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2010年1月

深信

「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」

『歎異抄の謎』(五木寛之著)を読んで、『歎異抄』第三章にあるこの言葉を改めて考える。原文の「煩悩具足のわれらは」以降の部分の五木寛之の訳および解釈はこうだ。

「(前略)あらゆる煩悩にとりかこまれているこの身は、どんな修行によっても生死の迷いからはなれることはできない。そのことをあわれに思ってたてられた誓いこそ、すべての悩める衆生を救うという阿弥陀仏の約束なのである。
 わたしたち人間は、ただ生きるというそのことだけのためにも、他のいのちあるものたちのいのちをうばい、それを食することなしには生きえないという、根源的な悪をかかえた存在である。
 山に獣を追い、海河に魚をとることを業が深いという者がいるが、草木国土のいのちをうばう農も業であり、商いもまた業である。敵を倒すことを職とする者は言うまでもない。すなわちこの世の生きる者はことごとく深い業をせおっている。
 わたしたちは、すべて悪人なのだ。そう思えば、わが身の悪を自覚し嘆き、他力の光に心から帰依する人びとこそ、仏にまっ先に救われなければならない対象であることがわかってくるだろう。
 おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人でさえも往生できるのだから、まして悪人は、とあえて言うのは、そのような意味である。」

生きるために他の命を奪わなければならない業については、『歎異抄』原文には書かれておらず、著者が解釈の便宜上補足した部分である。

「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」。この一見「逆じゃないの?」と思われる一文について、この五木の解釈はなるほどと思わせるものがある。「わたしたちは、すべて悪人なのだ」という解釈も間違ってはいないだろうと思う。生きていくために他の命を奪うのだから、本質的に「悪」なのだという理論にはたしかに説得力がある。

しかしそうすると「おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人」というのは、どういうものなのか。気づく気づかぬに関係なく、人間はその成り立ち自体が「悪」だったはずではないのか。となると、この「善人」は人間以外の何かということになってしまう。また、「おのれの悪に気づかぬ傲慢な善人」という表現からは、どちらかと言えば、己の「悪」に気づかぬ善人よりは気づいている悪人のほうがより善人なのではないのかという印象を受けてしまう(あ~、ややこしッ)。

このように、五木の解釈を更に自己流に解釈すると、善人というものがいなくなってしまうのである。善人とはどういうものなのか……。ここはあんまり真剣に考えるべきところではないのかもしれない。悪人にこそ阿弥陀の本願の正因が宿っているのだということを述べたいだけなのではないかと私は考える。

「自力」で善をなそうとする者(善人)も阿弥陀さまは救ってくださる。けれども阿弥陀さまが本当に救いたいと願っておられるのは、自分では何もできないと悲嘆して「他力」にすがるしかないと思っている煩悩具足の者(悪人)なのだよ。だから、阿弥陀さまを信じておすがりしなさい。念仏を唱えるだけで良いのだよ。……ということになるのだろうと思う。

阿弥陀の請願を疑わず、ただお念仏を唱える……信じることができれば、これは究極のヒーリング法ではないかと思う。『歎異抄』というのは、心を無にして阿弥陀さまを信じられるかどうかを問うた書に思われる。

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(備忘録100130)

読書中につき、記事はお休みします。m(_ _)m
アバター、鬼のツノを生やしてみました(笑)。

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黄泉比良坂 その2

一昨日に続いて黄泉比良坂のことなど。

比良坂神蹟保存会の「黄泉比良坂物語」は、最初に書いてあるとおり記紀がベースになっている。イザナギが亡くなった妻を連れ帰ろうと黄泉の国へ行き、上手く事が運びそうになったときに「見るな」と言われた禁を破り、妻を永遠に失った点は、ギリシャ神話のオルフェウスの「冥府くだり」とそっくりである。このいわゆる「見るなの禁忌」というのは他にも、オオゲツヒメを見たスサノオ(ツクヨミとも)やオオモノヌシを見たヤマトトトヒモモソヒメの話や、下って「浦島太郎」や「鶴の恩返し」などに見られ、西洋でも、「パンドラの箱」や旧約聖書のソドムとゴモラの話に出てくるロトの妻(←この場面、映画で観たが怖かった~。『十戒』だったかな?)などに見られる。西洋でも東洋でも同じパターンが多く描かれているのには、何か理由があるのだろうか。興味の尽きない点である。

さて、イザナギが黄泉の国へ行く件だが、これが『出雲国風土記』にはまったく出てこないのである。書かれているとすれば「意宇郡餘戸里(おうのこほり あまりべのさと)」の条になくてはならないのだが。こんな劇的な話が土地に伝わっていたら、ふつう書く。まして『風土記』編纂の命令はそもそも「郡郷名に好字をつけよ、郡内の物品の品目リストを作成せよ、土地の肥え具合や山川原野の名前の由来・老人の伝える古い伝説などを書き記して提出せよ」というものだったのだから、伝説を書かないわけがない。だから、この黄泉の国云々の話は大和政権のでっちあげであると言われている。

とすれば、今に残るこの大岩はどうしたものだろう? 周囲の状況を見るに、元からそこにあった岩ではない。唐突にそこに屹立している様は明らかにどこからか運ばれてきてそこに置かれているという印象が強い(石の種類など調べなくてはならないが、それはいずれ)。一昨日にも書いたように、和銅5年(712)に成立した『古事記』には「故、その謂はゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)と謂ふ」と書かれている。そのとき既にこの岩はあったのだろうか。あるいは、何が何でも出雲国を冥界に仕立て上げんがために、適当な場所(伊賦夜坂)を見つけてそこに岩を置いたのだろうか。

……時間がなくなったので、きょうはここまで。

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冬の夜空をながめる

や~、さっきまで戸外で火星を観ていたら、湯上りの身体がすっかり冷えた。もう一度お風呂入ろ……。

綺麗だった月と星の共演! 冬の大三角(プロキオン、シリウス、ベテルギウス)と十三夜の月と赤い火星。惜しむらくはあまりに天頂に近い角度だったために三脚がうまく固定できず、望遠鏡での観測ができなかったことだ。単眼鏡の倍率では火星はぼんやりとしか見えなかった。残念。でも、肉眼でキラキラ光る星をぼ~っと観ているのも、とても気分が落ち着いて良いものだ。星はいいなぁ。

つい先日、ベテルギウス(Betelgeuse 英語読みでは「ビートルジュース」)には超新星爆発の兆候が見られるという新聞記事を読んだ。専門家の話では、爆発は数万年後かもしれないし明日かもしれないという。もし爆発すれば満月ほどに明るくなって昼間でも見えると書いてあった。それは是非見たいものだと思うけれども、反面なんだか恐ろしい気もする。

ところで、ベテルギウスと地球の距離は640光年。ということは、いま見ているベテルギウスの光は640年前に発せられた光のはずだ。ならば、いまこの瞬間にベテルギウスが爆発したとしても、それが地球人にわかるのは640年後ということになるのだろうか? 物理に疎い私はどうもそのあたりのことがよくわからないのだけれど。……そんなことを思いながらながめた冬の夜空だった。

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黄泉比良坂

黄泉比良坂(よもつひらさか)へ行ってきた。『古事記』において、この世と黄泉の国の境とされている場所である。所は島根県八束郡東出雲町揖屋。現地に置いてあった比良坂神蹟保存会発行のリーフレットより「黄泉比良坂物語」の全文を引用してみる。

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黄泉比良坂物語 

 古事記や、日本書紀にあるこの神話を分かり易く、また古老の言い伝え等をまじえて、この物語としたい。

 男神イザナギの命、女神イザナミの命の二神は、天つ神の「お前たち二人心を合わせて国土を生み、もろもろの神々を生んで、天の下の国と神々を立派に作るように」との仰せに従い、オノコロ島に立って、淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州といわゆる大八洲の国土を作られ、次にはその国に住む様々な神々をお生みになり、最後に火の神をお生みになったが、この時イザナミの命は女の大切な女陰を焼かれてお亡くなりになった。

 イザナギは亡くなった妻のイザナミに逢いたくて、あとを追いかけて黄泉の国へ行かれた。しかしここは死者だけのいる国であった。イザナギは大声で「我が最愛の妻イザナミよ。お前と二人で作った国はまだ作りおえておらぬ。早く還ってほしい」といわれた。けれどもイザナミは「それは残念でした。もっと早く迎えに来てくださったらよかったのに。私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。でもあなたがわざわざ迎えに来てくださったので、何とかして還りたいので、黄泉の国の神々に相談してみましょう。しかし私が返事を申し上げるまでは絶対に来られてはいけませんよ」と消えて行かれた。イザナギは待てども待てども返事がないので、とうとうしびれを切らし約束を破って真っ暗な黄泉の国へ入り、髪にさした櫛の歯を一本折ってそれに火をつけあたりをご覧になった。そこには体中に蛆のわいたイザナミの体が横たわっており、体の八か所には雷が生まれふた目と見られぬひどい姿であった。

 驚いたイザナギは恐ろしくなって一生懸命逃げ還ろうとされた。ところがイザナミは「あれほどここへ来られぬようにと約束したのにそれを破って、私に辱をお見せになった」と大へん怒り、黄泉の国の魔女たちを使って大勢が追いかけた。追われたイザナギは、髪の飾りにしていた木の蔓を投げたら葡萄がなったり、櫛の歯を折って投げたら筍が生えた。魔女たちがそれを食べている間に逃げられたが、今度は黄泉の国の魔軍たちが大勢追いかけてきた。イザナギは黄泉比良坂の坂本まで逃げたところに折よく桃の木があり、その桃の実を投げつけてやっと退散させることが出来た。そこでイザナギは「お前が私を助けたように、この葦原の中つ国に暮らしている多くの人たちが苦しい目にあった時には助けてやってくれ」と仰せられオホカムヅミの命という名を、桃の実につけられた。

 けれども最後にはイザナミ自身が追いかけてこられたので、イザナギは黄泉比良坂にあった大きな岩で道をふさいでしまわれた。その岩を中にしてイザナミは「あなたが約束を破ってこんな目にあわされたから、もう私はあなたの国へは還らない」といわれた。イザナギは「私は今でもお前が恋しくてならない。けれどもそんなに腹が立つなら仕方がない。別れることにしよう」とお互いに別離のことばを交わした。イザナミは「あなたがこんなことをしたからには、これから後あなたの国の人間を毎日千人ずつ殺す」といわれた。イザナギは「お前がそんなことをするなら私は毎日千五百の産屋をたててみせる」と仰せられた。そのようなわけで日本の人口は増えるといわれている。

 このイザナミの命を黄泉津大神と申し、今の揖夜神社の祭神である。

 このように記紀などからみると夫婦喧嘩の神であり、イザナミの命は不幸な神であったようにも受けとられるが、神は人間社会の不幸を救う存在として奉ったもので、神話の意図するものは夫婦仲良くすること、また女性は出産という大役を持つもので、産後が悪くて早く他界されたイザナミの命は女性の守り神となり後世あがめられた。今の揖夜神社の元宮は五反田にあり特に女性の諸病にはご利益があったと伝えられている。また桃の実の神オホカムヅミの命とは黄泉比良坂東方の山の上にある荒神森のことではなかろうか。

 イザナミが黄泉の国に隠れた後をつけて通った谷を、今もつけ谷(付谷)といい、山坂道を追っかけ上がった坂を追谷坂(大谷坂)とよばれている。その峠には塞の神(道祖神)が祀ってあり、そこを越した所がヨミジ谷であって、ここに神蹟伝説の碑が建っている。この碑から西に行けば前記の付谷を渡り山越えして五反田、そこから勝負を越して須田方面に向かう。東方に行けば中意東越坂から、馬場に出て雉子谷を越えて高丸から安来市の岩舟方面に通じる。南方には山の峯道より上意東から荻山(京羅木山)や星上山に通じたのが大昔の道であったとは古老の語りぐさである。(比良坂神蹟保存会)
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Photo 『古事記』にはこの坂は「出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)と謂ふ」と書かれているので、中ほどにある石碑には「神蹟黄泉比良坂伊賦夜伝説地」と刻まれている。また、桃の実につけられた名前は「意富加牟豆美命(オホカムヅミノミコト)」、道を塞いだ千引の岩の名前は「道反之大神(チガヘシノオオカミ)」または「塞坐黄泉戸大神(サヤリマスヨミドノオオカミ)」という。

Photo_2千引の岩。横の人間の身長は160㎝ほど。

……時間がなくなったので、きょうはここまで。

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火星接近中

火星が28日に最接近(9933万㎞)だそうだ。マイナス1.2等だからシリウスくらいには明るく見えるという。楽しみだ。
いま夜空を見てみたが、今夜は雲で見えず。雲がなかったらこんなふうに見えているはずなのだが。(松江 23:53)

Photo

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appendix

月曜日は『BJ』語り。きょうは「勘当息子」について。

5本の指に入るくらい大好きなお話なのである。だから既に部分的には取り上げたこともあった(と思う)。「虫垂だの農家の四男坊なんてのは やたらに切っちまっていいもんじゃないだろう」。もうこの台詞に尽きる! カッコいいなぁBJ先生!

雪でストップしてしまった国鉄に乗っていたBJ。動く見込みがないので仕方なく列車を降りて民宿を探す羽目になる。雪道を5キロも歩いて辿り着いたそこにはおばあさんが一人。きょうは自分の還暦の祝いに3人の息子たちが帰ってくるので、泊めることはできないと言う。すごすごと引き返そうとするBJをおばあさんが止める。いいもてなしはできないけれど、それでもよければ……。今か今かと息子たちの帰りを待ちわびるおばあさん。そこに一郎二郎から電報が来て「帰れない」とのこと。続いて三郎からの電話でもやはり「帰れない」と。がっくりするおばあさんと酒盛りを始めるBJ。そこに勘当されていた四郎が、還暦のお祝いを携えて帰ってくる。口では突き放すようなことを言いながら、ひとり嬉し涙にくれるおばあさん。そのとき、おばあさんの腹部に激痛が……。

今は医者となった四郎の診断は、虫垂炎をちらしたために起こった腹膜炎。しかしBJの見立ては異なっていた。「あなたは……だれですか? 医者なんですか?」と問う四郎。もうここらへんから後の会話はBJの真骨頂が余すところなく表れていて、コタエラレナイ!

BJ「そんなもんだね。ただおまえさんよりもうちょっとぐれた人間だがね。たぶんこれは移動盲腸だ。虫垂炎の手術はムダだよ」
四郎「だまっててください。これは虫垂炎だっ」
BJ「いいか……! 文句をいわず私のやることをよく見てろ!」
四郎「なにっ!!」
BJ「やらせなきゃあ損だぜ。なにしろ私がタダで手術するのはめったにないことなんだ」
 --BJ執刀開始--
BJ「みろ。どこも化膿なんかしてないぞ。虫垂もマトモだ」
四郎「…………」
BJ「移動盲腸と虫垂炎は区別がむつかしいんだ。おまえさん あと百人もオペやりゃ一人前だよ」
 --腸間膜縫合(?)--
四郎「虫垂を切っちまった方が安全じゃないですか」
BJ「切るこたァないだろう」
四郎「なぜ?」
BJ「虫垂だの農家の四男坊なんてのは やたらに切っちまっていいもんじゃないだろう」

うはーー! やっぱりコタエラレナイ!! o(>_<)o ぷるぷる

『ブラック・ジャック・ザ・カルテ 2』(B・J症例検討会著)によれば、このときBJが行った手術は「盲腸皺壁形成術」もしくは「(盲腸)固定術」だそうだ。そしてこの本では続けて「しかし、四郎の言うように、この老母の場合ならば虫垂切除をしてもよかったのではないか?」と書かれているが、このお話の場合は断固それじゃダメなんである! 「農家の四男坊あたり」を「(騒ぎを起こすなら切ってしまっても差しつかえない=なくても問題ない)盲腸」に喩えてあるのだから、切ってしまっては台無しなのである!

家には必要の無い人間だとグレた四郎の思い、兄弟の中で一番おかあさん思いだった四郎の優しさを、BJは暖かく掬い上げている。お前さんは必要の無い人間なんかじゃないんだ、と言われているわけだから、嬉しかっただろうと思うよ、四郎は。しかしBJも同時に嬉しかったのだろうと思う。おばあさんに対してまるで本当の息子になったかのように、もはや叶うことのない母親孝行をさせてもらっているように見える。はじめは「おばあさん」と呼んでいたのが、酒盛りの最中にはちゃっかり「おっかさん」と呼んで労わっていることからも、それが窺えるのではないかと思う。

それにしても、13年も帰郷せず、還暦祝いをするから帰れという止むに止まれぬ思い(そういう理由だったらいくらなんでも帰ってくるだろうという思いもあっただろう)の老母からの誘いも断るとは、どんなに仕事が忙しいにせよ(彼らの言を信じればの話だが……)、いったいどんな息子たちかと思う。この話は2008年12月に狂言となって上演されたが、そのときの彼らの言い訳は「解散総選挙で大事な時にて今は帰ることができず」「世界金融恐慌にて銀行が忙しい」「裁判員に指名された」というものだったらしい。なかなかナイスである(笑)。

ところで、この話は『ブラック・ジャック ~命をめぐる4つの奇跡~』の中の1編として2004年にアニメ放映された。このとき場所の設定が仙台の近辺となっていて、あぁなるほどと思った。「人生という名のSL」でヒゲオヤジがBJとは仙台で一度会ったと言っているのだが、『BJ』にそういう話は描かれていない。「勘当息子」の舞台が仙台だとすると、おばあさんが語りかけている今は亡き夫の写真がヒゲオヤジであることで辻褄が合うのである。もっとも、アニメではヒゲオヤジは喫茶Tomのマスターという役が振られているので、写真は別人のものになっていたが。

ああ、またアニメも見たくなってきたナ。P嬢のはしゃぎっぷりには興醒めだが、クライマックスシーンには原作の台詞がほぼそのまま使われていて、特にあの「虫垂だの農家の四男坊なんてのは……」の部分はそこだけBGMもストップしてBJ先生の声だけが聞こえる。わ~やられた、と思った。良い演出だったと思う。

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別に切手シートなんか欲しくないんだからねッ!

平成22年用お年玉付き年賀はがきの当せん番号が発表された。
なんと! 
1枚も当たらなかったじょー!!(T-T)
今回は全体数が少なかったので覚悟はしていたのだが。
4等の下2ケタも合わないのはちょいと確率的におかしくないかい?と思う今日この頃……。

今年の図柄はこんなのでした。
Getattachment

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『シュマリ』

O氏の記者会見の模様を見ていたら眠くなった(笑)。ここに書かれているだけのことを話すのにどれだけ時間がかかるのか(笑)。「え~」「お~」「う~」は大平元首相だけの専売特許ではなかったようだ。しかも、肝心なところは「分かりません」の一点張りだから、釈然としない気持ちばかりが残った。東京都内の市民団体が小沢氏に対する政治資金規正法違反罪(虚偽記載)で提出した告発状を東京地検は受理したそうだから、小沢氏の立件を視野に捜査を進めていることは間違いない。この問題、まだまだ長引きそうだ。

さて、きょうは4時間ほどかけて『シュマリ』(手塚治虫著)を一気読みした。何度読んでも、ラストシーンの青く広い大空(白黒印刷だけど)が感動的だ。
以下は「TezukaOsamu.net」でのストーリー紹介。

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『シュマリ』は、明治初期の北海道を舞台にした大河ドラマです。
主人公は、野生的でありながら剣の腕も立つ男・シュマリ。彼はもともと内地人ですが、先住民のアイヌ人に敬意を持ち、親しく交流していました。ちなみに「シュマリ」とは、「キツネ」を意味するアイヌ語です。彼が北海道へ渡ってきた目的は、逃げた妻・妙(たえ)と、相手の男を探し出すこと。
しかし、その目的は、あっさりと物語の序盤で達成されます。そして、妙の心がすでに自分から離れてしまっていることを確信したシュマリは、彼女への想いをくすぶらせつつ、未開の地でさすらうように生きていくことになります。つまり、ここまではシュマリという一人の男の紹介エピソードであって、この後にシュマリが辿る波乱万丈の人生が、この物語のメインなのです。
隠匿された五稜郭の軍用金を偶然手に入れたことから、シュマリの運命はさらに大きく変わっていきます。騙されてネズミが大量発生する土地を買わされたり、殺されたアイヌ人の女性が連れていた赤ん坊、ポン・ションを育てるはめになったり、お尋ね者として収監され、炭鉱で強制労働させられたり・・・。
やがて時代は流れ、北海道にも文明開化の波が押し寄せます。それと同時に、物語は炭鉱会社の太財社長や、書記官の華本男爵、そして男爵の妻となった妙、成長したポン・ションなど、手塚作品らしく、さまざまな登場人物達のエピソードに枝分かれしていきます。しかし、そんな時代の大きな流れの中でも、シュマリの生き方だけはかわることがありません。まわりの人間達は、そんなシュマリの強情さに反発しつつも、抗し難い魅力を感じているのです。
どんな困難や逆境におかれても、自分の力一つで乗り切ってゆくシュマリ。その一本気で豪快な生き方こそ、この作品最大の魅力であり、ストーリーを前へと進める原動力ともなっています。あなたも一読すれば、きっと劇中の登場人物達と同じように、彼に魅了されることでしょう。
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雪の吹きすさぶ北海道の原野、厳しい大自然を前に常に命の危険にさらされながらも生き抜いていく力強さ、妻と子を抱いて眠る褥の暖かさ。そういったものが否応なしに五感に響いてくる。和人(シャモ)とアイヌの関係を通して明治初期の北海道開拓や、その後の日清戦争へと続く日本の社会的振興ぶりなどにも目を向けなくてはならないのかもしれないが、頑なに生き方を変えないシュマリという男の魅力に圧倒されて、そんなものは霞んでしまった。

北海道での利権を得ようとする人々の醜悪さはどうだ。金に取りつかれた人々の卑小なことといったらない。そんな連中の描写が続いた後に、シュマリが襤褸をまとい額に汗して働いている姿を見ると本当にほっとする。アイヌ(に象徴される自然)から土地を借りて暮らす彼には五稜郭の運用金など必要ない。そういうものを持っている自分に、彼はきっと後ろめたさや恥ずかしさを感じるに違いない。そういう気高さを持っている。人間こうありたいものだ。ねぇオザワさん。

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ただいま三権分立を勉強中

ずっと長い間、思い違いをしていた……(遠い目)。検察は三権分立で言うところの司法権だと思っていたのだが、検察は司法権ではなくて行政権だった。ついさっき判った。ひゃ~恥ずかし(汗)!!

きょうはO氏(ならびにその周辺)をめぐる問題についていろいろ書いていたのですが、今の今まで検察は司法だと思っていた人間がまったく何をかいわんやなので、記事はバッサリ削除! 一瞬アップされていた記事を見てしまった方、どーかどーか忘れてください。
m(_ _;)m

(備忘録)
本日詣でた神社:法吉神社、生馬神社

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(備忘録100121)

本日のお買い物
 『歎異抄の謎』(五木寛之著)
 『日本辺境論』(内田樹著)

きょうは岩波文庫の『古事記』(倉野憲司校注)を読んでいた。天地開闢から始まって、いまオオクニヌシの正妻スセリヒメがやきもちを焼いているところ(笑)。

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はたらくわんこ

先日は警察犬を取り上げた番組『飛び出せ!科学くん』を観ながらネットで麻薬探知犬の記事を漁ったりしていたら、翌日は新聞で受刑者が盲導犬を育てる更生プログラムの記事を読んだりして、なんだか最近「はたらく犬」に縁があるようだ。

調べてみると、「はたらく犬」にはざっと次のような種類があるらしい。牧羊犬、狩猟犬、軍用犬、警察犬、救助犬、ソリ犬、盲導犬、聴導犬。これ以外にも介助犬やセラピー犬、ガソリン探知犬やシロアリ探知犬、地震予知犬、人里に出たクマを山に追い返すために訓練された「ベアドッグ」、癌探知犬なんてのもいるそうだ。最初に触れた、受刑者の更生プログラムで育成される犬は「プリズンドッグ」と言うらしい。

改めて、賢くて従順な犬が人間に多大な貢献をしていることを知る。ストレスも溜まるだろうに、よくぞ我慢してくれていると思う。

ところで、警察犬や各種の探知犬などはその嗅覚の鋭さが人間の役に立っているわけだが、ニンニク臭は人間の2000倍、酸臭などは人間の1億倍まで感知できるのだそうだ(「日本警察犬協会」のサイトより)。……こういう話を聞くと、私などは「じゃあ、この世のものとは思えないほど臭いというスカンクの分泌液など嗅いだ日には、犬はどうなるのだろう?」と思ってしまう。ニンニク臭を2000倍に感じるというのも相当なものだ、などと思うのだが、この「○○倍」というのはそういう意味ではないらしい。

とあるサイトに書かれていた。……「また「犬の嗅覚は人間より100万倍よい」と聞くと、必ず誤解する人がいるために補足説明します。まず嗅覚が100万倍良いということは、空気中を漂う匂い分子の濃度が100万分の1でも嗅ぎ取ることができるという意味です。人間が1m離れて嗅ぎ取ることのできる物質を100万m(1万km)離れていても嗅ぎ取ることができるという意味ではありません。また、人間の100万倍強烈に匂いを感じるわけでもありません。あくまでも空気中を漂っている匂い分子の濃度が薄くなっても嗅ぎ取ることができるという意味です。」……

私のほかにも「必ず誤解する人」はいるのだということにまず安心する(笑)。なるほど、○○倍強烈に匂いを感じるわけではないらしい。しかしそうなると逆に、1億倍なんていうすごい倍率を(おそらく実験によって)知り得た人間にも脱帽するのであるが、それはさて置き。来週の『飛び出せ!科学くん』は「警察犬から逃げ切れたら100万円 ~科学くんプリズンブレイク完結編~」だ。今週までのところでは、ばら撒かれた肉にはさしもの警察犬もうっかりひっかかっていたが(笑)、最終的にはきっと全員捕まえるんだろうな。楽しみ楽しみ♪

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(備忘録100119)

あ~、きょうは時間がありません。記事はお休みします。m(_ _)m

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運び屋

つい数日前、「中国から覚醒剤密輸で元組員起訴 体内に150グラム隠す」というニュースを見つけた。「……林被告は、長さ約5センチ、直径1~2センチのゴム袋7つを肛門から腸に隠して航空機に搭乗。機内でけいれんを起こしたため、関空到着後に病院に搬送され、CTスキャンで腸に異物が写ったため発覚した。覚醒剤はシートにくるみ、指サック状の二重のゴム袋で包んだだけの包装で、覚醒剤がしみ出した可能性があるという。捜査関係者は「袋が1つでも破れていれば、急性薬物中毒で死亡していただろう」と指摘している。」

麻薬の密輸に関してBJファンならすぐに思い出すのは、#220「カプセルをはく男」、あるいは#160「白い正義」だろう。きょうは、麻薬の運び方について(笑)。

「カプセルをはく男」で麻薬の運び屋・不手際(←これが苗字?笑)は、非溶解性のカプセルの中にモルヒネ45gを詰め、それを飲み込んで香港から運ぼうとしていた。飛行機の中で具合が悪くなり、隣席だったBJはえらい迷惑をかけられる。また「白い正義」では、病人の夫に付き添ってきた夫人が盛り上げた髪の中に麻薬を隠していた。

「厚生労働省地方厚生局麻薬取締部」のサイトによると、「密輸の傾向としては、大量の薬物を一度に密輸すると、発見押収されたときの損害が大きいことから、密輸組織は少量の薬物を複数回に亘り密輸するという方法(ショットガン方式)を採るケースが増えています。」とのこと。平成5年からは貨物だけでなく旅客についても麻薬探知犬が導入された(パッシブドッグ)ので、この夫人の方法は今ならバレるだろうが、体内に隠した場合は探知犬でもわからないのだろう。ただしこちらは運び屋の命にかかわる。

『そして、ひと粒のひかり』という映画がある。コロンビアの片田舎に住む17歳の少女マリアが貧困のために麻薬の運び屋になる話だが、この映画の解説には「1000もの実話に基づいた」とある。1980年代初頭から、コンドーム詰めの麻薬を一人あたり18個から25個飲み込んだ運び屋が、たいがいは偽造パスポートと偽造ビザで南米からアメリカに入国するケースが出てきた。入国後に体内から麻薬の袋詰めを排出して組織に渡し、現金を受け取るわけだが、袋が体内で破裂したり胃酸で溶けたりすると悲惨な最期を遂げることになる。「カプセルをはく男」は1978年の作品だから、運び屋の方法としては時代的にもちょうど一致する。

また上記のニュースのように肛門から入れる方法については、2年ほど前に台湾で363gを隠していた男が史上最多記録だそうである。(http://www.recordchina.co.jp/group/g15083.html

ところで「カプセルをはく男」では不手際さんが腹痛を起こしているのだが、これはカプセルに詰めたモルヒネが漏れたためではないだろう。おそらく溶けないものを大量に飲み込んだために胃痛を起こしたのではないかと思う。もしも胃の中のカプセルが割れたりしていたらとても腹痛嘔吐だけでは済まなかったに違いない。事実、後に甲川院長は死んでいる。それで……、私はこの話を読むたびに「非溶解性のカプセル」って便利だなと思っていたのだが、よ~く考えてみると、それは一般的にどんな場合に使うものなのかわからないのである(笑)。麻薬を体内に入れて密輸するとき以外に使い道があれば、是非ご教示願いたい。

さらにどうでもいいことを調べてみた。不手際にモルヒネを運ばせた甲川院長は、彼に「つらかったろう。早く薬をのんできなさい」と言っている。これは不手際を労わるフリをして実は「早くモルヒネを出せ」と言っているのだと思う。この「薬」とは何だろう? 不手際が吐き出していなかったとしたらカプセルはいまどこにあるのだろうか。口から食べたものは胃の中に2~3時間、6~7mもの長い小腸の通過にも2時間あまりかかり、1.5mの結腸を5~6時間かかって通る。だから口から入れたものが肛門から出るのには10数時間かかる。香港―成田のフライト所要時間は約5時間。すったもんだしながら空港から甲川医院まで2時間として、カプセルを飲み込んでから7時間。カプセルは不手際さんの結腸のただ中にある。甲川院長は大腸刺激性下剤を処方するのであろう。

……カプセルを回収するシーンはあまり想像したくない。

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猫の首に鈴をつける

「政治とカネ」というのは、どの党が政権を握ってもついて回る問題なのだろう。しかしこれは政治家ばかりが責められる問題ではない。便宜を図ってもらうことを目的に金を渡す企業は誰あろう国民だ。

私の知っている年輩のご婦人は「政治はお金持ちがやればいいのよ」と仰る。母親から億単位のお小遣いをもらえるような人ばかりが道楽で政治をやれば、企業に献金を募るような必要もなくなるに違いない。一理ある。一理あるが、それは民主政治とは言えない。いや、民主政治という形態がベストなのかどうかは知らないが。

O氏の問題で、明日からの国会は紛糾するに違いない。……くだらない。多くの国民は、こんなことでせっかくの政権交代が水泡に帰すことを望んではいないと思う。せめて長年の自民党政権で溜まった膿を出せるだけ出すところまではやってもらいたいと思っているのではなかろうか。

鳩山首相がO氏を擁護するであろうことは、彼の人柄から予想できたように思う。首相としての決断力不足ではあるけれども、ここで掌を返したようにO氏を責めるような真似をしないことは、私の中ではポイントは高い。だから、首相ではなくて、誰か他の有力者にO氏の首に鈴をつけてもらいたいと願う。「地検の事情聴取に応じなさい」と、誰か一人でもO氏に言える人間は民主党にはいないのか?

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ウチダ先生の日本論

『こんな日本でよかったね 構造主義的日本論』(内田樹著)読了。

--「少子化問題」は存在しません! 日本は「辺境」で「属国」、それで何か問題でも? これから目指すべきは「フェミニンな共産主義」です!…あまりの暴論ぶりに思わず納得。“寝ながら学んだ”構造主義者・ウチダ先生による、驚愕の日本社会論。 --(「BOOK」データベースより)

話題は多岐にわたるのでいちいち感想を書くことはできないが、どれも快刀乱麻を断つような文章で目からウロコが落ちる。特に「二章 ニッポン精神分析 平和と安全の国ゆえの精神病理」が面白かった。中でも「格差社会って何だろう」には胸がスカッとした。思わず拍手喝采したくなった文章をいくつか抜粋してみる。

--「格差社会」というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会のことではないのか。--

--「金持ち」とは、ある人の定義によるならば、「金のことで心を煩わされない人間」のことである。
 私は「自分の不幸はおもに金がないせいであるというふうに考えない人間」という定義をこれに付け加えたいと思う。--

--「金のことをつねに最優先に配慮する人間」は私の定義によれば「貧乏人」であるので、格差社会の是正のために「もっと金を」というソリューションを提示し、それを支持する人々は、論理的に言えば、これまでもこれからも未来永劫に「貧乏人」であり続ける他ないと思う--

この著者の本はたいてい皆そうであるけれども、世の中のいろんな情報(たとえば「格差社会」は厳然とある、という報道など)や固定観念によって凝り固まってしまった自分のアタマに風穴を通してくれる。

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どうなる小沢一郎

きょうは西日本で部分日食が見られた。最も条件の良かった沖縄で最大60%欠けたという。しかも、夕陽が欠けたまま沈む「日没帯食」だった。そのむかし卑弥呼が死んだのも、この「日没帯食」が関係していたのではないかという説を聞いたことがある。

折も折、日本の政界では民主党の小沢一郎幹事長の身辺が慌しい。元私設秘書で陸山会の会計事務担当だった民主党衆院議員・石川知裕容疑者(36)が逮捕された。石川議員の元秘書であった金沢某という人物も何やらいろいろ語っているようではあるし、小沢幹事長もさすがに安閑としてはいられなくなったことだろう。

昨日、夫の知り合いの元警察関係者が言っておられたのだが、「地検特捜部が動いたらもうダメ」なんだそうである。確かに、ロッキード事件、リクルート事件、ゼネコン汚職など、過去の目ぼしい汚職事件には地検特捜部が動いている。闇将軍こと小沢一郎もいよいよ年貢の納め時か。

来週からの国会がこの問題だけに終始するのはアホらしい。自分の身から出た錆くらい自分でちゃっちゃと処理して(つまりは、身を引いて)、国会ではちゃんと政策を議論してもらいたいものだ。

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「どや顔」のブログ

敬愛するOS氏も引用しておられたが、私もときどき読んでいる岡田斗○夫さんのブログに「どや顔に気をつけろ!」という一文があった。

--「どや顔」って言うのは吉本系お笑い芸人たちが使ってる言葉。
 ウケたときとか自慢のフレーズ飛ばしたときに「どや!(大阪弁で「どうだ」の意味)」と小鼻が膨らんだ表情や、そういう態度のことだ。
  このドヤ顔、ブログでやっちゃってる人、かなり多いよ。
 特に「頭の良い系」のブログ。
 文章にやたら漢字やカタカナが多くて、ひとつの文章が長い。
 文末が「のだ」「なのだ」と言い切りで、なんとなく文章がいばっている。--

で、なんとなく煙たがられてしまうから、「やめたほうがいいよ。「どや顔」は。」という結論なのだが、まぁ確かに、そんなつもりもないのにエラそうに思われて嫌われるのは本意ではないという気持ちはわかる。言葉の遣い方ひとつで、同じ内容でも肯定的に受け取られる場合もあれば、「こいつ、何をエラそうに」と思われる場合もあろう。岡田氏のような人気者なら特に、そういう点に注意して書いておられるのであろうことも理解できる。

余談だが、テレビのCMにも「どや顔」のものはあると思う。私がそう感じるのが「大和ハ○ス」と「エネ○ス」。どちらもシリーズ化しているようなので、私以外の人たちにはウケているのだろうが、どちらも「わざとらしさが面白いだろ?どや?」と言われているようで、見かけるたびにどうも鼻に付く。

こういういつ流れるかわからないCMなどは、避けようと思ってもなかなか避けようがないが、個人がやっているブログなんかは嫌なら見なければよいという閲覧者側の自由がある。だから、というわけでもないのだが、どんな内容をどんな語り口で書こうとも基本的には自由だと思っている(誹謗中傷やあまりに酷い口調のものは論外だけれど)から、「どや顔」で書かれたブログを私はそれほど嫌いではない。そもそもがキッパリした物言いの文章が好きだから、グダグダ書いた上に「これってどうなのよ(訊くな)。」なんてやられるほうがよっぽど困る。

わが身を振り返ってみても、拙ブログは「どや顔」のオンパレードである。「役に立つことは決して書いてありませんし、広く読者を募っているわけでもありませんから、お気に障りましたらどうぞ読むのをおやめください」という気持ちでやっているから、自然にそうなる(基本は「自己満足(できたらいいな)」で「ひっそり、こっそり」が信条である)。よっぽど影響力を持つ有名人のブログならいろいろ差し障りのあることも、名もない市民なら自由に書ける。そして、それで良いんじゃないかと思う。

人はそれぞれ自分の思ったことしか書けない。それ以前に、自分の見方でしか見ることができない。それが色眼鏡であろうとなかろうと、他人のマナコと入れ替えることができない以上は、それぞれのマナコにべったりとウロコを貼り付かせ、それを通してしか物を見ることができない。ならば、それぞれの人間が書くことは全てがその人の断定である。岡田氏は「私にとって」という言葉をインサートすれば「「間違いない」などの不用意な決めつけ語を使う確率が減る」と書かれているが、その人が「間違いない」と思えば、その後に「~と思う」を付けようが付けまいが、その人にとって「間違いない」ことに変わりはないと私は思う。

ちなみに、ブログを始めた当初にある方が「~であると思う」の「と思う」は要らないんじゃないかと指摘されたのだが、私もその方の意見のほうに賛成だ。自分が書いている文章に他人の意見や感想が入ることなどあり得ないのだから、「と思う」は蛇足だ。

……とまぁ、言葉遣いの些細な点まで気にしていたら却って何も書けなくなってしまう上に、岡田氏に反論するようなことになってしまうのだが、岡田氏のおっしゃりたいことは、要は、文章を書くときの姿勢が「上から目線」であってはいけないよということなのであって、その点に関しては同意であり、常に肝に銘じておかなくてはならないことだと思う。

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男の脳と女の脳

『ためしてガッテン』でダイエットを取り上げていたが、女性が絶対に失敗しないダイエット法!!……それは次週!……なにーーー?! ガックリ。というわけで、来週は必見だ(笑)。

きょうのところでは、女性ホルモン2つのはたらきに応じたダイエットが効果的であること、男の脳と女の脳の違いなどが紹介されていたが、この脳の男女差を実証する実験が面白かった。初対面の3人を同じテーブルにつかせておくと、女性3人の場合は1時間のうち55分もおしゃべりをしているが、男性3人の場合は逆に5分ほどしかしゃべらずにじっと沈黙していたのだ。

これは、女性の脳のほうが、脳の右44野(模倣、共感、集団行動、共感して涙する)、脳の左44野(おしゃべり)、前頭前野(他人への関心)が発達しているからなのだそうだ。井戸端会議は女性の専売特許で男性はしないというのも、そういう脳の違いがなせるわざだったのだ。

私はどちらかというと、女性同士でぺちゃくちゃしゃべる場にいるのは苦手な性質なのであるが、それでも、この男性3人のケースのように、初対面であるとはいえ小さなテーブルを囲んで1時間も押し黙っているというのは、気疲れしてヘトヘトになるだろうと思う。しかし当の男性たちは、お互いにしゃべらないことについては、別に何とも思っていなかったようで、やっぱり脳の違いなのかなぁと思った。

「男性的だ」と人からよく言われる私ではあるが、ちゃんと脳は女なんだなと思いましたとさ。ちなみに夫に尋ねてみたら、「初対面の人間といったい何を話す必要があるんだ?」と言っていたので、奴はやっぱり男の脳を持っているようである。

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(備忘録100113)

読書中につき、記事はお休みです。m(_ _)m

・ファミコンソフトの新作が出るらしいです。カセットですよカセット! これは、いまどきLPレコードがリリースされるようなもんですよね(笑)。

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夢か現か

年が明けても月曜日は『BJ』語り。出崎OVA版の感想など書いてみよう。きょうは『KARTE VI 雪の夜ばなし、恋姫』

事の発端は、2年前に発送された大金の入った小包がBJ邸に届いたことだった。種田三郎という男からで、明日をも知れない妻の命を救ってくれという手紙と地図が同封されていた。BJはすぐさま雪深い村を訪ねるのだが……。

私にとってOVA版全10話の中で最も印象が深く、何度観ても泣いてしまうのがこの話だ(種田が……! 種田がーー!! ←骨の髄までオヤジ好き・笑)。原作の「雪の夜ばなし」とはまったく異なる完全オリジナルストーリーで、BJがわずか15分ほどのうたた寝の間に見た夢の話である。しかしそれだけでは終わらず、最後に種明かし的かつ感動的にもう一つ大きな山場があるという重層構造になっている。全体としてはジェントル・ゴースト・ストーリーで、そういう点では原作と同じと言ってよいかもしれない(原作の幽霊はBJを連れていこうとするので、あまりジェントルではないかもしれないが)。

時代劇が描きたかったという出崎・杉野両監督が、絢爛で切ない戦国時代の恋を描き上げている。種田三郎左衛門と姫の純愛、姫を我が物にせむとする六条寺と彼を慕う薫光尼、またその薫光尼を密かに恋するあぶ丸。登場人物がみな叶わぬ恋に苦しみ、最後は死んでいく。そんな中でBJはただ姫の心臓手術をするだけの異分子的存在に感じられた。なにしろ夢なので、突然時代劇の世界に入り込んだことへのとまどいも違和感もなく、彼はいつもの通り冷静でクールで現代的な外科医に徹している。

この時代劇の部分がBJが見ている夢だということは、観ている者にはわかる。BJが眠りから覚め、そのまま終わるかと思いきや、そこからが本当の雪の夜ばなしとなる。登場してくる人々が見事に時代劇部分とオーバーラップして、実に切なく美しい話に昇華しており、ここでまた滂沱の涙を誘われるのだ。そして「この手術に関して言えば、成功率は100%だ」という力強いBJの言葉でエンドマークなのであるが、もしかしたらこの部分も夢なのかもしれないと思われないでもない。

夢から覚めた夢、というのは、「ハッスル・ピノコ」の中でピノコが何回もやっていたが(笑)、誰でも1回や2回は見たことがあるのではなかろうか。BJ邸に小包が届いたところからして、もう夢なのではないか。2年も遅配するなんて普通では考えられない……。

原作の「雪の夜ばなし」では、BJは幽霊を手術する。猛吹雪の夜、BJは一人でウイスキー(?)を飲んでいる。そこに、見えない患者を連れてきた若い兄妹。旅客機が墜落し、魂だけになった母を連れてきたと言う。大枚3千万円もポンと支払う兄妹を、BJは最初は億万長者の精神障害者かと疑う。話を聞いて、この兄妹もやはりそのときの事故で亡くなった死者だと悟るBJ。母親を入院させて兄妹は去っていった。そうこうするうちに、墜落事故の怪我人(これは本物の人間)が運び込まれてくる。空いたベッドがあると見るや、そこに怪我人を寝かせようとする人々を、「ここには患者がねてるっ!!」と阻止するBJ(ベッドの上にキラキラ)。ここにBJの真骨頂が垣間見える。

初出時には、ここで話は終わっていた。あとの8ページは後から描き加えられたものだが、そこでは例の兄妹が戻ってきて(声だけだが)母親とともにBJを連れていこうとする。BJは「私はいけないっ」「3千万円か!! あんなもの返す」と抵抗し、3千万円を吹雪の中にぶちまけ、なんとか兄妹を追い払うのだ。おそらくあの世へ向かうと思われる真っ白な旅客機が飛び立ち、BJは安堵の息をする。「……雪の夜ばなしとして……お笑いぐさか!」。

OVA版を観た後で考えてみると、原作のストーリーもまた全編にわたってBJの夢だったのかもしれないとも思われてくる。酒を飲んでソファでうたた寝をしている間に見た夢。そもそもBJ邸からほど近い下町に旅客機が墜ちて大火事になっているのに、兄妹に言われるまでBJが気付いていなかったというのもおかしな話なのだ(音くらい聞こえそうなものだ)。

……と、ここまで書いて、もしかして原作のストーリーを夢物語だとわかっていなかったのは私だけなのかもしれないと思い始めた。どうなんですか、あれ。現実の怪談話なんですか。それともBJ先生の見た夢なんですか……?

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親子

今朝のA新聞の1面トップは「性別変えた夫の子、妻出産でも婚外子扱い 法務省見解」の記事だった。「心と体の性別が一致しない性同一性障害との診断を受け、女性から男性に戸籍上の性別を変更した夫が、第三者の精子を使って妻との間に人工授精でもうけた子を、法務省は「嫡出子(ちゃくしゅつし)とは認めない」との見解を示した」ということである。

非常に難しくてデリケートな問題で、現状に法整備が追いついていないという印象も持つのだけれども、夫婦がともに望んで子どもを得ることができたという事実は何ものにも代え難い幸せなことだと、ただそれだけではダメなのかなぁと私などは思ってしまう。性転換できた医学の発達を喜び、法はそこまでを想定していないのだから遅れているよな、というくらいの気持ちでいれば良いのではないかと思う。

親子関係で問題が起こるのはたいてい親が子を認知しない場合なのであって、この場合は親が両方とも自分達の子どもだと認めているのだから親子の情愛には何の不都合もなかろう。また、非嫡出子であることの不利益で最も大きなものは法定相続分に関する事柄で、「非嫡出子の相続分は嫡出子の2分の1」(民法第900条)という規定があるけれども、この夫婦には嫡出子が生まれないという法解釈なのだから、将来その問題でもめることもあり得ない。非嫡出子とされることの不利益は生じないわけだ。

もしも不利益が生じるとすれば、それは社会一般から受ける偏見と差別なのだろうと思う。嫡出子であるか否かは子どもの責任ではない。私の知り合いの中にも非嫡出子はいるけれども、彼との付き合いの中でそんなことを意識したことは今の今まで一度たりともない。社会の中で暖かい人間関係を築いていかれれば、法律上の記載なんか全然関係ないと私は思う。生まれた男の子の幸せを祈る。

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こなごな

奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳から81面以上の銅鏡の破片が出土して話題になっている。「邪馬台国の女王・卑弥呼が中国・魏から鏡などを贈られた「正始元年」(240年)の年号入りの鏡と同じ鋳型で作られた三角縁神獣鏡の破片も確認された」というから、古代史上の大発見となりそうだ。

しかし何故あんなに小さな破片なのだろう。昨夜のニュースで映像を見たが、皆わずか数cmほどの欠片だった。完全なままの銅鏡が副葬されていたのが盗掘やら何やらの過程で割れたのだとはちょっと考えられないような、見事なまでの粉々っぷり(?)である。またそういう事情なら、近くに埋まっている欠片をつなぎ合わせればまるまる完全な鏡が復元できそうに思うが、どうもそうはならないようなのだ。ならば、最初から割れた欠片を埋めたのだと考える方が自然なように思われる。

ところで、「銅鐸を壊す」というおもしろい実験を兵庫県立考古博物館が行っている。木槌で力いっぱい叩いてもダメ、火にかけた後に水をかけて急冷してもダメだったが、火にかけた後すぐに叩くと簡単に割れたそうだ。銅鏡よりも肉の薄い銅鐸でも落としたり踏んだりした程度では壊れず、火で熱してから叩くという二段階の作業を行わなければならないらしい。ならば、銅鏡をあれだけ小さな破片にする場合にも人為的な力が働いているとしか考えられないのではなかろうか。

「三種の神器」や神社のご神体にも見られるように、古代において「鏡」は最も神聖で貴重な品であったはず。それを粉々にするという事態とはいったいどんなことなのだろう。このたびの発見は「正始元年鏡」の欠片も出土したことで「邪馬台国と大和政権を結びつける重要な」発見となりそうなのだが、私は「鏡を割ることの意味」の方により大きな魅力を感じるのである。

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『もののけ姫』

『もののけ姫』を観た。2回目だと思う。初めて観たときはただただ画面に釘付けになっていて、あらすじさえよくわからなかった。本日2回目……やっぱりよくわからない(笑)。

きっと、テーマとかメッセージとかを意識して観る映画ではないのだろうと思う。何かを感じ取れ、考えろ、と言っているわけでもないような気がする。簡単に言ってしまえば、人間の自然への介入がテーマなのだが、国土を荒らすだけ荒らしたゴジラが海へ去っていけば「やれやれ」と一安心して元の生活に戻る人間の如く、森のぐにゅぐにゅした脅威を見せ付けられた村人もまたすぐに村を再建しタタラを復活させるのだろう。自然界の脅威(というか恐怖)を体験した後も、人間のあり方は変わらない。そういう筋書きであるから、どうもあまり真剣に考えようという気にもならないのであった(笑)。

ならばどうしてもう一度観たかというと、「森の木霊」が好きだからである。『となりのトトロ』の「まっくろくろすけ」と同じく、なんだかとても可愛らしい。アシタカが村人を背負ってふうふう言っている傍を、木霊たちが同じ格好をして通り過ぎていくシーンなんか最高に楽しい。

さて、この物語の時代はいつ頃なのだろう? アシタカの部族はまるで弥生時代を思わせる村に住んでいるが、エボシ率いるタタラの村人たちは室町時代くらいのファッションをしているようだし、襲ってくる侍たちは戦国時代の武具を付けている。時代背景はまったくちぐはぐなイメージだが、古代日本史あるいは神話に題材を得たものであろうという感じは強くする。タタラ製鉄は古代から出雲で行われていたし、「オッコトヌシ」という巨大イノシシは「オオクニヌシ(ダイコクさん)」と「コトシロヌシ(エビスさん)」を足して2で割ったようなネーミングだ。「アシタカ」は「足高蜘蛛=土蜘蛛」と考えれば古代ヤマト王権に抵抗した部族を彷彿とさせる。

そういう象徴的な意味合いも深く考察すれば面白いのかもしれないが、人間対自然という大きなテーマの中では人間同士の敵対関係などはちょっと焦点がボヤけていた感じが否めなかった。いや……、そもそもよく考えてみれば、誰が敵やら味方やら、私にはよくわからないのであった(笑)。う~ん、どうやら私は宮崎作品とはあまり相性がよくないようだ。どうもよくわからない。何をわかればよいのかもわからない。第一、なぜ「もののけ姫」なのかもわからない……(汗)。

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出雲を調べたい

久しぶりに記事を書くような気がする……(笑)。
まずは、ケータイからは書ききれなかったこの正月の覚え書きなど。

1月1日未明、日本史上初の元日月食(つまり太陽暦が採用されてから初めての元日月食。陰暦では1日は新月に決まっている)があったはずなのだが、ここ山陰の天候は雪で見えず。3日の新聞によれば、山陽地方ほかからは見えたようで、羨ましい限り。

1月2日、『たけしの教科書に載らない日本人の謎2010』を観る。後半、古代出雲がかなり詳しく取り上げられていた。『出雲国風土記』の謎としては、「古事記や日本書紀にある、出雲が舞台の有名な神話がなぜか書かれていないこと」と「逆に、出雲国風土記にしか記述がない神話があること」が挙げられ、出雲の謎としては、「1.10月の呼び名が違う」「2.出雲大社の拍手の数が2倍の4拍手」「3.注連縄が逆向き」「4.意外な方向を向く御神座」「5.縁結びに強い」の5つが挙げられていた。「竜蛇さん」を神の使いとして祀る「竜蛇信仰」なども紹介されていたが、その信仰はヤマト王権が恐れるほどの大事(おおごと)なんだろうかという印象を持った(笑)。

だいたいが出雲地方に住む者にとっては常識的な知識だったのだが、ひとつ気になった点があった。オオクニヌシが葦原中国(あしはらのなかつくに)をアマテラスの子孫に譲る「国譲り」の段で、出雲の国まで譲ることを約束したと番組では言っていたが、それはヤマト王権が作った記紀神話によるものだ。『出雲国風土記』では、オオクニヌシは出雲の国だけは譲らないと言っているのだ。イズモはヤマトにはまつろわぬ国なのである。『出雲国風土記』に焦点を当てていたはずの番組が、肝心なところを記紀によってもらっては困るなぁ、と、俄然『出雲国風土記』を調べてみる気になったのであった。

で、3日からは『出雲国風土記』に載っている神社などを巡り始めたのだが、『風土記』に載っているものだけでも出雲には神祇官にある神社が184、神祇官にない神社が215、計399の神社があるので、とてもではないが1年では回りきれない。縁起や、そこに祀られている神様についても是非調べたいと思う。神話の世界というのはなにしろ創作としても面白いし、番組でも言われていたように、神話が実は真実の歴史を述べていることもあり得る。せっかく神話の豊富な地に生まれたのだから、調べない手はない。何年かかるかわからないけれど、のんびりと神話の世界を探っていきたいと思う。先人が残した研究書を読むだけでも相当時間がかかるだろうけれども……。

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PCが返ってきました

久々にキーボードを叩いています。ケータイからの投稿は打つのに時間がかかって大変でした(誤字だらけだし……)。どんだけ請求が来るか、今から戦々恐々としています。

今夜はメールのチェックとアバターの衣装替えだけでいっぱいいっぱいです。巫女さんの格好してみましたが、3500コインの大出費でした。正月早々ビンボーです(汗)。

さ、明日からはバリバリ書くぞー!

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きょうは五社

まるで面接を受けた会社の数のようなタイトルですが、参った神社の数です。1時間半ばかりのんびり歩くと、これだけの神社を巡ることができます。出雲ってところはどんだけ神様がおられるのか、という感じです。
きょう行ったのは、すえつぐ神社、護国神社、城山稲荷、田原神社、児守稲荷。
昨日は、めつき神社、めふ神社、船玉稲荷。
今年は、神社というカテゴリを作ろうかと思っています。出雲神話についても書いてみたいし。記紀と出雲国風土記の相違なども。
パソコン、いつ返ってくるかのかなぁ。

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神社めぐり

きょうも三ヶ所ばかり神社へ行きました。今年は、出雲国風土記に載っている神社を全部巡ってみようかと思っています。

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きょうは出雲大社

・・・へ初詣に行きました。島根ワイナリーから2キロばかり渋滞してました。今は本殿の修理中で、御神座が拝殿に移されています。拍手を四回打って拝みました。
良い年になりますように。

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浮世絵

天気が回復し、雪もほとんど消えました。
きょうは、県立美術館へ浮世絵展を見に行きました。北斎、素晴らしかったです。満足満足。

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2010年

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
きょうは、恵比寿さんの総本宮・美保神社へ初詣して、家族親類友人知人の健康と幸せをお祈りしました。良い年になるといいな。

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