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比婆山

午前中は舅殿を病院へ連れて行き、午後は夫とデート。やっぱり天気は横殴りの雪だったサ。

さて、きょうは島根県安来市伯太町横屋にある比婆山へ行ってみた。

『古事記』原文
「故爾伊邪那岐命詔之。愛我那迩妹命乎謂易子之一木乎。乃匍匐御枕方。匍匐御足方而。哭時。於御涙所成神。坐香山之畝尾木本。名泣澤女神。故其所神避之伊邪那美神者。葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也」

--故ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、「美しき我が汝妹の命を、子の一つ木に易へつるかも」と謂りたまひて、すなはち御枕方に匍匐ひ、御足方に匍匐ひて哭きし時、御涙に成れる神は、香山の畝尾の木の本にまして、泣澤女神と名づく。故、その神避りし伊邪那美神は出雲國と伯伎國との堺の比婆の山に葬りき。--

イザナギとともに国生みに励んでいたイザナミが、火の神を生んだことによって死んでしまったときの文章である。いとしい妻の命を子ども一人にかえてしまったと、イザナミの枕辺や足元に腹ばいになってとりすがって泣いているイザナギ。その涙からまた一柱、泣澤女神(なきさはめのかみ)が生まれたりする。そしてイザナギはイザナミを出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬った、とある、その比婆山である。

岩波文庫『古事記』の脚注によれば「広島県比婆郡に伝説地がある。」となっているが、それでは「出雲國與伯伎國堺」という表記に合わない。私達がきょう行った比婆山は、まさに出雲國(島根県)と伯伎國(鳥取県)の県境付近にあるのである。

Photo320mの比婆山に登りましたサ。いや、まさかそんな山の頂上だとは思っていなかったのだが、ここまで来て引き返せるものか! 車で行けるところまで行って、その後は歩き。ブーツがドロドロだ……(泣)。しかし、イザナギが愛しい妻の遺骸を抱えて泣きながらこの道を登ったのだと妄想すれば、いささか神妙な気持ちにもなる。雪の止み間を待って30分弱で頂上に着く。

頂上には「比婆山久米神社」と「伊邪那美大神御神陵」があった。「○○天皇陵」というのは知っているが「御神陵」というのは初めて見た。墳墓とおぼしき丘は柵で囲まれていて高い木々がぎっしりと生えて森になっている。ここにイザナミが眠っているのかと、しばし瞑目して祈った。

Photo_2

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コメント

岩波文庫『古事記』の作者、倉野憲司は戦前の古事記伝の現代語訳において、本居宣長が広島の比婆山の説は最も疑わしいと退けていることを知りながら、終戦後あのような広島の比婆山支持ともとれる記述になった。戦争によってなんの変節があったのか、興味深いところである。

投稿: たたら | 2011年1月30日 (日) 11時26分

たたらさん
そのような経緯があったのですね。
戦争によって変節されたのか、何か新しい論拠を見つけて広島比婆郡説を取られたのか、これも興味深い謎ですね。
ご教示ありがとうございました。m(_ _)m

投稿: わかば | 2011年1月31日 (月) 01時29分

 最近では、安本美典氏も島根県安来市の比婆山を支持していますが、おおむね出版物の多くは、広島説(それも根拠なし)をとっているのは倉野氏の罪ではないでしょうか?

投稿: | 2012年11月12日 (月) 12時44分

無記名さん
コメントありがとうございます。
私は歴史研究家ではないのでその辺のことはさっぱりわからないのですが、無批判に先人の説を採用することの是非は問われて然るべきかと思います。「岩波」というネームバリューも大きいのかもしれませんね。

投稿: わかば | 2012年11月12日 (月) 22時25分

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