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ダビデにパンツ

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ(Daniele da Volterra 1509年頃 - 1566年4月4日)……システィナ礼拝堂にあるミケランジェロの『最後の審判』に描かれた多くの裸体に外衣・腰巻きを描き加えたことにより、「Il Braghettone」(ズボン作り)というあだ名をつけられた画家。

日本では「ふんどし画家」と呼ばれていますが、優秀な画家だったらしいのになんとも気の毒なことです。彼の意思でやったことではなくて、当時の法王パオロ4世が「体の恥ずかしい部分を見せている」という理由で下半身を薄い布で隠すように命じたからなのにね。

Photoさてきょうは、島根県奥出雲町の三成(みなり)に先月来話題になっているダビデ像とビーナス像を見に行きました。話題というのは下記のようなものです。

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島根県奥出雲町が昨年夏に公園などに設置したダビデ像とビーナス像が、思わぬ問題を引き起こしている。
町出身者が町に寄贈した大理石製の彫刻で、町は「一流の芸術作品として教育的価値がある」と説明するが、巨大な裸像を目にした町民らは「子どもが怖がる」「教育上ふさわしくない」と町議に苦情。町議会でも取り上げられ、山あいの町で論争が続いている。

Photo_3像は、ミケランジェロのダビデ像やミロのビーナス像を模してイタリアの著名な彫刻家エンツォ・パスクイニ氏(故人)が制作。台座部分を除いた高さは約5メートル。同町出身の元建築会社社長、若槻一夫さん(広島市)が購入して、故郷への恩返しのために昨年4月、寄贈した。
町は「本物の芸術作品を鑑賞できる。ありがたい」と感謝。美術商や若槻さんの意向に沿いながら設置場所を決定。力強いダビデ像は、スポーツ選手が集まる三成運動公園に。愛と美の女神・ビーナス像は、子どもを見守るよう三成公園みなり遊園地に置いた。昨年8月には、若槻さんを招いてお披露目式も行った。

しかし、約5メートルの裸体。小中学生や家族連れらが訪れる場所であるため、住民らから町議に苦情が寄せられ始めた。「子どもが怖がる」「威圧感がある」「もう少しふさわしい場所に移設して」「(ダビデに)下着をはかせて」などの声があるという。

昨年9月町議会で町議の1人が問題を指摘。12月町議会では、別の町議が「教育上、ふさわしくない」「『見たくない』『気持ち悪い』という声がある」と訴えた。しかし、町は「本物の芸術品が二つもあり、素晴らしい」「専門家の意見を聞きながら場所を決めた。周辺の景観と合っており、移設は考えていない」と議論は平行線。

取材に対し、井上勝博町長は「幼い頃から一流の芸術作品に親しむことで、目を養うことができる。感性に訴えかけ、美術教育にも役立つ」と話す。

(2013年2月5日17時48分 読売新聞)
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Photo_2ダビデ像が見える場所に30分くらい車を停めていましたが、その間にも4台ほどの車が見物にやってきまして、人々の関心の高さを示しているようでした。しかし別段だれかが「ダビデにパンツを!」という署名運動をしているわけでもなく、問題の部分をノミで削ろうとしている人もおらず、「ああ、これだこれだ」としばらく眺めたり写真に収めたりして粛々と帰っていく人たちばかりで、30分も眺めていたのは私たちだけでした(笑)。いや、実際、私は感動していたのです。すごい迫力なのですよ! たいして好みの顔ではありませんが、その視線の先にいるであろうゴリアテをはったと睨みつけ、いままさに戦闘態勢に入ろうとする緊張感を漲らせた表情や姿態は、いくら見ても見飽きることがありませんでした。

そういう点で、上記の記事中にある苦情のうち「子どもが怖がる」「威圧感がある」というのはある意味当たっていると思います。問題は「(ダビデに)下着をはかせて」「教育上、ふさわしくない」という、そこらへんに関することでしょうね(笑)。そういう声が挙がっていることについて、「芸術に理解がない」とか「遅れている」とか言って嘲笑することは簡単だと思います。でも、私はこの問題、けっこう人間の根源的な感覚を問うていておもしろいと思うのです。

みなさんおそらくそうだろうと思いますが、男女を問わずこの像を見てまず最初に視線が行くのは股間じゃないでしょうか。芸術に理解があると自認する方々もそうなんじゃないでしょうか。いちおうそこを確認してから全体に目が行くというのが一般的な順番じゃないかと思うのですよ。何故最初にそこに目が行くのかといえば、ふだん隠されている場所だからだと思います。いつもはたいてい見えない状態になっているものがあからさまに見えていれば、それは珍しいということで、まず見ちゃう。日常いつも見えているものならわざわざ見たりはしないと思います。

ならば何故ひとは性器を隠すのか。旧約聖書には、アダムとイブが禁断の木の実を食べて自分たちが裸であることに気付き、それを恥ずかしく思って股間をイチジクの葉っぱで隠したとあります。アダムとイブは人類最初の人間たちですから、もうその時点で人間は羞恥心を持っていたということになり、そこが他の動物たちと大きく異なる点だということを示しているのだと思います。これはキリスト教での考え方ですから実際の生物学・生態学において正しいのかどうかはわかりませんが、ただ実感としては判らないでもありません。親から何を教わったわけでもない幼い頃から、なんだか股間というのは恥ずかしい、身体のほかの部分とは何かが違うというエロティックな感覚を持った覚えのある人は多いのではないでしょうか。

そういう原始的な羞恥心というものこそが人間を人間たらしめている要素のひとつなのではないかと思うのです。ならば私は、一般の人々がふつうに目にする場所に設置されたダビデ像にパンツをはかせようという意見の人々を嗤えません。「これは最高の芸術作品なのだから」と仰る向きに対しては「でも恥ずかしいじゃないか!」という一言でじゅうぶん論破できると思います(笑)。裸であることの羞恥心やそこから醸しだされるエロティシズムを一顧だにせずに、これを単に素晴らしい芸術作品だという既成の事実として評価する人たちよりは、「パンツをはかせてあげようよ」という感想を持つ人たちのほうがよっぽど人間らしくダビデを愛していらっしゃるのではないかと思ったりしました。

とはいえ、私自身はこのダビデ像にパンツをはかせようなどとは決して思っていないことをここに明記しておきます。パンツ一丁のダビデって、たぶんすごく間抜けだと思うから(笑)。

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一人の少女が、緋のマントをメロスにささげた。メロスは、まごついた。よき友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、真っ裸じゃないか。早くそのマントを着るがいい。このかわいい娘さんは、メロスの裸体を皆に見られるのが、たまらなく悔しいのだ。」
 勇者は、ひどく赤面した。
             (太宰治「走れメロス」より)

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