« 繋がる運命 | トップページ | プリウス リコール »

お手伝いさんでノシ

月曜日は『BJ』語り。きょうは本間先生周辺(周辺?)の事柄について簡単に……。

本間先生の家にはお手伝いさんとおぼしき老婆がいる。#29「ときには真珠のように」ではBJのことを「ごいんきょさん こういう人がみえたでノシ」と(おそらくBJが渡した名刺を見せて)本間先生に取り次いでいるから、これが老婆とBJの初めての出会いであろう。この「ノシ」という方言は、和歌山弁である。また本間先生の主治医とおぼしき医師も「脳軟化症と脳出血だノシ。手術ムダだノシ」と言っているので、ひとり老婆だけの訛りではなくこの地方で普通に話されていることがわかる。よって、本間先生の家は和歌山県にあると思われる。

#71「けいれん」では、本間先生亡き後の家をこの老婆が守っていることがわかる。訪れた山田野先生に向かって「あのかた(BJ)もりっぱに成長なすって……」と言っているのだが、これではまるでBJを少年時代から知っていたかのように聞こえる。「真珠」でBJと初めて出会ったのだとすればちょっとおかしな言葉である。しかし、「真珠」で本間先生が亡くなった後でBJと老婆がしみじみと話す機会でもあって、BJが少年時代の事故で身体がバラバラになった話やら本間先生はそれを元どおりに繋いでくださった命の恩人であるという話やらを老婆にしたのかもしれない。#163「本間血腫」で、本間先生が遺した膨大な記録や資料をBJが整理したとされているので、その機会は多々あっただろうと思う。

そこで思い出すのが、「山小屋の一夜」での「わたしァね この42号線を30~40回とおって」云々というBJの台詞である。以前の記事(「東奔西走」)でも考察したのだが、これを国道42号線だとするとちょうど和歌山を通るのである。本間先生の膨大な仕事を整理するためにこの国道を使って本間先生の家に足繁く出入りしていたのだとすれば、30~40回通っていても不思議ではない。30~40回というのは往復だろうから、本間先生の家を訪れた回数は15~20回となる。

ところで、本間先生の出身地を和歌山県だとすると、和歌山の名医をひとり思い出す。世界で初めて麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた江戸時代の外科医・華岡青洲である。彼には多くの門下生がいるが、中でも特に優れていたのが本間玄調という水戸藩医だったそうだ。もしかすると「本間」という姓はそこから取られたのかも。(緒方洪庵、華岡青洲、手塚良仙・良庵らの関係については機会があれば調べてみたい。とりあえずは『陽だまりの樹』を読まなくちゃなぁ。)

|

« 繋がる運命 | トップページ | プリウス リコール »

「ブラック・ジャック」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/141713/33302594

この記事へのトラックバック一覧です: お手伝いさんでノシ:

« 繋がる運命 | トップページ | プリウス リコール »