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2012年1月

晴明神社には町内平和のご利益はないのか

先日来ニュースになっているのが「「陰陽師グッズは神を冒涜」 京都・晴明神社と土産物店が対立」というもの。今朝のワイドショーでも宮司さんと店主さんが双方の主張をしているのを観たが、番組では2人の弁護士の間でも異なる見解が示されているのが面白かった。

晴明神社へは、20年ほど前に仕事で京都へ出張したついでに詣でたことがある。まだ陰陽師のブームが起こる前のことで、境内は閑散としたものだった。赤い五芒星が描かれた絵馬を買い、そのまま持って帰っていまでも実家の神棚にあるはずだ。私がそこを訪れたのは岩崎陽子の『王都妖奇譚』(後にドラマ化もされた)を読んだのが切っ掛けだったのだが、そのマンガに描かれていたのはそれはもう目も眩むほど美形な安倍晴明であった。件の土産物店で売られている三頭身ほどの晴明くんグッズは「神を著しく冒涜する」らしいが、だったら八頭身の美形ならOKなんだろうか(笑)。その他多くのマンガや小説で(時にはBLとして)扱われているのもOK?

いやいや、神社側が言いたいのは、ただのキャラクターグッズをさも開運や厄除けのご利益があるかのように売っているのがいけないということなのだろう。神社でちゃんと御祈祷したものとは全然違うシロモノですよと言いたいのではないかと思う。しかし、それくらいのことはたいていの人はわかっているだろう。というか、大して問題にも思っていないだろう。単にここまで訪ねて来た記念として、何かお土産を買うならばやっぱり安倍晴明にちょっとだけでも関連したグッズが欲しいと思って買っていくのではなかろうか。職場の仲間にお土産をというときに、まさか人数分のお守りを買うわけにもいくまい。そんなとき、晴明くんグッズは重宝なのではないかな。

晴明神社は安倍晴明の屋敷があった場所にある。近くには、彼が式神を隠しておいたといわれる一条戻橋もある。晴明神社は確かに安倍晴明を神格化して祀っている神社だが、神になる前には安倍晴明という一人の「人間」がこの辺りに住んでいたわけで、その人物を取り上げることは何も神社の専売特許というわけではあるまい。地元の人々がそれぞれの立場で、地元の偉人をクローズアップするやり方はいろいろあって良いのではないかと考える。

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月読神社を発見

昨日のこと。先日、日御碕で40㎝の真鯛が釣れたのに気を良くした夫が再度行くと言うのでついて行く。時々雪がちらつくがほとんど積雪はない。先日とは岬ひとつ隔てた宇龍という所で試みるも(私は車の中で読書)、強風で竿が振れなかったとかで、15分ほどでギブアップ。

Photoさらに風裏を求めて大社日御碕線を車で南下していたとき、ちらりと視界に入った道端の小さな標識。あれ? ……ストップストップ、バックバック! 先を急いでブーブー言う夫をなだめすかして数十メートルバックすると……。そこには「月読神社」の文字が!

おお~♪ ツクヨミ~♪ 

『古事記』によれば、黄泉の国から戻ったイザナギが禊ぎをしたときに生まれた「三貴神」のひとりである(イザナギの左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオが生まれている)。イザナギから夜の世界を治めよと命令されているが、その後とんと出番のない神様だ。『日本書紀』ではある失敗をしてアマテラスから嫌われたりもしている、なんとなく可哀想な神様という印象がある。

また先日の日御碕神社の記事にも書いたように、アマテラスは昼の世界のみならず夜の世界も治めると自ら宣言したりしており、ツクヨミはますます肩身の狭い思いをしたのではないかと思う。日御碕神社にも、アマテラスとスサノオの姉弟は祀られているのに、真ん中のツクヨミだけはいない。気の毒だなと思っていた矢先、日御碕神社から目と鼻の先に、一人別個に祀られていたとは!

是非とも参拝したかったが、山道を400m行かねばならないようなので、今回は諦めた。車の中で早速『出雲国風土記』を調べてみたが、月読神社というのは記載されていない。いつ頃どういう経緯でできた神社なのか、いつか必ず行ってみようと思う。

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『YBJ』第5話

新章突入の第5話は「脱走兵(前編)」。ベトナム戦争を拒否して脱走した米兵2人(スミスとマーロン)をスウェーデンに逃がそうとする「ベ由連」のメンバー・青山と田村。ところがスミスが頭痛を訴え、そのうちに右足の感覚もなくなってしまう。病院へ連れて行けば逮捕されるのは確実。何故か本部との連絡もつかず、困った田村は高校時代に2年先輩だった間黒男を訪ねる……。

「ベ由連(ベトナムに自由を市民連合)」が「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」をもじったものであることは言うまでもない。そこまでは判るが、当時ニュースなどでしょっちゅう耳にしていた「べへーれん」なるものがどんな活動をしていたのかということなど、子どもだった私が知る由もなく、このたびネットで調べてみて初めて「そうだったのか」と判った。こういう機会でもなければ永遠にその名を思い出すことすらなかったかもしれないことを思うと、時代背景をきちんと描いてくれたこの作品に感謝したい気分である。

1968年の時点で田村は浪人生。黒男さんは医学部のたしか6回生のはず。2年の学年差があるということは、田村君は既に4浪している計算になる。ろくに勉強しなかったので三流大学にも入れなかったとは本人の述懐。「うちの高校で医大目指してるのって僕らくらいだったでしょ~!」と懐かしそうだが、黒男さんのほうは「忘れた…」とタバコの煙を吐き出してニベもない。そうかそうか。高校3年生の黒男さんが医学部志望ということは、1年生の田村が知っているくらいに学校中で有名なことだったんだネ、と黒男さんファンとしては何故だか頬が弛むのであった(笑)。

その他、学生時代は10頭身の黒男さんとか、学ランのボタンを外して着ている高校時代の黒男さんとか、高校の教室で猫のオペをしているところを見ると、その頃からメスやハサミを持ち歩いていたらしい黒男さんとか、田村がおちゃらけて言う「どうもすいません」という林家三平のギャグなどが見どころである。

次号の見どころは、黒男さんがいくらのオペ代を誰にふっかけるかということと、田村君が黒男さんから何を学ぶかということ。期待して待つことにしよう。

さて、「ヤンチャン」を買うときに必ず起こる何らかのトラブル。今回はそんなことがないようにと、いつものコンビニを避けて遠くの書店まで買いに行った。立ち読みしている男性客の隙間から見えた「ヤンチャン」の表紙。さりげなくサッと取ってレジへまっしぐら。へへへ、上手くいったと思いながら、レジ台に置いた雑誌をふと見て感じた違和感……。「ヤングチャンピオン」じゃなくて「ヤングチャンピオン烈」だ~~! ←ここで汗が噴き出る。「すみません、間違えました!」と慌てて回収し、再び雑誌コーナーへ。今度こそ間違いなく「ヤンチャン」を持ってレジへ戻ると「ヤングチャンピオンで間違いないですか(にっこり)」……って、普通そこまで言うか~~?!orz も、ヤだ、ヤンチャン……。

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日御碕神社

先日のつづき。

Photo_3日御碕灯台から海岸沿いに遊歩道(?)があり、400~500m南下すると日御碕神社に至る。途中、ウミネコの繁殖地として知られる経島(ふみしま)など眺めながらテクテク歩く。

Photo朱と緑と白のコントラストが目にも鮮やかな社殿が日御碕神社である。こんなに派手な神社はこの辺りでは例がない。権現造りであることといい、出雲地方にある他の神社とは何かしら一線を画す存在であるように思われる。「日沈宮(ひしずみのみや)」にアマテラス、石段を登ったところにある「神の宮(かむのみや)」にスサノオが祀られている。

Photo_2神の宮には「日本総本宮 神の宮 御祭神 神素盞嗚尊」という立て札があり、ここがスサノオを祀る神社の総本宮であることがわかる。それを「日本」総本宮と称するのは気宇壮大というべきか。因みにコトシロヌシを祀る美保神社に行くと「ゑびす様の総本宮」という看板があったりする。「○○総本宮」という場合、○○には神様の名前が入りそうに思うのだが「日本総本宮」とは……?

まあそれはさておき、社務所でいただいた「日御碕神社御由緒略記」を読むと、二つの宮の由緒は以下のとおりである。時代が前後していて分かりづらい記述だったので、時系列にまとめて西暦も付記してみた。

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●日沈宮

・神代~、日沈宮は清江の浜の経島にあった。
 スサノオの御子神・天葺根命(アメノフキネノミコト)が清江の浜にお出かけになられた時、島の百枝の松に瑞光が輝き、「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮りて天下の人民を恵まん。汝速やかに吾を祀れ」との天照大御神の御神託を聞き、ただちに島上に大御神をお祀りした。

・安寧天皇13年(紀元前536)
 勅命による祭祀あり。

・開化天皇2年(紀元前157)
 勅命により島上に神殿が造営された。←「出雲国風土記」に見える百枝槐社。

・天平七年乙亥の勅(735)
 「日の出る所伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り日の本の昼を守り、出雲国日御碕清江の浜に日沈宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らん」という日の大神の御霊験が仰がれた。

・村上天皇の天暦2年(948)、現社地に遷座。

●神の宮

神代以来現社地背後の「隠ヶ丘(かくれがおか)」に鎮座せられていたが、安寧天皇13年(紀元前536)勅命により現社地に遷座。←「出雲国風土記」に見える美佐伎社。

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第3代安寧天皇だの第9代開化天皇だのと、いわゆる欠史八代の間の記述はとても信用できないだろうが、それでもどうやら非常に古い歴史を持つ神社だということはわかる。また『古事記』においては、アマテラスが昼を、ツクヨミが夜を司るとされていたのに、ここではアマテラスが昼も夜も司るということで、アマテラスの権威が拡大しているように読めるのが興味深い。

ところで、社殿を見ていて気付いたのだが、日沈宮が男千木、神の宮が女千木になっている。これは逆ではないのか。社務所におられた禰宜さんに理由を問うてみると「多くの人がお尋ねになりますが、はっきりしたことはわかりません」とのことだった。しかしこのとき耳よりな情報を得た。「神の宮のご神座は西を向いています」と。なんと! それは、出雲大社と同じではないか! スサノオもオオクニヌシも、社殿の向きとは関係なく西向きに鎮座ましましているとは! 出雲の神社にしては派手な外観の権現造りであることとも相俟って、そこには何か深い理由があるように思われる……のだが、私ごときにわかるはずはない。orz

また、ネットを渉猟していて、夏至の日には伊勢神宮の鳥居の間から太陽が登り、出雲大社の鳥居に太陽が沈んでいくということや、その出雲大社から見た夏至の日の日没線上に日御碕神社と経島があるということなどを知った。単なる偶然なのか、意図的にそういう配置をしたのか。これまたなんとワクワクするような謎ではないか!

折から今年は「古事記」編纂から1300年ということで、「神々の国しまね」が盛んにアピールされている。私も出来る限りいろんな神社や伝説の残る地を訪れて、多くの謎に触れてみたいと思っている。

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日御碕灯台

首都圏は記録的な乾燥状態が続いているらしいが、こちら日本海側はさっぱり晴天の日がない。昨日はやっと今年初めて、一日を通して空から何も水分が降ってこない日となった。折り良く休みだった夫が釣りに行くというので、便乗して日御碕へ行った。

Photo出雲大社を過ぎて稲佐の浜へ出たところでちょうど昼時になったので、海を見ながらお弁当を広げる。ここ出雲地方では旧暦10月を「神在月」と呼ぶ。全国の神様が出雲大社で開かれる会議に出席するために当地へいらっしゃるからだが、その神様たちは皆この浜へ上陸される。それをお出迎えする神事が神迎祭(旧暦10月10日)である。また、この浜は、アマテラスの命を受けたタケミカヅチがオオクニヌシに国譲りを迫った場所でもある。国譲りに賛成しなかったタケミナカタ(オオクニヌシの息子)がタケミカヅチと力比べをしたのもここだと伝えられている。←因みに、これが相撲の起源ともいう。

お腹がいっぱいになったところで、日御碕へ向かう。日御碕灯台の駐車場に車を置き、夫はいそいそと岩場へ降りていく。私は一人で灯台に登ってみた。

Photo_2高さ43.65m。東洋一の高さを誇る。入り口で200円の見学料を払い、狭い螺旋階段(10段ごとに段数が記してある)をひたすら登る。全163段ある階段の最上部の18段は、はっきり言って梯子である。怖い怖い(笑)。頂上に着いて大きなレンズをすぐ頭上に見てから、展望回廊に出る。誰もいない。高所恐怖症の私は手すりを触ることもできず、背後の白壁にびったり背中を付けたまま、蟹のように横這いしてなんとか一周してみた。日本海がどーん、潮風がびゅー。怖い……。岩場の突端に夫の姿を発見したのでケータイをかけ、手など振ってみる(笑)。

さて降りるかと螺旋階段を下っていると、おじさんが一人登ってきた。「お疲れさまです」と声を掛けると「ひとり?」と。「そうです」と答えたら、「偉いね~、握手!」と言われて、何が偉いのかわからないけれども握手する。「上、誰もいませんよ」と言ったら「じゃ、上でデートしない?」。「あら残念。もう降りるところ」と丁重にお断り(笑)。更に降りると、おじさんの奥さんと思われる女性がフーフー言いながら登ってきた。ちょうど80段のところだ。「お疲れさまです。全部で163段ですよ」と言ったら、気絶しそうな顔をされた(笑)

Photo_3何十年ぶりかのナンパの思い出とともに灯台を後にして、今度は日御碕神社へ行ってみることにした。……とりあえず、きょうはここまで。続きは後日。

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翻訳の問題か 概念の問題か

年末年始に撮り溜めた録画を少しずつ消化中。きょうは「たけしの教科書に載らない日本人の謎」を観た。どうして日本人は日本語を話しているのだろう?というテーマだ。まだ「文字」というものすら無かった頃の日本から歴史的に解き明かしてあり、なかなか面白かった。

突き詰めれば日本語の歴史というのは、従来の日本語(やまとことば、というべきか)をどのように表現して書き記すか、あるいは、外来の言葉をどのようにして取り入れるかという翻訳の歴史であるようだ。先人達の知恵と労力はまったくすごいものだと思った。

閑話休題。先日の『平清盛』第1回で、「天皇家」を「王家」と呼んでいたことが物議を醸している。曰く、日本史で「王家」とは教わらなかった。曰く、なんだか違和感がある。曰く、天皇家の権威を認めずに「王家」と蔑んで呼ぶのは中国、韓国のみである、等々。

たまたま先日『世界の〔宗教と戦争〕講座』(井沢元彦著)を読んだのだが、それにはこうある。
--……それまでの中国大陸はいろんな国に分かれていたのです。そして全部勝手に国王を名乗っていたわけです。それを秦が統一し、いままでにない巨大な政権ができた。その結果、新しい称号がいるようになり、「皇帝」という称号をつくったのです。
「王」という称号の本来の意味は、中国皇帝の下に従っている国の代表者、ということです。日本では、中国の下につきたくないということで、「天皇」という言い方をしたと考えられています。中国の下につくなら、「日本国王」という言い方をしなければならない。室町時代に足利義満という人が中国の皇帝に使いを送って、「日本国王」にしてもらいました。皇帝の家来ということです。つまりそれは、「天皇」に対抗しようと思ってそうしたわけです。しかし通常は、日本は離れ小島だから、相当無礼な称号を名乗っても、中国は攻めてこられないだろうと考え、皇帝に対抗する名前で、「天皇」という称号をつけたわけです。--

この井沢氏の説によれば、「天皇家」を「王家」と呼ぶのは間違いだということになる。一方で、きょうになって堀田純司氏の「大河ドラマ『平清盛』における『王家』をめぐって」という記事がネット上にアップされたが、それによれば「(王家は)中世を扱う歴史学ではごく普通に、自明のものとして使われている用語です」とあり、「天皇家」を「王家」と呼んで間違いないということになる。さあ、どっちが正しいのだかわからない(笑)。

わからないのだが、きっとどちらも正しいのだろうと思う。私は詳しくないけれども、歴史学においてはその国の最高権力者を「王」と呼ぶということではないかと思う。中国においては、王は「皇帝」と称され、その下の諸侯が「王」。日本においては、王は「天皇」と称される、ということなのではないかな。

ところで、Wikipediaによると、「天皇という称号が生じる以前、倭国(「日本」に定まる以前の国名)では天皇に当たる地位を、国内では大王「おおきみ」(治天下大王)あるいは天王と呼び、対外的には「倭王」「倭国王」「大倭王」等と称された」とある。この大王「おおきみ」という呼称だって、たけしの番組を観た後ならどれだけの知恵と工夫でこういう漢字が当てられたのか、その苦労がしのばれようというものだ。このとき、「王」は「皇帝」より下位だというような意識がはたしてあったのだろうか? 当時の人が意図したことは、たぶん、この国で一番偉い人なんだよ~という、ただそれだけのことではなかったかと想像する。「治天下大王」「天王」なんていう呼称は、中国なんかまったく意識せずに独自の世界観でつけたとしか思えない(笑)。

そして現代においては「天皇」は“Emperor”と英訳される。現在世界でただ一人の“Emperor”である。もしも古代の大王「おおきみ」という呼称を現代でもそのまま使っていたとしたら“King”と訳されていたのかもしれない。各国で違う統治形態における地位をどのように翻訳すればよいのか、これは難しい問題だろうなと思った次第。

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『YBJ』連載4回目

「悪党のために魂は売らない。だが俺はレイモンドさんの家族を…娘を助けるために、悪魔に魂を売る」

……という、えらいカッコいい台詞を吐いて、黒男さんはレイモンドの○を○○したのでした~。

前回注目したトリックは、まあそのアレでした。正直、これで上手くいくはずないじゃないか~!とか、詰めが甘いんじゃないの?とか思ったりはしました(笑)。しかし、荒唐無稽なことを描こうとすれば描けたはずなのにそうしなかったという点で、逆に好感が持てた結末でもありました。思っていたより、これは骨太で真摯な作品ですね。

藪先生がいいです。経歴は元軍医ということで、戦場でのエピソードはドクター・キリコを彷彿とさせます。キリコとは印象はまったく違いますが、藪先生はもう1人のドクター・キリコの姿なのかもしれません。

とりあえず、感想はここまで。ネタバレせずに感想を書くのは難しいです(笑)。

ところで、ヤンチャン購入時に必ず起こるトラブル……。今回は、オマケのクリアファイルが入っていませんでした~(笑)。いや、それはいいんですけどね、前号で3つも入ってたし。しかし、いくら他に客がいなかったからといって、私がヤンチャン1冊買うのにそれまで店内の商品管理をしていた店員さん2人ともレジに帰ってくることはありませんぜ。手持ち無沙汰な1人が、ヤンチャンの表紙と私の顔を交互に見るのもやめていただきたい。私が帰った後の楽しい話題ができてよかったじゃないか、ねぇ。orz

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『平清盛』と『TARKUS』と

NHK大河ドラマ『平清盛』の初回を観た。つらつら思い出すに『義経』以来久しぶりに観る大河である。

非常に泥臭くて血なまぐさい作りで、その昔に観た仲代達矢の『新・平家物語』と比べるとリアルさが格段に違う気がした。キャスティングもなかなか良かったと思う。特に、白河法皇の伊東四朗が良い。この人の悪役は絶品だな。これくらい憎たらしいと、ドラマも盛り上がることだろう。和久井映見の演技もgood! 頼朝役の岡田将生が「語り」とは驚いたが、これはつまり、頼朝が源平の戦いを回顧する体のドラマだということになるのだろうか。岡田くん、相変わらず綺麗な顔だが、ヒゲなんか生やしていると30代くらいには見えた(笑)。朧月役の隆大介の迫真の演技もマル♪

さて、今回の大河を観た第一の理由は、音楽が聞きたかったということ。ELPのファンとしては聞き逃すわけにはいくまいよ(笑)。番宣でも流れていたELPの「タルカス」はどのくらい使われているのだろうというのが気になって気になって(爆)。OPにキース・エマーソンとグレッグ・レイクの名が出たときには思わず「おお♪」と感激したが、劇中には結局用いられず、次回予告のところで「アクアタルカス」が流れていた。これから毎週聴けるのだろう。というか、プログレファンなら、これを聴くために1年間見続けそうな気がする(笑)。

しかしそれにしても、1971年の発表から41年目にして大河ドラマのテーマ曲に使われるとは感無量だ! 関心のある方も多いようで、年末からこっち「タルカス」というキーワードでこの記事に来られる方も多かった。嬉しいことである。キース・エマーソンの日本語公式ブログにはまだ何の記述もないが、是非キースの感想も聞きたいところだ。

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お年玉♪

手塚公式ページのトップが様変わりしていますね♪
いつ更新されたのでしょう。いままで気がつきませんでした(汗)。
黒男さん大プッシュですよ。これはアニメ版の先生ですね。
公式からお年玉をいただいた気分です♪

なになに? ドクター・キリコがBJを語るですとな?
ふ~ん、へぇ~、ほぉ~。
えらくべらんめい調なキリコですね(笑)。
ぷぷぷ。^m^
最後の文句間違えてるな。
そこは「大嫌い」じゃなくて「大好き」でしょう。
文面、そういう流れです(腐腐腐)。

その他、キリコの解説が楽しそうなので、これからゆっくり読みます♪ 
きゃ、めぐみさんだ~♪

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寒中お見舞い申し上げます

Photo2012年が明けました。
元日には夫の実家で新年会、2日は寝正月、3日は夫の釣行に付き合うも天気が悪く釣りはできずただのドライブ、という三が日を過ごしました。例年なら初詣でのハシゴをするところですが、喪中でもあり、また天気が悪すぎて外に出る気になれません。本日も午前中から雪となり、うっすら積もっています。

さて、新年から朝日新聞の「天声人語」を書き写すことにしました。「社説」を読まない日はあっても「天声人語」はたいてい毎日読みます。ここ近年の文章は私的にとても好きで、また名文が多いように思います。「天声人語書き写しノート」がよく売れているというのも、私と同じような感想を持つ人がきっと多いからではないでしょうか。

Photo_2件のノートを買おうかとも思いましたが、結局買い置きしていたノートに書き始めました。縦書きにぎっちり書いて、1ページに2日分書けるので、1冊で120日分です。4月の終わりにはこのノート1冊が終わっているといいなぁと、他人事のように思っています(笑)。

私が子どもの頃、母がやはり「天声人語」を書き写していたのを思い出します。母がちょうどいまの私くらいの年齢だったと思います。私が学校で使っていたノートの余りとか、新聞チラシの裏などを利用して、鉛筆でびっしりと書いていました。後で読み返すことが目的ではなく、折々の社会状況に対する考え方を学んだり、新しい言葉を知ったり、また知っていたはずの漢字を忘れないようにしたりするという意味合いが大きかったのではないかと思います。また毎日それだけの時間や気持ちの余裕が持てた時期だったという理由もあったことでしょう。何年か続けていた書写は、やがて母の両親の介護が必要になったのを期に終わりを告げたのでした。

いま、とりあえず3日分は書きました。1日サボれば翌日は2倍の仕事量になると覚悟を決めて、いつまでも書き続けられればいいなと思っています。それがきっと平穏で平凡な暮らしのバロメーターになると信じて。

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