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バイブル

いやいや今日は忙しかった。舅殿がいちおう退院の予定だったのが、今朝になって寝違えて首が回らなくなり、もう少し置いてもらうことに。しかし先々のことを考えると転院を考えたほうがよい時期だということで、別の病院に相談に行くも、いっぱいで断られる。結局いまの病院で今後も診てもらうという方向になったのだが、途中で「首だけでなく膝も痛い(←何故だ?笑)」という連絡が来たりして、都合3回病院へ通った。別病院へ行った1回もあわせれば4回だ。いやはや疲れた。

病人やその家族というのは、病院へ行けば病気を治してもらえると思う。そう期待する。それがいろんなことで治りそうもないような場合に、さてどうするか。私の実家の父は3年前に他界したが、そのときには別の病院を探したりすることもなく、言ってみればドクターにお任せだった。いざというときに人工呼吸器をつけますかと問われたときに、つけないでくださいと答えたのが最大の決断の瞬間だったと思う。今回は夫が頑張っていろいろ探して手配したりした。いま舅殿が掛かっている病院は設備は最高というわけではないがドクターが信頼できる。

ブラック・ジャック先生を頼ってくる患者たちも、いろんな病院やドクターにさじを投げられた人たちが多い。そりゃそうだ。どこの医者にでも治せる病気なら、わざわざ高いオペ代を払ってBJ先生に頼む必要はない。腕は超一流だから治してもらえる。だが治ればオペ代を払うために首が回らなくなる。どっちを選ぶかは患者およびその家族たち次第だ。

BJ先生というのは、ブラックボックスなのだろうと思う。BJというブラックボックスを通せば、患者は病気が治って出てくる。そういう役割の装置として機能している。BJが狂言回しだと言われるのはまさにそこのところで、『BJ』という作品の本当の主人公というのは、それぞれのエピソードに出てくる患者や家族たちなのだろう。病気や怪我といったいろんな局面で、どんなふうに考えどんなふうに対処していくのか。BJ先生の活躍もさることながら、手塚治虫が本当に描きたかったのはそういう部分なのではないかと思う。

BJという高価なブラックボックスがある。それを使うのか使わないのか。それは言ってみれば生きるか死ぬかの選択だ。そこには、生きようとする何かがあるのか、あるいは無いのか。透徹した目で人生を見通さなくてはならない瞬間が、患者やその家族には必ず訪れる。逆に言えば、なんとかして生きようと思うとき、BJというブラックボックスが存在するというのは大きな希望だ。マンガの登場人物たちは恵まれている。しかし現実にはそんな強力なブラックボックスは、ない。小さな判断を積み重ねつつ、患者や家族の人生を良いと思う方向へ作り上げていくしかない。

私の父のときには「B・Jそっくり」が私に大きな影響を与えたと思う。今後、母や舅さんや姑さんのときには、どのエピソードが思い浮かぶだろう。と、そんなことを考えるにつけ、『BJ』はやっぱり私の人生のバイブルだなぁという感を強くするのである。

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