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2008年4月

(備忘録080430)

本日のお買い物。
『人生がラクになる心の「立ち直り」術』(斎藤茂太著)
『密命 1見参!寒月霞斬り』(佐伯泰英著)
『密命 2弦月三十二人斬り』(同上)
 (↑TVドラマ化されたらしい。こちらでは観られないのが悔しくて、原作を買ってしまった。とりあえず2冊。こういうの、読み出すとハマるんだよなぁ。)

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日光菩薩・月光菩薩

昨夜は『NHKスペシャル 日光・月光菩薩 はじめての二人旅 ~薬師寺1300年の祈り~』を観た。奈良薬師寺の日光・月光菩薩の二尊が史上初めてそろってお江戸へ行かれるというので、その光背の取り外し作業や、普段絶対に目にすることのできない後ろ姿などが紹介されていた。

薬師寺には2回詣でたことがある。いずれのときも秋篠寺から西大寺、唐招提寺を経て薬師寺までのコースを歩いた。秋篠寺の伎芸天の前に立ったとき涙が溢れて止まらなかったことは前にも書いたことがあるが、綺麗な水で胸がたぷたぷになったような幸せな気分のまま歩いて、その日の最後に出会ったのが薬師寺の日光・月光菩薩だったのだ。伎芸天ほどには私に語りかけてはくださらなかったが、それでもなんと美しい仏様かと呆けたように見上げていたことを覚えている。

なんとも優美なお姿なのである。仏教彫刻の最高傑作と言う人もいる。薬師寺東院堂には聖観世音菩薩もいらっしゃるが、こちらが直立したやや硬さのあるポーズで凛とした気品と崇高な気配を纏っておられるのとは違って、日光・月光菩薩はしなやかに腰をひねって立っておられる。それがちょっと艶かしくさえある。

一般に、日光菩薩は明るい日の光のような「智慧」を表し、月光菩薩は優しい月の光のような「慈悲」を表すとされている。前から見ると左右の位置が入れ替わってもわからないくらいそっくりな両菩薩なのだが、今回その後ろ姿を見て違いがはっきりと判った。背骨に沿った窪みや肉の厚さの表現が違う。日光菩薩のほうが男性的な力強い肉体、月光菩薩のほうが女性的なたおやかな肉体なのである。う~む、これを作った仏師は凄い……。

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続きが気になる

月曜日は『BJ』語り。きょうは、続きが気になるエピソードについて。

『BJ』の各エピソードは、ほとんどが20ページほどの短編だ。たったそれだけのページであれだけのドラマが描けるというのは、本当に凄い構成力だと思う。中でも特筆すべきはラストシーンの巧みさだ。最後のコマで種明かしがあったり、BJの本音が語られたり、大サプライズがあったりする(その最たる例は「ある老婆の思い出」だと思うが、こればかりはバラすわけにはいかない)。

また、そんな素晴らしいラストシーンも、取り立てて大きなコマに描かれているわけではないことが多い。赤塚不二夫の『天才バカボン』でも最後のコマだけは大きかったものだが、『BJ』の場合はラストページとは思えないくらい、その他のページと変わらないコマ割りで淡々と終わったりする。もしもこれと同じストーリーを現代の漫画家が描いたら、これでもかというほど絵柄で劇的に盛り上げるのではないかと思う。しかし原作ではその素っ気なさが却って余韻を生み出すことに成功している、と思うのは私の贔屓目だろうか。

さて、そんなふうに余韻を楽しめる作品が多い中で、非常に緊迫した状況の中で終わるのが「宝島」である。簡単にあらすじを書くと、BJの財産を狙う悪党どもがBJを痛めつけ、どうやら財産が隠されているらしい南海の島へ案内させる。そこで次々とハブに咬まれる悪党たち。BJ自身は免疫血清を打ってあるから大丈夫なのだが、救いを求める彼らにBJは「死ね」と言い放つ。「この空と海と大自然の美しさをわからんやつは……」「生きる値打ちなどない!!」と言うBJの後ろ姿がラストシーン。BJの財産とはこの大自然そのものだったというスケールの大きな作品だ。

ストーリーとしては見事に完結している。地球の環境破壊を憂うBJや手塚治虫の主張がストレートに胸に響く。この後に何かを描き加えることは蛇足以外の何物でもないだろう。しかし……どうしても気になる! この後、BJ先生は彼らを助けたのだろうか? ネット上の評論では「置き去り」「見捨てた」と書いてあるのを2、3見つけた。見殺しはまずいと助けたのではないかという意見も1つ。さて、どっちだろう?

話の筋を追っていくと、まず島へ案内することが決まったときにBJは「いったん家へ帰してくれ……用意がいるんだ……」と言っている。しかし許可されない。船で島へ向かう途中、BJはコートに仕込んだメスやら注射器やらの緊急用の医療具をすべて海に捨てられてしまう。そのときの言葉が「くそ……あれは必要なもんなんだ!!」。これらの言葉から推察するに、BJは悪党どもがハブに咬まれることを最初から予測している。家に帰りたいと言ったのも、逃げるつもりではなくてハブの免疫血清を取りに行くためだったろう。悪党どもにそれを正直に言う必要なんかないとはいえ、この先生はいつも一言足りない(笑)。

つまり、助けるつもりだったのだ。ハム・エッグほかの手下たちはハブに咬まれたことで金より命が惜しくなるのだが、首領格のスカンクだけは「かまれたぐらいで死にゃァしねえっ」「さあハッパをかけろ!!」と、しぶとい。そこでBJが、この島には金なんか無い、自然の美しいこの島を買ったのだからと告げる。そして、その美しさがわからないやつは「死ね」という展開になるわけだ。

銃で脅され最後の最後まで悪党どもの言いなりになってはいるが、全てはBJの思い通りになっている。つまりは、金に血まなこになっている悪党達に、本当の宝というのは金なんかじゃないということを、痛みと死への恐怖の中で思い知らせようということなのだろう。ここまでやらないと分からない奴らだと思ったのだろう。

結局、やっぱり助けるんじゃないかと私は思う。ちなみにハブ毒のことを調べてみたが、ウミヘビやコブラ等が持つ神経毒とは異なり、出血毒であるため、2次的に循環器や腎臓に障害が起こるなどのことがなければ、短時間で死ぬようなことはないらしい。もちろん迅速に免疫血清を打つ必要はあるが。だからBJはあのラストシーンの後、独りで船に乗ってどこかの町へ帰り、血清を入手し、警官とともにまたあの島へ引き返したのではないかと私は想像する。あれだけ酷い目に遭ったのだから「死ね」という言葉までは許せるとしても、目の前で助けを求めている怪我人を放っておくBJというのは、どうも納得がいかないもので……。

続きが気になる話……「報復」もそのひとつ。いろいろあって(あらすじ省略)、日頃BJを目の敵にしている日本医師連盟の会長が自分の息子の手術を獄中のBJに頼むシーンで終わっている。医師免許状で釣ろうとしたがBJは無言で破り捨ててしまう(カッコいいんだこれが!)。万策尽きて最後は「たのむ……わしの息子を救ってくだされ……!」と跪いて涙ながらにBJを拝む会長。

これもたぶん助けたのだろうと思う。TVアニメでは1億円だかで請け負っていたが、私もそれが正解ではないかと思う(5億円だったかな? いずれにせよ私にとっては天文学的な数字だったので忘れた)。この解決法ならBJの信念と意地も通せるし、総理大臣でさえ釈放させられなかったBJが翌週には大手を振って外を出歩いていることに説明もつく。むしろ心配なのは無免許医に手術をさせた会長の立場の方なのだが、どうやら解任されることもなかったらしく、後の「フィルムは二つあった」でもネチネチとBJをイビッて元気なところを見せている。このオヤジは本当にもうッ!!

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・『MW』が玉木宏・山田孝之主演で映画化(来春公開予定)されるそうで。どっちが結城美知夫? どっちにしても、女性客狙いの匂いがぷんぷん(笑)。

・青い術衣を着た外科医。腕を肘から上げて手のひらを自分に向けるポーズを取っているところへ、フルートだの鮭だのを乗せる助手。こんなCMを見たのだが、これは何のCM? 演じているのは長瀬智也。私の脳内BJ先生は彼に似ているので、なんか感激……。
 あった! これだ! 隣はジンベエか?(蹴)

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ZEP!!

夕方 NHK でやっていた『Music Japan Overseas』の再放送(3/22分)を観た。ジミー・ペイジのインタビューと、Led Zeppelin の昨年の再結成ライヴの模様がちらりと流れた。このライヴのチケットには2000万円の値がついたとか。続いて1979年当時のライヴ映像(@ネブワース)が観られたのに感激した。曲目は「Kashmir」。

ん~~♪ やっぱりZEPは良いです! 30年前の乙女に戻りました。いや、当時は動いている彼らなんか見たことなかったけど……。↓テレビの画面を写してみました。

Zep1現在のジミー・ペイジ

Zep2 昔のジミー・ペイジ

Zep4 昔のロバート・プラント

Zep3  あっぷ

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聖火をめぐる攻防

いったいここはどこの国かと思うほど沿道を真っ赤に染める五星紅旗。聞こえるのは地鳴りのような「加油、中国!」「One China!」の声と、悲鳴のような「Free Tibet!」の声。なかなか思うところも多かった聖火リレー沿道の光景だった。

まず正直な感想を。中国の旗が多ければ多いほど、私の気持ちは中国から離れていった。判官贔屓という日本人気質もあるのかもしれないが、「多勢に無勢」という趣きでところどころでゲリラ的に活動しているチベット側を応援したくなってしまう。

いや、この聖火リレーの前から、私の周辺には中国に与する人はいなかった。まったく関心がないか、チベットの人達はかわいそうにねと言うかのどちらかだった。1959年のチベット騒乱以降の歴史を知らなくても、ひと月前のチベット騒動を見ただけで、多くの人がそう言う。ひと月前までは多くの日本人がチベット問題など知らずにいたに違いない。それが俄かに「Free Tibet!」を叫ぶようになったことを冷ややかに見る向きもある。だが、まるで申し合わせたようにチベット側に同情が集るという事実は見逃し難い。一言で言うなら、その感覚の方が人間が抱くものとして正しいからなのだと私は思う。宗教という観点は置くとしても、自由が弾圧されたり、力で無理矢理ねじ伏せられることに反発を覚えるのは、当然のことなのだろう。

ところで「One China!」を叫ぶ中国人留学生の女性がインタビューに答えて言っていた。「オリンピックと政治は関係ない。政治と宗教も関係ない」。そう。すべて正しい。一部の国を除いて政治と宗教は関係ない(チベットはその一部の国なのだが、それはひとまず置くとして)。しかしそれならば、彼女は母国中国の政治が、関係ないはずの宗教を実質的に弾圧している事実をどう説明するのか。深々と関係しているではないか。せっかく中国以外の国で勉強する機会を与えられ、母国を外から見つめることができる立場にいる留学生たちなのだから、もっと広いグローバルな視点から見られないものかと残念に思った。

大挙して日本各地から押し寄せた中国人留学生と、在日のチベット人。「せっかくのオリンピックに水を差すな!」という主張と、自分達の「自由」を賭けた主張。どちらがより真剣で、見る者の心を動かしたか。それを忘れないために書き記した。私にとってはかなり歴史的な一日だった。

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いよいよ明日

聖火が来た。青ジャージ軍団も来た。国境なき記者団も来た。チベットの人達も集った。中国人留学生達も集った。いよいよ明日、長野の地を聖火が走る。

今や中国の国威発揚のためだけに意地で行なわれている観のある聖火リレーだが、オリンピックとは関係ないところで、滅多に見られない生きた歴史の1ページに立ち会えることは嬉しい(テレビを通じてだが)。全世界が注目しているのだから、皆がそれぞれの立場で、節度を持って、自由に主張すればよい。

それに先立って、善光寺ではチベット暴動犠牲者の追悼法要が行なわれる。7時からだそうなので、私もその時間に合わせて合掌しようと思う。いま、私が起こせる行動はそれだけだ。

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『好きなあの子をペットにしたいバトン』

あゆみ総長さんから上記のバトンを頂戴しました。しかし指定が【BJ】とは!!
自分回答はハナから諦めて、さて誰ならBJ先生をペットにできる力関係かと考えましたが、ピノコくらいしか思いつかないんですよね(笑)。でもピノコだと質問の内容にそぐわない。次点は間久部でしたが、奴に答えさせるといろいろ危険なことを言い出しそうなので却下。で、「彼」にご登場願いました。早速行ってみます。

■家に帰ってきたら玄関前に怪我をした【BJ】がいました。どうする?

「……! ジンベエの野郎ッ!!」
 冬造さん、鉄砲担いでジンベエ探しに行っちゃいました。おーい。

■手当てをして食事を与えると眠ってしまいました。何処へ寝かせる?

「何処って言ったって、ひと間しかねえ家だからな。この囲炉裏端なら風邪も引かねえだろ。しかしジンベエにやられたんじゃなくて良かったぜ。あの野郎、今度見つけたらタダじゃおかねえ……」
 以下延々と怪気炎。

■朝起きると「しばらくおいて」と言ってきました。どうする?

「ふうん、わけありかい。以前におれの怪我を治してもらった恩があるし、おれもお尋ね者の気持ちはわかるからな。いつまでだって居ていいぜ。それに今外に出たらジンベエが……」
 ジンベエのことしか頭にない冬造さん。

■話し合いの結果ペットとして飼う事になりました。

「……どうやらそういうことになったらしいな。おれの腹に油性マジックで『わたしはペットです BJ』って几帳面に書いてある。意味わかんねえな。昨夜は二人でドブロクをしこたま呑んでいつの間にか寝ちまってたから、何にも覚えてねえんだ。どうしてそんな話になったんだろうな。うわ~、先生の顔にもすごい落書きがしてあらあ。ヒゲとか鼻毛とかハートマークとか。これはおれが書いたんだよなきっと。……! まさかジンベエが!?」
 違います、冬造さん!

■好きな名前を付けてよいとの事、なんてつける?

「えーと、それじゃあ……(モジモジ)……『妙』って呼んでいいか?」
 管理人(;゜〇゜) 

■そしてあなたをなんて呼ばせる?

「『めぐみ』って呼びたいそうだ」
 管理人( Д゚)゚   

■お風呂に入るように言いつけると、「怪我をしているから頭洗って」と言ってきます。洗ってあげる?

「妙は甘えん坊だな。よし、こっち来い」
 管理人耳掃除くらいしかすることがありません。 *-r(-_-)ほじほじ

■お散歩(お出かけ)したいそうです。何処に連れて行き、何をする?

「こんな山の中だから何をするもないんだが。じゃあ、鉄砲の撃ち方でも教えてやるよ。え、知ってる? いろんな経験してきてるんだな、妙」
 銃の扱いにも慣れてるし、メスを投げさせたら百発百中の妙先生です。

■寝たいそうです。何と言ってくる?一緒に寝る?

「『めぐみさん、もう寝よう』だとさ。なんだ、もう呑まねえのか? ちぇッ。そんじゃおれも寝るとするかね、妙、お・や・す・み(消灯)」
 酔っぱらい二人、囲炉裏端で雑魚寝。

■他にペットとどんな事をしたい?

「妙と二人がかりならジンベエを仕留められるぜい!!」
 管理人もそう思うけれども、めぐみさん、ジンベエはね、もう……。

■バトンを回す人をキャラ指定して6人に回して下さい。

「バトンを回そうにも、ここは辺鄙な山の中なんでな。申し訳ないがおれがアンカーだ」
 こうして妙とめぐみは末永く仲良く暮らしましたとさ。チョンチョン。

うわ~、すみませんすみません(汗)。当初の予定ではもっとメルヘンチックになるはずだったのですが、非常に気色悪いもんになってしまいました。「妙」と「めぐみ」でオカシクなったんだろうな~(滝汗)。ひたすらゴメンナサイです。

あゆみさん、今までやったバトンの中で一番難しかったです。でも大好きな冬造さんが出せて嬉しかったです。ありがとうございました。m(_ _)m
それからこんなところでナンですが、サイト3周年おめでとうございます♪ これからもますます私達BJファンを楽しませてくださいましね! 陰ながら応援しております。

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刑罰と感情と

(昨日のつづき)

今回の裁判の過程で、被害者の夫がずっと主張してきたのは「犯人に極刑を」ということだった。犯人が18歳未満だったならば彼は一審の判決(極刑の無期懲役)で満足していたはず。しかし18歳1ヶ月だったのだから死刑を、ということだ。これが遺族である彼の正直な感情だったのだろう。

司法において、どんな量刑が妥当かという判断は、過去の判例と照らし合わせることによってなされているのだと思う。決してケースバイケースが基本ではないはずで、そんなことになったら公正であるべき司法の意味がなくなる。最高裁が量刑不当を理由に無期懲役の二審判決を破棄したのは、この光市の事件で3件目だ。連続4人射殺事件の永山則夫・元死刑囚=平成9年執行=(犯行当時は19歳)と、仮出所中に再び強盗殺人事件を起こした西山省三死刑囚には、ともに差し戻し審で死刑が宣告されている。この2件にも匹敵するほどの重罪だと司法も認めたわけだ。一審で「18歳になってまだ1ヶ月なのだから……」などという感情を交えていなかったら、この裁判もこんなに長引くことはなかったのではなかろうか。

しかしここで不思議なのは、客観的に見て二審後に何ら新しい証拠等が見つかっていないのに、判決が無期懲役から死刑に変わったことだ。その間のことでわれわれがマスコミを通じて知っているのは、被害者の夫の変わらぬ主張と、弁護団の拙い弁護活動及びそれに対する国民の怒り、そして「犯人許すまじ」という世論の高まりだ。しかしマスコミがこの事件に注目せず意図的な過熱報道もしなかったなら、果たしてこういう結果になっていたかどうか。それを思うと、世論の高まりに却って慄然とするとともに、この裁判が非常に劇場的な経過を辿った特殊な例に思われてならない。

法律には感情を差し挟む余地がない。しかしその運用には感情が入り込む。人が人を裁くことの難しさはまさにこの点だろうと思う。来年の5月までには日本で「裁判員制度」が始まる。アメリカの「陪審員制度」では、有罪、無罪の Verdict(評決)は下すが、死刑とか無期懲役などの Sentence(量刑:判決)は裁判官が下す。日本の「裁判員制度」では、Verdict も Sentence も下すことになる。これは過去の判例等の知識がない一般市民には難しいのではないか。判例主義(という言葉があるかどうかは知らないが)よりもケースバイケースで判決を下す傾向が強くなるのではないのか。それで良いのかどうか、これも私には判らない。

しかしまぁもともと裁判などというものは、争っている両者にどこで妥協点を見出させるかという場なのかもしれない。当事者同士では埒が明かないから、権限を持った冷静な第三者(司法)に裁定を委ねる。過去の判例や罰の軽重などに関係なくケースバイケースで両者が納得できる結果が出れば、それでよいのかもしれない(でもそういう状態になったら「法治国家」とは言えなくなるかもしれないが)。

そして刑罰(特に死刑)とは、被害者やその遺族に代わって国家が加害者に復讐することなのだろう。被害者側に罪を犯させないため、被害者側に罪の意識を持たせないための法治国家のシステムだ。刑罰……しかしそこでまた問題になるのが「感情」というものだ。事件が司法の手に委ねられたときから被害者側は自らの手による復讐(私刑)は諦めねばならない。最高裁まで争った結果、求めていた量刑よりも軽い判決が下りてももはや文句は言えない。

さてそこで、最後に死刑制度について思うところを書いてみる。死刑を求めた裁判でそれが認められ、たとえ刑が執行されたとしても、もしも加害者が一片の反省の心も持ち合わせていなかったとしたらそれは復讐にはならないのではないかと私は思う。以前の宅間守死刑囚がそうだったし、今回の事件の加害者も反省しているのかどうか非常に疑わしい。被害者側が本当に欲しいのは、加害者の心からの後悔と反省なのではないのだろうか。亡くなった被害者が二度と生き返らない以上、遺族が望むのは、せめて罪の重さを認識せよということなのではないのだろうか。そういう被害者感情というものが、死刑によって少しでも慰められることがあるのだろうかと、私はいつも疑問に思う。

そういうわけで私は死刑廃止論者の部類である。こう言うと「あなたの家族が誰かに理不尽に殺されても同じことが言えるのか」と反論を食らうことは必定だ。たぶん私ならこう答える。「犯人が心底後悔して罪を償おうとしているのなら、許しましょう。逆に、反省も後悔もしていないのならば、国家の法に従って死刑になったところで嬉しくもなんともない。刑の執行は却って犯人から反省や後悔をする機会を永遠に奪ってしまうことになるのではないでしょうか」。

死刑囚をはじめとする服役囚たちがどんな毎日を送っているのか、私は知らない。毎月1回1時間ほど教誨師と話ができるということも聞いたことがあるが定かではない。自分の犯した罪を後悔し、悔い改められるような機会、教育、またそういうことができる人の派遣が必要だと私は思う。凶悪犯の存在を否定しすぐに死刑、というのではなく、再犯防止、社会更生のためにも、そっちの方面に力を入れるべきだと思うのである。

あ~~、やっぱり上手くまとまらない! 自分でもわけがわからない文章だが、とりあえずこの話題はここまで。(ちかれたび……)

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バトンに四苦八苦

Aさんよりバトンを頂戴しておりますが……。
えええええ? BJ先生をペットに、ですとな?
あの最強強面の天下無敵の天才外科医をペットに、ですかあ!?
う~~む。(頭抱え)
あの「ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)」のBJ先生ならどうにかなるかもしれませんが……。
すすす、すみません。明日考えさせていただきます。m(_ _)m

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判決と感情と

判決というのはある意味無機質なものだと思っていた。世論だとか、事件の大小だとか、マスコミでの取り上げられ方だとか、遺族の執念だとか、そんなもので判決が左右されてはならないと、そんなふうに思っていた。しかしきょう死刑判決が下された「山口母子殺害事件」の裁判は最初から感情に左右されたものだったという印象を受ける。

一審二審での無期懲役の判決からしてそうだった。被告が犯行当時18歳1ヶ月だったことから、少年法の適用に準じた扱いをされたようだ。これがまずおかしかった。「少年」というものが18歳に満たない者と法律に定められているのなら、たとえ18歳と1日であろうとそれは「少年」ではないはずだ。最高裁は18年6月「18歳になって間もなかったことは、死刑を回避すべき決定的な事情とまではいえない」と判示したが、これが当然の判断だと思う。

そして差し戻し控訴審。被告は、殺意はなかったと、それまでの供述を翻した。妙な言を弄し、そしてそれは弁護側の(あまり誉められたものではない)策であると捉えられたから、マスコミを通じて国民の怒りを買ったことは記憶に新しい。きょうの判決ではこの供述を翻したことが裏目に出た観がある。「死刑を回避する事情を見いだすすべもなくなった」という裁判長の言葉がそれを物語っている。「すべもなくなった」……この言葉は、被告が本当に後悔し反省しているのならそれまでの供述を翻すはずがなく、まだ酌量の余地があったのに、という思いから出た言葉であろう。「元少年は犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑を免れようと懸命になっているだけだ。反省心を欠いており、極刑はやむを得ない」と断罪している。

しかしこれだけマスコミに取り上げられた事件もそうそうないように思う。誰もが裁判の行方に注目し、被害者の遺族に同情するなどして感情的になった。きょうの判決に対しても、世論の感情に配慮した結果であるという見方があった。

それで良いのかどうか……。私にはわからない。

(う~ん、何が言いたいのか本論まで行き着かないうちに0時を過ぎてしまったので、とりあえずきょうはここまで。)

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人間の罪深さ

月曜日は『BJ』語り。きょうは「ディンゴ」について。

オーストラリアの大平原。300㎞以上もガソリンスタンドがない一筋の道を、車で患者の元に向かうBJ。ガソリンはもはや残り少ない。やっと辿り着いた家では、患者が身体に赤い斑点を浮き上がらせて既に死亡していた。彼だけではなく一家全滅。伝染病かと訝しむBJ。そこへ自家用機が飛んでくる。しめた!と思ったのも束の間、自家用機は倉庫に激突。死亡した操縦士にも赤い斑点が浮き出ている。そして次の瞬間、倉庫の中にあったガソリンに引火して大爆発が!
頼みの綱のガソリンも手に入れられず、町に引き返すBJの車がついにエンコ。町までは200㎞。見渡す限りの灼熱の荒野をBJは歩き始める。ここからBJの独り語り+診察日記ふう。

名も知らぬ惑星の上に独り
ただ果てしなくあゆみつ…
道ばたのキャベツ畑に飢えをいやし…… 
夜半の風にまどろみをおかされ
さらに憩うすべなし

×月×日
突然発熱 同時に右下腹部に激痛あり
……

ほとんど歩けない状態に陥り、さらにその3日後にBJの身体にもあの赤い斑点が現れる。激痛をおして検査した結果、エヒノコックスによるものと判明。荒野のまっただ中に無菌室を作り鏡を据え付けて自分で開腹手術(BJシリーズ3回目のセルフオペ)。巨大に変異したエヒノコックスを取り出して、ほっと安心したのも束の間、血の匂いを嗅ぎつけてディンゴが襲ってくる。あわや危機一髪のところで、通りかかった猟師に救われる……という、なんともはや凄まじい話である。

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●【エキノコックス(エヒノコックス)】(Echinococcus)

・「エキノコックス症は虫卵を経口摂取することでのみ感染する。」「ヒトが虫卵を口から摂取すると幼虫が虫卵から出て腸壁に侵入し、血流あるいはリンパ流に乗って身体各所に運ばれて定着・増殖する。」
        --「IDWR: 感染症の話 エキノコッカス症」より抜粋

・「エキノコックスは条虫の一種で、ヒポクラテスの時代から人体に寄生する例が知られていた。」「ヒトに取り込まれたエキノコックスの卵は、ノネズミの場合と同様、肝臓に病変をおこし、ここでエキノコックスは、まるで癌細胞のように増殖する。病巣はゆっくり広がり、肝臓が働けなくなる限界まで自覚症状を示さないのが特徴で、ふつう10年から15年はかかる。」
        --『笑うカイチュウ』(藤田紘一郎著)より抜粋--
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「ディンゴ」では、農薬によって突然変異したエヒノコックスがディンゴによって媒介されて、人間を死に至らしめていたのだった。普通なら肝臓がやられるまで10年以上も無症状らしいのだが、この話では強い毒素を出すように凶暴に変異したと設定されている。また普通のエヒノコックスは成虫の体長が5mm前後らしいが、原作の絵では2㎝もありそうに描かれている。これがBJの腸を食い破ろうとしていたのだから、そりゃあ痛いはずだ。

BJが感染したのはいつかと考えると、感染経路は経口のみなのだから患者の家で感染したとは考えられない。車を捨てて歩き始め、池だか用水路だかから生水を飲んだとき、あるいはキャベツ畑のキャベツを食べたときと考えられる。そのときはまだ卵だ。それが数日であそこまで大きくなるとは、これも突然変異のせいか。

ところで、この話で手塚治虫が描きたかったことは人間のエゴの罪深さであろう。そもそもオーストラリア大陸は「カンガルーとヒクイ鳥とカモノハシの天国だった」。そこに白人が連れ込んだ犬が瞬く間に増え、野生化し、大陸の動物達を噛み殺していった。それがディンゴである。そして今度はそのディンゴがエヒノコックスを媒介し、人間を死なせている。ラストページで「つまり人間は……身から出たサビというわけです」とオーストラリアのテレビ・ラジオが伝えていて、いちおう過去の人間の所業(犬を持ち込んだこと)を反省しているように見えるのだが、これをディンゴの所為にしてしまってそこで思考をストップさせているところが、これまた人間のエゴであり狡さである。

エヒノコックスが突然変異したのはディンゴの所為ではなく、人間が大量に空から散布した農薬の所為なのだ。もしもディンゴを完全に駆逐したとしても、また別の動物が媒介するかもしれない。そしてそのときには更に凶悪に突然変異するかもしれない。農薬散布をやめない限りこの問題は解決しないのに、人間の秤は生態系の保全より農作物の生産性向上の方に傾く。そしてまた新たな病気を作り出すのだろう。

この話が描かれたのは1976年。これに先立つこと10数年、1962年にはレイチェル・カーソンがDDT等の農薬が生態系に及ぼす影響を『沈黙の春』に書いている。農薬の影響で鳥の鳴き声がしなくなった春だから“Silent Spring”という。環境問題はもう半世紀近くも論じられているのに、人間はそれをやめることができない。残留農薬の安全基準値などというものは人間の「食の安全」に関してのみ有効な数値であって、他の生物(たとえば鳥や虫やエヒノコックス、または植物自体)に対する影響など一顧だにされていないではないか。これをエゴと言わずして何と言う。

ラストのコマ、傷も癒えて車で帰ろうとしているBJが、相変わらず農薬の空中散布をしている様子を見つめて言う言葉は重い。「人間はバカだ……それに気づいてもまだやってる」。これはBJの名言中の名言だと私は思う。

ところでところで……、先日から某様とメールをやりとりさせていただいて、以前にアニサキスを飲み込んでえらい目に遭われたというお話を伺った。3匹ばかり誤って摂取されたようだが、それが胃壁に喰いついたときの痛みは寝ていてもグキッと身体が浮き上がるほどだとか。アニメ「荒野の伝染病」でのBJ先生の痛がりように「あんなもんじゃない!」と。脱水症よりも出産よりも痛かったというお言葉に、想像しただけでこちらまで脂汗が出た。

「虫がいる場所は判るもんですか?」という問いには、「場所ははっきりわかりますよ。噛まれた瞬間、そこがぎりっとするのですから」とのこと。「ディンゴ」において、局所麻酔で開腹手術を始めたBJ先生が「ウッ」(ギクッ)となっているのは、あの瞬間噛まれたということだったのか。なるほど、そのすぐ後のコマで「腹膜の下か……」と当たりを付けている。

「BJ先生は1匹取り出して安心しているようですが大丈夫ですかね? 手術前の排泄物の検査で既に1匹見つかっているようですが」という問いには、自分もそれが引っかかったと。「好意的に解釈すれば、BJが痛む場所が1箇所だけなら1匹だけだったかも・・・」とされた上で、「もしかして病院に移った後で後何箇所か開腹していたかもしれないですね。」という納得できるお答えをいただいた。

某様、経験者ならではの貴重なお話を聞かせてくださり、とても参考になりました。本当にありがとうございます。m(_ _)m

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「妙な取り合わせだな…」と夫が言った。

兄からタケノコをもらった。ところが、「きょう採れたやつだから、今から持って行く」と電話があったのが夜の7時過ぎ。きょうはカレーライスの予定で、もう煮込んである。ご飯ももう炊けている。もらったは良いが(日高昆布と物々交換・笑)、糠もタカの爪もない。せめてもうちょっと連絡が早ければ、米の研ぎ汁を取っておいたものを。

それでもせっかく新鮮なタケノコなのだから今すぐ頂かねば勿体無い。いちかばちかで重曹で湯がいてみた。結果は……OK。ほんの少しエグ味が残ったが、夫は気付かなかった(ラッキー!)。時間がなかったので、今夜はそのまま刺し身で頂いた。夫は鰹節と醤油、私は酢味噌で。春の味を満喫できた。でもメインはカレーライス……。

【メモ】
タケノコのアクは、シュウ酸とホモゲンチジン酸(ホモの現地人だって?)。シュウ酸が重曹で抜けるのは知っていたから、ほんの少し残ったエグ味はホモゲンチジン酸だったのかしらん? 
エグ味が残ったのは湯がく時間が短かったせいか、そのまま冷ますことをせずに水洗いしたせいか。はたまた、皮を剥いて湯がいたせいか。
でもまあ重曹でできることがわかったのは収穫だった。昔からあの米糠で茹でる匂いはどうも苦手で……。

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(備忘録080419)

いろいろとくたびれた上に調べ物があったりして、今夜はエントリする余裕がありません。
頂いたメールの返信もできずにおりますが、明日には必ず! 申し訳ありません。

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Free Tibet

チベット仏教と聞いて、私がまず最初に思い浮かべるのは「五体投地礼」である。頭、口元、胸の順に合掌してから全身を地面に投げ出す。これを数百㎞も延々と繰り返しながらポタラ宮までやってくるチベットの信者たち。1日に2千回の五体投地礼をして5㎞しか進めないと聞く。傍から見ればまるで尺取虫のような歩みだが、彼らにとってはその一歩一歩が仏に近づく功徳なのだろう。

そんな彼らの横を青海チベット鉄道の列車が通り過ぎていくという、私にとってはかなりショッキングな映像を、以前NHKの番組で観たことがある。2006年に全線開通したこの鉄道は「北京西~西安~ラサ」を48時間で結ぶ。チベットの観光産業は飛躍的に発展するだろうが、同時に中国からの物資も大量に入ってくるだろう。事実、番組で見た限りでは、ビジネスチャンスを掴もうとする多くの中国商人が乗っていた。また、そこに観光列車でなく軍用列車を走らせれば、軍事物資や人員を大量に送ることができるのだ。

現在、中国は憲法で信仰の自由を認めている。文化大革命の反省であるともいう。しかしその「自由」とは、「信者たちは定められた集会所で、当局が認定した宗教人員により、指定された範囲内の宗教活動をさせる」という「三定政策」によって規制されたものだ。事実、ラサ市内の指定場所以外で五体投地礼をして即逮捕された人もあるという。そんな不自由なことを「自由」とは言わない。

長年そういう状況の中で生活してきた現代中国の人達は、そもそも宗教というものがどういうものなのか判っていないのかもしれないと思ったりする。ダライ・ラマを観世音菩薩の化身と捉えることなどは彼らの想像を超えたもので、反政府勢力の筆頭としか見ることができないのかもしれない。それにはやはり中国が辿ってきた歴史と、そして多分に現中国政府の作為が感じられるのだが。幸せの形を共産主義に求めた国なのだから、そこに宗教は必要ないのかもしれない。しかし元々その地に根付いた宗教や信仰を無理矢理変えさせることはあまりに乱暴だし、国際世論の賛同も得られないだろう。

きょう、長野での聖火リレーにおいて善光寺がスタート地点となることを辞退した。「われわれはチベット人と同じ仏教徒との気持ちが強かった」と話す住職を心強く思う。

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(備忘録080417)

ちょいと頭痛がするので、きょうはお休みします。m(_ _)m

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スイーツ

夕方バス停に立っていたら、後ろを通りかかったカップルの会話が聞こえた。「スイーツ食べに行こう」。う~~~~! 悪寒! 何故ならそう言ったのが会社員山田太郎(仮名・20代後半)のほうだったから。

以前に超有名ブログで「男が『スイーツ』なんて言うのはキモい」という文章を読んだことがあった。私はきょう初めて男性が実際にそう言うのを聞いたのだが、ウン、確かにとても気持ち悪いものだった。鳥肌が立った。

スイーツ、すなわち甘いもの。主に洋風のケーキの類を言うようだが(団子だのぜんざいだのをスイーツとは言わないだろう)、ここ1~2年で急速に広まった言葉だ。

そのブログの中できっこさんは(あ、言っちまった)「『男のクセに甘いものが好きだってことは、ものすごく恥かしいことなんだって自覚しろ!』ってことなのだ」とまで糾弾していたが、その感覚も判らないではない。私も5%くらいはそう思う。しかし残りの95%はもっと別の理由だ。き○こさん風に言えば「男のクセに軽々しく世間の風潮に乗るのは、ものすごく恥ずかしいことなんだって自覚しろ!」ってことなのだ。いや、ちょっと違うか……。

男性が甘いものを好きなのは許せる。あるいは、もしかしたら本当は嫌いなのに、新入社員鈴木花子(仮名・20代前半)に優しいところを見せたいのかもしれない。ならばその涙ぐましい努力も認めよう。でも「スイーツ」はいけない、山田よ! 私が花子ならゾッとする。せめて「何か甘いものでも食べに行こう」と言わなくてはいけない。

「ケーキ」を「スイーツ」と言うこと、それ自体は別にたいした問題ではない。問題なのは、そう言い換えて恥じない鈍感さなのだ。言葉遣いというのはその人の性格や思想を如実に映し出すものだと思う。それまで何十年「ケーキ」と言っていたものを「スイーツ」と言い換えたとき、たぶん彼の中では何かが大転換しているはずだ。ところがそれに気付いていない、またはそのことにたいして重要性を感じていないからこそ、簡単に流行の言葉に乗り換えられるのだと思う。その鈍感さが気持ち悪いのだ。

「スイーツ」の一言で男を下げたというか、頭の中が全部見えたような気がした山田太郎クン。私が花子なら今後お付き合いするかどうかを考えるところだが、さてあの二人はどうなったのかな~?

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(備忘録080415)

ベストセラーだった当時は読まなかった『バカの壁』(養老孟司著)を今ごろ読んでいる。あんまりベストセラーとか「○○賞受賞作品」とかいう本には食指が動かないという天邪鬼な性格なもので。しかし養老氏は嫌いではないし、もうほとぼりも冷めた頃なのでこの間 B○○K ○FF で買ってきた。内容は養老氏の他の著作と被るところもあるが、面白い。後半ちょっと焦点がぼやけてきた印象があるが、さてどうなるか。あと少しなので、読み終えてしまいたい。

同時進行で読んでいるのは『新・夢十夜』(芦原すなお著)と『笑うカイチュウ』(藤田紘一郎著)(←これは再読)。

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荒野の黒ちゃん

Photo 某様に無理矢理押しつけたイラストの左半分。某様、ご受納感謝です~。

元になっている話は「ディンゴ」のつもりです。つもりです。2度言ってみました。
オーストラリアの荒野をひたすら歩く羽目になったBJ先生(原作では、この後の悲劇を予感していたかのように大きな鞄を持っておられますが、ついいつもの診療鞄を持たせてしまいました。あ痛~……)。BJ先生この時点でもういい加減くたびれておられますが、この後、腹痛起こしーの、荒野のど真ん中で自腹かっさばきーの、ディンゴに襲われーのと、次々にとんでもない目に遭われます。おかわいそうに…… (T-T)

で、きょうの『BJ』語りは「ディンゴ」……にしようと思っていたのですが、ちと多忙につき、本日はお休みいたします。また来週。

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天下

きょうは夫と一緒にホームの母の様子を見に行った。2週間ほど前から精神安定剤を処方されていて、通常の半量なのだがそれでも眠くなるらしく、行ったときには昼寝をしていた。今寝ると夜が眠れなくなるからと、起こす。

先日持って行っておいた「お手玉」などする。母は2個ならいくらでも出来るが3個のやり方が判らなくなったらしく、一生懸命思い出そうとしていた。私は2個でも出来ない。母が子どもの頃は学校へ持って行って休み時間などにやったのだそうだ。他にどんな遊びをしていたのかと訊ねたが、あんまり覚えがないらしい。

私達が子どもの頃はお手玉なんかしなかった。何をして遊んでいたのかというと……。「『天下』って、やらなかった?」と夫に訊いたら「やった!」と言う。軟式テニスボール(無いときにはどんなボールでも)を使う遊びだ。屋根にボールを投げ上げ、落ちてくるのを指名された人がキャッチ。キャッチできなかったら誰かに当てる……んだったかな? さんざんやったはずなのに、二人ともルールを忘れている。_| ̄|○ 

ルールは忘れているが、他所の家に入ってしまったボールを取りに行って怒られた経験は二人とも忘れていなかった(笑)。ちなみに、夫と私は子どもの頃家は近かったのだが、7歳離れているので一緒に遊んだことはたぶんない。それでも「天下」をやってどこかのおじさんに怒られたという共通の思い出があることに笑った。

「樋にもよく入るんだ」と言われて、そうだったと思い出す。また、↑の「他所の家に入る」というのは、ボールが屋根を越えてしまったときだ。「天下」に適した屋根というのはそうそうあるものではないから、いろんな障害物に阻まれ、ときには遊ぶ時間よりボールを探している時間のほうが長かったりしたこともあった。投げて走って避けて投げて走ってボールが行方不明になって探して怒られて投げて走って笑って……。毎日毎日飽きもせずに何時間でも遊んでいたものだと、夫と話す。遊び疲れて家に帰ると晩御飯ができていて……。

ふと見ると、途中まで楽しそうに話を聞いていた母がまたコックリコックリしていたので、毛布を掛けてそっと帰った。

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農薬入り餃子捜査終了

新聞で読んで、朝っぱらから激怒した。結局、何ひとつ判明しなかった。袋が農薬を通すかどうかの実験さえ、日中で結果が違うとはどういうことだ? ほんで、結果が違うまんまかい? ずいぶんナメられたものだ。胡錦濤の来日前にゴタゴタするのがそんなに嫌なのか? それが政治的決着というやつか。中国側はおそらく全部事実を知っている、と思う。日本政府はそれを明らかにさせる力がない。餃子を食べて重体になった女の子に対して、恥ずかしいと思う政治家はいないのか!

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アクセス解析

ココログがこのところずっとアクセス解析不調のようです。何日か前には数時間分のデータが丸々飛んだようですが、拙ブログについてはたいした影響はありません(おほほほほ)。件数に関しても、去年は何故だか(こちらのブラウザが悪かったのか?)数ヶ月間カウンタがほとんど動きませんでしたし、基本の仕様で携帯からのアクセスはカウントされませんし。几帳面に管理なさっているブロガーさんには大問題かもしれませんが、ズボラな私にとっては「そんなのカンケーねぇ」です(おほほほほ)。

それでもたまにアクセス解析の生ログというやつを見ることがあります。よく見かけるのは「BJ 如月」という検索語です。いっぱいヒットするだろうと思うのですが、こんなブログまで覗きに来てくださる方があるのが嬉しい限りです。はい、私の一押しカップルです! これからもよろしく。

また、たまにおもしろい検索語で拙ブログがヒットすることがあるようでして……。

「人妻 股 瘤 快感」で検索されたあなた。「ブラック・ジャック(カテゴリ)」に飛んでこられたようですが、ご期待に沿える内容でしたでしょうか。……というか、どういうご期待かよくわからんのですが。鼠頸リンパ節でも腫れているのでしたらお早めに受診なさってください。お大事に。

「社会保険庁 いっそ爆破」。こんな検索語でヒットするような過激な記事を書いたかと、一瞬血の気が引きました。調べてみたら「社会保険庁」「いっそ」「爆破」を3つの記事にバラバラに使っていただけだったので、ほっと胸を撫で下ろしましたが……。どうか考え直してくださいね。今あそこを爆破したら、ますます年金の照合作業が遅れますし、建物を修理するのにまた国民の税金がムダに使われるだけですから。

あと、リモートホストのドメイン名を見てビビることもあります。

「shugiin.go.jp」!……お~い、平日昼間、しかも国会の会期中だよ~。こんなところ覗いてる場合じゃないよ~。日本を頼むよ~。

それから、たまにある「ac.jp」にも冷や汗が出ます。大学関係者の皆さん、どうか研究と勉学に勤しんでください。ここには学術的に役に立つことは一切書いてありませんから。

また、詳しくは忘れましたが「こ、こ、こ、これはもしかして手塚プロ!?」と思われるアドレスを見つけたこともありました。「すみませんごめんなさい! m(_ _)m」と放埓発言を先に謝っておきます。転ばぬ先の杖です(←使い方が微妙に間違っている気がします)。でも『BJ』に対する愛だけは込めて書いているつもりですので、なにとぞお許しくださいませ。m(_ _)m

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(備忘録080410)

きょうは一日完全休養日に当てて、一歩も外へ出かけませんでした。こんなこと何ヶ月ぶりだろう。

ネットを漁っていて、大塚明夫さんの音楽CDを発見。早速聴いてみましたが、上手いです! 正直びっくりしました。声優さんの手慰みとあなどってましたが(スミマセン)、歌手としてもOKです。10数年前にリリースされたもので、曲調は当時としてもちょっと古い感じがしましたが、歌声は良いです。低音部はセガールの声、中間部はBJ先生の声、高音部は……これがびっくりすることに桑田佳祐や世良公則を彷彿とさせるハスキーヴォイスでした。アップテンポな曲が多かったのですが、ブルースなんか歌ったらサッチモみたいに聞こえるかもしれません。

♪愛という名前のナイフ~……というフレーズが耳について離れなくなりました。状況は全然違いますが、黒男とめぐみさん(もしくはこのみさん)を思い浮かべてしまいました。てへへへへ。

あと、『羞恥心』のCDを買おうかやめようか考え中(爆)。

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聖なる火

アテネでの波乱含みの採火式に始まって、今やどんな騒動が起こるか注目の的となっている聖火リレー。パリでは3回も消火されたと聞いたが、再点火された火は間違いなくアテネで採られた火だったのだろうな?

比叡山延暦寺根本中堂の「不滅の法灯」を思い出した。最澄が本尊の前に灯した灯火が、その後1200年間灯り続けているという。もっとも、正確には、1571年に織田信長が焼き討ちをかけたために一度失われているのだが、山形県の立石寺に分灯されていたものを移して現在に至っているのだそうだ。

さらに、今でも広島ほか各地に灯り続ける「原爆の火」を思う。ひとりの兵隊さんが原爆のために廃墟と化した広島に燻っていた火を、持っていたカイロに移した。1945年のその日以来、その火は消えることがない。毎年8月6日、平和公園横の川に流される灯籠に灯される火は、この「原爆の火」なのだそうだ。

連綿と受け継がれる「火」。その火は、1200余年前に最澄が見た火であり、60余年前に広島を滅ぼした火だ。物理的にはただの火だが、それは三次元の存在ではなく、時間を加えた四次元の存在であるような気がする。いや、人々の祈りという要素を加えれば五次元か。

オリンピックの聖火自体には何の罪もない。しかし、さて……。この騒動を、オリンポスの神々はどのようにご覧になっているのであろうか。

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粋でイナセな盗っ人たち

『天切り松闇がたり 第4巻 昭和侠盗伝』(浅田次郎著)読了。一度読んだら癖になるこのシリーズ。大江戸以来の夜盗の華「天切り」の芸を受け継ぐ松蔵の闇がたりも、とうとう時代が昭和に入った。満州だ支那だと国を挙げての泥棒稼業が横行するきな臭いご時世を、目細の安一家が駆け抜ける。

簡単にこの一家の面々を紹介すると、まずは「目細の安」こと安吉親分。仕立て屋銀次の実質的な後継者で、財布の中身だけを抜き取る中抜きの名人だ。彼の手下には、説教強盗の「寅弥」、天切り強盗の「黄不動の栄治」、百面相の詐欺師「書生常」、美人掏摸の「おこん」という錚々たるメンバーがいる。そして九つの歳からこの一家に身を置いて栄治兄ィから天切りの芸を受け継いだ我らが「天切り松」。

松は平成の時代まで生き残り、今では留置場や警察にふらりと現れて、六尺四方にしか届かぬという盗ッ人の声音“闇がたり”で一家の活躍を語ってみせる。彼が話し始めると、留置人だけでなく看守から署長まで人々が黒山のように集ってきて聞き入るのだ。

このシリーズの魅力は、なんといっても、一家の面々の粋でイナセな生き様にある。メンバーそれぞれに得意分野があり性格も違うのだが、その美学は共通している。盗みはすれども非道はしない。決して弱い者からは盗まない。盗られても困らないようなところからだけ頂戴する。おてんとうさまに顔向けのできないような仕事はしない。松の語りを聴いていると、月光に濡れ濡れと光る甍の上に全身黒装束に頬被りでスックと立つ、大江戸以来の盗っ人のイメージがわき上がる。まるで一幕の芝居を観ているようだ。

「粋でイナセ」とはどういうことか。この本の解説を書いていて、小劇場でこの物語を朗読しているすまけいさんがこう書いている。「『やせ我慢』こそが、かつて日本人の気質の美しさや上品さを支えていたと思う」。そうなのだ。彼らは一様にストイックなのだ。自分の欲望のままに行動するのではなく、自分である一線を定めてそれを越えないように決めているフシがある。そしてその一線を決めるのに一切の妥協がない。おそらくそれが「粋でイナセ」に繋がっているのではないかと私は思う。

良いものは良い。悪いことは悪い。今の世の中ではそんな当たり前のことさえもがあやふやだ。誰もが「悪いことは悪いんだけど、そうなってしまった社会にも問題はあるし……」なんて、一見物分りのよさそうな、しかし屁のつっぱりにもならないような考え方をしている。そんな呆けた頭に、彼らのストイックな、「粋でイナセ」な生き様がなんとも眩しい。

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♪ラララ科学の子

4月7日といえば、アトムの誕生日。きょうで満5歳、おめでとう♪

スターシステムを採っている『BJ』に、アトムは5回登場している。
「二つの愛」で野次馬、「てるてる坊主」で壁の写真、「助け合い」で通行人と、台詞もない端役を演じているが、「鬼子母神の息子」の伊佐男役と「おまえが犯人だ!!」の少年役では、準主役級の役をこなしている。2編とも本物の悪漢を前にして一歩も引けをとらぬ勇気のある少年の役どころだ。こういう役はやっぱりアトムにお鉢が回ってくるのだろう。

この2編とも、実はあまり印象に残らない話だ。と言うより、両方ともちょっと展開に無理があって、そう何回も読み返そうという気にならない話なのである、私の場合。「鬼子母神の息子」では、いつまでも帰ってこない母親を伊佐男は不思議に思わないだろうか、とか、「おまえが犯人だ!!」では、もっと他にやりようがあったろうよBJ先生……などという思いが先に立つ。残念ながらストーリーの完成度という点では「低い」と言わざるを得ないような気がする。それでも「鬼子母神の息子」でBJが整形手術した後の母親の顔は、一度見たら忘れられないほどのインパクトがあった。

ところで「おまえが犯人だ!!」というタイトルは、エドガー・アラン・ポーの同名の小説から取られたものだ(と思う)。共通点は、犯人が殺したと思っていた相手が喋ったということだけだが。←この点も、小説では○○術というトリック、『BJ』では実は死んでいなかったという違いがあるけれども。後の「猫上家の人々」のトリックもポーの「黒猫」を下敷きにしていると思われるので、手塚治虫がポーを読んでいたことはほぼ間違いないと思う。

この話で着目すべき点は、アトムが嘘を吐き、それをBJにも強要するところだ(BJが裏切るけれども)。アトムは絶対に嘘を吐かないというのが原作の設定だ。なにしろスカンク草井をして「アトムは完璧ではないぜ。なぜなら悪い心を持たねえからな」と言わしめたほどの存在である。そのアトムが、なんとか兄の仇を討とうと謀を企てるのは興味深い。しかしその方法が自分を傷つける狂言であるというのが、なんとも余裕がなく後味が悪いのである。あまりに人間臭い。TVアニメで慣れ親しんだアトムとは印象が違いすぎていて、その違和感を如何ともし難い。

しかしまぁ、掲載されたのが少年誌であり、愛する者が害されたときに勇気を出さなくてどうする!というような啓蒙的な意味合いがあったとすれば、アトム以外に適材はいなかったのかもしれないとは思う。

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(備忘録)
・春の番組改編期で観るものがない今日この頃だが、来週4/14からは『水戸黄門』が復活。家康の隠し子の《忍び》という役柄でデコBJ…もとい、隆大介さんがご出演だとか。写真を見るとなんか違う人に見えるけど……。むかし観た織田信長役はめちゃくちゃカッコよかった記憶あり。いや、BJ役も実写版の中ではピカイチだったですが(←やっと観た)。あ、本名、明男さんておっしゃるのね。どうして「黒男」を演じる人は皆「明」の字の付く「アキオ」さんなのかしらね。

・『銀と赤のきおく』火の鳥・復活編?

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(備忘録080406)

さっきまでうたた寝していました。おはようございます。

いまから寝ます。おやすみなさい。

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桜餅

絶好のお花見日和。昨日今日と、お昼休みの夫と共に近くのお寺や公園へ行って、お弁当を広げた。外回りの営業はこういうとき自由が利いて良い。枝垂桜は満開、ソメイヨシノが八分咲きというところ。やっぱり日本人は桜だね。

さて、花より団子ということで、きょうは桜餅について。Wikipedia によれば2種類ある。餡をクレープ状の生地で巻いたものと、お饅頭のように餡を包んだものと。前者は関東風、後者は関西風。また、前者を長命寺餅、後者を道明寺(餅)とも言う。

ここ松江の桜餅は何故か関東風だ(そして後者を「道明寺」と呼ぶ)。ただし丸い生地を半分に折った形……ワッフルのような形をしている。なんでも松江藩の家老さんが作らせたという話を聞いたことがあるが、真偽のほどは知らない。他所ではお目にかかったことがないので、松江独特なのかもしれない。

以前は城山の石段を登ったところに茶屋があって、そこの「城山桜餅」が名物だった。今は櫓ができて茶屋はなくなってしまったが、大手門を入ったところにある「二の丸茶屋」では今でも桜餅がメニューに挙がっているようだ。

Photo

今夜のデザートは桜餅。

【追記】
Kさん、Aさんより別々のバトンを頂戴しましたが、粗忽者ゆえ落っことしてしまいました。誠に申し訳ありませんが今回はご遠慮させていただきたく。平に平にお許しを~~  m(_ _;)m
>Kさん あれほど先に読んではならぬと書かれている「結果」を先に読んでしまいました。よってお答えできなくなりました。すみませぬ~。m(_ _)m
>Aさん 勿体無きお言葉に赤面滝汗。ただいま入る穴をせっせと掘っております。

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『BJ』関連ふたつ

きょうは月曜日ではないのですが、ちょっと『BJ』関連の話を。o(^o^)o  

◎先日「おどりませんか めぐみさん」のニコニコ動画について書いたのですが、きょうは嬉しいサプライズがありました♪ 同じくこの台詞にやられた同志 romi さんから(勝手に同志呼ばわりスミマセン m(_ _)m)、感涙もののメールとイラストを頂戴したのでした~~!! ドンドンドンパフパフ♪ 

感謝感激アメアラレ。伏し拝みまする。ありがとうございます。m(T_T)m

なんとかこれを実物大に立体化(して傍に置いておくことは)できないものかと思うほど純情で可愛らしい間医局員のイラスト。嬉しさのあまり許可も得ずに(後ほどお礼とお許しを頂くメールをしたためます。順番が後先になってしまってすみません)ここに公開させていただきます。ジャ~ン!!

Usagitobj

わ~い。\(^o^)/

踊りませんか発言から数日後、日課にしているウサギのエサやりを忘れるほど、未だに動悸亢進夢見心地状態の間先生。ウサギさんは盛大にブーイング(笑)。この様子だと、めぐみさんとは無事に踊れたようですね。よかったよかった。ワルツやタンゴで華麗にめぐみさんをリード……している黒男先生なんて想像できないのでここはやっぱりオクラホマミキサーかなぁ(笑)。一生懸命手のひらの汗をズボンで拭いて意を決して「おどりませんか めぐみさん」。ガッチガチになって、でも必死に冷静さを装って仏頂面で踊ってるんだけど、頭に血が上って末端の血行が悪くなっててめぐみさんには(あら、間先生の手って冷たいのね)かなんか思われているうちにすぐに次のパートナーにチェ~ンジ。もう?(T-T)  それが何故だか女性の列に紛れ込んだ辰巳先生でさんざんからかわれたりなんかしているといいなぁと思ったりしますが、まずは医局のコンパでフォークダンスを踊る医科大学があったら教えてもらいたいものです。

……何を書いているのか、わからなくなりました。

いや、あの一世一代の台詞の後はどうなったのだろうと気になっていたのですが、romi さんのこのイラストで、間先生の幸せなその後を妄想することができました。本当に素敵なイラストをありがとうございます!! romi さん love !!! xxx

◎敬愛するTさんのサイト内ブログで「刻印」についての論考を読ませていただきました。ちょうど1年前の今頃、私もこのエピソードを考えていて、それは「間久部は嘘を吐いたか」というものだったのですが、方法としてはBJの思考を追ってみるという形でした。Tさんは、BJと間久部の友情という視点から、また私が思考不能として切り捨てた間久部の性格や心理からの考察をされていて、それが実に面白く興味深いものになっています。

Tさんも、間久部は嘘を吐いているという、私と同じ見解を持っておられますが、ラストのBJと間久部の会話から、「親友を裏切った傷を一生背負え」という、「BJに一生消えない親友殺しの刻印を押した」のだという解釈を導き出されたのには、目からウロコが落ちました。凄いです! 震えが来ました。間久部って男はとことん怖いですねぇ……。

一筋縄では上手く解釈できないこのエピソード。シリーズ中でも他とは一線を画した、他に類を見ないほどの心理戦です。どう考えても、BJと間久部の関係はただごとじゃない。手塚治虫はいったい何が描きたかったのか。考えるほどにパラドックスに陥りそうな話です。

そんな話に新しい側面から鋭く斬り込まれたTさんに敬意を表して、一言触れさせていただきました。文中、無許可で引用させていただきましたご無礼、平にご容赦くださりませ。m(_ _)m

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(備忘録080403)

当地の桜もそろそろ見頃を迎えてきました。週末にはお花見に行こうかな。

本日読書中につき、記事はお休みします。m(_ _)m

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不埒なおぼつかなさ

↑きょうのタイトルは、昨夜NHK『爆問学問』に出ていた松岡正剛が「言語」の特性を評して言った言葉だ。聞いた瞬間、呆気にとられた。「何? いま何て言った?」図らずも夫と異口同音に言ってしまい、顔を見合わせて吹き出した。嗚呼、凡人……。

まさに現代の「知の巨人」とも言うべき松岡氏がご出演ということで、昨夜はブログエントリも早々にやっつけて、真剣に、固唾を飲んで、観ていた。観ていた結果がやはり「何? いま何て言った?」…である。
む、難しすぎる。_| ̄|○

よって、番組評をすることなど及びもつかないので、私が個人的に薄らボンヤリとでも共感できたことなどをメモ的に挙げてみる。

・言語の持つ面白さ
何しろ言語は「不埒なおぼつかなさ」を持っているものであるから、物と人、人と人の間に「ズレ」を生じさせる。それこそが面白い。ちなみに、松岡氏が取り組んでいる編集工学もその「ズレ」に着目したものであるらしい。

・一方を選んでもう片方を捨てることのつまらなさ
日本(人)はそもそも「デュアル」を重んじてきたのではないか。中国から漢字は取り入れたものの読みは日本語であるとか、天皇と幕府、公家と武家とか。どちらかに偏ることなく、両極端の間を揺れ動いてきたのではないか。それがある時期(明治維新が話に挙がっていたが、おそらく戦後もそうだろうと私は思う)、一方を捨ててしまった。捨てられた方は捨てられっぱなし。それはどうなんだろう、と。

・価値観の相対性の多様化
価値観を転倒させるようなモデルケースがあっても良いんじゃないか、と。

……これだけしか覚えていない。_| ̄|○ああもうだめだ。

いやでもしかし、番組自体はとても面白かったのだ。例によって太田光の自分語りが多すぎるきらいはあったものの、どんな話題でも相手に合わせた話ができる松岡氏の頭のキレに感心し通しだった。

松岡氏によれば、哲学、芸術、科学その他もろもろの学問というものは、20世紀までにほぼ出尽くしたのではないかということだった。自分はそれを「編集」し直して、いろいろな角度から見ようとしているのだと。例えば、画家のダリとロックギタリストのジミ・ヘンドリクス。ダリが溶けた時計を描き、ジミヘンがギターを燃やしたことに共通点はないか、等々。縦割りではなく、横の広がりで見るほうが面白いではないか、と。

私事で恐縮だが、私は以前図書館員だった。最初の数年間は図書を分類する仕事をしていた。あらゆる分野の本が入ってくるのを『日本十進分類法』によって、10分類、100分類、1000分類……と細かく分類して、分類記号を付けていく。幾何学なら幾何学、ロシア文学ならロシア文学と、同じ分野の図書が固まっていたほうが利用しやすいわけで、この分類記号がそのまま図書の排架順になる。この分類の仕事をしながらいつも思っていた。これはあくまでも図書の排架順を決める作業であって、本当の「知」の体系というのはきっとこれとは別のものなのだろうなぁ、と。

図書の分類作業はまさに絵に描いたように「知」を縦割りにしたものである。1冊の図書を複数個所に排架することが物理的に不可能な以上、座標軸のどこかの一点を割り当てるしかないのであるが、松岡氏の言う「知」の横の広がり、あるいは「ズレ」を見るというのは非常に魅力的だと思った(図書の分類作業には非常に不向きであろうが)。

……ふと興味が湧いて、松岡氏ご自身の著書が図書館ではどこに分類されているかを「NACSIS Webcat」で調べてみた。わはは♪ 『遊学の話 : すでに書きこみがある』なんて「041」だ。「04」から始まる分類記号なんてよっぽどだ。どこにも分類できない図書に付ける記号だ。もうどうしようもなくて破れかぶれで出す最終兵器と言っても良い。図書館員泣かせだなぁ(笑)。

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嘘を吐く

ニコニコ動画のコメントが左から右に流れている……。4月1日か……_| ̄|○

きょうは2つばかり小さな嘘を吐いた。あんまりくだらないので公表は避ける。

日常的に、母に対して大きな嘘を1つ吐き続けている。「父は今入院している」という嘘だ。昨年10月に父が亡くなったときから、母はその事実を覚えることができなかった。お通夜もお葬式も誰のものかわかっていなかった。それから毎晩、私の家に「お父ちゃんが帰ってこないが、そっちにいるか」という電話を掛けてくるようになった。いくら説明してもその場限りだし、その度に「お父ちゃんは死んでしまいなったか……」と悲しむ母の様子に耐え切れず、ベルを鳴らないようにし、留守電機能に任せて、一切出ないことにした。毎晩毎晩20件もの母からのメッセージを消去し続けた。

ケアマネージャーさんの提案で、「父は今入院している」ということにしましょうということになった。それが良いことなのかどうかは誰にもわからなかったが、父はいつか退院して帰ってくると母に思わせておいたほうが良いようにも思われて、いま母に接する人達は皆そういうことで口裏を合わせている。

2月の終わりに母はグループホームに入った。毎日午後になると落ち着かなくなり、病院に行くと言ったり家に帰ると言ったりする。病院というのは父が入院していることになっている病院のことだ。私が行くと「今から一緒にお見舞いに行こう」と言う。行かれるものなら……。私だってどんなに会いに行きたいか……。

「さっき行ってきたけど、変わりなかったよ」と明るい顔で嘘を吐く。家で父を待っていなくてはと帰宅しようとする母を、「お父ちゃんが、『このホームで待っていてくれ』って言っちょーなったよ」と押し留める。それでも落ち着かないこともあるが、「お父ちゃんが…」「お父ちゃんが…」と、なんでも父の意向ということにして宥めすかす。父と母の結びつきの強さ、母の中での父の存在の大きさを、今さらながら哀しく憐れに思う。同時に、母を必死で言いくるめているうちに、一瞬、本気で、「父は今入院している」ことを信じている自分がいることに気付く。この嘘は、吐いている本人へのダメージが大きい。

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