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アトムの子

太宰治は「桜桃忌」、藤沢周平は「寒梅忌」、司馬遼太郎は「菜の花忌」……。文学者の命日にはその作品に因んだロマンティックな呼び名が付けられることがあるが、手塚治虫の場合はどうなのだろう。一説には「アトム忌」とも聞くが、これではまるでアトムが死んだようでイタダケナイ。個人的には「オサムシ忌」あたりが良いように思うのだが。手塚治虫が亡くなって、きょうで20年だ。

1989年2月9日、訃報に接したのは夜のニュースでだったと思う。思わずテレビの画面に向かって合掌した。入院しておられたことも知らなかったけれど、「BJは来なかったのか……」と悲しく思ったことを覚えている。その後、追悼番組が組まれ特集雑誌などがたくさん刊行されたけれども、一時代の終焉を見せつけられるのが嫌で、私はほんのわずかしか見ていない。個人的にも仕事の異動があったりその他何やかやで慌しく混乱していた時期だった。

PhotoPhoto_2私がちょうど物心付いた頃、テレビでは『鉄腕アトム』(フジテレビ系 1963~1966)を放映していた。雑誌では読んだことがなかったが、明治製菓のマーブルチョコに入っていたアトムのシールやマジックプリントを柱にペタペタ貼っては親に叱られたものだ。シールといえば、同時期(1965~1966)にやはりフジテレビ系で放映された『W3』のシールがロッテのフーセンガムに入っていて、私はボッコ隊長がお気に入りだった。そして『W3』の後番組が、たしか『マグマ大使』だったと思う。いまから思えば、アニメと実写でずっと手塚マンガ漬けだったわけだ。もちろん同時に『宇宙エース』『スーパージェッター』『エイトマン』なども観ていたから「手塚」というブランドに特別惹かれていたわけではなかった。しかし当時はSF風味の夢のある子供番組が充実していたのだなぁ。『ジャングル大帝』『どろろ』『海のトリトン』『ふしぎなメルモ』などもすべてアニメで知った。

私が雑誌で初めて読んだ手塚作品は「COM」の『火の鳥』だった。我が家ではマンガは買ってもらえなかったから、兄が友達から借りたものだろう、部屋に置いてあったのを読んだ。いま思うと、たぶん「COM」の創刊号だったと思う。ネットで見る表紙に見覚えがある。小学1年生の頃。そして正真正銘、これが私のマンガ雑誌初体験であった。それまでは絵本の類しか読んだことがなかったから、フキダシの中にセリフが書いてあることがまず珍しかったことを覚えている。『鉄腕アトム』や『W3』と同じ人が描いているなんてことは知らなかった。ただ『火の鳥』というのは難しい、という印象を持っただけだった。そりゃあ小学校低学年には難しいに決まっている。いまでもあの作品は難解だというイメージがあるが、それはこのときのファースト・インプレッションに拠るところが大きい。「手塚治虫」の名前は『火の鳥』で覚えたのだと思う。

その後、少女マンガでは「りぼん」、少年マンガでは「少年チャンピオン」や「少年サンデー」「少年マガジン」などを、友達から借りて読む時代に入る。「りぼん」では手塚治虫の作品は読んだ記憶がないように思う。『リボンの騎士』は当時身体が弱くてしょっちゅう病院に掛かっていたその待合室で読んだが、あれは「なかよし」だったのだろうな。「少年チャンピオン」に掲載された『ザ・クレーター』(1969~1970)は印象深く覚えている。当時の私にとってはとても怖かったのだ(ぶるぶる)。そして1973年から「少年チャンピオン」で『ブラック・ジャック』が始まるのだ。虫プロの倒産だとか、手塚の死に水を取るつもりで始まった連載だとか、そんな裏事情など一切知らなかった。長期連載マンガが多い中で、一話完結の形で語られる医療を巡るストーリーがとても新鮮で面白かった。少年ではなく大人の男が主人公というのにも心惹かれた。書店やスーパーで立ち読みすることが多かったが、全部暗記するほどの勢いで真剣に読んだものだ(笑)。

私が大学を卒業して社会に出るのとほぼ時を同じくして『ブラック・ジャック』は掲載されなくなり、自然消滅した。それがきっかけというわけでもなかったが、それ以降はとんとマンガやアニメに興味がなくなって、マンガとは完全に縁が切れた。だから私のマンガの歴史は、『鉄腕アトム』に始まり『ブラック・ジャック』に終わったと言っても過言ではない。それも、自分の生活の節目節目で、何故だか手塚マンガとシンクロするめぐり合わせになっていることが不思議でならない。詳しくは書かないが、人の死が悲しくてならなかったときに偶然『ブッダ』に出会ったという事実も私の中では大きな救いだったし、アニメがきっかけでいま再び『ブラック・ジャック』にのめり込んでいることも親の老いを見る日常とリンクしているのかもしれないと思う。そんなふうに考えると、このさき自分がどんな手塚作品を読むようになっていくのか興味津々だ。きっといずれの場合も、そのときどきの私を勇気づけて導いてくれるに違いないと信じている。

先日の『プレミアム10』で山下達郎がいみじくも言っていたが、彼らの世代および彼らよりちょっと年少のわれわれの世代にとって、手塚治虫はまさに基礎教養だった。手塚マンガの洗礼を受けずに育った者のほうが珍しいだろう。『鉄腕アトム』でテレビアニメ初体験をし、『火の鳥』でマンガ雑誌初体験ができた私は、山下達郎風に言えば間違いなく「アトムの子ども」だ。差別や戦争を憎み、自然のかけがえのなさと生命の輝きを描き、たとえ報われることがないとしても懸命に生きることの尊さを語った手塚治虫の遺伝子を、我々の世代はごく自然に受け継ぐことのできる環境にあったのだ。彼の哲学がまさにわれわれの基礎教養だったという幸運には、いくら感謝してもしたりない。私がいつも「人間だけが特別であってよいのか」と考える根底には間違いなく幼い日に読んだ『火の鳥』や『ジャングル大帝』の影響がある。人間の醜い部分や狂気を思うときには『アドルフに告ぐ』や『MW』がある。なんと贅沢なことだろう。

まだ読んでいない手塚作品は山とある。そのことにも感謝しつつ、20年目の命日に改めて合掌する。
手塚先生、ありがとうございます。(-人-)

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コメント

アトム忌でだめなら黒男忌的な……(ぁ

投稿: もりびと | 2009年2月12日 (木) 12時28分

ャダ((o(;□;`)o))ャダ

投稿: わかば | 2009年2月12日 (木) 23時57分

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