« 『MW 第0章』 | トップページ | 半夏生(はんげしょう) »

マンガでしか描けない哲学の問題

『マンガは哲学する』(永井均著)を読書中。以前に講談社から出て話題になった本だが、このたび岩波現代文庫に収められた。藤子・F・不二雄、吉田戦車、萩尾望都などなどの多くのマンガを引いて哲学的考察が試みられている。パラパラと立ち読みしていて「ともあれ、どうしても王様が裸に見えてしまうので『王様は裸だ!』と叫んでしまったあの子どもは、まわりの進歩的な大人たちにくらべて、あまりに保守的であっただけだ、という可能性があることは忘れてはならないだろう」という一文に思わず引き込まれたので買ってしまった。

読みやすい哲学書なのだが、しかし、自分が本当に判っているのかどうかは甚だ心もとない。自分が自分であることに疑問を呈するのがどうやら哲学の基本的姿勢であるらしいことを考えれば、「判った」と思う自分は本当に自分なのかと思うことは正しいことではあるはずなのだが、そこに拘泥すると一歩も先に読み進められないという状況が起こってしまい、なんとも難儀している(笑)。そういえば、この人の本では以前に『転校生とブラック・ジャック』を読んで、やはり脳が腸捻転を起こしそうになったことがあった(起こらないよそんなことは)。ネット上で書評や感想を読むと、皆さんよく理解していらっしゃるようで、非常に羨ましく且つ悔しい。どうして私の頭はこの人の本を読むと捩れてしまうんだろう……。

ちょいとインターミッション。一緒に買った『中国の五大小説 上・下』(井波律子著)を読む。上巻が『三国志演義』と『西遊記』で、帯には「颯爽たる男達の『武』 乱れ飛ぶ『幻』」とある。下巻が『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』で、帯には「みなぎる『侠』 狂い咲く『淫』 夢に舞う『情』」とある。それぞれの話のあらすじと魅力が「ですます調」で解説してある。こういうのを読むとまた原作が読みたくなって困るのだが…。この五大小説のうち、『紅楼夢』だけはダイジェスト版でしか読んだことがない。これを機会に完本を読んでみようかな。

ちなみに、
「三大奇書」といえば、『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』
「四大奇書」といえば、『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』『金瓶梅』
「四大名著」といえば、『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』『紅楼夢』
「三大怪奇小説」といえば、『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』(安能務氏によれば『水滸伝』の代わりに『封神演義』が入る)

|

« 『MW 第0章』 | トップページ | 半夏生(はんげしょう) »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/141713/30364999

この記事へのトラックバック一覧です: マンガでしか描けない哲学の問題:

« 『MW 第0章』 | トップページ | 半夏生(はんげしょう) »