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悩める子ども達

なんだか閉塞感の漂う殺伐とした世の中になってきたような気がする今日この頃。親への反発から親を殺したり、親を困らせてやろうと行きずりの人を殺したりバスジャックしたりする少年のニュースにも、さほど驚かなくなってきた。家庭は生きる基盤だろうに……。

そんな子ども達を不器用だなぁと思わないでもない。もっと上手く発散できなかったものかと思う。親の言うことなんていつの時代でもそんなに変わらない。そんな親に子が反発を覚えるのも当たり前のこと。三島由紀夫には反抗期が無かったらしいが、あんな天才は別格として、たいていの人間には親と衝突して反抗する時期がある。で、昔の少年は家出をすることが多かったように思う。地方から都会に出て警察に保護されたなどと、昔はよくニュースになっていたように記憶している。あるいはもっと手軽にグレて俄か不良少年になったりしていた。タバコを吸ったりお酒を飲んだり、親達には評判の悪い子と付き合ってみたり、夜遅くまでほっつき歩いてみたり(夜遊びをするかしないかは不良化の一つのバロメーターだった。今は小学生でも夜に出歩いているようで、親は何をしているのかと思うのだが)。たいていそのうちバカバカしくなって家に帰って親にこっ酷く叱られてオシマイ。他人に迷惑をかけない程度に不良化することは、それ以上悪いことをしないための安全弁だったのかもしれないと思う。自分なりのカタルシスを得られればそれで満足するのだ。

今は簡単にグレることもできないのか……。昔は、少なくとも親を殺すような真似だけはしなかったんだがなぁ。気持ちがわからんよ……。

さて、『BJ』語り。『BJ』にも不良少年が描かれることは多い。「ミユキとベン」のベン、「赤ちゃんのバラード」のマギー、「帰ってきたあいつ」のジョーズ、「二人三脚」の昭吾、そしてそもそもBJにしてからが、授業にも出ないで先生をダーツの的にするような不良少年だった。ベンは何が原因でグレたかわからないが(「政治が悪い」と言っている・笑)、マギーは自分を構ってくれない両親への反抗や寂しさからグレたようだ。ジョーズにはどうやら金持ちの親がいるが威厳がない。誰も止めないまま何でも好き勝手しているうちにグレたのではなかろうか。昭吾の家庭が一番まともで普通だ。頑固オヤジと反抗期の息子という一般的な構図で、尊敬できない(と思っている)オヤジへの反感からグレたらしい。黒男の場合はちょっと特別で、そもそも反抗すべき親がいない。いや、どこかで生きているはずの父親に対する恨みと反感はあっただろうが、それよりも復讐を遂げねばならないという思いと思春期のペシミズムが相俟って虚無的にグレたのだろうと思う。

それぞれ環境は違うのだが、決して救いようがないような悪い子達ではない。仲間の手前、父親を殺さなくてはならないハメになった昭吾も、最後の瞬間には父を救うために命を張る。大切なものを見失ってはいないのだ。ベンもマギーもジョーズも「愛したい」「愛されたい」という思いを持て余し、どうしてよいかわからずに無軌道に問題行動を起こしているだけだ。

このような不良少年に対して、BJは非常に物分りが良い。やっぱり自身がそうだったからか、とても親身になって世話を焼いたり助言を与えたり叱ったりしている。「ミユキとベン」でベンが死の間際に「おれァ 役に立たねェだめな男だ 人間のクズさ」と自嘲したのに対し、「そうでもないぞ おまえは役に立つ!」と言ってやっている。この後ベンの臓器をミユキに移植することになるので文字通り「役に立つ」わけだが、このBJの言葉がもし聞こえていたとすれば、ベンは自分の価値を人から認められた喜びを胸に天国へ旅立ったことだろう。BJもたぶん二重の意味を込めてこの言葉を言ったのだと思う。

これらのステレオタイプの不良とはまた違う問題行動を取る子ども達も描かれている。まずは「密室の少年」。密室の少年は交通事故で身体が動かなくなったことの憎悪を超能力に変えて、その念動力を誰彼かまわずぶつけるようになる。家の前を通る車の運転手の骨を折ったり木を折ったりする。自分の母親さえ信用していない。ここでBJは少年と1対1で話をして心を通じ合わせ、彼の憎悪と人間不信を解くことに成功する(一応)。手塚医師に「やたら子どもの頃を思い出したのさ」と言っているように、BJも子どもの頃は車椅子の生活だったから少年の気持ちが誰よりもよく判るのだろう。

そして「快楽の座」。無気力で笑わなくなってしまった三郎は、その治療と称してスチモシーバーを頭に埋め込まれたことによって、いつも不気味な笑みを浮かべるようになる。笑いながら可愛がっていたトカゲを殺し、何かと口やかましかった母親を縛り上げナイフで脅す(殺そうとしていたのかもしれない)。駆けつけたBJは手術で機械を取り外し、三郎はまた元の陰気な少年に戻る。BJは母親に「ま はじめから出なおしですな」と「今後絶対に勉強を押し付けない」など数項目の注意書きを記した「処方箋」を渡すのである。このエピソードの背景は、昨今の少年犯罪と通じる点があるような気がしてならない。「勉強しろ」と言う親。おとなしくて反抗できない少年。溜まる鬱憤。そして、まさかスチモシーバーではないが、何らかのきっかけで少年の心が臨界点を超えてしまったとき、タガの外れた残虐な報復行動に出る。このエピソードだけは諸般の事情でなかなか封印が解かれないのだが、現実社会に起こる事件に見事に符合していることに慄然とする。

……また、まとまらず時間切れ(汗)。要するに、逃げ場がなくなるほど追い詰めちゃいけない、どこかに風穴を空けておかないといけないと思うよ、ということです。決して不良になることを推奨しているわけではありません。m(_ _)m

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コメント

自分の後ろに親がいる、と思えない子が増えてるのかなと思います。
家出だって非行だって、振り向いてほしくてするのがほとんどだけど、それができるっていうのは、心のどこかで何があっても家には帰れると思ってる証拠だと思いますよ。
でも、親を責めるのも難しい。人間、親になるときは誰でも初心者ですから、しかも最近は、一人っ子が多かったりするんでしょ。初めてで一度っきりで、答えのない問題と向き合うのは難しいですよね。
親の人となりを批難しても、それは親の親まで関わってくるし、それを延々続けても後の祭り。どうしましょうね。
わたしとしては、AC(公共広告機構)のCMが印象的です。『子供を抱きしめてあげてください。』それだけで伝わる想いも確かにあると信じます。

投稿: もりびと | 2008年7月22日 (火) 09時17分

もりびとさん

おっしゃるとおりだと思います。
>自分の後ろに親がいる、と
>何があっても家には帰れると
思えないのでしょうね。親殺しは自分の帰る場所をなくす行為ですから。それだけはやってはいけないことだと思うんですけどねぇ……。

親だけの責任でもないと思いますよ。本来、子育ては親だけでは不可能なのだと思います。兄弟やお祖父ちゃんやお祖母ちゃん、親戚、近所、学校、社会、いろんな人がいろんなことを言ったりしたりする中で、子どもは学んでいくのでしょう。核家族の、非常に狭い人間関係の中だけでは、そりゃあ煮詰まると思います。(あと、持論ですが、お仏壇や神棚は必要です。)
レヴィ=ストロースでしたか、家族を論じて「母方の伯叔父が重要」と言っていますが、父親と上手くいかないときの逃げ場的存在なんです。子ども達にはそういう人の存在が必要で、BJはそこまで行かないまでも「どっかのおじさん」の役を上手くやりおおせていると感じます。

>『子供を抱きしめて……
確かに! でも私このCMを初めて観たとき、こんなことわざわざ言わなくちゃいけない世の中なのかと、逆に問題の根の深さを知ったような気がしましたよ……。

投稿: わかば | 2008年7月23日 (水) 00時21分

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