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2009年7月

冷夏

今夏2度目の「土用の丑の日」。今夜のメニューは鰻にしたが、夕方からは半袖では寒いくらいだったため、鰻もそれほど美味しくは感じなかったような……。本日やっと四国地方で梅雨明けが発表された。九州北部がこの土日、中国、近畿、北陸が来週月曜日に明けるのではないかと言われているが、東海、東北は見通しが立っていないようだ。そして、立秋(8月7日)を過ぎると「梅雨明けなし」ということになるのだそうだ。明けない夜はないけれど、明けない梅雨ってのはあるんだね。

大雨による災害や冷夏による農作物への被害も心配されるが、身近なところでは、手紙の書き出しの文句に困る。「暑中見舞い」は梅雨明け~立秋前日までだから、梅雨が明けないことには書けない。ちなみに「残暑見舞い」は立秋~8月いっぱいであるが、「梅雨明けなし」ならばこれも書けないことになるのかな? 暑がりな私としてはたまには冷夏もあってほしいとは思うけれど、時候の挨拶にも困るというのは、やっぱり今年の夏がかなり異常な気象であることの証拠なのだろう。ブログのテンプレートも替えられない。

夜になって雨が降り始めた。明日と明後日は「松江水郷祭」の花火大会なのだが、晴れてくれると良いなぁ……。

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書を捨てるな、売りに行こう

とりあえず、主に文庫本を段ボール箱に4箱、300冊ばかりを B○○K ○FF へ売りに行った。内、値段のついたものは199冊。4,800円也。「1冊10円で3,000円」と予想していたから、思わぬ儲けをしたような気分になった。
値段のつかなかったものは向こうで処分してもらうよう頼んで置いてきたが、中には「どうしてこれが?」と思うような、状態の良いものもあったように思う。もったいなかったかな。引き取って、別の古本屋へ持って行ったほうが良かったかな。次回からは考えよう。あと2~3回は行くことになりそうだ。

4,800円に奮起したのか、夫がCDとDVDの選別をし始めた……(笑)。

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成人と大人

夜のニュースで、日本での成人年齢が18歳に引き下げられるかもしれないと言っていた。ずいぶん前から取り上げられてきた問題ではあるが、このたび公職選挙法に基づく選挙権年齢が18歳に変更されることを前提に、法制審議会(法相の諮問機関)の民法成年年齢部会が「18歳に引き下げるのが適当」とする最終報告書をまとめたらしい。つまりは、政治参加できることが成人の証となる、ということだ。

法律上どこかで線引きしなければならない問題には、どこで線引きしようと、必ず賛否両論あることだろう(先般の「脳死」に関わる採決にしてもそうだが……)。街頭インタビューでは、18歳ではまだ何もわからないし……という若者の声も紹介されていたが、確かにそうだろうと思う。自分のその頃を思い出してみても、政治や社会に関心もなくノホホンとしていた。

しかし法律上の「成人」と、いわゆる「大人」というのは、必ずしも一致するものでないということだけは、経験上言える。夫と、自分が大人になったなぁと思ったときはいつ?という話をしたのだが、社会に出たとき、という答で一致していた。夫は大学に通常の年数より余計に通っていた人間だが(笑)、いくつになっても学生である間は大人だという実感はなかったと言う。社会に出て自己の責任のもとに仕事をして(どんな仕事にも責任はある)、自分で金を稼いだときにやっと少し大人になったような気がした、と。

「大人」ということを考えるとき、「責任」という要素を外すことはできないように思う。逆に言えば、責任を取る力がある人間は法律上未成年でも「大人」だろうし、無責任な行動しかできない人間は馬齢をいくら重ねていても「大人」ではない。「成人」にはいずれ誰でもなれるが、「大人」になるのはいくつになっても難しいと、この歳になってつくづく思う。

……私の意見としては、成人年齢は20歳のままで良いんじゃないかと漠然と思うけれども。

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(備忘録090728)

読書中のため記事はお休みします。

3件の凶悪事件の死刑囚の刑が、本日執行されたという。いずれも刑の確定から執行までの期間が2~3年と短い。また大阪で姉妹を殺害した山地悠紀夫死刑囚は25歳と、非常に若い(もしかしたら一番若いかも)。
死刑確定囚のリストなどつらつら見ながら、いったいどういう順番で刑が執行されるのかと考えたりする。

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謎のオースチマン

「あなたがもし 天国ばかり目をすえて 地上をけっしてみないなら あなたはきっと地獄行き」

「U-18は知っていた」冒頭の「オースチマン・オマリー」の警句である。長年、なんだかよく判らないけれども判ったふりをして読み飛ばし、私は知らないけれどもきっと有名な人の有名な言葉なのだろうと信じて疑わなかった言葉である。今回初めて調べてみて、手塚治虫がどうしてこんな言葉を知っているのかを不思議に思わずにはいられない。

まず、「オースチマン・オマリー」でネット検索してみて驚くのは、その典拠が明らかなものは全てが「U-18は知っていた」に拠っているということだ。つまりこのエピソードでの記述以外にネット上に「オースチマン・オマリー」なる人物は見当たらないのである。

中に1件だけ綿密に調べたサイト(白拍子泰彦氏のサイトである)があって、「現代風に読むなら、オースチマンはオースティンとなるだろう」とあり、更に「オースティン・オマリー(1858-1932)はアメリカの医者で、手塚が医学生時代に医学書などから彼の名といくつかの文章に触れたのだろうと私は推理している」と書かれている。ブラボー! 素晴らしい! そしてそこで紹介されていたリンクからやっと辿りついた原文がこれだ。

“If you keep your eyes so fixed on heaven that you never look at the earth, you will stumble into hell.” --- by Austin O'Malley

やれやれ。どこがどうなって Austin が「オースチマン」になったのやら。「オースチン」ならまだわかる。どこかの時点で余計な「マ」が入ってしまったのだろう。あるいはただの誤植かもしれないが。いずれにせよ、「オースチマン」なんて人物はいない。「U-18は知っていた」を読んでこの言葉を有り難く暗唱した者全員が大間違いな思い込みをしていることになる。これはアレだ。『007』の「ゴールドフィンガー」を見た者が「人間は皮膚呼吸ができなくなると死ぬ」と思い込んだのと同じくらいの大間違いではなかろうか。

Austin O'Malley(1858-1932)。1910年代に“Essays in Pastoral Medicine”“Ethics of Medical Homicide and Mutilation”“Keystones of thought”等の著作がある。
“Ethics of Medical Homicide and Mutilation”の表題紙に書かれている肩書きは“M.D.(Medicinae Doctor=医学博士)”“PH.D.(Philosophiae Doctor=哲学博士)”“LL.D.(Legum Doctor=法学博士)”である。“physician, humorist”としてあるサイトもある。 また1895~1902年にはノートルダム大学で英語の教授もしているようだ。なかなかの学者らしいし、彼の箴言は正しく「Austin O'Malley」で検索すれば結構出てくるので、手塚先生も彼の本を読んだのかもしれないという推測もできる。

ネットを漁ったところ、件の警句は“Keystones of thought”という本に載っているらしい(←これは結構苦労して調べた)。では日本国内にオースティン・オマリーの著作物はあるのか。ところが、国立国会図書館の「NDL-OPAC」で探しても、全国大学図書館の「NACSIS Webcat」で探しても、彼の原著ならびにその翻訳本が見つからないのである。考えられることは、もしも翻訳本が存在するとすれば、それは国立国会図書館の納本制度ができる昭和23年(1948)以前の発行であった、あるいはそれ以降に原著が入っているとしてもNACSISの遡及入力が追いついていないか、である。そしてもしも翻訳本がなく手塚先生が原著を見たのだとしたら、「あなたがもし 天国ばかり目をすえて 地上をけっしてみないなら あなたはきっと地獄行き」というフレーズは手塚先生の訳ということになる。

白拍子氏の推理では、オマリーが医者であったことから手塚は医学生時代にオマリーの文に触れたのだろう、となっていたが、これが正しいとすれば是非とも大阪帝国大学附属医学専門部の蔵書目録を調べてみたいものである。ちなみに大阪大学のOPACも検索してみたが、ヒットしなかった。あるとしても戦前の本だから、まだデータが入力されていないのだろう。

手塚が医学生時代にこのオマリーの文に触れたとする。あるいはノートに書き留めたりしたのかもしれない。『BJ』を描く際には自分の医学生時代のノートも参考にしたらしいから、そのときふとこの文が目に留まってこの作品が生まれた、と考えても確かに無理はない。

しかしここでひっかかるのは、この警句がはたして医学のノートに書き留めておくほどのものかということと(笑)、この“Keystones of thought”という本が医学書らしくないことである。件の警句も医学とは関係ない。はたしてこの本が大阪帝国大学附属医学専門部(もしくは大阪大学医学部)にあっただろうか。そこで、オマリーには“physician”のほかに“humorist”という肩書きもあることを考えてみる。数々の箴言を残しているようなので、おそらくいろいろな書物(洋書)に引用されることも多かったのではないか。とすれば、手塚が読んだSF小説などにこの文が引用されていたのではないかという推測も成り立つのではないか。あるいは洋画のセリフとか……。

オースチマンの「マ」がどこで入ってしまったのかということと、手塚先生がどこでこの言葉を知ったのかということ……どなたかご存知ありませんか(泣)。
(大急ぎで書いたのでグダグダな文章スミマセン。後で読み返して直すかもしれません。調べるのに時間を食った割りには成果が出なかったなぁ……)

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Oyatsuchicken日清の「おやつチキンラーメン」、BJ先生のパッケージを買ったらピノコのマグネットが出ました~♪ BJ先生が出るまで買うぞ!

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王妃の墓の呪い

NHKスペシャル エジプト発掘 第2集「ツタンカーメン 王妃の墓の呪い」を観た。先週、島根県立美術館で開催中の「吉村作治の新発見!エジプト展」を観てきたばかりだったので興味深かった。

2006年、ルクソールの「王家の谷」で、ツタンカーメン以来およそ80年ぶりに新たな墓(KV63)が見つかり、それがツタンカーメンの妻アンケセナーメンの墓ではないかというのだ。しかしそこにあった棺は名前を消すために分厚く黒い樹脂を塗られ、彼女のミイラがあるべきところには大きな石が詰められていたのだった。

ツタンカーメン王を含む前後4人の王は、歴代王の名簿からも外されているという。ツタンカーメン一族は何故闇に葬られているのか。そこにはツタンカーメンの父王(アクエンアテン)が行った、太陽神アテンを唯一神とするあまりに性急な宗教改革が関係するとも言われている。結果として、それまでアメン神を信仰していた民衆や神官の激しい抵抗を受けることとなったという。

アンケセナーメンもその被害を受けたらしい。再び蘇ることを期待して作った棺や墓を、決して蘇ることができないようにされてしまった彼女の思いはいかばかりだったろうか。「ツタンカーメンの呪い」よろしくタイトルにつけられた「王妃の墓の呪い」というのは、彼女がかけた呪いではなくて、彼女にかけられた呪いのことだったのである。たとえそれがどんな人間であろうと、死者を冒涜するのは気持ちの良いものではないナと思った。

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(備忘録090725)

本日のお買い物。
・『1984年』(ジョージ・オーウェル著 高橋和久訳)
 ハヤカワepi文庫から新訳版が出ていたので買ってきた。以前の訳は新庄哲夫。
・『世界禁断愛大全―「官能」と「耽美」と「倒錯」の愛』(桐生操著)
 これは……もうちょっと表紙を差しさわりのないものにして欲しかった。レジの兄ちゃんにマジマジと顔を見られた。で、いまこっちを読書中。

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読書をどう記録するか

「読書メーター」に、「2009年上半期に読んだ本ランキング」が集計されていた。

【書籍/小説】
第1位 夜は短し歩けよ乙女(森見登美彦著)
第2位 告白(湊かなえ著)
第3位 秋期限定栗きんとん事件<上>(米澤穂信著)
第4位 同上<下>
第5位 重力ピエロ(伊坂幸太郎著)
第6位 1Q84<BOOK 1>(村上春樹著)
第7位 同上<BOOK 2>
第8位 ジェネラル・ルージュの凱旋<上>(海堂尊著)
第9位 同上<下>
第10位 容疑者Xの献身(東野圭吾著)

【コミック】
第1位 聖☆おにいさん3(中村光著)
第2位 鋼の錬金術師22(荒川弘著)
第3位 バクマン。1(大場つぐみ著)
第4位 聖☆おにいさん1(中村光著)
第5位 バクマン。2(大場つぐみ著)
第6位 聖☆おにいさん2(中村光著)
第7位 バクマン。3(大場つぐみ著)
第8位 flat2(青桐ナツ著)
第9位 夏目友人帳7(緑川ゆき著)
第10位 おおきく振りかぶってVol.1(ひぐちアサ著)

小説では第5~9位の作品は読んだ。コミックでは『聖☆おにいさん1~3』のみだ。

この「読書メーター」というのは「最近読んだ本のページ数や冊数をグラフにしてあなたの読書量を記録・管理するwebサービス」で、最近とみに話題になっている。「あなたの読書量が目に見えてわかるのでちょっとした達成感を味わえます。」というのが最大の売りだろう。他の人がどんな感想を抱いたのかも簡単に知ることができる。また、読んだ本の記録だから、ベストセラーのランキングとも微妙に違ってくるのが面白い。

常々読んだ本の記録はしておこうと思っているので、こういうサービスを利用するのもひとつの手だと思う。しかし総合ランキングなどを見ると、利用しているのはどうも若い層が中心のようで、どうも傾向が偏っているような気がしないでもない。まあ、ネットで読書管理をしようという発想自体がそもそもネット利用者だけを対象としているわけだから、必然的に若い人が多くなって偏るのも無理からぬことではあるのだが。「ブクログ」の方が良いかなぁ……。

それにグラフ化されるとなると、量を読むことが目的になりそうな気もして、それは嫌だ。私の年間最多記録は365冊(単行本のみ、コミックは含まない)だが、その年は仕事と読書以外何も思い出がない(笑)。その年は1日1冊という目標を立てたからそうしたのだが、もうそんなアホらしい読み方はしたくないし、のんびりマイペースで読んでときどき感想をブログにアップするくらいがちょうど良いのかな。

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いまが始まり

『流星ワゴン』(重松清著)読了。

「死んじゃってもいいかなあ、もう…。38歳・秋。その夜、僕は、5年前に交通事故死した父子の乗る不思議なワゴンに拾われた。そして― 自分と同い歳の父親に出逢った。時空を超えてワゴンがめぐる、人生の岐路になった場所への旅。やり直しは、叶えられるのか―?「本の雑誌」年間ベスト1に輝いた傑作。」(「BOOK」データベースより)

「僕」が、ワインカラーのオデッセイを運転する橋本さんに連れていかれるのは、それが現実世界では岐路であるとも気付かなかった時点である。リストラ、妻の不貞、息子の暴力、もう長くない父というサイテーでサイアクな今の状況を、過去のこの時点で自分がどう行動すれば未然に防ぐことができたのか。「僕」は一生懸命やり直そうとするのだが、どうもはかばかしくない。

しかし自分と同じ38歳の時点の父と出会ったことによって、「僕」はいろんなことに気付く。父と息子という関係だからこそ、言いたくても言えなかった言葉がある。分かっていたつもりでまったく分かっていなかったことがある。それは「僕」と息子・広樹の関係においても言えることで……。

これは親子の、いや、父と息子の物語であると言ってよい。オデッセイに乗っている橋本さんと健太くんの。「僕」と広樹の。そして、父と「僕」の。

過去は変えられなかった。しかし最後に「僕」は決然とオデッセイを降りてサイテーでサイアクな今に帰っていく。これから新しく続きを始めるために。オデッセイでの旅によって「僕」自身が変わったのだから……。

いまこの瞬間が始まりなのだと、勇気を与えてくれる暖かい作品である。

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太陽を見るか月を見るか

・本日のデータ
日の出 04時41分  日の入 18時54分
月の出 04時26分  月の入 19時00分
月齢0.15
松江での食の最大は 11時00分17秒 最大食分 0.817

夫と2人で広々とした川原に出かけて、10時から1時間ばかり空を見上げていた。生憎、空は一面に薄い雲で覆われていたが、結局「日食グラス」を入手できなかった私にとっては却ってそれが幸いした。その薄い雲が適度に光を遮ってくれたので、欠けていく太陽の形が裸眼で綺麗に見えた。

いや、これは太陽が欠けていくと見るべきか、新月が姿を現したと見るべきか。黄道(太陽の通り道)と白道(月の通り道)が交わる付近で新月になるという条件が満たされたとき、日食は起こる。普段なら決して見ることのできない新月。その輪郭が、きょうは太陽の表面にくっきりと見えたわけである。

日本神話のツクヨミを思い出す。アマテラスとスサノオと並んで「三貴子」の一人であり、月の神であるが、太陽の神であるアマテラスほどの派手さはなく、海原の神であるスサノオほどの破天荒さもない。記紀においてもほとんど活躍しないが、唯一派手なことをやらかしたのが次の一件。姉のアマテラスの使いで食物の神であるウケモチノカミを訪ねるが、ウケモチノカミの行動を誤解して斬り殺してしまう。これがアマテラスの怒りを買い、以来2人は永久に昼と夜とに別れて暮らすことになったと言う。

日食という位置関係で考えれば、大いなる姉神アマテラスの前に忽然と現れて、その黒い姿でアマテラスの姿を覆い隠してしまうツクヨミ、ということになる。そしてそれを見ているのは海原(の星=地球)を統べるスサノオか。う~ん、なんだかスリリングでワクワクするな(笑)。今回のような皆既日食はなかなか見られるものではないが、日食自体は毎年2回の頻度で起こる。存在を忘れられかけたツクヨミが、時々自己アピールのために出てきているのだと考えるのも面白いかも。

【追記】
来週7月27日(月)の『飛び出せ!科学くん』は、成層圏から日食を見る企画だ。大気の揺らぎがない分、鮮明に見えるのかもしれない。大塚ボイスで予告編をお楽しみください。

http://www.tbs.co.jp/jump_kagaku/index-j.html

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騙されることの快感

『弁護側の証人』(小泉喜美子著)読了。1963年に文藝春秋新社から単行本として発刊されたものが、このたび集英社文庫で復刊された。

ヌードダンサーのミミイ・ローイこと漣子は八島財閥の御曹司・杉彦と恋に落ち、玉の輿に乗った。しかし幸福な新婚生活は長くは続かなかった。義父である当主・龍之助が何者かに殺害されたのだ。真犯人は誰なのか? 弁護側が召喚した証人をめぐって、生死を賭けた法廷での闘いが始まる。「弁護側の証人」とは果たして何者なのか? 日本ミステリー史に燦然と輝く、伝説の名作がいま甦る。(「BOOK」データベースより)

「わたしたちは、面会室の金網ごしに接吻した」という一文で始まるミステリ。おそらくここで既に私は騙されていたのだろう。11章まで読んで、やられた、と呻った。読者を騙すミステリを「叙述ミステリ」と呼ぶが、この作品はその分野での傑作との評価が専らのようだ。さもありなん。注意深く読んだつもりだったが、周到な文章に見事に騙された。

なにしろミステリだから、ネタバレしないように感想を書くのは難しい。解説の道尾秀介氏が上手く表現していたが、著者が描いたのは「はじめから、彩色の施されていない単純な線のみだった」のであって、そこに勝手に彩色した読者が、自分の彩色に踊らされて勝手に騙されるという本である。いっそ清々しいほど上手に騙されたい方にお勧めの一作。

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BJ先生の金はどこにあるのか

昨日『世界の果てまでイッテQ!』で、イモトがスイス銀行の紹介をしていた。画面ではゴルゴ13が「ここなら安心」みたいなことを言っていた(笑)。スイス銀行は徹底した守秘義務を貫いており、永世中立国であることも相俟って、信頼性が高いのだそうだ(反面、ブラックマネーが集まる危険もあるが)。そして、われわれでも口座を開けるかというと、最低5千万から1億円くらいないとダメなんだそうだ。……ふん。

われらがBJ先生はそのスイス銀行に口座を持っている。「こっぱみじん」(#73)では「お金はスイス銀行をとおしてキャッシュでたのみますよ」と言っている。このときの要求は150億円。シリーズ中、最高報酬額である。

ところが「宝島」(#81)ではスカンク草井がこう言っている。「先生はずいぶん世界をマタにかけてがめつくかせぎなすった……総額ざっと百億ドル」「世界じゅうの銀行を調べたがほんの2、3百万円しかあずけてねえな。ふしぎだ」。スイス銀行はちゃんと守秘義務を守っているらしい(笑)。「世界じゅうの銀行」の中にスイス銀行は入っていないと考えざるを得ない。少なくともこのとき「こっぱみじん」の150億円は預金されていたはずなのだから。

しかしそれにしても「総額ざっと百億ドル」とはすごい。豊福きこう氏の計算によるとなんと3兆800億円である。3,080,000,000,000 円! ……0の数は合ってるだろうか? 北朝鮮の年間国家予算(3000億円から4兆円まで諸説あるが)を一人でまかなえるくらいの荒稼ぎである。いくらあちこちの島を買ったとしてもすぐに使い切れる額ではなかろう。

では2~3百万円は当座の資金としてどこかの銀行に預けて、残りはスイス銀行にあるのだろうか。「ピノコ還る!」(#38)で、泥棒の源さんがさんざん家捜ししても現金が見つからなかったことからも、ピノコの「うちはいつも貧乏よ。お金なんかないわのよ」という発言からも、大金は手元に置いていないようにも思われる。ところがそれでは辻褄が合わないことが。「助け合い」(#201)においてBJ先生は、東京(あれ? 先生の住まいが東京になってる)から北海道まで大至急で行く途中で20億円+αの現金を工面しているのだ。

スカンクの調査結果を信用するなら、この金は銀行に預けてあったものではない。20億円もの現金を常時保管してすぐに用立てることのできる銀行などないだろうから、この調査結果は信用して良い。また源さんの泥棒としての能力を信頼するなら、この金はあの岬の家にあったのでもない。ならば、どこに……?

私は、あの「コレラさわぎ」で出てきた、BJ先生の隠れ家にあったのだとにらんでいるのだが、どうだろう? ……ここでタイムアップです(汗)。

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初めて観たのに懐かしい

昨夜録画しておいた『華麗なるスパイ』を観た。日本で起こるテロを阻止するために吉澤首相(渡哲也)は秘密諜報部を作る。そこに参加させられたのが網走刑務所に30年の刑で服役していた天才詐欺師の鎧井京介(長瀬智也)。吉澤曰く「毒をもって毒を制す」。変幻自在な京介と、これまた一癖ありそうな仲間たちが、テロと闘っていくお話である。60年代のオシャレなスパイ映画という雰囲気の……、でもハチャメチャなコメディだった(笑)。

同じ君塚良一の脚本だが、『踊る大捜査線』よりかなり軽いノリだ。上滑りしている場面も見受けられたが、長瀬クンの演技力でなんとか楽しいエンターテインメントになっていた。テロの首魁(ミスター匠)がなにしろ柄本明だし、妙な発明をする『007』の科学者Qのような役柄が友近だし、京介の下宿の親父が高田純次だし、メンツを見ているだけでも何か起こりそうで楽しい。

上で60年代と書いたが、60~70年代は洋物のスパイドラマが花盛りだった。映画では何といっても『007』シリーズ。TVドラマでは『0011ナポレオン・ソロ』、ロバート・ワグナーの『プロ・スパイ』(後に『スパイのライセンス』)、「おはよう、フェルプス君」の『スパイ大作戦』、第二次世界大戦を舞台にした『特攻ギャリソン・ゴリラ』等々枚挙に暇がない。『華麗なるスパイ』はそのどれもを彷彿とさせる作りだったが、チームプレイということで『スパイ大作戦』や『特攻ギャリソン・ゴリラ』に近い印象を受けた。

音楽がまた古めかしい(笑)。まるでベンチャーズのようだ。ドロシーこと深田恭子やスタッフの女の子たちのファッションも60年代ふう。京介にはなにやら暗い過去がありそうで時々シリアスになるのだが、ドラマ全体としてはこれでもかというほど遊び心満載に作ってあって、初めて観たのになんだか懐かしい思いがした。土曜の夜の楽しみができたゾ♪

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午後からバケツをひっくり返したような大雨。家の脇の水路があと数cmで溢れるところまで行ったが、排水ポンプがフル稼働したのか、なんとか水位も下がってやれやれと胸をなで下ろした。市内では冠水した道路が数箇所、床下浸水が数戸あった模様だ。今もずっと降り続いているが、明日の予報は「くもり」となっているから、峠は越えたと見てよさそうだ。ほっ。

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タブー

今夜は暑いのでうたた寝していない(笑)。ところが、何かを書こうとしても暑くて何も思い浮かばない。むぅ、困った。むぅ、むぅ……あ、『MW』についての感想を書こう(安易)。

先日久しぶりに『MW』を読み返してみて、改めて、こりゃあ奥の深い話だなぁと思うことしきりである。これだけ壮大にして陰湿な復讐劇をやってみて、結城にはいったい何が残ったというのか。混沌として雑然として不透明な世界は何ひとつ変わっていない。最初に読んだ頃は、結城と賀来の同性愛にばかり目が奪われていたが(だって、ねぇ……)、いま読むと、やっぱりこれは戦後日本の政治への痛烈な告発の物語だという思いを強くする。いまだって、どれだけ国民に知らされずに闇に葬られた事実があることだろう。誤解を承知で言えば「由らしむべし、知らしむべからず」だ。MWを白日のもとに晒そうとする結城の行動は、ある意味、賞賛されてもよいとさえ思う。狂ってるけど。

で、映画を観に行こうかと思ったが、やっぱり二の足を踏む。同性愛設定がないのは、どう考えてもおかしい。それは『MW』じゃない。聖職者にして同性愛者にして犯罪者(結城の犯罪に実際に加担している)という賀来の三位一体の存在が大事なのだ。国家の犯罪という途轍もなく大きなものと、一神父の葛藤というごく個人的なものとが同時に語られているからこそ面白いのだ。結城は美しく破滅的に犯罪を重ねていればよいが、彼の心理はとても私が理解し共感できるところではない。彼に振り回される賀来にこそ私は感情移入できる。そしてときどき2人が見せる恋人ならではの共依存性に人間の弱さを垣間見たりするのだ。

映画で同性愛描写が排除されたのは、出資者(日本テレビ)が「ホモの部分を出すんだったら金は出せないよ」と言ったからだそうだ(「週刊シネママガジン」による)。何故ダメなのか理由が知りたいものだ。もの凄い偏見だと思うし、原作に対する冒涜だと思うのだが。タブーを描かずして何が『MW』か。

『MW』は全編これタブーの物語である。「Yahoo! 辞書」で「タブー」を引いてみると「1 聖と俗、清浄と不浄、異常と正常とを区別し、両者の接近・接触を禁止し、これを犯すと超自然的制裁が加えられるとする観念・風習。云々」とある。要するに何か区別された概念の境界線を越えることがタブーと言われるものなのである。『MW』の意味を具現化したような両性具有的な結城。赦しを与える側にして犯罪に加担する賀来。そして2人の禁断の関係。この設定をなくしたらやっぱりダメなのである。タブーを犯す覚悟のない製作者が作ってはいけない作品だったと思う。いや、製作者はやる気満々だったらしいが、出資者を説得できなかったとは残念だ。

誤解を招くような書き方をしたが、別にホモはタブーではない。出資者の頭の中でそれがタブーだったということだ(←ここを強調しておく)。『MW』は善と悪だけの話ではない。世の中にある触れてはならないもの(タブー)と、それを犯すことの意味を問いかけたものだったと思う。

さて最後に、今回読み直して改めて気付いたのは、賀来が神父であることの意味だ。これはすごいアイデアだったと思う。もちろん結城を救済しようとする役回りとして聖職者というのはうってつけだが、結城の告白(懺悔)に対して守秘義務を負うことになり、それが賀来を自縄自縛に陥らせてしまうという、その意味合いが非常に大きいように思う。賀来はその守秘義務ゆえに結城の犯罪を目黒検事に話せない(話していたら物語はすぐ終わっている・笑)。だからさすがの結城も、賀来が神父を辞めると言い出したときには慌てているのだ。

実際に、聖職者の守秘義務とはどれほどのものなのか、私は知らない。中には、信者が盗みを働いたのを知って警察に知らせてしまった例もあるらしいけれども、そりゃあないよナと思う(笑)。聖職者は神に代わって赦しを与える立場なのだから。しかし実際に裁判で証人になったりしたら、守秘義務はどうなるのだろう……?

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(備忘録090717)

ここ数日涼しくて過ごしやすい。お風呂上りに畳に寝転んで読書していると気持ちよく眠くなってくる。
……というわけで、昨日今日とうたた寝をしてしまい、目が覚めたら夜中だったため、記事はお休みです(汗)。

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(備忘録090715)

読売新聞社が全国のインターネット利用者1000人を対象に実施した「衆院選ネットモニター」で、今回の衆院解散・総選挙についてどのような名称がふさわしいかを聞いたところ、「追い込まれ解散」「がけっぷち解散」「破れかぶれ解散」などのネーミングが多かったそうだ。
おじいちゃんの吉田茂の「バカヤロー解散」に倣って、「あほーたろー解散」なんてどうだ? ……って、知り合いが言ってました。や、個人的には、あの人とは友達になれそうな気はするんですけど……。

芥川賞に『終の住処』の磯崎憲一郎氏、直木賞に『鷺と雪』の北村薫氏が決定。北村薫は『円紫』シリーズ以来のファンだから、受賞を喜びたい。

『MW』と『罪と罰』(ともに手塚治虫)を再読。

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清朝のカンニングペーパー

中国の海南省で、清朝科挙のカンニングペーパーが発見されたというニュースがあった。『五経』『論語』などが蝿の頭ほどの文字で32万字書かれており、縦約40センチ、幅約20センチの32ページにもわたるものだったというから、これはペーパーというより本だ(笑)。書きも書いたり、数えも数えたりだ。

科挙については宮崎市定の『科挙』(中公新書)という名著があるが、あれにはたしか自分の下着にびっしり書いたカンニングペーパーの写真が載っていたと思う。科挙の試験は夜通しで、両脇に仕切りのある個室で仮眠を取ったりしながらの長丁場だったらしいから、試験官の目を盗んでカンニングしたものだろう。

このたび見つかったものは、果たして科挙のときに実際に使われたものかどうか疑わしいと思う。試験前には厳重なボディチェックもあっただろうし、見つからずに持って行って持って帰るのは難しかろう。32万字書いているうちに覚えてしまって、結局使わなかったものなのではないかな。それなら結果オーライだ(笑)。

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何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか

先週の朝日新聞「be on Saturday」に、懐かしのマンガに続く第2弾「もう一度見たい昭和のアニメ」ランキングが載っていたので転記しておく。()内は得票数。

1 鉄腕アトム(968)
2 巨人の星(542)
3 まんが日本昔ばなし(532)
4 ジャングル大帝(507)
5 鉄人28号(465)
6 宇宙戦艦ヤマト(421)
7 エイトマン(379)
8 あしたのジョー(363)
9 オバケのQ太郎(351)
10 ルパン三世(337)
以下、アルプスの少女ハイジ、ムーミン、サイボーグ009、魔法使いサリー、となりのトトロ、おそ松くん、妖怪人間ベム、狼少年ケン、ゲゲゲの鬼太郎、銀河鉄道999 と続く。

やはりアトムがぶっちぎりの1位だ。「いまでも主題歌が聞こえてくると、未来への希望がわく」「アトムは永遠のアイドル」などという読者の感想が並ぶ。私も毎週観ていたが、内容はほとんど覚えていない。エイトマンのほうが好きだったし。でもアトムが歩くたびにピョコンピョコンと足音がするのをおもしろがっていた覚えはある。この記事を書いた1959年生まれの記者さんはおそらく私と同学年だが、彼も書いているように、私もマーブルチョコのアトムシールを集めたクチだ。

Sightところで、夫が友達からこんな雑誌をもらってきた(夫、手柄ぢゃ!)。ロッキング・オン社発行の「SIGHT」vol.15 SPRING 2003 である。特集のタイトルは「何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか 誤解された天才の闇に迫る」。編集の渋谷陽一が神とも仰ぐ手塚治虫の特集を企画したのは、おりしも2003年4月7日にアトムの誕生日を迎えるからだったという。

渋谷陽一は巻頭言でこう語っている。
「未来、希望、ヒューマニズムといった言葉の洪水のなかに、本当の手塚治虫はいなかった。一種の手塚批判ともいえた宮崎駿の発言----社会的には物議をかもしたが、僕が納得できた数少ない追悼の言葉だった。あの宮崎発言には、手塚への確かな愛があり、リアルな表現者としての手塚が存在していた。すでにいろいろなところで語られ始めている手塚論、あるいはアトム論は、僕が危惧したとおり、本来の手塚、本来のアトムとは距離のあるものばかりだ。そこで本誌は、あえて「何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか」という挑戦的なタイトルで大特集を組んだ。
手塚は生前頻繁に、自分にとってアトムは代表作でない、好きな作品ではない、本来のメッセージが世間に伝わっていない、そしてアトムというキャラは好きではない、とまで発言している。…安易な手塚→アトム→ヒューマニズムというフラットな連想パターンもより一般化してしまった。いうまでもなく手塚は希望も語ったが、同じくらい、あるいはそれ以上に絶望も語った作家である。」

素朴な疑問が湧く。最初に挙げたランキングでの読者の声と、アトムが嫌いだったという手塚の言葉との、この乖離の大きさはいったい何だ? 手塚が当時アトムを嫌いだ嫌いだと思ってあのアニメを作っていたとすれば、多くの視聴者を欺きおおせた偉大なペテン師だったということになる。

たぶんそうではないのだと思う。「アトムが嫌いだ」というのは、アトムに込められたプラスの面ばかりに注目されることに嫌気が差して、また漫画家としての自分にそういうレッテルが貼られることを避けるために言った言葉だと私は思う。自分はもっと別のものだって描けるんだゾ、というアピールではなかったか。

「手塚は希望も語ったが、同じくらい、あるいはそれ以上に絶望も語った作家である」。確かにそうだ。『火の鳥』(何編だったか忘れた)で、やっと深い縦穴から出たと思ったら、そこには更に高い壁が聳え立っていたあのラストには、おさな心にも絶望を感じたものだ。『ザ・クレーター』で、死ねない身体になった宇宙飛行士が月面から地球の終焉を見続ける話にも、胴震いがするほどの恐怖と絶望を覚えた。しかし、だからといって、手塚がそこで本当に描きたかったのが絶望であったとはどうも思えないのである、私には。これは作品から受ける印象がそうだから、としか言いようがないのだが。また、NHKのように、愛だ思いやりだヒューマニズムだなどとは簡単に評したくないのだが、でも彼の作品全体から受ける印象は、絶望や悲惨さよりは愛と希望とロマンなのである。

だから私は手塚が「アトムが嫌いだ」と言っても、額面どおりには受け取れないのだ。彼は人一倍自分に対する評価を気にする人だったそうだから、それは評論家だのマスコミだのに対するバリアであって、彼らを操作するための計算だったと考える。この特集を企画した渋谷氏のように、手塚治虫は品行方正なマンガばかりを描いていたわけではなくて、それは後から付加されたマスコミによるフィルターを通した見方に過ぎない、というような論調が出てくるのは、まさに手塚の思うツボではなかったかと思う。

彼が人間の心理や社会のマイナス部分に目を向けた漫画家だったことを否定するつもりは毛頭ない。でもそれは更にその先を描く(あるいは読者に思い描かせる)ための手段であって、決して目的ではなかったと私は考える。というか、そう感じる。私の感覚が絶対だ、などと言うつもりはない。渋谷氏のような捉え方のほうが真実なのかもしれない。そっちの考え方のほうがより深いと言う人もいるだろう。

結局、これは読者各人の感覚のレセプターの違いなのかもしれない。手塚治虫が投げかける善や悪や生や死や愛や裏切りや嬉しさや悲しさや喜びや苦しみや……、そんな様々な形をしたメッセージの中から、読者は自分のレセプターに合ったものを選択して受け取っていく。『MW』の結城に込められたメッセージを大きく受け入れる人もいれば、善玉ロボット・アトムに込められたメッセージがぴったりの人もいるのだろう。そして私のレセプターは、『BJ』という作品の描かれ方やメッセージに反応するのである。

……と、無理矢理『BJ』に話を持っていったところで、最後に、この特集の中で『BJ』について触れられている部分をいくつか挙げておく。

「考えてみると、手塚治虫ってキャラクター・グッズが売れないんですよ。(中略)実際は鉄腕アトムくらいでね、あとは何もないんですよ。やっぱりブラック・ジャック人形は持たないし、ブラック・ジャックTシャツは着ないと思うんですね」(竹内オサム)……私、ブラック・ジャックTシャツ、着てるんですが(汗)。

「本当に『ブラック・ジャック』なんか異常だもんね。一話完結であれだけの物語を作るという」(江口寿史との対談の中の渋谷氏の発言)

「『ブラック・ジャック』というのは職人というか、医者の“教養”って感じがすごくするんですよね。なんというか、生命の大切さの背景には、膨大な死があるのだ、というような、一種の諦観というか死生観というか」(斎藤環)

「手塚さんは知識よりも教養をとったという感じですかねえ。さらに言えば、物語性のほうをとったわけで。それが『ブラック・ジャック』を非常に優れた作品にしてると思いますね」(斎藤環)

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数の問題

注目の都議選。民主党が第1党となることが確定し、自公連立で過半数行くかどうかが焦点のようだ。自民党は「地方選挙と国政は関係無い」の一点張りだが、優勢だったならきっと「関係ある」と言うのだろう。今夜にでも政局が大きく動きそうな気もするが、それはさておき……。

『陽気なギャングが地球を回す』(伊坂幸太郎著)の中におもしろい数式が出てきた。

a = b という式があるとする。
両辺に a をかけると
  a^2 = ab
両辺に a^2 - 2ab を足すと
  2a^2 - 2ab = a^2 -ab
括弧でくくると
  2(a^2 - ab) = a^2 -ab
両辺を (a^2 - ab) で割ると
  2 = 1

算数が苦手なことでは人後に落ちないワタクシのこと、なんだかとても感激してしまったのだが、こんなことで感激するのはきっと私だけでしょうね(汗)。上の式、どこがおかしいか、わかりますか?

……と、こんなことを書いているうちに、自公の過半数割れ確実だそうだ。

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気になること2題

●東国原知事の一件は、自民党が一笑に付すかと思いきや、未だに古賀選対委員長は「(国会議員になれば)党のルールでどなたも総裁候補に名乗りを上げられる」と次期衆院選出馬を要請している様子。たとえダントツの得票で衆議院議員になったとしても、総裁選はあくまでも自民党内の選挙。東さんが総裁になる目など最初からないと思うし、東さんもそれを承知でつけた条件だと思うが。

せっかく東さんの投げた爆弾が、自民党内の誰もが地に足がついていないせいで、大した効力を発揮していないのが残念。同時に、マスコミや世間の論調が、やれ勘違いだの天狗になっているだのと批判めいたものになっているのも残念だ。あれはすごい一手だったと思うけどなあ。たけしさんが東さんに意見したと報道されているが、これ以上笛を吹いても既に死に体となった自民党は踊らないし、もうそろそろ止めようやということを、主にマスコミに対してアピールしたものだと思う。東さんの正攻法と未だに色気を見せる自民党とでにっちもさっちも行かなくなって立ち往生していたから、ヒョイと脇から出てきて笑いに紛らして東さんを引っ込めさせようとした印象だ。

●もうひとつ気になるのはウイグルでの暴動。胡錦涛主席がG8を欠席して帰国したほどの騒ぎとなっている。そのまま出席していたら、現時点で死者3千人とも言われるこの暴動を武力制圧していることへの非難を浴びることとなっていたかもしれないと思うのは穿ちすぎか。しかし、実際には中国に対する非難声明もなかったのだから、いったいG8には開催する意味があるのか、実効的な存在なのか否か、はなはだ疑問に思うがそれはさておき……。

ウイグルには複雑な背景や事情がある。東トルキスタン(ウイグル自治区)はアフガニスタンに接している。少数民族に対する人権弾圧や侵略は決して許されるべきことではないが、いまもしもウイグルが独立しようとすればアフガニスタンのテロリストに格好の活躍の場を与えてしまうという説もある。そしてそれは決して国際社会が歓迎する事態ではない。だからこそG8でこの問題が不問に付されたのかもしれないとも思う。なんとか中国の国内問題として穏便に解決してほしいのだ、国際社会としては。

しかし、人間として、血まみれになって泣いている女性の映像など見れば、これは酷いと思う。暴動が起こるに至った経済格差や“漢化政策”に対するウイグル族の不満に、中国政府がいま以上に耳を傾けてくれることを切に願う。

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eclipse

そろそろ日食観測用の眼鏡(日食グラス)を買っておこうと思うのだが、どこで売っているのだろう。小学生の頃、ガラス板にススを付けて太陽を見ましょう、という授業があったように記憶しているが、このやり方は危ないのだそうだ。黒い下敷きも危険だと、先般国立天文台が注意を呼びかけていた。「太陽の光が網膜の中心に集まり、虫眼鏡で紙を焦がすように焼ける」太陽性網膜症、日食性網膜炎という症状が起こるのだそうだ。

「目の奥まで届かない紫外線より、赤外線が危険で、紫外線カットのサングラスやゴーグルも役に立たないという。下敷きやCDのほか、以前には推奨されたススを付けたガラス板も、赤外線は通すため危険のようだ」というから、我々はずいぶん危ないことをやっていたのだとそら恐ろしくもなる。国立天文台が推奨する安全な観察方法はこちら

さて7月22日の日食だが、日本気象協会の発表では、ここ松江では最大食分0.817だそうだ。それは是非観てみたいものだが、当日の晴天率が43.3%となっている(晴天率は過去30年の統計より)。梅雨が明けていればよいのだが。週間天気予報を睨みながら、日食グラスの購入を検討することにしようか。

日食で思い出すのは、天の岩戸神話。アマテラス=卑弥呼と考えて、この皆既日食が起こった紀元248年に卑弥呼が没したという説を書いていたのは井沢元彦だったか。一国のリーダーであるシャーマンとしての力が無くなったと考えられて殺された、という説だったと思う。古代にはそんな恐怖だった日食を楽しみに待つというのもなんとなく気が引けるが……、楽しみだ。

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美容室でマッサージ

連日30度あたりの気温を記録するようになった。梅雨時で湿度も高いからやりきれない。これがカラッとした30度なら気分も良いのだが。

我慢できなくなって、髪を切りに行った。2ヶ月半ぶりだ。馴染みの美容室へ行くとヒンヤリ冷房が効いていて気持ち良い。カットクロス(あの大きなポンチョみたいなやつね)をかけられると結構暑いものだから、多少低めの温度設定がありがたい。いつものことだから別に長さや髪型などを指定することもなく、そこのワンちゃんの話から家族の話から肩こりの話から県内で起こった親殺しの話から、脈絡もなくお喋りする。

カット、毛染め、洗髪と進んで、あとはブローというところでいつも頭から肩にかけてパンパンと叩いて筋肉をほぐしてくださる。これが何とも言えず気持ち良いのだ。ミント系の整髪料の香りとも相俟って目が覚めたような爽快な気分になる。時間にして1分たらずだが、これがしてもらえるから美容室へ行っているようなものだ。

「いつもよりちょっと短めにしましたよ」と言われたが、せいぜい5㎜くらいだろう。涼しいほうが良いです、ありがとう。スプレーは断って、一丁あがり! ここでお会計となるのだが、きょうはちょっと先生にお返しをすることにした。「肩を揉んであげましょう」と言うと、「そんな! お客さんにそんなこと……」と固辞されたが、他にお客さんもいなかったから「まあここに座って」とそれまで自分が座っていた椅子に座ってもらってマッサージ開始。この先生が長年ひどい肩こりで、遠くは九州まで治療に通っていたことは以前に聞いていたし、きょうもきょうとて肩にシップを張っておられるのが首筋から見えていたし、ときどき痛そうに肩を押さえてぐるぐる腕を回しておられるのも鏡越しに見えていた。背の低い人が座高の高い私のような客の頭をいじるのは、いくら椅子を低くしても大変な作業だろうと思う。それに私はマッサージが上手いのである、自分で言うのもなんだけど。

肩から背中にかけて鉄板が入っているような硬さだった。こりゃあ辛いゎ、と内心思う。つい一ヶ月ほど前までは私も堪らない背中の痛みに参っていたから(片方乳房がなくなって身体のバランスがとれなくなったせいだと思う)、この辛さはよくわかる。首筋から肩、背骨の両側を押して揉んで叩いて撫でさする。「ひゃ~、気持ちいいわ~」という声に前の鏡を見ると、本当に気持ちよさそうにして目を瞑っておられる。きっとさっきは私もこんな顔をしていたんだろうな。

小さい頃から父の肩叩きをさせられてきた。晩年寝たきりになって身体中が凝って痛いと言う父の身体を、毎日揉み続けてきた。習ったことはないがツボはわかっている。そのテクニックを駆使して揉むこと3分ばかり。「あ~、身体が軽くなった~!」と言われたところで終了。もっとやりたかったが、それ以上は遠慮されるだろうから。ところが、「これ、開いてるけど……」とヘアームースを1本いただいてしまった(汗)。エビで鯛……(笑)。

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『あらしのよるに』原画展

9時半には診察も終わり、本日休暇の夫とどこかへ出かけようということになった。映画『MW』を観に行こうかとも考えたがどうもいまひとつ食指が動かず、先日行きそこなった「『あらしのよるに』あべ弘士絵本原画展」を観に行った。いろんなタッチで描かれている迫力のある絵を堪能する。展示室の前では『金田明夫の絵本ひとり語り・「あらしのよるに」ステージDVD』が放映されていて、そこからかすかに聞こえてくる歌も雰囲気を盛り上げてくれた。

木村裕一作・あべ弘士絵の原作は、文庫化されているシリーズ第5作「どしゃぶりのひに」までしか読んだことがないけれども、中村獅童と成宮寛貴が声を当てたアニメ映画は観た。だから物語の経過と結末は知っているのだが、展示されている原画とひらがなだらけの平明な文章を読み進めていくうちにどんどん引き込まれていって、思わず涙ぐんでしまった。我ら夫婦の他には、ちょっと年上と思われるご夫婦が一組いらっしゃっただけだったから、ハンカチ握り締めてグスグス言っていても誰にも気付かれなかったのが幸いだった。

帰宅してから『あらしのよるに』の文庫本を再読したことは言うまでもない(笑)。ネットで探して演劇集団・円の舞台版もちらりと観た。ちなみに、以前に書いた文庫本の感想はココココ、映画を観た感想はココ。こんなに何度も取り上げた作品も珍しい……というか、たぶんこれしかない(『BJ』は別格として)。たぶん自分でも気付かないくらい大好きな作品なのだろう。文庫版は再編集されたものなので、『特別編 しろいやみのはてで』を含む大型版を手元に置きたい気持ちは大いにある。でも読むたびにドップリ浸かってしまうことが目に見えているので躊躇しているところだ。きょうもグッズ売り場で販売されていたのだが、結局買わずに帰ってしまった。う~む、どうしようか……。

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催涙雨(さいるいう)

きょうは七夕。しかし無情の雨……。7月7日に降る雨を「催涙雨」という。毎年思うのだが、七夕だけは旧暦で行ったほうが良いのではないか。こんな梅雨の真っ只中では織姫彦星が気の毒だ。まぁこちらの地方では、ひなまつりも端午の節句も七夕もすべて月遅れで行うから、陰暦に近くなって良いのだが。

織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)は実際にどれだけ離れているのだろうかと調べてみたら、だいたい15光年となっていた。とても一晩のうちに会いに行かれる距離ではない。「ワープ航法」をしているのだと書いてあるサイトも見つけたが(笑)、もっと簡単に解決するには、織姫と彦星の身長が1光年くらいになればよいのではないかと思う。すぐ会える。頑張れよ。

Photo与太話はさておき、せっかくの星空も満月も見られないので、「Stellarium」というフリーソフトをダウンロードして、プラネタリウム気分を味わっている。私がいる地点の現在時刻の星空がこれだ。雨雲さえなければこのように見えるはずだったのに。ベガ、アルタイル、デネブの「夏の大三角」の辺りである。

このソフト、星は瞬いているし、ときどき流れ星も見られて楽しい。星や星雲をクリックすると説明文も出る。その方位角や高度が刻々と変わっていくのにも感動する。フリーだけれども、なかなか優れもののソフトである。このソフトで来る皆既日食が見られたら言うことなしなのだが、それは無理だろうなあ。

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白い孤独

亡くなって10日たっても未だ注目され続けているマイケル・ジャクソン。その容貌の変遷をテレビで見る機会も多い。私は、彼の肌の色が白くなっていったのも整形によるものかと思っていたのだが、これは尋常性白斑という病気のせいだったらしい。皮膚の色を作っているメラノサイト(色素細胞)が消失する病気で、難治といわれている。『スリラー』の頃から白くなり始め、最後は爪に色素が残るだけという状態だったとか。

ところで、『BJ』において肌が白いということで命まで危うかったのは「白いライオン」のルナルナである。演ずるのはもちろんジャングル大帝ことレオだが、ルナルナとレオでは身体が白い理由が異なる。ルナルナがメラニンに関わる遺伝情報の欠損により白化したアルビノ(先天性白皮症・先天性色素欠乏症・白子症)という突然変異であるのに対して、レオはアルビノではなく、また氷河期の遺伝子が発現したいわゆる白変種でもなく、ただ親からの遺伝のために白いのだと設定されている。

アルビノは、「1)視力が弱いため攻撃性や俊敏性が低い 2)保護色となる色素を持たないため捕食者や獲物に見つかりやすい 3)紫外線などの害作用に対する免疫がない などの理由により、自然界の生存は極めてまれである(←Wikipedia による)」そうだ。ルナルナは虚弱体質なのである。だから、ルナルナがその白さゆえに人間に珍重されて自然界から人間の世界へ連れてこられたことが、ある意味ルナルナの命を救ったことになるかもしれないのは皮肉である。また、アルビノは瞳孔が赤いのが特徴なので、ルナルナの瞳孔は赤いはずである。アニメではどうだったかな?

さて「白いライオン」だが、このエピソードでの本当の主役はピノコであるように思う。魚をさばくピノコとBJのほのぼのとした会話で幕が上がるが、この最初のわずか1ページの間に、早く一人前のレレイ(レディ)になりたいピノコの願望と、♂♀の違いにサワリだけ触れて(これ以上はピノコにはまだ早い)と思っているに違いないパパBJが描かれている。それでもピノコのお腹の中には「タマゴ」云々と、決してウソは吐いていないBJ先生である(笑)。ちなみに、ここで出てくる「シラコ」という言葉が「白子=アルビノ」に繋がっており、実に上手い構成になっていると思う。

白いことで人間のオモチャにされて弱ってしまったルナルナを、BJはメラニンを注入することで治療する。しかしそこに至るまでのBJとピノコの会話が泣かせるのだ。白いから可愛いのだと治療に反対するピノコをBJが諭す。
「ピノコ おまえはどうだ。おまえはまともなからだになりたいと思ったことはないのかっ」
……(中略)……
「そやあ ないたいわのよ……」
「ルナルナもおまえとおんなじことを考えてるんだ きっと……。わかるだろう?」

おお……ピノコ! (T-T)
この言葉でちゃんと理解して、ルナルナの幸せを考えるピノコに私はいつも感動する。ピノコが出てくる話の中では一番好きかもしれない。自分はそうなれないかもしれないけれど、他の同じような境遇の者の幸せを願うことのできるピノコを、もう私はなんと言ってよいのかわからない。ピノコをピュアだというのなら、何は置いてもこの話を取り上げるべきだったと思うゾ、NHK。

ごく普通のライオンになってしまったルナルナは健康を取り戻すが、動物園側は手術が失敗したのでアフリカへ返したと発表する。おかげで、どこでどう調べたか、ルナルナを治したBJの元に抗議の便りがどっさり届いたりする。しかし、中に1通、こどもが描いたとおぼしき元気に駆け回る褐色のルナルナの絵が……。
「これ……おまえがかいたんじゃないのか?」
「ウフン……」

良いラストである。動物園は「手術は失敗」と言っているのだから、ルナルナが褐色になって元気になったことを知っている子どもはピノコしかいない。BJ先生にはすぐに犯人(?)が判ったはずである。呆れたふうを装っているが、悪者にされたBJをなぐさめようとするピノコの気持ちはちゃんと伝わったことだろう。ピノコが描いた明るい表情のルナルナが、ピノコの切ない願いが昇華したものであることもまた……。

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ただいま読書中

たまたま立ち寄ったB○○K ○FFで、6年前に出た『ブラック・ジャック『90.0%』の苦悩』(豊福きこう著)を発見。即買い。ただいま熟読中。

「B・Jの全データを検証、その人間像に鋭く迫る。雑誌掲載版とコミックス版を徹底比較して手塚治虫のオペ成功率をあわせて分析。」(「BOOK」データベースより)

初出時から各種単行本までのコマやセリフの変遷が徹底調査してあるのが、なによりすごい! たとえば「海賊の腕」で、ラストページの1コマだけBJの腕が義手になっている点(と、後にそれが訂正されている点)とか、「めぐり会い」で、BJの「あいたいですね」というセリフがカットされている点などなど(他にもいっぱい!)が指摘され、またそれについての考察がなされている。こういう地道な調査によって裏付けされた説は、とても説得力がある。データブックとしても読み物としても面白い!

1980

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小説の中の性犯罪に思う

『1Q84』か『アヒルと鴨のコインロッカー』か、どちらかの感想を書こうと思っていたのだが、ちょいと気分が乗らないので、やめる。『1Q84』はまだ全体像が自分の中で消化しきれていないし、何より幼女相手の近親相姦で子宮破壊という事実に気が滅入る。『アヒルと鴨のコインロッカー』はドライにして暖かい作品なのだが、猫殺しとバスの中の痴漢に怒りが沸騰して冷静になれない。

痴漢とかレイプとかロリータとか、私はその類がとことん嫌いだ(←こんな単語をバンバン使うと迷惑トラックバックが増えるのはわかっているが、伏字にするのもそいつらに負けたようで悔しいのでそのまま使う)。どんなにイイ男でもそういう趣味があるとわかれば、「男」の、いや、「人間」の範疇から外すだろう。抵抗できない者、力の弱い者、成熟した心身をまだ持たない者に、力尽くで己の肉欲を押し付ける鬼畜を「人間」と呼ぶ必要はない。

先日、結婚を間近に控えた女性がレイプされ、犯人を告発した後に自殺したという新聞記事を読んだ。なんと気高い人だろうと思うと同時に、悲しく暗澹たる気持ちになった。何故、被害者の彼女のほうが死ななくてはならないのかと思う。いや、死なざるを得なかった気持ちもわからないではないから、悲しいのだ。はたして犯人の男にそんな彼女の気持ちがわかるだろうか。

痴漢に遭ったことは数回ある。睨み付けてやったり、顔面をカバンの角で強打してやったり、ヒールで足の甲を思い切り踏んづけてやったりしたが、あの悔しさと憤りは今でも鮮明に思い出すことができる。幸いなことにレイプされたことはないけれども、危なかったという経験はある。幼い頃に会った、お腹の辺りを押さえていたあの男が、決して腹痛なんかでなかったことは今になれば明白だ。あのとき私があの男に近寄って行っていたら、と思うと、今でも震えがくるほどに怖い。そうなっていたら、おそらく今の私とは違う私が出来上がっていたに違いないと思う。あれは、私の運命の、人生の分岐点でもあったのだ。

性犯罪というのは、被害者にとっては人生を変えるくらい重く過酷なものだ。村上春樹は、その点をちょっと軽く考えているような気がしないでもない。あんな綺麗な夢物語になるかどうか……。その点、伊坂幸太郎は、痴漢を撃退する麗子さんを魅力的に描いているし、『重力ピエロ』でもレイプの爪痕を重大に描いたが、やはり視点は母親本人ではなくて息子や父親だった。

やっぱりこれは男性には永遠にわからない心情なのかもしれない。自分の妻や娘や恋人がやられたら嫌だと思うことは自分もしない、という男性は多いと思うが、そういう女性の尊厳なんていうのはまだ綺麗ごとだ。女性が生きていかれるかどうか、その根源にかかわるくらいのものだと知ってほしい。

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お宝!!

某氏よりセル画を頂戴してしまいました。なんと! OVA版『BJ』です! 
感涙! (T-T) 生きててよかった……。

せっかくですので、写メしてお披露目いたします(フラッシュも写ってしまいました)。OVA版はDVDを持っていないのでうろ覚えですが、3枚目は「カルテV サンメリーダの鶚」のレスリー、4枚目は「カルテVII 白い正義」の白拍子先生だったと思います。BJ先生とピノコはどの話だかわかりません。俄然、OVA版購入の意欲が湧いてきました。だって、どこのシーンでこのセル画が使われているか知りたいじゃん、ねえ。

セル画の実物を、実は初めて見ました。素晴らしく綺麗なものなのですね。裏の紙をちょっとめくってどんなふうに塗られているのかを見て、感動しました。なんという緻密な作業! こんなのを何千枚も手作業で作っていたなんて「凄い」の一言です。やっぱり日本のアニメは世界に誇れるものだったと思います。いまはデジタル彩色で、しかも海外に発注することが多い、などと聞くとちょっと残念です。

はぁ~、しかし、いつまで見ていても飽きません。杉野さんの生(なま)BJ先生をこんなに間近に拝める日が来ようとは。某さん、本当に本当にありがとうございました。大切にします!

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半夏生(はんげしょう)

二十四節気をさらに細分化した七十二候の中のひとつ。きょうのA新聞には日付と共に「半夏生」と書かれていたが、夏至から数えて11日目の今日がその日だ。「半夏(カラスビシャクともいう)」という多年草(有毒植物)が生えるからこの名がある。また今日から梅雨が後期に入るとも言われる。禁忌としては、この日には井戸に蓋をしなくてはならないとか、たけのこ、ワラビ、野菜を食べてはいけないとかがある。天地に毒気が満ちているからだそうだが、梅雨のこの時期、大雨で地盤が緩んだり、細菌が繁殖して食中毒を起こしたりしやすいことを思えば、なるほど理にかなっていると言えるかもしれない。

二十四節気でも怪しいのに七十二候なんてとても覚えられるものではない。それでも私がなんとなく覚えているのは、この「半夏生」が夏の季語になっているからかもしれない。……といって、別に句を覚えているわけでもないのだが(汗)。

「半夏生」と一緒に思い出すのが「夏安居(げあんご)」という仏教用語だ。「安居」とは雨季のことだが、その時期には草木が生い茂ったり毒虫が活動したりするので、僧は遊行せずに一ヶ所に集って修行する。雨季のある夏場に行われるので「夏安居」という。以前に永平寺での修行についての本を読んだら、今でもこの修行は行われているそうで、安居が明ける解夏(げげ)までは寺の外に出ないのだそうだ。

一年のうちで最も鬱陶しいこの長雨の時期、人は昔から注意を払って暮らしてきたのだろう。衛生面や環境面で改善されてきたいまの日本でも、これらの言葉の意味を知ればやはりそれなりに学ぶべきことは多い。

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マンガでしか描けない哲学の問題

『マンガは哲学する』(永井均著)を読書中。以前に講談社から出て話題になった本だが、このたび岩波現代文庫に収められた。藤子・F・不二雄、吉田戦車、萩尾望都などなどの多くのマンガを引いて哲学的考察が試みられている。パラパラと立ち読みしていて「ともあれ、どうしても王様が裸に見えてしまうので『王様は裸だ!』と叫んでしまったあの子どもは、まわりの進歩的な大人たちにくらべて、あまりに保守的であっただけだ、という可能性があることは忘れてはならないだろう」という一文に思わず引き込まれたので買ってしまった。

読みやすい哲学書なのだが、しかし、自分が本当に判っているのかどうかは甚だ心もとない。自分が自分であることに疑問を呈するのがどうやら哲学の基本的姿勢であるらしいことを考えれば、「判った」と思う自分は本当に自分なのかと思うことは正しいことではあるはずなのだが、そこに拘泥すると一歩も先に読み進められないという状況が起こってしまい、なんとも難儀している(笑)。そういえば、この人の本では以前に『転校生とブラック・ジャック』を読んで、やはり脳が腸捻転を起こしそうになったことがあった(起こらないよそんなことは)。ネット上で書評や感想を読むと、皆さんよく理解していらっしゃるようで、非常に羨ましく且つ悔しい。どうして私の頭はこの人の本を読むと捩れてしまうんだろう……。

ちょいとインターミッション。一緒に買った『中国の五大小説 上・下』(井波律子著)を読む。上巻が『三国志演義』と『西遊記』で、帯には「颯爽たる男達の『武』 乱れ飛ぶ『幻』」とある。下巻が『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』で、帯には「みなぎる『侠』 狂い咲く『淫』 夢に舞う『情』」とある。それぞれの話のあらすじと魅力が「ですます調」で解説してある。こういうのを読むとまた原作が読みたくなって困るのだが…。この五大小説のうち、『紅楼夢』だけはダイジェスト版でしか読んだことがない。これを機会に完本を読んでみようかな。

ちなみに、
「三大奇書」といえば、『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』
「四大奇書」といえば、『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』『金瓶梅』
「四大名著」といえば、『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』『紅楼夢』
「三大怪奇小説」といえば、『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』(安能務氏によれば『水滸伝』の代わりに『封神演義』が入る)

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