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荒神谷遺跡

氷雨が降る寒い一日。夫と「荒神谷遺跡」へ行った(ちなみに天気の良い日は奴は一人でいそいそと釣りに行ってしまうので、私とデートをしようという休日は必ず天気が悪い日と決まっている)。

「荒神谷遺跡」は昭和58年(1983)、広域農道(出雲ロマン街道)建設にともなう遺跡分布調査で、調査員が田んぼのあぜ道で一片の土器(古墳時代の須恵器)をひろった事がきっかけで発見された。翌昭和59年、谷あいの斜面を発掘調査したところ358本の銅剣が出土。さらに昭和60年には、その地点からわずか7m離れて銅鐸6個と銅矛16本が出土した。それまで全国で見つかっていた銅剣は全部で300本あまり。それを上回る数の銅剣が一ヶ所から見つかったことで、古代出雲王国が俄然注目されたものだった。平成10年には出土青銅器が一括して国宝に指定されている。

Photo現在、発見現場には発見当時のままに青銅器の精巧なレプリカが置かれていて、発見時の興奮を伝えてくれる。また近くには荒神谷博物館があって、出土青銅器が展示されたり発掘当時の様子が映像で紹介されたりしている。発掘時の繊細な作業にはちょっと感動する。

「荒神谷遺跡」から南東へ数キロ離れたところにある「加茂岩倉遺跡」からは、平成8年に39個の銅鐸が見つかっている(ひとつの遺跡から見つかった銅鐸の数としては史上最多)し、南へ1.6キロ離れたところには景初三年銘の銅鏡を出土した「神原神社古墳」もある。この一帯は青銅器がたくさん出てくる地域なのである。『出雲国風土記』には神原郷のことを「古老の伝へて云はく、天の下所造らしし大神の御財を積み置き給ひし処なり」と書かれており、オオクニヌシの神宝を積み置いた所という伝承があるが、それがこの銅鐸や銅鏡のことなのか、たいへん興味のあるところである。

続いて、近くにある御井神社へ行く。ご祭神は、オオクニヌシとヤガミヒメの間に生まれたコノマタノカミ(または御井神という)。『出雲国風土記』出雲郡条に記載されている。

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出雲の神話・風土記・神社」カテゴリの記事

コメント

今晩は,大変ご無沙汰いたしておりました。
待望のエントリですね。
寺社のみならず,荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡がエントリされると良いな・・・と密かに思っておりました。

しかし,300本を越える銅剣とは凄いですね。
大分以前,拙エントリで学生時代に発掘調査現場に立ち会ったことがあり,埴輪のかけらがざくざく出てきたことを述べたことがありましたが,それとは異なり,銅剣だの鏡といったものは,その遺跡の文化水準算定に直結する大発見であることを教えられたことがあります。

改めて古代出雲王朝の強大な勢力を計り知ることができるというものでしょうが,これらがいつの時代のものであるのか分かっていないのだそうですね。
古代出雲は,青銅器の文化圏と鉄器のそれに分けられるそうですが,この遺跡が「国譲り」以前のものなのか,或いは大和政権下の国造の時代のものなのか,解明されると良いと思うのは私だけでしょうか・・・。
それにしても1983-85年と,つい最近(私の感覚で
)にこれだけの大発見があったこと自体驚き以外の何者でもありません・・・。

是非,いずれ加茂岩倉遺跡についても詳細なレポートを期待しています・・・(さりげなく要求・・・)。

投稿: koshi | 2010年2月14日 (日) 20時10分

koshi さん

こんばんは。コメントありがとうございます。
こちらこそROM専で、たいへん失礼をいたしております。m(_ _)m

荒神谷遺跡は、当地でこそ大騒ぎになりましたが、世間一般ではどれくらいの認知度だろうかとビクビクしながらのエントリでしたが、反応いただいて嬉しい限りです。
はい、358本ともなると壮観です。出雲大社のすぐ隣にある島根県立古代出雲歴史博物館(http://www.izm.ed.jp/)には、鋳造されたばかりの金色の光沢を放つ銅剣358本のレプリカが壁一面に常設展示してありますが、見ていると思わず鳥肌が立ちます。

>埴輪のかけらがざくざく
もう、羨ましくてなりませぬよ。生涯に一度でよいから経験してみたいことの一つです。ホント羨ましい……。

銅剣が埋められたのは西暦250年頃だろうと言われていますが、もう国内の趨勢は大和政権の中央集権に移行しつつある頃なのではないでしょうか。この銅剣は実戦に用いるにはちょいと大きすぎる気がしますから、たぶん祭祀に用いられたのではないかと思われます。358本という数字が後に『出雲国風土記』に記載された神社の数に近いということもあり、各々の神社にあった銅剣を持ち寄って埋めたのだとか、その他様々な説が出ているようです。
「国譲り」の神話も、『古事記』に書かれているヤマト作成の出雲神話であって、『出雲国風土記』ではオオクニヌシは「その他は譲るけど出雲は譲らない」と言っていますから、出雲は出雲だけで結束を固めようということだったのかもしれません。
将来、どういう解明がなされるのか、非常に興味のあるところですよね。

加茂岩倉遺跡……実はまだ行ったことがないので(汗)、また天気の悪い日に夫に連れていってもらおうと思います。荒神谷遺跡ほどは整備されていないかも……。行ったときにはまた記事に書きますね。が、頑張ります。m(_ _)m

投稿: わかば | 2010年2月16日 (火) 00時27分

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