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天才は天才を知る

昨日触れた『手塚治虫クラシック音楽館』に、ストラディバリウスを弾くモロゾフ氏の場面が取り上げられていたので、きょうは第55話「ストラディバリウス」について。

BJの乗った飛行機が、計器の事故で北極近くに不時着する。外は猛吹雪。暖房も切れ、乗客は騒然となるが、そこに流れてきたバイオリンの音色に平静を取り戻す。弾いたのは乗客の一人で、世界的なバイオリニストのモロゾフ氏だった。やがて乗客は近くのエスキモー村へ避難することになったが、乗務員の指示で荷物を持ち出すことは許されず、BJ先生は医療器具が入ったカバンを持っていくことを諦める。一方、モロゾフ氏は指示に従わず無理矢理ストラディバリウスを持っていくのだが、移動の途中で風に吹き飛ばされてしまう。いったん村へ落ち着いてから、モロゾフ氏は吹雪の中をストラディバリウスを探しに行き、凍死寸前になる。命は助かったが、凍傷を負った指をBJが治療しなくてはならなくなる。しかし手元に医療器具がないためにどうすることもできない。結局、3本の指を失ったモロゾフ氏が言う。「自分が生きるためには 大事なものはいつも身からはなさぬことですて…… たとえば先生にとっては手術器具でしょうな…… あれは先生……飛行機の中においてくるべきではなかった」……

モロゾフ氏の機内での感動的な演奏(原作では何を弾いたのか不明だが、アニメ版では『G線上のアリア』が使われていた)や、「大事なものはいつも身からはなさぬこと」という説教めいたセリフに、なんとなく上手く丸め込まれてしまいそうになるが、元はと言えばモロゾフ氏の身勝手な行動が招いた自業自得の悲劇である。と、言えなくもない(笑)。しかしそんな皮肉な見方は手塚先生の意図とはかけ離れたものになるであろうから、\(・_\)こっちに(/_・)/置いといて。

大きく2つのテーマが描かれていると思う。一つは音楽の素晴らしさ、もう一つは人をその人たらしめるものの大切さ、である。「音楽の素晴らしさ」については改めて言うこともない。機内での名演奏のシーンに象徴されている。音符に花が咲き、人々は非常事態であることも忘れて感涙にむせび喝采を送るのだ。BJ先生とモロゾフ氏は隣り合わせの座席なのだが、演奏を終えたモロゾフ氏に先生が満足そうな顔でべったりもたれ掛って懐いているように見えるのは私だけか(笑)。氏の名演奏は乗客の不安や恐怖を取り除いたばかりか、このクールで仏頂面の外科医の心まで蕩かすほどのものだったのである。

そしてもう一点の「その人をその人たらしめるもの」だが、モロゾフ氏においては愛器ストラディバリウスを奏でること、BJ先生においては手術、である。実際、それらを欠いた彼らというのは、彼らであって彼らではないと言えるだろう。単に身に付いた技術のことではない。生き甲斐というのでもない。個性というのともまた違う。それがないと自分自身ではなくなってしまう、というようなもの。自我の一部というような深い領域のものかもしれない。モロゾフ氏は「自分が生きるためには」と強い言葉を放っている。言葉を補うとすれば「自分が『自分として』生きるためには」ということになると思う。モロゾフ氏とBJ、この2人の天才は、この極限状態でそういうものの大切さに気付き、共感し合っていたのではないかと想像する(凡人には想像するしかできぬ…)。

後にエスキモーの夫婦によって発見されたストラディバリウスが、モロゾフ氏の3本の指に寄り添うように埋葬されたというラストシーンは、美しく神秘的であり、せめてもの救いでもあった。凍える氷の下で、ストラディバリウスは今も美しい音楽を奏でているのかもしれない。

最後に蛇足を。猛吹雪の中をカバンを取りに飛行機へ向かうBJ先生。さすがにコートの袖に腕を通して着ておられます。肩にひっかけるだけのいつものスタイルではなくてコート本来の着用方法でお召しになっているのは、シリーズ中このシーンだけではないでしょうか。また、飛行機に乗るからと、いつもはコートの内側にしのばせているメスも外してしまわれていたのでしょうね。

こんな強風なのにやっぱりデコが見えない……。orz

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