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2009年4月

『鴨川ホルモー』

『鴨川ホルモー』(万城目学著)読了。

さてどうレビューしたらよいものやら……。一言で言えば……、くっだらねーー!!のだが、私自身はこういう突飛なものが決して嫌いじゃないから始末が悪い(笑)。 

なんだろうな、この力技は。まず「ホルモー」という「ホルモン」と「ホモ」に似たどことなく品の無い下卑た語感が好きじゃないと思いつつ胡散臭さを胸いっぱいにして読んでいくと、呆気に取られるような怒涛の勢いで、京都を舞台に陰陽道ファンタジー(?)が展開する。

京都大学1回生の「安倍」がわけもわからず入った「京大青竜会」は「ホルモー」という行事を行うためにあるサークルだった。数々の儀式を経てオニ(式神)を操る術を覚え、他大学と対戦しながら力を蓄え、見えない糸に導かれるように集結する仲間たち。恋に喧嘩に鴨川ホルモー。最後の安倍 vs 芦屋の決戦は、安倍晴明と蘆屋道満の呪術比べを思い出さなくてはいけないのだろうが、そんなこと思い出しても思い出さなくても、もう勢いとノリだけで楽しめる。ものすごい力技だ。

ちなみに一番笑ったのは吉田神社で京大青竜会の面々が舞いを奉納するシーン。私はこれを皆が神妙な顔で座っている外科外来の待合室で読んでしまったものだから、笑いを抑えるのに苦労して涙が出た。何故この歌でなくてはならなかったのか。この作品、映画化されてただ今上映中らしいが、このシーンだけは見てみたいと思う。この吉田神社へは、京大に出張したときに一度参拝したことがある。あそこでこんな舞いをしてしまったのかと思うと感慨深い。

本にはおおまかな京都の地図が付いているが、京都の地理に詳しければなお一層楽しめる。陰陽道に多少なりとも興味があって、大学時代に郷愁を感じる人にはお勧めの一作。

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不動明王開眼

昨日のこと。10時前に内科の診察が終わったは良いが、次の外科の予約が3時だったものだから、いったん家に帰ることにした。母方のご先祖様が眠るお寺の前を通りかかると、なにやら境内に大勢の人が詰め掛けている。山門の掲示物には「10時より波切り不動尊の開眼法要、護摩祈願云々」とある。時計を見るとジャスト10時。これも何かのご縁だろうと、門前に自転車を止めて入ってみる。

人垣の隙間から垣間見ると、なるほど、先日来整地されていた境内の一角に2メートルほどの不動明王の像ができている。なかなか凛々しくてカッコいいなぁなどと罰当たりなことを思いつつ遠くから合掌していたら、ほどなく御住職はじめ数人の僧侶が列を作ってしずしずと出てこられた。不動尊の前に居並ぶと何やらわからぬ呪文のような読経が始まり、二人の僧が完璧に同じタイミングで鳴らすシンバルのような楽器(あれは「にょうはち」と言うのだっけ)の音が響く。こうなるともうどこか他の世界へ紛れ込んだような感覚になる。なんだか知らぬが有り難く厳かな気分になる。

続いて「般若心経」を3回続けて唱える。参列者たちもこれに倣っているので私も唱和。数十人の声が合わさった読経というのは迫力があって気持ち良い。私はまたまた夢見心地(笑)。その後、不動明王の真言が唱えられたようだが、これは私の知っているもの(ノウマク サンマンダ…)ではなかったので、ひたすら聞きほれる。サンスクリット語。仏を讃える古代の異国の言葉……。そして青空に撒かれる散華……。儀式というのは、日常から離れれば離れるほど荘厳なものになって、人をトランス状態に誘うものらしい。

私はそこまで見て帰ったが、生まれて初めて仏像の開眼の瞬間に立ち会うことができて嬉しかった。午後に再び行ったら人も少なくなっていて、ゆっくり拝むことができた。ちなみに「波切り不動明王」とは、空海が唐から帰るときに嵐に見舞われたのを、波間から現れて宝剣で波を切り開いて救ったと言われている仏様である。

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感染

豚インフルエンザがヒトからヒトへ感染して大問題になっているようだ。パンデミックにならなければ良いが。

『BJ』の中で「感染」といって思い出すお話は「コレラさわぎ」(1978)。BJ先生自身が感染を疑って自らを隔離した話だが、日本におけるコレラの発症は1977年に集団発生があった以降は孤発の国内感染例があるだけだそうだ。しかし海外では今なお流行中の地域もある。一説にはブラジルの予言者ジュセリーノが「2009年夏に日本で大流行する」と言っているとも聞く。撲滅するのはなかなか容易いことではないようだ。

しかし、菌にしてもウイルスにしても生き物だ。この地球上に生を受けた一つの存在であることには間違いない。人間が感染してその肉体や生命を脅かされればこれと闘うことは決して間違いではなかろうが、さてこれを絶滅させてよいのかどうかは神のみぞ知る領域なのかもしれない。将来新たな菌が発見されたとき、例えばコレラ菌がそれをやっつけてくれることだってあるかもしれない。かつてブドウ球菌をやっつけたペニシリンのように。とすれば、今は人間に迷惑な存在だからといって、これらのものを地球上から完全に消滅させてはいけないのかも。少なくとも遺伝子だけは遺しておかなくては。将来人間はあらゆる種の遺伝子を乗せたノアの方舟を作る必要があるのかもしれない。そしてそこに最後の人類の遺伝子も乗っているとしたら、これはやっぱり神の領域だ……。

さて、病原菌の話はこれくらいにして、きょうは「コレラさわぎ」について簡単に。

楽しいお話である。…というとバルボラに気の毒だけれども。コレラ感染の疑いで家に帰れないBJ先生に留守を託されたピノコの奮闘振りがとにかく楽しい。「ピノコめ… ギャーギャーわめいてるだろうな」の次のコマでちゃんと「ギャーギャー」大騒ぎしているピノコには思わず笑う。それでも、あちこちいっぺんに悪くなるバルボラをなんとか助けようと一生懸命な様子は健気でかわいい。不安半分駄々こね半分で電話口で大泣きする気持ちも実によくわかる。よく頑張ったな、ピノコ! ちなみに「脈なし病」は大動脈炎症候群の病気でアジア系の若い女性に多くみられる病気だそうだ。

原作では割りとおとなしい患者だったバルボラだが、アニメ版ではかなりエキセントリックに描かれていて楽しかった。ピノコと良い勝負で丁々発止やりあっていた(笑)。『ばるぼら』の主人公であるところのバルボラは芸術の神ミューズの娘なのだが、なぜだか大酒呑みのフーテンをしていて気に入った男のところに転がり込む。バルボラを側に置いた男は芸術的に成功するけれども、バルボラが居なくなった途端にダメになる。この「コレラさわぎ」では結局BJとバルボラは一言も言葉を交わしていないが、手術の後でバルボラがBJを気に入ったりしたら面白いだろうなとは思う。こういうフーテン娘を、先生はそんなに嫌いじゃないような気がする。でも、医学は芸術じゃないから、バルボラは居付かないかな?

この話で興味深いのは、BJ先生の隠れ家が出てくるところ。アニメでは、開業したての頃に使っていたとかなんとか言われていたが、原作ではまったく説明がない。電話も通じているしテレビも映る。カーテンには律儀にツギが当たっている(先生がやったんだろうな)が、医薬品や医療機器、検査道具などはひととおり揃っている感じだ。3日間外出しないで居続けられるということは、食料の買い置きもあり、簡単な調理くらいはできるようになっているに違いない。また、乾電池式と思われる卓上時計が動いているところを見ると、BJ先生ときどきはこの家に来ている様子。ピノコにも教えていない、文字通りの「隠れ家」だ。いったい何の用途で使うのかは知らないが、いろいろヤバい仕事も多い先生には必要な家なのかも。しかしBJ先生はよっぽど崖っぷちの家が好きなのだなぁ(爆)。

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最後に、シンポジウム『永遠の火の鳥』について詳しく記事を書いてくださったCh-I様に心から感謝を! 岡野氏が指摘していらっしゃったというあのナメクジいっぱいのシーンは私も忘れられません。またあの気も遠くなるような長い歴史をたった独りで見ていたマサト(だったかな?)の気持ちはどんなものだったのかと想像すると、こっちの気がオカシクなりそうです。いやはや、やっぱり『火の鳥』というのは凄い話です。自分がどこまで理解しているのか甚だ心もとないですけれども……。

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行きたかったな…

昨日は「手塚治虫展」で「永遠の火の鳥」と題するシンポジウムが開かれたはず。パネリストは松岡正剛、岡野玲子、夢枕獏、夏目房之介というメンバー。いったい何が語られたのか、特に松岡氏がどんな発言をしたのか知りたくてずっとネット検索していたが、まだ記事が見つからない。う~む、早く知りたい!! NHKで放送してくれないだろうか。ちなみに以前に松岡氏が「火の鳥」を語った「千夜千冊」はコチラ

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うろ覚えだが、たしかアラン・シリトーの短編に、自殺しようとする男と「自殺すると罪に問われる」と忠告する男が出てくる話があった。なにしろ若い頃に読んだ本なので、その後のストーリーがどう展開したのかサッパリ覚えていないが、自分の命さえも自由にすることはできないのかと、そう思ったことだけは鮮明に覚えている。

さて、どうしてこんなに大騒ぎする必要があるのかと思わずにはいられない草彅クンの事件(余談だが、鳩山総務相はなんであんなに怒っているのか。いくらなんでも言い過ぎだと思うけどな。中川前財務相のヘベレケ会見のとき、彼はあんなに怒っていただろうか。酒の上の失態ということなら、あっちのほうが断然罪は重いと思うのだが。あ…、どうやら発言を撤回したようだ。まあコロコロと…)。

草彅クンの罪は「公然わいせつ」だそうな。性的なものを対象に、見たくないものを見ない権利(自由か?)を守るという、すなわち社会的保護法益の観点から罪になるわけなのだが、なんとも曖昧なものではある。公序良俗の意識に鑑み「正常な性的羞恥心」を害するだの「善良な性的同義観念」に反するだの言っても、そこに明確なラインなど引けるわけがない。世の中には女子高校生のちょっと短めのスカートを見ただけでムラムラするという人もいるわけで、でもそんな気を起こさせた女子高校生をすべて公然わいせつ罪に問えるはずもなく、ここは一応「陰部、陰毛、肛門及び女性の乳首」が見えたらアウトということにしようというのが公然わいせつ罪である(と私は理解している)。ということは、草彅クンも、局所だけ隠しておけばあとは裸でもOKだったんじゃないかな。

またそんなものを見せられたからといって、生命や財産が脅かされるわけでもないので(トラウマになる可能性は否定できないが)、刑法で定められているから犯罪なのだという意味合いが強いように思う。そもそも「猥褻」の観念なんて、個人差のほかに国や宗教、文化、風習等によって一番差異が大きい領域だろうけれども、いまの日本社会においては、草彅クンがやったことは「罪」になってしまうということだ。

酔っ払って公園で裸になっても罪。最初に触れた小説の中では、自殺しようとしても罪。かたや、正義を掲げた戦争では相手国に攻めていって無辜の市民を死なせても罪には問われない。いったい「罪」とは何なのか。刑法や社会通念に示される社会的なものと、原罪や罪業に示される宗教的なものを排除してその本質を考えてみると、つまるところ、本人が罪悪感を感じるものが罪なのだとしか言いようがないように思う。己が信じる犯罪理論に基づいて金貸しの老婆を殺したラスコーリニコフには罪悪感が無い。しかし成り行きで老婆の妹まで殺してしまったことについては、発狂するまでに罪悪感に苛まれる。自分の中にある規範に照らし合わせて罪だと思うものが「罪」なのだろうと思う。

だから、……ちょっと話は飛ぶのだが、最近多い無差別殺人の犯人が「死刑になりたかった」などという理由で罪を犯す場合、彼らにはまったく罪悪感が無い。そんな彼らに罰を与えるとすれば、社会的に見れば、彼らに生きることを許さない、つまり死刑が相応だと思われるのだが、死刑を望んでいる彼らにとってそれは罰でもなんでもないということになってしまう。彼らにとっての罰とは、罪悪感を持たせること以外にないと私は思う。そして、罪悪感に苛まれ、心底から反省後悔をしている者を死刑にする必要はない…という死刑反対の意見に繋がるのだが、……余談でした。

今回の草彅クンの事件は、本人が一番びっくりして尚且つあれだけ反省しているのだから、もうそっとしておいてあげたら良いのにと思う。同じことを普通の酔っ払いがやってもこんなにニュースになるわけもなく、一晩トラ箱にぶち込まれて説教されて終わりだ。罪と呼べるほどのものでもない。アイドルとしての立場上、本人が罪の意識を持っているから「罪」だと、ただそれほどのことだ。

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(備忘録090422)

2泊3日の教育入院から帰ってきました。詳しくは書きませんが、看護師さんや薬剤師さんや管理栄養士さんから、みっちりいろんなことを教わってきました。皆さん、とても優しく丁寧に教えてくださって嬉しかったです。お世話になりました。ありがとうございます。m(_ _)m
教わったことを守って、なんとか手術日(まだ決定していませんが)までには少しでも数値を良くしたいと思います。 

また、同室のご婦人方はかなり長く患っておられる方々だったので、お話を聞いていろいろ思うところもありました。健康というのは、決して当たり前のものではなくて、得がたいものなのですね。

コメントいただいておりますが、明日以降にお返事させていただきます。すみません。

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【愛用バトン】

桜雪乃さんからバトンを頂戴しました。ありがとうございます。m(_ _)m
では早速やってみます。

■携帯

au。Sony Ericsson のやつです。たしか3台目だと思いますが、ずっとジョグダイヤルが付いている機種を選んでいます。ピンク色のオモチャみたいな外観です。
用途はほぼ通話だけ。それも、夫宛てに「単4乾電池買って帰って」というような10秒以内の業務連絡が多いです。たまにメール打つとめちゃくちゃ時間がかかります。カメラもたまに使いますが、使いたいときには携帯していないことが多いです。

■財布

renoma の茶色い長財布です。10年近く使ってるかな。

■車

本人はペーパードライバーです。夫の車は紺のプレセア。

■シャンプー

メリット。

■ボディシャンプー

家ではボディシャンプーはあんまり使いません。牛乳石鹸の青箱バスタイプをよく使っています。

■洗顔料

……お化粧しないもんで、洗顔料には縁がありません。石鹸でザブザブ。

■靴

ローファー。いまはリーガルとハルタを交互に履いています(笑)。たまに踵の低いパンプスを。

■帽子

夏場だけですが、黒や迷彩柄のアポロキャップを被ってます。色気ゼロです。

■歯磨き粉

クリアクリーン、ora2など。こだわりはありません。

■リップクリーム

あんまりつけません。よっぽどのときは夫のメンソレを借ります。

■釣り竿

がまかつ がま磯RZ1号。チヌ釣り用。←いちおう書いてみました(笑)。夫があまた持っているロッドの中で、1回だけ私が使ったことがあるものです。

■バッグ

通販で買った黒地に銀色の猫の刺繍の入った小型のもの。

■薬

頭痛持ちなので「フェリア」という鎮痛剤を持ち歩いています。20分でテキメンに効きます。

■自転車

白いナショナル自転車。15年くらい乗ってます。

■指輪

シルバーの猫の指輪を愛用していたのですが、紛失してしまってからはしていません。家の中のどこかに必ずあるはずなのですが。お気に入りだったので、是非とも探し出したいと思っています。

■ストラップ

ピノコが付いてます。もう鼻の頭とかリボンの角の着色が剥げてます(泣)。

■枕

そば殻と羽毛が半々入ったやつ。

■腕時計

きょう付けているのは、クマのプーさん。

■タバコ

いまは喫っていません。以前はキャスターマイルドやマイルドセブンFKを。

■コンビニ

めったに行きません。たまにどこかへ出かけたときに飲み物や本を買う程度。ローソンが多いかな。

■お茶

ウーロン茶とプーアル茶をブレンドして沸かしてます。冬はホットで、夏は冷やして。あとは、緑茶と抹茶。紅茶ならダージリンが好きです。

■手帳

何年も通して使っている赤い布貼りの手帳(住所録などはこちら)と、毎年100均で買うカレンダータイプの手帳(スケジュールなどはこちら)の2冊です。

■お酒

飲めないのでわかりません。ワインや日本酒なら辛口のほうが好きですが。

■お米

島根産コシヒカリが多いです。

■恋してるー?

毎日夫に惚れ直していますヨ。……というか、「愛用バトン」でしょコレ? 

■理想の人

これも判りにくくて難しい質問だな……。異性の場合? それとも自分がなりたい人?
ガンジーと答えておきましょう。

■好きなタイプ

おおらかな人。

■身長

ずっと158.5㎝だと思っていましたが、先日測ったら159.4㎝でした。まだまだ成長期!

■髪型

ショート。3ヶ月くらい伸ばしてバサッと切ります。

■好きな髪型

特にありません。顔立ちにマッチしていればそれぞれ素敵だと思います。

■誰かに似てる?

髪が長かった高校生のとき、南沙織に間違われました。一生の思い出です(遠い目)。

■一日で一番好きな時間は?

さあ寝るぞ!というとき。

■自分はどうみられてる?

ネット上では口やかましいおばちゃんだと思われていることでしょう。自分がこだわったことばかりを書いているのだから、その認識は正しいと思います。夫からは「自分より男らしい」と言われます。確かに、女らしい可愛げも色気も絶対的に足りません。
あと、普段の生活では、なんか皆から「緩衝地帯」みたいに扱われているような気がします。敵味方があるとすれば、どっちにも付かないけれど、両方の情報が自然に入ってくる立場というような。否定も肯定もしないでただ聞いているだけの、石のお地蔵さんみたいなものかもしれません。まあ、実際問題、あんまり役に立つ人間ではないです。

■送り主は好き?

好きです♪ 底力のある強い方だと羨ましく思っています。 

■送り主を動物に例えると?

「鹿」……のような感じがします。決して肉食獣のイメージではないですね。何があっても自力で危険回避できる、強靭なバネをお持ちになっているような気がします。あの、もしもたいへん失礼なことを申し上げておりましたら、なにとぞお許しを。m(_ _;)m

■イメージした人にバトンを回す

色のイメージだけでお名前を挙げさせていただきました。もちろんスルーしてくださって結構でございます。

赤…燃える闘魂 あゆみ総長さん
青…水のように融通無碍 ちゃんこイトゥ~さん
桃…柔らかくて暖かくて 神無月さん
黄…弾ける才能 小早川さん
緑…深い森の佇まい トーレスさん
紫…気高さとしなやかさと 桜雪乃さん
黒…光を裂く影の鋭さ 真木さん
橙…小粋で洒脱 グリコーゲンさん
白…無垢な輝き romiさん

以上です。

雪乃さんからは「知/性の青/き泉」で「青」を頂戴しました。『プ/リ/キュ/ア』ネタだそうですが、勿体無や~。どうもありがとうございます。m(_ _;)m
バトンも、とても楽しかったです。重ねて御礼を。m(_ _)m

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手塚治虫展

いよいよ始まりましたね。開会式では立ち見が出たそうですが。

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2009/0418/200904.html

どなたかレポートを書いてくださらないかな? (●_●)←期待のまなざし

バトンを頂戴しておりますので、後ほど回答いたします。

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ひっかかっちまった……

ちょいと血液検査でひっかかりまして、そっちの治療をしてからでないと手術はできないということになりました。orz え~んえ~ん 
その治療に2~3週間かかりそうなので、手術は5月に入ってからになりそうです。だんだん予定がずれ込んでくる……う~~む。

ここ数年忙しさにかまけて検診なんか受けなかった報いがここへ来て一気に、という感じです。あっちこっちの診療科を回ってドクターに「いつ頃から?」と訊かれても、「う~ん、なにしろ検診を受けてないのでわかりません」と答えるしかない自分がいます(笑)。ここ30年ばかし、眼科と歯科にしか掛かっていないし。健康を過信しすぎました。今でも、検査したり注射針を刺したりしたところ以外はどこも痛くも痒くもないのですけどね。まぁこの際オーバーホールするのも良いかもしれないと気長に構えることにしました。50年近くも毎日同じ身体を使っているのだから、衰えたり傷んだりするのも当然と言えば当然のことなのかもしれません。

以上、経過報告でした。

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『重力ピエロ』

『重力ピエロ』(伊坂幸太郎著)読了。

文庫の帯に「この本は、僕にとってすごく大事な作品で、たぶんずっとそうです。--  伊坂幸太郎」という一文が書かれている。読了後の静かな感動は、私にとっても忘れられない作品になりそうだ。

父親が異なる「泉水」と「春」の兄弟。春は母親がレイプされてできた子だ。この物語で起こる出来事のすべての発端は唯一この一点にある。壁に描かれたグラフィティアートと放火事件の相関関係、謎の英文とDNAの塩基配列、それらが謎解きの要素となってミステリを読んでいるような感覚になるが、この物語のテーマは「家族愛」である。兄弟と父、そして今は亡き母、各人がそれぞれの立場でそれぞれの思いを抱きながら、家族の絆の強さを確かめようとしているように思われる。重い内容だが、揺るぎない信念と家族の一員としてのアイデンティティですべてを乗り越えたラストシーンには、底抜けに切なくて眩い青空が訪れる。

「ふわりふわりと飛ぶピエロに、重力なんて関係ないんだから」

これまで読んだ4~5冊の伊坂作品の中で、最も印象深い一冊だった。

余禄だが、遺伝子およびDNAについても詳しくなれる。染色体の両端には「テロメア」と呼ばれる「TTAGGG」の繰り返しがあるなんて初めて知った。テロメアは分裂のたびに減っていき、あるところまで短くなるとそれ以上分裂ができなくなる。つまり細胞の寿命を決定付けているわけだが、癌細胞だけは逆にテロメアを次々と延長していくのだそうだ。だから、癌細胞は永久的に分裂を繰り返すことができるらしい。なんとも憎たらしくて不思議な細胞である。

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お花見しながら読書

え~と、まだ家にいます(ちょっとお知らせするのが早すぎたようです・笑)。来週まで検査があって、それで問題なければ再来週に手術の予定です。10日ほど入院して、5月初めには退院できるかな、と思っています。
毎日PCはかまっているのですが、すっかり怠け癖がついてしまってブログ更新してません。いかんなぁ。

Photo きょうはB○○K ○FFで買ってきた JUMP REMIX シリーズ『俺の空』(本宮ひろ志著)を読んでいた。「豊かなる旅立ち編」は当時読んでいたが、「刑事編」は初めて。へぇ~、安田一平は刑事になっていたのか。本当の刑事なのだが、そこは大財閥の御曹司のこと、別に私設警察なんてもんを作って好き勝手やってる(笑)。この、無駄に大掛かりな設定と、いまの時代だったら完全に空回りしそうな「熱さ」が本宮ひろ志の真骨頂だ。久々に読んでスカッとした。『男一匹ガキ大将』も読みたくなった。好きだったんだよ戸川万吉。

あと、1999年5月に出た『KAWADE 夢ムック 文藝別冊〔総特集〕手塚治虫』を見つけたので買ってきた。今からちょうど10年前、没後11年目の特集号だ。まだパラパラとしか眺めていないが、手塚治虫の身近にいた人たちが手塚治虫の人となりや作品を真面目に語っている。真面目…というと語弊があるが、つまりその、いわゆるオタク向けの本ではないという印象を持った。おそらくこの本を隅から隅まで読んでも「萌え~」なんて言葉は出てこないだろう。いや、10年前にそんな言葉があったかどうかも知らないけれども。これから精読します。

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ひねもすのたり

一昨日はテポドンの被害がないと確認してから玉造へお花見、昨日は島根半島へ海を見に行ってきた。

Photo  Photo_2

桜は「陰」の木。だから酔っ払って陽気に騒ぐ。
柳は「陽」の木。だから幽霊を配する。
どちらも「陰陽」のバランスを取るためなのだと聞いた。どちらかに偏ってはいけないのだね。

Photo_3Photo_4島根原発。沖合いに白い船が泊まっていた。漁船ではなさそう。海上警備しているのかな。
春の海は眠気を誘うのどかさでした。

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美意識の違い

え~と、先日あんなこと書いておいてナンですが、さっそく湧いて出ました(笑)。

昨日の新聞で、大阪大学、京都大学が今年度の入学式を学外の大型施設で行うという記事を読んだ。なんでも、参列する父兄の数が多くて、学内の施設では何か非常事態になったときの避難に問題があるからというのが理由らしい。

さて、子どもの大学の入学式に親が参列するということだが、私の頃(30年ほど前)には一般的ではなかった。私も親に「絶対に来ないでくれ」と言い渡した。だから来なかったとばかり思っていたのだが、数年後に、母と祖母から大学の敷地内までは行ったのだと打ち明けられた。理由は、県外の大学へ行った兄のときにも行かれなかったし、大学というところも見てみたかった。入学式の日なら誰が入っても怪しまれないと思ったから…とのこと。orz  地元の、歩いて行ける距離の大学を選んだのが失敗だった。ただし、私に見つからないように構内をぶらぶらしただけで帰ったらしいから、「入学式に親が来るなんて恥ずかしい」という私の気持ちだけは汲んでくれていたことに感謝したい。ちなみに、夫に尋ねてみたら、やはり「来ないでくれ」と言って来させなかったとか。

だから当時の入学式というのは、親としては「行ってもいいな」と思うものだけれども、子どもの立場としては、親には来てほしくない、頑として阻止したいものだったのだと思う。そうしてみると、今も昔も親の意識はそんなに変わっていないのかもしれない。阪大、京大などという一流大学ならなおさら、子どもの晴れ姿を見たいと思うのかもしれない。新聞には親の意見しか載っていなかったので、子どもの方がどう思っているのかを知りたいところだが……。

私たちの頃と何が違ってきているのかを考えてみる。「過保護」という観点で語られることが多いと思うけれども、それとはちょっと違うと思う。親と子の距離の問題、と言えば、やはり親離れ子離れの問題ということになるのかな。親の意識はそんなに変わっていないとすれば、子どもの方が親離れしていないということになるが、しかしそれだけでもないと思う。

根本にあるのは、美意識が違ってきているということではなかろうか。今は昔より押しなべてお祭り騒ぎが好きになったということなんじゃないかと思う。30年前だって、阪大、京大は難関だった。今より子どもの数は多かったのだから、更に難関だったと言ってよいと思う。比べることはできないが、親も子も今より嬉しかったかもしれない。それでも親は来なかったのだ。子どもの入進学なんて通過儀礼のひとつであって、家族内輪でひっそりと、でも心を込めて祝うものだったように思う。子どもの成長と一人立ちを親はあくまでも陰から喜んでいた。幼稚園のお遊戯会のごとく嬉々としてわが子の姿をビデオに収めるものでは決してなかった。また、嬉しいんだ、楽しいんだという感情は、あまり大っぴらに人様に見せるべきものではなかったような気がする。

これは喜怒哀楽すべてに言えることで、今は何かというとすぐに大騒ぎになってしまうことが、以前は密かに静かに処理されていたと思う。今の、開けっぴろげで大袈裟ですらある表現方法を悪いとは言わない。良い悪いの問題ではないだろうし、これが昨今の風潮だろうと思う。人々が己の欲求や欲望に正直になってきただけだ。ただ、こういうことがニュースになるということはそれだけ違和感を覚える人間がいるからなのであって、私もその一人には間違いない。日本人の美意識というのは、基本的に「秘めること」と「やせ我慢」にあると私は思う。それが「華」であり「粋」に通じると考える。それがこの30年間に急激に失われてきたということなのではなかろうか。

うろ覚えだが、たしか養老孟司さんが何かの本に書いていた。いまの親は自分達がされていないことを子どもにしようとしている、と。逆もまた言えるのではないかと思う。いまの親は自分達がされてきたことを子どもにしようとしていない。みんなが持っているおもちゃを買ってもらえなくて泣いた自分のような思いをさせたくなくて、すぐに買い与える。叱られて悲しい思いをした自分のような目に遭わせたくないから叱らない、等々。昔の親が子どもより辛い思いをして我慢してきたこと、我慢させてきたことを、いまの親は放棄してしまっているのではないかと思う。

大学生ともなればもう大人。その第一歩である入学式に、もう親は出ていってはいけないという意識が当時は確かにあった。いまの親にはその我慢ができないし、我慢する必要がどこにあるんだ?ということになっている。やはり美意識の違いだと思う。だから今後、子どもの入社式に親が付いてくるようになっても、私は驚かない(笑)。

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