« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »

2013年6月

ロビー活動って賞賛されるべきものなの?

きのう、富士山が世界文化遺産に登録されることが決まった。それも三保松原を含めた内容で、まさに満額回答を得た形だ。やはり日本人としては喜ばしいことだと思うし、もっともっと世界中の人たちに富士山の美しさを知ってほしいとも思う。

ところで、きのう朝までの話では、三保松原はユネスコの諮問機関から「富士山から遠い」などの理由で除外が勧告されていた。それを覆したのには日本側の積極的なロビー活動があったとされる。世界遺産委員会では、多くの国の代表が三保松原を除外すべきではないと発言したそうだ。

……なんだかなぁ~。と、世間を斜めに見る私は思ってしまうのだ。本当に各国代表委員は三保松原の重要性をわかってそう発言したのだろうか。熱心に自分を説得した日本側の姿勢こそが決め手だったんじゃないだろうか。そんなことで決まってしまうような会議なら、諮問機関の意見なんて最初から要らない。

ロビー活動こそが外交をはじめとする交渉事の肝になるというのは、前々から言われていることだ。オリンピック競技からレスリングが外されそうになっているのも、アピールする姿勢が足りなかったからだと言われる。だが、レスリングという競技自体の重要性や歴史じゃなくて、ロビー活動の積極性が問われるというのは、なんとも薄汚くて愚かなことだと思わないか?

だから、ロビー活動という側面に限って考えると、こうなる。日本人として、レスリングが除外される(かもしれない)ことに憤るならば、三保松原が除外されることにも納得しなければならない。と、そういうことになるはずだ。そうでなければ一貫性がない。

ロビー活動というのは、なんだか時代劇の悪代官と悪徳商人三河屋の密談というイメージが私にはある。当然、三河屋の差し出す菓子折りの底には小判がぎっしり。「お主も悪よのう」「お代官さまこそ」「「ひっひっひ」」

あ~あ。世の中がこんなことで回っているかと思うと、なんだか嫌になる。三保松原から見る美しい富士山の姿は変わらないのに(私は見たことがないが)、お山に比べてちっぽけな人間たちがいったい何をアクセクしていることやら……。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

英語版『BJ』を買った

兄から連絡があり「出張で広島へ行くのだが、行きたいなら乗せていってやるぞ」と言う。以前に私が「たまには○善や紀○国屋へ行きたい」と言っていたからである。ありがたく乗せていってもらうことにする。

兄が出張の用件を済ませる間の2時間が私のフリータイム。一目散に○善へ行く。以前はアーケードの中にあったように思うが、いまは天○屋八丁堀ビルの7~8Fに移っていた。事前にネットで調べておいてよかった。

で、買ったのが英語版の『BJ』(Vertical, New York, 2008)。たいして期待もせずに探していたらあったのでビックリした。さすが○善♪ とりあえず書棚にあったVol.1~5を全部買う。(帰宅してからネットで調べたらVol.17まであるようだ。う~む……。)

1万円以上のお買い上げとなり、Tully's coffee のサービス券をもらったので、すぐに活用。アイスコーヒーを飲みながら、早速買ったばかりの英語版『BJ』を読む。

洋書だから左開きでコマも反転しているのかと思ったら、右開きでコマも反転していない。いつも見慣れた日本語版『BJ』と同じ仕様で、ただセリフや効果音などが英語になっているわけだ。日本人には読みやすいが欧米人には難しいのだろう、巻末に「右から開いてページの右上から左に読んでね」と注意書きがしてあるのが面白い。また、ピノコの口調についてだとか、如月先生の「めぐみ」と「けい」は同じ漢字であるだとか、加藤清正というのは……だとか、欧米人にはわからないだろうと思われる事柄が欄外に「NOTE」として書かれていて、丁寧に翻訳してあるナという印象である。

英会話の勉強にもなりそうで、これからワクワクと読むことにする♪ こんな感じだよ~ということで、写真2枚。手ブレが酷くてすみません(汗)。

PhotoPhoto_2 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

黒男くんの履歴書

「ヤングチャンピオン」に連載中の『ヤング・ブラック・ジャック』だが、これはもう『黒男くん受難物語』と改題したほうがいいと思う(笑)。今週号からまた新しいシリーズが始まったのだけれども、のっけから監禁されてるわ記憶喪失だわ、おまけに、かの3○円事件の犯人にされそうになってるわで、もういったい何がどうなっちゃったの?!という感じである。

興味深かったのは間黒男くんの履歴書! 1946年生まれらしい。月日がはっきり見えないのが惜しい。住所は「3丁目」というところしかわからない。ちぇ! 興味のある方は今週号を読んでみてください。中学生時代の様子もわかるし、なんだかいろいろな意味で萌え要素満載です(笑)。

ところで、お知らせのページに『BJ』のベスト40を選ぶという企画が載っていた。手塚公式サイトにも小さくお知らせがあったが、詳しい内容はコチラ。「この機会に漫画界の至宝『ブラック・ジャック』をもう一度味わってみないか、おまえさん!!」のキャプションに思わず噴いた(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

また出雲大社へ行った

6月7日、出雲大社に参拝した。先月にも行ったばかりだし、今回の目的は出雲大社の隣にある古代出雲歴史博物館の特別展『出雲大社展』を見ることだったので、大社さんへはちょっとご挨拶だけして……などと思っていたのだが、行きに乗った電車(一畑電鉄大社線)の車内アナウンスを聞いて俄然「これは行かねば!」となった。曰く、「いまなら八足門の中に入れます」。

八足門というのはココの境内図を見ていただくとわかるとおり、ご本殿へはあと楼門ひとつという至近距離である。何か特別な行事があるとき以外、一般人は八足門から中へは入れず、私もこれまで入ったことがなかった。これは大チャンスなのである(6月末まで)。

雲ひとつない初夏の青空の下、八足門の内側から間近に見るご本殿はそれはそれは神々しく美しかった! 葺き替えられたばかりの桧皮葺の屋根は眩いばかりに輝き、黒の「ちゃん塗り」が施された千木や鬼板、緑に塗られた破風の銅板とのコントラストの妙といったらない! 重厚かつ超cool! 神社にこんな形容はおかしいかもしれないが、男前で超カッコいいのである! 撮影禁止だったのでお見せできないのが残念だ。

八足門の中にはオオクニヌシを祀るご本殿の他に、東側に正妻のスセリヒメを祀る御向社(みむかいのやしろ)と、キサガイヒメとウムギヒメを祀る天前社(あまさきのやしろ)が並び、西側にはお后のタギリヒメを祀る筑紫社(つくしのやしろ)が建っている。いずれも清楚で凛としたたたずまいだった。縁の深い女神たちに囲まれて、オオクニヌシもご満悦であろう。スサノオの娘である正妻のスセリヒメは焼餅焼きであったらしいから、そのスセリヒメの社とやはりオオクニヌシの后であるタギリヒメの社を右と左に分けたのは、何か慮るところがあったのだろうかなどと下衆の勘繰りをしたりする(笑)。

大満足で出雲大社を後にして、古代出雲歴史博物館の『出雲大社展』を見に行く。平日だったので来館者はそんなに多くなく、ゆっくりと心行くまで展示物を見て回った。特に見たかったものの一つが、真名井遺跡(出雲大社の東、命主神社境内)から出土した銅戈と新潟糸魚川産ヒスイの勾玉。青銅の武器形祭器と勾玉が一緒に出土したのは他に例がないらしい。出雲大社がいつできたのかについては諸説ある(大社関係者によれば「神代の昔からある」ということになる)が、こういう出土品からみても出雲大社の付近が弥生時代から重要な祭祀の場所であったことは間違いないようである。

そしてもう一つ、どうしても見たかったのが出雲国造家に伝わる「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」である。先日地区の公民館で受講した歴史講座で講師を勤められた古代出雲歴史博物館の学芸員・森田氏が「あの本居宣長も現物は見たことがなかった品です。この機を逃すともう見られませんよ」とおっしゃっていたブツ! テレビなどではたまに紹介されているが、この際自分の目でも見ておきたかったのである。

左端中央に「国御沙汰」という4文字が見える。これは出雲大社の造営遷宮が中央の命令によってなされた国家事業であることを示す。これもなかなか興味深い事実だと思う。なぜ中央(天皇家)が出雲大社を作らなければならなかったのか。『古事記』にあるように、オオクニヌシの要求を受け入れた結果なんだろうか。それも作りっぱなしというのではなくて、その約束から何十年何百年を経ても倒壊したら何度でも作り直すというのは、なんとも律儀な誠意のように思われる。天皇家にとって出雲大社とは何なのだろう?と、あらためて不思議に思う。

ところでこの図は昔の出雲大社本殿が48mあったという説の根拠ともなるものだが、江戸時代、本居宣長は『玉勝間』(1812年刊)の中でこの図の写しを掲載している。ただ宣長もこの巨大神殿が実在したかどうかには疑念を持っていたらしい。これが実際に巨大な柱が発掘されたことによってまんざら嘘ではないことが証明された件については、以前の記事にも書いたとおりである。

つくづく思う。奈良平安の昔には、出雲大社が48mの高さがあったことを誰もが当り前に知っていたのだろう。絵にも描かれ、文献にも残っている。しかしいつの間にか出雲大社は24mになり、人々はそれを当り前だと思い、以前の記録は嘘っぱちだとされた。記憶の伝承がある日途切れてしまったのだろう。たかだか数百年前の事実がもうわからない。翻っていまの時代、あらゆることが記録され発信されているように見える。数百年後の人々は少なくともいまの出雲大社の高さを知ることは簡単にできるだろう。しかし何故営々と社を存続させなくてはならないのか、日本人の記憶や精神や祈りははたしてそのまま伝わっていくのだろうか。何か重大なことがすっぽりと抜け落ちて、いまの時代なら当り前なことが新たな謎になっていくのかもしれない、などと思ったりした。

出雲大社と博物館で3時間ほど過ごし、お腹が空いたので出雲蕎麦を食べた。近くの神社へ参拝しようかとも思ったが、なにしろ暑くてくたびれたので失礼して松江へ帰った。久しぶりに電車にも乗れたし、なかなかに有意義な一人旅だった♪

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »