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2014年5月

アマテラスのDNA

きょう、高円宮典子さまと出雲国造家・千家国麿さんのご婚約が発表された。まことにお目出度いことで、島根も大騒ぎである。ご婚礼は今秋出雲大社にて行われるそうだ。

このニュースを聞いて真っ先に思ったのは、神の末裔同志が結婚されるのだなぁということだった。典子さまは皇族であるからアマテラスの末裔だし、千家さんちのご先祖はアマテラスの次男アメノホヒである。お二人とも(どれくらいのパーセンテージになるのかはわからないが)アマテラスのDNAをその身に受け継いでおられるわけで、ただわけもなくスゴイなぁと思う(笑)。

アマテラス━━(長男)アメノオシホミミ━━ニニギ━━ホオリ━━ウガヤフキアエズ━━カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)……天皇家

アマテラス━━(次男)アメノホヒ━━タケヒラトリ……出雲国造家

このアメノオシホミミやアメノホヒが生まれた「アマテラスとスサノオの誓約」のくだりや、それに続く「天岩戸神話」、さらにそれに続く「スサノオのヤマタノオロチ退治」からオオクニヌシの物語など、古事記ではワクワクするようなお話が続く。このお目出度いご婚約を機会に日本の神話をもう一度読み直すのもいいなと思った次第である。

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「天国への階段」に盗作疑惑?

かの有名なレッド・ツェッペリンの「天国への階段」が盗作の疑いで訴えられているというニュースに驚く。

---「天国への階段」のオープニングが自身のバンドの楽曲「タウルス」からの盗作であると長年主張しているバンド、スピリットのギタリストでソングライターの故ランディ・カリフォルニアの名義で訴えを起こされている---

寡聞にして私はスピリットというバンドを聴いたことがなかったので、音源を探して聴き比べてみた。

両方とも中世風の曲調だし、下降していくクリシェ部分の数小節が似ていると言えば似ているのだが……。アーティストが他のアーティストの作品にインスパイアされるということはままあることだろうし、それを一概に盗作と言ってよいものかどうか? しかしそれにしても発表から43年も経っているのだから「今さらどうして?」という観が強い。

この記事によれば、スピリット側は以前から盗作行為であると主張していたらしいが、訴訟のためのお金がなかったり出訴期間が過ぎていると思っていたために、これまでは訴訟に至らなかったのだという。それがこの度訴訟に踏み切ったのは、現在ZEPがアルバムのリマスター盤を発売する準備をしており(つい先日もジミー・ペイジがNHKのインタビューの中でそう言っていた)、「天国への階段」も当然その中に含まれているからということらしい。まあ、要はお金絡みということなのだね。

ZEP側がどういう見解を主張しているのかわからないが、リマスター盤を買おうと思っていた私には今後の経過が気になるところではある。「天国への階段」が入っていなかったら買わないだろうから。そういう点で気になるだけで、これが万一盗作だと認められたとしても、この曲がロック史上に残る名曲であるということだけは確信を持って言える。

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ひとは自分が観たいものしか観ない

マンガ『美味しんぼ』で、福島を訪れた主人公が鼻血を出した描写が問題になっている。また同マンガに登場している実在の人物であるところの前双葉町長・井戸川氏は「(鼻血は)被ばくしたからです」と明言しているらしい。

私は実際にこのマンガを読んでおらず、テレビのワイドショーから得た情報しか持っていないけれども、番組で本当に鼻血を出す人が多いのかを調べたところ「そんな話は聞いたことがない」という人ばかりだったらしく、そういう実情を見れば福島県が風評被害を恐れて出版社に抗議文を送ったというのもうなずけるところである。しかし作者の雁屋哲氏は、2年をかけて取材をしてきた真実であると言う。いったいどちらが本当なのか。

ところで話は飛ぶが、『たかじんのそこまで言って委員会』という番組がある。すっかり安倍首相の提灯持ち番組となった観があり、とても冷静に議論を戦わせる討論番組とは言えなくなってしまったために私は1年以上前に観るのをやめた番組なのだが、沖縄にオスプレイが配備されるときだったか、番組出演者のZ氏が沖縄まで取材に行ったことがあった。その結果報告された事柄は「沖縄の人はだれも反対していない。基地そのものに反対している人にも一人も出会わなかった」というものであった。折から新聞にはオスプレイ拒否10万人結集と報道された頃のことだったと記憶している。

なんとも矛盾した話だが、おそらくZ氏は嘘を吐いたわけではないだろうと思う。Z氏は「たまたま」オスプレイにも基地にも反対していない沖縄県人に「しか」会わなかったというだけだ。

一人の人間が公正公平であることはなかなかに難しい。ことに政治的イデオロギーなどは持論がそうそう変わるものでもないから、ひとつの考えに凝り固まって反対意見には耳を傾けず、逆に自分の意見と似た意見や記事ばかりを積極的に取り入れようとする。結局のところ、ひとは自分が観たいものしか観ないのだ。

『美味しんぼ』で山岡が鼻血を出し、井戸川氏がそれは被ばくのせいだと言っているのも、作者の雁屋氏が福島の現状をそのように観たい、あるいは観るのが適当だと思っているのが反映されたというだけのことだ。

表現者が作品に自分の見解を描く姿勢自体は間違っていない。風評被害を恐れる行政が抗議することも間違っていない。間違えてはならぬのはただ読者のほうである。この作品で描かれていることを鵜呑みにするのか、福島の人たちがかわいそうだからこんなことは信じないという態度をとるのか等々、一人一人の読者の良識と判断力が問われる問題なのだと思う。

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STAP問題その後

理化学研究所は、STAP細胞論文に改竄、捏造があったとの認定に対する小保方晴子研究ユニットリーダーからの不服申し立てを退け、再調査は行わないことを決定した。

もしも私が小保方さんの友達だったなら、彼女に「もうやめよう」と忠告する。敏腕弁護士を何人も雇っていろいろと助言を受けているのだろうが、事は科学の信憑性の問題だ。弁護士が見せかけのような怒りも顕わにしゃしゃり出てくるのには、場違いという違和感しか覚えない。

また「何を言っても通じない」と彼女は嘆いたとされるが、その「何」がみな説得力のないナサケナイものなのだから、これはもうどうしようもない。8ヶ月でたった4ページの実験ノートしかないとか、その内容の薄さとかを見れば、素人目にもむしろノートを公表しないほうがよかったとしか思えない。こんなもので理研の判定を覆せると思っていたとすればその判断力や常識の有無を疑うし、公表に至らしめた弁護士のやり方もどうかと思う。

ここはもうこれ以上事を荒立てたりせず、いったん仕切り直しをしたほうがいい。私ならそうする。そしてもしも理研をクビになったなら、彼女に来てもらいたいと思っている研究室もあるだろうから、そこでまた一から、今度はちゃんと実験ノートを書きながらSTAP細胞を作ればよい。これまでに200回も成功しているのだから簡単なことのはずだ。誰かに先を越されるのが心配で一刻を争う気持ちでいるのなら、なおさら訴訟なんかで時間を取られるのは馬鹿らしい。

ところで、この問題について一般市民に感想を尋ねるという報道では、たいてい男性は彼女に同情的で理研という組織にも問題があるという方向のコメントが多い。やっかみで言うが、綺麗な女は得だなあ(笑)。しかし同性から言わせてもらえば、そんな同情など蹴散らして研究者なのだから業績で勝負してもらいたい。せっかく才能があって努力をすれば男性と肩を並べて活躍できる場にいながら、男性の同情を味方にするのでは女が廃るというものだ。彼女がどれくらい自身のアピール力を自覚しているのかわからないが、「リケジョの女子力」でもてはやされた事実は自ら厳に戒めるべき点を示していたと思う。

本当の女子力とは(こんな言葉、使いたくもないが……)、男にちやほやされる魅力をいうのではくて、男の力など当てにしなくても自分で道を切り拓いていくことのできる力を言うのだと思うよ。

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戦争をする日本なんか望んじゃいない

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。---(日本国憲法前文より抜粋)---
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第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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上記の文章を読んで、どこをどう押せば「集団的自衛権の行使は解釈的に可能である」という結論が導き出せるのか、どうしてもわからないワタクシである。ʅ(‾◡◝)ʃ

ところで、ちょっと前に『9条どうでしょう』(内田樹、小田嶋隆、平川克美、町山智浩著)を読んだ。護憲・改憲の二種類の「原理主義」のいずれにも回収されないような憲法論を書くという目的で集まった4人の著者のそれぞれの言い分が面白い。「九条と自衛隊のねじれによる病の効用」「男は戦争が大好き」「現実性より方向性」「普通の国のチープさ」などというテーマのもとに論旨が展開していき、4人ともに「憲法第9条を変える必要はない」という結論で一致する。ウヨクの方々からすれば読むにも値しないと思われる本だろうが、なかなか興味深い一冊であるのは間違いない。

新たな発見もあった。政治家の弁を鵜呑みにしてはいけないとつくづく思ったのは次のような点である。改憲派はよく「日本国憲法のように数十年間も改正されない憲法などない」と世界を引き合いに出すが、戦後40回も改憲してきたというドイツの場合は「ドイツ連邦政府と各ラント(アメリカの州にあたる)との関係性を定めた細かいテクニカルな条項がほとんど」であり、「再軍備のために個別の条項を改憲した時も、日本の憲法第九条にあたる戦争禁止の条項は改正していない」。のみならず、「表現の自由」の規定では、大学や学校で憲法を批判する自由すら認めていないという。フランスにおいてもまた、憲法の基本理念である人権宣言を書き換えることはできないし、アメリカにおける独立宣言が書き換えられることも未来永劫、ない。つまり、「憲法は社会の実態に合わせて細かい部分は随時修正されていくが、その基本理念だけは絶対に変えられない」のである。自ら戦争を放棄することで世界平和を願うのが日本の基本理念であるならば、9条は絶対に変えてはならぬのである。----「」内の引用は「改憲したら僕と一緒に兵隊になろう」(町山智浩著)の部分より)----

興味を持たれた方にはご一読を願うとして……。

最近の安倍政権のやり方を見ていて気になるのは、「戦争」も「外交」の一部だと思っている節が見えることだ。中国に対しては武力を背景とする勢力拡大はいけないと言っているくせに、それに対抗するために我が国も武力を整備してアメリカと一緒に事に当たるのだというのは論理的に矛盾している。そもそも日本国憲法はそれを許していない。まあそれを「解釈」の問題と称して突破しようとしているわけだが……。政治家なら「戦争」ではなくて「外交」をしてもらいたい。少なくとも両国のトップ会談は絶対に必要だ。やらなくていい靖国参拝をしていまだにトップ会談ができない状況を作り出したことは、もはや「外交」をする気がないという態度にしか見えないのである。

強い日本を取り戻すだの、積極的平和主義だの、威勢が良くて聞こえのよい進軍ラッパに踊らされるのは、まっぴらごめんだ。

【お断り】こういう世論を二分するような問題に関しては、皆様それぞれの見解がおありになると思います。コメントとして持論を開陳されることは構いませんが、ここで論戦になることは決して望んでおりませんので、賛否如何にかかわらずこの記事に関しては私からのお返事はご遠慮させていただきます。また、暴力的なコメントやただ揶揄するだけのコメントがあった場合には遠慮なく削除させていただきますので、何卒ご了承くださいませ。m(_ _)m

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