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存在証明なう

早大生がツイッターでカンニングを告白して騒動になっているらしい。全方向どこから見てもアホな出来事だが、こんなことまでつぶやいてしまうという事態に、なんだか世も末だという思いを抱いた。

ブログもそうだが、ほとんど自分以外の人間には意味のない情報を公に開示するというのは、物理的には時間とサーバ容量と電力の無駄遣いであり、また情緒的には非常にはしたない行為であると思う。いまこうして駄文を連ねている自分を恥じる気持ちは、ブログを始めて何年たっても消えることがない。自分が何故ネット上にブログを書くのかということについてはこれまでも何度か考えてきたけれど、誰かに見てほしいという気持ちが根底にあることは否めない。それが無ければ、ひっそりと秘密の日記帳に書いていればよいのだから。この、誰かに見てほしいという気持ちが、私には何やらはしたないように思われるのである。

誰かが見てくれる、自分の存在を知ってくれる、ときにはどなたかがコメントをくださることもある……それを無意識にでも期待することは、いわゆる「かまって」ちゃんであるということだ。それが恥ずかしい。

しかしながら、人は、自分以外の人間から認識されないと、自分の精神的な居場所を確保できないものであるらしい。以前に読んだ本にこんな話があった。時効間近の指名手配犯がたまたま刑事に見つかった。「○○」と本名で呼びかけられて思わず振り向いたのだそうだ。そのとき犯人はなんとも言えずほっとしたような顔をしたという。それまで何年もの間、偽名を使い続けて、彼は自分が何者であるかを見失っていたのだ。それを本名で呼ばれて、自分を確認できたからこそ、精神的な安らぎを覚えたのに違いない。おとなしく縛に付いたという。

人は、自分以外の人間に「かまって」もらわなくてはダメなのだ。しかしそこには程度というものがある。自分の人格やら自我やらが崩壊するほどに「かまわれない」状況は避けるべきだろうが、自分を世界の中心に置いて、何でもかんでも「かまって」と人に呼びかけるのはどうかと思うのだ。

上の早大生には、もはやはしたないことをしているという恥じらいが感じられない。カンニングという行為などよりも、その鈍感さが恐ろしいのだよ……。

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