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神の奇跡

『BJ』の中で一番宗教色の濃い話といったら「からだが石に……」ではないかと思う。ちなみにこの話はコミックス第4巻から問題作「植物人間」が除かれた代わりに収録された。考えようによってはこれもかなりの問題作ではあるのだが。きょうはこのお話について。あらすじは以下のとおり。

イタリアの田舎町。信心深い両親を持つ少年が「進行性化骨性筋炎」(筋肉が骨にかわっていく病気)におかされ、余命いくばくもない。世界中から名医がやってくるが成す術がない。BJにも治しようがなく、この少年の脳を誰かの身体に移植するしか方法はないと言う。「あとは死体待ちですなァ」。それを聞いて思い余った少年の父親は、息子と同じような年頃の子どもを車でひき殺そうとして、制止しようとした身重の妻を誤って撥ねてしまう。妻は産気づいて出産するが、赤ん坊は死ぬ。BJはその赤ん坊の身体に少年の脳を移植する。(赤ん坊はそのために生まれたんだ)。イエスに祈る神父が言う。「神がくださったのだ!」「たぶん…………」。

「ナダレ」「化身」に次ぐ脳移植の話だが、人間については初めての例だと思う。いやしかし、これだけの内容をたった18ページに収めてしまうとは、マンガの神が起こした奇跡だ。少年の父親の心情を追っていくだけでも一つのテーマになりそうなほどだし、そこに母親の想いが重なり、家族を見守る神父の視線が絡まる。

だが、生まれたばかりの赤ん坊の自己犠牲がなくては成り立たない話で、もしもキリスト教的な味付けがなかったら、もっと後味の悪い話になっていただろうと思う。母親が「私に身代わりをさせてくださいまし」とイエスに祈るシーンや、ラストの十字架に架けられた神々しいイエス像の絵のおかげで、BJの手術云々よりはイエスが起こした奇跡という意味合いが強調され、いろんな意味で救われている話だ。

ところで、BJは「死体待ち」と言っているが、脳移植をしようとしている彼が待ち望んでいたのは、完全な死体ではないはずだ。もしも完全に死んでいるのなら、その身体に少年の脳を移植したところで生き返るはずもなかろう。彼が欲しいのは、厳密に言えば、脳は死んでいるが身体は生きている状態、即ち植物状態あるいは脳死状態の人間の身体のはずなのである。

赤ん坊は「息がとまった」と書かれている。心臓はどうだったのだろう? これについても触れられていない。しかし彼がその身体を使おうとしたという事実から、このとき赤ん坊はまだ死んでおらず仮死状態で蘇生が可能な状態だったと推測される(「ドリンカーの救命曲線」によれば、呼吸停止から2分以内に人工呼吸を始めると90%は蘇生する。5分後で25%、10分後ではほとんど蘇生できない。また呼吸停止後に心臓も停止して脳に酸素が送られない状態が3~4分以上続くと、蘇生しても重大な後遺症が残る可能性がある)。BJはどうやら赤ん坊が生まれる現場に立ち会っていたようなので、「息がとまった」赤ん坊を助けようと思えば助けられたはずなのだ。しかし彼は赤ん坊に対して救命行為を一切行なっていないし、脳死の確認もしていないようだ。急展開のどさくさに紛れて(?)BJは一人で非情な決断を下し、仮死状態の赤ん坊よりは少年を救う道を選んだと思われる。ここらへんが、この話も「植物人間」に負けず劣らずの問題作だと思う所以である。いやそれ以前に、脳移植の是非も問題だろうが……。

ここでのBJは宗教とは一番遠い位置にいる。徹底的な現実主義者だ。生まれたばかりの赤ん坊の息が止まり、悪魔的な所業をした父親が「自分のせいだ」と悲嘆にくれている場面でも、BJはその身体を有効利用することしか考えていない。死んでしまった(と皆が思っている)ものはもうどうしようもない。それよりは生きようとして苦しんでいる者を救うのだ、というのが、この天才外科医という神の存在理由だ。(赤ん坊はそのために生まれたんだ)とは、救わなかった赤ん坊へのせめてものはなむけの言葉か、それとも自己弁護でもあったろうか……。

(赤ん坊はそのために生まれたんだ)。神父はそれをイエスの思し召しと取る。父親の暴走、BJの独断と手術という人為は加わっているが、それらも含めて全て神の意思と捉えているのではないかと思う。このストーリーで、この神父は非常に魅力的なポジションにいる。BJが「死体待ち」と言ったときの彼の表情は見ものだ。彼にはBJが悪魔に見えていたかもしれない。渦中の人々である少年の家族とは少し距離を置いたところから全てを見ていて、BJの密かな赤ん坊殺しの罪にも気付いている唯一の人物ではないかと思う。しかし彼はBJを告発しない。「神がくださったのだ!」「たぶん…………」。この「たぶん…………」というところに、彼の畏れと彼自身がそう思うことで救われたいという願いが表れていると思う。もう少しページがあったなら、この神父とBJの会話を聞いてみたかったと思うものである。

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