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a prayer

『オーデュボンの祈り』(伊坂幸太郎著)読了。

いま一番気になる作家さんのデビュー作だ。彼の作品は長編短編を含めて相互に関連しているそうなので、これから順番に読んでいこうと思う。そんなこと知らずに、『死神の精度』と『チルドレン』は既に読んでしまったけれど。

さて『オーデュボンの祈り』。「BOOK」データベースにはこうある。
----コンビニ強盗に失敗し逃走していた伊藤は、気付くと見知らぬ島にいた。江戸以来外界から遮断されている“荻島”には、妙な人間ばかりが住んでいた。嘘しか言わない画家、「島の法律として」殺人を許された男、人語を操り「未来が見える」カカシ。次の日カカシが殺される。無残にもバラバラにされ、頭を持ち去られて。未来を見通せるはずのカカシは、なぜ自分の死を阻止出来なかったのか?卓越したイメージ喚起力、洒脱な会話、気の利いた警句、抑えようのない才気がほとばしる!第五回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞した伝説のデビュー作、待望の文庫化。----

うん。内容を簡潔に説明しようとするとこんなふうになってしまうと思うのだが、たぶんこの文章から想像されるであろう物語の雰囲気と実際の味わいは全然違う。ミステリはミステリなのだが、まるでおとぎ話のようであって、現実感がまるでない。まるでないが、明日わが身に降りかかってきてもおかしくないと、ごく自然に思える。何かとても奥深くて深刻な真理が語られているようでもあり、しかしそんなことは現実の重みの前には無意味なことと無視してもかまわないと思えるような、淡々とした乾いた明るさもある。

何ということもない雑多な出来事が最後にひとつに収斂する心地よさがミステリの醍醐味だが、このお話の場合は収斂したその結果が素敵で、私は泣いた。感動的だったからと言うのは容易いが、何かこう、楽しくて哀しくて、透明で綺麗なものが目の前いっぱいに広がった感じがした。ミステリとしてだけ読むのはもったいない。

ところで、書店でこの本を見たとき、「オーデュボン」という言葉が頭の隅に引っかかった。知っている、聞いたことがある、でも思い出せない。そのもどかしさがこの本を買うに至った直接の動機だった。読んでみて、ああ、と思い出した。John James Audubon(1785~1851)。アメリカの鳥類学者で細密な鳥の画集を遺した人だ。以前勤めていた図書館で、利用者N君からの強い希望があって、このオーデュボンの『アメリカの鳥類(Birds of America)』という本を購入したのだった。それはそれは見事な図鑑だった。写真なんかまだ無かった時代に、よくこれだけ観察したものだと思った。大型で重い本だったので、この本専用に閲覧台を用意した。N君と一緒に飽かずに眺めたことを思い出す。このN君というのがまた面白い子で、臨床医にならずに基礎医学、解剖学の道を選んだのだが、解剖学者の目から見てもこの図鑑は素晴らしい出来だったのだろう。(学生の頃から知っているので「N君」なんて呼んでしまうが、「N先生」と呼ばなくちゃいけないな…。)

そのオーデュボンも描いた「リョコウバト(Passenger Pigeon)」というのが、この『オーデュボンの祈り』の一つのキーワードになっている。20億羽以上の巨大な群れをつくる鳥で、世界で一番多い鳥とも言われていたが、人間の狩りや乱獲で1914年になんと絶滅した。そこから教訓を読み取ることも可能だが、この作品においては、時の流れ、過去・現在・未来、それを見通す力とそれにまつわる悲哀などを表しているように感じた。折りしもきょうのニュースでは「スズメ 国内生息数、半世紀前の1割に」と報じられている。そこで人間が何ができるのか、ただ観ているしかできないのか。できるのは……ただ祈ることだけか。カカシの「優午」の気持ちが少し分かるような気がする。

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