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ピノコの姉

月曜日は『BJ』語り。きょうはピノコの姉について。

ピノコの姉はシリーズ中「畸形嚢腫」「ピノコ生きてる」「おとずれた思い出」の3話に登場する。彼女の言動を中心とした簡単なあらすじは以下のとおり。(注:秋田文庫版を参照しています。)

・「畸形嚢腫」では、ピノコの姉はお多福の面をかぶって最後まで素顔を晒さない。彼女を連れてきたのは主治医の可仁博士で、「ある身分の高いおかた」とだけ紹介している。
 今晩手術をしないと危険というギリギリのタイミングで彼女はBJ邸に運び込まれる。病名は畸形嚢腫。それまで何度も嚢腫を切り取ろうとしたが、そのたびに医師たちがおかしくなって中止せざるを得なかったという。可仁博士は「嚢腫ののろい」と言っている。BJは嚢腫の信用を得て切り取ることに成功し、人間の姿に形作る。1年後、最後の診察に訪れた彼女と可仁博士に、BJは「同じ年の妹さんだ」と女の子を対面させる(このときまだピノコという名前は出ていない)。「私に妹なんか……」と戸惑う彼女に、女の子は「ひとごろし」「しにゾコナイ」「ろくでなし」等々悪態の限りを尽くす。対して彼女は「こんな子 私の妹じゃありません!!」「いやらしい子」と嫌悪感を示し早々に立ち去るのである。BJの脚に縋りついて泣く女の子が痛々しい。

・「ピノコ生きてる」では黒いベールで顔を隠し、やっぱり彼女の顔は見えない。可仁博士の説明は「たいへん地位の高い家柄の人」。
 このエピソードではピノコが重い白血病に罹り、ピノコの血液を交換しようとBJがピノコの姉を探し回る。しかしやっと探し出した可仁博士から、彼女は自殺したと告げられる。ピノコの死を覚悟するBJ。だが可仁博士の言葉は彼女の心中を慮った嘘だった。可仁博士は「医者としての責任で」ピノコの姉を連れてくる。「ご縁はこれきりにしてください。私には婚約者もいますし……」とはピノコに輸血をしながら彼女が言った言葉。

・「おとずれた思い出」でやっと彼女の素顔が明かされる。目がクリクリとしたとてもチャーミングな女性である。可仁博士によれば「さる高貴なご門跡の令嬢」とのこと。
 家柄と格式にとらわれた家族はゴタゴタが多く、彼女はノイローゼになって自宅の3階から投身自殺を図った。命は取りとめたが、その後行方不明に。彼女は家から大金を持ち出し、何故かBJ邸を訪れていたが、自分の名前すら思い出せない記憶喪失になっていた。BJは彼女の腹部の手術痕からピノコの姉だと気付く。ピノコには言えない。ピノコに看病させているうちにピノコと姉はお互いの関係を知らないままにとても仲良くなっていく。ピノコ曰く「まゆれピノコの姉妹みたいに思ゆの」。姉の記憶が戻ったときに起こるであろう悲劇を避けるために、BJは可仁博士に彼女を引き取りに来させる。別れを悲しむピノコだったが、可仁博士の顔を見た途端に記憶が戻った姉は「早く車を出して!! 早く!!」と……。

この3話で一貫して描かれているのは、格式や名誉や世間体を重んじる上流階級とやらのエゴイズムの醜さであろう。「おとずれた思い出」でBJが可仁博士に言った「格式だの家柄だのってやつは わたしゃァ胸がムカつくんでね!!」「そいつァ人間のいちばん愚劣な病気みたいなもんだ!」という台詞にそれが如実に表れている。

ところで「門跡」とは、文庫の側注によれば「一門(同じ宗派)の仏法の系統を伝承する(資格を持つ)寺院」のことである。余談だが、以前に私は「門跡寺院の数は限られているのだから、BJ邸からほど近い門跡を調べればピノコの素性は明らかになるのではないか」と考えて数十の門跡の所在地や歴史等を調べたことがある。またピノコの姉には婚約者がいるということで、門跡の後継というのはどういう仕組みになっているのかも興味の対象であった。しかし考えてみれば、ピノコと姉の双子だけでなく他にも後継者となる兄弟がいるのかもしれないし、門跡寺院とピノコの姉の自宅は別のところにあるのかもしれないし……ということで、調べるのはやめた。要するに、この場合は、ピノコというのは本来皇族や摂家に連なるような高貴な家柄に生まれるはずだったという理解で良いのだと思う。

また、「双子」「門跡」というキーワードから思い起こされるのは、奈良県の尼門跡・円照寺である。昭和の終わり頃だったと思うが、第10世の山本靜山門跡は三笠宮の双子の妹君だという噂が流れたことがあった。『昭和天皇の妹君』という本に悲劇の皇女として取り上げられた方だが、「男女の双子の前世は心中者同士である」とする迷信により、皇室ではその存在は無きものにされ養女に出された……とされている。真相のほどはわからない。ご門跡はこのことについて生涯何も語られなかったらしい。ちなみにこの山本靜山門跡は三島由紀夫の『豊饒の海』に出てくる綾倉聡子のモデルとなった方である。作中で聡子は月修寺の門跡になっている。

ピノコの家の場合、ピノコの何が格式や名誉や世間体を傷つけると思われたのか? ピノコの姉の腹部に腫れ物がある。これが普通の腫瘍なら切り取ったところで世間体には何の差し障りもなかろう。ところが腫瘍は畸形嚢腫だった。つまりは双子の片割れである。これがまず問題だったと思われる。双子にまつわる迷信や因習を調べてみると、前述の「男女の双子の前世は心中者同士」と同様、高貴な身分の家では「双子は畜生腹」と言われ、一人は里子に出されるか捨て子にされる運命だったようなのである(←もちろんこんなことは正式な文献などには記録されない。存在を抹殺しようとするのだから、記録なんかされるはずがない)。現代ならばなんと非人道的な考えかと思うが、高貴な家ならずとも「双子は畜生腹」というのは今でも多少は生き残っている考えだろう。私も実際に人が言っているのを聞いたことがある。

考えてみれば、ピノコの姉も相当に気の毒な立場なのだ。ピノコに辛く当たる人非人としてのイメージがあるが、それは我々が後のピノコを知っていて贔屓目に見るからで、姉もまた格式や名誉や世間体の犠牲者なのである。望んで高貴な家に双子として生を受けたわけではない。しかも片割れは無事に生まれることができず、自分の腹の中でどんどん大きくなっていく。切り取ろうとしても切り取れない。なにしろこの畸形嚢腫は意思だけでなく超能力までも持っていて手術を妨害するのである。由緒正しい門跡の令嬢にそんなワケのわからない忌まわしいものが取り付いたこと、これが世間体を憚るもっとも大きな理由だったと思われる。嚢腫があれだけ大きくなれば外見からでもわかる。世間体を気にする家柄ならば、おそらく彼女自身も世間から隠されるようにして暮らしてきたのではないかと想像できる。そして遂に「今晩手術をしないと危険」というところまで追い込まれて、BJ邸に運び込まれるのだ。医者の可仁博士でさえ「呪い」だと言う不幸を、18年間一身に背負ってきたのは彼女自身だ。自分を肉体的にも精神的にも苦しめ抜いた嚢腫(ピノコ)を疎ましく思うのも無理からぬことだと思うのである。

あの夜、可仁博士がピノコの姉をBJ邸に連れてこなかったらピノコは存在しなかった。嚢腫の中身を人間にすることなどBJ以外の人間には出来ないだろうということがひとつの理由だが、それ以前にタイミングという要素がある。嚢腫側(というのも妙な表現だが)から見てもあの夜がギリギリのタイムリミットだったのだ。何故ならば、母体とも言うべきピノコの姉が死んでしまったら嚢腫もまた生きてはいかれないからである。そのタイムリミットを嚢腫がわかっていたかどうかは定かではないが、案外可仁博士の話すことで察していたかもしれない。なんとしてもその夜のうちに姉の身体から出なくては生存の道がない、しかし他の医師の手によって取り出されてもやはりそこに待ち受けているのは死なのである。二進も三進もいかなくなったまさにその時に、嚢腫はBJと出会うのだ。これはもう奇跡だと私は思う。

しかしそれにしても、だ。嚢腫をそこまで生きることに執着させたものはいったい何だったのだろうかと思う。漠然とだが……、とにかく自分の存在を認めてほしかったのではないかと私は想像する。仏門の家なのだから本当は生きとし生けるものすべてに慈愛の目を向けなくてはいけない立場なのに、あの家の人間たちは高貴な家柄を後生大事に守って世間体を取り繕うことだけに汲々としていたのだろう。双子の片割れの嚢腫を気味悪がり疎ましくは思っても、正常な状態で生まれてこられなかったひとつの命として慈愛を注ぐことなど誰もしなかったのだろう(註*1)。ただ存在してはいけないもの、無き者にしなくてはならないものとされて刈り取られようとした命の、必死の抵抗、自己アピールがあの超能力なのではないかと思う。「生きたい」というのは「わたしの存在を認めて!」という叫びなのではなかろうか。だから……、もしも姉や他の家族が嚢腫に対して愛情と憐れみを持って接していたら……、嚢腫はそれで満ち足りて、結果はまったく違ったものになっていたかもしれないなと思う。

 (註*1)これについてはピノコ登場の場面がその証左となる。姉の「私に妹なんか……」という反応はごく当然のものだ。しかしピノコはすぐさま憎しみと怒りと悔しさを爆発させている。これは嚢腫だった時の記憶に基いた行動に他ならないと思われる。BJもまさかここまでとは予想していなかったのか、慌てて引き離している。

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