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2010年4月

巨匠の娘たち

9784163720500『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(水木悦子、赤塚りえ子、手塚るみ子著)読了。

--手塚治虫、赤塚不二夫、水木しげるという日本の漫画界を代表する3巨匠の娘たちによる語り下ろしのトーク本が実現しました。「ピノコのモデルはわたし」「パパの愛人と海外旅行へ行った」「家でオナラをすると喜ばれる」といった抱腹絶倒の衝撃発言が満載。父親としての素顔から創作秘話、作品に出てくるワタシまで、ファンならずとも必読の1冊です。「娘が選ぶ父の傑作短編漫画」3編も特別収録します。--(文藝春秋HPの内容紹介より)

「第1章 ずっと父が好きだった」から「第8章 父の仕事を継ぐ」まで、それぞれの娘たちが、娘ならではの視点で父親を語っている。おもしろかったエピソードなどを挙げてみると…。

水木悦子さんのお姉さんは、水木しげるに向かって「お父ちゃんの漫画には未来がない。手塚漫画には未来がある」と言ってしまったらしい(笑)。そうしたら水木しげるは「これが現実なんだ! おれは現実を描いているんだ!」とすごい剣幕で怒ったそうだ。

手塚るみ子さんも、手塚治虫の漫画を読んで「つまらない」と言ったことがあるそうだ。読者に媚びた感じが嫌だったのだとか。

「第5章 父の女性観」が一番興味深かったのだが、その中でるみ子さんがこう語っている。「手塚治虫のエロスは、女性のエロスではなくて生物体としてのエロスのほう。たとえば、昆虫とかの生態のエロティックさ。生き物そのものの姿形、動きがエロいという……。女性という異性のエロさじゃないんですよ」。かたや、悦子さんはこう語る。「お父ちゃんの漫画でも「一生懸命エッチなシーンを描いたんだな。頑張った、よく頑張ったお父ちゃん」っていう感じのもあるんですが、全然エッチじゃないわけです(笑)」。娘にこんな分野で分析をされるのも巨匠ならでは、か(笑)。

それぞれのファンにとってはなかなか面白い鼎談となっている。また、父親と娘という関係性から、女の私が読むとしみじみと胸に迫るものも感じられたので、どちらかといえば女性にお薦めの一冊である。

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(備忘録100429)

読書中につき、記事はお休みします。m(_ _)m

皆様、楽しいGWをお過ごしください♪

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GW前夜祭チャット

昨夜は神無月さんとkoshi さんと3人でチャットしていました。住んでいるところの歴史の話からアバターの話からBJ話から、盛りだくさん! とても楽しくてためになって、時がたつのを忘れ……気がついたら1時半でした(汗)。
遅くまでお付き合いくださり、ありがとうございました。またいつでもお越しくださいませ。お待ちしております。m(_ _)m

Viewimage100429_2記念写真。私と神無月さんはお揃いの格好をしてみました。現実世界では絶対にできない格好ですね、としみじみ話したことでございます(笑)。

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あげる

最近、ニコタでは自分の庭に花を植えられるようになった。私も種と肥料を購入し、せっせと栽培に励んでいるのだが、どうしても気になるのが「肥料をあげます」とか「水をあげます」という表現だ。

「あげる」を Yahoo!辞書で引いてみる。この場合の「あげる」は9の②【「与える」「やる」を、その相手を敬っていう語。「洋服を―・げる」】に当たる。つまり花を敬っていることになる。

いや、本当に心底花を敬っておられる方ならこの言い方で良いのだろうが、たぶんここで「あげる」を使おうという意識には、「やる」が偉そうに聞こえるという感覚があるのだろうと思う。対象物を大切に思っていますよという優しい気持ちを表そうとしているのではないかと思う。美しい心遣いだとは思うけれども、そこに敬語を用いるのには違和感を覚える。そんな使い方をしていたら、例えば、「先生にお花をあげる」と「野良犬にエサをあげる」の差がなくなってしまうではないか。

以前にも書いたかもしれないが、「あげる」を用いるときには、「差し上げる」と言い換えてみても違和感がないというのが目安になると考えている。「先生にお花を差し上げる」はOKだが、「野良犬にエサを差し上げる」のはちょっとどうかと思う。だから同様に「花に肥料(水)をあげる」もおかしいことになる。

以前のエントリで、敬語を使えるかどうかは自分が相手に対してへりくだれるかどうかだと書いた。「へりくだる」とは「相手を敬って自分を控えめにする」ことだ。そこには自分より上か下かの見極めがなされる必要がある。いまは、そのようなランク付け自体を嫌う風潮があるのかもしれない。みんな横並びで一緒くたに「あげる」だ。それが、上に書いたように、自分が偉そうになりたくないという意識の表れならまだ良いが、自分より上のランクのものを認めないという意識からくるものであっても、その違いがわからないところが怖い。……と思うのは私だけか。

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Viewimage100427 先日、特殊進化した巨大パンジーが咲きました♪

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医者の決断と覚悟

月曜日は『BJ』語り。先日読んだ本からの流れで、きょうは「その子を殺すな!」について。

子宮外妊娠した母親を救うためには胎児を犠牲にしなくてはならない。手術を請け負ったBJの前に、心霊手術を施す超能力者ハリ・アドラが現れて……。

胎児が無頭児であることを事前にハリ・アドラに言わなかったことが(言う義理もないが…)なんとなくフェアではないような気がして、名作の部類に入るエピソードではないと思うけれども、まぁ一度読んだら忘れられない一作であることは間違いない。

このお話が発表された当時のことだっただろうか、TVで心霊手術のウソを暴いた番組を観たことがある。血糊状の液体を用意し、徐々に指が体内に入ってくように見せかける。何かを体内から取り出したように見えるが、それは最初から術者が掌に隠し持っていたもの。ニワトリの内臓だった、とナレーション。その患者が本当に病人だったのか、そして手術の後は病状はどうなったのか、などの詳しい解説などは望むべくもないキワモノ番組だったように記憶している。

それに比べると、ハリ・アドラは本物である。パンの中に仕込まれた紙片を見破ったり医療器具をグニャグニャ曲げたり、何よりも、ちゃんと妊婦の腹から胎児を取り出しているのだから。子宮外妊娠というだけならば、切らずに処置できる分だけBJよりも優れているのは間違いない。この患者の妊婦さんは、手術後、傷痕が残っていないので不思議に思うのではないかな(あるいは、BJが後の処置をするために開腹したかもしれないが)。

ハリ・アドラが「ホントノ医者ハ神ノオボシメシドオリ 人ノ命ヲスクウモノデス」と心霊手術によって赤ん坊を取り出す。ところがその赤ん坊が無頭児だったために、彼はショックを受ける。BJは言う。「X線像で できそこないということはわかってたんだ。だから殺したほうが母親のためによかったのだ!! それとも そんな赤ん坊を生かすのが 神のおぼしめしだってのか? そのカエルみたいな 脳ミソのない子が どんな一生を送るというんだっ。殺せ――っ。そのほうが慈悲なんだ!!」。しかしハリ・アドラにはそれは出来ず、結局BJが赤ん坊の息の根を止める。麻酔から醒めて「―おなかの赤ちゃんは…?」と尋ねる母親に淡々と「死んでたよ。あきらめるんですな」と告げるBJ。

BJとハリ・アドラの勝負という観点で見れば、手術ではハリ・アドラの勝ち。しかし何が患者にとって最良の道なのかを選択する覚悟の有無ということでは、BJの勝ちということになるのだろう。おそらくこの母親はわが子が無頭児であったことを一生知らずに生きる。それが、BJの考えるこの母親の幸せだったに違いない。

「医者はな ときには患者のためなら 悪魔にもなることがあるんだぜ!」とBJは言う。しかしヒューと吹く風の中を病院を後にするBJの後ろ姿は、やるせなさ、哀しさ、赤ん坊に対する憐れみの感情に必死に耐えているようにも見える。

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(備忘録100425)

本日のお買い物
・『ゲゲゲの女房』(武良布枝著)
・『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(水木悦子、赤塚りえ子、手塚るみ子著)
・『閉鎖病棟』(帚木蓬生著)

今夜はニコタで知り合ったK氏とずっとチャットをしていた。ちゃきちゃきの江戸っ子で昔気質の人。面白いお話も伺えて楽しかった。
というわけで、今夜の記事もお休みです。m(_ _;)m

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アネンセファリ

『臓器農場』(帚木蓬生著)読了。注:以下、ネタバレあり。

--新任看護婦の規子が偶然、耳にした言葉は「無脳症児」―。病院の「特別病棟」で密かに進行していた、恐るべき計画とは何か? 真相を追う規子の周囲に、忍び寄る魔の手…。医療技術の最先端「臓器移植」をテーマに、医学の狂気と人間の心に潜む“闇”を描いた、サスペンス長編。現役医師としてのヒューマンな視線、山本周五郎賞作家の脂の乗り切った筆致が冴える、感動の名作。 --(カバー裏表紙より)

無脳症児……『ブラック・ジャック』ファンにはお馴染みだろう、「その子を殺すな!」の「無頭児」のことである。先天的に脳と頭蓋が欠けており、産まれてきても生存能力はない。しかしその臓器は、臓器移植を待ち望む子ども達とその家族にとっては生きる希望となる。ここに、意図的に無脳症児を産み出させようとするプロジェクトが現れる……。

なんともゾッとする話であるが、医学が進んだ現代ではもはや絵空事ではないのかもしれない。

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(的場医師の手記より引用)
 天が与えた精巧な臓器製造工場、それが子宮だ。数ヶ月の不自由さを我慢するだけで一千万円が手にはいるなら、奇形をみごもった妊婦は医師に人工中絶を依頼しないだろう。
 医師にとっても、胎内にあるものは、いかなる先端技術でも作り得ない精密機械なのだ。使途はいくらでもある。ヤミの市場は限りなく広がっている。……
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しかし、現役の医師でもある著者の視点は、秘密を暴こうとした的場医師や障害を持つケーブルカーの車掌・藤野茂と同じところにある。

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(的場医師の手記より引用)
――無脳症児はそもそも人間的存在ではない。この世に生きた形跡もないのだから、死もない。従って脳死判定の対象にもならない。
――無脳症児がもたらす臓器を無駄なく使えば、先天性疾患をもつ新生児の大部分が救われる。
――無脳症児をみごもった母親と家族も、臓器提供で罪悪感が解消する。なんとなれば、無脳症児こそ、神の贈り物だから。

 白谷副院長が言ったことを箇条書きにしてみると、こうなる。どこから眺めても、つけ込む隙のない論法だ。
 しかし、どこかがおかしい。
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(作品ラストより引用)
「無脳症児も人間です」
 突然、藤野茂が言った。
 規子はうなずく。頭のない赤ん坊にいのちの灯がともっているのを、その瞬間見たように思った。
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単なる金儲けのために臓器売買に携わる者は論外としても、臓器移植さえすれば助かる命を救いたい医師の気持ちはわかる。助けてほしいと願う家族の思いもまたわかる。軽々に答など出せない問題だが、人間の尊厳や命のあり方などについてどうしたって考えてしまう、衝撃的作品である。

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(備忘録100423)

親友Mが貸してくれた『臓器農場』(帚木蓬生著)を読書中。いや~、すごい話だわコレ。明日には感想が書けるかな。
…ということで、きょうの記事はお休みします。m(_ _)m

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日本乗っ取り?

エイプリルフールに書こうかどうしようか迷って、結局書かなかったジョークがある。「竹島に米軍基地を移転します」というもの。

ところで、「竹島抱える隠岐の島町、外国人参政権「反対」意見書採択」というニュースを読んだ。人口約1万6千人のうち、すでに30人超の外国人永住者がいるという。「仮に15~20人程度の永住者がまとまって支持候補者を切り替えれば、順位の入れ替えや当落のキャスチングボートを握ることも可能」とのこと。

以前にワイドショーで、対馬の不動産を外国資本が買収しつつあるという話題が取り上げられていたことがあった。このときも、その勢力はいずれは行政権にまで及ぶのではないかと懸念されていた。

こういうときの「外国」とはたいてい韓国を指すことが多いようであるが、韓国の人は本気で日本を乗っ取ろうという気があるのだろうかね。また日本はそれを阻止できないというのだろうかね。あるいは、いま問題になっている外国人参政権がその瀬戸際の攻防ということなのかしらん?

いや、外国人参政権に関しては慎重に考えるべきだと思う。思ってはいるのだが、日本でこういうことが問題になるときには必ず反韓感情(あちらさんから見れば反日感情)がセットになっていて、正常な思考をするのが難しくなっているように思われる。

郵政民営化だって、ゆうちょと簡保が外国資本(アメリカのハゲタカファンド)に乗っ取られる危機だと言われていた。でもあのとき、日本人の多くは小泉さんを支持したのだよなぁ。私はこの問題のほうが、韓国人の日本征服問題よりも、亡国の危険度は高いと思うけどなぁ。……余談でした。

というわけで、離島から徐々に韓国化していく日本に歯止めをかける意味でも、米軍基地を竹島に持ってくるのはどうでしょうかね。平地にならしたり周りを埋め立てたりするくらいは、思いやり予算で日本が出してもよいと思いますがね。

【ジョークのわからない人が暴力的な書き込みをすると困るので、この記事に関してはコメントならびにトラックバック不可とします。m(_ _)m 】

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逆手

数日前だったと思うが、NHKのニュースを見ていたら「この寒さを逆手(ぎゃくて)に取って……」と言っていた。夫と「『さかて』じゃないのかなあ?」と話したのだが、民放ならまだしも、NHKのアナウンサーがそんな読み間違いをするだろうかと思って調べてみた。もっともNHKのアナウンサーでも原稿を読むのではないフリートークのときにはけっこうめちゃくちゃだが(笑)。

『ことばおじさんの 気になることば』によると、この場合「ぎゃくて」が正解らしい。柔道などの技で相手の腕の関節を反対に曲げて攻める技があり、これを『ぎゃくてを取る』と言い、そこから相手の手段を逆用するという比喩的な言い方『ぎゃくてに取る』が出来たという。

「さかて」と読むのは、例えば刀などを持つとき、普通の持ち方とは逆になるように持つとき。つまり“小指の方が刃に近いように持つこと”を『さかてに持つ』と言う。また、体操競技の鉄棒で、手の甲を下にして棒を下から握る方法も「さかて」。

だから、
『ぎゃくてに取る』
『さかてに持つ』
この2つの言い方を覚えておけばOKというわけだが、つくづく日本語は難しいね。

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(備忘録100420)

読書中につき、記事はお休みします。m(_ _)m

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知名度

月曜日は『BJ』語り。

『手塚治虫文庫全集』の今月の配本分に『三つ目がとおる』と『ミッドナイト』があったが、そのどちらにもBJ先生が登場していた。『三つ目がとおる』では写楽の額の眼を手術で取り去ろうとする話の扉絵に。また『ミッドナイト』にはもともとBJ先生は準主役級で登場しており、ストーリーを奇想天外な結末にした張本人なのだが、今回見たのは噂話に出てくる先生。世界的な大脳医学の権威・ボストン大学のリーゼンバーグ教授が「ブラック・ジャック? 名前は知ってる…世界的な外科医だ」と発言している。『BJ』という作品だけでなく、他の作品にも有名な外科医として登場しているというのは嬉しいね♪

考えてみると、BJ先生は世界で一番有名なお医者さんではないかと思う。「単行本は新書版・文庫版・ハードカバー等を含めた発行部数が日本国内で4564万部(2007年8月現在)、全世界で1億7600万部(2000年度末時点)に達している(Wikipedia より)」というのだから。全世界でざっと2億人もの人がBJ先生を知っているというのはすごいことじゃないかい?

さて『BJ』シリーズの中では、先生はどれくらいの知名度があるのだろう。医療関係者や、BJに依頼をする患者とその家族は当然知っているわけだが、それ以外の一般人には? 思いついたものを挙げてみると……。

「赤ちゃんのバラード」のスケバン、マギー。「あれはブラック・ジャックってお医者なんだよ。話に聞いたけど あいつヤバい商売してるってさ。しかもモグリ医者なんだ」と、かなり正確に知っている。マギーはBJ先生の地元に住んでいるようなので、BJ先生、地元ではけっこう知られているのかも。

「ピノコ還る」の泥棒、源さん。「ここの先生はそうとう荒かせぎをしてんだってな」。源さんもBJ先生の地元の人間。うん、やっぱ知られてるんだナ。

「震動」の八つぁんのご近所さん。「あの 例の ブラックなんとかいうイカサマ医者じゃねえか。あのキズあとで話聞いたことがあるぜ」「手術はやめたほうがいいぞ。一千万ぐらいフンだくるそうだ」。これは地元かなあ?「例の」と言っているところをみると、しょっちゅう噂に上っているようだ。

「スター誕生」の杉並井草。「私をたずねて家出したなんて…いったいどういう気かね?!」「でも 先生 日本一の手術するんでしょっ。だから あたしの顔 変えられるでしょっ」。なんと、先生の名声は田舎の小娘にも轟いているのであった。

「木の芽」の茂少年。「この人お医者なんだ。世界一のお医者だよ」。茂はBJの住所も知っているようで手紙を出している。

「電話が三度なった」の慎ちゃん。「ブラック・ジャック先生かね。無免許で治療代を何百万もとる恥知らずのインチキ先生かい」。わあ、散々な言われよう(笑)。

「おばあちゃん」のおばあちゃんとその息子。「サンパツ屋のところにおいてある子ども雑誌で ときどきお見かけしますよ」「ずいぶん高い医者代をとるんだろ この人」。息子は散髪屋に置いてある雑誌で知ったとしても、このおばあちゃんは何故BJのことを知っていたのだろう。たぶん、名医だと知っていたのだろうな。

「身の代金」の誘拐犯。「仲間に聞いた いい医者がいるんだ。こいつだ…モグリだが金さえ出しゃどんなキズでも治療するって…おまけに口のかたい男だそうだ」。一般人でない裏稼業の世界では、言うまでもなくよく知られている。「海のストレンジャー」なども。

「ある教師と生徒」の村正先生。「ブラック・ジャック先生?(中略)切らないでなおしてもらえるのは先生だけだとききました」。村正先生は公衆電話ボックスの電話帳を調べてBJに電話を掛けている。「切らないでなおせる」とBJを推挙したのは誰だったのだろうか。他の医者だろうか(アニメでは手塚医師ということになっていた)。あるいは、巷にそういう噂が立っているのか。また、この電話帳は50音順か職業別か。「ブラック・ジャック先生?」と言っているところをみると、「間黒男」ではなく「ブラック・ジャック」で載っているのだろうか。「えらばれたマスク」で、BJの父親が電話を掛けてくるが、「黒男かい」と言われて「いいえ うちはブラック・ジャックです。(中略)とにかく黒男なんて名前の人間はいませんよ」と答えているところをみても、どうやら「ブラック・ジャック」で載っている可能性のほうが大きそうだ。

引用はここまでにするが、BJ先生、けっこう有名人だ。個人的には「震動」で八つぁんの仲間たちが知っていたことが微笑ましくて好きだ。彼らも散髪屋で知ったのだろうか?(笑)

結論のないまま、ここで時間切れです。

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大人が夢見てもいいんですね。

Railways『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(小林弘利著 原案:錦織良成)読了。

--2010年5月29日全国ロードショーの映画を完全ノベライズ。
49歳の筒井肇は会社人間。これまで家庭を顧みず仕事一筋に邁進してきた。そのため妻や娘は肇に距離を置き家庭の絆は崩壊寸前だった。
取締役の椅子と引き替えに会社からリストラの最前線に立たされた肇は、同期入社であり親友である工場長の川平に工場閉鎖を告げる。結果的に友情を裏切ることになった肇は自らの仕事に悩み始める。
そんな時、島根で暮らす母が、病に倒れたとの報が入る。見舞いに帰郷した肇だったが、そこで親友・川平の死を知らされる。肇は将来を約束された会社を辞め、小さい頃からの夢であった電車の運転士になることを決意するのだった。--

映画は『白い船』『うん、何?』に続く錦織良成監督の島根3部作の最終作。主演は中井貴一である。

舞台となる電車は「一畑(いちばた)電車」、通称「バタデン」。宍道湖の北岸を2両編成でのどかに走って、電鉄出雲市~松江しんじ湖温泉を結んでいる。途中の川跡駅からは出雲大社前に向かう大社線もある。本書のカバー絵にも使われている「デハニ50形」は、昭和3年からつい昨年まで現役で走っていた車両。映画の撮影の際にもカムバックして本線を走ったらしい。

私が一畑電車に乗ったのは、最近でも3年ほど前のことになろうか。滅多に乗らないが、島根県立古代出雲歴史博物館からの帰りに雲州平田駅から乗った。一畑口でのスイッチバックにワクワクし、座席を反対側に移してずっと宍道湖を眺めながら乗った。自転車ごと乗ってくる人もいる(平日の通勤時間帯はNG)。本当にのんびりした、眠気を誘うほどに気持ちの良い路線なのである。創業以来一度も黒字になったことがないというが、ぜひとも末長く存続してもらいたいものだと思う。

さて、本書について。こんなに上手くいくはずはない、夢物語だ、とは思うものの、いやもう泣かされた泣かされた。ネタバレは避けるが、母親と息子の約束が40数年を経て果たされる物語である。誰もが鉄道に対して抱くであろう郷愁や毎日毎日同じ道の上を走る健気さなどと相俟って、人の生き方や死に方がしみじみと胸に響いてくる。悲しいけれど、これでいいんだというような……。切ないけれど、あっけらかんと明るい読後感であった。「鉄」ファンにもお薦めである。

地元民としては、ホーランエンヤのくだりにちょっと引っ掛かった。あっち方面からは櫂伝馬船は出ないはずだが……(笑)。

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養老先生の人生相談

『養老孟司 太田光 人生の疑問に答えます』(養老孟司製作委員会編)読了。

--夢を捨てられない。上司が意見を聞いてくれない。家族に尽くしてきたこれまでの人生に疑問を持ってしまった…。誰もが共感を覚える現代人の悩みの解決策を、二人の論客が真剣に考えた! 深刻に思える悩みは、実は本人の思い違いからきていることが多い。広い視野で問題を捉え、自分の思い込みに気づけば、もっと気楽に生きていける! 笑いあり、名言あり。目から鱗の人生相談。--(新潮文庫版カバーより)

この本を読んで気付いたのだが……。どうやら私には「悩み」がないらしい(笑)。この本に取り上げられている一般人からの悩みを読んでも、どうもピンと来ない。というか、「これからもこの会社でこのまま続けてもいいのでしょうか?」なんてことを他人に訊いて、「すぐに会社を辞めなさい」と言われたら、人はそれに従うんだろうかと思う。「会社に自分の意見を認めさせなさい」と言われたら、バリバリいろんな提言を会社にするんだろうか。いずれにせよ、そんな行動が取れる人なら最初から悩みの相談なんかしないように思う。

だから、へぇ、人様はこんなことを悩んで生きておられるのだなぁ、と分かったことが一番大きな収穫だったのだが、それぞれの悩みについて、養老先生と太田光がそれぞれの考え方から助言をしている。養老先生は「脳と体=都会と田舎」の観点から、太田光は自らの体験と現在の状況に照らしての回答である。どちらかと言えば太田光のほうが相談について実際的な回答になっているように思う。養老先生のほうは、相談の内容そのものについて、ちょっと考え方がおかしいんじゃないの?という回答が多い。要するに、自分を雁字搦めにしてしまっているから考え方に余裕が持てないんじゃないの?と。考え方や価値観なんて簡単に変わるものだよ、ということをおっしゃっている。

印象に残った文章を抜き書きしておく。

--先生と生徒の関係でいえば、昔は先生は「偉かった」んです。これは殿様が「偉い」のと同じことです。(中略)ところが、今の若い人はどちらかというと中身が伴っていなければ偉くない、先生じゃないと思っているんじゃないですかね。--

--「決断」とは、どちらか一方を捨てるということです。それだけで、自分を変えることになります。
 例えば、結婚すれば独身を捨てるだけのことなのです。結婚した自分というものは独身でいた自分とはもう違う自分なんですね。それだけで、もう取り返しのつかないことが起こっているわけです。そういう風に人生を考えると取り返しのつかないことの連続こそが人生そのものなんです。
 (中略)そこで、間違った悩みというか、無意味な悩みがあるとすれば、そのことに気がついていない悩みです。悩もうが悩むまいが人生は過ぎていってしまうわけですから。そのときどきの行動に対する責任は、その都度その都度で全部自分がとっていくものなのです。それをわからずに悩んでいるほど、無意味な悩みはありません。--

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気になるニュース

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中国電部長が自殺か=原発点検漏れ問題を担当-島根
4月15日16時46分配信 時事通信

 中国電力島根原発1、2号機(松江市)の定期検査で多数の点検漏れがあった問題で、緊急対策本部の点検事業に携わっていた同社の男性部長が、松江市内のホテル駐車場で倒れているのが見つかり、死亡していたことが15日までに、分かった。県警松江署は、現場の状況などから、部長がホテルの部屋から飛び降り自殺を図ったとみて調べている。
 同署などによると、部長は13日午前7時ごろ、宿泊先の同市朝日町の10階建てホテルの駐車場で倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。
 島根原発1、2号機では先月30日、計123件の点検漏れが発覚した。
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以前、もんじゅで問題が発覚したときも職員が自殺したことがあったと記憶しているが……。企業が起こした過失を一社員が命をもって贖うなんてことがあってよいのだろうか。

【追記】
あった。これだ。「もんじゅ西村裁判」。何やら背中が薄ら寒くなるような符合ではないか……。

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『イノセント・ゲリラの祝祭』

『イノセント・ゲリラの祝祭』(海堂尊著)読了。バチスタ・シリーズの第4弾。

--『チーム・バチスタの栄光』『ナイチンゲールの沈黙』『ジェネラル・ルージュの凱旋』に続く田口・白鳥シリーズ最新刊!厚生労働省をブッつぶせ!医療事故を裁くのはいったい誰なのか?

東城大学医学部付属病院不定愁訴外来の責任者で、万年講師の田口公平は、いつものように高階病院長からの呼び出しを受けていた。高階病院長の“ささやかな”お願いは、厚生労働省主催の会議出席。依頼主は、厚生労働省役人にてロジカル・モンスター、白鳥圭輔。名指しで指名を受けた田口は嫌々ながら、東京に上京することを了承した。行き先は白鳥の本丸・医療事故調査委員会。さまざまな思惑が飛び交う会議に出席した田口は、グズグズの医療行政の現実を知ることに・・・・・・。--(宝島HPより)

本作品のキーマンは彦根新吾という病理医である。日本の年間の死者数は100万人超。しかしそのうち解剖されるのは2%たらず。まさに「死因不明社会」と言ってよい現状に、この彦根が殴り込みをかける。解剖至上主義である法医学者、旧態依然とした法学者、そして初めに結論ありきの厚労省官僚を次々と切り伏せていくクライマックスはドラマチックで読み応えがある。

良くも悪くも自分の専門領域に固執する人間たちの姿をカリカチュアライズしてある。おなじみの田口・白鳥コンビは出てくるが、これはもはや小説ではなく、著者の医療論という趣き。しかし『チーム・バチスタの栄光』から一貫して死亡時医学検索にAi(画像診断)を導入することを主張してきた著者の、これが本当に書きたかったことなのだろうと思う。また厚労省のお役所仕事をこれほど痛烈に揶揄している作品もそう滅多にはあるまい(笑)。

死因不明社会、医療事故といった日頃あまり馴染みの無い事柄に付いて、その問題のありかについて知ることのできた一冊。か~な~り専門的でもあった。だから欲を言えば、医療事故で父を失った小倉勇一の心情をもっと描いてほしかった。この作品の中で唯一、われわれ一般市民と同じ立場の人間であり感情移入できる存在であったのだから。

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『もういちど読む山川日本史』

『もういちど読む山川日本史』(五味文彦、鳥海 靖編)を買ってきた。まだ最初のほんの数ページしか読んでいないが、1ページ目からしてわれわれが教わった頃とは違う用語に出会った。「洪積世」「沖積世」ではなく、いまは「鮮新世」「更新世」「完新世」などと呼ぶらしい。へぇ~。

また、気になるところをぱらぱらと先に覗いてみると、われわれが「足利尊氏像」と教わった絵は「騎馬武者像」となっているし、『徒然草』を著したのは吉田兼好ではなくて卜部兼好となっている。何故、足利尊氏ではないのかというと、この画像の上に尊氏の子義詮(よしあきら)の花押があるからで、子が父の肖像の頭上に花押を据えることは考えられないからと説明されている。むかしの教科書の内容と比較してあるわけで、こういう記述があるところがこの本の存在価値なのかもしれない。

体裁はまるっきり日本史の教科書だが、教科書との一番大きな違いは太字がないことだ。太字=暗記、という強迫観念に脅かされることなく読むことができる(笑)。覚えなくてもよいと思うだけでなんと気楽に読めることか。日本の通史をとりあえず知っておきたいという人にはお薦めだ。この年齢で学校の教科書を読むという新鮮な感覚もまた良い。のんびり読み進もうと思う。

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胃カメラ飲んだ

先週からこっちいろんな検査をやって、きょうが最終の胃カメラ。生まれて初めての経験であった。鼻で息をするように言われていたがうまくできず、呼吸困難で死ぬかと思った(いや、そんな大げさなもんじゃなかったけど……)。看護師さんがずっと背中をさすりながら「辛いところは過ぎましたよ~」などと声をかけてくださったのが心強かった。ポリープがごろごろあったけれども、細胞を取られることもなく、当面は放っておいてもよさそうな感じ。

最後にドクターから話を伺ったが、全身これといって異常は見つからないとのこと。まずはよかったと胸をなでおろす。骨シンチで自分の全身骨格を見るのが好きだ(笑)。へぇ~、自分の頭蓋骨はこんな顔か、などと思う(笑)。

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武士道とは死ぬことと見つけたり

月曜日は『BJ』語り。
さーて何について書こうかと、目を瞑って1冊抜き出し適当にページを開く。「約束」だった。もう1回やってみる。今度は「死者との対話」。ありゃりゃ、似たようなお話にぶち当たったゾ。これでもう一度やって「二度死んだ少年」なんぞ引いた日には自分が運命論者になってしまいそうだったので、2回でやめておく(笑)。きょうはこれらのお話について。

「約束」……異国の地。難民キャンプに身を潜めるアラブ人の英雄・ルペペという男の手術をするBJ。しかし設備が整っていないために大動脈にくいこんだ弾丸を取ることができない。姑息的手術を施してから一年、パリ警察に捕まったルペペから再び連絡があり手術の続きをしてくれという。依頼に応じるBJだが、警察の話ではルペペは1年以内に確実に死刑になるという。「どうします? 手術をとりやめますか?」「いや……立派な手術をやってやるぜ!」……そしてルペペは刑場の露と消えた。

「死者との対話」……母校にやってきたBJ。そこで出会った医学生・間武田は解剖実習をやっていて「医者とはむなしい仕事ではないか」との疑問を持つ。BJは学生の解剖実習用に献体された、ある一人の遺体に向き合う。生前、彼は死刑囚だった。死刑になることを知ってなお、彼は病気を治そうとBJの手術を受けた。病気が治り、獄内で本を読み、生まれてからはじめて満ち足りた生活をし、そしてやがて死刑に処された。BJは彼の遺体を調べ、病気がすっかり治っていたことを知る。BJは間武田に言う。「(医者になって)満足なことだってあるさ……」

良い話である。と、昔はそれしか思わなかった。しかしこの年齢になって改めて読むと、ひしひしと身近に実感を伴って心に響いてくる話だ。生きられる時間があとわずかしかなくても、健康に生きたいと願い、生きる喜びを感じられれば、いまこの瞬間からでも新しく生まれ変われることを教えてくれる。生きることを、生きていることを大切にしろという、手塚治虫のストレートなメッセージだ。

BJの手術を受けた後、きっとこの二人の死刑囚は濃密な生を生きたに違いない。はたしてそれはどんなものだったのだろう。羨ましくさえあるのだが……。しかし考えてみれば、シャバにいるわれわれだって実のところ獄中の彼らとそんなに変わりはしないのだ。いつ死ぬかわからない。もしかするとそれは明日かもしれないのだ。

『葉隠』に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な一文があるが、これは「いつ死んでも悔いが残らないように、いつでも今がそのときと思って生きろ」即ち「今を精一杯生きろ」という意味である。自分がいつ死ぬかわからないのならば、いまの一瞬さえ愛おしい。

この二人の死刑囚はその境地に目覚め、生きたのだろうと思う。

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エロチックな時代

「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案に関して議論が沸いている。簡単に言えば、漫画やアニメ、ゲームなどに登場する「非実在青少年」を「みだりに性的対象として肯定的に描写する」ことを規制しようというもので、これは日本国憲法に保障されている「表現の自由」に反するのではないかということが問題であるらしい。

私の生活には一切影響を及ぼさない分野の問題なので、ぶっちゃけどうでもよいのだが、ニーメラーの詩に書かれたような轍を踏むこともまた避けるべきであろうと思い、私なりに考えてみることにする。結論を出そうとする論考ではないので、箇条書きに思いついたことを書いてみる。

いやしかし、昨日読んだ『新宝島』が戦後漫画の原点だとすれば、今日このようなことが問題になるというのはまさに時代の流れを目の当たりにする思いではある。

・素朴な疑問。「非実在青少年」を「みだりに性的対象として肯定的に描写する」ことでしか表現できないものって何だろう? また「みだり」でなければOKか?

・この改正案が通れば、これまで青少年の目にふれないようにされていた、あるいはそうあるべくされていた不健全図書が、今度は大人も読めなくなるということになる。そもそもそういうものが描けなくなるのだから。だから「青少年の健全な育成に関する条例」とはいうものの、青少年がそういうものを読めないのは従来どおりで変更はないのであって、今回反対の声を挙げているのは主として大人なのだろうと思う。

・「表現の自由」が云々されているが、表現者の絶対数なんてそんなに多いはずがない。実際には「読む自由」を奪われる受け手側が大騒ぎをしているような気がする。

・「表現の自由」とはなにか。「自由」とは野放図にやりたい放題できる権利ではない。そこには責任が伴う。もしもそこに犯罪等の悪影響が見られた場合、その自由は剥奪されても止む無し、と私は思う。しかしさてそこからが難しい。直接的に悪影響があったか無かったかの判断が誰にもできないからである。誰にも納得できるような数値として表されるようなものでもない。潜在意識のことまで考えれば、きっと本人にもわかるまい。

・↑上の件について。証明することは無理だが、私個人の意見としては、影響はあると思っている。反対派は「短絡的に結びつけるな」と言うが、逆に「無い」と証明できるならやってみてほしい。何かを読んだり見たりすることが本人に何の影響も及ぼさないとすれば、学校での勉強や読書等もまた本人にはまったく影響を及ぼさないはずではないか。良い影響を及ぼすと思われるものだけは認めて、悪い影響を及ぼすと思われるものについてはその可能性に懐疑的、というのは納得がいかない。

・自分の性向や嗜好等については、(私の経験から言うのだが)何らかの本を読んでそう気づくことが多かったように思う。他人の書いた文章や絵が自分を後押ししたり確信を生じさせることは多いはずだ。つまり、外部からの情報があって初めて自分のことがわかるのだ。

・世の中が総じてエロチックになっているんだよ。手塚治虫が1949年に『拳銃天使』で描いたキスシーンが物議を醸してから60年、エロチシズムをどこまで許容すべきかというのは、いつの時代にも問題とされてきたのだなぁ。

・こういう話題でいつも思い出すのは、ドイツのロックバンド・スコーピオンズの『ヴァージン・キラー』(1976)のレコードジャケットだ。少女の裸体写真を用いたために多くの国で発禁処分となり写真が差し替えられた。しかし日本では堂々と売られており(笑)、そういう点では日本のほうがかなり特殊な国だという認識は持っていたほうがよいように思う。

・「表現の自由」は、しかし、基本的には守られねばならないものだと思う。多くの漫画家たちが反対を表明しているのも当然である。要は、表現されたものに対する受け手側の質や品格の問題なのだろうと思う。規制の対象になるかもしれないようなものを自分は読んでいるのだという自覚は必要なんじゃないのかな。

……ここで時間となりました。

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『新宝島』

『新宝島』(手塚治虫著)読了。「手塚治虫文庫全集」に収められているもので、これは「手塚治虫漫画全集」に収められているものと同じ、即ち「リメイク版」である。だから、藤子不二雄や石ノ森章太郎らが1947年当時に読んで多大な影響を受けたという元々の作品とは違うらしいのだが、しかしそれでも面白かった。

かの有名な最初の見開きページ。ピート少年が波止場へ向かってスポーツカーで疾走するシーンは、噂に違わずいま見てもやはり斬新で衝撃的だった。まさに「絵が動いている」のである。このシーンに限らず、全編を通してスピーディでテンポがよい。冗長さのカケラもない。かといって勢いだけで読ませるのでもなく、その中にちょこちょことコミカルなコマが挟まれており、そのバランスも申し分ない。全体を見ても部分を見てもおもしろいという、とても贅沢で豊かな作品である。

この作品は、手塚と酒井七馬との役割分担について論争が起きたりしていたらしいが(Wikipedia 参照)、まぁそんなことは専門家に任せるとして、一読者としては面白ければそれで良い。ラストも○○と思わせておいて実は……というどんでん返しに次ぐどんでん返しで、なかなか凝っている。当時のものと絵は違っているかもしれないが、このストーリーならば大ベストセラーになったのも頷ける。傑作である。

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(備忘録100409)

読書中につき、記事はお休みします。m(_ _)m

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きょうが盛り

たぶん今年の桜の盛りはきょうだったと思う。明日からは花吹雪が見ものだろう。ということで、きょうは夫が営業に行く車に便乗してお花見をした。

Photoまずは自宅近くの普門院。松江城から北東方向に程近いところにあって、お城の鬼門を守っている寺である。手前の橋は通称「小豆とぎ橋」。小泉八雲の『怪談』に取り上げられている橋で、この橋の下には夜な夜な女の幽霊が出て小豆をとぐという。またこの橋の上で謡曲「かきつばた」を謡うと恐ろしいことが起こるとも言われているので、とても口に出して言う勇気はないが、渡るときにはどうしたって業平の「からころも きつつなれにし 妻しあれば ……」を思い出してしまう橋である。境内に桜の木は1本しかないが、塀越しに見える風情はなかなか良い。

Photo_2続いて、一気に日本海側へ。島根半島の恵曇(えとも)漁港を見下ろす高台の公園からの景色。風も止んでうららかな春の海だった。うっすら隠岐の島影も見えたが、写真には写らなかった。

『出雲国風土記』には、こうある。
「恵曇郷。郡家の東北九里四十歩なり。須佐能乎命(すさのをのみこと)の御子磐坂日子命(いはさかひこのみこと) 国巡行し坐しし時、此の処に至り坐して詔りたまひしく、『此処は国稚(わか)く美好(うるは)し。国形、畫鞆(ゑとも:画にかいた鞆)の如くなるかも。吾が宮は是処に造事らせむ』と詔りたまひき。故、恵伴(ゑとも)と云ふ。神亀三年に、字を恵曇(ゑとも)と改む。」

Photo_3神亀三年(726)からずっとここは「恵曇」という地名なのである。いや、それ以前から漢字は違えど「ゑとも」と呼ばれてきた所なのである。1300年前から地名が変わっていないというのは、なんだかとてもすごいことに思われてならないのだけれど……。

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アトムの誕生日

『アトムの命題 手塚治虫と戦後まんがの主題』(大塚英志著)を読書中につき、記事はお休み。

帯に「アトムが生まれた日 世界は戦時下にあった」とあるが、アトムが生まれた2003年4月7日にはイラク戦争が始まっていた。なるほど、象徴的だ。

「記号的表現として決して傷つかないまんがキャラクターを、手塚治虫が実際に血を流す存在として描いた時、戦後まんがは始まった……」。非常に硬くて真面目なまんが論考である。う~ん、最後まで読めるかしら。

ちなみにアトム君は昨日が小学校の入学式だったそうである。

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ドラマ ジェネラル・ルージュの凱旋

「ジェネラル・ルージュの凱旋」第1話を観た。原作についての感想はこちらに書いたが、バチスタシリーズの中ではいまのところ最高におもしろい作品のTVドラマ化である。

きょうは初回ということもあって、前シリーズ「チーム・バチスタの栄光」から引き続いて登場する田口先生と厚生労働省の役人・白鳥の紹介、そして今作の主役であるジェネラル・ルージュこと速水ICU部長のお披露目という意味合いが大きかった。キャビン・アテンダントの失神のエピソードなどは、たしか原作にはなかったはずだ。これから毎週いろんな患者を救命しつつ、速水部長の収賄や医療現場が抱える問題が描かれていくのだろう。

私は前シリーズを観ていないので、TV版の田口・白鳥コンビを初めて見たのだが、白鳥の突き抜けた感じがちょっと足りないように思った。原作ではもっと豪快に……性格が壊れている(笑)。映画版のほうが私の印象にはより近い感じがしたが、TV版は脚本が原作よりシリアスに思われるので、これくらいでよいのかもしれないけれど。

そしてこのお話ではなんといっても速水部長!なのだが、なかなか切れ者という感じでよかったのではなかろうか。お部屋にちゃんとヘリコプターの模型も置かれていたし。後半で描かれるであろう会議のシーンは絶対に見逃せない。めちゃくちゃカッコいいんだから、この人♪

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しましまが結ぶご縁

月曜日は『BJ』語り……なのですが、すみません、きょうはテーマを考える時間がなかったのでお休みします。m(_ _)m

ところで昨日来、『BJ』カテゴリの「青と白のストライプ」の記事に飛んでこられる方が多くて、何故?と思っておりました。いや、どの記事を読まれるのも冷や汗ものではありますが、選りによってこの記事とは?! だって、BJ先生がどんなパンツを穿いていらっしゃるのかという記事ですよ? 

リンク元を辿ったところ、ある方がツイッターで取り上げてくださっていました(この方もやっぱりBJ先生はしましまパンツだと思っていらっしゃったようです)。見ると、壁紙がしましまパンツのイラストです。もともとそうだったのか、私の記事のあまりのくだらなさにノッてくださったのかわかりませんが、こちらこそ感動しました。ありがとうございます♪ 今後はもっとちゃんとしたことが書けるよう精進したいと思います。m(_ _)m

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花疲れ

きょうは島根半島と雲南市木次の2ヶ所(直線距離にしてざっと40㎞ばかり離れている)でお花見をして、いささか疲れた。花見をして疲れることを「花疲れ」という。春の季語である。

花疲れ 眠れる人に 凭(もた)り眠る  <高浜虚子>

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きょう訪れた神社
 八幡宮(片句)
 津上神社(手結)
 佐太神社
 木次神社

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しだれ桜

花は盛りを月はくまなきをのみ見るものかは。
夕方、家から徒歩で15分ほどのところにある千手院へ、松江市の天然記念物に指定されているしだれ桜を見に行く。当地のソメイヨシノはまだ5分~7分咲きだが、しだれ桜は既に散り始め。そろそろライトアップされようかという時刻、時折はらはらと舞い落ちる花びらの下を歩くのはなかなか風情があった。

Photo_2樹齢200年以上だとか。

Photo_4境内から参道を見下ろす。
このお寺は幼いころからよく遊びに来ていたところ。当時はこの弘法大師の像がとても怖かった(笑)。通っていた中学からも近かったので、学校から写生に訪れたりもした。

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空海

『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(夢枕獏著)全4巻読了。

--西暦804年、密を求め遣唐使として長安に入った若き留学僧・空海は、友人の橘逸勢らとともに朝廷をも揺るがす大事件に巻き込まれる…。日本初の世界人の活躍を描く中国歴史伝奇小説。 --(「MARC」データベースより)

空海と橘逸勢がやってきた長安の都に起こる奇怪な出来事。その解決に携わっているうちに、ことの発端は50年前の楊貴妃の死にあるらしいとわかる。人々の諸々の思いの果てに、玄宗皇帝と楊貴妃が愛の日々を送ったかの華清宮に再び宴が催される。タイトルはここから取られているが、なんとも夢のようなシーンである。呪法が飛び交い、スプラッタな妖物もばんばん出てくるが、すべてが夢を終わらせるためとわかれば物悲しくもあった。……と、ネタバレしないように書こうとすると、なんのことだかわからないナ(汗)。

最後になって白楽天の『長恨歌』が出来上がるのだが、この歌の背景にこんな物語があったと思うと、胸にせまるものがある。

そういう完全なフィクションの部分がある一方で、空海という人物についてはきちんと調べてあるようで、なかなかすごい人物であったことを新たに知った。天竺で発生した密教の二つの流れである金剛界と胎蔵界は唐の僧・恵果においてまとめられたが、空海はその恵果から直接灌頂を受けているのである。そしてその空海は日本に帰ってきているのだから、密教の真髄は中国には残らず日本に伝わったということになる。これはすごい。

また、この作品には教養人・書家としての空海の胸のすくような活躍も描かれている。空海という男、もっと知りたくなってきた。

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Photo本日のニコタのわかばさん
事務にゃんと一緒に「はぐれカメット」を退治して、勝利の舞いを舞っているときの写真です。左側に黒くて大きなカメットがいたのですが、既に消滅した後です(汗)。

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アラシ

ニコッとタウンでの会話を聞いていると、いま少女たちの間では「嵐」と「AKB48」の人気がすごいようである。初対面でも「わたしは翔くんが好き」「わたしはニノのファン」というだけで意気投合している(笑)。とても微笑ましくて、私は側でぼーっと聞いたりしているのだが、中にはそんな少女たちをからかって喜ぶ輩もいるようで。

先日わが娘が教えてくれたのだが、「ジャーニーズのARASHIのどこがいいのか。ファンなんてやめたほうがいいよ」というような内容のブログがあって、大騒ぎになっているとか。どれどれ、と覗いてみたら、その記事を書いた人の家(もちろん仮想の)の前は黒山の人だかりで、件の記事には上限の100件のコメントが寄せられ、それ以上書き込む余地もない状態であった。

見たところそのブログにはその記事1件しか書かれておらず、誰かが使い捨てのアカウントでそういう「釣り」記事を書いたのだろうが、純真な乙女たちはまともに受け止めて怒り心頭に発している。「どうしてそんなことを書くんですか!」「ひどい!」「あなたがそんなことを言われたらどんな気がしますか!」…というような、いたってまっとうな意見が100件。お気の毒ながらまさに「入れ食い」状態。なかなか壮観であった。わが娘には、「これは『釣り』であるからノッてはいけない。人が大騒ぎしているのを見て喜んでいる人だから、無視するのが一番」と言っておく。

翌日見てみたら、既にそのページは存在しなくなっていた。これが、書いた本人が自ら脱退したためなのか、事務局が介入したからなのか、そのあたりの事情はわからない。100件のコメントの中には「違反申告しました」というのもあったから、事務局が事態を把握していたことは間違いないけれども。

しかし上手い書き方がしてあると感心もしたのだ。「ジャーニーズ」とは書いてあるが「ジャニーズ」とは書いてない。「ARASHI」とは書いてあるが「嵐」とは書いてないのだ。言い逃れしようと思えばできる。可愛い女の子のアバターで、少女たちが使うような言葉と書き方はしてあったが、おそらく中身はそういう姑息なことまで考えた大人であったろうと思う。「世の中、変な人がいるねぇ」と娘にも言ったのであるが。

さてここで、言論の自由はどこまで許されるのかと考えてみる。「ジャーニーズのARASHIのどこがいいのか。ファンなんてやめたほうがいいよ」という文章の、はたしてどこが問題か。実際にはもうちょっと続きがあって、ジャニーズのファンをバカにした言い方をしたものであったから、ジャニーズファンが怒るのも無理はなかったのだけれど、一般的に「○○のどこが良いのか。ファンの気が知れない」などと書いた場合、それはサイトやブログの閉鎖にまで追い込まれるほどのことであろうかと思うのである。○○にジャニーズ系の男性アイドルの名前を入れれば、世の男性諸氏の9割くらいは密かにそう思っておられるのではなかろうか(笑)。○○ご本人が見れば傷ついたり腹立たしく思ったりするかもしれないが、この程度のことであればいちいち問題にするほうが煩わしいだろう、と思う。

今回のケースは明らかに悪意のある「釣り」で、本当は誰も相手にしないのが一番本人にはコタエたのだろうが、少女たちが真っ正直に反応して大騒ぎになってしまった。また、「人の嫌がることを話すのはやめましょう」というお約束のあるヴァーチャル・コミュニティであるから、個人のブログの中でもそういうものを書いてしまえば削除されても已む無しというところであったとは思う(重ねて言うが、事務局の関与があったかどうかは知らない)。しかし、一般のサイトやブログなら……? 特定の個人に対する誹謗中傷はもちろん書くべきではない。しかし人気商売の芸能人や政治家の場合はその境界線が曖昧だ。「あの女優は好きじゃない」とか「あの政治家のああいうところが嫌いだ」なんてことを、(公に書く必要のあることか否かは別として)一切書くことができないとしたら、それは逆に言論の自由の観点から大問題なんじゃないかと思うのである。

なんだかね。昨今は、ほんの些細なことをなんでもかんでもヒステリックに騒ぎすぎると思うですよ。

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きょうから新年度

BJ先生なんて本当はたいして好きじゃありません。

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