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不完全さとピュアな心

Mが昨日の『週刊手塚治虫』を録画してくれた。ありがたや~。

開催中の『手塚治虫展』の会場から番組は始まった。どうやら『BJ』のコーナーで収録されたようだ。ゲストは高橋源一郎。さてその内容をメモ書きしてみると……。

『BJ』の本当の主人公はピノコ。彼女が表現しようとしていることを、BJが毎回頑張って作り出している。彼女は不完全な存在(←ここで「ピノコはロボット」とまで言っているのは、ちょっと言い過ぎかと思う)だが、ピュアな心を持っている。欠けているものの中、ピュアな心の中にこそ、手塚治虫が表現したいものがあったのではないか。ここでモーション漫画「ピノコ愛してる」。(←私にとってこの作品はちょっと微妙な位置にある。誰かのために命を投げ出すピノコはピュアだと評されていたが、正直そんなふうに読んだことはなかった。BJとの間がギクシャクしてヤケのやんぱちな行動のように思っていた。BJの方にピノコを大事に思う気持ちの芽生えは感じられるのだが…)。手塚の作品では無条件で肯定されているものがある。それは、気高い動物と、子どものような存在。

生き物と生命は違う。生き物は死ぬけれども、生命は連続していく(ここで『火の鳥 鳳凰編』の紹介)。生き物は生命を持った不完全な存在である。ピノコは不完全。しかし人間だって不完全である。ここでモーション漫画「ときには真珠のように」。本間先生もBJも完全ではない。どんなに技術を尽くしても自然には負ける(ここで「湯治場のふたり」の紹介)。医者は生き死にとは関係ない。また「ときには真珠のように」に話が戻って、最後に告白をした本間先生のピュアさは救いのあるラストシーンとなっている(偉大な悲劇)。不完全な人間も最期は雄々しく死んでもらいたい、そんなメッセージがあったのでは、と。

手塚治虫の死生観ということで、手塚眞さんのお話が挿入された。いのちというテーマの芽生えは、昆虫の観察と戦争体験から。

モーション漫画「二度死んだ少年」。人を治すとはどういうことか、という問いかけ。また、BJは人間以外にイリオモテヤマネコやクマなどを治しているが、これは平等な命ということで、人間中心主義のヒューマニズムに対して「アンチ・ヒューマニズム」である。あらゆる命(過去や歴史を含めて)を切り捨てることなく考えられたら、今までとは違った見方ができるかも。

高橋さんのお話はここまで。プロレスラーの蝶野正洋登場。医者になることを目指して塾通いをしていた小学生のころ、行き帰りの電車の中で読む『BJ』に憧れた。ニヒルでヒール。BJの孤独感に共感を覚えた。好きなお話は「人面瘡」。善と悪との葛藤ということで、深く人間を語った作品である、と。

最後は読者からのお便り。図書館で見つけた『BJ』に夢中な女子高校生。もっとハマッているのはお母さん(笑)。いろいろ悩みもある年代だけれども相談相手がいない。そんなとき『BJ』は生きていること自体の大切さを教えてくれ、本当に大事なことは何かを問いかけてくれる。

……とまあ、こんな内容だった。先週の予告ではピノコ中心の話題になるかと思ったが、それほどでもなく、ピノコは不完全なものであるという前提から、完全を求めて努力することの尊さが語られていた(のではないかと思う)。不完全さ、欠落が持つ意味については、私も先日いささか考えたところだったのだが、それを克服するために努力するという解釈だけでは、少々底が浅いようにも感じた。手塚治虫は不完全さを当たり前のものとして、むしろ完全なもののほうが異常だと思っているような気がするし、不完全さを否定しているわけでもない。とにかく話があちこちに飛んだ感じで、ちょっと全体に散漫な印象があったのが残念。

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先ほどまで、Mさまのところでチャットをさせていただいていた。お馴染みの皆様方とお話しできてとても嬉しかった。ありがとうございました。m(_ _)m

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