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「悪」標準装備

そろそろノーベル賞の受賞者が決まる季節となった。村上春樹は文学賞を取れるかな?

さて、無免許医であるところのBJ先生だが、ノーベル(生理学・医学)賞には2回関与している。「ナダレ」では大江戸博士の「大脳組織のD・O効果の発見」での鹿による動物実験を可能にし、「きたるべきチャンス」では綿引博士の食道癌を手術して、博士が癌の特効薬を開発するのを間接的に支援した。現実世界においては生理学・医学分野での日本人初のノーベル賞受賞者は1987年の利根川進だが、『BJ』界においてはそれ以前に2人の受賞者を輩出していることになる。それも2人ともBJの力があってこそだ。

きょうはその中の「きたるべきチャンス」を取り上げてみる。

BJを訪ねてきた若い女医。食道癌になった彼女の兄を手術してくれと言う。往診に行くとそこはかなり大きな病院。同じく医者である彼女の兄が病床に臥しているが、あと10日ももたない危険な状態である。しかしどうやら兄は手術を拒んでいる様子。彼女が提示した10万クローナの手術代とBJが要求する15万クローナで折り合いが付かず、いったん帰宅したBJは、あの患者の顔には見覚えがある、と新聞記事のスクラップを繰る。すると、「ガン特効薬ポリサチニン」を開発してつい最近ノーベル賞を受賞した綿引博士と判明。10万クローナというのはノーベル賞の賞金だったのである。そこへ妹(十枝子)から電話があり、兄の希望で手術は断ると返事がきた。受話器を置き、何やら思案し、ニヤッと笑ってA新聞社に電話をかけるBJ。「綿引博士は食道ガンだよ。ガンの特効薬というポリサチニンもきかなかったんだ。フフフフ……。おもしろい特ダネだろ」。

新聞やテレビは大騒ぎ。十枝子はノーベル賞は辞退したと記者会見する。博士の病室を訪れたBJに、博士は花瓶の水とともに恨みつらみの言葉を浴びせかける。「私にもメンツがあった…ノーベル賞受賞者としてのメンツだっ」。そして病状が急激に悪化して倒れる。もう10万クローナ払えないから手術は断ると言う十枝子。しかしBJは言う。「なぜ払えないんです。にいさんが助かりゃいずれ払えるじゃないか」。そして十枝子が助手について手術は成功する。

1年後、綿引博士はポリサチニンを更に改良し、ネオポリサチニンという新薬で改めてノーベル賞を受賞する。カーラジオでそのニュースを聞いたBJは綿引兄妹の病院へ直行。十枝子に歓迎されるBJだが、「手術料の請求書を渡すためでね」とすげない。しかも14万9990クローナは受賞のお祝いに贈るから、差し引き10クローナでよいと言って立ち去ろうとする。

「先生 せめて兄に会ってやってください。兄は……もうすっかり元気で…」「私はノーベル賞の人間なんか興味はないんでね」「もうお会いできないの?」「…………」

あやしいなッ!! この「…………」はあやしいなッ!! 十枝子がBJに惹かれているのは確かだが、BJの方もまんざらではないようだ。私はこの最後の意味ありげなBJと十枝子の視線の絡み合いを見るたびに、それまでのストーリーなんかどっか吹っ飛んでしまうのだが、きょうは極力そっち方面には行かないように語ってみようと思う。しかし一言だけ。「十枝子」という名前から判るように、彼女を演じているのは『人間昆虫記』の十村十枝子その人である。他人の才能を盗み、まるで昆虫が脱皮していくように次々に華麗な変身を遂げる、まぁ希代の悪女だ。翻弄される男も数知れず。「きたるべきチャンス」ではそういう悪女ぶりは一切見られず、兄を心配する健気な妹役に徹しているが、最後の最後にちょっと底力を発揮してみましたという感じかな(笑)。BQといい、十枝子といい、魔性の女にはきっちり反応するBJ先生を、私は決して嫌いではない。

さて本題。この話で印象的なのは、新聞社にタレコミする前のBJ先生の顔である。いかにも悪企みしていそうな顔でニヤッと……。解説本には「特効薬を信じた他の患者たちが裏切られることになる」から綿引博士の癌をすっぱ抜いたと書かれているが、本当にそうなんだろうか。そんな公序良俗的意識や正義感なんか欠片も持ち合わせていないような、もの凄く性悪な顔をしているぞコレ。この顔がBJシリーズ中でNo.1の「BJの悪人面」ではないかと私は思うのだが、こういう顔をたまに見せてくれるから嬉しいのだ。一見クールだが実は優しいお医者さんというような男だったら、たぶん私はここまでBJのことを好きになっていない。普段は忘れがちだけれども、この男、基本的にワルなのであって、私はそういうところも好きなのだろうと思う。

この話でも、何もそんな手段まで取る必要はないと思う。十枝子の弁によれば、ポリサチニンの効果は「予防的なもの」であって決して癌を治す薬ではないらしい。だからたとえポリサチニンの開発者である綿引博士が癌で死んだとしても、彼の研究がノーベル賞に相応しくないというわけではないし、決して不名誉なことでも恥でもない。もっとも博士本人はそれを恥だと思ってひた隠しにしているのだが、その秘密を知ったBJがそれを世間に暴露してよい理由と必要などどこを探してもない。「私ならあなたの癌を治せるかもしれない。手術が成功したら、口止め料込みで、ノーベル賞の賞金より多い15万クローナいただく。どうする?」と持ちかければよいだけの話なのだ。

似たような話で「腫瘍狩り」というのがある。白拍子医師が鳴り物入りで導入した腫瘍除去機“Cancer Hunter”は実は欠陥品だった。使い続ければ患者の自律神経がやられてしまうというのに、彼は自分のメンツに拘ってなかなか非を認めることができない。最後は結局BJが患者を救い、白拍子は器械の欠陥を認める発表を行うことになるのだが、「きたるべきチャンス」とはメンツに拘るお医者さんという共通点がある。しかし“Cancer Hunter”とは違って、別にポリサチニン自体に欠陥があるわけではないし、スクラップしてまでその記事を読んでいるBJがそのことを知らないはずはない。綿引博士をそこまで追い詰める必要は無いのだ。それなのにどうしてBJはこんな思い切った手段に打って出たのか。

解説本どおりに「特効薬を信じた他の患者たちが裏切られることになるから」という解釈は、この「ニヤッ」を見る限り、どうも違うような気がしてならない。それにポリサチニンは癌の予防には効力があるのだから、患者を裏切ることにはならないだろう。では、博士に手術を受けさせるためにはこれくらいの荒療治が必要だと思ったのか? いや、この場合、メンツを潰されたら余計に生きる気力なんか失せるだろう。たまたま博士が暴れ過ぎて急激に容態が悪化して倒れたから手術できたものの、そうでなかったらBJは金輪際手術させてもらえなかったに違いない。

理由としてただひとつ、うすらぼんやりと思うことは、ノーベル賞という権威に対する反抗ではなかったかということだ。そんな権威と命を引き換えにすることはバカらしいという真っ当な理由をつけることも可能だろうが、もっと単純に、もっと正直に、もっと醜悪に、権威の象徴となった綿引博士を引き摺り下ろしてやりたいという衝動がBJの心の中になかったと言い切れるだろうか? 最後は自分が死力を尽くして命を救ってやるにしろ、権威を地に貶めて溜飲を下げてやろうという意識はなかっただろうか? 癌の特効薬を開発してノーベル賞を受賞した男が癌に侵されて余命いくばくもない。ノーベル賞という権威には実際に人の命を救う力なんかありはしない。それを医師の免許も持たない自分が治してやる……おもしろいじゃないか。あの「ニヤッ」はそういうことを思いついた顔なんじゃないかと思うのだがどうだろう。

このエピソードは「にいさんが助かりゃいずれ払えるじゃないか」という起死回生のセリフが効いていて、BJの悪事の印象はずいぶん薄められているのだが、よくよく考えるとBJがやったことは相当にあくどい。患者は二の次で、自己満足のためだけに動いている印象がある。しかし思い通りにしてそれで気が済んだのか、あるいは綿引博士に対して少しは悪いことをしたと思ったのか、手術料は大負けに負けてわずか10クローナだ。

どんなに天才的な手腕を持っていても、無免許の彼に陽が当たることはない。自分で決めた生き方にプライドを持っていることに疑いはないが、それでも栄光のスポットライトを浴びる人々と比べて、ときどき悔しくなったりしているのではなかろうか。「誤診」のラストも私はそんなふうに見ている。

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コメント

どうも、夢です
>極力そっちに…、
私もそっち(視線の絡み合いの意味)についてで語りたいsign03
機会があったら、
いかがですか

投稿: 夢 | 2008年10月 7日 (火) 08時05分

夢さん
あははッヽ(´▽`)/
わかりました。いつか取り上げてみましょう、『BJプレイボーイ疑惑』。

投稿: わかば | 2008年10月 8日 (水) 00時12分

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