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『BJ』と戦争

『ブラック・ジャック』という作品が生命の大切さをテーマにしていることはもちろんだが、もうひとつ大きなテーマがあるとすればそれは戦争だろう。手塚治虫は多くの作品に戦争の悲惨さと平和への希求を描いている。先日テレビ放映された『どろろ』も、本来はもっと戦国の世の地獄絵図と、戦いに勝つことによって利権を我が物にしようとする人間の醜さをこそ中心に描かれるべきだったろうと思う。その人間の欲望が生んだものこそ48の魔物であり、百鬼丸はその犠牲者として生まれたのである。

『BJ』にも戦争の犠牲者や被害者は数多く登場する。「アナフィラキシー」のジョージ・メイスン、「戦争はなおも続く」のルナン、「やり残しの家」の丑五郎。「魔王大尉」のケネス大尉もまた戦争によって精神を蝕まれた被害者であろうし、「あつい夜」のゴ・ウィンは家族を失った恨みと悲しみを戦争が終わった今もなお持ち続けている。そして何よりBJ自身も戦争の影を引きずっている。彼はアメリカ軍が作った射撃演習場跡地で不発弾を踏んだのだ。太平洋戦争がなければ、敗戦して一時的にせよ日本がGHQに占領されることがなければ、日本の地にアメリカ軍の射撃演習場など作られることはなかっただろう。彼の一生を一変させた事故の遠因は戦争である。その戦争を憎む気持ちは、まさに彼の骨の髄まで染み渡っていると言ってよかろう。

もう一人の黒医者ドクター・キリコもまた戦争の被害者である。元軍医である彼は、戦地で助かる見込みもなく苦しむ兵士を死なせてやり、それが安楽死に手を染めた最初であるとされている。助けられるものなら助けただろう。しかし次から次へと運ばれてくる傷病兵を全て助けてやれるほどの物資的時間的余裕は、戦地にはなかったに違いない。現在でも、天災が起こって怪我人が多数出たときには、助かる見込みのある者から助けるのが常識となりつつある。容赦ない選別が行なわれ、それを是としなくてはならない極限の状態である。悲しみも情けも捨ててかからなくてはならない異常な状況の中で、キリコは軍医としてはあるまじき、しかし人間としては至極真っ当にも思われる安楽死という手段を選んだ。

退役してからのキリコが普通の医者に戻らなかったことに関して、そこにどういう心の動きがあったのか私には想像もつかないが、彼に関して最も興味のある部分でもある。「死神の化身」で『BJ』に初登場した彼は、殺人嗜好者のような恐ろしさを纏っていた。役に立つ者なら助けるが役に立たない者は遠慮なく殺すと明言しており、これは戦争という非常時における考え方に連なるものである。私はこれを最初に読んでいるから、後に同話が「恐怖菌」に描き改められキリコの不気味さが薄められても、やはりキリコは怖くて非情な男だというイメージが抜けない。たぶん「死神の化身」から「恐怖菌」への間に、手塚治虫自身の中でのキリコのイメージが変化し固まったのだろう。手塚の意向を考えれば定本とすべきは「恐怖菌」の方であろうから、私が抱いているイメージは払拭しなくてはいけないと思ってはいるのだが、第一印象が強烈だったがためにこれがなかなか難しい……。

ところで手塚治虫は戦時下の大阪帝国大学附属医学専門部の出身である。これは軍医を速成するための教育機関で、もしも戦争がもっと長引いていたならば手塚自身も従軍してどこかの戦地へ送り込まれていた可能性は高い。そうなればキリコのようにジレンマに苛まれていたかもしれない。苦しんで死を待つばかりとなった兵士を安楽に逝かせてやることを一概に「悪」とは言えないという思いがあったのかもしれない。キリコの描写の変化は、手塚のそうした思いの反映であり、同時に、もう一段階深いところでのBJとキリコの対立を描くことを可能にしたように思う。ギリギリまで同じだが、最後の最後に正反対を向く二人の構図の鮮やかさ。BJが手塚治虫の影であるように、キリコは手塚がもしかしたらそうなっていたかもしれないもう一つの影なのだろう。

BJとキリコは不可分の存在なのであるが、ならばもしもBJが軍医となってキリコと同じような事態に追い込まれたらどうするだろうと想像してみる。彼ならば誰のものとも知れぬ千切れた肉片を縫い合わせて1人の兵士の命を救いそうな気もするが、そのための物資さえ無いという状況ならば……。たとえ1人の天才外科医がいても、非常事態の中で彼がたった1人の命を救う間に5人の命が失われたという事実は「病院ジャック」に描かれている。この話は戦争に関係してはいないが、非日常、突発的な危機的状況という点では戦時下と同じようなものだと考える。戦地では医師一人ひとりの力量などほとんど問題外なのではないかと思う。キリコの場合と同じく、日々死んでいく兵士を呆然と見送ることしかできないのではないか。しかしそれでもBJならば安楽死だけはしないように思う。たぶん目の前で消えかかっているたった一つの命の火を消さないことだけを考えるのではないかと想像する。そしておそらく、多くの命を救えなかった自分を悔しがるのだろう。何度でも。

いや、そもそも「軍医」と「BJ」というのが相反する概念なのだと思う。いや、それを言えば「戦争」と「軍医」もまたそうなのかもしれない。命懸けの戦いが行なわれる現場で、命を救おうとすることの虚しさは……。もちろん、傷ついた兵士一人ひとりにとって軍医が神にも等しいありがたい存在であることは想像に難くない。しかし傷が癒えればまた戦いに復帰しなくてはならない状況の非情さときたら……。人間はロボットではない。壊れた部品を交換してハイ元通り、行ってらっしゃいというものではない。しかしそれと同じことを兵士と軍医に課するのが戦争というものだ。決して軍医という存在が無意味なわけではない。しかしそれを存在せしめる戦争というもの自体が不条理なのだとつくづく思う。

……終戦記念日の週には戦争に関することを書こうと前々から決めてはいたのだが、いざ書き始めるとやはり支離滅裂なものになってしまった(大汗)。ドクター・キリコは避けて通れない人物なのに、その心の変遷がいまひとつ掴み切れない。BJとどこがどう違って背中合わせの関係になってしまうのか、その決定的な要因が、自分で納得できる答が、見えそうでなかなか見えないのが歯痒い。自分に戦争体験が無いことが理由の一つだとは思う。戦争を体験した世代との乖離ってのはそういうものだとも思う。しかし体験したからといってキリコの気持ちが判るものでもないかもしれないし、体験したくもない。BJはキリコを良く理解した上でケンカしているような気がする。その辺り、二次創作の作家さん達は上手く描いていらっしゃると舌を巻くのだが……、う~ん、BJの苦悩とともにキリコの懊悩というのは実に興味のある点である。キリコに関してまだまだ自分の読み方が浅いことを恥じるばかりだ。

ところで今回、ネットで軍医の記録等を少しばかり調べたのだが、軍医は基本的に外科医が多いように感じた。キリコは Army Surgeon かもしれない。しかし中には、ベトナム戦争を肯定し軍医として従軍したものの、後に精神科医となった Gordon S. Livingston のような人物もいる(もともと精神科医だったのかどうかは不明)。彼はベトナム戦争の内情を知るにつれ疑問を持ち始め、戦争を告発する文書を書いて即刻逮捕、本国へ送還された。彼は後の著書でこう書いている。“The war was a waste of lives and inflicted untold misery on this country and on Vietnam.”彼の政治的信条としての側面もあるかもしれないが、「戦争は命の浪費である」という部分には軍医としてのやり切れない思いが垣間見えると思う。

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