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2013年10月

古代出雲を巡る旅

きょうも神無月さんと息子さんのご旅行にあつかましくもご一緒させていただきました♪

きょうは題して『古代出雲を巡る旅』。ホテルで10時に落ち合い、最初にJR玉造温泉駅の近くにある湯町窯のお店を覗いてから、加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡へ行きました。

加茂岩倉遺跡は39個の銅鐸が一挙に出土したところ。これは、一ヶ所で見つかった銅鐸としては国内最多です。中には破壊されてしまったものがありますが、これは以下のような事情によります。

---遺跡は1996年に加茂町(現雲南市)岩倉の丘で農道工事中に発見された。重機で掘削中に、突然、異様な音がしたため、運転者は直ちに重機を止め、「どこの誰がポリバケツをこんなところに埋めたのか」と考えつつそばに行くと、ポリバケツならぬ「銅鐸」だった。---Wikipediaより

大発見というのは得てしてこんなものなのかもしれませんね。しかし想像するとなんだか可笑しいです。工事の人びっくりしただろうなぁ~(笑)。

近くに小さな資料館が建てられているのでそこへ行くと、係員の方がお茶などふるまってくださり、他の入館者と一緒にビデオを観たり詳しい説明を伺ったりできました。なかなか興味深いお話(近くの神原神社古墳から出た景初三年銘の銅鏡の話なども……)が聞けて嬉しかったです。ありがとうございました♪

続いて荒神谷遺跡へ。1984年~1985年に銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土して大騒ぎになった遺跡です。なにしろそれまでに発見されていた銅剣は日本国中全部合わせても300本ほど。それを上回る数が一挙に出てきたのですから、それはそれは大変な発見だったわけです。その発見のきっかけは、やはり農道建設のための調査でひとりの調査員が須恵器のかけらを見つけたことだったとか。その調査員さんを誉めてあげたいです(笑)。

この2つの遺跡が発見されるまでは、学術的に出雲というのは神話の国の舞台という認識しかされていなかったようです。出雲神話が古事記に占める割合は大きいのに、何しろ何も「ブツ」が発掘されてこなかったからです。それが20世紀の終わりになって大発見が相次いだので、古代イズモ王国はやはり存在していたのだろうと考えられるようになりました。日本史の定説を覆す大発見だったわけで、現在この2つの遺跡から出土した青銅器は国宝に指定されています。

さて、そこまでで時間を食ってしまったので急いで出雲大社へ移動。まずは出雲蕎麦で遅い昼食を取ろうと思ったのですが、行った先のお蕎麦屋さんが定休日(がーん)。もうどこでもいいやとばかりに出雲大社の駐車場近くのお蕎麦屋さんへ。割子(わりご)蕎麦などいただきましたが、量も多く味も良かったです♪ 神無月さんにご馳走していただき恐縮。ありがとうございました。m(_ _)m

お腹いっぱいになったところで出雲大社に参拝。前回神無月さんが来られたときには本殿修復工事の真っ最中だったため、本殿には覆いがかけられその姿を見ることはできませんでした。が、今回は美しく甦った本殿の屋根をお見せすることができて良かったです。神無月さんご一家にたくさんの幸せが訪れますように。お子さんたちに良いご縁がありますように。パンパンパンパン(出雲大社は4拍手)。

参拝を終えて、車を神門通りの方へ移動。付近のお店を見て回ってお土産を物色していると、もう4時半になろうとしています。これからまた長距離運転でお帰りになるので、ここで本日の日程を終了。私は出雲大社駅から一畑電車に乗って松江に帰ることにして、お二人とお別れしました。そのときにたくさんの大阪土産やBJのTシャツなどをいただいてしまい、またまた恐縮しました。ありがとうございました。m(_ _)m

この2日間、本当に楽しかったです♪ なんだか私の趣味に付き合っていただいたような気がしなくもありませんが、田舎の綺麗な空気だけは満喫していただけたと思います(笑)。これに懲りずにまたお越しくださいね。ありがとうございました~♪

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松江観光

きょうは神無月さんが息子さんと車で松江に来られたので、一緒に半日遊びました♪ 

きょうのメインは松江城に登ることと宍道湖の夕陽を観ること。松江駅南口で12時半に落ち合い、昼食を取ってから松江城へ。暑いくらいの晴天でしたので、ふうふう言いながら石段と松江城内の急な階段を登りました。天守閣に吹く風が心地良かったです。

ひとまず投宿先のホテルに車を置いてから、5時16分の日没に間に合うように嫁が島に近いところ(夕陽スポット『とるぱ』のあたり)まで歩いて移動。これは、最近とても観光客が多く付近の駐車場が満杯だろうと思われたため徒歩にしたのですが、かなり長距離を歩くことになってしまい、大変申し訳なかったです。お疲れが出ていないといいのですが……。残念ながら低いところに雲があって夕陽が湖に沈む瞬間は見えませんでしたが、それでも真っ赤な夕陽と嫁が島のシルエットはとても綺麗でした。

それから夕闇の湖岸をまたまた歩いてホテルまで戻り、本日はそこでお別れしました。明日は玉造、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡を見てから出雲大社へ行く予定。明日も晴れそうなので楽しみです♪

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『笑っていいとも!』とBJ

フジテレビ系列で放送されている『森田一義アワー 笑っていいとも!』の来春3月での放送終了が発表された。本日、同番組内の最後の3分間で告知があったとのこと。私は番組の最初のほうは眼科の待合室のテレビでちょうど見ていたが、間もなく呼ばれたのでその後は見ていない。最後まで見ていたらちょっとしたショックだったかもしれない。

同番組は私が社会に出て働き始めた年の秋に始まった。職場の休憩室にあったテレビでこの番組を見ながらお昼を食べていたことを思い出す。1982年10月4日から2014年3月末(予定)まで、実に32年間、放送回数7777回になんなんとする長寿番組である。

Photoそしてこの番組、『BJ』に出てくるおそらく唯一無二の実在のテレビ番組である(他にありましたらご教示ください)。「週刊少年チャンピオン」1983.6.10号収載の「笑い上戸」で黒男少年が親友ゲラの描いたマンガを読むシーン。黒男が「笑っていいかい?」と言うとタモリがひょっこり出てきて「笑っていいとも」と言っている。

『BJ』は1978.9.18号の「人生という名のSL」で毎週連載を終了しており、「笑い上戸」はその後に単発で掲載された作品のひとつ。『BJ』シリーズ全243話の中でも最後から2番目という最終期の作品だ。放送開始から9ヶ月ほどの『笑っていいとも!』と、最終期の『BJ』が交差したわずかな期間の作品と言える。

当時の私はこういうギャグが『BJ』に取り入れられるのはあまり好きではなかったのだが、いまになって思えば、時代の雰囲気を伝えてくれていて懐かしい。そうそう、当時のタモリさんはこういう髪型だったなぁ……。

先日放送された『神様のベレー帽』でも、手塚先生がテレビから着想を得るところが描かれていたが、まず間違いなく『笑っていいとも!』も見ておられたと言えるだろう。考えてみると、『BJ』連載当時からいままでずっと続いているテレビ番組は『笑っていいとも!』の他にはないのではあるまいか。『水戸黄門』も数年前に終わってしまったし。

というようなわけで、手塚先生も見ておられた番組がついに終わってしまうという事実には、『BJ』と「リアルタイム」を繋ぐ小さな鎖がまた一つ外れてしまったようで、小さからぬショックと大きな感傷を覚える次第である。

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BJ先生発見♪

Bj入院中の伯母を見舞った病院の廊下にこんなポスターが貼ってありました♪ 
受講したいなあ(笑)。「中学生です」って言うのはさすがに無理があるだろうな……(当り前だ)。

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訃報二つ……

中学生のときからファンだったイタリアの俳優ジュリアーノ・ジェンマが自動車事故で亡くなったそうだ。
Photo_2アラン・ドロンのファンだった親友Mや、スティーブ・マックイーンのファンだったC、ロバート・レッドフォードのファンだったTらと共に、映画雑誌の「ロードショー」や「スクリーン」を買っては、彼らの写真を切り取ってコレクションしたのを懐かしく思い出す。ベッドの横の壁には大きなポスターを貼って(たぶん今でもどこかにあるはずだ)、朝晩の挨拶は欠かさなかった。
当時はテレビでも彼の出るマカロニウエスタンをけっこう放映していた。声はたいてい野沢那智さんだったと記憶している。
←写真は『怒りの荒野』のリー・バン・クリーフと。お師匠さんのリー・バン・クリーフからガンマンの心得を教わるシーンが好きだった。
享年75歳。心よりご冥福をお祈りする。悲しいなぁ……(泣)。

『8マン』の主題歌を歌った克美しげるさんが2月に亡くなっていたそうだ。いろいろ事件を起こした人だったが、あの『8マン』の歌声は文句なしに素晴らしかった。
ご冥福をお祈りしたい。(-人-)

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