル感覚で読むなら、これは最上級の謎解きである。最終盤で一気に解明、というのではなくて、綸太郎の試行錯誤、思考の過程を追う形で、徐々に謎が明かされていく。

全体として、かなりドライで淡々とした作りである。もはや記憶もかなり薄れたが、過去の作品『頼子のために』などはもっと登場人物の内面描写に重点が置かれていたような気がする。法月綸太郎と言えば和製エラリー・クイーンなのだが、本家クイーンを読むときに感じる怜悧な緻密さに、本作はより近づいているように思った。

携帯電話やインターネットなども謎に組み込まれている。この作品がやがて古典となっていったら、未来の読者はどんなふうに読むのかなぁと、ふと思ったりもした。

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(備忘録080201)

読書中につき、記事はお休みします。m(_ _)m

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