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人間の罪深さ

月曜日は『BJ』語り。きょうは「ディンゴ」について。

オーストラリアの大平原。300㎞以上もガソリンスタンドがない一筋の道を、車で患者の元に向かうBJ。ガソリンはもはや残り少ない。やっと辿り着いた家では、患者が身体に赤い斑点を浮き上がらせて既に死亡していた。彼だけではなく一家全滅。伝染病かと訝しむBJ。そこへ自家用機が飛んでくる。しめた!と思ったのも束の間、自家用機は倉庫に激突。死亡した操縦士にも赤い斑点が浮き出ている。そして次の瞬間、倉庫の中にあったガソリンに引火して大爆発が!
頼みの綱のガソリンも手に入れられず、町に引き返すBJの車がついにエンコ。町までは200㎞。見渡す限りの灼熱の荒野をBJは歩き始める。ここからBJの独り語り+診察日記ふう。

名も知らぬ惑星の上に独り
ただ果てしなくあゆみつ…
道ばたのキャベツ畑に飢えをいやし…… 
夜半の風にまどろみをおかされ
さらに憩うすべなし

×月×日
突然発熱 同時に右下腹部に激痛あり
……

ほとんど歩けない状態に陥り、さらにその3日後にBJの身体にもあの赤い斑点が現れる。激痛をおして検査した結果、エヒノコックスによるものと判明。荒野のまっただ中に無菌室を作り鏡を据え付けて自分で開腹手術(BJシリーズ3回目のセルフオペ)。巨大に変異したエヒノコックスを取り出して、ほっと安心したのも束の間、血の匂いを嗅ぎつけてディンゴが襲ってくる。あわや危機一髪のところで、通りかかった猟師に救われる……という、なんともはや凄まじい話である。

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●【エキノコックス(エヒノコックス)】(Echinococcus)

・「エキノコックス症は虫卵を経口摂取することでのみ感染する。」「ヒトが虫卵を口から摂取すると幼虫が虫卵から出て腸壁に侵入し、血流あるいはリンパ流に乗って身体各所に運ばれて定着・増殖する。」
        --「IDWR: 感染症の話 エキノコッカス症」より抜粋

・「エキノコックスは条虫の一種で、ヒポクラテスの時代から人体に寄生する例が知られていた。」「ヒトに取り込まれたエキノコックスの卵は、ノネズミの場合と同様、肝臓に病変をおこし、ここでエキノコックスは、まるで癌細胞のように増殖する。病巣はゆっくり広がり、肝臓が働けなくなる限界まで自覚症状を示さないのが特徴で、ふつう10年から15年はかかる。」
        --『笑うカイチュウ』(藤田紘一郎著)より抜粋--
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「ディンゴ」では、農薬によって突然変異したエヒノコックスがディンゴによって媒介されて、人間を死に至らしめていたのだった。普通なら肝臓がやられるまで10年以上も無症状らしいのだが、この話では強い毒素を出すように凶暴に変異したと設定されている。また普通のエヒノコックスは成虫の体長が5mm前後らしいが、原作の絵では2㎝もありそうに描かれている。これがBJの腸を食い破ろうとしていたのだから、そりゃあ痛いはずだ。

BJが感染したのはいつかと考えると、感染経路は経口のみなのだから患者の家で感染したとは考えられない。車を捨てて歩き始め、池だか用水路だかから生水を飲んだとき、あるいはキャベツ畑のキャベツを食べたときと考えられる。そのときはまだ卵だ。それが数日であそこまで大きくなるとは、これも突然変異のせいか。

ところで、この話で手塚治虫が描きたかったことは人間のエゴの罪深さであろう。そもそもオーストラリア大陸は「カンガルーとヒクイ鳥とカモノハシの天国だった」。そこに白人が連れ込んだ犬が瞬く間に増え、野生化し、大陸の動物達を噛み殺していった。それがディンゴである。そして今度はそのディンゴがエヒノコックスを媒介し、人間を死なせている。ラストページで「つまり人間は……身から出たサビというわけです」とオーストラリアのテレビ・ラジオが伝えていて、いちおう過去の人間の所業(犬を持ち込んだこと)を反省しているように見えるのだが、これをディンゴの所為にしてしまってそこで思考をストップさせているところが、これまた人間のエゴであり狡さである。

エヒノコックスが突然変異したのはディンゴの所為ではなく、人間が大量に空から散布した農薬の所為なのだ。もしもディンゴを完全に駆逐したとしても、また別の動物が媒介するかもしれない。そしてそのときには更に凶悪に突然変異するかもしれない。農薬散布をやめない限りこの問題は解決しないのに、人間の秤は生態系の保全より農作物の生産性向上の方に傾く。そしてまた新たな病気を作り出すのだろう。

この話が描かれたのは1976年。これに先立つこと10数年、1962年にはレイチェル・カーソンがDDT等の農薬が生態系に及ぼす影響を『沈黙の春』に書いている。農薬の影響で鳥の鳴き声がしなくなった春だから“Silent Spring”という。環境問題はもう半世紀近くも論じられているのに、人間はそれをやめることができない。残留農薬の安全基準値などというものは人間の「食の安全」に関してのみ有効な数値であって、他の生物(たとえば鳥や虫やエヒノコックス、または植物自体)に対する影響など一顧だにされていないではないか。これをエゴと言わずして何と言う。

ラストのコマ、傷も癒えて車で帰ろうとしているBJが、相変わらず農薬の空中散布をしている様子を見つめて言う言葉は重い。「人間はバカだ……それに気づいてもまだやってる」。これはBJの名言中の名言だと私は思う。

ところでところで……、先日から某様とメールをやりとりさせていただいて、以前にアニサキスを飲み込んでえらい目に遭われたというお話を伺った。3匹ばかり誤って摂取されたようだが、それが胃壁に喰いついたときの痛みは寝ていてもグキッと身体が浮き上がるほどだとか。アニメ「荒野の伝染病」でのBJ先生の痛がりように「あんなもんじゃない!」と。脱水症よりも出産よりも痛かったというお言葉に、想像しただけでこちらまで脂汗が出た。

「虫がいる場所は判るもんですか?」という問いには、「場所ははっきりわかりますよ。噛まれた瞬間、そこがぎりっとするのですから」とのこと。「ディンゴ」において、局所麻酔で開腹手術を始めたBJ先生が「ウッ」(ギクッ)となっているのは、あの瞬間噛まれたということだったのか。なるほど、そのすぐ後のコマで「腹膜の下か……」と当たりを付けている。

「BJ先生は1匹取り出して安心しているようですが大丈夫ですかね? 手術前の排泄物の検査で既に1匹見つかっているようですが」という問いには、自分もそれが引っかかったと。「好意的に解釈すれば、BJが痛む場所が1箇所だけなら1匹だけだったかも・・・」とされた上で、「もしかして病院に移った後で後何箇所か開腹していたかもしれないですね。」という納得できるお答えをいただいた。

某様、経験者ならではの貴重なお話を聞かせてくださり、とても参考になりました。本当にありがとうございます。m(_ _)m

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コメント

こんにちは、アニサキスすら食べてしまったいやしんぼの某です^^
私は胃にいるうちに内視鏡で取ってもらえたので開腹せずにすみましたが、腸に移動していたら先生のように腹を掻っ捌かなければいけなかったのだそうで、病院の先生が「内視鏡は空きがないから3日後ね」というのに「今すぐ!」とすごんでよかったと今でも思っています。
彼らは胃の中でもとても元気で何度も人の肉を齧ってくれ、摘み取られた後もシャーレの中で元気に泳ぎ回っておりました。
先生のサイズの虫はどれだけすごい齧り方をしていたのだろうと思うと、今でも腹の辺りがむずむずいたします。
そんな情けない経験もわかば様のご高察の足しになったのでしたらこんなに嬉しいことはありません。

投稿: グリコーゲン | 2008年4月22日 (火) 20時41分

グリコさん
このたびは貴重な情報をいただき、本当にありがとうございました。また、ご承諾をいただく前にメールの内容を転載してしまい、誠に申し訳ありません。ご快諾くださり、これまた嬉しく、お礼申し上げます。

グリコさんは鮭を召し上がったとき、また私の友人は鯖からアニサキスを飲んでしまいました。どうぞ皆様もご注意なさってくださいね。

>内視鏡
空けようと思えば空けられるんじゃん、ねえ? 3日後だったら確実に開腹でしたね。ぞぞぞ……。

投稿: わかば | 2008年4月22日 (火) 23時15分

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