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2010年2月

スズメ百まで…(微妙に違うか)

グループホームへ母を訪ねる。話のタネだと思って、先日買った『徹底図解古事記・日本書紀 神々とともに歩んだ日本創世記』を持って行った。「綺麗な絵だね~」と、私と同じく文章など読まずに絵ばかり眺めている(笑)。中でもじーっと見ているところがあったので覗きこんでみると、そこにはまことに美形な雄略天皇が描かれていた。

母よ、私と同じ趣味だ(爆)。

そこから歴史の話になり、母は滔々と歴代の天皇の名前を列挙し始めた。「神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化・崇神……」。父が死んだことは忘れても、小さい頃に覚えた事柄はしっかり覚えている。大したものだ。

21代目に雄略天皇が出たので、「それがこの絵だよ」と示すと、初めて見たように「綺麗な絵だね~」とまた見入っている。そういう同じ会話を3回ばかり繰り返して、きょうは帰った。

呆けるというのもイイものかもしれないな、と思う。だって、3回も、新たに、好みの美男に会えるのだから。普通の人間なら1回きりだ。

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(備忘録100227)

『日本辺境論』(内田樹著)を読書中。学術的に正しいといえるのかどうかは知らないが、一日本人として心情的には思い当たる節が多々あって面白い。もうちょっとなので、読んでしまいたい。
記事はお休みします。m(_ _)m

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「こん」て何だよ!

ヴァーチャル・コミュニティ「ニコッとタウン」で知り合った方に、素敵なお衣装を頂いた。非課金で遊んでいる私には手に入らないものだったので、嬉しいこと限りなし♪ 感謝感謝である。最近発表された中華風コスの中のひとつで「宮廷の貴妃」というもの(アバターを見てね♪)。いまタウンは孫悟空やら三国志の武将やらで溢れていて、とても華やかだ。

アバターをこのブログに載せることとゲームをやることが目的で入ったコミュニティなので、私がタウンに出て人と交わるようになったのはほんの2ヶ月ほど前からである。最初はワケがわからなかったが、だんだんと慣れてきた。服装や歩き方で、初心者か熟練者かもわかるようになった。

私と同じく非課金でやっている人には親近感も湧く。凝ったおしゃれをしている人はこの世界でのキャリアがありそうで、なかなか近づき難いところがある。相手もそう思うらしくて、タウンでぼーっと立っていると、非課金初心者によく話しかけられる。

「こん」

それが初対面の相手にする挨拶か!!!! 初めはタイプミスかと思っていたが、どうやらこれが彼らのデフォルトの挨拶であるらしい。「こんにちは」あるいは「こんばんは」の意味だろうきっと。憤慨しながらおもむろに相手のプロフィールを覗くと、まあたいてい小学生か中学生である。もうおばちゃんには読めない文字(ギャル文字というですか?)で何やら書いてある。

「こんにちは」と丁寧に挨拶を返す。次は「話さない?」と来る。おしゃべりする気はさらさらないので、「いま時間がありませんから」と断る。すると「友申しとくね」と来る。「友申」とは「友だち申請」のことで、お互いが友だちだと認定し合えば、「友だち」同士でしかできないいろいろなことがあったり、いくらか仮想コインももらえるというようなものだ(たぶん)。そんなことされたら迷惑だし、そもそも友だちというのはそんなお手軽で安っぽいものなんかじゃないと思うから、「初対面の方からは申請を受け付けていません」と答えると、返事もなくどこかへ去っていってしまう。

その無礼さに腹も立つのだが、それ以上に、その無防備さが心配になってきてしまう。もし私が悪い大人だったらどうなるかなんてことは微塵も考えていないらしい。こんな子に一人でネットをさせちゃいけませんぜ、親御さん! またそんな子がいっぱいいるのだ、残念ながら。いっぱしのネット世界の住人になったつもりの子が。これは親の監督不行き届きだと私は思う。時間があれば、その子の「マイルーム」まで訪ねていって「どんな大人がいるかわからないのだから、しばらく相手とお付き合いをしてからにしなさいね」と言うようにしているのだが、さぁ、聞いてくれるかどうか。それにヴァーチャルの世界で本当に相手を見極めることなんて土台不可能なことではあるのだ。私だって、もっと善良な人格を演じようと思えば演じられるのだから。

「ニコッとタウン」にはあちこちに看板が立っている。「電話番号を教えてはいけません」「知らない人にアイテムをねだってはいけません」などなど。それでもいったん「友だち」になれば、それが親しさの証しと信じていろいろやっちゃうんだろうなぁと思う。そこで何が起ころうともそれはもう自己責任の範疇なのだということが理解できないうちは、お子さまが一人でこんな遊びに足を踏み入れちゃいけない。大人だって用心しながらやっているのだ。少なくとも、初対面の相手に「こん」と挨拶するようなお子さまにはその資格はない。そう思う。

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(備忘録100225)

今夜はメールのやり取りなどで忙しくしておりますので、記事はお休みします。
いただいておりますありがたきコメントへのレスも後日にさせていただきます。まことに申し訳ありません。m(_ _)m

(備忘録)
Mと自転車で多賀神社へ(『出雲国風土記』島根郡に「朝酌下社」とある神社)。ペダルを漕いでいると汗ばむほどの陽気。

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「梅にウグイス」は間違い

今朝、ウグイスの初音を聞いた。まだ「ケキョ、ケキョ」ばかりで「ホーホケキョ」と鳴けない。上手く鳴けるようになるのはいつ頃かな。

ウグイスといえば梅。きょうの好天で一気に満開になったところも多かったようで、夜の地方ニュースでもどこぞの梅園の映像が映っていたのだが、その枝にとまっていたのはウグイスではなくてメジロだった。

花札の梅に描かれているのも、ウグイスではなくメジロである。ネットで調べてみると、実際のウグイスはウグイス色ではなく褐色をしており、また習性からいっても薄暗い藪の中を好む鳥であるから、こんな明るい場所に咲く梅の蜜を吸いに来るようなことはないのだそうである。

「梅にウグイス」は間違いで「梅にメジロ」が正しいのに、どうしてこんな思い違いが起こってしまったものやら。いま『万葉集』からウグイスの歌を拾って調べていたのだが、万葉の昔から既にウグイスは梅の枝で鳴いている(柳の枝も多いようだが)。

梅が枝に鳴きてうつろふ鶯の はね白たへに淡雪ぞ散る <不詳 万葉集巻十 1844 >

この歌などは、いかにも鳴きながら枝を渡っていくウグイスを見てそのまま詠んだ歌のようだが、先に述べたようにウグイスにそんな習性はないことから考えると、梅の枝にとまったメジロを見、且つどこかから聞こえてきたウグイスの声とドッキングさせた作為の歌ということになる。いや、作者はきっとそのウグイス(実はメジロなのだが)が鳴いていると思い込んで疑いもしなかったのだろうが。

1300年ばかり昔から日本人はずっと思い違いをしているというのが、なんだかとても面白いと思った。

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Viewimage100224_3お雛様を飾りたくて、アバターのマイルームを和風に改装しました。既に桜が散っていますが……(汗)。手前の衝立の図柄が「梅にウグイス(実はメジロ)」です(笑)。

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(備忘録100223)

今朝は5時起きだったものですから眠くてたまりません。
きょうの記事はお休みします。おやすみなさい。zzz

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「女もひからびちゃおしまいだねえ」

17日付の米医学誌『JAMA』に、黄金のマスクで知られる古代エジプト王ツタンカーメンは骨折にマラリアが重なって死亡した可能性が高いという記事が載ったそうだ。そのツタンカーメンの王墓の発掘に関しては、「スポンサーとなったカーナヴォン卿が墓の公開直後に急死するなど、発掘関係者が次々と不遇の死を遂げたとされ、ファラオの呪いの伝説が広まっている(Wikipedia より)」。

さて、『BJ』の中で一番恐ろしい登場人物は誰かと問われたら……。「のろわれた手術」のミイラさんと答えるかもしれない。発掘に携わって落盤事故に遭い重傷を負った学者3人のみならず、それを治そうとした医者7人までもが次々と謎の事故で重傷を負う。いっそ一息に命を奪われるのならまだしも、治療不可能で重態のまま10日も放置されたら、そりゃあ辛いだろうと思う。

そこでお鉢が回ってきたのがBJ先生。4千万円ばかりふっかけて、まずは怪我人よりも大学の標本室に置いてあるミイラを見に行く(まだ仕事を請けるとは言っていない)。そこまでは無事に着いたようで、「女もひからびちゃおしまいだねえ」などと呑気なことを言っている。続いて赴いた病院で、まずは飛んできた手術用の鋏で顔を怪我し、上から落ちてきた点滴ビン(?)に頭を直撃され、給湯室の薬缶からふきこぼれた熱湯で足を火傷する。看護師さんに包帯を巻いてもらいながらそれでも「何度もいうが 私はそんなのろいとかたたりとか 興味がなくってねえ」と言い張っているのがなんだか可笑しい。続いて重態の患者3人の様子を見て初めて「私が(手術を)やる!!」と宣言。

だからネ。どうしてBJ先生が散々な目に遭ったかをよ~く考えてみると、重態の学者3人を助けようとしたからではないのだ、厳密に言えば。手術をやると宣言する前なのだから。そしてBJ先生に次々と降りかかる不慮の事故はみんな「女もひからびちゃおしまいだねえ」発言以降なのだネこれが(笑)。私にはミイラが「んまあッ!」と怒っている様子も目に浮かんで可笑しくてしょうがないのだが、まあそれは置いといて……。

この話で私が一番好きなコマは、ミイラを見ながら「さっするにこの娘は……大きな事故にあったんですね。それが致命傷で死んだんでしょう。まだ若かったろうに……」という説明を受けた後のコマだ。「…………」と、口に出して何を言うでもないが、目を閉じて心の中で何かをつぶやいているように見えるBJ先生の表情だ。

BJ先生がオカルトを信じない現実主義者なら、それはそれでよい。このとき先生は単に当時の医療技術のお粗末さに思いを馳せて、自分だったらこうやって治すというシミュレーションをしていただけかもしれない。しかしたいていの人間はミイラという物体をそんなふうには見ない。以前はわれわれと同じく生きて動いていた人間だったはずなのに、掘り起こされた途端に考古学上の標本資料として扱われてしまう。3人の学者達の態度にもそれははっきりと表れていた。大発見だと喜ぶばかりで、ミイラを人間扱いした人間は一人もいなかったのだ。このミイラを大昔の怪我人だと見る人間はBJ以外にはおるまい。それをこのミイラは敏感に感じ取ったのかもしれない。「この人なら治してくれる」と。

だから……。BJ先生が遭った災厄は、決して呪いの意味ではなくて、ミイラの必死の自己アピールだったのだと私は思う。「頭の横に大穴があいてるの。右足と左手が折れてるの。お願い、治して。生きてる人間だけじゃなくて、私も治して。お願いだから気付いて!」という。オカルトを信じない先生にはかえって通じないと思われるこの願いだが、ミイラを「ひからびていても人間」と捉える先生には別の方向から通じてしまうところが素晴らしい(笑)。ミイラは人間と同列に最初から先生の守備範囲内だったに違いない。

人間の怪我人もミイラの怪我人も治してやり、ミイラはもとの墓へ戻してやるように言い置いて病院を後にするBJ先生。その頭上から建材が降ってくる。そこに一陣の突風が吹き、よろけた先生はあわや建材の下敷きになるのを免れる。ミイラの恩返しというところだが、先生は「ばかばかしい!」と言い捨てて去っていく。どこまでも素直じゃないねぇこの男(笑)。

ツタンカーメン王のミイラも、手術するなり現代医学の粋を集めた薬を飲ませる(飲ませる?)なりすれば、呪いなんかなかったかもしれない。

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2月22日

Photo_2きょうは結婚記念日です。
昨日のことのように思えますが、この写真から、はや20年とは……。
夫よ、こんないたらない妻によく我慢してくれました。ありがとう。
これからもどうぞよろしく。m(_ _)m

きょうはアバターもちょっとおしゃれしてみました♪

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クイズ番組で……

テレビのスイッチを入れたら、手塚治虫の写真が映っていた。『オレたち!クイズMAN』という番組で、きょうは手塚治虫がテーマだったようだ。ちょうど「手塚治虫は漫画家のほかにある職業の資格を持っていたがそれは何か?」という問題が出たところで、出題者(誰だか知らない人だったが、お笑いの人か)からのヒントが「BJ」と。思わずにんまり♪ それでも「教師」なんて答えた解答者もいたから、「ブラック・ジャック」と言わないとわからないんだろうな、きっと。

藤子不二雄や石森章太郎が描いた『鉄腕アトム』のアニメ映像も流れ、あのアトムのピョコピョコいう足音の由来なども紹介されていたし、『ジャングル大帝』からはあの思わず涙を誘う最終話がクイズになっていた。私なんぞは、ラストシーンのレオの形をした雲を見るだけで泣けてくる(グス)。私が観たところでは『BJ』関係のクイズはなかったけれども、最初のほうにあったのかな。まあそれでもクイズの合間にはいろんな手塚キャラの絵が出てきて、その中にはもちろんBJ先生もいらっしゃったので、良しとしよう。こういうふうに予期しないときに手塚先生関係の話題に接することができると、とても嬉しい。

Photo先日講談社から送られてきた図書カード。「手塚治虫文庫全集 全200巻」事前購入予約の特典である。

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美男美女な神々

40510664夫が、『徹底図解古事記・日本書紀 神々とともに歩んだ日本創世記』(榎本秋著) という本を買ってきました。歴史にはまったく興味のなかった人ですが、私に感化されたそうです(笑)。神々のイラストが素晴らしく綺麗で、うっとり眺めているだけで楽しいです。

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比婆山

午前中は舅殿を病院へ連れて行き、午後は夫とデート。やっぱり天気は横殴りの雪だったサ。

さて、きょうは島根県安来市伯太町横屋にある比婆山へ行ってみた。

『古事記』原文
「故爾伊邪那岐命詔之。愛我那迩妹命乎謂易子之一木乎。乃匍匐御枕方。匍匐御足方而。哭時。於御涙所成神。坐香山之畝尾木本。名泣澤女神。故其所神避之伊邪那美神者。葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也」

--故ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、「美しき我が汝妹の命を、子の一つ木に易へつるかも」と謂りたまひて、すなはち御枕方に匍匐ひ、御足方に匍匐ひて哭きし時、御涙に成れる神は、香山の畝尾の木の本にまして、泣澤女神と名づく。故、その神避りし伊邪那美神は出雲國と伯伎國との堺の比婆の山に葬りき。--

イザナギとともに国生みに励んでいたイザナミが、火の神を生んだことによって死んでしまったときの文章である。いとしい妻の命を子ども一人にかえてしまったと、イザナミの枕辺や足元に腹ばいになってとりすがって泣いているイザナギ。その涙からまた一柱、泣澤女神(なきさはめのかみ)が生まれたりする。そしてイザナギはイザナミを出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬った、とある、その比婆山である。

岩波文庫『古事記』の脚注によれば「広島県比婆郡に伝説地がある。」となっているが、それでは「出雲國與伯伎國堺」という表記に合わない。私達がきょう行った比婆山は、まさに出雲國(島根県)と伯伎國(鳥取県)の県境付近にあるのである。

Photo320mの比婆山に登りましたサ。いや、まさかそんな山の頂上だとは思っていなかったのだが、ここまで来て引き返せるものか! 車で行けるところまで行って、その後は歩き。ブーツがドロドロだ……(泣)。しかし、イザナギが愛しい妻の遺骸を抱えて泣きながらこの道を登ったのだと妄想すれば、いささか神妙な気持ちにもなる。雪の止み間を待って30分弱で頂上に着く。

頂上には「比婆山久米神社」と「伊邪那美大神御神陵」があった。「○○天皇陵」というのは知っているが「御神陵」というのは初めて見た。墳墓とおぼしき丘は柵で囲まれていて高い木々がぎっしりと生えて森になっている。ここにイザナミが眠っているのかと、しばし瞑目して祈った。

Photo_2

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(備忘録100218)

『自由訳 般若心経』(新井満著)を読書中。
新井氏といえば、「千の風になって」の作詞作曲で知られるほか、小林幸子が昨年「紅白」で歌った「万葉恋歌 ああ君待つと」で額田王らの歌に曲をつけたりしている。なかなか良い歌だ。

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「侍でござる」

Photo_2--その男は、180年前の世界からやってきた。
シングルマザーの遊佐ひろ子は、お侍の格好をした謎の男と遭遇する。男は一八○年前の世界からやってきたお侍で、木島安兵衛と名乗った。半信半疑のうちにも情が移り、ひろ子は安兵衛を家に置くことに。安兵衛も恩義を感じて、家事の手伝いなどを申し出る。その所作は見事なもので、炊事・洗濯・家事などすべて完璧。仕事で疲れて家に帰ってくるひろ子にとって、それは理想の「主夫」であることに気づく。
安兵衛は料理のレパートリーを増やし、菓子づくりに挑戦。これが評判を呼び、「ござる」口調の天才パティシエとして時の人となるが―― --(裏表紙より)

起承転結がはっきりとしていて、文章も巧み。どうなるのだろう?という興味で一気に読んでしまった。特に前半が面白い。タイムスリップしてしまった安兵衛の戸惑いと、育児と仕事を両立させようとピリピリしているひろ子の心理がとてもよくわかる。「転」部分の、安兵衛が有名人となってヒルズ族にまでなってしまうあたりは少々取ってつけたような感があったが、「結」でまたほんわかとした気分にさせてもらった。

江戸時代の武士の価値観でものを言う安兵衛と、生活に追いまくられて疲労困憊しているひろ子の対比で、現代人が何を失ってしまったのかが浮き彫りになってくる。現代人は忙しさにかまけて煩わしいことを避けて通ろうとしているんじゃないのか。それは何かが根本的に間違っているんじゃないのか。ひろ子もまた安兵衛の出現によって変わっていく自分に気付く。

しかし、何から何まで完璧にこなす安兵衛にも悩みはあった。元の時代に戻れるかどうかということももちろんだが、もっと人間的な悩みが。彼は彼で、直参旗本とはいうもののお役目もなく無聊をかこつ毎日だった自分と比べて、仕事をバリバリとこなしているひろ子が羨ましかったのである。このあたりの心理描写が、安兵衛を単なるヒーローではなく人間臭いものにしている。

SF的なタイムトリップものではなく、異質なものと触れ合うことによって自分の意識や価値観にあらためて気づかされるという、なかなか面白い切り口の作品だった。

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天才だ

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観た。きょうは生命科学者・上田泰己さんが紹介されていたのだが、いやはや天才というのはすごいものだという、その一言に尽きる。

生命とは何かという大きな謎に挑む若きプリンスがいま研究しているのは体内時計だそうである。専門的な話になると、もちろん私などには何を言っているのかわかるはずもないので、ポカンと口を開けていることしかできなかったが、そんなずば抜けて優秀な頭脳を持った方でも学生時代に出会った恩師から大きな影響を受けたという話には感銘を受けた。

そういう、理系の頭脳だけでなく人間としての感受性の豊かさを併せ持つ人が、生命科学という分野の最前線で活躍しているというのは、人類にとってとてもありがたいことに思われる。また、たしか「科学とは何だと思いますか」という質問に対して「幸せにつながるもの」というようなお答えをされたと思う。そういう大局的な見方というか哲学をちゃんと持っておられるのが、何より素晴らしいと感じた。

次々と論文を発表しなくてはならなかった時代には、追いつめられた気持ちになったこともあったと言う。しかしいま彼の目は輝いていた。実験において、予想できた結果が出てきても彼にはあまり興味がないように見えた。しかし、データの片隅に「何だこれは?」というような結果を見つけたとき、彼の目はまるで新しいおもちゃを見つけた子どもの目のように輝いていた。研究すること、謎を考えることが、彼にとっては無上の喜びなのだろう。なんとも羨ましい生き方だと思う。

病身の恩師から託された一冊の本--『生命の本質』(セント・ジェルジ著)。「あげる」ではなく「貸す」と言われたそうだ。そのとき「どうやって返そう」と思ったそうである。本はもう返せないかもしれないけれども、将来、彼はきっと成果を出して恩師に素晴らしい恩返しをするのだろうと思う。そう願う。

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バレンタインデーってなんだっけ

むかし読んだ笑い話。……
日本の製造会社の製品がA国に輸出されることになった。
A国からの契約書には「ただし、不良品の割合は2%以下であるものとする」と書かれていた。
日本からの返信。
「2%の不良品というのはどうやって作るのか」……

つまりそれぐらい日本製の製品というのは完璧に作られていたということで、日本人がいかにモノ作りに卓抜した技術を持ち、しかも真面目に精魂傾けて良いものを作ろうとしていたかということの証しとなる笑い話であろう。某T自動車会社にはその精神を見習ってもらいたいものだと思う。

さて、『BJ』で機械の故障、不具合を扱った作品として思い出すのは「U-18は知っていた」と「本間血腫」である。BJ先生の車もよく動かなくなっているけれども……(笑)。きょうは、時期的にもちょうど良いので「本間血腫」を取り上げてみる。

筋の上ではちょいと合点がいかない話ではあるのだ。BJは開胸手術してみてはじめて病気の正体を知るのだが、そういう一番大事なことを書かずして本間先生はBJにいったいどんな資料を残したというのか? そして「本間血腫のナゾを解き明かしてくれ」と言いながらも「手術はするな」という遺言は、無茶だ。

これは、乙姫さまから「開けてはならぬ」という玉手箱をもらった浦島太郎と同じだ。どうしたって開けたくなる。BJのためを思った本間先生の親心かもしれないが、本間先生の仇が討ちたいBJにとってはこれほど大きなジレンマはなかっただろう。しかしさすがは天才。浦島BJは変則的な方法で箱を開ける。つまり病理学的な研究やアプローチは諦めて物理的に心臓そのものを取り替えようと「ブラック・ジャック式小型人工心臓」を開発するのだ。これは玉手箱の蓋を開けるのではなくて箱の底に穴を開けて中身を知ろうとするようなものだろう。しかしそこには想像をはるかに超えたシビアな真実が……。結局、浦島BJは煙を浴びてしまう。患者の心臓はもともと人工心臓だったのだ。

本間血腫は人工心臓の故障によって引き起こされる病気であった。しかし、ここで更なる疑問が生まれる。何故それを秘密にする必要があったのだろう。過去に本間血腫の患者は二十数人いたわけで、少なくともそれを治療した医者は知っていたはずだ。それとも、その二十数例すべてで、本間先生が患者の最期を看取ったのだろうか。そしてそして、BJ先生はどうして持参した「ブラック・ジャック式小型人工心臓」と取り替えようとしなかったのだろう。「あんな精巧な人工心臓でも……完全ではなかった!!」と言っているところをみると、元の人工心臓のほうが性能が良いと思われたのだろうが、しかしそれが故障したのだから、姑息的にでも「BJ型」と取り替えなければ患者の命にかかわると思うのだが。

原作のそういう瑕(と言ってよいのかな)に一つの回答を与えたのがアニメの『BJ21』だったと思う。とても世間には公にできない組織(ノワール・プロジェクト)が人工心臓を作っていて、しかもその設計者がBJの父親(間影三)という設定だった。不老不死になるにはまず止まらない心臓が必要ということから、あの組織はこういう研究を始めたのだろう。アニメでは自家発電の完全埋め込み型の人工心臓ができていたが、原作における人工心臓も同様のものだったと思われる。ちなみに『ブラック・ジャック・ザ・カルテ』によれば、日本では埋め込み型の人工心臓の臨床使用はまだ承認されていないのだそうだ。

ネット上には、本間先生があの人工心臓を埋めたのだという解釈もある。だからこそ生体実験との非難を浴びて引退に追い込まれたのだというのだが、人工心臓であるという秘密が世間に漏れている点で辻褄が合わない。原作で描かれているところの生体実験という意味は、治す手段が確立されていないのに手術に踏み切ったという点であろう。しかし、本間先生がBJにすら書き残していないという事実から、却って、あの精巧な人工心臓は本間先生が作らせたものではなかったかという疑いも捨て切れないのである。日本のモノ作りの技術をもってすれば、可能だったんじゃないかと思う。そしてそれが承認されていないものであったから、本間先生は秘密にせざるを得なかったのかもしれない。

やっぱり謎の多いエピソードだなぁ。しかしこのエピソードの肝は、BJが医学の限界を思い知ることにあるのだから、多少の瑕には目を瞑らなくてはいけないのだろう。うん。

さて、もやもやとした話題はここまでにして……。ハートである。バレンタイン・デーである。ピノコがチョコの広告を見た新聞の日付は「昭和52年(1977)2月4日(金)」となっている。この頃には、女子の間ではバレンタイン・デーの風習は当たり前になっていたと記憶する。だがしかし、BJ先生がそれまでにチョコをもらった経験があるかどうかは五分五分というところだろうと思う。その日に綺麗なオネエチャンのいる飲み屋にでも行けばチロルチョコのひとつくらいはもらえるのかもしれないが、あの人はそういう飲み屋には行っていない。若い女子との交流もそんなにあるとは思えない。ただ、男子がチョコレートをもらえる日だという知識くらいはあったんじゃないかと思う。

「ピノコ……バレンタインデーってなんだっけ……」という台詞は、自分の言葉で傷つけてしまったピノコを思いやる言葉であると同時に、「チョコくれよ(喜ばせてくれよ、力づけてくれよ)」という、ピノコの優しさに甘えた言葉ではないかと私は思う。あま~~い♪

『虫ん坊』200502月号より「手塚マンガとチョコレート」

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(備忘録100214)

ちと多忙につき、きょうの記事はお休みします。
いただいているありがたきコメントのレスも後日に。すみません。m(_ _)m

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バンクーバーオリンピック開幕

バンクーバーオリンピックが始まった。いつの頃からかオリンピックにはほとんど興味を持たなくなった。日本の歴代の総理を遡って言えないように、いつどこで開催されたのかほとんど言えない。興味があったのはミュンヘンまでだったなぁ。

それでも、開会式の模様はNHKの夜の番組でちらりと観た。選手団の入場の途中からだったけれど、楽しそうな雰囲気でなかなか良かった。前回夏の北京オリンピックは開会式からどことなく緊張感があったように思う。一糸乱れぬ人海戦術のアトラクションも、観ているこっちの肩に力が入るような息詰まるものがあった。しかし今回は伸び伸びとして大らかで、しかもどこか幻想的で、うっとりと見入ってしまった。

競技自体にはあまり興味がなく、これから勝ったの負けたのメダルが何個だのという報道を避けて通るのが大変だなぁ、などと思う非国民なので、今度オリンピック放送を観るのは閉会式ということになるかも(笑)。

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『ルパン三世 the Last Job』

『ルパン三世 the Last Job』を観た。ゴエちゃんの魅惑のナマ尻から始まった(何のサービスですかこれは?)今回の話では、ルパン(+次元+ゴエ)と風魔一族とモルガーナ一味と不二子ちゃんが、お宝の「風神」を奪い合う。銭形のとっつぁんは早々にお亡くなりに……。例によってルパンがヒロインであるところの神楽坂飛鳥を助ける展開になるのだが、結局ルパンは「風神」が欲しかったわけでもなかったらしく、どんな「仕事」をしようとしていたのか私の頭では理解できなかったというのはここだけの秘密だ(とほほ)。

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荒神谷遺跡

氷雨が降る寒い一日。夫と「荒神谷遺跡」へ行った(ちなみに天気の良い日は奴は一人でいそいそと釣りに行ってしまうので、私とデートをしようという休日は必ず天気が悪い日と決まっている)。

「荒神谷遺跡」は昭和58年(1983)、広域農道(出雲ロマン街道)建設にともなう遺跡分布調査で、調査員が田んぼのあぜ道で一片の土器(古墳時代の須恵器)をひろった事がきっかけで発見された。翌昭和59年、谷あいの斜面を発掘調査したところ358本の銅剣が出土。さらに昭和60年には、その地点からわずか7m離れて銅鐸6個と銅矛16本が出土した。それまで全国で見つかっていた銅剣は全部で300本あまり。それを上回る数の銅剣が一ヶ所から見つかったことで、古代出雲王国が俄然注目されたものだった。平成10年には出土青銅器が一括して国宝に指定されている。

Photo現在、発見現場には発見当時のままに青銅器の精巧なレプリカが置かれていて、発見時の興奮を伝えてくれる。また近くには荒神谷博物館があって、出土青銅器が展示されたり発掘当時の様子が映像で紹介されたりしている。発掘時の繊細な作業にはちょっと感動する。

「荒神谷遺跡」から南東へ数キロ離れたところにある「加茂岩倉遺跡」からは、平成8年に39個の銅鐸が見つかっている(ひとつの遺跡から見つかった銅鐸の数としては史上最多)し、南へ1.6キロ離れたところには景初三年銘の銅鏡を出土した「神原神社古墳」もある。この一帯は青銅器がたくさん出てくる地域なのである。『出雲国風土記』には神原郷のことを「古老の伝へて云はく、天の下所造らしし大神の御財を積み置き給ひし処なり」と書かれており、オオクニヌシの神宝を積み置いた所という伝承があるが、それがこの銅鐸や銅鏡のことなのか、たいへん興味のあるところである。

続いて、近くにある御井神社へ行く。ご祭神は、オオクニヌシとヤガミヒメの間に生まれたコノマタノカミ(または御井神という)。『出雲国風土記』出雲郡条に記載されている。

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紀元(皇紀)2670年 メモ

本日「建国記念の日」。
  ↓
元となったのは、明治5年(1872年)に制定された「紀元節」。
  ↓
紀元節の日付は、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔)に由来する。
  ↓
「辛酉年春正月庚辰朔(かのととりのとし はるしょうがつ かのえたつのついたち)」をグレゴリオ暦に換算すると、紀元前660年2月11日に当たるとされる。

・紀元前3世紀頃から3世紀頃までの500~600年間が弥生時代だから、紀元前660年といえばそれより前、約8000年間あった縄文時代の終わり頃である。

・今上天皇は第125代にあらせられるが、現代の考古学及び歴史学においては「第15代・応神天皇以降を実在確実とする説」と「第26代・継体天皇以降を実在確実とする説」があり、それ以前の初期天皇についてはその実在性が疑問視されている。

・『日本書紀』の成立は養老4年(720年)。

……どうして縄文時代の「辛酉年春正月庚辰朔」なんていう日付がはっきりわかるものやら。いったい誰が覚えていたっていうんだ? 『日本書紀』編纂に携わった人たちも「1380年も前ってのは、いくらなんでもおかしくね?」とか思わなかったのだろうか。私はその編纂者たちの思惑のほうに興味があるなぁ。

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小さき者

突然だが、私に娘ができた。12歳の。いや、仮想生活つきコミュニティ「ニコッとタウン」での話なのだけれども。

釣堀で初めて出会って話しているうちに「ママになってくれますか」と言われた。彼女はリアル世界でお母さんを亡くしたと言う。そのお母さんが私と同年齢だったのだそうだ。そして私はリアルで子どもがいない。ここに、母のない子と子のない女のヴァーチャル母娘ができあがった。

私の部屋へ移動して二人きりのチャットをした。のっけから身体の悩みや男の子に告白されたけどどうしようというような話で、出来たてホヤホヤまだ湯気が立ってます状態の新米ママは大いにアタフタする(笑)。よそ様の大事なお嬢さんに妙なこと言ってはいけないと、ひたすら聞き役に徹する。どうしようどうしようと悩む彼女が、ただただ可愛い。

「ママの頃はどうだった?」と訊かれて、「ママが小学生のときは男子と付き合ったりしなかった」と答えたら、盛大にびっくりされた(自爆)。だってあの頃の男子はスカートめくりばっかりしてて、学級会でも「男女仲良くしよう」なんてのが話し合われるくらいで、まぁ要するに色気なんかカケラもないガキんちょだったのだから……なんてことをツラツラ思い出しているうちに、彼女は「あ、ごはん」と帰って行ってしまったのだが。

なんかね。ある日突然おしゃまな娘の親になってしまったという点で、BJ先生の気持ちがわかった気がした(笑)。ものすごく戸惑って、自分のペースを乱されて、どうしたら良いのかわからないんだけど、もうもう可愛くて可愛くてたまらない。絶対に守ってやろうと思う。と同時に、自分なんかでいいのかとも思ったり。BJ先生の場合は男親だから、余計に戸惑っただろうなぁと思う。

どこまでこんなママに付き合ってくれるかわからないけれども、まるっきりの他人だからこそ話せることなどがあれば、出来る限り話し相手になってあげようと思う。見知らぬわが娘が毎日笑って暮らせますようにと、願わずにはいられない。

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プリウス リコール

トヨタのリコール車がプリウスだとは、手塚ファンにとってはちとショックだ。「欠陥」ではなく「不具合」と昨今は言うようだが、世界のトヨタの対応の遅れには少なからず幻滅した。手塚治虫の命日に豊田社長が謝罪したのも何かの縁か。

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お手伝いさんでノシ

月曜日は『BJ』語り。きょうは本間先生周辺(周辺?)の事柄について簡単に……。

本間先生の家にはお手伝いさんとおぼしき老婆がいる。#29「ときには真珠のように」ではBJのことを「ごいんきょさん こういう人がみえたでノシ」と(おそらくBJが渡した名刺を見せて)本間先生に取り次いでいるから、これが老婆とBJの初めての出会いであろう。この「ノシ」という方言は、和歌山弁である。また本間先生の主治医とおぼしき医師も「脳軟化症と脳出血だノシ。手術ムダだノシ」と言っているので、ひとり老婆だけの訛りではなくこの地方で普通に話されていることがわかる。よって、本間先生の家は和歌山県にあると思われる。

#71「けいれん」では、本間先生亡き後の家をこの老婆が守っていることがわかる。訪れた山田野先生に向かって「あのかた(BJ)もりっぱに成長なすって……」と言っているのだが、これではまるでBJを少年時代から知っていたかのように聞こえる。「真珠」でBJと初めて出会ったのだとすればちょっとおかしな言葉である。しかし、「真珠」で本間先生が亡くなった後でBJと老婆がしみじみと話す機会でもあって、BJが少年時代の事故で身体がバラバラになった話やら本間先生はそれを元どおりに繋いでくださった命の恩人であるという話やらを老婆にしたのかもしれない。#163「本間血腫」で、本間先生が遺した膨大な記録や資料をBJが整理したとされているので、その機会は多々あっただろうと思う。

そこで思い出すのが、「山小屋の一夜」での「わたしァね この42号線を30~40回とおって」云々というBJの台詞である。以前の記事(「東奔西走」)でも考察したのだが、これを国道42号線だとするとちょうど和歌山を通るのである。本間先生の膨大な仕事を整理するためにこの国道を使って本間先生の家に足繁く出入りしていたのだとすれば、30~40回通っていても不思議ではない。30~40回というのは往復だろうから、本間先生の家を訪れた回数は15~20回となる。

ところで、本間先生の出身地を和歌山県だとすると、和歌山の名医をひとり思い出す。世界で初めて麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた江戸時代の外科医・華岡青洲である。彼には多くの門下生がいるが、中でも特に優れていたのが本間玄調という水戸藩医だったそうだ。もしかすると「本間」という姓はそこから取られたのかも。(緒方洪庵、華岡青洲、手塚良仙・良庵らの関係については機会があれば調べてみたい。とりあえずは『陽だまりの樹』を読まなくちゃなぁ。)

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繋がる運命

『フィッシュストーリー』(伊坂幸太郎著)読了。

--最後のレコーディングに臨んだ、売れないロックバンド。「いい曲なんだよ。届けよ、誰かに」テープに記録された言葉は、未来に届いて世界を救う。時空をまたいでリンクした出来事が、胸のすくエンディングへと一閃に向かう瞠目の表題作ほか、伊坂ワールドの人気者・黒澤が大活躍の「サクリファイス」「ポテチ」など、変幻自在の筆致で繰り出される中篇四連打。爽快感溢れる作品集。--(「BOOK」データベースより)

一発録りのレコーディング。間奏の間にヴォーカルの五郎が突然語り始める。「これは誰かに届くのかなあ……(中略)……届けよ、誰かに」。この語りの部分はカットされて無音の1分間となってレコードが完成する。『曲中に無音の箇所がありますが、制作者の意図によるものです。ご了承ください』。何年も後にこの曲を聴いた「私」はその無音の箇所でドラマに遭遇する……。

伊坂幸太郎の作品を読む楽しさは、それぞれ独立したいくつかのストーリーがやがてひとつに繋がっていく、その繋がりの面白さにあると思う。様々な時代と場面でこの曲を聴いたり歌詞を読んだりした人たちが、あたかも運命の鎖で繋がっているように織り成すドラマは、五郎の思いが通じたかのように、みな暖かくて力強い。音楽にしても文学にしても、そこに秘められた作者の思いが他の人たちに伝わって、偶然にしろ必然にしろ、その人たちの生き様にまで関わってくる様には感動を覚える。

4編の中では最後の「ポテチ」が好きだ。オチはうすうす察しがついたが、それがわかっていても親子の情愛には胸を打たれるものがあった。最初の「動物園のエンジン」も一種独特の悲哀が漂う不思議な作品で、佳かった。

…が、伊坂幸太郎を初めて読む方にはこの本はお薦めしない。彼の書く作品には「ああ、これはあの作品に出てきたあの人のことだ」と気づく楽しさもあるので、いくつかの長編を読まれた後に「箸休め」的に読まれることをお奨めする。

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サルタヒコ

4日、古曽志神社(こそしじんじゃ)に参詣した。『出雲国風土記』の「秋鹿郡」の条に「許曾志社」と書かれている神社である。 

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ご祭神は猿田毘古命(サルタビコノミコト)と天宇受賣命(アメノウズメノミコト)のご夫婦。初めて訪れたのだが、狛犬の代わりに子連れの猿とニワトリがいるのが珍しかった。サルタヒコだから猿なのだろう。そうするとアメノウズメがニワトリということになるが、これは「天岩戸」からアマテラスを引っ張り出したときの話と関係あるのかもしれない。

さて、サルタヒコ。私などはどうしても手塚治虫の『火の鳥』のサルタヒコ、すなわち『BJ』の本間先生を思い出してしまうのだが、そもそもどんな神であるのか。『古事記』によると、邇邇芸尊(ニニギノミコト)が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らしていたのがサルタヒコという国つ神であったとされる。『日本書紀』によれば、鼻長は七咫(あた)、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという魁偉な容貌である。鼻が七咫(=約21㎝)もあったという描写がおそらく手塚の描くサルタヒコの原型となっていると思われる。

この神はアメノウズメと結婚して伊勢国に住むが、漁をしていたときに比良夫貝(ひらぶがひ)に手を挟まれて溺れ死んでしまう(←思わず『BJ』の「青い恐怖」を思い出したのは言うまでもない・笑)。……強いんだか弱いんだかよくわからない神様である(笑)。

続きを読む "サルタヒコ"

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(備忘録100205)

ちと風邪気味で、うたた寝をしていました。起きたらこんな時間!
きょうの記事はお休みします。m(_ _)m

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朝青龍引退

引退勧告した横綱審議委員会の鶴田卓彦委員長は4日、次のような談話を発表した。

「大相撲における横綱の地位は日本固有の伝統文化であり、国民に広く敬愛されている栄光である。土俵上で心・技・体で最高位であることはもとより、土俵外にあっても国民の尊敬と期待に背くようなことがあってはならない。今回の横綱朝青龍の一連の不祥事は一部、週刊誌とは異なる点があるものの国民の許せないという声も無視できない。朝青龍はこれまでも大相撲の発展に大きな貢献をし、多くの相撲愛好家に感動を与えてきた。この栄誉を不滅のものとするためにも退場しなくてはならない。これは万国共通の男の美学である」

(以上、ニュース記事より引用)

あっははは。「万国共通の男の美学」ときた。横綱審議委員会もなかなか乙な言葉をひねり出したものだ。

引退会見をした後の朝青龍の様子をNHKで見たが、もっと相撲を取りたい思いを必死に堪えているのを見て、初めて「うん、この人も根っから悪い人じゃないな」と思った。「万国共通の男の美学」……これは要するに「やせ我慢」ということなんだね。

お疲れさん、朝青龍。引退は避けられなかったと思う。でも、やせ我慢にしろ何にしろ、最後は潔かったと思うよ(警察の捜査はまだ続くと思うので、そっちでも潔くしてくださいね)。朝青龍と比べると、これでもううちとは関係ないと思っている相撲協会ののらりくらりぶりの方がよっぽど「悪」に見える。みんなが他人事だと思っているような、ちょいと神経の鈍い組織だねあれは。

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鬼は外 福は内

夕飯の準備をしていたら、お向かいの家からご主人と男の子が豆まきをしている声が聞こえてきた。わが家も、帰ってきた夫に早速やってもらってから夕飯ということになったのだが、どうしてだろう、豆をまくのはたいてい男性だ。私が子どもの頃の記憶を辿っても、いつも父がまいていて母がまいていたことはない。一家を外敵から守るのは男の仕事だということなのだろうか。

そして当地では節分の夕飯は蕎麦と決まっている。これは大晦日の年越し蕎麦と同じ意味で、明日の立春を前に縁起を担いで食す。近年はこれに恵方巻きが加わった。カロリー過多だ。

昼間には人形(ひとがた)を持って神社に参拝したし、いちおう節分にやるべきことはみんなやった。明日からの一年が佳い年でありますように。

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(備忘録100202)

読みかけの本を読み終えるまでもう少しなので、読んでしまいたいと思います。
記事はお休みします。
メールのお返事も明日にさせてください。すみません。m(_ _)m

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告知

私が自分の病名を知らされたのは昨年の3月31日のことだった。翌日だったらエイプリル・フールだったのに、と思ったのでよく覚えている。奇遇なことにその同じ3月に夫の友人の奥さんがやはり乳癌の告知を受けておられたことを数ヶ月前に知った。彼女の場合は、もう手のほどこしようがないと言われたそうだ。そして現在は精神病院に入っておられると数日前に聞いて驚いた。

「医者の態度が酷かった」とご主人は言われた。こちらを見もしないでポンとカルテを放り出し、もうサジを投げましたと言わんばかりだったのだそうだ。癌治療においては最先端を行く病院だったのだが、その後実際に何も治療が行われなかったので、ほかの病院に代わったと聞いていたのだが……。

奥さんは死を口にし、「自分が悪い、自分が悪い」とご自分を責め続けておられるのだそうだ。お気の毒でならない。「自分が悪い」という気持ちは私にも理解できる。家族に心配をかけてしまった、夫を悲しませてしまった……と自責の念に駆られることは多いのだ。

それでもどうやらこうやら私が以前と変わらぬ精神状態でいられるのは、医者の告知態度にもよるものではなかったかと、この奥さんの場合と比べてみてそう思う。以前にも書いたかもしれないが、「風邪です」と告げるのと同じくらいサラリと「(検査の結果)悪性のものが出ました」と言われた。まず「はぁ、そうですか」とトボケタ返事をしたと思う。その後3秒間くらいどう受け答えをしようかと考えて「切ってください」と言ったのだが、その間ドクターはじっと私の様子を見ておられたような気がする。あ、こいつ能天気なやつだ、と思われたのかどうかは知らないが、その後はどんな手術をするのかということに話が移っていった。

このとき、もしももっと病状が進んでいて、あの奥さんのようにあからさまに医者から見放されたりしていたら、自分もいまごろ精神病院に入っていなかったという自信はない。実際に治る治らないの問題ではないのだ。治るための手立てを講じてくれるお医者さんがいてくれるというのが、患者には何よりの救いなのである。

前置きが長くなった。月曜日は『BJ』語り。きょうは告知について。

『BJ』が描かれた1970年代には、いまと違ってまだ癌の告知は一般的ではなかったように記憶している。そんな中にあってBJ先生は「告知派」だった。

・「めぐり会い」より、めぐみさんの述懐
「患者にガンだと教えるのはざんこくなことなんだ。それは死刑の宣告のようなものだ。しかし妹(私)のためにブラック・ジャック先生はズバッといってのけた。妹(私)はかえってそれで先生を信じた……」

・「侵略者(インベーダー)」より、BJの言葉
「死ぬんなら死ぬ ダメならダメとハッキリ教えたほうがこの子のタメですよ」(←死ぬんなら死ぬ ダメならダメ、って……。死ぬんなら死ぬ 治るんなら治る、じゃないんですか先生)
「私はね。ガンのようななおりにくい病気の患者に なおりますなどといってごまかすのはきらいでねっ。死ぬ人間にははっきり死ぬといっとく主義だ。そのほうが残りの人生を有効に使える」
「(しかしそれじゃ悲観して自殺でも……と言われて)自殺なんかするような患者は なおったって気がよわくて生きがいなんか持たんやつさ!」

BJのほかには、「かりそめの愛を」でミチルの主治医だった女医(BQか?)が告知しているが、これは誤魔化しきれなくなったためで、本来告げる予定ではなかったと思われる。「執念」の手塚医師もやはり告知していないが、患者自身が医者だったので察してしまっている。やはりこの時代は患者のためを思って告知しないケースのほうが多かったのだろう。

逆に、告知しなかったために患者が疑心暗鬼に陥ってしまったのが先の「侵略者(インベーダー)」。患者(サトル)本人にバレないようにしようとして周囲の人間の態度がよそよそしくなったのを、サトルは宇宙からの侵略者がすり替わっているからだと思い込む。頓珍漢な思い違いなのだが、夢見がちな年頃の少年の不安な気持ちはとてもよくわかる。

この作品、BJが告知をする前と後の絵を見比べてみていただきたい。告知前のベッドや机やドアなどはことごとく歪んでいる。平行、垂直であるべきところがそうなっていない。まるで熱に浮かされたときの夢のように身の置き所のない不安感に満ちており、それはそのままサトルの心象風景と言ってよい。告知後はそれらがすべてビシッと正常に直っていて、読者はそこにサトルの心理の変化を見るのだ。

「きみはあと一週間のあいだ 生きる努力をたっぷりやるんだな!! できるか? 手術うけるかね?」と問うBJに「うけますっ!!」と力強く答えるサトル。余命いくばくもないと宣告されても、そこに懸命に治そうと努力してくれる医者と家族の愛情があれば、患者は最期の最期まで頑張れるのだということを、この作品は示してくれているように思う。ちなみに、サトルの病気である腎芽腫(ウィルムス腫瘍)は、今では約9割が助かるようになったそうだ。

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