« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

(備忘録081130)

録画しておいた『タモリのハテナの殿堂』を観たのだが、上地クンが発した「鏡に映っている自分は誰なんですか?」の質問に唸った。スゴイ質問だなコレ。

明らかに他の人ではないから自分ではあるのだろうが、左右反転(いや実際には奥行き方向に反転しているのか?)した自分は果たして自分なのだろうか。誰も見たことのない自分。自分でさえ見たことのない自分。なんだか非常に哲学的な問いのように思われて、考えればいろいろ面白いんだろうなぁと思ったが、あまりに眠いのでまた今度。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

(備忘録081129)

『しゃばけシリーズ第2弾 うそうそ』を観た。あれ? 前回は東映だったと思ったが、今回は松竹? 原作とはいろいろ異なっているところもあったが、それなりに楽しめた。お比女ちゃんが愛らしかったし、新龍も素敵で、キャスティングが良かったと思う。鳴家はやっぱり可愛い。わが家にも居ないかな~。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

“Knockin' on Heaven's Door”

NHKプレミアム10「天国の扉にノック~長瀬智也・30歳のいま」を観た。夫にミーハー呼ばわりされながら(笑)。でも夫の好きなボブ・ディランの“Knockin' on Heaven's Door”をアレンジするというドキュメンタリーだったので、結局彼も一緒になって観ていた。で、いま、ディランのベストアルバムでこの曲を繰り返し聴きながら書いている。

とても短くて(2:33)3つのコードしか使われていないシンプルな曲だ。長瀬はガンズ・アンド・ローゼズのアレンジで知って好きになり、ボブ・ディランの歌だということは後で知ったとか。映画『ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯』の中で保安官が死ぬシーンに印象的に流れる曲だ。人間が死に行くときに叩く天国の扉。何度も繰り返される“Knockin' on Heaven's Door”のフレーズ。もうバッヂも拳銃もいらないよと言う保安官。何もかも捨てて天国の扉の前に立ったとき、人間は何を思うのか……。

長瀬は来年2月公開の『ヘブンズ・ドア』で余命3日と宣告された脳腫瘍の患者を演じる。『ビリー・ザ・キッド』とは関係なく、ディランの“Knockin' on Heaven's Door”というナンバーそのものに触発された映画のようだ。長い撮影の間じゅう生と死を考え続け、結局演技の良し悪しなんかではなくて、それを越えたところにある人間味(どう生きてきてどんなふうに死に向かっていくのか)を感じてもらえたら……と控えめに語る彼に好感を持った。

彼がアレンジする“Knockin' on Heaven's Door”もまた死とは辛くて苦しくて悲しいものだという解釈ではなくて、そのドアを開けて新しい世界へ行くんだという世界観に基づくものになっていたように思う。ディランの“Knockin' on Heaven's Door”は淡々としたとても静かな曲だが、長瀬の“Knockin' on Heaven's Door”はどこか希望を感じさせる疾走感があるように感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(備忘録081127)

けふはなかなかにはーどな一日だったなり。

『ひらがなでよめばわかる日本語』(中西進著)読書中のため、記事はお休みします。
コメントへのレスもまた後日にさせてくださいまし。m(_ _)m

| | コメント (4) | トラックバック (0)

何を突破するのか

昨夜は『爆問学問 早稲田の突破力』を観ていた。前半は田原総一朗がかなり掻き回しており、後半になってやっと「今の時代に必要とされる突破力とは何か」というテーマが見えてきた。それからの議論は面白くなるはずだったと思うのだけれど、どこか焦点がぼやけて上滑りしてしまった感じで、物足りない思いも残った。

時代の認識としては「昭和はミステリーの時代、平成はホラーの時代」というのが一番しっくりするように感じられた。昭和はまだそれでも何とか解決法が見つけられた時代。平成はもう何がなんだかわからない時代。つまり、昭和の時代には「権力」という刃向かうべき明確な敵があったのに、今は何を突破すればよいのかということさえわからない時代なのだろうと思う。

学生たちの志向は「個人」へと向かう。学生のうちにやれることをやっておこう。社会に出ればどうせ出る杭は打たれるのだから……。「個性」とか「純粋」といった言葉が飛び交う。なにやら社会に出た大人たちは個性もなく純粋さも失っていると言われているようで、哀しくなる。そんなことはないのだよ。いっそそれらのものを本当に完全に失ってしまえたら悩まないで済むのだろうけれど。それらのものは全ての大人たちの中に熾き火のようにちゃんとあるのだよ。

本当に突破すべきものは、自分の外にあるのじゃなくて、自分の内側にある頑なさなのではないかと思う。若者たちが自分の個性だとか純粋さに拘ることもまた頑なな心なんじゃないかと思う。他人に譲れない部分というのは確かにある。年齢とともに(それはそれだけ多くの経験をしてきたということだが)絶対に譲れないことが増えていくことも確かだ。若者はそれを個性や純粋さを欠いた大人として捉えて反抗の対象とする。しかしそれら他人に譲れないものというのは間違いなく「個性」だ。ならば、自分達の個性を認めろと主張する若者が、譲れない個性を持つ大人を受け入れられないのは妙な話だということにもなるんじゃないかな。

学生たちは「社会」というものを自分達との対立概念として捉えていたように思った。でも、私の経験上思うに、たいていの世の大人たちは社会なんていう漠然として捉えどころのないものを相手にして生きてなんかいない。その日その日に出会うほんの一握りの人たちの中で、自分のあるべき立ち位置を探して生きているように思う。気宇壮大な鴻鵠の志を持つ人も中にはいるだろうけれども、たいていの大人たちは日々の暮らしの中で小さな夢や希望を見つけてできるだけ自分が心地よくなれるような道を見つけながら、生きているような気がする。それはそれで結構困難な場合もあるけれども、出る杭は打たれるからと社会に出る前から諦めるほど悲観的なものでもない。と私は思う。

そういう決めつけこそ、突破すべきものなのではないかな。自分は頑迷ではないかと問い続ける心のありかたが大事なのではないかと思った。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

(備忘録081125)

ああ、きょうは三島由紀夫の命日なのか。昭和45年のあの日、いつもは夜遅く帰ってくる父が定時で帰宅して食い入るようにニュースを見ていたことを思い出す。自分とほとんど誕生日の違わない同時代人だったから興味があったのだろうなぁ。

ちと調べもの中。本日の記事はお休みします。m(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大きなスペードと小さなハート

Photo_2 すっかり黒背景と化したBJ先生……。orz

細かい雨を降らせていたのですが、画面がうるさくなったので消しました。そしたらなんでピノコをコートの中に入れているのかわからなくなりました。orz

先生とピノコを同じ画面に立たせることがいかに難しいか、初めて知りました。そういえば、アニメでも「このピノコは宙に浮いてるな~」と思われるシーンがいくつもあったのを思い出しました。この身長差は難しいです。

そしてそして、romiさんが描いていらした素敵なイラスト「ピノコとロミの秋冬model 2008」でピノコ嬢がしていたペンダントを、無断でパクらせていただきました。romiさん、すみませんッ(土下座)。ファッションもそれはそれはシックで素敵だったのですが、大きなスペードと小さなハートのペンダントがあんまり可愛らしかったもので、目が釘付けになってしまいました。ピノコ、こんなペンダントさせてもらったら嬉しいだろうなぁとこっちまで嬉しくなって……パクりました。というか、それが描きたくて描いた一枚です。

えーと、もう他に言い訳することはないかな? ピノコが描けないこととか……(致命的)。orz

【追記】タカシを描き忘れていましたッ(汗)。点々と追加。

以下、romiさんに私信です。

続きを読む "大きなスペードと小さなハート"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

海潮音

夫がちょっと遠方まで商品を配達するというので、私もこっそり営業車に乗せてもらうことにした。松江から出雲市内を越えて特産のいちじくで有名な多伎というところまで。彼が納品の仕事をしている間、私は途中で降ろしてもらった「道の駅 キララ多伎」の建物から砂浜に下りて30分ばかり海を眺めていた。

けっこう波は高かったが、テトラポットに白く砕ける波頭越しに日本海の水平線を飽かずに眺める。私のほかにもカップルや家族連れなどが整備された砂浜に点々と座って海を見ている。

3歳くらいの男の子が、砂浜を波打ち際まで行っては打ち寄せる波に追いかけられてキャーキャーと引き返す、ということを100回くらい繰り返していた(笑)。だんだん大胆になって膝くらいまで海に入るようになっていく。後ろで見ていたお母さんが「危ないからやめなさい」と言うのに、面白くてやめられないらしい。最後には「ヤダヤダ」と言うのを強制撤収(?)させられていた(笑)。

幼い子どもに限らず、若い人のグループは必ず最初に波打ち際まで行ってみていた。波が引く寸前に海水に手を触れてみるとか、3歳児と同じように波とギリギリの追いかけっこをしたりしている。おじさんおばさん、じっちゃまばっちゃまは一人としてそういう行動をしない。面白いもんだね。好奇心や冒険心が薄れるのか、あるいは身体や衣服が濡れるのを厭うのか。ただぼーっと海を見て、波の打ち寄せる音を聞いている。

私ももちろんぼーっとしていたクチだが、それで十分楽しかった。いや、心が浮き立つような楽しさではないのだが、いまここで無為に海を眺められることそのものが「ああ、いいなぁ」と思われるのである。この波は地球上に海ができたときからずっと、一瞬も休むことなく岸に打ち寄せているのだなぁとか、いつの時代の人間もこの同じ海の音を聞いてきたのだなぁとか、そんな取りとめもないことを思うのが心地よい。

海潮音……もちろん波の音、潮騒のことを言うのだが、仏教語では「みほとけの慈悲の声」の意味がある。寄せては返す波の音。良いものだ。

Taki1Taki2 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

親子関係

いまネットでニュースを見たら、元次官を刺したという男が警視庁に自首したようで。またニュースから目が離せなくなりそうだ。

ところで今夜は『たけしの日本教育白書2008』の最初のあたりを観た(あとはビデオでゆっくりと)。家庭での親子関係がテーマになっていたようで、どんな親になりたいと思っているかとか、子は親をどんなふうに見ているかなどが紹介されていた。友達みたいな親になりたいと思っている親が多いのに驚いた。それは基本的に間違っていると私は思うのだけれどもね。

また、父親の権威というのは私が想像していた以上に失墜しているなぁと感じた。晩御飯のときに父親だけ一品多いとか、食材として良い部分を父親が食べるというのは、私が子どもの時にはごく当たり前のことで、それについて不平や不満を言うことなど想像だにできなかった。というか、そういうことを不思議とも理不尽とも思わなかった。

私の父は、兄に言わせるととても怖かったそうだが、私にはとても甘かった。しかしそれでも父や母に対して「うん」などと返事しようものなら「はい、だ!」と叱られた。目上の人に対して自分から挨拶ができなかったときも叱られたし、遊びに夢中になってしまって約束した時間までに帰宅できなかったときも「約束が守れないのか!」とこっぴどく叱られた。叱られた記憶は数限りなくある。

これがもしも友達みたいな父親で、常日ごろ母が父を立てている姿を見ていなかったら、たとえ父親に叱られたって言うことなんか聞かないんじゃないかと思う。友達というのは対等な関係だ。だから「お父さんはそう考えるかもしれないけれど、自分はそうじゃないんだ」なんて屁理屈を、子どもはいくらでもこねることができる。親と子は対等なんかじゃない。いや、対等であってはいけないと思うのだけれど。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

(備忘録081121)

今夜はボジョレーヌーボーを飲んでひっくり返ってしまいました。たったグラス1杯だったのですが。猛烈に眠くて頭がまったく使い物になりませんので、今夜の記事はお休みします。

あ、特記事項を一つだけ。今朝6時過ぎ、ものすごい雷が鳴りました。完全に我が家に落ちたと思いましたが、違っていました。家じゅうビリビリ震えて怖かったです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

しあわせのバブルリング

きょうは夫が休みだったので、久しぶりに二人でお出掛け。県西部にある「しまね海洋館アクアス」へ行った。以前にも行ったことはあるが、あれは何年前のことだったろう?

平日の閉館前2時間という時間帯だったせいか、人も少なくゆっくりじっくり楽しむことができた。それでも人気のシロイルカのショーは8割ほど座席が埋まっていて、人気の高さを物語っていた。ちょうどバブルリングを出したところをケータイで撮ったのだが、見えるかな?

続いて先日オープンしたばかりのペンギン館へ。私はイワトビペンギンが好きなのだが彼らには見事にシカトされた。むぅ。ジェンツーペンギンも水の中をものすごいスピードで泳ぎ回っていて上手く写真に収めることができなかった。代わりに、オウサマペンギンの中でことのほか仲の良い二羽が揃って目の前までやってきてくれたのが嬉しかった。ガラスにべったり張り付いて意思の疎通を図ること10分。だいぶん仲良くなれたと思ったのに、夫が「まだ魚を全然見ていない!」と急かすので後ろ髪引かれる思いで次のコーナーへ。

これまた大好きなクラゲなど見ながら「神話の海」と名づけられた巨大な水槽の前に出る。サメやらエイやらカメやらが悠々と泳ぐ様を見るのは文句なしに楽しい。言葉もなくただただぼんやりと彼らが泳ぐのを見る。なんだかわからないが、スゴイの一言。みんな生きているんだなぁと、わけもなく涙が出そうになる。ここで残りの時間の大半を消費して、最後に売店でイルカの指輪2600円也を買うとちょうど5時。閉館の時間となった。

買い物をしたりちょっと寄り道をしたりして家に帰ったら8時45分。松江からは一般道を使ってだいたい往復5時間かかる計算だ。ちょっと遠いけれども、数年に1回くらいは行きたいなと思う。夫よ、運転お疲れ様でした。ありがとう。

Shiroiruka_3Pengin_2Kurage_2Kame  Kurione

| | コメント (0) | トラックバック (0)

物騒ですね

夜の報道番組で「宅配便が来てもすぐにドアを開けないのは常識」と誰かが言っていた。そうだったのか。私はすぐに開けていたよ(汗)。カメラとかインターホンで確認してから、という話だったのだが、我が家にそんな設備はない。ドアチェーンの長さの隙間から覗いて見るだけだ。

でも結局どうやって本物の宅配便屋さんだと確認すればよいのだ? 大手の宅配便屋さんの格好を真似てくる奴だっているかもしれないし、身分証だってそれっぽいのを準備してくるかもしれない。逆に、たとえ聞いたことのない宅配便屋さんだったとしても私が知らないだけかもしれないという可能性だってある。自分宛てだったら送り主の名前を確認して「そんな人は知らないから持って帰ってくれ」と門前払いすることもできるが、夫宛てなら私の知らない人であることもあろう。どこまで疑えばよいのか、きりがない。

初対面の相手に対してある程度の警戒をするのは本能だろうが、人を見たら泥棒と思えとばかりに疑ってかかるのは実に淋しいことだと思う。ギスギスした世の中になったものだと思うけれども、まぁ私自身が急にテキパキと臨機応変に物事に対処できるような人間に変われるわけもないので、今までどおりノホホンと暮らしていこうと思う。まさか私の命を狙う奴もいないだろう。万に一つの災難に怯えていてもしかたない。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

スケープゴート

元厚生事務次官職にあった人物やその家族が立て続けに襲われるという事件が起こった。亡くなられた方々にはお気の毒であったというほかはない。

私怨なのか年金絡みの公憤なのか。はたまた必殺仕置き人のように金で雇われたプロの仕業か。30歳くらいの若い男だったというから現在もらっている年金が不当に低額で、ということはない。公憤とすれば、なんともはや思い切ったことをと思う。

私が推理作家なら政府の陰謀という話を作る。いまの様々な年金問題はすべてこの人たちが責任者だった時代に帰結させて、もう責任者もいないことだからとウヤムヤにするとか。ありきたりかもしれないけれども、誰も責任を取ることをしない現状に国民が憤っているのは事実だから、いわゆるスケープゴートにしてしまおうということだってあるかもしれないと思う。政府なんて全然信用していないんだワタシ…(笑)。

明日になれば新聞に識者の見解が載るのだろう。犯人像には「豊田商事事件」のときのような右翼的な匂いも感じたりするのだが、さてこの事件どうなるのかな?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

歯医者

きょうは歯医者へ行って1本抜歯しました。先週から歯茎および頬ならびに顎が腫れてえらいことになっていましたが、きのう夜中に歯茎が破裂して血がどばっと出てからはいくぶん楽になっていました。それでも歯がグラグラしているので一大決心をして歯医者へ行きました。診てもらったら「抜きましょう」と。私にも異存はなく麻酔をされて椅子の上に横たわっておりました。あれだけグラグラして自分でひっぱっても抜けそうな感じがしていたくらいだからすぐに終わるだろうと思っていたら、どっこい、先生悪戦苦闘の末「あんがい根元はしっかりしていますね」と、なにやら息を切らしておられるような。でもまだ抜けた気配はありません。ワタクシも肝心な部分はまったく痛くはないのですが緊張と不安で全身硬直して脂汗が出ました。そして私の人相がすっかり変わってしまうのではないかと心配になるほど、先生渾身の力を込めて私の顎やら頬やらを押さえつけ、どうにかすっぽりと抜けるまで5分以上かかりました。ワタクシ顔じゅう痛くてぐったりです。抜いた歯のところやその周りの歯茎などの痛みはすぐになくなりましたが、押さえられた反対側の頬やら顎やらが痛くなって処方された痛み止めを飲んだりしました(笑)。

そんなこんなで、きょうの『BJ』語りはお休みさせていただきます。m(_ _)m

BJ先生は外科以外の領域(眼科や耳鼻咽喉科)の手術もしておられますし、何回か自分の身体にメスを入れるということもしておられますが、それが背面や顔面だったらとても自分では手術できないでしょうね。しかしBJ先生が他の先生のところへ行ったというのは、手が痙攣したときの精神科と、「上と下」の歯医者くらいしか思い当たりません。それも文庫版の「上と下」ではその台詞も変更されてしまっていますが。先生でも歯医者に掛かるんだなぁと妙に可愛らしく思ったものです。

11月3日付け記事「『BJ』のサブタイトル」に若干追記。(赤文字部分)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

想像力

●いま読んでいる『知に働けば蔵が建つ』(内田樹著)に、想像力について書かれていたので、ちょっと抜粋。

妄想と想像は違う。
妄想というのは「記号的なもの」である。想像というのは「具体的なもの」である。
「宇宙人が私を監視している」という妄想を持つ人にとって、「宇宙人」はほとんど「宇宙人」という「文字」にまで縮減されている。「宇宙人」の食生活や性生活や政治的信条について具体的な細部を語ることに彼らの興味はほとんど注がれない。
だから、妄想には具体的な細部がない。
それに対して想像は具体的な細部についてこそ発揮される。


具体的な細部を思い描けるのは「強い想像力」であり、具体的な細部を描くことができない想像力は「弱い想像力」であると言い換えてもよい。
ここでいう「強い」と「弱い」の違いは、それが現実変成の力をどれくらい持っているかを基準に考量される。


記号的な想像力は「すでに知られているもの」を繰り返し複製することはできるけれど、新しいものを創造することはできない。
「未知のもの」につながるのは「強い想像力」だけである。
強い想像力だけが現実を変成する力を持っている。


強い想像力を備えた人は構造的に幸福な人である。
そう教える人はあまりいないようなので、私が代わってみなさんにご教示してさし上げるのである。
        --宿命とは何か より--

「想像力の欠如 大麻で転落“高偏差値大学生”の末路」という記事を読んだ。上に抜粋した文章の「想像力」というのとは根本的に次元が違うような気がするけれども(笑)。なんだかこの子達は自分の人生を他人事として生きているような感じがする。想像力もないかもしれないが、罪の意識さえなさそうだ。小さい頃から善悪をちゃんと叩き込まれていないのではないかな。悪いことをしても叱られたことがないとか、反対に良いことをしても誉められもしなかったとか。「学生は言いたい放題」って、いったい何なんだよ。恥もなさそうだな。「良いことは良い。悪いことは悪い」んだよ。この世の一番単純なことがわからなくて高偏差値もないもんだ。呆れたな……。

続きを読む "想像力"

| | コメント (2) | トラックバック (1)

トロッコ問題

ココログニュースで取り上げられていたのだが、「トロッコ問題」という古典的な問題があるそうだ。こういうのもパラドックスと言うのだろうか。ジレンマを発生させる思考実験と言ったほうが良いような気がする。また哲学の領域というより倫理学の領域に思われて、たとえばゼノンの「アキレスと亀」のパラドックスを考えるときのような思考遊戯的な楽しさが無い。私のこれからの人生においてこんな場面には絶対に遭遇したくないと思うような究極の選択を迫る問題である。

もしも実際にこんな立場に立たされたら……私ならきっと何も行動を起こさないのではないかと思う。それはパラドックスを考えるというそもそもの姿勢からは大きく逸脱するし、思考を放棄することに他ならないのだろうけれども、きっと自分自身の関与というもの自体を避けるのではないかと思う。一番ズルい方法かな。しかし自分自身を関与させるならば、例えば2番目の設問においては自分自身が線路に飛び降りてトロッコを止めるという方法も選択肢に入れなくてはならないと思う。しかし、私にはとてもそんな『塩狩峠』のような自己犠牲はできそうにない。

これは何を問うためのパラドックスなのかな? 確かに「1人をトロッコの前に突き落とすことと、トロッコを1人の方へ向かわせることとは、なにかが異なるようだと直感的に感じる」のだが、上でリンクした記事の最後の部分(“Science”と“Nature”の論文)によると、それはその際に活発に働く脳の部位が異なっているからであるらしい。だから医学的にはたいへん有意義な思考実験ではあるようなのだけれども。倫理学のパラドックスとして見た場合、「道徳観念において、われわれの考え方は思ったほど理性的ではないのかもしれない」という結論しか出ないのであれば、なんだか釈然としないものが残る問題だなぁと思う。

ふと、神様ならばどうするだろうかと思った。そのとき思い出したのが、以前ひろさちやさんがテレビで言っておられた言葉だ(ひろさんは仏教哲学者なので「神」ではなくて「仏」だったし、そのときの例題は「カルネアデスの板」の状況に近いものだったけれども)。仏様が誰かを助けようとされる場合、それは手近なところから助けられるのである、とひろさんは言っておられた。つまり仏様には人間個人個人の命の軽重(や人数)など関係ないのであって、助けられる人から助けるのだということだ。だとすれば、だ。いま自分が何も行動を起こさなくても1人の人は確実に助かる(その代わり5人は助からないが)という状況は、仏の意思にも沿うものではないかと思ったりする。イエス様だって99匹の羊を放っておいても1匹の迷える羊を探しに行かれるというから、やはり「数」ではないのだ(とするのはいささか強引か)。だからというわけではないが、やっぱり私ならいずれの場合も1人を助けられるなら何も行動を起こさないような気がする。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

(備忘録081114)

体調がすぐれないので、きょうはお休みします。m(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(備忘録081113)

久々に浅見光彦モノを買ってきた。簡単に読めそうなものが欲しくて、小池滋の『坊っちゃんはなぜ市電の技術者になったか』とどちらを買おうか迷ったが、私は鉄道ファンではないし……、ということで『逃げろ光彦 内田康夫と5人の女たち』を選んだ。短編集で、浅見光彦が出てくるのは最後の1編だけらしい。まだ読んでいないのだが、浅見光彦シリーズだと思って読むと騙される、というネットの記事を発見して、現在絶賛凹み中。

最近肩が凝るなぁと思っていたが、風邪ともあいまって歯が浮いてきて、きょうになったら顎のあたりが腫れてきた。押さえるとじんわりと痛い。歯科口腔外科に行くべきなのだろうが、大ッ嫌いなので、冷やして治す。気合だ!

来年1月から出崎統監督で『源氏物語千年紀 Genji』が放映されるとか。当初は大和和紀の「あさきゆめみし」をアニメ化する予定だったのが急遽変更、出崎監督オリジナル作品になるのだそうだ。作画はやっぱり杉野昭夫さんのようなので、こりゃあかなり濃い光源氏になりそうだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分の意見を発すること

田母神前航空幕僚長の論文および答弁や、兵庫県知事の発言が物議を醸している。「日本は良い国だったと言っているのにどうしてそれが責められなくてはならないのか」と田母神氏は持論を曲げず(まぁ今更曲げる必要もないが)、却って自虐史観を攻撃さえしていたようだ。問題はそんなことではない。氏に大局的、グローバルな視点が欠けていることが問題なのだ。一般人とは違い、特にそういう視点を持つことが要求される責任あるポストにあって、ただ己の信念にのみ基づくこれらの言動を取ることはいかにも浅慮だったということだ。一介の民間人の立場で大いに怪気炎を上げられたらよろしい。兵庫県知事の発言については、口がすべったような印象があるが、記者会見での釈明があまりに取ってつけたように説明的で保身的だったので好感は持てなかった。つい口が滑ったんだ。悪かった。と素直に謝ってくれていたら、と思う。

それにしても、知事の失言に対しては数百件の抗議の電話やメールが送られてきたという。いったいどういう人たちがわざわざそんなことをするのか、私はむしろそっちのほうに興味がある。病的ではないかとさえ思う。以前福知山線の脱線事故が起こったときも一時はものすごい数の苦情や抗議が寄せられたと聞く。駅員さんたちは平身低頭謝罪に明け暮れていた。そのときも、いま必要なのは苦情を言うことではないと書いた覚えがあるが、どうも弱い者いじめというか、抵抗反抗口答えができない状態の相手を、関係ない不特定多数の者が嵩にかかって責めている構図が見えるような気がしてならない。単なる鬱憤晴らしではないのか。人に便乗して、謝ることしかできない人に対して優越感を満足させているだけではないのか。

私は普段Yahoo! を利用しているのだが、いつの頃からか記事の下にユーザーの感想が出るようになった。先日筑紫哲也さんが亡くなられたとき、それに関していくつもの関連ニュース記事が出たのだが、ユーザーの書き込みの傾向にはなかなか興味深いものがあった。最初に否定的な意見や感想がいくつか書かれるとその後もずっと否定的なものが続くのである。ほとんど同じ内容の記事でも最初に肯定的なものが書かれるとそこはずっと肯定的な雰囲気のまま続く。どれだけ自分の意見を書くことが難しいか、というより、人の意見に流される人がどれだけ多いかということの証左であろうと思う。人が批判しているのだから自分も……、人が賞賛しているのだから自分も……と。

自分の発する言葉にはそれなりの覚悟と責任が必要だ。いや、それ以前に、人に迎合している自分が情けなくならないのか。自分が誰であるかを隠したままそんなことで鬱憤を晴らしている自分が恥ずかしくないのか。私にはそれが不思議だ。

------------------------------------------

いつもお世話になっている桜雪乃さんから『連想キャラバトン』というのをパスしていただきましたが、なんとも難しいバトンで私の手には余りましたので、大変申し訳ありませんが今回はパスさせていただきます。m(_ _)m
当てはめてくださった「めぐみさん」というご回答があまりにももったいなくも面映く気恥ずかしく……(赤面)。ありがとうございます~♪ 
雪乃さんから連想するのは……「激流」の肝っ玉母さん! BJ先生の母、白拍子先生の母と並んで「『BJ』三大理想の母」の一人でございます。お忙しいでしょうが、お身体に気をつけて楽しく育児なさってくださいね~♪

------------------------------------------

頂いているコメント、メールのお返事は明日させていただきます。すみません。m(_ _)m 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

介護の日

11月11日は「介護の日」だそうだ。

母のところに行ってやりたかったのだが、風邪を伝染してはいけないと自重する。最近私が行かない日には夕方母から電話が掛かる。最初は職員さんが掛けてこられて途中から母に代わっていたのだが、最近は最初から母が掛けてくる。なにしろ我が家の電話番号しか覚えていないので、自分の家に掛けるつもりで掛けてくるようだ。「あらアンタ、来ちょったかね?」から始まって、「まだ仕事が終わらんでね。今夜はここに泊まるけん、お父ちゃんに言っちょいてごしならんか」という用件が続く。はいはい頑張ってね、と調子を合わせておく。

母の頭の中では、自分は毎日ここ(グループホーム)へ仕事をしに来ているというストーリーが構築されているらしい。それならそれでいい。まだたまに帰宅願望の強い日もあるが、なんとか自分なりにそこに居る理由を見つけてくれたらしい。不肖の娘はただただ母の心の安寧を願うばかりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おくたんなんらかや

手塚治虫のマンガには、男女のペアを主人公にしたものがいくつかある。『ドン・ドラキュラ』の父娘、『どろろ』の百鬼丸とどろろ、『七色いんこ』のいんこと千里刑事など。大人の男と小さな女の子という言い方もできるかもしれない。百鬼丸は大人というにはちょっと若いけれども自分の目的のために突き進むというスタンスを確立している一人前の男だし、千里刑事は立派な大人の女性だけれども鳥を見ると体が小さくなるという特異体質を持っている。いずれの場合も、ペアとして協力態勢にあるときは息の合ったところを見せてくれるが、二人きりになると小さな女の子に振り回されて大弱りする大人の男……という構図も垣間見えて楽しい。ドラキュラ伯爵とチョコラではチョコラのほうが断然しっかりしているけれども(笑)。

『BJ』においても然り。ピノコという存在がなかったら『BJ』という作品はどんなに違ったものになっていたことだろう。BJは天涯孤独のクールでやさぐれた医者のままだったかもしれない。ピノコとの掛け合い漫才のような会話が描かれなかったらBJの内面描写はもっと薄っぺらなものになっていたのではないかと思う。BJの性格もピノコのおかげでだいぶん変わったと思うが、ピノコもまた回を追うごとにずいぶん変わったように思う。

そこで改めてピノコの登場する話だけを順番に読んでみた。最初の頃のピノコはかなり痛々しい。顔つきも険しいし言動も荒い。自分を認めてもらいたくて、自分の居場所を確保しようとして、18年間のブランクを埋めようとして、求められる存在になろうとして、かなり急いでいる感じがする。無理もない。(無理もないが、正直、最初の頃のピノコはあまり好きではなかった。)そしてその一番手っ取り早い解決策が「BJの奥さん」であるという自己主張であったような気がする。なぜ「BJの娘」ではないのか? BJがまだ若くて独身だったからだろう。もしBJが馮二斉くらいの年齢だったり妻があったりしたなら、素直に「娘」で納得していたような気がする。

「ピノコ愛してる」で初めて「奥たん」発言が飛び出し、それはシリーズが終わるまで延々と続く。その間、そのピノコの言葉を受け入れたのはピノコの姉ただ一人だ。お姉ちゃん、このとき頭打ってるもんなぁ(笑)。普通の人間ならそんなこと言われて信じる奴はまずいない。せいぜい「ああ、将来そうなりたいと思っているんだな。よしよし」と子供の夢として聞き流すくらいだろう。だからこれはただ一人BJに向けられた言葉だと私は解釈している。誰彼なしに「奥たん」だと言っているような印象があるが、そのほとんどはBJに向かって、あるいはBJが傍にいる状況で誰かに向かって言っていることが多いのである。例えば一人で買い物に行ってお店の人に「おじょうちゃん」と呼ばれてもピノコはそれをわざわざ訂正したりはしていない。BJにだけ聞いてもらえればよいと思っているのだと思う。

「奥たんだ」「愛ちてゆ」とピノコは繰り返す。BJもまたいちいちそれに言葉を返したりしない。そう思うことがピノコの幸せならば、と考えているからだろうと思う。幸か不幸か、どうやらBJは生涯結婚しそうにない男だ。「人生という名のSL」に描かれたとおり、ピノコは今のまま(法律上、BJとピノコは結婚できない)末長くBJの傍にいるのではないかと思う。ただBJにとって結婚と恋愛は別らしく、ピノコがいても(まだいなかったという証拠がない)BQを口説こうとした実績もある。私としてはそのほうがありがたい。ピノコを恋愛対象として、つまり性的対象として扱われるよりは遥かに健全だと考えるからだ。年齢など関係なく、幼くて小さな身体を傷つけるような行為は決して許されるべきものではないと思うからだ。もしもピノコが女性の身体として十分な機能を持っていて妊娠でもしたら、子宮は破裂する。そんなもの愛の行為でもなんでもない。逆に女性としての機能が無いなら、それは単なる淫行だ。どちらにしても、幼い身体のままのピノコがBJと性行為をする理由を、私は見つけることができない。

……話がずれた。BJとピノコの間に強い愛情があることは間違いない。しかし「奥たん」というのは文字通りの「奥さん」ではなく、BJに最も必要とされるポジションという、象徴的な意味合いだろうと思う。娘、助手、家族、相棒、それらのものを全て含んでいるように思う。ピノコはただただBJに必要とされたいのだ。私を見て。私を愛して。最初の頃のピノコは確かにそう主張していた。しかしピノコの思いはもっと力強くて無条件で母性的な愛に変容していく。そしてBJを癒すことのできる精神的な拠り所になれたとき、BJもまた「最高の妻じゃないか」とピノコを認めるのである。姿形がなんだ! ピノコがいつまでも小さいままなのを可哀相に思ったりするのは自分の傲慢なんじゃないかと、私はピノコを考えるたびにそう思う。

【ピノコ登場作品】

畸形嚢腫              
ピノコ愛してる  

 「ピノコ 先生のおくたんになゆんだ!!」「(患者の父親に、先生の子かいなと言われて)おくたんらよ!!」。←これが「奥たん」発言の初出例。最初は「奥たんになゆ」だったのが「奥たんらよ」に変化している。
後遺症          
ピノコ再び
    
 「もうおまえはあの医者のこどもだ うちの子じゃない もどってくるやつがあるかっ」「ピノコ 先生とこにいたいんだアー」    
灰色の館     
 「おくたんとちて ついてきたの」…「ウワキはゆうちまちぇんっ」「よけいなおせわだ」   
発作       
 「(おじょうちゃんと言われたのに対して)ちゃんらないの さんって いいなおしなちゃいっ」←ふ~ん、「奥さん」でなくてもいいんだ?    
誘拐       
 「部屋から出るなっ」「おくたんがおくゆぐやい いいじゃないのよさ」
 「らいとうよう(大統領)なんてかんけいない人れちょ ピノコはなんしよおくたんなんらかやね!」
 「ちがうわ! らいとうようのほうがたいせつらかやよ!! ピノコなんかよいも!」「らいとうようってらいじな人らもん この国にとって」「ピノコなんか ろうなったっていいのよさ」。このBJへの盲信ぶり! そしてそれが裏切られたかもしれないという場面でもBJを一切恨んでいないピノコ。健気で潔い。颯爽と大統領もピノコも両方助けるBJもカッコいい。「キチュしてあげゆ」。    
万引き犬         
ときには真珠のように     
ピノコ生きてる  

 「そよそよピノコ大きくしてくえたっていいれちょ」…「ピノコもいつかは結婚するんだ!」
なにかが山を…  
 「ピノコ歩けよ! 十八だろおまえ」「オンブーッ いつも0歳だ0歳だっていってゆくせにーーい」    
ピノコ還る!   
 「おくたんのヘチョクイはあんまりきかないもんでちゅ」    
赤ちゃんのバラード       
白いライオン   

 「ピノコおまえはどうだ おまえはまともなからだになりたいと思ったことはないのかっ」「おまえは半分以上つくりもののからだだっ」「ちゃんと一人前のからだの女の子になりたいと思ってはいないのかっ」「そやあ ないたいわのよ……」。これは辛い会話だなあ……。    
めぐり会い    
 「これは…わたしの助手でピノコというんだ」「おくたんれちゅ」。こんな紹介されたら、誰だって面食らう(笑)。    
アリの足         
ふたりの黒い医者
 
 「うわきしちゃあいけませんっ 男なら会ってもいいけろね」。ウン、だからキリジャはピノコ公認なんだよな…(違)。   
にいちゃんをかえせ!!     
コルシカの兄弟
  
 「そんなにおくさんぶりたいんならクチャクチャスルメかむのやめろ」「やめさせたら泣くもんね」    
ネコと庄造と       
のろわれた手術        
えらばれたマスク     
ガス           
スター誕生
    
 「ね ピノコしうつして大きくちて!」「いまのままがいいよ」    
弁があった!       
ピノコ・ラブストーリー 

 「あれはすばらしい助手です」    
デベソの達        
報復         
シャチの詩
    
 「ピノコ 先生のおくたんなのよ!」…「ね 先生 いまは ひとりぼっちじゃないわよね」
水とあくたれ     
犬のささやき        
奇妙な関係
    
 「いいや 二十歳の名医だ」  
ピノコ西へいく  
 「ピノコ二十歳よのさ!!」  
小さな悪魔    
 「小さいときには男の子なら母親を 女の子なら父親を愛するもんだ…」…「アッチョンブリケ」  
もう一人のJ       
U-18は知っていた     
ハッスルピノコ
  
 「くよくよすんな!」「幼稚園や学校なんざゴマンとあるさ」…思い悩むBJ。  
悲鳴         
老人と木       
座頭医師
     
 「らんなちゃまのちごのにケチつけやえたや」「おくたんとしては ぐやじいわのよ!!」 
殺しがやってくる  
研修医たち    

 「結婚記念日よのさ」「あのなあ 結婚式もあげてないのに なんで結婚記念日なんだ」「らっておくたんらもん 結婚記念日ぐやいあゆわのよ」「ウーン そう決めてるんならやむをえないな…」「さ らちて」……この後BJは「わがむすめピノコへ」と書いたメキシコのひょうたん人形を出してピノコの逆鱗に触れることになる。
あるスターの死      
畸形嚢腫パート2 
空からきたこども      
99.9パーセントの水   
落としもの        
やり残しの家     
約束           
フィルムは二つあった  
失われた青春  
      
コマドリと少年  
 「おくたんのやゆことに いちいち口出さないれちょーらい!!」
音楽のある風景    
B・J入院す
   
 「(女医さんにおじょうちゃんと言われて)おくたんらってのに!!」「あの女医ちゃんね 先生を愛ちてゆ」。鋭いなーピノコ! びっくりしているBJの顔がなんとも…(笑)。する前からバレてちゃ浮気しようにもできまへんな。    
白い正義     
 「この子は私のものだっ」  
本間血腫     
おとずれた思い出
 
 「らってピノコはね 先生のおくたんらもん」「ピノコね ほかの人におくたんってみとめやえたのは はじゅめてよのさ!」。ウンたしかに!
信号           
土砂降り

 「(BJと電話で)そこに女医ちゃんいゆんれちょ きよみとかゆー……」「いいれちゅか ウワキはらめれちゅよ わかっちゃうんらかや」。なんで名前までバレてるのかな?    
六等星          
キモダメシ    

 「おまえ二十だろう そんなお子さま向きのサービスは幼稚じゃないのか」  
肩書き        
命を生ける        
二人三脚
     
 「おまえそろそろ発声練習したほうがいいんじゃないか」  
腫瘍狩り        
浮世風呂       
助け合い         
20年目の暗示      
消えさった音       
しめくくり        
ブラック・ジャック病    
コレラさわぎ       
ピノコ・ミステリー        
密室の少年
    
 「先生… ピノコがついてゆ…」    
動けソロモン   
 「(アニメーターの青年に向かって)ピノコね おくたんよのさ」「こうみえても二十なのよのさ あら 十八らったかちや」「手塚治虫たんがねー アイマイなかきかたちゅゆかや こまっちゃうわのよ」     
台風一過     
 「おまえもおとなだろう 私に頼らずにしっかり家を守ってろ わかったな」  
人生という名のSL   
 「おまえ 私の奥さんじゃないか」「それも 最高の妻じゃないか」  
復しゅうこそわが命      
されどいつわりの日々
B・Jそっくり

 「手と顔洗ってきなさい!!」「私の奥さんならそんなひどい顔はごめんだ!!」    
過ぎさりし一瞬   
短指症
      
 「としはもいかないって おまえさんはどーなんだ?」「ピノコ おとならわよ!!」このエピソードでのBJピノコペアの息ピッタリ具合といったら、読んでいて痛快である。    
オペの順番     

【上記以外でピノコに言及されている作品】

ダーティ・ジャック 
 「私にもちいさな女の子がいてね」「幼稚園へ入れようと思ってるんですよ」「おいくつ……」「十八歳だ…いや0歳かな」
ふたりのピノコ
 「うちの子がおまえさんそっくりなんだ」「おまえさんを見てるとうちの子を見てるようでね」
身代わり      
 「(スージー)じゃ……パパなの」「ンム ま…そんなもんだ」

| | コメント (2) | トラックバック (0)

(備忘録081109)

どうやら風邪を引いたらしい。2~3日前から鼻の奥が痛かったのが、きょうになってこれでもかというくらい水っ洟とクシャミが出るようになった。夕方から布団にもぐり込んだら、多少熱もあるのか妙な夢ばかり見る。今夜は早めに寝ます。m(_ _)m

| | コメント (2) | トラックバック (0)

コンビニやネットで投票

きのう録画しておいた『太田総理』を観た。今回のマニフェストは「投票所を廃止して、コンビニ、インターネットで投票するようにします」。

私の考えは「反対」。理由は、コンビニの無い田舎やネットに馴染みのないお年寄りなんかはどうするんだ?というのが一つ。家庭のPCから投票するようなとき、本当に自分の意見を反映できるのか(圧力がかかったりするんじゃないのか)?というのが一つ。また、私が基本的に機械というものを信用していない(というか、誰かの悪意によってデータが改竄されたり個人情報が漏れたりする可能性が否定できない)というのが一つ、である。しかしまぁ投票方法などはどうでもよいというのが本心ではある。

太田がこのマニフェストを出した理由は、そうすることによって若い人たちの投票率を上げることができるのではないか、ひいては政治離れを防ぐことができるのではないかという考えからであって、本当の議題もそこである。コンビニでお弁当をチンしてもらう間に投票ができるのならば、と、今まで投票に行ったこともない若いタレント達が「賛成」にまわっていた。

対して、政治コメンテーターの金女史が「そんないい加減な気持ちで投票するな!」と怒りを露わにしていた。彼女の言い分は、大切な一票はちゃんと政治を考えに考えた末に投ずるべきものであって、立候補者の顔だの趣味だので選んではいけないというものである(彼女の前に発言したなんとかいうチャラ男クンがそういうことで選ぶと言っていたのを受けた発言)。彼女の気持ちもわからないではない。私も、マンガ好きのA首相がアキバで絶大な人気があるという事実には「おいおい……」と思わないでもない。それでは選挙が単なる人気投票になってしまう、つまるところ、いわゆる衆愚政治になってしまうと彼女は言いたいのだろう。

しかし、衆愚政治なら衆愚政治で、多数決の結果ならそれで良しとするのが民主主義の根本なのではないのか。同時にそれは民主主義の限界だとも思うけれども。誰もが金女史のように政治を勉強している選良ではない。「衆愚政治」の反対語は「選良政治」だろうか。よく知らないけれども、今までそうやって政治に興味のない若い人たちが投票せず、よくよく政治を考えた末に投じた選良たちの一票の結果が今の政治であるならば、ちょっとやり方を変えても良いのかもしれないと思ったりもした。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ペンは剣よりも強し

筑紫哲也氏が亡くなられた。筑紫さんが休まれてからは『NEWS23』も観なくなっていた。いつか復帰されることを願っていたのだが、残念だ。

私にとって筑紫さんといえば『朝日ジャーナル』だった。「右手に『ジャーナル』左手に『マガジン』」と言われた頃より一時代後の1984年から1987年まで、筑紫さんが編集長を務めておられた。「若者たちの神々」なんていう企画は面白かったし、左翼系というイデオロギーなんか意識せずに先端の思想文化が紹介されていたように思う。自由闊達な気風がまだあの頃にはあった。

あの穏やかで紳士的な風貌も好きだった。いつだったか大橋某と一緒に番組に出られて、某氏が誰でも彼でも呼び捨てにするのに対して、筑紫さんはきちんと敬称をつけて丁寧な言葉遣いをしておられたのが印象的だった。彼個人の主義主張は二の次にして、まずは公平なジャーナリストとしての姿勢を崩されなかった人だと思う。

それでも右翼系の人からは嫌われる存在だったろう。それもニュースキャスターになられてからは、真っ先に矢面に立たされることも多かっただろうと思う。戦うジャーナリスト筑紫哲也さんのご冥福を祈る。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

公式サイトが消えた……

ちょ、ま……。え? お? あ?
「ブラック・ジャック・オフィシャル・サイト」はいつ無くなったの?!
1週間くらい前までは確かにあったのに!
わ~~ん(泣)。あの実写シルエットのBJ先生が好きだったのに~~!
捨て犬を拾ったり、コートのままでオペしたり、電話に向かって怒鳴ったり、木にもたれてため息ついたり、木枯らしの吹く屋台の飲み屋でコップ酒を飲んだりするあのBJ先生……。
わ~~ん(号泣)。そりゃあもう1年半以上も更新されてなかったけど、あのBJ先生に会いたくてときどき覗いてたのに~~!
朝っぱらからショックだ……。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

(備忘録081106)

Yahoo! のトップページでこんな話題を見かけた。「なぜ掛け算と割り算は先にやるのですか?」というものなのだが、これを「そう決めたから」と答えるのは間違い……だよね(←自信なし!)。でもいざ自分ならどう答えるだろうかと考えると結構難しいような気がする。自分が小学生のときにどんなふうに教わったのかはもちろん忘却の彼方だが、今の学校で「そういう決まりだ」と教えているのなら、これは問題だなと思ったり。

きょうもバタバタしてくたびれました。ばたんきゅーです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

“Yes! We can!”

アメリカ大統領選挙でバラク・オバマ(Barack Hussein Obama, Jr.)候補が勝利。第44代目にして初めて黒人系の大統領が誕生する運びとなった。人種問題の見地からすれば、まずはめでたいことだと思う。世界中を覆う金融経済不安の問題もさることながら、いろいろな差別と戦う大統領になってもらいたいと思う。

勝利演説を聴いたが、この人は実に演説が上手い。聴衆に希望を与えるような演説をする。乗せるのが上手い人には小泉元首相がいたが、あれは「自分は断固やるんです!」という勢いだけだった。オバマ氏は「みんなでやればできるんです」と語りかける。国を、世界を動かしていくのは、政治家ではなくて我々一人一人なのだと言っているようで、良い演説だったと思う。所信表明演説が民○党への公開質問状のようだった某国の首相とは格調が違っていた。

さて彼がどんな政策を打ち出してアメリカを、そして世界を立て直していくのか、注目していきたいと思う。とりあえず、ブッシュ政権が終わるだけでも、めでたい! 

もう一つ、きょうの大きなニュースは、大阪梅田の轢き逃げ事件の容疑者が逮捕されたこと。自殺するほど思いつめるならまだしも、いけしゃあしゃあと新しい職場で働いていたとは! またも普通の神経を持った人間ではないようだ。未必の故意で殺人罪を適用してもよい事例だと私は思うけれども、いやそれにしても、最近こういう理解不能な犯罪者が多すぎる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

(備忘録081104)

きょうは朝から小室某逮捕のニュースでもちきり。ファンの人たちはショックだろうな。私は逮捕よりも前妻への慰謝料が7億円という事実のほうがショックだ(笑)。どうするとそこまで金銭感覚を失くせるのだ? 貧乏人でよかったとつくづく思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『BJ』のサブタイトル

『BJ』のサブタイトルについて考えてみた。

以前アニメが放映されていたとき、アニメにつけられたサブタイトルにはかなり首を傾げるものもあってファンの間ではあまり評価が高くなかった。原作のサブタイトルは素晴らしいのに、という意見もよく見かけたものだが、原作にもよく意味のわからないタイトルがそれなりにあると思うのである。内容を一言で上手く表しているものもあれば、妙に思わせぶりだがちょっとハズしていると思うものもある(私の感覚では、だが)。そこでエピソードそのものではなくサブタイトルが意味するものを考えてみたいと思った。

サブタイトル全体をつらつら眺めて思うことは、どことなくバタ臭くて洋画につけられた邦題を見たときに感じるような気恥ずかしさが漂うものが多いということである(私の感覚では、だが)。1年に300本もの映画を観ていたというほど映画好きな手塚治虫のこと、映画のタイトルをもじって使うことだってあったに違いない。『ダーティー・ジャック』なんかその顕著な例だ。

そんな例がほかにもないかと思いつくままメモ書きした。本当にそれを意識してタイトルがつけられたかどうかは、もちろんわからない。ただここに挙げたのは私が知っているくらいの大作や名作だから、当時のたいていの読者も知っていて、当然手塚治虫は知っていたはずだ。そのあたりのことについて何か情報をお持ちの方があったら是非ご教示願いたい。「他にこういうのもある」という情報も是非。m(_ _)m

映画について調べるのに時間を食ってしまって、本来の目的である「サブタイトル考」まで行き着くことができなかった。どこまで行ってもキリがないような気がしてきたので、ひとまずここでアップする。私が「意味がわからん」と書いているものについて、「それはこれこれこういう意味だぞよ」というご教示も是非賜りたく。また全然見当違いなことを書いていたら、それもご指摘願いたく。よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m 【このエントリについては、今後も加筆修正していくつもりです。】

というわけで、以下、全243話のサブタイトルをずらーーーーっと並べてコメントをつけてあるので、興味のある方だけご覧くだされば幸い。

最後に……、

天国の手塚先生、80回目のお誕生日おめでとうございます♪♪ 
そして『BJ』という作品を生み出してくださって、本当にありがとうございます。
私の生涯の宝物です。大事にします。

続きを読む "『BJ』のサブタイトル"

| | コメント (6) | トラックバック (0)

(備忘録081102)

その昔「加茂の水、双六の賽に山法師」は意のままにならないと言ったのは白川上皇だが、なんとかならぬものか「振り込め詐欺、迷惑メールに轢き逃げ事件」。
振り込め詐欺……世間では被害件数が増えていると聞く。私はいつか電話が掛かってこないものかと手ぐすねひいているのだが、掛かってこない。
迷惑メール……最近ラルゴが鳴きっぱなしだ。20件くらい着信拒否した。メール機能をはずそうかしら。
轢き逃げ事件……警察、もっと頑張れよ!!

まだ調べものが終わらない。だんだん的外れなことをやっているのではないかという気がしてきた。ここから得るものがはたしてあるのだろうか。一つの叩き台として、明日アップ予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シビリアンコントロールは機能しているか

問題となった田母神航空幕僚長の「日本は侵略国家であったのか」をざっと読んだ。内容については何もコメントができない自分が情けない。この時代の歴史にはまったく詳しくない。だから挙げてある事柄の一つ一つが正確であるのか、論旨の組み立てが適切であるのか等々の判断ができない。ただ、たいていの論文というものは、自説に都合の悪い事実などはことさら取り上げないのが普通であるから、私の持論に照らし合わせれば居心地の悪さと違和感を感じさせるものではあっても、論文自体の出来は悪くないと思った。こういう意見の人はざらにいると思われる。

問題は空自の制服組トップである人物がそれを書いたという一点なのだろう。麻生首相によれば、防衛省の「あのあれ」(検閲だろう)を受けていたとしたら適切ではないし、個人的に出したとしても今は立場が立場だから適切ではない、という。どちらにしても適切ではないらしい。日本におけるシビリアンコントロールをも疑われることになるとすれば更迭もやむなしということなのだろう。

ただそれで判らないのは、この論文が問題となったことで給油延長法案成立にまで影響が出るという見方だ。民主党は、シビリアンコントロールがなっていないということを主張するつもりなのだろうか? そんなに防衛省というのは一人歩きしている組織なのだろうか。だとすると危ないなぁとぼんやり思う。いや、私も給油法案には反対だけれども。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »