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2009年11月

その人を主人公にしちゃおう!バトン

神無月さんから回していただいたバトンに四苦八苦しました。
何故かというと、これは人選がすべてを決するバトンだと言ってよいかと思うのです。ところがですね。本来なら問題文を読む前に登場人物を任意に選んで思わぬ成り行きを楽しむべきなのでしょうが、既にワタクシ多くの方々の回答を見てしまっておりまして(第一、神無月さんのご回答を最後まで読まないことには自分にバトンが回ってきたこともわからないわけですから)、もはやおおよそのストーリーが私の頭にインプットされてしまっているわけです。と言いつつ流れ図など作成してみましたが……。

Photoそうすると、1は主人公より年上の人物を選ばなくてはならず、且つ「男」でなくてはならない、とか、2は「女」でなくてはならないということがわかります。
問題は3と4で、3には主人公が一目惚れをするわけですから(常識的に考えて)違う性別の人物を当てはめると、その恋人であるところの4と主人公は(常識的に考えて)同性ということになります。ところが主人公が4にキスするというところで崩壊してしまうわけですな、常識が。
とすると、3と4を両方とも主人公とは異性にすればよいかというと、(常識的に考えて)主人公が4とキスするのをその恋人である3が黙って見ているはずはなかろうと思うわけです。ことに私の場合、ご指名の主人公が友引警部なのが大問題でして、これがピノコあたりだったら誰とぶっちゅしようが3も微笑ましく見ているだろうと思うのですが、友引警部だと合意の上とはいえ婦女暴行にしか見えません。

というようなことで、注意書きに「組み合わせによっては、BL、GLになっちゃいます」とありますが、人類で考えると必ずどこかでBL、GLになっちゃうんです、このバトンは。
そこでいっそのこと、性別不詳のブタナギとかロロールルとかヒョウタンツギなんかを持ってこようかとも考えましたが、大方の予想どおりまったく面白くないんですなこれが。友引警部とスパイダーがキスしようが、「ホーサヨカ」ってなもんです。

それで……。もう性別を考えるのやめました(笑)。全部同性にしてやりました(なげやり)。それも全部犯罪者です(やけっぱち)。もう誰にでも一目惚れしてくれ、誰とでもキスしてくれ、の境地です(疲れた)。友引警部、ごめん。

前置きが長くなりました。では、いってみます。

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『坂の上の雲』を観た

鳴り物入りで喧伝される事柄には出来る限り乗っかりたくない性格ではあるのだが、観てしまった。『坂の上の雲』。

武士階級が起こした初めての革命--明治維新。列強に追いつけ追い越せをモットーに富国強兵に取り組んだアジアの小国日本が、やがて強大なロシア国家との戦争に突き進んでいく様が描かれる小説だが、第1回目の今夜は、主役の3人である秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規の若き日が描かれていた。

印象的だったのは、主役やその家族たち士族の精神性の高さだった。どんなに貧窮し襤褸をまとっていても、凛とした立ち居振る舞いと姿勢のよさには卑しさのかけらもなかった。また劇中、当時の人々の写真が幾枚も映し出されたが、そのどれもが今の日本人とは顔つきが違っているように思えた。無骨だが粗野ではなく、地に足がついたどっしりとした顔つき。若い人たちでも、いまの時代のちゃらちゃらした我々なんかよりはるかに「大人」に見えた。時代がそうさせるのか……。だとしたら、明治以降、あるいは戦後の経済発展に伴う豊かさの実現は、日本人の精神性を堕落させるもの以外の何物でもなかったのかもしれない。

今夜の放送で、明治期の日本は「少年の国」とされていた。坂の上の、そのまた先に浮かぶ雲に向かって、ひたすら上を向いて歩んでいく少年期の日本。100数十年経って、老いの下り坂を転がり始めた今の日本。あの時代の日本人の毅然として確固たる精神性を取り戻すことができたら、今の日本も少しは希望が持てるものになるのかもしれない。

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スサノオ

去る11月24日、来季よりプロバスケットボールのbjリーグに新規参入する島根チームの名称が「島根スサノオマジック(SHIMANE Susanoo Magic)」と決まった。

う~む。「スサノオ」までは良いとしても「マジック」って何さ? センスが良いんだか悪いんだかよくわからない(笑)。それでも、これ以外の上位案が「島根シルバーセインツ」と「島根ダンダンダンクス」だったらしいから、その中では、うん、まぁ、これ、かな? スサノオノミコトといえば、出雲神話では八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した英雄神なのであるから、バスケでも勇猛果敢に攻めていってもらいたいものである。

スポーツの中でもバスケは好きなほうだから、私としては地元でプロバスケの試合が見られるのは嬉しい。野球やサッカーなら興味が無いのでたぶん見に行かない。その上に、なにしろbjリーグなのでBJやピノコのグッズも買えるだろうから、それが何より嬉しい(←やっぱりな)。

さて、神様のスサノオのほうなのだが、イザナギが鼻を濯いだときに生まれた三貴神の末子である(姉がアマテラス、兄がツクヨミ)。上の二人が良い子だったのに比べて、この弟は大きくなっても母神イザナミがいる「根の国(黄泉の国)」へ行きたいと泣いてばかりいる。とうとうアマテラスの怒りに触れて高天原を追放され、やってきたのが出雲の国。そこでヤマタノオロチを退治して人身御供にされかかっていたクシナダヒメを娶り、以降出雲の神として生きることになる。スサノオとクシナダヒメの何代か後の子孫がオオクニヌシであるといわれる(『古事記』)が、オオクニヌシはスサノオの娘であるスセリヒメと結婚したりしているので、昔の神様は非常に長生きだったと思われる。

ちなみに「根の国(黄泉の国)」の「根」の字を取って「島根」というのだと、むかし学校で習った。実際に、黄泉平坂(よもつひらさか)に比定された場所もある(島根県東出雲町)。「へぇ~、島根って『あの世』なんだ」と思ったことを覚えているが、実際に住んでいる者としては、どうもあの世に暮らしている気はしないのである(笑)。

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鰈カレーと青山草太さん

昨夜久しぶりに『秘密のケンミンSHOW』を観ていたら、島根県にあるカレーとして「カレイカレー」というのが紹介されていた。レトルトカレーに干し鰈をトッピングして食べるのだそうだ。「げッ」と思ったが、ゲストさんたちの試食では好感触だったようだ。浜田市で国内の干し鰈の49%を生産しているというのも初めて知った。鰈の一夜干しはわが家でも確かによく食卓に上るのだけれども、他県ではそんなに食べられないのかな? ふんわり炙ってレモンやゆずを絞ると最高に美味しい。カレーとマッチするかどうか、今度探して食べてみよう。

島根県代表ゲストは俳優の青山草太さん。非常に申し訳ないことに私は昨夜までまったく存じ上げなかったのだが、『ウルトラマンマックス』で主役を演じられた方らしいので(でも私は『ウルトラマンマックス』を知らない……)、若いお母さま方には人気がおありなのかもしれない。ああ、連続テレビ小説『だんだん』にも石橋診療所の応援医師として出ておられたのだな。そう言われれば、見覚えがあるような気もする。

物静かで控えめな印象の人で、島根のことをU字工事に「上から目線」で言われたときの反応がよかった(笑)。言い返すでもなく、笑いを取るでもなく、カクンと脱力したような素直な反応(笑)。うん、別に何を言われようがかまわんですけんね。

「島根は鳥取の左です!」という有名なコピーがあるが(え?知りません? 鳥取がわからないと両県共倒れになるところがなかなか秀逸だと思うんですが)、こちらの人間には栃木、群馬、茨城のあたりがどうもぼんやりしてよくわからないのである。だからお互い様だ。昨夜の番組では青山さんとU字工事が隣り合わせに座っておられたが、きっとお互いに「どっかあのへん」ということで話をしておられたのではなかろうか(笑)。

ちなみに「島根は鳥取の左です!」Tシャツはこんなの。「蛙男商会」さんのページから買えるはず。

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まるで幼稚園

先日来、気になっていたニュース。「京都大は、学生の相次ぐ薬物事件などを受けて、新入生を対象に法令順守などを教える初年次教育を2010年度から実施する方針を固めた」というもの。前期に10~15コマを費やして、薬物の危険性、自転車のマナーなどを教え、キャリア教育やメンタルヘルス教育も行うという。

…………。

アホか。

……という言葉しか浮かんでこない。いや、最初にこの記事を読んだときは目を疑った。天下の京大が何をしとるんだ、と。まるで幼稚園レベルではないか。

それに、こういうことを講義で教えて果たして効果があるのだろうか。薬物事件なんか、悪いことだと判っていてやっているわけだろう(それすら判らないのなら世も末だ)。そんな連中に法令を遵守しましょうと言ったって聞くわけがないと思うのだが。

大学生にもなって社会常識がないのなら、それを培ってこなかった自らを反省して、法やルールを逸脱した罪を償うしかない。痛い目に遭わなきゃだめだ。大学がそこまで面倒をみる必要なんかない。むしろ、大学の品位を汚すような学生なら、大学の名誉のために放逐すべきだと思う。いったい大学を何だと思っているのだろう。こんなことに10~15コマも取るなんて、それこそ税金の無駄遣い以外のなにものでもない。蓮舫さん、出番だ。研究費予算削減に異議を唱えたノーベル賞受賞者たちだって、最高学府のこの体たらくには呆れるだろう。

ルールだのマナーだの、そしてそれらを守ることだののいわゆる社会常識は、幼いうちから実践しないとたぶん身に付かない。そして京大で研究しているようなアカデミックな知識はなくても充分生きられるが、そういった諸々のものが身に付いていないと、人生、非常に生き辛いものになるだろう。それらのものは、要するに、自分と他との距離を上手く取るための身のこなし方であるからだ。そこには他人の気持ちを慮るということが基礎にあって、それは講義で聞いたくらいで身に付くものでは決してない。幼い頃から、実践や親からの躾などによって知らず知らずのうちに出来上がっていくものだろう。

自転車に乗るときは道路の左側を一列に、暗くなったら点灯しましょう、なんてことをいくら教えても、長い時間をかけて根本的に身に付けてこなかった「わが身の処し方の美しさ」のレベルまでは行かないに違いない。そこまで行くのにわずか10~15コマだというのなら、さすが京大だと褒めるにやぶさかでないけれども。

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(備忘録091125)

最近、サイトやブログに Twitter を導入される方が多い。そも Twitter とは何ぞや?と、ちょっと調べておりました。ふ~む。判ったような判らないような……。

『般若心経・金剛般若経』(中村元 紀野一義訳註)読書中。

神無月さんからバトンを頂戴しております。友引警部で(爆)!! ありがとうございます。後日回答させていただきます。m(_ _)m

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もしも真実が見えたら……

Photo『ジキルとハイドと裁判員 1,2』(森田崇・画 北原雅紀・脚本)読了。

余談だが、ネットを始めて間もない頃、とあるルパンの研究サイト(三世ではなくて本家本元初代のアルセーヌ・ルパンの方)の掲示板で、熱い書き込みをされるTAKさんという方と知り合った(と書くとおこがましいけれども……)。その方が当時新進気鋭の漫画家、森田崇さんだった。2001年に出版された彼の初の単行本『Clock Clock』にはルパンも登場するということで、こんなおばさんが少年漫画を買うのはいささか恥ずかしかったのだけれども、いそいそウキウキと買って読んだものだ。モノクルにシルクハット、マントを翻して自信満々のルパンの活躍にワクワクし、ルブランの原作を読んでいればお馴染みの彼の部下達の登場も嬉しかった。テーマであるタイムトラベル・アドベンチャーよりも、ルパンにばかり目が行ってしまう困った読者だったことをたいへん申し訳なく思っているのだが、今でも続編を心待ちにしている。ルパンとアインシュタインの激突(?)なんてそうそう読めるもんじゃない。

さて、その森田さんが現在「ビッグコミック・スペリオール」で連載中なのが『ジキルとハイドと裁判員』である。裁判員制度が始まり、裁判を扱った実録的な漫画も多いようだが、これは一味違う。

主人公の辺見直留(じきる)は真摯に案件と向き合う判事補。素直で明るくまだ年若い裁判官である。ところがある日、彼の首元に謎の生物・ハイドが取り付いてしまう。ハイドは直留の寿命を少し縮めるのと引き換えに真実を教えてくれるようになる。直留には被告人の真実、すなわち事件の真相が判るようになったのである。

彼のジレンマはここから始まる。被告人の演技にコロッと騙される裁判員たち。このままでは冤罪になったり、有罪であるべき者が無罪になってしまう。真実を明らかにし、正しい判決を下すために、判事としてはあるまじき手段を取ってまで裁判員をなんとか誘導して正義を貫こうとする直留。しかし彼の尊敬する先輩である薬師寺判事は彼のやり方に違和感と反感を覚え、心ならずも敵対関係になってしまう……。

正義とは何か? 金丸裁判長は、自分自身が正義だと言う。真実とは何か? 薬師寺は、真実は作り上げるものだと言う。裁判とは何か? 直留は人を裁くことに快感を覚えていた自分に慄く。

様々な視点から、人が人を裁くことの難しさを深く考えさせられるストーリーである。日頃まったく裁判などというものに縁がない一般人には軽々に答が出せないことばかりだ。裁判員に向かって直留は言う。「自分の下す裁きが、本当に正しいのかどうか、裁判官はいつもこの恐怖にさらされているんです! この恐怖を感じずに、人は人を裁いちゃ… いけない!」。それだけの覚悟を持って裁判員になる人がいったい何人いるだろう。知らないうちに選ばれて当日呼び出されたから仕方なくやっている人がほとんどなのではなかろうか。問題意識も何もなく裁判に携わって、はたして良いものか。何がどうなってそんなことが始まってしまったのか結局よく判らない裁判員制度だが、その制度のあり方そのものにも一石を投じる、内容の濃い作品である。ご一読をお薦めする。(直留クンがめっぽう可愛いし♪)

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『BJ』に出てくる医学の本

先週書いたOVAの感想の中で、BJ先生およびドクター・キリコは1921年に出版された本まで読んでいることにびっくりしたというようなことを書いた。医学の世界は日進月歩だから、自分の専門分野に関してカレントの記事を読むだけでも大変なことなのに。BJ先生、家ではいつも机に向かっているので勉強家であることは間違いない。書棚だけでは収まらないのか、暖炉の上にまで分厚い本が並んでいたりもする。しかし、いったいどんな本を所蔵しているのか、背表紙にタイトルが書かれていないのがすこぶる残念である。

それでも何か手がかりはないかと、『BJ』シリーズ中に医学の本を探してみた。

●「ブラック・ジャック病」で、自分の名前を病名につけられて怒り心頭に発しているBJ先生。病名を変更できないものかと山田野先生に相談したとき、山田野先生が持ち出したのが病名がたくさん載っている本で、「万国命名規約という規則があってのう。一度命名した病気は雑誌に発表されて 登録されるんじゃ。ブラック・ジャック病も登録されとる」とのこと。しかしこの「万国命名規約」というのは書名ではないらしく、現実には見つからない。

いろいろ検索してみると医学関連では『国際細菌名規約』というのがあるが、病名ではないしなぁ。現代では、WHOの疾病及び関連保健問題の国際統計分類ICD-10に基づいた『ICD10対応電子カルテ用標準病名集』というのがそれに当たるかもしれない。まあいずれにせよ、BJ先生は所蔵していなかったから山田野先生に見せてもらっているのだが。

ちなみに山田野先生の本に載っている病名は“BLACK JAC…CH KRANKHEIT”。「…」の部分が山田野先生の指に隠れていて読めない。ドイツ語にお詳しい方、ここにどんな綴りがくるのかご教示ください。m(_ _)m

●「ピノコ・ラブストーリー」で、ピノコからのラブレターを引き出しにしまうBJ先生。このとき手紙の下にある右側の本。これは見つけたどーーー!! 
『臨床応用局所解剖図譜(胸部・腹部・四肢)』Eduard Pernkopf著 Helmut Ferner編 小川鼎三 石川浩一訳 医学書院 1966
たぶんこれに間違いない。実在する本をBJ先生が読んでいるというのは、先生をいっそう身近に感じられて嬉しい♪

●原作ではないが、アニメのBJ先生は“Lancet”を読んでいた(たしかゲラの話のとき)。総合医学雑誌としてはインパクト・ファクターも高いし、また両刃のメスを表す Lancet がいかにも外科医らしいから、この雑誌が選ばれたのではなかろうか。週刊の薄い雑誌なのだが、先生が読んでいたのは製本してあったから、定期購読しているのかもしれない。いまならHPでカレントの記事も読めるようだ。→ http://www.thelancet.com/ 

BJ先生の時代にはネットなんかなかったわけだから、文献を集めるのは大変だっただろうと思う。白拍子先生などは所属する大学図書館を利用できるから良いが、BJ先生の場合はどうしてたんだろうか。最寄の医学図書館を利用できていたらよいのだけれど、母校でも評判が悪いくらいだし、悪名高いモグリの開業医にはなかなか門戸を開いてはくれなかったかもしれない。私が現役の図書館員だったら、自分の仕事はおっぽり出してでも張り切って文献集めをしてあげたのになぁ。

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友よ

昨夜は久方ぶりに、箸が転んでも可笑しい年頃を一緒に過ごした友人と話ができて楽しかった。まぁ私は聞き役なのだが、「一言ボソッと言う言葉に毒がある」という評価は変わらないらしい(笑)。ワタクシ当時からそうだったですか(知らなかったヨ)?

私が同窓会に顔を出さないこともあって、中学を卒業してから一度も会わなかった友も一人いたが、次から次へと出てくる思い出話に35年の時を一気に飛び越えた。未だに独身の友もいれば、離婚を経験した友もいる。皆いろんなことを経験してそれなりに分別も付いてきたけれど、人柄というか性格というか、人間性の一番基本的なところはあの中学時代と変わっていない。不思議なものだ。

我々がおそらく初めて顔を合わせたであろう中学の入試のときの話とか、まだ独身だった先生の首筋にキスマークがあったという話とか、しかしそれを見つけたのは我々ぼんやりさん仲間ではなくてそういうことに敏い女子グループであったとか、男子にバレンタインのチョコをあげたらそれがパラソルチョコだったために逆に怒られたとか、なんで義理であげたのに怒られなくちゃならんのだとか、本命にはちゃんと神戸の有名店のチョコを贈ったとか、でも何の返事もなかったとか、まぁ可愛らしかったもんだね我々も。

その頃カッコよかった男子が今では××で××になっていて見る影もない、なんていう話も出たりして、一同「へぇ~」(がっくり)。聞かなきゃよかったと思ったが、男子だってその頃の仲間と出会えば女子の噂話もしているんだろうからお互い様か。

当時仲の良かった仲間で、所在不明の友がいる。若くして死んでしまった友もいる。もうどうしたって当時の仲間が全員集まることは不可能になってしまった。今は世界中に散り散りになってしまった仲間が(ドバイにいる子もいる)、しかしあのときあの場所には確かに一緒にいたのだ。一緒に笑って一緒に泣いたのだ。親に言えないことだって語り合ったのだ。そんな共通の思い出を持つ友には、いつまでも、どんなことがあっても、どこにいても、幸せでいてほしいと思う。

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(備忘録091121)

中学時代の友達4人でお食事会。美味しいお料理とお酒で話が弾み、危うく午前様になるところだった。それぞれの初恋話に大笑い。

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決闘は罪?

「堺市の二つの市立中学の少年グループが6人対6人で殴り合うなどの乱闘をした」というニュースを読んだ。「大阪府警少年課などは20日、決闘などの疑いで、双方のグループの14歳の少年4人を大阪地検堺支部に書類送検し、当時13歳の8人を堺市子ども相談所に通告した」とある。

「少年らの互いのリーダーが「素手で殴り合い、武器は使わない」「相手がギブアップしたらそれ以上攻撃しない」などのルールを決めた上で」決闘したというから、なかなか清々しいと思うのは私だけではあるまい。決闘の理由が理由だし(笑)、決して推奨するものではないが、ひと昔、いやふた昔前の不良同士の喧嘩のようで、方法としては正々堂々としていてよろしいと思う。この一件に、暴行罪や傷害罪ではなく「決闘罪」が適用されたというのは、多分に名誉であると捉えても良いのではなかろうか。

本来なら警察が出てくる必要もなさそうな気がするが、まぁ喧嘩は誰かが仲裁に入ったほうが丸く納まるし、将来ある未成年者が大怪我をする可能性を憂慮してのことかもしれない。未成年者の飲酒や喫煙が認められていないのと同じく、未成年者を守るための措置であったと信じたい。

決闘と言えば、宮本武蔵と佐々木小次郎、ジョルジュ・ダンテスとアレクサンドル・プーシキンあたりが有名か。数学者のガロワも決闘で命を失っているし、ヴェルレーヌとランボオの決闘ごっこ(痴話喧嘩)及び傷害も相当なものだ。武士道や騎士道の観点から言えば、決闘というのは決して罪などではないだろう。しかしそれにしても、今回のことで「決闘罪ニ関スル件」なんて法律が日本にあることを初めて知った。

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(備忘録091119)

ただいま『ユニコ』読書中につき、記事はお休みします。m(_ _)m

「手塚治虫文庫全集」で毎月刊行される分を、次が刊行されるまでに全部読むのはなかなか大変だということがわかった。10月は10冊、11月は8冊、12月は8冊、1月は7冊……。他の本も読みたいし、のんびり好きなやつから読むことにしよう。

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わが家の事業仕分け

夫が「がま○つ」のALMAという釣竿が欲しいと言う。6万数千円のところを1割引程度で買えると言う。これ1本あれば、アジからヒラマサまで何でも釣れると言う。将来職を失うことがあっても魚にだけは不自由させない、だから買ってもいいかと言う。

いったいわが家に何本の釣竿があると思っているのか。毎度毎度これが最後と買い揃えて、10本とは下らないほどあるではないか。それらの分の元はもう取れたのか(取れてないだろう)。今度の竿は何年で元が取れる予定か。それは魚をスーパーで買ったときとどちらが得なのか(スーパーで買ったほうが安いだろう)。その竿は本当に必要なものなのか(ムダなものなんじゃないのか)。

蓮舫参院議員ほど舌鋒鋭くとはいかなかったが、必要の無さを指摘。ぶーぶーとふくれっ面をしているのを、「私のよそ行きのネックレスなんか「しまむ○」で490円で買ったんだぞ!」の一言で納得させた。結論:「廃止(廃案)」。ふふふ、勝った。「あなたの腕だったら、どんな竿でだって釣れるわよ」という一言を忘れない私は、なんて出来た妻なんだろう(爆)。

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セピア色

昨晩の『飛び出せ!科学くん』で、イカ墨を使って絵を描く試みをやっていたが、私も小学生の頃にやったことがある。煮付け用に母が買ってきたイカから墨袋を外して、チラシの裏に悪戯書きをした。父がそれを見て、「時間が経つと色が変わるよ」と教えてくれた。そしてその色を「セピア色」というのだと。結局その悪戯書きはすぐに失くしてしまったので変色したかどうかは確認できなかったのだが、「セピア色」という当時聞き慣れない単語だけはそのとき私の頭にインプットされた。

番組では、レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像がイカ墨で下書きされていると紹介されていた。うん、確かにセピア色だ。「セピア(sepia)は、イカ墨を原料にした顔料、もしくはイカ墨そのもののこと。(中略)さらにギリシア、スペインやイタリアなど一部の国ではコウイカそのものをも指す」とWikipedia にある。

しかしまだそんな言葉が一般的でなかった時代に父がそんなことを知っていたことを今では不思議に思う。調べてみると、以前はモノクロ写真にこの色のインクが用いられたために時間が経つと色褪せたのだそうだ。父は趣味で写真撮影および現像をやっていたから、案外そんなところから知っていたのかもしれない。

セピア色を教えてもらったそのときについでに教えてもらったのが、万年筆のインクの「ブルーブラック」のこと。ブルーとブラックの間の色という意味ではなくて、書いたときには青いけれどもなんちゃらが酸化してかんちゃらになるので時間が経つと黒くなるのだと(←小学生には無理な説明・笑)。後に高校入学のお祝いにパーカーの万年筆を買ってもらったときは、このとき覚えた「ブルーブラック」のカートリッジを意気揚々と買いに行ったものだ。高校時代の日記はすべてこのパーカーのブルーブラックで書いた。いまはもう万年筆を使う人もとんと見かけなくなったなぁ。

父がそんなことを教えてくれたあの日の情景も、だんだんとセピア色の思い出になりつつある。

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OVA版 KARTE4

せっかく買ったのだからOVA版の感想を書いてみよう。きょうは「KARTE4 拒食、ふたりの黒い医者」。あらすじは公式ページに譲るとして…。

ドクター・キリコが登場すればサブタイトルは「ふたりの黒い医者」がお約束。ひとりの患者を巡ってどっちが「救う」かが描かれるわけだが、冒頭のエピソードではBJ先生がかわいそうだ。患者である老人本人が「充分生きたから、もういい」と言い、老人の息子までがすすんでドクター・キリコに金を振り込んだのでは、BJ先生はいったい誰の依頼を受けてオペしようとしたのやら、と思ってしまう。先生をフランスくんだりまで呼ぶ必要なんかないじゃん。せっかくキリコを出したのに、そしてキリコが絡むと俄然やる気になる先生なだけに、全然勝負になってないのが残念。

そしてその後のドクター・キリコは一転してBJ先生に協力的である。拒食症になって自暴自棄になった女優ミシェルを助け、BJに「そのエリテーマは見たことがありますよ」なんて助言まで与えている。挙句に『第一次大戦後に禁止された化学および細菌兵器のすべて(Tragedy of Biological and Chemical Weapon)』なんていう本まで提供して、BJ先生に「頑張れ」と言わんばかりである。(ちなみに、こういう書名の本は現実にはないようで見つけられなかった。1921年発行の本まで知っているなんて、キリコもBJもすごい読書家だと思う。)

このOVA版のキリコに関しては賛否両論あるそうだが、このあたりの描写については私は賛成派ということになるだろう。BJにやるだけやらせてみて、それでダメだったら自分が救うというポジションにいて、私のイメージ通りだ。ただ↑の本を手渡した時点でBJのオペが成功することを見越したのか、どこかへ去っていってしまったけれども。BJ先生、本はいつ返すんだろう……。

もしもミシェルの拒食の原因が掴めず、BJが立ち往生するようなことがあれば、キリコはミシェルの安楽死の依頼を受けただろうと思う。ミシェルはBJに渡すはずだった報酬をキリコに渡すよう遺言すればよいのだ。なにしろBJは治せなかった場合には報酬を受け取らないのだから(原作でそうだから、OVA版でもたぶんそうだろう)。

これはBJとキリコによる究極のチーム医療なのだろうなと思う。いや、チームなんて絶対に組むはずないのだけれど(だってBJがキリコに患者を譲るはずはない)、患者にしてみればベストなあり方なんじゃなかろうか。BJのやり方をキリコは密かに背後から見ている。そしてイザというとき(BJにも治せないとわかったとき)に注射1本打てばよいのだ。ここらへんの諸々の事情とか駆け引きとか喧嘩とか必死の攻防戦なんかを描いてほしかったと思うのだけれど、なにしろBJの天才ぶりが遺憾なく発揮されて、一件落着である。出崎監督の中ではドクター・キリコはBJの敵ではないということなのかもしれないな。

このストーリーの原作となっているのは「ふたりの黒い医者」だが、擬態する寄生虫は「99.9パーセントの水」にも通じるものがある。しかしこれら『BJ』の原作以上に影響を強く感じさせるのが映画『禁じられた遊び』である。カティナとミシェルが秘密の場所で行っていた動物の埋葬ごっこは、ミシェルとポレットの禁じられた遊びと同じだ。ドクター・キリコが作曲したというギター曲もナルシソ・イエペスを彷彿とさせる。

Photoさて、以前にOS氏からいただいたセル画。ここだ! う~ん、感激!

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(備忘録091115)

喉が痛くて風邪気味。一日まったりと過ごしたので、明日は大丈夫だろう。
昨日から「ナナの水遊び」というゲームにハマっている。絵が綺麗だし、「パシャパシャ」という微かな音が心地よい。まだ連続が難しくて5~6万点しか取れない。コツは何なのだろうな。

ウィルスバスター2010に更新。

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No Books, No Life

Photo本日の録画消化は『爆笑問題のニッポンの教養 No Books, No Life  国立国会図書館』。今の館長さんは情報工学の長尾真さん。図書館員時代に『電子図書館』等を読んでお名前だけは知っていた。こんな優しそうな学者風の風貌の方だったのだな。

いま国立国会図書館は蔵書をデジタルデータ化し、いつでもどこからでも必要な情報にアクセスできる電子図書館を作ろうとしている。どこの図書館でも悩みの種なのは、紙媒体の情報は場所を取るということである。どんなにキャパの大きな建物でもいつかは満杯になる。それを電子化してしまおうという試みは、その頃の図書館が抱えていた悩みから生じたように思う。それがまた利用しやすいものであるなら一石二鳥である、と。

私がいた図書館ではまずカード目録を廃止して機械検索できるようにしたが、とても本の中身まで電子化する余裕はなかった。国立国会図書館はそれをやろうとしている。例えば、著者名も書名もわからない、ただひとつ覚えているフレーズがあるのだがあれは何という本だっただろうか?と思ったとき、そのフレーズを入力すればたちどころに判るというのは、確かに魅力的だろうと思う。太田光も、そうやって八木重吉の一篇の詩に辿り着いていた。これは嬉しいだろうな。

しかし同時にそこが問題の要点でもある。「一生かかって辿り着くところに、ものの数秒で行き着いてしまうと、その本を見つけるための様々なプロセスがごっそりなくなってしまう。それはどうなんだろうか」と太田が言う。長尾先生は「その余った時間は他のことができる」としながらも「やっぱり本というのは物(ブツ)なんです。電子的な本というのは物じゃないから、そこには大きな違いがありますね」と認めておられた。ブラウジングの楽しみというのはやっぱり捨て難いものがあると、私も思う。

はたしてケータイなりパソコンの画面なりであの大部なマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読む気がするだろうか。……ぶっちゃけて言えばそういう問題である。画集や写真集をケータイの画面で見ておもしろいだろうか、とも思う。電子化できる情報か否かを判別する必要があるのだろうと思う。自然科学系の雑誌文献などはいち早く電子化されてもよいが、文学や芸術分野の冊子は残すべきものではないかと私は思う。

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本物の力

新しいリモコンが届いたのでやっと録画を観ることができた、10日に放送された『芸術が踊る都ウィーン華麗なる謎解き大紀行』。このウィーンという街、世界住環境ランキングでナンバー1に選ばれたそうで、そこに住む人々や文化・芸術にその魅力を探るという番組だった。先日生で聴いたばかりのキュッヒル氏(なんと奥様は日本人!)のお宅訪問や、大好きなクリムトの絵も見られて、なかなか楽しめた。

なんだか、ウィーンの住人は皆楽しそうなのだ。自分の好きなものを見、好きなものを聴き、無理な背伸びなんかせずにゆったりと暮らしているように見えた。羨ましいなぁ。

夫と、「あれだけ本物に触れる機会が多ければいいよね」と話す。ウィーン国立歌劇場は立ち見ならわずか400~700円。中に入れなくとも、外には巨大スクリーンがあるので誰でも無料で楽しめる。また1日ごとに演目が変わる歌劇場で働く人々の忙しいタイムスケジュールとか、専属ソリストの練習相手を努める専門の人がいるとかいうことを知ると、そういう表に出ない名もない多くの人々のおかげで、ウィーンは文化・芸術の大輪の花を咲かせることができているのだなぁと思った。そしてそれらの人々がまた皆楽しそうで、誇りに満ちた顔をしているのがなんとも眩しい。

心の豊かさというのは、こういうものなのだろう。そして、住みやすい街というのは、そういう人々が住んでいる街のことを言うのだろう。どんなに箱物や街並みを整備しても、そこに住んでいる人たちの心が貧しければ、その街はいつか荒んだものになっていってしまうのだろう。

お金とか経済じゃないんだ、きっと。便利さや手軽さや合理性じゃないんだ。人が手間暇かけてより良いものを作り出そうとする心の動きが大事なんだ、きっと。そんな心しか本物を作り出すことなんてできないんだ。そして生み出された本物の作品には、思わず引き込まれる大きな力がある。無条件で人を感動させるのだ。ウィーンという街にはそんな感動がいっぱい詰まっているように感じた。

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(備忘録091112)

・奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半の国内最大規模の大型建物跡など2棟が見つかり、卑弥呼の宮殿ではないかと言われている。佐賀県の吉野ケ里遺跡よりも大きな大型建物跡らしく、『魏志倭人伝』の中の記述とも合致するとか。邪馬台国畿内説がさらに優勢になりつつあるようだが、はたして発見された遺跡の規模だけでそちらの方が大きな国であったかどうかの証明になるのか、「東遷説」はどうなるのか、大和政権以前の王権が邪馬台国と同一のものであるのかどうなのか、等々、まだまだ謎は多いような気がする。これだから古代史はおもしろい。

・最近、「ギ ネ」「か い ざ ん」という二つのキーワードで拙ブログに来られる方が複数おられたのだが、何のことだろう? ドラマの話? 「か い ざ ん」がひらがななので意味がわからない。???

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リモコン

ちょっと前から HDD/DVDレコーダーのリモコンの、いくつかのボタンが反応しなくなった。本体のボタンで操作できることなら押しに行くのにやぶさかでないが、リモコンでしか操作できないことがたくさんあるので困る。買ったとき、たしか5年保証にしたはずだと保証書を確かめると……、おお! ちょうど5年前の12月に購入している。ギリギリだったねラッキーだったねとばかりに夫が持って行ったら、「リモコンは対象外です」の一言でアウトだったそうな。

メーカー保証期間の1年以内だったら対象になったのだろうが、あとの4年は各販売店が独自に設定している延長期間なので、そこでリモコンは対象外とされたようだ。購入するとき何年保証にするか決めたけれど、どこまでが対象でどこからが対象外かなんて話はしなかったもんな~。でも「本体だけです」と言われた覚えもないよな~、全部だと思うよな~、と、夫とブツブツ言い合う。

結局、2千いくらで新しいリモコンを取り寄せることになったらしい。まあ確かにリモコンは消耗品かもしれないし修理するより安いのかもしれないが、上にも書いたように、本体では操作できずリモコンでしか操作できない機能があるのに対象外になるというのはどうも納得できないところだ。それならば、本体で全て操作できるようにしておくべきではないのか。最初にリモコンありきの考えはおかしいんじゃないのか、え? 

というわけで、いくら停止ボタンを押してもビューンと巻き戻しをやめない画面を見ながら、まるで鉄人28号のようだと思ったりするのであった。
 ♪いいも わるいも リモコンしだい……

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visage

--千葉県市川市で2007年3月、英会話学校講師の英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の遺体が見つかった事件で、大阪府警は死体遺棄容疑で指名手配されていた市橋達也容疑者(30)を10日午後、大阪市住之江区の大阪・南港で身柄確保し、午後8時17分、手配容疑で逮捕した。
 捜査関係者によると、市橋容疑者は10日午後7時頃、住之江区の南港から、沖縄行きフェリーに乗ろうとしたところを捜査員に職務質問された。指紋が市橋容疑者のものと一致したため、住之江署で逮捕された。--(読売新聞ニュースより抜粋)

まずはよかった。死体遺棄容疑もいずれは殺害容疑に代わることだろう。早く事件の全容が明らかになることを望む。

市橋容疑者の整形された顔写真が公開されたのが今月5日のことだった。それからわずか5日後に逮捕されたことになる。フェリーの切符売り場の担当者が「似た男がいる」と通報したらしいのだが……。整形後の彼の顔はどこか不自然で、おそらくその不自然さゆえに記憶に残る顔になってしまっていたと思う。きょうの朝日新聞の天声人語にはズバリ「妙な造作になった」と書かれていたし、そう思う人は多かったのではないかと思う。彼ももう少しなんとか目立たない顔になっていたなら、こんなに早くは見つからなかったかもしれないと思う。別に、肩を持つわけではないが。

しかし、自分の顔を変えるというのはどういう気持ちがするものなのだろうな。私は普段から外出時の口紅以外はほとんどお化粧をしたことがないのだが、紅を差すだけで表情は相当変わる。そしてそれに伴って本人の気分も変わる。鏡で自分の顔を確認したときに、さぁお出掛け、という気分になる。それが、外皮に色を付けるのではなく、造作自体が変わるというのは……。

自分の顔は、ふだん自分では見えない。しかし他人が自分を識別するときに一番大きな拠り所となるのは顔だ。行方をくらますには、顔を変えるのが一番効果的だろう。だがしかし、ふだん自分では見えないからといっても、いたるところに鏡やガラスなどはあるのであって、そこに今までの自分とは似ても似つかぬ顔を見たとき、ふつう、人は自分のアイデンティティを見失うのではないかと思う。

市橋容疑者というのは、かなり強固な意志の力を持った人間だと思う。逮捕時の職務質問でも最初は名前を言うことを渋ったというから、そんな状況でもまだ逃走する意思があったのだろう。顔を変えたことによっても、彼のもともとのアイデンティティは崩壊していない。……いや、崩壊していないということ自体が不自然なのかもしれない。彼が得たいまの顔が不自然であるように。

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BJと赤ひげ

OVA版『BJ』を少しずつ観ている。この出崎統監督のOVA作品は、BJ先生があまりにも美形でカッコよくて言動もスマートなためにちょっと私が抱いているイメージとは違うのだが(笑)、ストーリー構成、作画ともに非常に優れた作品だと思う。欲を言えば、BJ先生が優しくて良い人すぎて誰にでも好かれるところをもうちょっとダーティーにダークに描いてもよかったと思う。

私のイメージするBJというのはもっとヤサグレている。女性の目から見るとたいそう魅力のある男だが、社会的には受け入れられ難い、というか男の世界では敵だらけだろうと思う。秩序を乱すからである。性格的に人に歩み寄れないのか意図的にそういうふうに自分を持ってきているのか知らないが、人から距離を置いたところで生きざるを得ない一匹狼である。

ところで先日のNHK-BS2の『特集わたしの手塚治虫』では、「BJは最後には赤ひげになるんだけれども……」と評されていた。赤ひげとはもちろん山本周五郎の『赤ひげ診療譚』に出てくる小石川養生所の医師・新出去定のことだが、一般的には貧しい人から治療費を取らずに診療する名医の代名詞になっている。かたやBJは外科手術の腕は超一流だが貧乏人に対しても法外なお金を要求する悪徳医師の代名詞と言ってもよい。原作では確かにそうなっていて、本人もそれを自覚している(読者はときどきそれを忘れてヒーローとして見てしまうのだけれども)。ただ、赤ひげだって強請りまがいのことをして金のあるところからふんだくったりもしている。

では、BJは赤ひげとどこが違うのか。きょうはそこのあたりについて。

まず赤ひげだが、彼が憤慨してやまないのは、当時の医療の不公平さである。金のある奴は贅沢に飲み食いしてそのせいで健康を損ない大金を払って治療してもらう。しかし日々の生活に追われる大多数の貧しい者は満足な医療を受けることができない。だから最下層の人々が最後の拠り所とする養生所の予算が更に削られると聞いたときの赤ひげの怒りはすさまじい。彼はいまで言うところの皆保険制度を医療制度の理想としていたように思う。最大公約数的に誰もが満遍なく一定水準の医療を受けられるように心をくだいている。そして彼の怒りは権力者や社会構造に向けられ、医療行為そのものについては当時の医療水準の低さもあってそれほど問題にされていない。助かりそうもない患者をどうにかして生かそうなどとは考えてもいない。赤ひげというのは、「貧しい人から治療費を取らずに診療する名医」であるというよりも、当時の医療制度のお粗末さに必死の思いで抵抗している医者の良心であり社会的正義であるような気がする。

一方のBJはというと、患者のためという正義によって動いているのではない。彼の場合、自分が医者であることが第一義で、腕が良いために結果として多くの患者を救うことになっているだけだというふうに私は考える。患者のために手術をするのではなくて、手術をすることによって患者の代わりにBJ自身が闘っているのだと思う。そしてそういう意味合いこそが彼のレゾンデートルなのだと考える。逆に言えば、医者でないBJ、患者を治せないBJに存在価値はないということだ。

「水頭症」(#76)の中に、「あいかわらずがめついな……」とぼやく手塚医師に向かってBJが食って掛かるシーンがある。「ほかの分野ならいざしらず…患者のいのちをかけて手術する医者が じゅうぶんな金をもらってなぜ悪いんだ!!」。あまりにヒューマニストなBJ像を抱いていると、この部分を「自分のいのちをかけて手術する医者が じゅうぶんな金をもらってなぜ悪いんだ!!」と読み違えそうになる。そうではない。BJ先生は「患者のいのちをかけて」いるのであって、決して「自分のいのちをかけて」いるのではないのだ。ここにおいて、「患者を間に置いて一騎打ちするBJ先生と病気(怪我)」という構図が鮮明になるのではなかろうか。患者の「生きたい」という願いを金に換えて、BJは患者の命を請け負う仕事人なのだ。

しかし一方で、彼は「報復」(#88)の中で「私は自分の命をかけて患者を治しているんです。それで治れば1千万円が1億円でも高くはないと思いますがね」と発言している。ここでは「自分の命をかけて」と言っており、先の言葉と矛盾するようにも思われる。またこのセリフは彼の医療にかける情熱の証しとして名セリフの一つと数えられているようで、それは確かに間違いではないと思う、結果的に。しかしここでの「自分の命をかけて」という意味を細かく考えると、私ァそれで生計を立てているんだ、という意味合いが大きいように思う。つまり、「通り一遍お決まりでおざなりの治療をやっているあんたたちと違って、私はそれくらいの金に換算できるような大きな仕事をしているんでね。これが私の商売なんだから口を出さないでもらいたいね」という意味なんじゃないかと。「自分の仕事には(あんたたちと違って)1千万円とか1億円の価値がある」と言っているわけで、突き詰めれば、そういう仕事ができるBJの存在には(あんたたちと違って)それだけの価値があると自分で言っているのだ。ものすごい大言壮語である(笑)。そんなこと言われた医師連盟会長が激怒するのも道理。「きみは思い上がりだ!」と罵倒するのは正しい反応であろう。先に書いたような「医療にかける情熱の証し」としてこのセリフを捉えると、会長のこの怒りが頓珍漢なものになるんじゃなかろうか。

BJは患者のために手術をしているのではない。どちらかと言えば自分の信念のためだ。しかし先のような大口を叩くためには彼に失敗は許されない。1千万円とか1億円とかいうのは確かに患者の命の値段だが、同時にそれはBJの存在理由の値段でもある。彼は常に手術の腕を上げ、患者の命を救い続けなくてはならないのだ。これは彼の信念が仕掛けた自縄自縛だ。そしてBJのストイックさはここにある。「おばあちゃん」の中で、自分と同じように貧乏人からも大金を取っていた医師がいたと知り、「さだめし……名医だったんでしょうなあ……」と言っているが、このときBJはこの医師の覚悟のほどに共感を覚えているのだと思う。患者の命、全存在を引き受ける責任の重さに耐えられることこそが名医の条件だと考えているのではなかろうか。

そんな彼の(一般的には正義とは言えないかもしれない)信念の表れが、「ふたりの黒い医者」(#56)での最後のセリフ…「それでも私は人をなおすんだっ 自分が生きるために!!」であろう。どんなに医者が頑張ろうとも人はいつか必ず死んでいく。その事実を眼前に突きつけられたとき、骨の髄から医者である彼に言えるのはただこの言葉しかない。なまっちょろいヒューマニズムなんか入る余地のないギリギリの彼の叫びだと思う。(この「医者であること」が神の摂理に反するのではないかという更に深い苦悩をテーマにしたのが「ちぢむ!!」であり、ここで続けて見ていきたい気持ちはやまやまなのだが、きょうはもう時間がない。)

……赤ひげと対比するつもりだったのだが、だいぶんズレたような気がする(汗)ので、最後にちょっと軌道修正。

赤ひげとBJの一番の違いは、その勤務形態にあると思う。赤ひげは幕府が開設した小石川養生所で働いていたのだから、勤務医であり公務員である。BJは一介の町医者、しかも無免許。言葉は悪いがたとえ患者を何百人死なせたとしても赤ひげは食べていける。しかしBJの場合はそうはいかない。自分の腕一本で稼いでいくためには、常に研鑽を怠ってはならないわけだ。その発奮材料となるのがライバルや同等の力量を持つ医師の存在である。キリコとはも一つ上の次元でのライバルだが、「はるかなる国から」や「過ぎさりし一瞬」で腕の良い外科医と競争したり会おうとしたりするBJの姿が描かれている。しかしそのいずれもで、現在世界一の外科医はBJということを再確認する結果となってしまう。歌の文句ではないが「最後はいつも独り」になってしまうBJには、更に濃く孤高の影がしみついていくようである。(ああ、全然軌道修正になってない……。)

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きょうはこんなところです。

Photo週刊朝日MOOK『筑紫哲也 永遠の好奇心』を読書中。昨年11月7日に亡くなられてちょうど1年だ。表題紙に自筆原稿が載っている。昨年夏に書かれたその文章に、筑紫さんが追い求めて実践してきたものが如実に表されているように思う。短いので転記しておく。

--「論」も愉し
 近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
 その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
 そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、失なわれるのは自由の気風。
 そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。
                                二○○八年夏    筑紫哲也      --

様々な分野の多くの有名人が筑紫さんの思い出を語っているが、その中でやっぱり胸を打つのは夫人と息子さんの文章だった。その他、「多事争論・傑作選」も面白いし、「朝日ジャーナル」に連載されていた「若者たちの神々」が2回分(ビートたけしと糸井重里の回)再録されていて懐かしかった。

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痛ましい……

新聞を開けばあっちで殺人事件こっちで殺人事件と、悲惨な事件ばかりでやりきれない。どうしてそんなに簡単に人が殺せるんだ!? 罪の意識なんてそんな高尚なレベルじゃない。人を殺すことを気持ちが悪いと感じない無神経さに戦慄を覚える。

島根県立大1年、平岡都(みやこ)さんのご冥福を心からお祈りする。
そして、犯人よ。人間の心がまだ一片でも残っているのなら、即刻自首をせよ!

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ストラディバリウス

プラバホールへ、ウィーン・フィルのコンサートマスター ライナー・キュッヒルのソロ・リサイタルを聴きに行った。彼が奏でるのは1725年製のストラディバリウス「シャコンヌ」。2階席の端近だったにもかかわらず、CDをステレオで聴くよりもはるかに素晴らしい音色に酔い痴れた。う~む、涙が出てくる……。

曲目:
モーツァルト:ヴァイオリンとクラヴィーアのためのソナタ 第42番イ長調
シューベルト:ヴァイオリンとクラヴィーアのためのソナチネ 第3番ト短調
クライスラー:ウィーン奇想曲
       ジプシー奇想曲
       ブニャーニの様式による前奏曲とアレグロ
       美しきロスマリン
       フランクールの様式によるシシリエンヌとリゴードン
ファリャ(クライスラー編曲):スペイン舞曲

(アンコール曲)
シベリウス:ノクターン
サラ=サーテ:ホタ・デ・パブロ
アルベンス/クライスラー:タンゴ
クライスラー:道化役者
グラナドス:スペイン舞曲
クライスラー:愛の悲しみ

夫はモーツァルトが一番良かったと言い、私は後半のクライスラーにノリノリだった。アンコールでは拍手しすぎて手のひらが痛くなった。もっともっと聴きたかったが、楽譜をパラパラとめくり、もう曲がないよ、というジェスチャーで笑いのうちに終了。夢の中にいたような、あっという間の2時間だった。

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わたしの手塚治虫

先日放送された『特集わたしの手塚治虫 ~こころに残る名シーン・名セリフ』の録画テープをMから受け取った。なにしろ3時間の長丁場、ざっと観ただけだが、好きな作品ベスト10を決めようという試みで、1位『ブラック・ジャック』、2位『火の鳥』、3位『鉄腕アトム』だった。以下、順位はうろ覚えだが『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『アドルフに告ぐ』『ブッダ』『どろろ』『三つ目がとおる』『W3』がランクインしていた。

石坂浩二ほかのスタジオゲストたちもそれぞれ自分の選ぶベスト10を紹介していたが、その中では『奇子』の人気が高かったようだ。東ちづるさんが「この作品は男性に人気があるのよね」とコメントされていたが、同感。かなり淫靡なエロチシズム漂う作品で、男性好みだろうなと思う。同じ女性として見た場合、こんな女性が現実にいたらかなわんよという思いが先に立つ。黒手塚(裏手塚とも)の最高傑作だが、手塚治虫が本当に描きたかったのはこういうドロドロした世界だったんじゃないのかという指摘もあった。

「本当に」描きたかったものなのかどうか、その判断は私ごときにはできない。あんなにたくさんの作品を描いた中にはそういう作品だってあるだろうと思うだけだ。どんな人間だって二面性や裏の顔は持っているわけだから、そこに焦点を当てた作品がないはずもなかろうと思う。黒手塚とか白手塚とか、研究者ならそういう分類も表記上必要になる場合があるのかもしれないけれども、一般の読者が「これはそういう作品だ」とレッテルを貼る必要はないんじゃないかと。ましてそれが手塚先生が本当に描きたかったものかどうかなど、余人に判るはずはないと思う(ご本人がそう言っておられるのなら別だが)。以前にもちょっと触れたことがあるけれども、彼の膨大な作品群を、これは黒手塚だとか白手塚だとか、○○萌えとか○○属性などと分類していったい何になるのかと思う。些細な要素を取り出して勝手に名前を付けているだけのことで、そういう流行にはついていかれないところがある。自分で見方を狭めているようで、却って本質を見誤るんじゃないかと思う。例を挙げればピノコだが、……いやこれは書かないほうがよいか。いたずらに敵を増やすだけだ(笑)。

話を戻して……。『リボンの騎士』が好きな女子は男子とも遊ぶような女子だが、年頃になると男子にモテなくなり(その年頃にモテるのは幼いころ男子と遊ばなかった「ウッフン系」の女子)、婚期も遅れがちという指摘がおもしろかった(笑)。それは私のことか(真顔)?

ゲストそれぞれがいろんな読み方や受け取り方をしているのが面白かった。その作品を読んだ当時の自分の気持ちや、そのときにはわからなかったことがその後にじわじわとわかってくる(毒が効いてくる、と表現されていた)などという体験談に頷いた。そうなのだ。大人になって読み返したときに新たな発見があるというのが手塚作品の醍醐味なのだ。いったいどれだけ深い意味が隠されているのか。いつ自分はそれに気付くことができるのか。気付く日が果たして来るのか。そんな読み方ができる作品は、少なくともマンガにおいては、手塚作品以外に知らない。きょうのゲストたちも、手塚の研究者たちも、手塚治虫の高みに到達して全てを理解し得た人間はまだ一人もいないに違いない。いやもう、本当にすごいなと思うのみだ。

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(備忘録091104)

一昨日は乳腺外科の受診、昨日は入院している舅殿の見舞い、きょうは内科の受診と、相変わらず病院と縁の切れない生活をしているが、待合室などではマスクをして辛そうな人を見かけたりする。幸いなことにまだ身辺で新型インフルエンザの発症者を知らないけれども、時間の問題かなと思う。

持病があるから優先的に接種を受けられるかと思っていたら、内科のドクターに、もうほとんど数値は正常で一般人と同じだからと言われて、なんとなく損をしたような気になったりもする(笑)。それでも一応、診断書だけはもらってきた。受けておいたほうが良いのだろうな。

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11月3日。手塚治虫の誕生日。おめでとうございます。

昨日は褒章、きょうは叙勲のニュースが新聞に載っていた。中島みゆきが紫綬褒章を受章したが、ちょっと意外だった。なんとなく断りそうな感じがしたから。

手塚治虫は没後に勲三等瑞宝章を贈られている(1989春)。長谷川町子が勲四等宝冠章(1990春)、水木しげるが勲四等旭日小綬章(2003秋)を贈られている等々に比べると一等高い。私が調べた限り、漫画家で勲三等を授けられているのは手塚先生だけである。基本的に叙勲は公職に就いた者が対象であるからそれを受けるだけでもすごいことで、普通は褒章なのである(赤塚不二夫、ちばてつや、さいとう・たかを、水島新司等々)。しかしそれでも敢えて言いたい。手塚治虫には勲一等、せめて文化勲章を授けるべきだと。後世に対し、世界に対し、それくらいの貢献はしている。

彼は国民栄誉賞も授けられていない。漫画家では長谷川町子が受賞している例もあるのに。『BJ』シリーズ「肩書き」中に、外務大臣がBJに「あとで国民栄誉賞もらってあげるから……」と言って手術に参加させようとしているシーンがある。それに対してBJは「あいにく私は賞とか肩書きとかが大っきらいでねえ」と答えて、すげなく断っている。これが描かれたのは王貞治が国民栄誉賞の最初の受賞者となったすぐ後の頃。手塚先生はこういう賞についてどう思っておられたのだろう? そういう話が来ても、BJと同じように断られただろうか? だとするとカッコいいなと思うけれども(笑)。

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Nemesis

手塚治虫生誕80周年にちなんで、アトムのハリウッドでの映画化やジャングル大帝のテレビアニメなどはあったが、われらがBJ先生に関してはいまひとつ公式な動きがなかったのを残念に思う今日この頃。とはいえ、少年チャンピオンでの総力特集があったし、個人的にはOVA版DVDをゲットできたから良しとしよう。

さて、きょうは11月2日。11月2日というと私はキース・エマーソンの誕生日というのが真っ先に思い浮かぶのだが、キリスト教では「死者の日」ということで、全ての死者の魂のために祈りを捧げる日なのだそうだ。

こんな日は、ドクター・キリコも自分が天国へ送ってやった人々のために祈りを捧げているにちがいない。だからというわけでもないのだが、ちょいと検索していたらこんなページに行き着いた。考えてみたら手塚治虫公式ページにも紹介されリンクされているサイトなのだけれども、今まで読んだことなかったので読んでみた。ドクター・キリコはアメリカではどのように紹介されているのか。

“Black Jack has many enemies, but Dr. Kiriko is his only true nemesis and rival. ” 上手い紹介だと思う。ちなみにこの文章をYahoo! で翻訳すると、「ブラックジャックには多くの敵がいます、しかし、キリコ博士は彼のただ一人の本当の罰を与える人とライバルです。」となり、excite で翻訳すると「ブラックジャックには、多くの敵がいますが、Kiriko博士は、彼の唯一の本当の強敵とライバルです。」となる。キーワードは“nemesis”だが、「強敵」と訳すほうがスマートではある。しかし「勝てない敵」「かなわない相手」というニュアンスもあるようだから「罰を与える人」というのも深読みするとおもしろい。

ところで“Nemesis”とはギリシア神話における「義憤」の女神なのであるが、この女神の名前を冠せられた太陽の仮説上の伴星がある。2600万年の周期で太陽と同じ軌道を回っている太陽の双子星で、地球上に起こった過去の生物の大量絶滅にはこのネメシスが関係しているとも言われている。が、仮説上の星であってまだ発見はされていない。ここらへんのことについてはリチャード・ミューラー著、手塚治虫監修の『恐竜はネメシスを見たか』(1987)に詳しいのではないかと思うが、私は未読(誰かー!)。

同じ軌道上を運行する連星、太陽とネメシス。動きが活発になると太陽系にダメージを与えるDeath Star - ネメシス。BJとキリコの関係になんと良く符合することか。

西洋占星術では冥王星が死を司る星として使われてきたが、それは冥王星が太陽系の果てだと考えられていたからだ。実際はそんなことないし、巨大な太陽に比べて冥王星はあまりにも小さい。惑星からも外されてしまった。本来、生と死は同じ力量を持っているはずだと考えるならば、恒星ネメシスこそが冥王星に代わるものとして考えられてもよいかもしれない。どんなに頑張っても見つからない(2600万年の周期だもん)が、理論上あるはずだという神秘性も「死」の星にふさわしいように思う。

同時に、私が抱くドクター・キリコのイメージもどこか神秘的だと自分で思う。基本的に「恐ろしい」という感覚があって、これは彼が初めて登場した「死神の化身」で植えつけられたものだ。だから後に彼がどんなにBJ先生にしてやられようとも、どこかで、これは彼が本気を出していないからだというような感じがしている。「助けられればそれにこしたことはない」というセリフがあったが、自分の出番はBJの出番が終わってからだと考えているようにも思える。『BJ2D』の中だったか、BJの手術で患者の苦痛が長引いたというようなことを言っていたように思うが、ちょっと違和感を覚えたことを記憶している。やるだけやってみろ、と私のイメージするキリコなら、言う。それくらい余裕がありそうだ。それでダメだったときこそが死神の出番。BJ先生が手を出したときには出番がないこともあるが、その他の多くの場合は割りと早く引導を渡すこともやむなし。しかしそれはたぶん人間ができることの範疇を超えているのであり、そこんところが彼を神秘的に思う所以なのかもしれない。……ん~、上手く言えないが、キリコというのは絶対にBJに負けない唯一の登場人物であるような気がする。

……と、“nemesis”の一語に反応してこれだけ引っ張ってきたら、他のことに触れる時間がなくなってしまった(汗)。上で紹介した英語のページ、キリコが従軍したのは第二次世界大戦時であるとか、BJと一緒に働いていたとか、「死への一時間」での患者がジュリアーノの母でなく姉になっているなど、定説のない問題の記述や単純ミスなどもあるが、なかなかよく調べてあって素晴らしい。「恐怖菌」では二人の共謀説を採ってあるのも興味深かった。またこのキリコのページからではないが(どこからか忘れた)、アメリカでのキリジャをはじめとする二次創作界へのリンクもあって、どんどん辿っていくとなかなかにめくるめく思いもできる(笑)ので興味のある方はどぞ。コスプレ写真のページも、どすこいピノコはじめ皆幸せそうで良かったね的な……(以下文章が続かないので省略)。

あ~、取り留めのない文章ですみません。何を書きたかったのか忘れてしまって……。

Whitedwarfspiralwd03ga写真はJ0806連星系の白色矮星の渦巻き。321秒ごとに互いの周囲を一周。太極図を思い起こすのは私だけか。(NATIONAL GEOGRAPHIC 公式日本語サイトより)

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おまえだって ヘソないじゃないか!!

『リボンの騎士』に続いて『W3』読了。いや~面白かった! 幼少のみぎりTVで観ていたはずなのだが(いま調べたら1965~1966年だった)、でっかいタイヤの乗り物(ビッグ・ローリーというらしい)で移動していたこととボッコちゃんが可愛かったことしか覚えていない。ふ~ん、こんな話だったとは知らなんだ。

Wikipediaによるあらすじ↓
「銀河パトロール要員の宇宙人3人が銀河連盟から派遣されて地球にやってきた。彼らの任務は1年の調査の後、そのまま地球を残すか、反陽子爆弾で消滅させるかを決定することであった。ボッコ、プッコ、ノッコ(マガジン版では隊長、ガーコ、ノンコ)の3人は地球の動物の姿を借り調査をすることにし、それぞれウサギ、カモ、ウマとなる。星真一少年はひょんなことから、彼らと知り合い行動を共にすることになる。一方、真一の兄、光一は世界平和を目指す秘密機関フェニックスの一員として破壊活動に従事していた。(以下ネタバレ部分は割愛)」

このあらすじを読むと、深刻な地球存亡の危機を描いたSFのようだが、そして実際にそうなのだが、非常に楽しく読める。そもそも銀河パトロールの3人がウサギとカモとウマの格好をしているものだから、反陽子爆弾がなくなったなどと深刻な話をしていても、どこか長閑で牧歌的な雰囲気に満ちている。真一の住む田舎町で『007』ばりのアクションが展開されるのもおかしい(笑)。そんな雰囲気の中で、真一の学校での生活から、光一のフェニックスでの活動から、反陽子爆弾による地球の危機まで、たくさんのドラマが重層的にテンポよく描かれていて、実に楽しい。

しかしあれだ(なんだ)。手塚治虫という人は宇宙規模のSFを描くときには地球人一般をとことん悪者にする。『荒野の七ひき』なんかもそうだ。身勝手で自分のエゴのために戦いを繰り返す愚かさを、同じ地球人としては厳しく糾弾できなくても、他の星に住む者の口を借りれば指摘することができるからだろう。銀河パトロールの3人(W3)も最初は地球人の野蛮さに呆れる。しかし、真一の一生懸命さに、救いを見出すのだ。

最後のタイムパラドックスは見事だ! 誰だ?誰なんだ?とミステリを読む感覚で最後のページをめくると「ヘソのない腹のくせに ぜいたくなやつだ」という何気ないセリフ。これは痛快だ! ここへ持ってきたかと思わず膝を打つ。この作品、「傑作」に認定だ。

あ、最後に。ランプ氏もカッコよくてさぁ。(^艸^) うふうふ。

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