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2014年6月

怒ってます

たしか落語の『船徳』だったと思うが、一つの内緒ごとを親方にバレないようにしようとして言わなくてもよいことまであれこれしゃべってしまい、結局語るに落ちた船頭に向かって親方がこう言う。「お前はそういう馬鹿だ」。なるほど、馬鹿にもいろいろ種類があるのだなぁと笑ってしまうのだが、世の中には絶対に許せない馬鹿もいるようで……。

都議会で塩村文夏都議が晩婚化の問題について質問しているときに「自分が早く結婚すればいい」などとヤジを飛ばしたとして、鈴木章浩都議が謝罪した。塩村氏に直接謝罪したときの言動も記者会見をしたときの文言も、言い訳にもならぬ言い訳と嘘ばかりでとても謝罪と言えるシロモノではなく、おそらく反省なんてこれっぽっちもしていないだろうということはたいていの視聴者にもちゃんと伝わったのではないかと思う。わが身を守ることだけに汲々として、それがバレバレだという空気も読めず、ヤジで言った言葉の持つ深刻さにもまったく気づいていない、この人はそういう救いがたい種類の馬鹿だ。

鈴木氏にもご家族がおありで、そのご家族のことを思うとあんまりなことは言いたくないのだが、この事件だけはどうにも我慢がならぬ。

女性蔑視のセクハラ発言であることや、そもそも議会においてあんな下劣なやじを飛ばす品性の無さなど、世論やマスコミで言われていることはたしかにもっともだと思う。しかし、私が腹が立ってならぬ理由はもっと他にある。ただのセクハラ発言というのなら、何年か前に元厚労相だった柳澤氏の「女は産む機械」発言というのもあったが、このとき私はたいして腹も立たなかった。「あらあら、墓穴掘っちゃって。女を敵に回して、バカだね~」という程度にしか思わなかった(→この記事参照)。そのときと今回のどこが違うか。

今回は完全なイジメなのである。柳澤氏はここ松江市で行われた講演会で不特定多数に向かって(自分が勝手にそう思っている)一般論として先の発言をしたのである。文脈を捉えずにそこだけピックアップされてマスコミの言葉狩りに遭ったという印象も若干あった。もちろん言わずもがなの言葉だったことは言うまでもないが……。しかし今回の鈴木氏のケースは違う。塩村氏のみに対してのいわれなき暴言である。そして鈴木氏のみならず周りの連中も「産めないのか」等の暴言を吐き、議長もそれを咎めることをせず、舛添都知事も笑っていたという。

これをイジメと言わずして何と言う。周りもみんな同罪だ。都議会の場でのイジメが堂々と全国に流されたのである。こんな奴らが都民の代表かと思うと、情けなさや怒りを通り越して胸が悪くなってくる。

その後の鈴木氏の対応の卑劣さは皆さんご存知のとおり。「私じゃありません」としらばっくれ、おそらく自民党本部からの指示があったのだと思うが数日たってから自分だと申し出て、ちっとも誠意のない謝罪をし、挙句の果てに「ほんとうのことを話す機会を逸した」だと!? 何遍もあったろうよ! さらには「自分でなくて誰がやるという気概で今後も都政のために働きたい」と決意表明までしてしまう厚顔無恥さは、まさに「馬鹿につける薬はない」を地で行っている。

今回のこと、単なるセクハラ発言事件として幕引きされてはいけないと思う。イジメの構図と併せて人権侵害として取り扱われるべきだ。そして鈴木氏には即刻議員を辞職していただきたい。でも、それを実現できないのが、自民党多数の数の原理……。都民の方々、特に自民党支持の方々に訴えたい。こんな人が自分たちの代表でいいんですか? これを見逃したら、あなたもイジメに加担したことになりますよ。

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“に”の1字

Yahoo!のニュースを見ていたら(ちなみに私のPC起動時のホームページはYahoo!である)、【中国、ベトナムの「反中史観」非難…反日棚上げ】というヘッドラインがあった。

なになに? 中国がベトナムを非難することに躍起になって、反日姿勢を一応棚上げしたのか? と思って読んでみると何のことはない、【中国、ベトナムの「反中史観」非難…反日棚“に”上げ】というのが相応しいものなのであった。記事の内容はさておき……。

【中国、ベトナムの「反中史観」非難…反日棚上げ】
【中国、ベトナムの「反中史観」非難…反日棚に上げ】

“に”の一字の有無で読者が受ける印象はまったく違うと思うのだが。そこで「棚上げ(する)」と「棚に上げる」をネット辞書で調べてみた。

1.棚上げ
[名](スル) 1 需給の調節などのため、一時商品を市場へ出さないこと。「―株」
2.問題を一時的に未処理・未解決のままにしておくこと。「法案を―する」
---デジタル大辞泉---

1.棚に上げる
知らん顔をして問題にしない。不都合なことには触れずにおく。「自分のことは―・げて人の悪口ばかり言う」
---デジタル大辞泉---
2.棚に上げる
自分に不都合なことはわざと知らぬ顔をして打ちすてておく。たなへあげる。
---大辞林 第三版---

どうやら商売用語が語源であるということを初めて知った。また両方ともに「とりあえずいまは扱わない」という意味が根底にあることもわかった。しかし「棚上げ(する)」からは善悪の区別は感じないが、「棚に上げる」と言った場合そこには少なからず悪い意味を感じる。というか、この言葉を悪意以外で使うことはないように思う。上記の例文だってそうだ。「自分のことは棚に上げて人の悪口ばかり言う」。こういうとき、「自分のことは棚上げして人の悪口ばかり言う」とは言わない。

棚に上げられる対象に対する悪意(反抗だったり嫌悪感だったり嘲りだったり)を表す場合には“に”の一文字が必ず要るのだと思う。逆に言えば“に”を入れることによって悪意を表明することができるということだ。

【中国、ベトナムの「反中史観」非難…反日棚上げ】というヘッドラインだが、言わんとしていることは次のようなことだ。「中国はベトナムの反中史観を非難しました。自分たちの反日は棚に上げてサ」。その身勝手さを揶揄するつもりなら、こういうときは“に”の一文字は絶対に必要なはずだ。

……と思うのだけれど、このニュースソースは読売新聞である。大新聞がこんな間違いをするかなあ。ネットのヘッドラインに載せられる文字数の関係で“に”が無くなっちゃったのかもとも思うが、それなら「ベトナム」を「越」と表記すればよいだけだし……。どうなんだろう。いまは「棚上げ(する)」と「棚に上げる」は同じ意味なんだろうか?

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「憲法9条にノーベル平和賞を」

↑標記の署名活動が行われています。
ご賛同いただける方は下記のURLからお願いいたします。ネット上で簡単に署名ができます。

http://www.change.org/ja/キャンペーン/世界各国に平和憲法を広めるために-日本国憲法-特に第9条-を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください-please-award-the-nobel-peace-prize-to-the-japanese-citizens-who-have-continued-maintaining-this-pacifist-constitution-article-9-in-particular-up-until-present?recruiter=111790660&utm_campaign=signature_receipt&utm_medium=email&utm_source=share_petition

私も署名しました。まずは自分にできることを一つずつ、という思いです。

日本国憲法については、みなさんそれぞれの考えをお持ちだと思います。……と、以下、憲法に関して長々と持論を書いていましたが、削除しました。この記事は「こういう動きがあるよ」ということを知っていただくことだけが目的です。この運動の趣旨をよくご理解の上、ご賛同くださる方がありましたら、ぜひ署名をお願いします。
m(_ _)m

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6人目のTOKIO

DASH村の農業指導をしていた三瓶明雄さん(84)が亡くなられたそうだ。
何でもできる「日本のおじいちゃん」という感じの方だった。
ご冥福をお祈りする。
浪江町へ帰してあげたかったなあ……。

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『神去なあなあ日常』

『神去なあなあ日常』(三浦しをん著)読了。

(余談だが、病院の待合室でCTと骨シンチ検査の順番を待つ間に読み終えた。手術から5年経ち、血液検査でちょいと気になる数値は出るものの、CTも骨シンチも異常なしということで、まずは万々歳な結果であった^^v 次回は半年後で、胃と大腸の内視鏡検査をする。胃カメラ嫌いだぁ~~ T-T)

さて『神去なあなあ日常』である。カバーの解説にはこうある。
---平野勇気、18歳。高校を出たらフリーターで食っていこうと思っていた。でも、なぜだか三重県の林業の現場に放りこまれてしまい━━。携帯も通じない山奥! ダニやヒルの襲来! 勇気は無事、一人前になれるのか……? 四季のうつくしい神去村で、勇気と個性的な村人たちが繰り広げる騒動記! 林業エンタテインメント小説の傑作。---

「林業エンタテインメント」というジャンルがあったとはついぞ知らなかった(笑)。しかしまぁそう書いてあるのだから、それなりに楽しくて且つ勇気という青年が成長していく物語なのだろうなと思って読み始めた。確かにそれはそうだったし現在の林業を取り巻く問題も勉強になったのだが、それよりも何よりも、そこに描かれた「山」や「木」の持つ迫力に圧倒された。

そしてそんな自然に抱かれて暮らす神去村の人々の姿は、きっと太古の人々が持っていたであろう素朴さと力強さに満ちている。しかし、かと言って、村の人たちが大人しくて個性のない真面目一方な人たちかと言うと、とんでもない。登場人物はみなキャラが立ちまくりである。勇気を自分の家に住まわせて林業を叩き込むヨキをはじめとして、一々書かないが犬までもがイイ味を出している。そしてキャラ立ちまくりなくせに、全体の印象は「なあなあ」感でいっぱいという不思議(笑)。こんな人たちに囲まれていたら、最初は逃げ出したくてたまらなかった勇気がここに居たい、仲間になりたいと思うようになっていったのも頷ける。

ところで、この本を読みながら『もののけ姫』を思い出した。両方とも、山あるいは自然の神秘性や恐ろしさが描かれているという共通点があるのだが、ああいう擬人化した目に見える怖さではなく、この本で描かれた山や自然には人の意識の奥底に響く敬虔さという怖さがある。そして太古の人々はそういうものを「神」と名付けたのだろうなあと思う。

オオヤマヅミの祭礼の日、勇気たちは山から巨木を伐り出す。御柱祭を彷彿とさせる儀式だが、このシーンがまさに圧巻である。この作品は映画化されて現在上映中とのこと。どのように映像化されているのか、観てみたくなった。

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