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まんだらけの一件

まんだらけが万引き犯に出した警告、さてどうするかと興味津々で経過を見ていたが、やはり「警視庁の要請により」顔を晒すことは止めたようだ。

これは脅迫罪になるという弁護士の見解が事前に紹介されたり、「いいぞ、やれやれ
」という意見が喧しかったりと世間の注目を集めた一件だった。まんだらけは「法的リスクがあることは承知のうえで公開する」と発表していたが、すんでのところで思い止まったようである(笑)。

25万円相当の品を万引きされては、頭に血が上るのも無理はない。たとえ警察が犯人を見つけたとしても、商品が戻ってくるという保証はない。犯人が代金の25万円を賠償すればよいという話ではなくて、こういう店の場合その店にその品物があるということ自体に価値があるからだ。代金後払いで万引き犯に売ったというのでは、なんとも承服しかねるモヤモヤが残ると思う。

だから心情的にはまんだらけには心から同情する。しかしこういうやり方を認めてしまうと、後々誰がどんなふうに悪用するかわからないという恐ろしさがある。嫌いな人間を陥れることだってできないことはない。また、今回まんだらけは絶対的な証拠を示せるからこういう出方をしたのだろうが、冤罪を生む可能性だって決してゼロではない。そういうとき、ネット上に流出した情報を全て回収することなどもはや誰にもできはしないのである。

世界じゅうの人にネット経由で顔を知られてしまうというのは、刑罰としても非常に重い部類だろう。要は、個人が(会社だが)ここまでの私刑をやってもよいのかどうかということだ。

私刑はしてはいけないというのが法治国家たる日本の決まり事である。まんだらけがもしも犯人の顔をネットに晒していたら、これはまあ大変なことになると思わざるを得ない。犯人もだが、まんだらけもである。私なら、こんなところ怖くて二度と行かれなくなる(いや、決して万引きなんかしようとは思っておりませんが……)。客足は遠のきそうな気がする。まんだらけも、法的リスクは冒しても商売的リスクは冒さないだろうと思う。

だからこの一件、筋書き通りというか予定調和というか、全てはまんだらけの思惑どおりに進んだのではないかと私は思う。警察からの要請があったから止めたのだという社会的言い訳もできるし、記事を読むと犯人の関係者からの接触もあったようで、いずれ盗まれた商品は返ってくると思われるし、警察だって沽券に関わるから一生懸命犯人捜しをするだろうし、世間にあまたいる万引き犯をビビらせることにもなっただろうし、なにより、ニュースに取り上げられて自社のいい宣伝になったではないか(笑)。まあ、一回しか使えない手だけどね~。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ちょうど15日発行のメルマガに、まんだらけの話題を載せました。また長文で申し訳ありません。<(_ _)>

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古書店「まんだらけ」が万引き犯の写真公開を取りやめた。警察からの申し入れを受けて中止に踏み切ったという。モザイクなしで顔写真を公開した場合、名誉毀損や脅迫罪に該当する恐れがあるのだそうだ。

万引き犯に対するこの行為は、サイトへ警告文が出された当初から話題になっていた。よくやった、頑張れ、犯罪を許すな、という共感、励ましの声も多かったようだが、やり過ぎではないのか、犯罪になるのではないか、と指摘も少なからずあったらしい。

法治国家である以上、犯罪者に対する行為であっても法に反するものは断罪されなければならない。それは当たり前のことである。にもかかわらず、古書店の行動を支持する動きが多かったのは何故か。

それは、この国が犯罪被害者だけが割を食う社会だからではないのか? 

私的制裁を禁止しているのは、国家がその任を代行するからである。敵討ちが常道であった我が国では、なおのこと強く禁じなければならないのであろう。だが、仮に犯罪者が捕まったとしても、国家が行うのはその処罰であり、被害者への弁済ではない。犯罪者が法で裁かれても、犯罪被害者は受けた損失を補償されはしないのだ。人命はともかく、金銭的被害は民事で訴えることも出来るが、相手に賠償能力がなければ、勝訴しても再び相手を監獄に送り込むのが関の山である。

つまり、警察に訴えたところで自身が被った被害を取り戻すことは出来ない。犯人が裁かれ、制裁を受けることで溜飲を下げるより他に、犯罪被害者に出来ることはないのである。

だから、この古書店のような反応が出てくることも理解できてしまうし、その行為を応援する人々が多数いることも納得せざるを得ない。そのうえ、犯罪者から損害と取り戻そうとすれば、その犯罪者から訴えられてしまうと言うのである。はらわたが煮えくりかえるのも無理はあるまい。

この国は、犯罪者の人権は守るが、犯罪被害者の人権はその犯罪者によって踏みにじられたまま、回復もされなければ手当もされない。犯罪被害者は泣き寝入りするしかないように出来ている。今回の件も、結局は犯罪者の逃げ得になるのだという声が多数聞かれるのは、そうした背景に負うものであろう。

基本的人権の重大さ、重要さは理解しているつもりだ。だが、犯罪者は法の外で被害者の人権を足蹴にしていながら、いざ逮捕されれば、法の下に自らの人権は保障される。そこに、なにか重大な見落としがあるように思うのは、筆者だけなのだろうか? 

何人たりとも侵すことの出来ない基本的人権。理念としては大変立派なものなのだが、はたしてそれを守るための努力が正当になされているのだろうか? それほどに大切な人権を侵したことに対する罪は、数年の牢獄送りで許されてしまうほど軽いものなのだろうか? 

犯罪が減らないその原因は、そこにこそあるのではないか、という気がしてならないのだ。


→ならばどうしろというのか。刑罰を重くしたところで犯罪が減るとは限るまい。実刑判決を受けて、罪を償って戻ってきたら家族も仕事も失い、生きるためにまた犯罪を犯す、というスパイラルだって存在する。自業自得とはいえ、犯罪被害者が増えることに変わりはない。だとすれば、犯罪が起きにくい社会を作ることが大前提になるのではないか。人権云々とは別問題であるはずだ。

→犯罪を防ぐ、という目的と、犯罪によって生じた損害を誰が補填するのかは、それこそ別問題だろう。誰にも補填してもらえなければ、自分で取り戻すか、泣き寝入りするしかない。そうした背景があるから、今回のような問題で両極端の意見が対立することになる。万引きの被害によって生活が脅かされている商店主らは古書店の肩を持ち、法律でメシを食ってる連中は法律論を振りかざすだけで現実を無視する。今回の事件が示しているのは、その両者の溝を埋める材料が見当たらない、ということだ。早急に何かしらの手を打たなければ、いずれ私的制裁に歯止めが利かなくなるだろう。
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「→」以下の文章は、こういうことも考えてはいるんだよ、という言い訳みたいなものです。メルマガではことさら一方に肩入れした文章を書くことが多いので、それに対する反論や疑問点などを自分で考えて添えているんですねー。・・・なにをメンドーなことやってるんだか。(^^;)

投稿: モトキ | 2014年8月16日 (土) 00時25分

モトキさん

なかなかに重い問題でおいそれと返信ができなかったことをお許しください。

ちょうど本日、件の万引き犯が逮捕されたようで、まずは警察が一番ホッとしたのではないかと思います(笑)。ニュースでは顔こそ公開されませんでしたが、名前ははっきりと報道されていましたね。たかが(というと語弊がありますが)万引きくらいで全国に名前が知れ渡ってしまったのは、自業自得とはいえちと気の毒な気もしました。

これほど世間の注目を浴びなければ、たとえ逮捕されても地方ニュースにも取り上げられなかったかも。また、まんだらけが「顔を公開するぞ」と意思表明していることを知ったのが既に盗品を転売した後だったというところにも悲哀を感じます(笑)。もっとも、そこで即座に自首しなかったことについては、何を言っても言い逃れできないでしょうけれどもね。

モトキさんのご指摘、ごもっともだと思います。被害者が泣き寝入りするしかない現状は確かにあると思います。どんなに弁償してもらったとしても、事件以前の状態に戻れる方法は無いと言ってもよいでしょう。それならば、犯罪を抑止するために罰を重くするか……。でも……。と、ここで私もモトキさんの「→」考察と同じ迷路に迷い込んでしまいます。

以前こんな記事を書いたことがあります。
●http://micia0308.wordpress.com/2004/09/14/%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%AE%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%88%E3%82%8A/

また死刑と裁判についてはこんなことも書いています。今回の万引き犯はまさか死刑にはならないでしょうけれども、罪と罰、及び赦しについての考えをごちゃごちゃ書いています。
●http://wakabanonikki-2nd.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_3e58.html
●http://wakabanonikki-2nd.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_e36a.html

人に害を与えた人間はそれ相応の罰を受けねばならないことは当然ですが、犯人にどんなに重い罰を与えても決して元の状態には戻り得ないとき、被害者を救済できる道はもはや「法」ではなくて「心」のありようにしかないと思います。被害者に寄り添い、興味本位で事件を語らず、二度と同じような事件が起こらないことを願う。そんなことしか方法はないように思います。

ああ、まるで返信になっていませんが、私の考えることなんて所詮この程度、ということで、ひとつお許しください(汗)

投稿: わかば | 2014年8月19日 (火) 22時04分

さだまさしに、「償い」という曲があります。ネットでも評判になった歌ですので、聴かれたことがあるかもしれません。恥ずかしながら私は、発売日に購入したアルバムでこの曲を数回聴いて以来、ほとんどまともに聴いたことがありません。何故かというと、泣いちゃうからです。(^^;)

「ゆうちゃん」の心情を推し量ると、もう涙腺がゆるみ始めてしまいます。「彼は許されたと思っていいのですか」あたりの、さだの絶唱を聴くと崩壊します。涙が溢れて止まらず、嗚咽してしまいそう・・・。人前でもしこの曲を聴かされそうになったら、恥も外聞もなく逃げ出すに違いありません。

もし、犯罪を犯してしまった人達がみな、「ゆうちゃん」のような人であったなら、きっと死刑なんてなくなるに違いない。そう思っていますし、そうなるように願ってもいます。

一方で、自らの罪に向き合おうとせず、被害者や遺族を冒涜するような人間も少なくありません。そういう犯罪者を見ると、この手で絞め殺してやりたくもなります。

だから多分、私には裁判員は務まらないでしょうねぇ。感情に流されすぎていますし、柔軟に思考を変えていくこともうまく出来ません。自分自身の価値判断でしか物事を裁けませんし、他人と意見が食い違うとなれば、完全に相手を打ち負かすか、自分が折れて我慢するかのどちらかしか選べません。

そういう人間が口走ったことなのに、真剣に回答を考えてくださったことに深く感謝します。・・・なにしろメルマガの読者はほとんど反応してくれませんからねぇ。(>_<)

わかばさんのブログ、読ませていただきました。私個人は、現状での死刑廃止には消極的です。理由はアレコレ考えつきますけれど、やはり最後に残るのは感情的な部分だけになってしまうでしょう。自分の欲望を満たすために人を殺したのであれば、因果応報こそが唯一与えられるべき償いなのだろうと考えています。

ただ、前述の「償い」のように、罪を悔い、己の人生の残りすべてをかけて償っていこうとする決意の前には、そんな考えなど風前の灯火よりも遥かに儚いものとならざるを得ません。ならばやはり、罪を認め、悔い、詫びさせることこそが第一義になるのではないのか、と堂々巡りが始まってしまいます。(^^;)

結局、結論など得られるはずがないのでしょうね。社会があり、ルールがある中で人が生きていく以上、そこからはみ出した人間をどうするのか。それは、永遠に人が向き合っていかなければならない命題なのかもしれません。

投稿: モトキ | 2014年8月21日 (木) 01時04分

モトキさん

さだまさしの「償い」を聴きました。ゆうちゃんの思い……「償いきれるはずもないがせめてもと」のところで涙腺決壊しました^^;
一聴して「ごんぎつね」を思い出したりしましたが、テーマはもっと重いですね。
死ぬより辛い償いをし、その思いが通じてはじめて「赦し(←許しではなく)」を得られる……。これからも、ゆうちゃんと奥さんが辛い日を過ごすことは変わらないでしょうけれども、そこに気持ちが通じ合った事実があるのと無いのとでは大きく違う。「救い」を見出せてよかったと、心からそう思いました。

一方で、モトキさんがご指摘になったように、「自らの罪に向き合おうとせず、被害者や遺族を冒涜するような人間」がいるのも事実。私が死刑に反対なのは、そういう輩を反省も後悔もさせず簡単に死なせてしまってなるものか!という、決して加害者の人権を尊重しようとかいう優しや慈愛などではない、憎悪の気持ちを持っているからです。このあたり、修行が足りないなぁと自分でも思いますが……。

また最近このような輩が増えてきているようなのが気になります。裁判長がさだまさしの「償い」を聴けと諭したのもむべなるかなと思います。こういう心のありようを教わってきていない(まあ、人から教わるものでもないとは思いますが)世代の世の中になってきているのではないでしょうか。私は、祖父母の世代との交流が少ない核家族化と、宗教に触れる機会が少ないことが関係しているのではないかと思っていますが……。

LINEをやることが友達付き合いだと思っている無機質な世の中が、今後どうなっていくのか、末恐ろしいような気がします。人間らしい心を取り戻したいものですね。と、またわけのわからない返信になってしまいました。すみません(汗)。

多くの示唆に富むコメントを、どうもありがとうございました^^

投稿: わかば | 2014年8月21日 (木) 23時26分

度々のコメントですみません。(^^;)

「償い」をお聴きいただき、ありがとうございます。この曲は、さだの知り合いが実際に体験した実話なのだそうです。普通ならばそれだけで話がすんでしまいますが、さだの知り合いは、歌中の「被害者の奥さん」なんです。「ゆうちゃん」とさだは面識もないのだとか・・・。

そこにさだのクリエイターとしての才能を感じますが、同時に、人伝に聞いた話の中に登場する、見知らぬ人間の心情をこれほどまでに見抜く想像力に驚かされます。もし、こうした想像力を誰もが持っていたとしたら、私たちが悩んでいるような問題のほとんどは、自然と解決できてしまうのではないか、とつい想像してしまいますね。(^^ゞ

投稿: モトキ | 2014年8月21日 (木) 23時39分

モトキさん

うわあ~! ビックリしました。
さださんの知り合いはゆうちゃん、またはゆうちゃんの周囲の方だと思い込んでいました。さださん、すごい才能ですねぇ! 推理小説で大どんでん返しを読んだ気分です。

と同時に、奥さんもすごい人だなあと、改めて感じました。彼女の思いに心を揺さぶられて、さださんはこんなに哀しくも救いのある歌が作れたのでしょうから。……うまく言えませんが、きょうまた改めて感動しています。

投稿: わかば | 2014年8月22日 (金) 23時18分

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