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手塚治虫の祈り

前回の『週刊手塚治虫』の内容をメモ書き。ゲストはみうらじゅん。その肩書きの多さに、「あるときはイラストレーター、あるときはミュージシャン、あるときは……」と、多羅尾伴内のような紹介をされていた(笑)。私にとっては、仏像ファンであることと、Tom Jones の“If I Only Knew”に『恋はメキメキ』という邦題を付けた人物という認識が大きい。

1980年、「ガロ」でマンガ家としてデビュー。子どもの頃からマンガは描いていた。手塚治虫等が書いた『マンガのかきかた』という本を愛読していた。そこで気付いたのは、自分に欠けているものがあるということ。表現したい気持ちだけが大きくて、テーマがない。後に等身大の自分を認めたらテーマができてきたが、当時は自分に何もないことがコンプレックスになっていた。

高校生のときに読んだ『きりひと賛歌』。当時『ブラザーサン・シスタームーン』という映画を観た後だったのでスムーズに入れた(←懐かしい映画! 主題曲もヒットした)。松本清張の小説などと同様に、社会に裏があることにも興味があったが、「どうするんだろうこの人は?」とドキドキワクワクしながら読んだ。桐人にたづが迫るシーン、「ただヤらしいもんとして喜んでいた」(笑)。主人公にとって試練の第一段階。(桐人がきっぱりと拒絶することは)高校生には「たまらん選択」だった。大人になって読み返してみて、桐人の悲しいまでの誠実さと、自分にはそれが欠けていることに気付いた。

モンモウ病によって次第に容貌が犬になっていく桐人(試練の第二段階)。精神的、思想的に変わるなんてのは口先だけのこと。顔かたちが変わり、生活全部が変わってしまうことは、とても頭で考えられることではない。追い込まれて自分を無くして初めて見えてくるもの、それは人への思いやりと誠実さ。追い込まれた人間がどうするか、どういう行動を取るか、そこに「人間の価値」が表れる。桐人の受難の旅は「自分探し」ではなくて「自分無くし」の旅。自分を無くして人を救う、これが手塚のテーマだと思う。

モーションまんが「からだが石に」。『きりひと賛歌』をよりキャラクター化したのが2年後の『BJ』。桐人が直球なら、BJは変化球。人にどう思われても良いというのは自分が無いということで、これがBJのクールさになっている。人のために生きる。自分の意思ではなく大きなものに動かされている。(きっかけは)日常に転がっているけれども、人間は追い込まれないとわからない。また、手塚治虫はよくタブーに挑戦している。そして結末は決してハッピーでないことが多い。未来は明るくない。「けれども!」。この「けれども!」というのが手塚治虫の祈りなのではなかろうか。仏教的(な見方)だと思う、とのこと。

モーションまんが「身代金」、「絵が死んでいる」。

映画プロデューサーの松橋真三(映画『MW』にも携わっている)が選んだ1冊は『アドルフに告ぐ』。正義が見えない、価値観がすぐにひっくり返る世界にどう生きるか。

読者からのお便りは30代女性。『プライム・ローズ』のタンバラ・ガイの言葉に感銘を受けた。手塚まんがに描かれる闇の部分も取り上げてほしい。

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今回はなかなか面白かったし、考えさせられることが多々あった。みうら氏は、同じ漫画家として手塚治虫を見ると自分が描いているものはとてもマンガとは呼べない、と言っていた。ただ表現したいという思いだけではダメだということなのだろう。私が感じる手塚マンガの特徴は、読者の共感を得るところまでで終わっていないということだ。たぶんそこまでなら大方の漫画家ができる。手塚のマンガは、そこから先が勝負なのだと思う。読者は、自分ならどう行動するかを散々考えさせられる。

おそらくみうら氏が仏道にも詳しいという理由からだろう、番組では「無私の社会貢献」に焦点が当たったような構成になっていたが、彼が本当に言いたかったことは、人間は追い込まれて初めて己が何者であるのかがわかる、ということではなかったかと思う。極限まで追い詰められたとき、人はどんな生き方をするのか。人間誰だって闇も抱えていれば悪意もある。「けれども!」良い方向へ向かってほしいというのが手塚マンガの一番大きなテーマなのだろう。だからこそ、闇も悪も大きくクローズアップして描かれる必要がある。いや、闇だ悪だと明確に判別できればまだ良い。それが混沌としているように思える世界に、自分はどう生きるのか? 

今回で『BJ』に関したプログラムは終わったけれども、ゲスト各人がそれぞれの立場から語った『BJ』論、手塚論は楽しかったし面白かった。BJの生き方はある意味で理想的だと思う。代償も限りなく大きいが、自分なりの価値観、自分で決めた倫理に従って生きている。世間的な正義などクソくらえだが、決して自分勝手ではなくどちらかといえば謙虚に生きている。小さい悪事は数限りなく働くが、BJの天秤は結果的に大きな善の方に傾く。そんなふうなことを手っ取り早く表現しようとすれば、番組に多く使われた「愛」だの「思いやり」だのというムズ痒い言葉になってしまったのだろうと思う。

誰もがBJのように生きられるわけではない。誰もが桐人やシスター・ヘレン・フリーズのように強くなれるわけではない。「けれども!」そこで諦めないでほしいというのが、手塚治虫の最大のメッセージであり祈りなのだろう。

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