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コメント御礼

ひとつ前の記事にコメント下さった皆様、ありがとうございます。削除したくなるような脊髄反射的な攻撃コメントが寄せられていないことにも、ありがたいことだと感謝しています。記事文末に書いたように、レスは控えさせていただくことをお許しください。いただいたコメント、反芻して勉強させていただいております。今後ともどうぞよろしくお付き合いくださいませ。

件の本について、テレビで取り上げられたワイドショーは2~3観ました。司会者、コメンテーターいずれも出版自体について憤慨している様子のものばかりで、私的にあまり参考になるものではありませんでした。

ずっと気にはなっているものの、いまのところまだ本は読んでいませんし、私の気持ちも前の記事に書いたものから変化はしていません。この事態をどう受け止めるのが「正しい」のか、あるいは「正しい」方法なんてないのか、そもそも今さらこの事件が蒸し返されて人の口の端にのぼることこそがご遺族のお気持ちにそぐわないものなのかもしれないと思ったりして、なんだかモヤモヤしているような状況です。

ところで、アンドロメダの雲さんがくださったコメントで「なぜ人を殺したらいけないのか」という問題について一つの答えを出しておられたので、きょうはその点について私の考えを少し書いてみたいと思います。

出典を探し出すことができなかったので文言はうろ覚えですが、ブッダの言葉に「人は自分の命以上に大切なものはない。それを他人にも当てはめてみれば、人を殺してはいけないのは当然のことである」というものがあります。

これはある王様とお妃の会話のところで出てくる言葉です。この王様とお妃はラブラブな関係です。そこで王様がお妃に「あなたには、あなたの命以上に大切なものがある?」と訊ねます。きっと「それは、王様、あなたですわ」という言葉が返ってくると期待していたのでしょう。ところがお妃は「私には、私の命以上に大切なものはありません」と答えたのです。そして今度は逆に「王様、あなたにはあなたの命以上に大切なものがおありですか?」と訊ねられて、王様も「うん、私も、私の命以上に大切なものはないよ」と答えるのです。

王様からその話を聞いたブッダが言ったのが先の言葉です。「人は自分の命以上に大切なものはない。それを他人にも当てはめてみれば、人を殺してはいけないのは当然のことである」。これはアンドロメダの雲さんのお答と同じ趣旨だと思います。

「なぜ人を殺したらいけないのか」、こういう質問を発する人間は、アンドロメダの雲さんのお言葉を借りれば「いつ自分が殺されてもいいと認める」という段階にまで至っていない可能性があると思います。つまり他人の身になって考えることができていないか、自分だけは特別な存在だと思っているかだと思います。

また、この問題については(以前触れたことがあるように思うのですが)、内田樹が『下流志向』の中でこう答えています。

---答えることのできない問いには答えなくてよいのです。(中略)これは「絶句する」というのが正しい対応だったと僕は思います。(中略)「人を殺してどうしていけないのか?」と問う中学生は「自分が殺される側におかれる可能性」を勘定に入れていません。---

ブッダの場合は相手が物の道理を分かった王様なので最後まで丁寧に説き明かしていますが、「人を殺しちゃいけないよ。でも戦争なんてものが起こった日にゃ相手を殺さなくちゃいけなくなるしな……」なんてことをつべこべ考える大人が、おろおろして絶句するのを喜んでいるようなお子ちゃまが相手なら、別に答えてやる必要もないというふうにも読み取れます。

そして、そういうお子ちゃまならまだ良いのですが……。先ほど、こういう質問を発する人間は、他人の身になって考えることができないか、自分だけは特別な存在だと思っているかだと記しましたが、実はもう一つ一番厄介なパターンがあるように思います。つまり「人は自分の命以上に大切なものはない」と思っていない人間です。自分の命を大切だと思っていない人間です。「死刑にしてほしくて罪を犯した」というような犯罪者も実際にいましたね。

アンドロメダの雲さんのお言葉を借りれば、彼らは「自分が殺されてもいいと認め」ている人間たちということになるのかもしれません。そうすると彼らは人を殺してもよいということになってしまう……。いえ、アンドロメダの雲さんの真意がそんなところにはないというは重々理解しています。つまるところ、この問題の答えは言葉にしてしまうとどこかに瑕疵や陥穽が生じてしまう、そういった類の問題なのではないかということです。内田樹が言うように、この問題について答える必要はないというのが唯一の正解ではないかと私は思っています。

ここで『絶歌』の話に戻りますが(重ねて言いますが未読です)、私はこの元少年Aは、もしかすると、この3番目のパターン=自分の命の大切さに気付いていない人間だったのではないかという気がしています。これが彼の思考力の程度の問題なのか、あるいは何らかの病気なのかもわかりませんが、もし病気なのだとしたら、彼が更生していくうえでそれなりの救済は必要なのではないかと思っています。

うまくまとまりませんが、きょうはこのへんで。皆様のコメントのおかげで、様々に思考を巡らせることができます。重ねて感謝申し上げます。

手塚治虫ならこういうテーマをどう描くでしょうねえ? 生を描き、悪と狂気を描き、示唆に富む作品にしながら、でもきっと最後は読者にこれから先は自分で考えろと言うんだろうなあ……。

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コメント

このコメントを書いている最中に停電しました。せっかくの力作が全部消えちゃったよう~。ガ━━(゚Д゚;)━━ン!

・・・というわけで、日を改めてまた参上いたします。(^^ゞ
 

投稿: モトキ | 2015年6月24日 (水) 00時04分

モトキさん

なんと!>_<
モトキさんの力作に、雷神さまも思わず力んでしまったのかもしれませんね。
はい、またのご投稿をお待ちしております^^

投稿: わかば | 2015年6月24日 (水) 23時25分

遅くなりましたが、コメント御礼拝読しました。きちんと考えを示してくださったことに感謝していまます。
わかば様のご意見で私の視野や物の考え方も広がりました。
私はいい歳の社会人ですが、最近一部の若者の価値観が固く・偏りがあるのに悩んでいたところでした。若いからだけではない何かがある・・・、と勝手に思っていました。
自分にない考え方は読書などから吸収するしかないと思います。
これからも無理せず更新してください。
応援しています!

投稿: アンドロメダの雲 | 2015年7月 4日 (土) 15時20分

アンドロメダの雲さん
PC接続の調子が悪く、コメントが書き込めず、お返事遅くなりました。すみませんm(__)m

重ねてのご丁寧なコメント、本当にありがとうございます。
私の考えの基本には、お互いが糾弾し非難し合う社会よりも、お互いがお互い様だと広い心持ちで赦し合う社会のほうが絶対に暮らしやすいだろうという思いがあります。もちろん、重大な犯罪にはそれ相応の厳しい罰が与えられて然るべきなのは言うまでもありませんけれども。

それというのも、私自身が絶対に罪を犯さないと言える自信がない人間であるからにほかなりません。そして「私は未来永劫絶対に罪は犯しません」と言える人間がいたとしたら、それぐらい信じられないものもないと思っています。

アンドロメダの雲さんが危惧しておられる「一部の若者の価値観」というのが具体的にどういうものなのか私にはわかりませんが、若い頃というのは概して自分と同年代との付き合いしかありませんし、ネットや何かで情報を集めるにしても自分の考えと似たものしか選ばず、且つそれで十分だと満足してしまうのかもしれません。狭くて浅い人生経験しかないわけですから、世間にはいろんな考え方があってそれぞれに長所と短所があるという当たり前のことにも気付かないのかもしれません。←これには自戒も込めていますが^^;

完璧な人間なんかいない、ましてや自分なんか不完全もいいところだと気づけば、他人を思いやる気持ちも出てくるでしょうし、ガチガチに凝り固まった価値観なんてあんまり意味がないとも思えるのかもしれませんね。

……などと、身の程知らずにエラそうなことを(汗)。すみませんm(__)m

読書から得られるものは大きいと思います。小説でも評論でも詩でもマンガ(特に手塚♪)でも。そこからいろんなものを吸収して考えを巡らして「何か」を自分の中に培って実生活に応用して上手くいかなければあーだこーだとジタバタして……(笑)。自分なりに心豊かに人生を送っていく上で、読書は最高の友だと思います。

温かい励ましのお言葉、身に染みました。ありがとうございます。これからも亀のごとき鈍い更新になると思いますが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

投稿: わかば | 2015年7月 5日 (日) 22時17分

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