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『半藤一利と宮崎駿の 腰ぬけ愛国談義』

幼かった頃、父に何か絵を描いてくれとねだると、彼はいつも零戦の絵を描いた。およそ小さい女の子のリクエストにふさわしい物体ではなかっただろうが、微に入り細を穿った零戦の絵が見る見る紙上にできあがっていくのを見るのは楽しかった。父が描いたお手本を見て真似てばかりいたので、私はお花やお人形は描けないが零戦だけは描けるという妙な女の子になった。後年、父が寝たきりになったころ、何気なく零戦を描いて父に見せたら「上手いもんだ」と誉めてくれたことを忘れない。

飛行機が大好きだった父が、その中でも一番好きだったのが零戦だった。彼は戦時中は川西航空で紫電を作っていたそうだが、その紫電よりも紫電改よりも零戦が好きだったようだ。それくらい、零戦というのは飛行機好きの人間にとってはたまらない魅力があったようだ。

『半藤一利と宮崎駿の 腰ぬけ愛国談義』(文春ジブリ文庫) 読了。

--宮崎駿監督が「かねてからお目にかかりたかった」という昭和の語り部・半藤一利さん。「漱石好き」という共通点からふたりはたちまち意気投合。宮崎作品最新作『風立ちぬ』で描かれる昭和史をたどりつつ、持たざる国・日本の行く末を思料する―7時間余にわたってくり広げられた貴重な対談を完全収録した、オリジナル作品。(カバー裏表紙より)--

話題は多伎にのぼるが、零戦設計士・堀越二郎をモデルとした映画『風立ちぬ』公開にちなみ、特に前半は大戦中の戦闘機や軍艦の話が多い。きっと父が読んだらおもしろがったことだろうと思う。私にとっての収穫は、「これがフーボー、これがクーチューセン……」と言いながら父が描いていた「フーボー」が「風防」であったことに、この本を読んで初めて気付けたことだ(まったく不肖の娘ですまぬ、父よ)。

そしてその零戦の風防を作っていたのが宮崎氏のお父さんが経営していた会社・宮崎飛行機だったのだそうだ。私は決して宮崎氏のファンというわけではなく、この文庫も主に半藤氏の部分を読みたくて買ったのだが、零戦の風防という思わぬ部分で(きわめて一方的にではあるが)宮崎氏と接点ができたようでおもしろかった。また、その宮崎飛行機で組み立てられた夜間戦闘機「月光」の翼の納入先・中島飛行機では、そのころ私の舅どのが働いていたはずだ。こちらもひょんなところで繋がった(笑)。

宮崎氏の話で印象的だったのは、「あの人(堀越二郎)は戦闘機をつくりたいんじゃなくて、飛行機をつくりたかった人だ、ということは確信しています。」というところ。零戦という名機を作り出した人ではあるが、本当は戦闘機なんかは作りたくはなかった。しかし戦闘機作りに廻された中でただただ美しさを追求していった結果があの零戦だったということなのだろう。私は映画『風立ちぬ』を観ていないが、堀越二郎はきっとそういう描かれ方をしているに違いない。

半藤氏の話は共感できるところが多い。一ヶ所だけ以下に抜書きしてみる。

--つくづく思うのですが、この国は守れない国なんです。明治以来日本人はこの国を守るためにはどうすればいいかということを考えた。だれもがすぐ気づいたのは、「守れない」ということだったと思います。なにしろ海岸線が長い。世界で六番目に長い。アメリカよりもオーストラリアよりも長いんです。(中略)要するに防御はできない。ならばこそ、この国を守るためには攻撃だ、ということになったんですね。
この国では、「攻撃こそ最大の防御」という言葉がずいぶん長いあいだ支配的でした。まあ、現在もそう思っている人はたくさんいますがね。ところが攻撃こそ最大の防御という考え方は、「自衛」という名の侵略主義に結びつくんですよ。(中略)
もう一つは資源がないってことです。「持たざる国」なんです。だから補給が続かない。守るために外に出ていけば、おのずから補給しなくてはなりませんが、資源がないから補給は容易いことではない。矛盾する大問題を抱えたまま、近代日本はスタートし、「攻撃こそ最大の防御」で外へ外へと出て行った。軍人さんだろうが、インテリだろうが、日本の行く道は侵略主義に通じていると、これまただれもがほんとうは気づいたはずなんです。ところが侵略とは思いたくないから「自衛である」という体裁をつくってそう思い込もうとした。ほんとうのことをいうと、最初からお手上げだったんですよ。そして、戦争に負けてからこっち、何十年ものあいだにこの長い海岸線に沿って原発をどんどんおっ建てた。--

キリが無いのでここでやめるが、明治以降今に続く「大国たらんとする日本」の問題点が様々に指摘されている。半藤・宮崎両氏がそれに対してどう考えどのような解決策を持っているのか、ここでは書かない(笑)。興味のある方は読んでみていただきたい。決して「腰ぬけ」などではない、美しいものを愛してやまない日本人ならではの国を愛する姿勢があることに気付ける一冊だと思う。

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コメント

大変興味深い書物をご紹介いただきました。ありがとうございます。ネットで調べてみたら文庫本とのことでしたので、さっそく発注してしまいました。(^^ゞ

お父様のお話は、なんとも微笑ましいというか、思わず零戦の絵を描いているわかばさんの姿を思い浮かべてしまいました。男子のご多分に漏れず、私もミリタリーものには若干の興味を持っているクチです。小学生の頃には零戦のプラモデルを何機作ったことか・・・。(^^;)

零戦については、こんな話を聞いたことがあります。零戦の美しさは、極限まで無駄を省いた機能美なのだ、と。そのため、性能を上げるための改造が出来る余地がほとんどなく、やがてアメリカの戦闘機に勝てなくなってしまいました。

資源も余裕もない日本は、制限だらけの窮屈さの中で、可能な限り優秀な戦闘機を作らざるを得ません。ところがアメリカは、設計以前にコクピットの防弾処理だとか、燃料タンクの装甲化だとかの要求事項が盛り込まれ、その結果として戦闘機のカタチが決まる、という作り方でした。しかもそこには、将来の改造を見越したスペックを持たせるだけの余裕もあったわけです。(^^;)

・・・最初から勝てる話ではありませんよねぇ。

「攻撃こそ最大の防御」という精神は、日本刀にも見られるのだそうです。西洋では剣と楯を持って闘います。でも、日本には楯がありません。刀で攻撃することが最大の防御なんですね。日本刀は攻防一体の優れた武器なのだとか・・・。零戦の設計思想には、もしかするとそんな考えが根底に流れていたのかもしれません。(^^ゞ

また、自衛が侵略につながるというご指摘は、戦争を繰り返している国々や、他国の脅威を理由に平和憲法を破棄しようとしているどこかの国に、とことん聞かせてやりたいものです。寡聞にして半藤一利という方を存じ上げませんでしたが、色々な刺激を与えてもらえるような、そんな期待を抱かせてもらいました。

・・・わかばさんって、文章がお上手ですよねぇ。質の良い文芸評論を読んだような思いがします。(^.^)

投稿: モトキ | 2013年8月25日 (日) 22時11分

モトキさん
コメントありがとうございます。
ミリタリーものに多少なりともご興味があり、零戦のプラモデルを何機も作られたモトキさんなら、この本はとてもおもしろくお読みになれると思いますよ。どうぞお楽しみに♪

なるほど、資源の有無で戦闘機のカタチは決まってくるのですねぇ。それと、やはり美意識でしょう。ロシア人などは、どうせすぐに壊れるものを美しく作る必要はないと考えていたようですが、日本人はそうではなかったと、どこかに書いてあったような気がします。そして、日本刀についてのお話も興味深く伺いました。まったくいろんなことをよくご存知ですねぇ。勉強になりました。ありがとうございます^^

>平和憲法を破棄しようとしているどこかの国に…
まったくです。なんだかいろんな枝葉末節部分からなし崩し的に自衛隊を認めてきたわが国ですけれども、もう一度憲法前文をしっかり読むべきですね。平和憲法によって名誉ある地位を得ているのが現在の日本であり、それを全世界に広めることこそが日本の使命だと思うのですがね~。平和憲法、いやそれ以前に96条を改悪しようとしている某国総理大臣はかなり危険人物だと私は思います……。

いやいや、身に余るお褒めの言葉をありがとうございました。恥ずかしくて変な汗をかきましたよ^^;

投稿: わかば | 2013年8月26日 (月) 23時29分

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