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2015年7月

地方を蔑ろにする国に未来はないと思う

「一票の格差」が問題になって以来、いつかはこうなるかもと薄々思ってはいたが、いざ「来年から鳥取と島根は一つの選挙区にして定数1にするからね」と言われてみると、地元民としてはまことに面白くないのである。

あのさぁ。国会議員というのは「国」のあり方や進んでいく方向を決める人たちだよね。「国」というからには、そこに含まれる概念はまさか人間だけじゃないはずだよね。一木一草、海岸の岩礁一つとってもそれは「国」のはずだよね。むしろ自然や国土は「国」の態をなす根幹だよね。でなければ、誰も住んでいない尖閣列島なんかが問題になるはずもないわけで。

その「国」を現在は47の都道府県という行政地域に分けてるわけさ。各行政地域の境界には歴史的地理的に何となく納得できる理由もあるわけさ。遠くの地方の人たちにはわからないかもしれないけど、鳥取県と島根県の違いというのはあるのだよ。京都府と大阪府が違うようにね。もし「京都と大阪は一つの選挙区にして定数は1ね」って言われたら「おいおい!」って思うでしょ? どこの都道府県民でも自分の身になったらそう思うでしょ? たかが人口が少ないからってそんなことされたら腹も立つわけさ。人がいっぱいいるのがそんなに偉いのか、って思うわけよ(オラ!酒持って来い!)。

島根県に島根県民が万遍なく均等に住んでいるとして、東京都に東京都民が万遍なく均等に住んでいるとして、1人当たりのそれぞれの面積はどれほどになるのか。面積を人口で割ってみた。

2014年の面積(Wikipediaより)
島根県 6708.23[km2] 
東京都 2190.90[km2]

2010年の人口(Wikipediaより)
島根県     717,397[人] 
東京都 13,159,388[人] 

人口1人当たりの面積
島根県 0.00935[km2]
東京都 1.66489e-4[km2] = 1.66489×1/10000 = 0.000166489

島根県/東京都 ≒ 56.15986

私の計算が正しければ、島根県民1人は東京都民1人の実に56倍の面積を有するのである! 「一票の格差」と言うけれど、1人当たりの国土の占有率(?)からすればこれだって立派な「一票の格差」なんじゃないの? 東京都民が1票なら島根県民は56票投票したっていいんじゃないの? と思ったりするわけよ、わかるこの気持ち?

都市部と地方の格差是正とか、地方の活性化とか、よくぬけぬけとそんなウソが吐けるなあと感心する。県から一人の議員も出せないで、地方の声が政治に届くとでも言うのか。

ギリギリの限界集落で山や田畑を守って生きている人たちがいる。都会人がたまに息抜きにやってくる田舎でその景観を守っているのは田舎の人たちだ。都会だけに人が住み、その他の地域の山野が荒れ果てている「国」を、その国民は誇りに思えるだろうか。地方地方の伝統や言葉が失われていく状況は、はたして文化的と言えるだろうか。都市部で老人人口が増えると困るから老後は地方へ行けばよいとか、アホも休み休み言え。地方は都市部の厄介ごとを引き受けるための場所じゃない。

島根は田舎だけどさ。県民の平均収入は東京の6割しかないとか言われてるけどさ。それでなんとか暮らせるし生活上の不満なんかないのだよ私は。お金で買えない幸せがいっぱいあって、ここで生まれてここで死ねることを有難いと思ってる。細々と平穏に暮らしていければ満足なのに、「あんたんとこは人口が少ないから政治に参加できないよ」なんて上から目線で波風立てられると、沸々と怒りが湧いてくるのである。


来年の参院選、鳥取島根両県の有権者が全員白票を投じればいいと思うよ。

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市の木に釘が打たれた件

ローカルな話題で恐縮。先日、松江市内の公園の木に女性の顔写真が貼られたわら人形が釘で打ち付けられていたという事件があったそうだ。松江署が捜査して、打ち付けた男性(50歳)には口頭で注意したとのこと。なんでも、顔写真の女性との間でトラブルがあり、3月頃に自分の気持ちを静めるためにやったとか。男性は市所有の木にクギを打ったが、木を傷つけることが目的ではなかったことから、同署は器物損壊容疑での立件は見送ったらしい。

私が知っている情報は以上で、その後その女性との間がどうなったかとか、男性が他の何かの罪で訴えられたのかどうかなどは、知らない。

ところで普通わら人形というと丑の刻参りを思い浮かべる。恋人が心を移した相手をわら人形に見立てて、丑の刻にそれなりの装束で木に釘で打ち付けるという呪いの儀式だ。貴船神社とか「鉄輪」などのキーワードも思い出す。心変わりした恋人本人を呪うのではなくてその相手を呪うというところから、これを行うのは女性だと思っていたが、今回は男性がやっていたというところがちょっと滑稽だった。

また松江署にすぐに人物を特定されてしまったことといい、話が市の木を傷つけたという「器物損壊」かどうかというところに持っていかれてしまったことといい、なんだか却って男性が気の毒に思われてしまうような事件ではあった。

男性のこの行為は現代では犯罪に当たるのかどうか、ネットでちょっと調べてみた。まず刑事責任から。結果から言うと、相手が死んでも殺人罪や傷害罪にはならないそうだ。以下、コピペ。
---科学的に考えて「相手に見立てた藁人形にくぎを打つ」という行為は、およそ、死の危険を発生させるものとはいえないからです。このように、性質上、およそ犯罪結果を生じさせるのが不可能な行為によって犯罪結果を発生させようとするケースを「不能犯」といいます。結果発生の危険すらないため、殺人罪のように未遂罪が規定されている犯罪においては、未遂罪すら成立しないと考えられています。
ただ、一般的にこのような呪いの儀式は、相手に対する嫌がらせの目的で行われることが圧倒的に多いといえるでしょう。ですから、例えば、呪いの儀式を撮影したビデオを相手に送り付けるなどした場合には、脅迫罪が成立しうる可能性があります。ビデオを見た人が自殺した場合には、ケース次第ではありますが、自殺教唆罪が成立する可能性も否定できません。また、呪いの儀式の動画をインターネット上に公開した場合には、内容によって、名誉棄損罪、侮辱罪が成立する場合がありうるでしょう。---

次に、民事責任。
---民事責任としては、儀式を行った人たちが相手やその遺族から損害賠償責任を負わなければならないかが問題となります。
まず、呪いの儀式の直後に人が亡くなったり、ケガをしたというだけでは、損害賠償責任を負う必要はありません。不能犯の場合とほぼ同じ理由で、およそ結果を発生させるようなことは何もしていないといえるからです。
しかし、ビデオを送り付けた場合、公開した場合には、ビデオを受け取った、あるいは公開された相手は、これによって精神的に非常につらい思いをします。そのため、慰謝料を支払う責任を負う可能性があります。ビデオ送付、公開により相手が精神を病んで入通院して治療を受けることになった場合には、治療費も財産的な損害として賠償する責任を負います。
さらに、このような仕打ちを受けた人が絶望して自殺したような場合には、死亡そのものに対する財産的損害と慰謝料について、遺族に対して損害賠償責任を負わなければならない場合もあります。---

平安時代なら実効性のある呪いとして考えられていたであろう行為が、現代には「およそ犯罪結果を生じさせるのが不可能な行為」と断言されているのが興味深い。これが科学的思考というものなのだろうし、件の男性が「自分の気持ちを静めるため」と言っているのも、常識的にそういう感覚を持っていたからなのだろう(たとえ「相手を呪うためです」と言ったとしても罪にはならないが)。

男性が罪に問われるとすれば、相手の女性が男性の行為を知ったときのショックと、警察の捜査などから蒙った精神的な損害に対してだけだろう。彼も深く反省しているようだし、どうか彼女の心安かれと祈らずにはいられない。

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