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いじめ事件に思う

大津の中2いじめ自殺事件がますますオオゴトになり、とうとう警察が介入する事態となった。9ヶ月前に起こったことが何を切っ掛けにこれほどマスコミで再び取り上げられることになったのか、その辺のことを実は私はよく知らない。気がついたらオオゴトになっていた。

滋賀県内で中学教師をしている知人がいることもあって、まずは当該中学と担任の名前を検索した。すぐに出てきた。とりあえず私の知人ではなかったことに安堵し、またこれだけ簡単に情報が得られることに驚きもした。学校や教育委員会が必死になって隠そうとしていたことも、この情報化社会では無駄な試みだったようだ。すぐにどこからか情報が漏れるという環境は諸刃の剣であって、使い方を誤まるととんでもないことになると思うけれども、とりあえずその問題は置いておく。

いまは、事件そのものの加害者よりも、学校ならびに教育関係者が槍玉に挙がっている。つまり、いじめを見て見ぬ振りをし、訴えがあっても握りつぶし、事件後のアンケートでも一番大事なところだけを「見落とした」などと主張していることが非難されている。それで自分達には責任はないよと言いたいらしいのだが、こういう責任感の欠片もない恥知らずなことを言って憚らぬ輩はいずれ司法の場で裁かれるがよろしかろうと私は思う。

昨日になって、自殺の原因としていじめがあったようだと方向修正がなされたが、まだその他に大きな原因があるかのような口ぶりである。記者団には「ならば彼が自殺した一番大きな理由は何だと考えているのですか?」と問い詰めて欲しかった。

人がひとり死んでいるということに対して、悼みと哀れみと悲しみと後悔の感情はないものか。昨夜学校が開いた保護者会においても、学校側の人間誰ひとりとして亡くなった生徒に黙祷を捧げようとは考えつきもしなかったらしい。保護者から指摘されて初めて気付く様がなんとも恥ずかしく無様でナサケナイ。

……と、あまりに腹立たしいので文句の垂れ流しになってしまったが、教育関係者には率直かつ謙虚に事態を受け止めて、今後は真摯な対応をしていただきたいと切に願うばかりだ。だが、一番大きな問題は他にある。何故いじめがなくならないかということだ。

テレビのワイドショーなどでは、いじめはそこに在るものとして、そこから出発している。私はそこが解せない。だって、私が子どもの頃、こんないじめは無かったのだよ。小さな諍いなどはあっても、小中学生がそれを苦にして自殺したいと考えそれを実行に移すほどのいじめなんか、見たことも聞いたこともなかったのだよ。これは私の物覚えが悪いからではない。昔からの友だちに聞いても同じことを言うし、7歳年上の夫もまたそう言う。昔はこんないじめは無かったのだ(ここ大事)。

昔と今では、どこが違うのだろう。何がどう変わって、ここまでいじめをエスカレートさせる子どもが出てきたのだろう。以前に、自分より弱い者を意図的に作り出すことによって相対的に自分が優位に立とうとしているのではないかと考えたことがあった。生徒を無理に横並び一列の型に押し込んで順位をつけないといったような、学校の姿勢に問題があるのではないかと考えたのだ。当たっていないとは今でも思っていないが、学校だけに問題があるわけでもなさそうである。

誤解を恐れずに極論すれば、核家族化とゲーム並びにケータイが悪い。と私は思う。夫婦共働きで、学校から帰っても家には誰もいない。ならばと友だちと遊ぶことにしても、たいていはゲーム遊びで、取り立てて会話もなかろう。塾に行くことも多いと思われるが、そこにいるのは友達というよりライバルだ。たとえ学校で何か思うことがあったとしても、それを誰かに話す機会や時間は果たしてあるのか。

昔なら、両親が留守でもおじいちゃんおばあちゃんが居た。無条件で自分を可愛がってくれる存在だから、少々学校で嫌なことがあったりしても、甘えて話をしているうちに何となく気が晴れた。ちまちまといろんな物を手作りしたりしているおばあちゃんや、たいして何を言うでもないがどっしりと落ち着いたおじいちゃんが神棚を拝む姿を見るだけで安心できた。私がおじいちゃんおばあちゃんから学んだことはとても多い。

友だちと遊ぶときは、並んでゲームの画面を見るだけなんてことはあろうはずもなく、屋外を駆けずり回るにしても部屋で一緒にマンガを読むにしても、とにかくキャアキャアといろんなことを話していた。年頃になって淡い初恋なんぞあった日には、親には恥ずかしくて言えないことでもあらいざらい喋り合った。

家では父親は一番偉い人だった。仕事の帰りが遅くて夕飯を一緒に食べられないとき、母はいつも父の座る場所にまず陰膳をよそい、それから我々のごはんをよそった。父親に対する尊敬の念はそういう母親の行動から自然に身に備わったと思う。叱られるべきときには父親からきちんと叱られたし(笑)、あまりに言うことを聞かないので納屋に閉じ込められたときには、大泣きしていたら母がこっそり戸を開けてくれたこともあった。

何をやっても誉めてくれる甘々なおじいちゃんおばあちゃんと、何でも話せる友と、それなりに厳しい両親が、昔は居たのだ。翻っていまは、人はどういうふうに生きていけばよいのか、何か問題を解決するためにはどういう方法があるのか、それを実際に何気なく教え見せてくれる生身の人間、人生経験の先達が、子どもの周囲にいないのではないのかと思う。

いまの子供達は、昔よりも明らかにイライラしている。ように見える。自分の存在をもっと認めて欲しいのに、それが叶わなくてストレスを溜めているように見える。楽になる考え方ややり方もあるだろうに、それを示してくれる大人がいない。話を聞いてくれる相手がいれば、それだけで随分違うだろうに、と思う。

私には子どもがいないし、教育について見識があるわけでもない。いじめなど実際に見たこともない人間が書くことであるから、まるで的外れな内容になっているかもしれない。しかし、昔はなかったいじめが今はあるということは、子どもを取り巻く環境が変わったからとしか考えられないので、したためてみた。いじめられたら(あるいは、誰かがいじめられているのを知ったら)こうしなさい、ではなくて、根本的にいじめをなくす方向で皆が考えなくてはならないと思う。

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