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父子の愛憎劇

きょうはBJの父親について考えてみる。アニメでは「影三」という名前と新たな設定が加えられたが、原作では名前も明らかではない(ちなみに「かげみつ」という名前で思い出されるのは「どろろ」の百鬼丸の父親・醍醐景光である。もひとつおまけにアニメでBJの母親の名前だった「みお」は、百鬼丸の彼女の名前である。BJと百鬼丸の類似点については以前に書いたことがあるので割愛)。BJの父親(以後、間氏と呼ぶ)は68話「えらばれたマスク」と233話「骨肉」の2編に登場するが、「骨肉」では脳卒中で倒れて既に意識もない状態である。さて間氏という男、どういう人間であるのか。

原作中、間氏のことに言及された最初は39話「純華飯店」と思われる。ちなみにBJの少年時代が描かれている28話の「指」ではまったく触れられていない。「純華飯店」のラスト、「あなたはまだ父親がいてしあわせだ……」という独白で初めて、BJには既に父親がいないことがほのめかされる。いや、このときはまだ外国で生きていたのだろうが、39話目ではまだそこまではわからない。ただ、父親はもういないのだなと察せられるだけである。このBJの台詞からは、父親を慕う気持ちが窺える。父親孝行ができる息子を羨ましく思い、それができない自分の境遇を淋しがっている様子がありありである。

Photo そして68話「えらばれたマスク」で間氏は初めてその姿を現す。父子再会の緊迫したシーン。
間氏が、ほぼ20年振りの再会なのに面変わりした自分の息子をちゃんと識別しているのが興味深い。やはり血のなせるわざか。確かに似てはいるのだ。瞳の描き方やボサボサの髪質がそっくりだ。BJは少年時代は母親似だが、だんだん父親に似ていったようだ。あ、ちなみに、BJの本名が「黒男」であることはこの話で初めて明らかにされた。

このとき間氏は現在の妻である蓮花を手術して欲しいとだけ言ってBJを滞在先であるホテルへ呼び出している。まだ顔の整形手術であることはわかっていない。「りっぱなドクターぶりじゃなァ」と息子を褒めたまではよかったが、その後に「そ その顔のキズはどうしたのだ」と言っている。つまり間氏はまだキズのない頃のBJの顔しか知らなかったことがわかる。ずいぶん薄情な、と思うが、実際、99話「友よいずこ」でBJの顔面の皮膚の色が違う理由、115話「不発弾」でやっとBJの身体に残る傷痕の理由が描かれるまで、それはずっと読者にとっても謎だったのだ。

手塚治虫の頭の中でもまだ設定されていなかったのかもしれないのだが、これらの事実が明らかになった後で間氏の「その顔のキズはどうしたのだ」発言を読むと、あの爆発事故のあと一度も息子(と妻)に会っていなかったとしか思えない。いや、事故のことさえおそらく知らなかったのだ。「えらばれたマスク」では外に女性を作って妻子を捨てたという(まぁそれだけでも充分ロクデナシなのだが)浮気性の男というイメージだったのが、「友よいずこ」や「不発弾」で更にりっぱなロクデナシに昇格した感じだ。

「えらばれたマスク」に話を戻す。間氏とBJとの会話でわかることは、20年近くも間氏からは音沙汰がなかったこと、その間に間氏はマカオで事業を興し成功を収めたということである。そして間氏はハンセン氏病を患って顔が崩れた蓮花の美容整形手術をBJに依頼する。そしてこれを機会にBJと仲直りをしたいこと、蓮花は病気のせいで子どもが産めないからBJに自分の跡を継いでもらいたいこと、等を話す。対するBJは、あれからお母さんがどんなに悲しんだか、自分がどんなにあなたを憎んで殺そうとまで思ったか、でも最期のときにお母さんはあなたを許したんだ、「あんなすてきなりっぱなおかあさんを なぜすてたんです!!」と思いのたけをぶちまける。間氏には返す言葉がない。

この父子の応酬は凄絶だ。自分の遺産は蓮花とBJで分けろという間氏からは、父親として息子を思う気持ちの一片を読み取ることができるし、間氏から母親に対する誠実な言葉を引き出したいBJからは、まだどこかで間氏を信じたいという気持ちが感じられる。父子の愛情と慕情を交錯させながらの応酬は、しかし結局すれ違ってしまうのだ。

ここで一転、話はビジネスの様相を帯びる。手術と報酬の話題へ。父子の情愛では埒が明かないと、男同士の取り引きへと持っていったのはBJの方だ。父親としては失格だが、では仕事ではどうなのか。
「世界一の美女にしてほしいのだ…(中略)…おまえならできるだろう」
「そりゃあできますよ しかし もしまんいち世界一みにくい顔に仕上げたらどうしますか 復讐のためにね!」
「そんなことはおまえのプライドがゆるしゃあしないよ」
「信じますか?」
「信じてるよ」
(顔に汗を浮かべながら見詰め合う父子。やがてBJが「フフ…」と笑う)
「七千万円いただきましょう」
これで商談成立である。

間氏という男、ビジネスではかなり敏腕なようである。己のプライドを賭けて仕事をすることの尊さを知っている。BJはここで間氏を信頼に足る男だと判断したのではなかろうか。と同時に、自分との共通点をも見出したのだろう。「フフ…」という笑いは(父子だなぁ……)という実感から生じたものではないかと思う。

BJは手術を始める。「ああ 一つだけ聞いておきたい……いまでもおかあさんをすこしは愛していますか」と問うBJ。しかし間氏の答はこうだ。「黒男……わしはおまえの母親にすまなかったとは思う……だが いまは愛してはいない! わしがいま心をこめて愛しているのは……家内だ! この蓮花ひとりなのだ わかってくれ 愛情とは残酷なものだよ」。そして一ヵ月後、包帯が取れた蓮花の顔はBJの母そっくりに整形されていたのである。
「なぜ まえの妻の顔なんかにしてしまったっ わしは世界一の美女にしろといったはずだぞっ」
「私はおかあさんこそ世界一美しい人だったと信じていますのでね これから一生 あなたはいやでもおかあさんの顔とむかいあってくらすんだ あのときひとことでも おかあさんを愛しているといえば 別の顔にかえるつもりだったのです」
そして、夜の街に車を駆るBJが一人つぶやく。「さようなら おとうさん」

なんともはや、凄い復讐劇である。解説本等で指摘されているように、これはBJのエディプス・コンプレックスを描いた話に間違いはないと思う。「さようなら おとうさん」という台詞から、BJはここまでやってキッパリ父親の影と訣別できたのだということがわかる。愛憎相半ばする父親という存在を、自分の中から抹殺できたのだろうと思う。

しかし私はこの話からエディプス・コンプレックスよりはマザー・コンプレックスの方をより強く感じてしまう。「いまは愛していない」とはっきり言われてしまった母親を、BJは限りなく哀れに痛ましく感じたのではないかと思う。母親を自分のものにしようとして父親に反抗心を抱くのがエディプス・コンプレックスだが、その父親が母親をもはやまったく愛してはいないのだ。競争相手にもならないのである。だからこれは「父親に対する復讐」というよりは、「母親を愛するがゆえの復讐」なのではないかと思う。

いや、結果は同じなのだが、母親を愛したのが自分一人だったという事実が、あのすてきなお母さんを覚えているのは自分一人しかいないという事実が、BJには耐え難いことに思われたのではないかと思うのだ。お母さんが忘れられていいはずはない! という思いに突き動かされて、こんな復讐を思いついたのではないのだろうか。前々から準備された復讐ではない。BJはホテルに行って初めてどんな手術をするのか聞いたのだから。父親を信じたい、でも憎い。微かな希望を探して間氏の心を探りながら、「父親への復讐」という気持ちはある程度失せたのではなかろうか。しかし最後まで捨て切れなかったのが、「母への愛」だったのだと思う。

この話で幸せになった人物は誰一人としていない。忘れたい先妻の顔とずっと向き合って暮らすはめになった間氏も、知らぬ間にそんな顔にされてしまった蓮花も、そして最期には間氏を許して死んでいったBJの母親もおそらく喜んではいまい。あの気高いおかあさんはこんなことを望んではいない、と、BJにもそれはよくわかっているはずだ。それでもやらずにはいられなかったBJの心を、哀れに思う。

最後に、これは以前にも書いたことだが、ちょっとアニメ版について触れる。アニメでは影三がとても良い人になっていて、もうどうしようかと思った。BJのあのちょっと捻じくれた性格は、原作のこの女好きで家庭を崩壊させても省みない、しかしビジネスでは有能な間氏でないと辻褄が合わないと思うのである。自分と母を救うために家庭を捨てたといういやにカッコいい影三の秘密が明かされた後、BJはいったいどうするのかと、他人事ながら心配になったりしたものだ。私は影三よりは間氏のほうが断然好みだ(笑)。

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