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また出雲大社へ行った

6月7日、出雲大社に参拝した。先月にも行ったばかりだし、今回の目的は出雲大社の隣にある古代出雲歴史博物館の特別展『出雲大社展』を見ることだったので、大社さんへはちょっとご挨拶だけして……などと思っていたのだが、行きに乗った電車(一畑電鉄大社線)の車内アナウンスを聞いて俄然「これは行かねば!」となった。曰く、「いまなら八足門の中に入れます」。

八足門というのはココの境内図を見ていただくとわかるとおり、ご本殿へはあと楼門ひとつという至近距離である。何か特別な行事があるとき以外、一般人は八足門から中へは入れず、私もこれまで入ったことがなかった。これは大チャンスなのである(6月末まで)。

雲ひとつない初夏の青空の下、八足門の内側から間近に見るご本殿はそれはそれは神々しく美しかった! 葺き替えられたばかりの桧皮葺の屋根は眩いばかりに輝き、黒の「ちゃん塗り」が施された千木や鬼板、緑に塗られた破風の銅板とのコントラストの妙といったらない! 重厚かつ超cool! 神社にこんな形容はおかしいかもしれないが、男前で超カッコいいのである! 撮影禁止だったのでお見せできないのが残念だ。

八足門の中にはオオクニヌシを祀るご本殿の他に、東側に正妻のスセリヒメを祀る御向社(みむかいのやしろ)と、キサガイヒメとウムギヒメを祀る天前社(あまさきのやしろ)が並び、西側にはお后のタギリヒメを祀る筑紫社(つくしのやしろ)が建っている。いずれも清楚で凛としたたたずまいだった。縁の深い女神たちに囲まれて、オオクニヌシもご満悦であろう。スサノオの娘である正妻のスセリヒメは焼餅焼きであったらしいから、そのスセリヒメの社とやはりオオクニヌシの后であるタギリヒメの社を右と左に分けたのは、何か慮るところがあったのだろうかなどと下衆の勘繰りをしたりする(笑)。

大満足で出雲大社を後にして、古代出雲歴史博物館の『出雲大社展』を見に行く。平日だったので来館者はそんなに多くなく、ゆっくりと心行くまで展示物を見て回った。特に見たかったものの一つが、真名井遺跡(出雲大社の東、命主神社境内)から出土した銅戈と新潟糸魚川産ヒスイの勾玉。青銅の武器形祭器と勾玉が一緒に出土したのは他に例がないらしい。出雲大社がいつできたのかについては諸説ある(大社関係者によれば「神代の昔からある」ということになる)が、こういう出土品からみても出雲大社の付近が弥生時代から重要な祭祀の場所であったことは間違いないようである。

そしてもう一つ、どうしても見たかったのが出雲国造家に伝わる「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」である。先日地区の公民館で受講した歴史講座で講師を勤められた古代出雲歴史博物館の学芸員・森田氏が「あの本居宣長も現物は見たことがなかった品です。この機を逃すともう見られませんよ」とおっしゃっていたブツ! テレビなどではたまに紹介されているが、この際自分の目でも見ておきたかったのである。

左端中央に「国御沙汰」という4文字が見える。これは出雲大社の造営遷宮が中央の命令によってなされた国家事業であることを示す。これもなかなか興味深い事実だと思う。なぜ中央(天皇家)が出雲大社を作らなければならなかったのか。『古事記』にあるように、オオクニヌシの要求を受け入れた結果なんだろうか。それも作りっぱなしというのではなくて、その約束から何十年何百年を経ても倒壊したら何度でも作り直すというのは、なんとも律儀な誠意のように思われる。天皇家にとって出雲大社とは何なのだろう?と、あらためて不思議に思う。

ところでこの図は昔の出雲大社本殿が48mあったという説の根拠ともなるものだが、江戸時代、本居宣長は『玉勝間』(1812年刊)の中でこの図の写しを掲載している。ただ宣長もこの巨大神殿が実在したかどうかには疑念を持っていたらしい。これが実際に巨大な柱が発掘されたことによってまんざら嘘ではないことが証明された件については、以前の記事にも書いたとおりである。

つくづく思う。奈良平安の昔には、出雲大社が48mの高さがあったことを誰もが当り前に知っていたのだろう。絵にも描かれ、文献にも残っている。しかしいつの間にか出雲大社は24mになり、人々はそれを当り前だと思い、以前の記録は嘘っぱちだとされた。記憶の伝承がある日途切れてしまったのだろう。たかだか数百年前の事実がもうわからない。翻っていまの時代、あらゆることが記録され発信されているように見える。数百年後の人々は少なくともいまの出雲大社の高さを知ることは簡単にできるだろう。しかし何故営々と社を存続させなくてはならないのか、日本人の記憶や精神や祈りははたしてそのまま伝わっていくのだろうか。何か重大なことがすっぽりと抜け落ちて、いまの時代なら当り前なことが新たな謎になっていくのかもしれない、などと思ったりした。

出雲大社と博物館で3時間ほど過ごし、お腹が空いたので出雲蕎麦を食べた。近くの神社へ参拝しようかとも思ったが、なにしろ暑くてくたびれたので失礼して松江へ帰った。久しぶりに電車にも乗れたし、なかなかに有意義な一人旅だった♪

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コメント

こちら千葉県のお隣、茨城県には常陸国一ノ宮、鹿島神宮があります。武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を奉ったお社なのですが、あまり詳しく知りません。(^^;)

ただ、もうずいぶん以前に二年参りへ行き、深夜の境内を御手洗池近くの売店まで歩いたことがあります。

近くの高校の野球部がランニングがてらお参りにやってきていた本殿近くでは、さすがに人も多く、何の気配も感じられませんでしたが、一歩奥参道へ踏み入ると、何物かに後ろから見られているような気がしてなりません。

結局売店は開いておらず、目当ての甘酒にありつくことも出来ないまま、奥参道を引き返しましたが、もはや背中に誰かの目が張り付いてしまったかのような寒気を感じていました。(>_<)

伊勢神宮や出雲大社は、夜間に参拝できるのでしょうか? もし可能ならば、いつか行ってみたいモノです。(^^ゞ

投稿: モトキ | 2013年6月11日 (火) 23時53分

モトキさん
コメントありがとうございます♪
おお、鹿島神宮も有名な神社ですね。残念ながら私は参拝したことはありませんが。
タケミカヅチは武勇の神様ですから、高校球児が初詣に行くにはまさにベストな神社でしょうね。
出雲の国譲り神話の中では、タケミカヅチはアマテラスの使者としてオオクニヌシに「国を譲れ」と談判しにやって来る神として描かれています。だから、出雲の人間としては、彼にはあんまり良い印象を抱けないんですね~(笑)。
それはさておき……。あらまあ、タケミカヅチにガンつけられたんですか! それは怖い思いをされましたねえ。モトキさんがよっぽどツワモノに見えたんじゃないですか(笑)? 香取市にある香取神宮に祀られているフツヌシとともに武神として名高いタケミカヅチにマークされたのなら、これは自慢なさってもよろしいかと思いますよ♪
出雲大社の夜間参拝についてですが、普段お札などをいただけるのは午後4時半までのようです。でも初詣のときなどはおそらく夜通し大丈夫だろうと思います。また、参拝するだけなら、別に門が閉まるわけでもありませんので、夜間もOKでしょう。出雲大社の境内には、そんなに怖いところはありませんので、安心していらしてくださいませ(笑)。

投稿: わかば | 2013年6月12日 (水) 22時14分

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