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2009年3月

不定期更新は続く

この3月に、実はいろいろ検査を受けておりましたが、4月には治療、おそらく手術、入院ということになりそうな状況になりました。
4月は、3月に輪をかけて不定期更新になりそうですが、書けるとき、書きたいことがあるときには湧いて出ますので、ときどき覗いてやってくださると喜びます。数週間の間が空いていたら、ああ、入院してるな、と思ってください。
現在は、どこも痛くも痒くもなく、こんなメタボな病人がいていいのかと思うくらい元気ですので、ご心配は無用です。
元気になったら、通販で買いたいご本もあるし、やりたいこともいっぱいあるので、早いとこスッパリやっちまいたい気分満々です。

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人間としての免許

BS2の『週刊手塚治虫 創刊準備号』を、Mのおかげで観ることができた。(ワクワクしてテープをセットしたらいきなり『冬ソナ』が始まったので「?」と思いつつだいぶん観た。いつまでたっても始まらないのでメールしたら「巻き戻したか」と。あ、巻き戻すのね。キューンと巻き戻したら、始まった。よかった。思わぬところで『冬ソナ』初体験もさせてもらった。ありがとう、M)。なお今後の予定としては、6月に「いのちとヒーロー」として『BJ』が取り上げられるようだ。そのときはまた頼むよ、M。

司会は石澤典夫アナウンサー、アシスタントは渡辺謙の娘でモデルの杏さん(←この人はきちんと喋れる頭の良い人だ)、ゲストは石坂浩二さん。『ジャングル大帝』で手塚マンガに親しんだという石坂さんだが、一番好きな作品は『BJ』ということで、『BJ』に込められたメッセージを熱く語っていらっしゃった。

抜粋してみると……。まず、BJが無免許であるということから、これは我々の倫理や哲学を問うているのだ、と。医師免許さえあれば医者は倫理を問われない、哲学なんて持っていなくてもいいなんて、それはおかしい。BJは自分の倫理や哲学に照らして手術を引き受けたり断ったりしている。医師免許を持たないBJを通して手塚治虫が問うているのは「人間としての免許」である、と。更には、倫理と哲学を結ぶものは宗教、だとか、最近の人間はそういうものを捨て去りすぎているし、またそういうものに気付かせてくれる本もない。『BJ』を10冊読んだほうがよっぽど人生を考えさせてくれるし、どうしてもそういういろんなことを考えざるを得ない作品だ、等々。ブラボー!! そのとおりだ! 『BJ』を読んで、何も考えないでいられることのほうがおかしいと、私も思う。

あとは、「モーション漫画」として、5分ほどの「目撃者」が放映された。原作のコマに吹き替えや効果音を付けたもので、これはまぁ出来の良い紙芝居のようなものだ。2月に放送された番組での「ふたりの黒い医者」も、同じ手法だった。セリフもほとんど原作のままだから、原作の風合いを損なうこともない。今回の大塚さんは割りと静かでソフトな声を当てておられたが、違和感なし。それぞれのエピソードの雰囲気に合わせて演じ分けておられるのはさすがだ。

番組後半は『火の鳥~復活編~』後半が放映されるなど、話題は『火の鳥』へ。いまの人に読んでもらいたい、石坂さんお勧めの作品だそうだ。オーラスで、矢野顕子さんが再び『BJ』について語っておられた。自分がピノコと性格が似ていることもあり、ピノコが誕生する「畸形嚢腫」がお好きだとか。また、2日間何もしないと決めてソファに寝転がって『BJ』を読みふけった幸せといったらなかった、というお話もされていた。わ、それ、私もやってみたい(笑)!

石坂さん、矢野さんのお話を通して、数ある手塚漫画の中でも『BJ』というのは大人が読むに堪えうる作品であることを改めて認識できた。『火の鳥』ほど大上段に振りかぶっているわけではない。日常生活の中で、自分と等身大の登場人物たちが様々な生き様を見せる。大きな問題もあれば小さな問題もある。突拍子もない出来事もあればいたって卑近な出来事もある。そのいろいろな瞬間ごとに、読者はわが身に振り替えて考える。いや、考えざるを得ない。それだけの、読ませる力を持った作品であることが、ファンの口から語られるというのがまた嬉しい。

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春の番組改編期

きょう、NHK連続テレビ小説『だんだん』が終わった。地元・松江が舞台だったので、ポツポツと数回見逃したもののほぼ全部観た。正直、いったいどこへ向かおうとしているのかわからない、散漫な印象の残る作品ではあったが、マナちゃんとカナちゃんの区別だけはつくようになった(笑)。最初はまったくわからなかったのに、やっぱり毎日見ていると違いがわかるようになるものだ。

お昼のみのもんたの番組が終わったようだし、『どうぶつ奇想天外』も終わるらしい。出演料の高い芸能人は、敬遠されるご時勢なのかも。動物モノは好きなので、番組自体は終わってほしくないのだが。ときどき大塚さんの声も聴けたのに。

代わりに、新番組の中で面白そうなのは、『飛び出せ!科学くん』SP版もあり)。ちょっと放送時間が遅いのが難だけれど、楽しそうな感じがするので録画して見ようと思う。ちなみに、ナレーターは大塚さん。

わが家でBS2が映れば、4月からは『週刊手塚治虫』でウハウハなのだが……。しかし基本的に私にとってテレビなんてお金を払ってまで見るほどのものではないので、契約する気はさらさらない。NHKの受信料も本当は払いたくないのだが、これは仕方がない。番組でBJに関連するものが放送されるときだけは、またMを拝み倒してダビングしてもらおう。さっそく明日の9時からだ。「目撃者」が紹介されるそうだ。「モーション漫画」って何だろうな?

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ルパン三世 vs 名探偵コナン

コラボの話を聞いたときから、そりゃ~格が全然ちがうでしょうに、と思っていた。あまり期待はしていなかったのだが、見終わったいまの感想としては、うまく『ルパン三世』をリスペクトしたな、という感じでまとまっていたと思う。ルパンファンとしてはなかなか楽しめた。

いや、最初は、『ルパン』の劇画調と『コナン』のマンガチックな絵柄の違いにとまどったサ。『コナン』のあの横顔の鼻のラインだけはどうもね……。それに、謎というほどの謎でもなかったから(叔父が犯人てのはすぐにわかった)、コナン君の謎解きにもたいして期待は持てなかった。ストーリーとしてはいまひとつだったと思うけれど、この作品の見どころはきっとそんなところではない。両者が「お約束」の限りを出し尽くす点にこそ楽しさがあったのだと思う。

実は、『コナン』はあまり観たことがない。『BJ』をやっていたころは、たびたび『コナン』の特番で『BJ』がお休みになったこともあり、あまり良い印象も持っていない(笑)。それでも「眠りの小五郎」くらいは知っている。きょうの作品では、あのシーンの小五郎の吹き替えは大変だっただろうと思う。ルパンが化けた小五郎。それを知ったコナンとルパンの阿吽の呼吸。ときどき暴走するルパンと引き戻そうとするコナン。その声音を使い分けなくてはならないのだから、いや~、ハラハラしながら堪能した。誰だっけ? 神谷明さん? グッジョブでした。

こうしてコラボしてみると、わかる。『ルパン三世』の魅力というのは「余裕」だ。峰不二子(きょうは不二峰子を名乗っていたような…)にしても次元大介にしても、常に先を読んでいるから余裕で事に当たっている。全国8千万のアダルトは『ルパン三世』のそんなところが好きなんじゃないのかな。

五右エ門はあまり出番がなかった。次元に「先生、出番」とかなんとか言われて、難攻不落の金庫室を上からぶった切っただけ。「つまらぬものをいっぱい切った」はお約束。

ラストのルパンと故女王の回想シーン、あれはクラリスを意識したものだったのかな。そう考えると、かわいそうな女王様だったなぁと思う。

今回はテロップで笑わせてくれた。最後の「知りあいの船」には大笑いした。さすが不二子ちゃん。潜水艦かい!

あとは……。次元が飲みに行った酒場の名が「KUROBEE」となっていたので、中からBJ先生が出てこないかなと思ったことは内緒だ。以前に某BJサイトさんで、『ルパン』と『BJ』のコラボ作品を読ませていただいたことがあるのだが、テレビでもやってくれないかなと思った次第。大泥棒と闇の外科医、無理なくマッチすると思う。

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桜とテポドン

先ごろ、昨年より12日も早い桜の開花宣言は出たものの、今朝は雪が降り、明朝もまた雪の予想となっている。この寒さのぶり返しで、例年通りに帳尻が合うんじゃないかな。

北朝鮮がテポドン2号の発射準備を着々と進めているということで、日本も迎撃態勢を整えつつあるらしい。あるニュース番組で「日本国内に落ちる場合、そこの地域の住民には知らされるのでしょうか」という質問に対して「アラームで『当地域に落ちる可能性があります』(←うろ覚え)という放送を流します」と回答されていた。

テポドンは発射されてから10分ほどで日本に達する。アラームが鳴るのはアメリカが軌道を計算して着弾地点が確定されてから後のことである、もちろん。

いったいどうしろと? それならばいっそ、何も知らないままのほうが良いような気がするのは私だけだろうか。

しかしそれにしても失礼な話だ。隣国の上空に平気でミサイルを飛ばすとは。またそれを事前に阻止できないとは、いったいどういうことなのだろう。A首相は「各国と足並みをそろえて、どーたらこーたら」言っていたが、頭上を飛び越えられるのはわが国、わが国民なのであるぞ? 日本が率先して厳重抗議すべきことなのではないのか? いや、飛び越えられるのならまだいい。よく発射に失敗しているではないか、あの国は。そんな技術力で、もしもとんでもない方向に飛んで落ちたら、どうなるのだろう。迎撃に失敗して、原子力発電所にでも落ちれば、それは核弾頭を搭載したミサイルが落ちたのと同じ結果になるのだぞ? 

あと1週間あまり、日本政府にはでき得る限りの外交努力をしてもらいたい。中国を動かすしか手はないと思うのだけれど……。政治献金云々より切迫した問題だと思うよ。

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『フラジャイル』その他

最近読んだ本の中でおもしろかったものについて覚え書き。

●ちょっと前に『フラジャイル』(松岡正剛著)を読了。古今東西の膨大な数の著作を縦横に引用参照しながら、「なぜ、弱さは強さよりも深いのか。なぜ、われわれは脆くはかないものにこそ惹かれるのか―薄弱・断片・あやうさ・曖昧・境界・異端など、従来かえりみられてこなかったfragileな感覚に様々な側面から光をあて、「弱さ」のもつ新しい意味を探」った大著である。(「」内は「BOOK」データベースより引用)

「フラジャイル」というと、私は以前の職場の倉庫に積んであった段ボール箱に“FRAGILE”と書かれていたのを思い出す。また、その段ボールを見るたびにロックグループ・イエスのアルバム『こわれもの』を思い出していた自分を思い出す。だから私にとっての「フラジャイル」はイコール「こわれもの」であったのだが、今回この本を読んで、そういう壊れやすいものだけを指すのではなくて、ぼんやりしたはかないもの全体を現す抽象的な概念であることを知った。

この本の感想を書くことは難しくてとてもできそうにないが、人々が何故だかそういうはかなくて捉えどころのないあやうい感覚を抱くものの正体について、非常に示唆に富んだ一冊であることは言える。内容を深く理解できたとは言い難いものの、共感できることは多々あった。境界線上、欠落と聖性、などという言葉を思い浮かべながら読むと、『BJ』を読む上でのヒントも多かったので、このことはいずれまた書くこともあるかと思う。

●『夢枕獏の奇想家列伝』(夢枕獏著)読了。著者お気に入りの歴史上の人物、玄奘三蔵、空海、安倍晴明、阿倍仲麻呂、河口慧海、シナン、平賀源内の7人を「奇想の人」として取り上げ、その生涯とどんなところが偉大なのかを語った内容だ。決して堅苦しくなっていないのは、著者が彼らを単なる歴史的偉人として見ることなく、一人の等身大の人間として見ようとしているからだと思う。たとえば、著者にとって玄奘三蔵とは決して一緒に酒を飲みたいとは思わない相手である、というように。空海についても、冷たい人間だという印象が書かれているし、中でも意外だったのは、平賀源内は気の毒な人物であるという見方である。発明家、アイデアマンとして有名な彼を、何一つ満足にやり遂げられなかった人物として著者は見ている。

なるほどなぁと思う。歴史的、表面的なことだけを見ているとわからない、生身の人物像に迫ろうとする著者の意欲を感じると同時に、こういう見方をすれば歴史もおもしろくなると感じた。また、そういう見方をすると、歴史に残らなかった人々に想いを馳せることも可能になるだろうなと思う。たとえば、4隻のうち難破しなかった2隻の遣唐使船に乗っていたのが空海と最澄だ。この二人はそれぞれ後世に名を残すことに成功しているが、では難破した残りの2隻に彼らのような偉人が乗っていなかったとは誰にも言い切れないことに気付く。もしかしたら彼ら以上に後世の歴史を変えるような人物が乗っていたかもしれない。実際に歴史を動かすことのできなかった彼らを容赦なく切り捨てたものが、われわれの習った「歴史」だったように思う。

歴史を見るのではなくて、人間を見ることの面白さを、この本は教えてくれる。文献や資料だけを確かなものとして見る歴史家ではなく、これは小説家ならではの見方だろう。そして、彼らをひとりの人間として見たとき、そのあまりにも人間臭い意地のはり具合だとか計算高さなどを通して、改めてその魅力と偉大さに気付くのである。

●『ラッシュライフ』(伊坂幸太郎著)読了。5つの別々の物語が最後に一つに収斂していく構成。すべてが同時進行ではないところにやや不満が残ったが、とてもよく練られている印象だった。それぞれが現実味のない話なのに、読んでいくうちにいつの間にか「こういうこともあるかもしれないなぁ」と思わせられている。著者の術中にはまることこそが楽しい一作。それと、黒澤という泥棒がなかなかカッコいい。

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test

いま見たら、トップページのレイアウトがめちゃくちゃ崩れてる。
いつからこうなっていたのかしら? ご迷惑かけてすみません。
とりあえず、記事が書けるかどうかテスト。

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エアチェック

最近あんまりラジオを聴かなくなった。中学~大学時代はラジオがなくては夜も日も開けないほどだったのに。

NHK FMが40周年ということで、『プレミアム10 FM40年記念番組 FMに愛を込めて』を観ていた。アルフィーやジョン・カビラさんがFMにまつわる思い出などを語っていて、ほぼ同世代としては懐かしかった。ラジカセが出るまでは、ラジオの前にテープレコーダーを置いてエアチェックした話とか。意気込んでいるときに限って、途中で誰かが部屋に入ってくるというのは全国共通の現象だったのだな(笑)。私のテープにも、「ガチャッ(ドアが開く音)、何しちょーかね…(遠い母の声)、しーーーーーッ(ものすごく大きい私の声)」という一連の音が入っているものがある。

真剣だったのだよなあ。今よりずっと真剣に音楽を聴いていたのだよなあ。買ったLPレコードの解説は隅から隅まで目を通したし、盤の扱いだって貴重品を扱うが如くだった。CDになってからあの真剣さは失われてしまったような気がする。

FMの話だった。番組中にもちらりと出てきたが、私が毎週欠かさずに聴いていたのは「渋谷陽一のサウンドストリート」だった。お気に入りのロックが聴けたから。軽くない、かなり辛らつな批評も聞けて、それこそ度々エアチェックしたものだった。「プログレッシブ・ロック BEST10」なんてのは、今でもどこかにテープがあるはずだ。10位からカウントダウンしていって……、3位ピンク・フロイド、2位イエス、1位ELPだった、と思う。いや、2位と3位は逆だったか。渋谷さんはELPのファンだったから(グレッグ・レイクが好きだったんじゃないのかな)、「これしかないのか」と言いながらも嬉しそうだったのを覚えている。

もうひとつ忘れられないのが、ジョン・レノンが亡くなってから初めての放送分だ。たぶん追悼番組だろうとは思っていたが、確かこのときには最初のテーマ音楽もなかったような気がする。レノンが死んだことには触れずに淡々と渋谷さんの語りとレノンの音楽が流れた。泣いたなぁこのときは……。曲名の紹介も何もなしに、語りの間に唐突に音楽やノイズが流れるという試みを、かつて渋谷さんは「いい」と言っていたような気がするが、それをレノンのときにやったのだと思う。

しかし一方、FMの聴き方には「この曲がかかるからチェックする」というのがあって、きょうの番組でも数々の「FM雑誌」が紹介されていた。いや、好きなアーティストの新譜が出たからチェックしたいという聴き方のほうが絶対的に多数で、だからこそ番組内でかかる曲名をすべて挙げたこのような雑誌が必要だったのだ。このことからも判る。当時は今より真剣に音楽を聴いていた。レコードを買わない代わりがFM放送だった。FMは音楽に向かって開かれた窓だったのだ。あの頃の真剣さが懐かしいなぁ。

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可愛いそうと思った時点で生意気で。

以前にも触れたことがあるのだけれど、仏教に「二の矢を受けず」という言葉がある。私なりの解釈では、つまり次のような意味だ。人は誰でも楽しいことや嬉しいこと、苦しいことや悲しいことで心を動かされる。これを「一の矢」を受けた状態とする。ここまではごく普通で当たり前のことだ。しかし仏教を学んだ人間とそうでない人間では、次の段階が違う。仏教を知らない人は、その楽しさに執着したり、苦しさにますます混乱したりしてしまう。これが「二の矢」を受けた状態。仏教を知っていれば、一の矢で受けた感情を徒に増幅させたりはしないものだ。……

先日来、溜め込んだ録画を、きょうは早送りで消化した。中に「ギネスブック」の記録保持者を紹介する番組があり、おそらく世界一背の高い男性と世界一背の低い男性が出演しているのを観た(おそらく、というのは早送りで観たために音声が聞こえなかったから)。身体能力を競うのならまだしも、本人の意思ではどうしようもない身体的な特徴をおもしろおかしく演出するやり方には、いつもどこか居心地の悪さが付きまとう。

どうして自分がそんなふうに感じるのかを考えると、先ほどの「二の矢」を受けているからだとわかる。「あ~ら、小さい人ね」で終わればよいのだ。それを「病気かしら。治らないのかしら。かわいそうね。自分はああでなくてよかったわ」などと思った時点で、「二の矢」以下の矢をグッサグサ受けているのだ。

少し前の上地雄輔のブログで、彼はこんなことを書いていた。「オイラが出た番組(『100人の村』)で海外で苦しんでいる人々や子供達の番組。難しかったです。簡単に言うと、どー思えばいいか分からなかった。どー伝えていいか分からなかった。可愛いそうと思った時点で生意気で。自分はまだ恵まれてる。とか思った時点で上から見てて。そー考えるとワケが分からなくなるからあの時スタジオで素直に感じたままにVTRを見る事にしたら微笑んだり涙が溢れたりしました(以下略) 」。こんな言葉がスッと出てくるから、この人はおバカかもしれないけれども魂はとても綺麗な人だと思うのだ。

ブッダの言葉に難癖をつけるようだが、聖人ならぬ凡人はどうしたって「二の矢」を受けてしまうものだと思う。問題は、良きにつけ悪しきにつけそのことに執着している自分に気付くかどうかなのだろう。上地クンはそれに気付いて放棄することに成功している。そして彼が取った方法は、ありのままを受け入れることだった。

思い込みやひとりよがりの憐れみや偽善を捨てること。更には、すべて捨て去ったと思う思い上がりを捨てること。禅で言うところの「放下着(ほうげぢゃく)」だ。そんな境地に至ることができたら、きっとこの世は違って見えるのだろうなと思う。

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口説き文句バトン(仮称)

トーレスさんからバトンを頂戴しました。人様が力の入った回答をなさっているのを、きゃーきゃー喜んで読ませていただいていたら、私にも回ってきてしまいました。おおおおお。orz
創作のできない人間ゆえ、これはよっぽどスルーさせていただこうかとも思いましたが、日頃お世話になりっぱなしのトーレス様からとあっては、お断りする無礼は許されまいと思い、恥を晒すことにいたしました。

誰が誰を口説くんだ? と考える段階ですっかり煮詰まり、先日の夢には「BJがピノコのパンツを買いに行った店の売り子さんを口説く」という、かなりシュールなシチュエーションまで現れました。BQ、清水きよみ、ギッデオン伯爵夫人、竹中未亡人等々、BJに思いを寄せた多くの女性たちをBJの方から口説かせようとも試みましたが、キーワードとうまく結びつかず……。でも、最後に「おしあわせに 奥さん」を付けるだけで、どんなセリフでもものすごく恥ずかしいものになるという法則を発見できたのは収穫でした。マダム・キラーなんですよね、BJ先生は。

ま、それは置いといて。結局、無難な線に収まりました。
先日から風邪を引いて、38度線あたりをウロウロしながらいつもに増してぼーーーーっとした頭で考えたので、恥ずかしい上に支離滅裂なことになっております。回答が遅くなった上に、この体たらく。すみません、トーレスさん。m(_ _)m
次にはつなげませんけれども、バトンパスありがとうございました~♪ あー恥ずかしッ///

【注意】
これは常人には精神ダメージがかなり大きいバトンです。
見る時は4回ほど深呼吸をし、覚悟を決めてから見てください。
以下のキーワードを絡める(もしくは連想させる)
口説き台詞を自分で考え、悶えながら回答して下さい。
答える生け贄もとい勇気ある人々にこの言葉を送ります。
【恥を捨てろ、考えるな】
*リアルで言ったら変人扱いされるようなキザ台詞推奨

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崖っぷち気分

Birthdayお兄ちゃん、怖いよ……。
大昔の写真です。

昔は、ケーキを食べられるのは、誕生日かクリスマスくらいしかありませんでした。たぶん3歳の誕生日だと思います。

この写真から40ウン年、今年は崖っぷちな気分です。来年になれば、もうドンと来い、になるんでしょうが……。

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『ジェネラル・ルージュの凱旋』

『ナイチンゲールの沈黙』『ジェネラル・ルージュの凱旋』(海堂尊著)読了。『チーム・バチスタの栄光』と同様に、不定愁訴外来の田口医師と厚生労働省の役人・白鳥が事件を解決していく。

『ナイチンゲールの沈黙』は、オカルトめいた雰囲気が漂う。期待していたものとちょいと毛色が違っていたし、あまり読後感もよろしくないが、レティノ・ブラストーマを病んだ少年・牧村瑞人と白血病の少女・杉山由紀の幼い恋模様が切なかった。『BJ』の「小うるさい自殺者」の喬と千代子を思い出した。また夕陽を目に焼き付けておこうとする瑞人の描写もあり、こちらは「目撃者」を彷彿とさせるものがあった。

そして『ジェネラル・ルージュの凱旋』! これは『ナイチンゲールの沈黙』と同じ時系列で進んでいくストーリー。だから両方の話に同じ人物が多数登場してくるが、『ナイチンゲール』とはまったく別の出来事が扱われている。一言で言って、こいつはカッコいいですゼ! 『ナイチンゲール』で思わず「う~ん……」と首を捻ってしまったが、『ジェネラル』で一気に発散できた。

「ジェネラル・ルージュ(血まみれ将軍)」の異名を持つ救命救急センター部長・速水の収賄汚職が問われるのだが、外野の有象無象どもが蠢くのを他人事のように睥睨する速水の覚悟と生き様と啖呵のキレの良さに、いやぁ参った! ラスト、大事故で大勢の患者が運び込まれるのを、唇にルージュをひいて(注:決してオカマではない)神のように捌いていく姿は圧巻だ。

「取材のヘリは飛ぶのに、ドクター・ヘリはどうして桜宮の空を飛ばないんだ」

救命救急の現場の修羅場、事務方やお役所の無理解。いつも辞表を携えて戦場を指揮するジェネラルの、孤独な胸のうちを理解しているのは果たして誰。

『バチスタ』よりも面白かった。絶対お勧めの本だが、『バチスタ』『ナイチンゲール』を先に読んでおいたほうが良い。さあ、次は、これらの作品に登場する人物の若き日が描かれた『ブラックペアン1988』を読もうかな。

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英語でも舌足らず

“DOCTOR, DON'T WOWWY ABOUT IT TOO MUCH OR YOU'LL GO GWAY, YOU'RE ALWEDDY HALFWAY THERE.  EAT UP OR I'LL CLEAR THE TABLE ...”

上は某所で見つけた『BJ』英語版の中のピノコのセリフ。どのエピソードのどの場面かお判りだろうか。

正解は「ときには真珠のように」の「先生 気にちてたら シヤガになゆわのよ れも もう はんぶんシヤガらけろね はやくたべないと かたじゅけまちゅのよ」である。

worry → wowwy
gray → gway
already → alweddy

となっているところをみると、英語版ピノコはどうやら「r」の発音ができないらしい。また、musn't get upset → mushn't get upshet のように、余分な「h」が入っていることが多いとか。いわゆる幼児語ではなくて、文法も単語も正しい、ただ舌足らずなだけ、というピノコのセリフには、こういう英訳がされるのだなぁと興味深かった。

ちなみに「アッチョンブリケ」は訳されていないそうだ。「アッチョンブリケ」「しーうーのあらまんちゅ」「あちーのぷあんさー」「トンデモデレデのテッチョーブクロ」……日本語でさえ意味がわからないのだから、英訳のしようがないんだろうな(笑)。

【きょうのエントリは、愛するrさんが「ピノコの舌足らずは可愛い」と書いていらしたのを読んで、急に思いついて書いてみました。本当はお休みしようかと思っていたのですが、つい(笑)。

片付けてしまいたいこともあり、今月はちょっと忙しくなりそうなので、明日からの日記は不定期になります。また完全復活した暁には、遊んでやってください。m(_ _)m】

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わかる人だけわかってネ

「拡散」と「収縮」について考える。メモ書き。

ネットにおいて。ブログというものが「拡散」なら、mixiなどのSNSは「収縮」。最近はその中間の『CROOZリアル』というものもあるようで、mixiは知らないが『リアル』なら知っているという女子高生も多いそうだ。「登録時に、IDと生年月日、血液型などを記入。あとから、自分がどんな人間なのか、さまざまなタイプから選ぶことになる。ロリータ系やギャル系、アキバ系、体育会系など、多くのタイプから選ぶことができる」……もうそんな話を聞いただけで拒否反応を起こす私は「収縮」系。

文章において。ひとりツッコミの多い文章は「収縮」。自分で書いておいて恥ずかしかったり照れたりしたときに、人に指摘される前に自分で突っ込む心理はわからないではないし、文章をノリの良いくだけたものにする意図で使うこともあるが、基本的にはこれはバリアだ。自分でわかっているからもうこれ以上突っ込むな、という防御だ。「書きたいことは書くけれど、文句は言わないように。私は私に同調してくれる人だけを求めているのだからネ」という無言の意思表示だ。読者を選別しようとする意識、だから「収縮」。

言葉遣いにおいて。先日の「なので」の記事を書いていて感じていたのだが、新語や同世代間にのみ通じるような言葉を使うのは「収縮」だ。最初から話し相手や機会は限定されている。その最たるものが仲間内でのみ通じる符丁や隠語。「1番」と言えば、私の職場では「トイレ行ってきます」の意味だった。逆に、言葉遣いで「拡散」といえるのは、新語を作ったりその普及に努めたりすることではない。誰にでもわかる従来から有る言葉を駆使することによって、たとえばその場その瞬間にしか存在しない思いや雰囲気や概念を表現することだ。何度も繰り返して使えるものではない、その場で消えていく儚い運命だが、相手に伝われば相手の脳内で無限大に拡散されるような言葉。そういうものが「拡散」する言葉遣いだと思う。いまでも忘れられないのだが、松岡正剛が「言葉」を評して「不埒なおぼつかなさ(を持っている)」と表現した。この言葉自体が私にとっては「拡散」する言葉でもあるのだが、そのおぼつかなさを鋭く突くことこそが「拡散」する言葉遣いなのだろうと思う。また優れた文学者というのは、そういう言葉を遣うのだとも思う。

『BJ』二次創作において。基本的に、キリジャは「拡散」、ジャピノは「収縮」。キリジャは、屋上屋を重ねるような想像の世界。原作に描かれていない世界を、さらにもうひとつ上の女性には絶対に経験不可能な領域で描く。なんでもありの思考実験。対してジャピノは、一般論や普遍性に近づこうとする世界。男女の愛という誰にでも理解可能な世界を構築する。

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