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2015年2月

異常だよ!

7時のNHKニュースを見ていた。大塚家具とやらの父娘の騒動、そんなのNHKニュースで取り上げるほどのことか? それより、東京電力が福島第1原発の排水路から汚染水が外洋に流出しているのを把握しながら約10カ月間公表しなかった問題の続報はどうした? 菅官房長官は昨日午後の記者会見で「港湾への影響は完全にブロックされている」と豪語したが、ちゃんとその裏は取ったのか? まさかとは思うが政府の言うことを真に受けているようではマスコミの責任を果たしているとは言いがたい。

東電と政府の隠ぺい体質にはもう慣れたが、昨年の選挙の際に自民党から「公正中立」な報道をするようにという圧力がかかったあたりから、マスコミの報道も徐々におかしくなってきた。マスコミの本分は、真実を報道し誤りを批判することである。政府に都合の悪いことでも真実を報道すべきだ。政府の検閲が入ったニュースばかり見せられるのでは、日本は北朝鮮と何ら変わらない。

風呂に入っていたため「ニュース9」は見逃したが、汚染水の問題は報道されたのだろうか? ところで、原発再稼働に慎重な発言をしていた「ニュース9」の大越キャスターは、この3月で降板だと言う。官邸の意向を汲み取っての人事だという噂もある。

教科書でしか知らなかった「言論統制」とか「情報統制」ってのは、こういうことなんだなあ……。

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Silver

きょうはネコの日。ふーふーふーで、おでんの日。そして我らの結婚記念日です。忘れないようにと平成2年2月22日に籍を入れて、はや25年が経ちました。きょうは別に何をするわけでもなく、普段通り中規模な口喧嘩などしながら一日を過ごしました。あと何年一緒にいられるか神のみぞ知るですが、かすがいとなる子供もいないので、せいぜいお互いが煙たい存在にならぬよう気を付けながら生きていこうと思います。
夫よ、これからもどうぞよろしく。
あ、明日生ゴミ出すの忘れないでね!

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「反省する」ということ

大韓航空のナッツリターン事件で、被告のナッツ姫には執行猶予なしの懲役1年の判決が言い渡された。これがもしも財閥の増上慢なお嬢様がやったことではなくて単なる酔っ払いオヤジか何かがやったことだったとしたら、こんなに厳罰になっただろうか。法の下では誰もが平等に扱われなくてはならないと思うが、韓国の司法は法より国民感情で動いているように思われてならない。

裁判長は「被告が本当に反省しているのか疑わしい」と述べたそうだ。ということで、きょうはナッツ姫の話題ではなくて「反省」ということについて。

『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹著)読了。最初に言うが、このタイトルはいただけない。書店で見かけてタイトルの奇抜さにまんまと乗せられる私のような購買者を狙い撃ちしようとする商売根性を感じる。中身が良かっただけに、このタイトルはちょっとどうかと思う。結局のところ、犯罪者をいかにうまく反省させるかというのが本書のテーマなのだから。

余談だが、私は以前から、服役している受刑者たちにはどんな更生のための教育がなされているのかを知りたいと思っていた。私は、「もしも本当に反省して後悔している死刑囚がいたら、その人に死刑はふさわしくない。また、もしも反省も何もしていない死刑囚をそのまま死刑にしてしまったら、その死刑囚から永遠に反省する機会を奪ってしまう」という死刑反対の持論を持っているのだが、その一番の要点は受刑者が「反省しているかどうか」という点だった。だから、その一端でも知ることができればと思って、この本を買ったというわけだ。

---長年、受刑者の更生を支援するなかで分かってきたことは、彼らを更生させるためには、実は「反省させてはいけない」ということです。私は彼らに反省を求めません。反省を求めない方法で個人面接や授業を進めていくうちに、彼らの多くは反省していきます。反省させようとする方法が受刑者をさらに悪くさせ、反省させない方法が本当の反省をもたらすのです。このことを、受刑者を支援するなかで、私自身が受刑者から教えてもらいました。それを本書で明らかにしようと思います。---(新書カバーより)

著者は、殺人など重大な犯罪を犯して10年以上の刑に服す受刑者を収容する刑務所で、受刑者に個人面談をしたり更生のためのプログラムを作ったりして更生支援に当たっている人である。「更生」が目的なのだから死刑囚は対象外だったのだけれども、一般人が窺い知れない受刑者の心の中などもわかって、興味深い本であった。

さて「反省」ということであるが、本書の内容をかいつまんで説明すると……。罪を犯したとき、人はまず自分のことしか考えない。被害者の立場になって考えろ、反省しろと言われるからそれらしくしおらしい内容の反省文を書くけれども、それだとて少しでも自分の罪や刑を軽くしたいからなのであって、結局のところ反省などしていないのである。被害者の身になって考えることを最初にやらせるのが良くない。まず加害者である自分のことを考えさせるべきだと著者は言う。彼らを犯罪に追い込んだ原因は必ず彼らの過去にある。親に虐待されて育ち、愛を知らず、自分はかくあらねばならないという行き過ぎた思いに捉われて人に心を開くことができず、どんどん孤独になっていく……、そんな過去を彼らは必ず持っている。

自分の中の抑圧されて表に出すことができなかった思いを吐露したとき、彼らは涙を流すこともあるそうだ。そしてそのとき初めて、自分が被害者にどんなに酷いことをしたのかを悟るそうだ。ここでやっと「反省」へのスタート地点に辿り着けるのである。……以下略。

覚せい剤で捕まったのりピーの著書『贖罪』から彼女の反省の弁が紹介されているが、本書を読んだ後ではそれがいかにそらぞらしいものかがわかる。本書を読んでいなかったら「うん、彼女も反省してるんだね」と思ったにちがいないのだが(笑)。

「反省を求めない方法で個人面接や授業を進めるうちに、彼らの多くは反省していきます。反省させようとする方法が受刑者をさらに悪くさせ、反省させない方法が本当の反省をもたらすのです」。これは受刑者に限らず、子供のしつけや普通の大人にも応用できる。なかなかに興味深い一冊、お薦めします。ナッツ姫、反省なんかしてないんだろうなあ(笑)。

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笑おう!

最近毎晩寝る前に覗くサイトがココ
個人的には「殿堂入りボケ」の中の「風邪ですね」が好き♪

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自分の心との戦い

ここしばらく、テレビや新聞を見るのが嫌だった。イスラム国を名乗るイスラム過激派の残虐な暴挙のせいである。しかし、嫌だ嫌だと避けて通るわけにもいかず、1月20日には「日本の出方は?」という記事を書いてもいるので、いちおうその後の経過を記しておく。

日本人の人質(湯川遥菜さんと後藤健二さん)はお二人とも殺害され、ヨルダン空軍のパイロットも1月3日に既に焼殺されていたことがわかり、ヨルダンはイスラム国が解放を要求していた女性死刑囚を即刻死刑に処した。ヨルダン、アメリカは空爆を激化し、UAEも空爆を再開するという。日本は有志国に名を連ね、安倍首相はイスラム国にその罪を償わせると宣言し(これが世界では「日本は平和主義を捨ててISISに報復する」と受け取られているわけだが)、シリアへ渡航しようとしていたジャーナリストS氏は旅券返納命令を受けた。

報復に次ぐ報復。泥沼の様相である。もともとイスラム国というのはアルカイダから分裂した超過激派と旧フセイン軍の残党が結びついたものであるらしく、イスラム国という過激派の誕生自体がアメリカのイラク攻撃の報復とも言えるものだ。

さて、国会では政府の対応がどういうものであったかを検証しようとしているのだが、政府側の答弁にはいろいろと不思議なことがある。政府は早い時点で湯川さんが拘束されたのを把握していたのに、それがイスラム国の仕業であったことは1月20日の脅迫ビデオを見るまでわからなかったという。さらに後藤さんの場合は、たしか11月の時点でイスラム国から後藤夫人に身代金の要求がきて、政府ももちろんそれを承知していたはず。それなのに相手がイスラム国だとわからなかったなどと言い逃れるとはあまりに人をバカにしている。本当のところは、日本政府は何もできなかったか、何もしようとしなかったかのどちらかだろう。選挙に忙しくてそれどころではなかったとか?

安倍政権の下では、今後同様なことが起こっても日本人の人質はまず助からないと思っていたほうがよい。テロに巻き込まれる危険の高い地域への渡航禁止、旅券取り上げも、国民の身を心配しているというよりは、今回と同様の事態となったときにこれ以上政府の失点を増やしてくれるなという意図に感じてしまう。外交的手段によって人質の命を救おうという考えも力も安倍首相にはない。

誰だったか名前を失念したが政府の人間がテレビで「日本人が海外で危ないことに巻き込まれても、自衛隊が助けにきてくれるとは思わないでもらいたい」と明言していたのだが、今回のイスラム国のテロをも利用して、なんとしてでも自衛隊を海外に送れるようにしたいという安倍首相の意向が透けて見えると思うのは、私の性格が悪すぎるせいか?

安倍首相には本当にテロと戦う気持ちがあるのだろうか? 一般国民の一人や二人どうなってもいいのか? 人質がたとえば政府高官だったりしたら、どんなに莫大な身代金でもこっそりホイホイ払うんじゃないの? 有志国に名を連ねる、そういう方法でしか、テロと戦うことはできないのか? それはアメリカにすり寄るという結論が先にありきなんじゃないのか? 日本が標的になる確率はものすごく大きくなるんじゃないのか? 報復が報復を呼ぶ歴史的事実をどう捉えているのか? テロとの戦いは待ったなしとはいえ、今こそじっくりと腰を据えて、日本ならではの戦い方を本気で考えるべきなんじゃないのか?

後藤さんがツイッターに残した言葉「憎むは人の業にあらず」、また後藤夫人の健気なメッセージ。憎しみの連鎖を自ら断ち切ろうとした姿勢から学ぶべきことは甚だ大きい。テロとの戦いとは、まず自分の心の中にある憎しみを消すことから始まるのだろう。

最後に、禅のお話から……。
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禅僧・盤珪のもとに一人の僧がやってきた。
「私は生まれつき短気な性分で困っています。どうやったら治るでしょうか」
「ほう。そなたはおもしろいものを生まれつかれたのう。いまもその短気がござるか。あらばここに出してみなされ。治してしんぜよう」
「いえ、いまはございません。なにかの折りにひょっと出てまいります」
「ならば、そなたの短気は生まれつきではあるまい。なにかしたときに、縁によってそなたが勝手に出したもの。自分が出さなければ短気などない。それを生まれつきなどと親のせいにするのは親不孝者のすることじゃ」
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「短気(怒りの心)」を「憎しみの心」と読み替えると、要は、すべて己の心の持って行き方ということだ。

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手塚治虫はやっぱりすごい!

NHK『日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第8回 宇宙から生命を見つめて 手塚治虫』を観た。

先日観た吉本隆明や三島由紀夫の回では、彼らが当時の学生運動に果たした役割であるとか、自衛隊や安保に対する考え方であるとか、いわゆるその時代人としてどのように時代に影響されどのように時代に影響を及ぼしてきたのかということが語られていたが、今回の手塚治虫の回では、もっと大きくて普遍的な手塚の思想が語られていたように思う。

以下、うろ覚えだが内容を拾ってみる。

幼い頃から自然に親しみ、鎮守の森に行ってはぼーっと時を過ごしたり虫を採って図鑑を作ったりする。戦時中に学校で作った文集では、他の生徒が勇ましくて軍国少年的な文章を綴るのに対して、ひとり「蟻の貯水場」を書く。そんな少年は空襲で人間が壊れた人形のようにバラバラになって転がっている地獄を見、徴兵されなくてすむからと軍医を目指して阪大に入り、敗戦では悔しさ悲しさよりも自分が生き残れてこれから好きなことができるのだという喜びが大きく、天地神明に感謝した。

医大生と漫画家という二足の草鞋をはく多忙な生活は、教授の「君は医者になれば社会に害を及ぼす。漫画家になって子供の心を治しなさい」という言葉で、漫画家を目指すこととなり、戦前戦中の漫画とは一線を画す新しいセンスの作品を世に送り出すようになる。『新宝島』など。

『メトロポリス』では人工細胞で作られた人造人間ミッチーを描いて、科学の行き過ぎた発達はやがて人間を滅ぼすのではないかと憂え、TVアニメ『鉄腕アトム』では原作と異なりアトムが単なるヒーローに堕してしまったことを悔やむ。「アトムはすでにぼくの息子ではなかった」。最終回ではアトムはわが身を犠牲にして地球を救うが、悲劇というものを漫画に取り込んだのは手塚が最初だという。アニメ『西遊記』でもそういう要素を盛り込もうをしたのだが周りに反対されたらしい。

『ジャングル大帝』では命のあり方と生命の連続性を描き(「何代も何代も生命は繰り返されるが自然は変わらない」)、それは『火の鳥』でも同じ。『火の鳥 未来編』では、生き物の誕生と進化と滅亡を繰り返し見てきた火の鳥の、いつか生命を正しく使ってくれる賢い人間が生まれてくるのを願うというセリフが紹介されていた。

各漫画雑誌が奪い合う超売れっ子となり、トキワ荘の面々や若い漫画家たちの師ともなった手塚だが、世は劇画ブームとなり虫プロ倒産という冬の時代を迎える。もう手塚は時代遅れだ、終わったと言われたときに彼を復活させた作品は『ブラック・ジャック』。数回で終わりという予定が10年もの長期シリーズとなる(「医者はどこだ!」でのBJの鮮烈なデビュー、「300万ドル、ビタ一文まけませんぜ」という大塚明夫さんの声を聴いたときには震えましたぜ)。ヒューマンドラマにはしなかった。絶対的な正義などない。勧善懲悪なんか絶対に描かないと言った手塚は、単なるヒーローではなく自分のあり方に悩みながら生きるBJを描いたと……。

……あら? BJの登場に想像以上に舞い上がってしまったのか、その後の番組内容を覚えていない……(汗)。断片的に記憶に残っていることを挙げると……。

石ノ森章太郎の言葉。「(手塚は)どこかで人間を信用していない。影がある」

仏文学者の巖谷國士さんの言葉。「人間と他の動物、植物との間に境界がない」

手塚が病を得たときに会った松本零士の言葉。「タクシーの中ででも仕事をしていたほどの手塚先生が、いま何もしていないよ、と言ったときに、これは大変なことだと……。それが最後でした」

関係者の○○さんの言葉。「頼むから仕事をさせてくれ、というのが私が聞いた最後の言葉でした」

親交のあった梅原猛の言葉。「手塚さんは宇宙人」「手塚さんは預言者(予言者?)」

手塚治虫の言葉。「医学生の頃、担当だったがん患者が死んだ。それまでものすごく苦しんだのに、死んで顔がふっと安らかになった。そのときに思った。死んだ後に別の世界があるんじゃないかと。この世では50年、70年ほどの命だけれど、もっと長い命の塊みたいなものがあるんじゃないか。命というのはもっと宇宙的なものじゃないかと」

手塚治虫の言葉。「将来は地球を外から見る状況で子供が生まれてくる」「地球を外から見たとき、地球を大事にしなくちゃいけないと思うはず。そういう哲学が生まれてくることを期待したい」

うろ覚えの心のメモはここで終わり(汗)。

つくづく思った。手塚治虫はやっぱりデカい。絶対的な正邪も善悪もない。人間も他の動植物も何ら変わりない、一つの大きな生命体の欠片……。それはなんだか仏教の世界観と似ているような気がする。手塚は後年『ブッダ』を描いたくらいだから仏教の知識はあったと思うのだけれど、そういう世界観はおそらくごく初期の作品から断片的に見られてその後もずっとブレがないように思われる。

手塚は赤塚不二夫にこう言ったという。「良い映画を観て、良い小説を読んで、良い音楽を聴きなさい」。幼い頃から様々な芸術に触れてきた手塚は、特定の宗教ではなく一流の芸術に触れることによってそういう世界観に辿り着いたのかもしれない。天才にしか感じ取れないものを一流の芸術の中に見出していたのかもしれないと思う。

そしていま、天才ならぬ身の私は一流の手塚の作品からそういう世界観を受け取ることができる。連綿と続く生命と同じように、手塚の普遍的な世界観もずっと受け継がれて広まっていけばいいなと思う。そうすればきっと、美しい地球も人間の命もかけがえのないものだと、皆が気づけるに違いないから。

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